蛇の如く蜷局を巻き、その色は肥沃な大地に似た茶色。
竜巻と見まごう程のハエが集り、あらゆる人間たちの顔を顰めさせる激臭を放つそれは……。
「ウ■コじゃ〜〜〜〜〜〜〜〜ん!!」
「うるせえぞデンジ!!」
雲一つない清々しい昼時のことだ。
通報を受けて出動した特異四課の前には、巨大なウ■コがそびえ立っていた。
周囲には一般市民はおろか、民間のデビルハンターの姿すら無い。
ウ■コが放つ悪臭のせいで、誰も寄り付かなかった為だ。
「畜生……これは何だ?」
「ウ■コだろ?」
「そういう事を言ってんじゃねえ!」
悪魔とは、様々な名前を持って生まれてくる化け物の総称である。
有形無形問わず、あらゆるものの名前を持ち、その名が人間に恐れられる程に力を増すという特性を有している。
悪魔ごとに知性や能力、そして生態は千差万別ではあるが、中には力を得る為に人を食おうとする悪魔も珍しくはなかった。
(だが、悪魔が食って出した物にしてはデカい。近辺で他の悪魔の目撃情報はなかった。ならコレは……)
「ギャハハハハハハハ!!
「いつまではしゃいでんだ! パワーも……パワー?」
いつもならデンジと一緒に騒いでいるはずの魔人が、やけに静かだった。
「まさか……」
「逃げた!? マジかよ〜〜〜!!」
「あの糞悪魔ぁ!!」
パワーの事を知ろう!
パワーはトイレで自分のウ■コを流さないけど、別にウ■コが好きな訳ではないぞ!
「そもそも俺らは何の為に出動させられたんだ! デビルハンターは清掃員じゃねえぞ!」
『アキくん、聞こえる?』
突如、アキ達の上司であるマキマから通信が入った。
慌てて通信機を取り出すと、アキは半ば縋るようにして叫んだ。
「マキマさん! アレは一体何なんですか! 教えてください!」
『簡単に言うと、アレはどこかの悪魔がひり出したものではなく、アレそのものが悪魔なんだ』
茶色の物体に視線を向ける。
「アレそのものが……」
「ウ■コの悪魔って事っスか!」
「デンジ!」
『ウ■コの悪魔って事だね』
「マキマさん!!」
マキマの説明によると、ウ■コの悪魔には非常に厄介な性質が存在するという。
知性や移動能力こそ持たないが、外部から刺激を受けると風に乗せて悪臭を広め、辺り一体を汚染し尽くす。
その有り様は生物というよりも寧ろ、起動寸前の爆弾に近かった。
『アキくん達の任務は、公安からの応援が到着するまで、ウ■コの悪魔に誰一人として近づけない事。それだけ』
「はあ……」
『それじゃあ、後はよろしくね』
そう言ってマキマは返答する間も与えず、一方的に通信を切った。
「……」
口を半開きにしたまま、アキは呆然と突っ立っている。
そのまま数十秒間固まっていると、デンジが声を掛けてきた。
「……なあ、アキ?」
「何だ?」
「チェンソーになっといた方がいいか?」
「話を聞いてなかったのかこの野郎!」
デンジは不死身だ。
余程の強敵でもなければ、生身でも悪魔を打ち倒す事も不可能ではない。
その上「チェンソーの悪魔」に変身させた状態で突っ込ませれば、まず負ける事はないだろう。
ただそんな事をすれば、アレがビチャビチャと飛散し、茶色成分多めのスプラッター映画が完成してしまう。
なお、スプラッターとは血に限らず、液状の物を飛ばすという意味を持ち、言葉の原義には反していない。
だから何だってんだ。
「よく聞け! 非常に遺憾だが、俺達がしなきゃならないのはアレを守る事で、攻撃する必要はない!」
「オレだってあんなのに触りたかねーよ!」
「……マジか?」
「オレを何だと思ってんだよ!?」
言いたい事が上手く伝わっていない。苛立ち紛れに、デンジはガシガシと頭を掻いた。
「つまりー、あれだ。守るってのは何からだって話だよ」
「あのなあ……」
大きく溜息をつき、出来の悪い弟に言い聞かせるように説明しようとしたその時、アキは視界に何かを捉えた。
そびえ立つ糞山を挟んだ向こう、デンジ達が立つ場所の真反対から、何者かがウ■コに接近していた。
「まさか……!」
ウ■コに好んで近づこうとする奴など、存在するはずがない。
悪魔の死体に利用価値を見出し、裏でヤクザなどが取引する事もあるが、まともな装備を持っているはずもない連中が、見るからに厄介そうなコレに手を出す事は有り得ない。
アキはそう思っていた。
だが、正体不明の存在は悪臭を物ともせずウ■コへと一直線に駆け寄っている。
距離を保ちながら回り込むと、その異様な姿がハッキリと見えた。
全身を黒い甲殻で覆い、背中にはT字の切れ目が走っている。
巨大化したカブトムシを直立させたような格好のそれには、角の代わりにギザギザとしたコブが突き出している。
そして三対の脚が生えているはずの場所には人間の足が付いており、元気に地を駆けていた。
目を見開き、絶句する。
アキはデビルハンターという職業に就いている以上、奇妙な姿形をした存在を目にする事など日常茶飯事だ。今更見た目で慌てる事などはない。
ならば、アキが驚いたのは何故か?
