地獄上がりの新人天使ロイと、その教育係の先輩天使ルーカスとの、とある日暮れの一幕。

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 ミステリー、ですかね。多分。あと、現代モノになってるけど読者の思想によってはファンタジー。


天使

 斜陽。夕暮れ。

 

 暖かな光が街を血の色に染めている。

 

 空中。二人。純白のローブ。

 

 いくら地方都市の町はずれとはいえ、舗装された道を行く複数の通行人のどの目も見紛うはずがない。

 

 二人の男と思しき人間が宙に静止している。およそ現実世界に似合わぬ服装であり、様相だ。

 

 彼らを見上げ「何なんだあいつらは!」と叫ぶ者はいない。そこにいるのに、気づかない。人々の視線は皆一様に、下か前か携帯かを向いている。

 

 町を黄昏が支配する時分、明らかに異彩を放つ二つの影は通行人以上に下界の様子に無頓着だった。

 

 大声で言い争う声を、電線に佇む小鳥だけが聞いている。

 

 

 新人天使ロイは吊り目をさらに怒らせ、先輩ルーカスに食ってかかった。

 

 「なぜあんなことをしたんですか⁉ 僕らには人間界の苦痛を減らすという使命があるというのに、みすみす増やすような真似をするとは! よりにもよってあのような小さい子供を!」

 

 ルーカスは葉巻を加え、深呼吸ついでに肩を回す。「あのな」

 

 「言い訳など聞きたくありません! 貴方の行為は到底許されるはずのないことだ! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()するとは! おかげであの子はより深い悩みの淵に堕ちてしまったではないか!」

 

 「まあ聞け」

 「うるさい!」

 

 「理由があんのさ。どうしてそこまでがなりたてる」ルーカスはいたって落ち着いている。

 

 「どうもこうもない! 重罪すら免れぬ失態、大失態だ! そんな行為を一天使の身勝手でなんとまあすんなりとやってのけたものだ!!」

 

 新人天使はぎりぎりと歯をきしませ、興奮冷めやらぬ様子で、

 

 「……この案件はすべからく、天界の法廷にかけさせていただく! それでは」

 

 ロイはルーカスを置いて天界へ戻ろうと、手首に装着している腕時計に似た装置をいじる。

 

 ルーカスはわんぱくな孫を見る老人のような目つきで、「やれやれ、こりゃなんとも血気盛んなガキが来たもんだ」

 

 「何だと!」ロイが腕の装置に手をやったまま(わめ)いた。

 

 「……どうして俺がお前の教育係兼世話係なんてかったるい役職を(こうむ)ったか、知ってるか」

 

 「知るわけがないでしょう! どうせ今回のように現場で重大なへまをやらかしたせいで上層部の評価を下げた結果ではありませんか?」

 

 ロイはルーカスを挑発し、無精ひげにまみれた彼の顎や潰れた鼻を汚物を見るように眺めた。

 

 「ふふ」喉にかかった笑い声は自嘲するかのようだ。

 

 「さらにあなたのその、天使に似合わぬ乱暴な言葉遣いもどうかと思われます。身だしなみも整えられないような輩にこの純白のローブは似合いません。刑期を終えたまま、地獄でくすぶっていたほうがよろしかったのではありませんか」

 

 天使の業務には主に地獄での刑期を終えた魂が就いている。現世での人生を終えた魂は必ずと言っていいほど何らかの倫理的罪を背負っていることが多いためだ。

 

 「はっ、言うねぇ……。新人のくせして、偉そうに。数日前まで地獄でのたうち回ってた囚人が、今や天使界の掟を自分の信念みたいに語ってやがる。我が物顔で天界の大路を歩き、天使界の首長が通りかかったってのに会釈一つしねえ。てめえこそ、視力検査してもらった方がいいんじゃねぇか」

 

 ルーカスは座った目で後輩を見上げ、低い位置からぶつぶつと呟く。

 

