夏休みも残り1日、大崎甘奈は小さく伸びをしながら、お昼に目を覚ます。今日は遊びの約束がない。明後日から学校のため、最終日は準備したいと言って遊ばない事にした。でも甜花とは遊ぶ予定である。
そんなわけで、早速、一緒にゲームやろう、と誘おうとした時だった。インターホンが鳴り響いた。
「はーい?」
誰かな、と思ってインターホンのカメラを確認すると、そこにいたのは秀辛だった。なんか尋常じゃないくらい滝のような汗をかいている。
「……どうしたの?」
思わず怪訝な目で聞いてしまうと、カメラの向こうから今にも泣き出しそうな声なのに、追い詰められた笑みを浮かべた秀辛が懇願して来た。
『宿題。やってない。手伝って』
「……」
とりあえず、家の中に招き入れた。
×××
「ひぃん……巻き込まれた……」
「いや、宿題はやったほうが良いだろ。甜花のためだぞ?」
「あんたが言うな、あんたが」
自分の部屋で、全くもってその通りの台詞を吐き捨て、小さくため息をつく甘奈。せっかく、昨日までで合わなければ「最後にカラオケで熱唱」と言う最高の思い出で終わっただろうに、ここに来て今までの思い出をすべて塗り潰さん限りのイベントである。
一方の秀辛は、ソワソワしながら部屋の中を見回していた。
「女の子の部屋、あんまジロジロ見ないでくれる?」
「あ、悪い。いや俺も甜花の部屋のが興味あったんだけどな?」
「て、甜花の部屋は、ダメ……! あんまり掃除してない、から……」
それ故に、寝る時も甘奈の部屋で一緒に寝ている。だから甘奈は甜花の部屋の掃除を手伝わない。……だから以前、急に甜花の部屋が綺麗になっていた時は、本当に何があったのかと勘繰ったものだ。結局、何があったのか分かっていないが。
「エロ本とかないの?」
「あんたぶっ飛ばされたいの? そんなのあるわけないでしょ」
「ふーん……少し残念だな。友達の家に集まったらエロ本探しは定番のイベントだと思ってたのに」
「ここ女の子の部屋だからね?」
ちなみに、探せば「甜花ちゃん秘蔵写真集☆ Vol.1〜109」まであるのは内緒である。これを隠すために甜花とは別の部屋になっている節もあるし。
だから、本当は部屋に秀辛を入れるのはゴメンだったのだが……残念ながら、今日は甜花と甘奈しかいないわけではない。
コンコン、というノックの後に、扉が開かれ、飲み物を用意してくれた母親が入ってきた。
「ふふ、初めまして。甜花と甘奈の母です」
「あ、初めまして。なんかすみませんね、夏休みも終わりって時に……」
「いいのよ、気にしないで?」
「あ、これ今日お邪魔するので、よかったら……」
「あら、お気遣いありがとうね」
え、お前誰? と思ってしまうほど、大人な対応をしながらケーキ屋のケーキを手渡す秀辛を見ながら、思わず甘奈はため息をついてしまう。母親にだけはバレたくなかったのだ、この男の存在は。
「あら、これ高い所のケーキじゃない?」
「あ、はい。バイト代余ってたんで」
「ふふ、ありがとう。じゃあ、勉強が一区切りついた頃に切り分けるわね?」
「すみません、ありがとうございます」
「ところで、あなたはどちらのお友達?」
ほら、興味を持たれる。双子ではあるものの、二人とも男に興味を持つことはほとんどなかったため、ぶっちゃけ異性を家に連れてくること自体が珍しいのだ。
「どっちもですよ。クラスが同じなのは甜花の方ですけど、大……甘奈も友達です」
「……!」
「あら、そうなの?」
それを聞いて、甘奈は思わず目を丸くしてしまった。いや、母親の前だから、かもしれないが、自分に対してもそんな風に言ってくれるとは思わなんだ。
「はい」
「じゃあ……ぶっちゃけ聞いても良い?」
「なんですか?」
「付き合うなら、どっち?」
「「ブフッ!」」
吹き出したのは、秀辛ではなく双子だった。
「ま、ママ!」
「な、何聞いてる、の……⁉︎」
「だって気になるもの。何だったら、両方もらっても良いのよ?」
「甘奈は嫌だよ! こんな男!」
「あら。何てこと言うの、甘奈? お友達は大事にしなさい。そんな言い方しちゃいけません」
「んがっ……⁉︎ ま、ママは知らないでしょ⁉︎ こいつがどんな男か……」
「甘奈」
「っ……!」
大崎家の母親は基本的に優しいが、怒ると怖いのだ。特に無言の圧は、このように甘奈でも言い返せない。
しかし、今は日は親よりも秀辛の方が怖かった。何故なら、彼にとってこの状況を利用しない手はないから。
「にしても、アレなんですよ。甜花はそうでもないんですけど、甘奈は前から俺に突っかかってくることが多くてですね?」
「あら、そうなの?」
「ちょっ、小宮く……!」