それは、あの甲虫じみた悪魔が、耐えがたい悪臭に怯む事もなく、寧ろ汚濁した空気に喜んで向かって行った事が理由だった。
「馬鹿な……何十メートルも離れた此処ですらキツいってのに……!」
「アレってフンコロガシじゃねえか?」
「は!?」
「教育テレビで見たぜ?」
唐突にデンジの口から飛び出した発言に一瞬面食らうが、それは確かに的を射ていた。
所々醜悪に歪められてはいるが、あの丸みがかったシルエットはフンコロガシに見えなくもない。
何より、好んであのお下劣の化身に近づこうとする理由など、本人が余程のウ■コ好きだという事くらいしか考えつかない。
その点、糞を主食とするフンコロガシならば、あの自殺とも思える無謀な行動にも納得がいく。
「……聞いた事もないが、多分アレはフンコロガシの悪魔だ! デンジ!」
「おっしゃあ!!」
胸のスターターを思いっきり引くと、デンジの姿が変貌していく。
顔はチェンソーを模した赤い仮面のような物で覆われ、両腕でも同じくチェンソーの刃が唸りを上げていた。
これが、デンジが持つ力だ。
「準備はいいな……行くぞ」
変身し切る頃にはアキも武器を構え、強襲の準備を終えていた。
合図と共に勢いよくフンコロガシの悪魔へと飛びかかり、刃を叩きつけようとする。
強烈な臭いに、二人の顔が歪んだ。
そして刃が悪魔を切り裂く直前、フンコロガシの悪魔は前のめりに転けた。
「アァ? 急にどうなってんだ?」
デンジの疑問に応える者はいない。
フンコロガシの悪魔は地面に突っ伏したまま、微かに痙攣する以外には何の反応も返さない。
悍ましい匂いと共に、弛緩し切った雰囲気が、この場を満たしていた。
「……まさかコイツ、匂いに耐えられず気絶したのか?」
「何だそりゃ!? 俺らがカレーの匂いでぶっ倒れるようなモンだろ、有り得ねえって!」
「カレーを引き合いに出すんじゃねえ!」
何とも締まらない。
フンコロガシの悪魔がウ■コの臭いに引き寄せられていた事は確かだが、それが平気かどうかは別問題だったようだ。
取り敢えずデンジに攻撃させると、フンコロガシの悪魔はあっさりと真っ二つになって動かなくなった。
「お、死んだ」
「……」
『デンジ! アキ! 聞こえるか!?』
二人してフンコロガシの死体を見下ろしていると、再びアキの通信機から声がする。
しかし、声の主は先程アキ達に命令を下したマキマではなく、この場から真っ先に逃げ出した、デンジのバディのものだった。
「パワー、てめえ!」
「野菜食わすぞこのチキン魔人!」
『静かにしろ! そこで死んでる悪魔について、伝えなければならぬ事があるんじゃ!!』
いつになく真剣なパワーの声に、思わず固唾を飲んだ。
眼下の死体を見つめながら、じっと耳を傾ける。やがてパワーは、重々しくその口を開いた。
『そこで死んでいる悪魔……ソイツはな……』
「「ソイツは…?」」
『ワシの手柄じゃ』
プチっという音がしたかと思うと、そのまま通信が切れた。
「……パワーァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァっ!!」
「見てんだろ! アイツ見てるよねえ!?」
その後数分に渡って、二人は暴れ続けた。
ぶっ殺す、許さねえ、マキマさん送りだこん畜生、といった暴言を際限なくまくし立てながら、怒りを撒き散らしていた。
「ハア、ハア……あの糞悪魔……帰ったら、ぜえ、覚えてろ……!」
「ゲッホゲッ……ああ? ありゃ何だ?」
二人の体力が尽きた頃、デンジが遠くからやって来る何かに気付いた。
デンジが指を差した先、そこにあったのは、一台のヘリだった。
それはローター音を響かせながらアキ達の真上で静止すると、梯子が垂らされる。
それを伝って、見慣れぬ二人組が降りて来た。
「よく持ち堪えてくれました! 私達は公安本部から派遣された、対ウ■コの悪魔専門のデビルハンターです!」
先に降りて来た男が、にこやかに握手を求めてくる。
後から来た小男は、憮然とした表情のまま黙りこくっていた。
「はあ、どうも……」
疲労でぼんやりとしたアキの態度を、どう勘違いしたのか、男は申し訳なさそうに頭を下げた。
「すいません……あんな姿をしていますが、アレでも実は歴とした悪魔なんです。失礼な奴ではありますが、ここは……」
「そうなんですか!?」
マキマの指令から、応援が来る事は知っていたものの、まさか二人だけとは思ってもみなかった。
ただの子供にしか見えないが、それだけ強力な悪魔だというのだろうか?