 「何を言っているのか、さっぱりわかりませんね。今日の任務に就く前にあなたを脇に連れ大路を通りましたが、人っ子一人いなかったではありませんか。長官とは刑期終了後の面接で一度お会いしたきりですが、あの場にはいなかった。断言してもいい。虚言癖もいい加減にしてください。そもそも貴方のような汚らしい人物まで天使として採用しているとは、天使界の重役は人員不足を心配した方が良い」

 

 一方的にまくしたてるとロイは鼻を鳴らした。天界の制度改革を叫び出しかねない勢いだった。

 

 「へっ、馬鹿め。大路には百二十人からの人がいたぜ」

 

 「なっ…。嘘を言うんじゃない」動揺が顔に現れていた。

 

 「心の汚れた者に清い魂は見えないのさ。特に、地獄上がりの新人天使なんかにはな」

 

 「まさか。いや、そんなはずはない。確かにあの通りには人はおろか犬や猫、小鳥さえいなかった。天界とは静かな所だと感心したのだ。地獄には四六時中我々囚人の罪状を読み上げゲラゲラと笑いたてる悪魔がいたし、物理化した自らの罪の重みに苦しむ同輩が許しを乞うて喚いて……いましたから」

 

 頭の血が下りてきたのか新人は言葉遣いを改めた。

 

 先輩天使は葉巻を人差し指と中指に挟み、明後日の方向に煙を吹き、

 

 「お前の濁った心は天界の禽獣(きんじゅう)はおろかミミズにすら劣るってことだ」

 

 「そんな」

 

 「自分の胸に手を当ててよく考えてみろ。お前の心は澄んでいるか?」

 

 「……!」

 

 自分でも思うところがあったのか、ロイは言い返さず先輩を睨みつける。

 

 日が沈むにつれ、街は朱を濃くしていた。

 

 「大路を抜けた後、広場に入ったのを覚えているか」

 

 「……ええ。視線を遮るものはありませんでしたが」

 

 「そこには七五九人の天界の民と八七匹の動物がいた」

 

 ロイはぴくぴくと頬を痙攣させると、拗ねるように俯いた。その後ろ姿は悲壮感があった。

 

 「噂をしていたぞ。『あら、今日はやけに濁った方が来たものね』と」

 

 首をがくりと落とす新人天使を横目に、ルーカスは紫煙をくゆらせる。

 

 しばしの沈黙。

 

 夕空が次第に藍を増し、昼と夜の境界が西へ西へと移動していく。

 

 「そろそろ分かったか、俺がお前の教育係で世話係な訳が」

 

 ロイは顔をゆがめた。

 

 「お前に、教育と世話が必要だからだ」

 

 「……」

 

 「分かったかい」

 

 「……はい」

 

 「そんならいいんだ」先輩天使はあっさりとしていた。「安心しろ。最初からすべて視える聞こえるなんて奴はいねえ」

 

 渋りきったロイの表情はみるみる泣きっ面に変わり、

 

 「……先程の非礼の数々を詫びさせてください」と言って深々と頭を下げた。

 

 ルーカスは一瞬驚きを見せると、笑みをこぼしながらロイの肩を叩き「上出来だ」と唸った。

 

 

 

 

 「……一つ質問をさせていただいてもよろしいでしょうか」

 

 新人がその長身を折り行き過ぎたほどの敬意をもって尋ねた。

 

 時刻は丑三つ時を待つ真夜中。闇に覆われた大気の内部は澄んだ蒼で満ちていた。

 

 「ああ、何でも訊いてくれ」

 

 「あなたは心の穢れた者には天の住民は見えないといった」

 

 「そうだ」先輩は答えた。

 

 「あなたには彼らが視えたのですね」

 

 「その通り」と先輩が首肯する。

 

 「でしたら、ルーカス先生は清浄な魂を持っていらっしゃるはずだ。それならば私にあなたの姿は見えないということになる。これは一体どういういうことなのでしょう」

 

 「鋭い」ルーカスが目を細める。「記憶を辿ってみなさい。その中に答えがあります」

 

 ロイは先輩天使が急に言葉使いを改めたことに戸惑いながらも、先刻の口論の記憶を一つ一つ辿った。

 

 ――言うねぇ、新人のくせして……

 ――天界の大路を我が物顔で……

 ――()()()()()に会ったってのに会釈一つしねぇ

 