「甜花と俺が一緒に飯食ってると、必ず決まって邪魔しに来るんですよね。シスコンも良いとこですよ、彼女」
「へぇ?」
「この前なんて、俺がナンパから助けてあげたのに、鞄を顔面に投げつけられましてね。それはもう痛かったんですよ」
「あれはあんたがお母さんなんて気持ち悪い設定作るからでしょー⁉︎ ていうか、余計なこと言わないでってば!」
イライラしながら甘奈は秀辛を止めようとするが、甜花がそれを許さない。何となく面白い空気を察したのか、甘奈の両腕を封じて自身の方に抱き寄せる。甘奈は正直な所、少し嬉しくて抵抗出来なかった。
それから、秀辛は甘奈にされた事を何一つ包み隠す事なく喋ってしまった。言わなかったことと言えば、甜花の絵の件くらいだろう。
後が怖い、と甘奈は大量に汗を流す。恐る恐る母親の方を見ると、自分を微笑みながら睨んでいた。
「ふふ、甘奈。少し下にいらっしゃい?」
「え」
「お話があります」
「……」
嫌な予感が脳裏をよぎる中、渋々従うと、秀辛と目があった。にやにやしたその表情はとても癪に触る。
とりあえず、後でぶん殴ろうと心に決めて、母親に連れられて部屋を出て行った。
連れられた先はリビング。割とマジでビクビクしながらソファーに座らされると、母親からの第一声は意外なものだった。
「あなた、恋してるのね……」
「ブフォッ!」
この短いスパンの中で二回も吹き出してしまった。ホントに何を言い出すのか、この母親は。
「い、いきなり何の話⁉︎」
「あら、違うの?」
「違うよ! 甘奈、あいつ嫌いだし!」
「なんだ、そうなの。あの子は甘奈の事も甜花の事も大好きなのに……」
「はぁ? な、何言ってんの……?」
あり得ない、と甘奈は首を横に振る。この女の人、よくもまぁそんな出鱈目言えるもんだと感心すらしてしまった。
「あいつも甘奈のこと嫌いだから。さっきだって、甘奈がママに怒られるのを予測した上で余計なことをペラペラと……!」
「でも、あなたとの思い出、全部覚えてたじゃない」
「え……や、そ、それはあいつ……えっと……そ、そうだ。人の弱点握るのに必死だからだもん! 甘奈のこと好きなんて、絶対にないから!」
「ふーん……そうなの」
何とか熱弁するものの、全くもって納得している様子はない。
「でも、あなたも嫌がっていないから、今日……というか、今日以外も家にあげたんでしょう?」
「っ……そ、それは……ていうか、なんで今日以外って……?」
「分かるわよ。学校の女の子の家に入るのに、もう慣れた様子だったじゃない」
確かに、と頷かざるを得ない。もう少し緊張してくれれば良いのに……もしかして、自分も甜花も女と思われてない? と、思ったが、甜花のことを見る目はペットを見る目だし、自分はライバルだし、割とその通りなのかもしれない。
いや、そんな事よりも、だ。
「あ、甘奈は嫌がってるもん! 何かあったら、悲鳴をあげてあいつ警察に突き出してやろうと……」
「いや、それはやめなさい。ご近所の目が痛いし」
「と、とにかく! 甘奈もあいつも仲良くなんかないから!」
「あらそう……それなら、お説教かしら?」
「あーうそうそ! 仲良し!」
クッ、と奥歯を噛み締める甘奈。どうにも弄ばれている気がする。やはり、自分の母親には敵わないものなのだろうか?
「じゃ、お母さんちょっと出掛けてくるから」
「え、そうなの?」
「ケーキの切り分け、あなたがやってあげなさいね」
「あ、うん」
どんなケーキか知らないが、秀辛の分だけ小さく切ってやろうか、と少しイラつきながら思う甘奈に、母親は言った。
「彼にだけ意地悪しようとか思うのやめなさいよ。今まで、あなたと甜花、共通の友達なんて滅多にいなかったんだから、仲良くしなさい?」
「っ、な、なんで分かるの⁉︎」
「分かります。あなたのお母さんですから。……じゃ、仲良くするのよ?」
それだけ言うと、母親は出かける支度をしに行ってしまった。
結局……何が言いたかったのだろうか? ただの勘違い? いや、あまり意味のないことはしない母親だ。よーく言われたことを思い出す。
恋してるのね、とか言われたが、自分が彼を好きではないことは、自信を持って言える。全然、好きなんかじゃない。……や、悪い人ではない、と言うことはお祭りの一件やら何やらで理解している。
でも、それで惚れる程、チョロくはない。たしかに趣味も一緒だし「高校の間でしか楽しめないことを楽しみたい」と言う考えも同じ。一緒にいても退屈しないし……。
「っ……」
そんな彼から嫌われている、と思うと、少し胸が痛んだ。何故だろうか? 自分だってあんな男、嫌い……ではない、のかもしれない……?
