学校の屋上と言うのは青春の場所だ。
ドラマの――これはテレビで放送されるモノ、人間同士の劇的な関係の二つの意味で――舞台となる。友情を育む場所、告白したりされたりする場所、時にはこの舞台で喧嘩を演じることもあるかもしれない。
それは、学校と言う環境で最も特別な場所が、屋上だからだろう。
学校と言う拘束の多い不自由な場所で、一番解放された空間である事。そんな環境でありながら、どこか人が寄り付かない秘密の場所と言った印象がある事。学校で一番高いという特別感も、何より屋上を特別なものに昇華している。
しかし、現実がフィクションに勝てる要素は多くない。それは学校の屋上に関しても当てはまるものだ。
そんな憧れの場所は、ほとんどの学校において入る事なんてできない。高いところは危ないという、当たり前で夢も欠片もない、しかし反論の余地のない事実で。
僕はその屋上が火曜日の昼休みに限っては入れることを知っていた。理由は知らない。ただどういうわけだか普段は固く閉ざされてしまっている屋上への扉が、この時だけは施錠されていないのだ。
そのことを知らなければ、いや、そのことを僕に教えてくれた人が特別でなければ、今こうして屋上から町を見下ろしてはいなかっただろう。高いビルもいくつかあるが、丘の上に建てられたこの学校からは見下ろすことができる。住宅地の向こうに、大きな街が見えるのだが、ほとんどの建物が小さく見えるものだから、まるでミニチュアだ。あの一つ一つに数えきれないほどの人間がいるなんて想像がつかない。高いところから、小さな小さな街並みを見るというのは、まるで天界から下界を見下ろしているようだ。
しかしそのことに優越感を感じることはできない。僕にとって何より特別な人が隣にいるのだから。
「それじゃあ、飛ばすっすよ!」
特別な人――芹沢あさひは、弾けるような笑顔で言った。普段教室でこれほど輝いた表情を誰かに見せることはないが、だからと言って僕が特別なわけでもない。僕が芹沢のすることにケチを付けたり、文句を言ったり、諫めたり、その他大勢のしていることをしていないだけだ。
芹沢は、紙飛行機を飛ばそうとしている。綺麗に折られた紙飛行機は、きっと遠くまで飛んでいくだろう。どれだけ遠くまで飛んでいくかは僕も純粋に気になる。
しかし、今にも飛ばそうとしたところで強めの向かい風が吹き始めた。
「わわっ……!」
持っていた紙飛行機が顔に直撃して、芹沢はかわいらしい悲鳴を上げる。
「大丈夫か?」
「うーん……これだけ風が強いと飛ばせないっすね。もう少し待ってから……」
紙飛行機に変な曲がりがついていないか確認する芹沢だが、吹いている風で髪がぼさぼさと乱れている。彼女の銀色の髪は昼の太陽の陽ざしにキラキラと輝いて眩しいくらいだったが、陳腐な表現だが芹沢の笑顔も負けに位に眩しい。
もともと芹沢は優れた容姿をしている。形のいい鼻、小さく可愛らしい口元、まだ残るあどけなさからはかわいらしさを感じる。それに対し、空に近い瞳は澄みきって恐ろしいほどで、冷たい印象を感じることもあった。
こんな風に楽しそうに紙飛行機を飛ばそうとしているところはすこし子供っぽいが、その瞳がとりわけ冷たく深く澄むとき、何かに集中しているときなんかは、ミステリアスと言うか、何か僕らには見えない真理を見ようとしているような、遠い印象を纏う。
遠くて、深くて、だから怖いのだ。
芹沢はクラスメイトから嫌われてはいないが、しかしどこか近寄りがたいという印象を持たれている。空気が読めないだとか、言動が突飛だとか、そんなものは受け入れてくれる人がいるものだ。最悪慣れる。
しかし、あまりこの表現は使いたくないのだが、天才は違う。天才とは理解しがたいものに与える蔑称だ。理解を放棄して、別の生命体へと追いやる表現だ。
生き物は自分と違うものを嫌う。
芹沢あさひは特別なのだ。遠くて深くて、怖い。自分たちとは質の違う生き物。理解できないと決めつけて、クラスメイトの多くは芹沢とは一定の距離を取っている。
芹沢あさひは僕にとっても特別な人だ。けれど、その特別と言うのは、世界で一番理解したい人に使う、特別だ。
とても賢くて、とても可愛らしくて、少し変わっていて。新雪よりも白く純粋で、触れるだけでも歪んでしまいそうなほどに柔らかい。
そんな風なのに人間を観察するのが好きなようで、それが危なっかしい。
守りたい、なんて傲慢な考えが少しはある。この年齢の人が自分を特別だと感じるというのは僕にも当てはまることで、いつか芹沢の一番の理解者となって、芹沢からもそう思われる、そんな妄想を何度もした。
「あれ? 見ないんすか? 風が弱くなってきたっすから今度こそ飛ばすっすよ?」
「あ、ごめん。見るよ」
そんなことを考えている間に、どうやら風が止んだらしい。どこか不満そうに声をかけてきた芹沢に一つ謝罪をして、紙飛行機を飛ばすよう促した。
こんな風にわざわざ声をかけてくれるということは、一応は僕にも紙飛行機が飛ぶさまを見てほしいと思ってくれているのだろうか。
芹沢は手にしていた紙飛行機を、屋上から思いっきり飛ばした。
紙飛行機の素材は社会のテストだ。記憶力のいい芹沢は高得点を取ったが、あまり興味がないようで教科担任の目の前で紙飛行機にした。
風に乗って紙飛行機はゆっくりと飛んでいった。
たぶん続かない。