 「――!」

 

 「……気づいたようだね」

 

 「まさか、あなたが、」

 

 ロイは思わず隣に立つ先輩の顔を凝視した。別人としか思えない人物をそこに見た。醜悪に思っていた無精ひげが拭ったように消えており、潰れていた鼻はすらりと形良く顔の中央に納まっている。

 

 「そう、私が天界の長官だ」

 

 見る者を浄化してしまうような、体躯からにじみ出る光輝くオーラ。彼が地獄での刑期後に面接で一度顔を合わせた、天界を統括する首長がそこにいた。

 

 「……あ…あ」二の句が継げなくなってしまった。

 

 

 

 

 「すまなかったね」長官の第一声だった。

 

 「私は君をだましていた。慎んでお詫び申し上げる、この通りだ」形の良い頭がロイの腰辺りまで下げられた。

 

 「い、いえ! こちらこそ、数々の暴言及び非礼をお許しいただきたく」

 

 必死にとりなしつつ新人天使は跪く。

 

 「構わんよ、楽にしたまえ。ここは現世ほど上下関係は厳しくない」

 

 「……………では、お言葉に甘えて」

 

 新人は膝を上げ、もじもじと体裁悪そうに身をよじっている。

 

 「それはそうと、問い質したいことがあったのではなかったかね?」長官ルーカスは訊いた。

 

 「そうでした! ……なぜあなたは虐めの被害に遭う子供に、加害者の同級生の殺害方法を伝授なさったのです? 長官の判断というだけでは私にはどうも納得が行きそうにない」

 

 「お答えしよう」天界の首長は笑顔で頷いた。「面接で確認した、『天使の究極使命』を覚えているかね」

 

 「ええ。『人間界に溢れる苦しみを減ずること』でしたか。長官直々のお言葉でしたが」

 

 不満そうにロイは首をひねる。

 

 「その通り。君は物覚えが良い」

 

 ますます怪訝な顔をするロイだった。「でしたら、あんなことをした理由は」

 

 「……これは、あまり人に聞かれたくない話なのだが」ルーカスは声を低くし、

 

 「天使の間には『暗黙の現実目標』というものがある」

 

 

 

 

 「暗黙の、現実目標……?」さっぱり合点がいかない様子のロイだった。

 

 「我々天使は長らく、実に数千年もの間、人間界にはびこる悪徳、無常の数々を前に奮戦してきた。天界の民の内から希望を募り――中には君のように自ら志願する者もいたが――地上界を生きる人々に働きかけてきた。善く生きよ、人を助けよ、とな」

 

 「……何の問題があるのです? 非の打ち所がないように思えますが」

 

 「我々は長年にわたり偉大なる間違いを犯していたことに気づいたのだ」

 

 「……その間違いとは?」

 

 「人間の苦しみは減らなかった。我らがいくら奮闘し、人員を増やしても、人間界の苦痛の総量は全く変化しなかったのだ。増えもせず、減りもしなかった。四千年前も、今も」

 

 「……そ、それでは! 我々のいる意味がないではありませんか!」

 

 「そうだろう。打ちひしがれた我々は、初めて神に助けを乞うた。サタンと対峙する、あの懐深き神に。当時は厳禁とされていた行為だったが、私もなりふり構ってはいられなかった」

 

 人も草木も鳥も牛馬も大半が眠りこける世界の片隅で、時間の概念を持たない天使たちは議論を白熱させていた。

 

 「長官が直接談判なさったのですか」

 

 「そうだ。その功績で私は祭り上げられ、あの直後に新設した長官の椅子に座っているというわけだが、それはいい。私は仲間を宮殿の外に待たせ、神の御前で頭を垂れて懇願した。慈悲深き神は哀れな我々にたった一つ、大きな助言を授けてくださった。その一言一句は今でも天の宮殿の壁に刻印されている」

 

 「……それは」

 

 「苦痛の絶対量の減少ではなく、痛みの質を上げること。端的に言えば、それが神の教えだった」長官は読み慣れた聖書の句を暗唱するように言った。

 