あーもうだ、情緒不安定かっ! と、頭の中で悩みながら、ひとまず部屋に戻ることにした。ケーキはおやつ。まだ勉強会なのに勉強も始められていない状態で出すわけにはいかない。
部屋の扉を開けた甘奈の目に飛び込んできたのは……。
「あーそこそこ。そこで曲」
「あ、ホントだ……にへへっ、やった」
「てか、甜花あんまこれやってなかったん?」
「う、ううん……ただ、あそこにいたのは、少し意外……」
「俺はやり込んだからね。FPSとは真逆のゲーム性なのにエイムが重要な点に惹かれて」
「幻は、全部撮れた……?」
「うん。☆4までコンプした」
「す、すごいね……」
二人揃って、隣同士に寝転んでゲームをやっていた。肩と肩がくっつく距離でいるにもかかわらず、何一つ照れている様子なく写真を撮っている。
その様子を見て、甘奈は思った。
──ーやっぱこいつ嫌い。
と。そんな風にリラックススタイルで一緒にゲームなんて、甘奈でもした事ないのに。
後ろから秀辛の背中に跨り、腰のあたりにお尻を置く。
「っ、な、なんだ? 誰?」
無視して、甘奈はそのまま秀辛の両頬の横に手を通し、顎を掴んだ。それと同時に、ギリギリギリっと顎を持ち上げる。
「アガガガッ⁉︎ 何でキャメルクラッチ⁉︎ てかお前、大崎だろ! 何してんだコラ⁉︎」
「ふふふ、勉強をしに来たのに、人の可愛いお姉ちゃんとイチャついてる泥棒ネコは誰かなー?」
「イチャついてねえよ! ってか、ヤバいって、ホント……や、うそうそ!
すみませんでし……ああああ!」
とにかく締め上げられた。
×××
さて、勉強会開始。甘奈は宿題なんて初日で終わらせているため待機。代わりに、甜花の宿題を手伝ってあげていた。教える、とかじゃなくて完全に甘奈が解いている。甜花には、自分の回答が載っているノートを手渡し、写させていた。
「あの……俺にも写させ」
「ダメ」
「……」
キッパリと断る。
「甘奈の宿題を写させたって、小宮くんの為にならないでしょ?」
「お前どの口が言ってんの?」
「甜花ちゃんは良いの。甘奈が一生、一緒にいるんだから」
「にへへ……甜花も、なーちゃんとずっと……一緒にいる……」
「「ねー?」」
「クソぅ……」
その仲睦まじい姿を見て、正直「可愛い」と思いながらもため息をつく秀辛を見て、甘奈は少し黙り込む。
前までなら「ざまぁ〜www」と思えたのに、今では少し同情してしまう。何というか……まぁ、一応、友達だし、留年されたら困るな、みたいな感覚だ。
「……はぁ、仕方ないなぁ。貸して」
「え?」
「手伝わないからね。教えてあげるだけ。コツとか」
「え、大崎が?」
「そう」
「……熱でもあんの?」
「……」
落ち着け、深呼吸だ。ここでキレても何にもならない。
「ベランダから落として欲しいの?」
だめだった。キレちゃった。
でもそのまま続けた。
「普通に教えるだけ。嫌なら別に良いし」
「あ、いやお願いします……」
「うん。素直でよろしい」
ウインクすると、少し秀辛は頬を赤らめる。照れてる? と一瞬、思ったが、目の前の男のことだ。多分、おぞましいものを見たと思って逆に頭に来たのだろう。
まぁ無視して教えてあげる事にした。
「ほら、まずはここからね」
「あ、うん」
「二次関数ねぇ……や、だからまずはxとyの同類項にまとめないと……」
隣に座って、教科書の下に線を引きながら教える……というか、この男の教科書、綺麗すぎる。何一つアンダーラインや蛍光ペンによる強調部位も出ていない。勉強の仕方を知らないのだろうか?