「それでは、ここからは私達が。お二人は下がっていてください」
「おっ、どうすんだどうすんだ〜〜?」
チェンソー化を解いてはしゃぐデンジを、力づくで下がらせる。
デンジが余計な事をやらかさない為でもあったが、それだけに限らない。
二人が並び立った瞬間、目には見えない力──覇気とでも呼ぶべきものが発せられた。
下手をすれば、自分達も無事では済まない。そう思わせる程の強烈な覇気を、アキは感じ取っていた。
小男の姿をした悪魔が、真っ直ぐにウ■コの悪魔を指差すと、彼の口の端が三日月のように釣り上がった。
同時に、男の方もウ■コを指差す。
そして──。
「『小学生の悪魔』! 笑え!」
「は?」
「ダハハハハハハハハハハハ!!」
小男、もとい小学生の悪魔は、大笑いをし始めた。
ウ■コを指差しながら、ゲラゲラと、飽きもせず。
一方、隣に立つ男の方はというと、真面目くさった表情のまま身じろぎ一つしない。
「ダハハハハハハハハハハハハ!」
「ギャハハハハハハハハハハハ! ……
つられて笑い出したデンジの頭を、無言で引っ叩いた。
「ちょっと、どういう事ですか!?」
意味不明な奇行に走った男達に詰め寄るが、彼らは全く動じていない。
人間の男が振り向き、アキを一瞥すると、無言で顎をしゃくる。その先では、信じられない光景が繰り広げられていた。
ウ■コの悪魔が、縮んでいる。
しゅうしゅうと音を立て、まるで悶え苦しんでいるかのように、みるみる萎んでいった。
「恐怖や嫌悪が悪魔の力になる事は、ご存知ですよね?」
幾つかの例外は存在するが、悪魔が力を得る為には、人間を恐怖させるのが基本だ。
悪魔自体が暴れて恐れを振り撒く事もあれば、あるものが事件や事故をキッカケに恐怖されるようになり、その名前を持つ悪魔が強くなるケースもある。
「ですがそれは、恐れられないものは弱くなる、という事でもあります」
時代や社会情勢によって悪魔の強さが増す事があるのならば、その逆も然りだ。
恐れられていたものへの対策が確立されたり、ものがキャラクターとして愛され、消費されていく事でも、悪魔の力は失われていく。
「そうか、その為に……」
「そうです。小学生はウ■コを見ただけで笑う。それは社会通念であり、その化身でもある小学生の悪魔は、ウ■コの悪魔にとって天敵という訳です」
(……いや、それはおかしくないか?)
そうは思いつつも、今やウ■コの悪魔は一欠片程度の大きさにまで萎んでいる。
そして徐に小学生の悪魔がウ■コの悪魔に歩み寄ると、躊躇いもせず欠片となったウ■コを踏みつけた。
「ウ■コの悪魔、討伐完了」
受け入れ難い現実を目の当たりにし、アキはそっと口を噤んだ。
「それでは、私達はこの辺で」
そう言い残すと、男達はヘリに乗せられてあっという間に帰っていく。
アキ達は、無言でそれを見送った。
「……デンジ」
絞り出すように、アキが尋ねる。
「俺たち必要だったか?」
「……」
「……」
「「…………」」
取り敢えず、パワーはしばき倒す。
二人は、心にそう誓った。
チェンソーマンはね、ウ■コなんかしないの