 「一体……どういうことでしょう」

 

 「理屈どうこうよりその後我々が成した行為によって説明しよう。教えを賜った直後から当時の天使たちは地上の人間に働きかけた。その甲斐あってか、地上で大きな変革が起こったのは16世紀の初めのことになる――場所はドイツ、ヴィッテンベルクのとあるカトリック教会の門扉に張り出された文書が後にヨーロッパ中を混乱の渦に巻き込む大騒動を引き起こした」

 

 「『95か条の論題』……宗教改革の発端となった事件ですね」

 

 「この歴史的意義は途方もなく大きい。そこから人々は自由を以前にもまして欲するようになった。求められる自由は信仰のみにとどまらず、職業、財産所有、果ては生存にまで至った。『人権』という概念はこの時からヨーロッパ中に広まり、数百年の時を経てアメリカ、アジア、アフリカに波及し、深く根付くのも時間の問題だ」

 

 「神による助言が地上界で人権意識の拡張をもたらしたわけですか」

 

 「うむ」ルーカスは満足そうに首肯した。「人は肉体的満足に加え、より質の高い精神的充足をより貪欲に求めるようになったのだ」

 

 静まり返った地方都市の中空に二つの人影が漂っている。片方が神々しい光を放っているが、その光は町並みを照らしてはいない。

 

 ロイが話を本題に戻そうとする。

 

 「……それが、たった一人が受けるいじめの内容とどう関係するのです? 先程説明された革命的な変革と比べると、いささかスケールの小さいような」

 

 「君の考えはまちがっている。規模の大きさと重要性は比例しない。世界レベルでの改革でさえ突き詰めれば個人の認識の変容に過ぎないのだから」

 

 「……そうでしたね。ではなぜ長官はあのようなことを?」

 

 「人間はより質の高い精神的充足を求めるようになったと言っただろう?」

 

 「ええ」

 

 「上質な生活、上質な快楽、……そして上質な苦痛を人は欲する。苦痛からは逃れられないからね。聡明な苦悩を、賢明な煩悶を」

 

 「()()()()()()()()()()()()()、ということですか」

 

 「その通り。彼は殺害方法という凶器を手にしたことで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 「しかし、そのおかげで多大なる倫理的苦悩を背負う羽目になってしまった」

 

 「何度も言うように、苦しみ自体の総量は変わっておらん。不謹慎な言い草だが、彼にとっては嬉しい悲鳴というものだろう」

 

 「そんな」

 

 「……加害者には分からないかね?」

 

 新人ロイは言葉に詰まった。ルーカスは彼の過去および罪状を知っている。死後、地獄に送られた理由を、知っている。

 

 ロイは赤面し、青ざめた。もしかすると再び地獄へ舞い戻らされるのではないか。

 

 「虐げられる者が欲するのは対抗手段だ。見返してやるための方法があるとないとでは大分、数年後の生存率が違ってくる。放置しておいたらあの子はもう二年と持たなかっただろう。入学直後からいじめの対象とされるとは、不憫なことだ」

 

 「……」

 

 「どうした?」

 

 「……いえ」

 

 「あまり気を揉むことはない。人が人を傷つけるのは日常茶飯事だ。かくいう私も」

 

 新人天使は驚きで目を見開いた。正視するのも億劫なほどに魂が輝いているルーカス長官の過去に一点でも曇りがあるとは思えなかった。

 

 「二三○○年も昔のことになる。私は古代ローマの貴族に仕えていたのだが、平民との身分闘争が佳境を迎え、ホルテンシウス法が制定されると、……この話は天へ戻ってからにしよう」

 

 ロイはあからさまに安堵の表情をしていたらしい。ルーカスは彼に一瞥をくれると息をつき、過去を憂うかのように、白み始めた東の空を、昨日働きかけた子供の家を、ぼちぼち早朝を迎えつつある世界を見渡し、

 

 「……懺悔(ざんげ)の二千年だよ」と呟いた。「君はこれからだな」

 

 地獄上がりの新人天使は神妙な面持ちで「……はい」と返し、天界の長官は彼の肩をぽんと叩いた。


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