しばらくそのまま教えてあげていると、自分の裾を甜花が引っ張った。
「ね、ねぇ……なーちゃん」
「? 何、甜花ちゃん?」
「ここ、分からないんだけど……」
「え?」
意外だ。甜花が何かを学ぼうとするとは。いや、まぁそう言う気持ちを持ってくれるのは嬉しいのだが。
とりあえず、甜花のために隣に移動した。
「え、ちょっ、こっちの宿題は?」
「甜花ちゃん優先に決まってんじゃん。暇が出来たらまた教えてあげる」
「ええええっ⁉︎」
「さ、甜花ちゃん。どこが分からないの?」
「ぜ、全部……!」
「任せて☆」
「お前ふざけんな!」
結局、放っておかれた。
×××
「ふぅ、終わった……!」
夕方、甜花は小さく伸びをした。丸写しと甘奈の指導の元、宿題はサクサクと進み、現代文、OC1、数1の中で、数1とOC1が終わった。
「お疲れ様、甜花ちゃん」
「あ、ありがとう……にへへ」
「あとは明日やれば終わるね」
「う、うん……!」
勉強後だと言うのに、元気な返事が甜花から戻って来た。やれば出来る子なのだ。
甘奈も単純に甜花とイチャつけたことだけでなく、甜花の力になれた事に少し、嬉しさを見出せた。
と、そこでそういえばもう一人、一緒に勉強している男がいたことを思い出す。そいつの方に視線を送ると……。
「……すぴー」
「え……」
寝息を立てていた。ちゃぶ台に両腕を枕にして、完全にダウンである。
「あれ……小宮くん……?」
「くかー……」
「……普通、女の子の部屋で爆睡する?」
勉強しなよ、と心底、思ってしまった。
ノートには、途中まで踏ん張っていた形跡はある。……が、宿題範囲の最後の応用問題にダウンしている様子だ。
「……どうする、の……?」
「放っておこうよ。それより、甜花ちゃん。一緒にゲームしよー?」
「え……で、でも……」
甜花はチラリと秀辛を見る。その心配そうな態度が甘奈にも伝染した。考えてみれば、教えるのを中断して甜花の面倒を見始めたのは自分だった。
うぐっ……と、甘奈は冷や汗をかく。
「……はぁ、仕方ないなぁ……」
甘奈は呟くと、秀辛の肩に手を置いて揺すった。
「小宮くーん。起きてー!」
「んぐっ……むにゃ……」
「こーみーやーくーん!」
「んっ……んだよ、るせぇな……まだ夏休みだぞ、父ちゃん……もう少し寝かせてや」
「もう終わるよ、夏休み。あと誰が父ちゃん?」
「んんっ……?」
うっすらと目を開け、ぼーっ……とした表情で甘奈を見上げる秀辛。あいかわらずぬぼーっとした顔だ。決して不細工ではないが、半端な顔をしている少年だ。まぁ、オシャレも頑張っているから、格好悪いと言うわけではないが。
けど、こうして寝ぼけている顔はマヌケっぽい。マヌケっぽいのだが……こんな風に同い年の男子に、ボンヤリと自分の顔を眺められると、これはこれで少し恥ずかしくなってくる。
「っ、み、見過ぎだから……!」
思わず両手で秀辛の顔を反対側に押し退ける。そのまま秀辛は後ろに倒れ、寝息を立て始めてしまった。
「だ、ダメだね。起きないし、やっぱり遊ぼっか。甜花ちゃん」
「……こ、小宮くん……起きてくれたら……甜花の絵、一枚なら描いて良い、よ……?」
「て、甜花ちゃん……いくらこの人が単純でも、そんなので起きるわけ……」
「じゃあ早速、モデルをお願い」
「ひぃんっ⁉︎」
「なんでよ! あれだけ身体揺すって後ろに押し倒されても起きなかった人が、何で絵一枚で覚醒するの⁉︎ どこまで現金⁉︎」
「大崎、色鉛筆とスケッチブックを」
「……」
甘奈のツッコミを無視して図々しい要求をしてくる。その態度が、少し甘奈は気に入らなかった。別に良いけど、自分の顔をぼんやり眺めても覚醒しなかった癖に、甜花の絵一枚の許可ですぐに目を覚ますのは、なんかムカつく。いや別に良いけど。でもムカつく。いや別に良いけど。
「ね、ねぇ、小宮くん? 甘奈の絵でも良いよ?」
「いやいいわ」
「……」
でもやっぱムカついた。額に青筋を浮かべて、色鉛筆を探し始めるバカの両肩に手を置き、力を入れて、強引に座布団の上に座らせた。
「ちょっ、あぶなっ……てか、力強っ?」
「勉強しにきたんでしょ? 終わるまで休憩無しだからね」
「あ、そういえば、課題……」
「みっちり面倒見てあげるから」
本当に容赦なく絞ってやった。