【TS】主人公の両親を殺したラスボス吸血鬼ですが、彼の最後の家族をやってます。   作:サボテニウム

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第10話 七つの帝国

 

 

 

 夜の十時過ぎ。

 

 オレの一人部屋では、いつもの勉強会が開かれていた。

 

 アギトは毎晩、隣にあるカイとの相部屋から紙と鉛筆を抱えてやってくる。

 

 今夜はなぜかカイまでついてきて、オレたちへ断りもなく壁際を占領していた。

 

 本人は一緒に勉強するつもりなどないらしい。

 

 燭台の明かりを頼りに、先ほどから黙々と何かを書き続けている。

 

「お前さ」

 

 割り算の問題を解いていたアギトが鉛筆を止めた。

 

「いつも夜遅くまで、何してるわけ?」

 

 カイは顔を上げなかった。

 

「別に」

 

「別にって何だよ」

 

「君には関係ないことだよ」

 

 アギトの言葉を、冷たい声でばっさりと切り捨てる。

 

「ちっ」

 

 アギトが大きく舌打ちした。

 

「あっそ。相変わらず、むかつく野郎だな」

 

 以前のアギトなら、ここから十倍くらい言い返していたかもしれない。

 

 だが、カイとの不毛な口論で、貴重な勉強時間を無駄にしたくなかったのだろう。

 

 それ以上は追及せず、手元の問題へ戻った。

 

「リーシャ」

 

「ん?」

 

「ここ、どうやって解くんだ?」

 

「…………」

 

「リーシャ?」

 

 アギトがオレの顔を覗き込む。

 

「聞いてる?」

 

「あっ、うん。ごめん。聞いてるよ」

 

 オレは紙を引き寄せた。

 

「この計算はね、まずこっちの数字が何回入るか考えるの」

 

 割り算の解き方を説明しながら、視線だけを壁際へ向ける。

 

 カイは、まだ紙へ何かを書き続けていた。

 

 あいつが毎晩何をしているのか、オレは知っている。

 

 最初は勉強でもしているのかと思っていた。

 

 だが、以前カイが書いているものを偶然目にして、それが違うと分かった。

 

 手紙だった。

 

 パリへ援軍として向かい、そのまま消息を絶った父親へ宛てた手紙。

 

 カイは毎晩のように父親へ手紙を書き、翌朝になるとシスタークロエへ渡している。

 

 何を書いているのかまでは知らない。

 

 孤児院での出来事か。

 

 新しく知り合った人間のことか。

 

 それとも、早く迎えに来てほしいという言葉なのか。

 

 内容を覗き見るほど、オレも悪趣味ではなかった。

 

 ただ、あの手紙が父親のもとへ届かないことだけは分かっている。

 

 前世の世界なら、時間はかかったとしても、国際郵便を使えば東京からパリへ手紙を送ることはできただろう。

 

 だが、この世界では事情が違う。

 

 世界の七割近くが吸血鬼によって支配され、人類の都市は互いに分断されている。

 

 軍用の通信手段でさえ満足に機能していないのだ。

 

 トウキョウの孤児が書いた手紙を、陥落したパリにいるはずの相手へ届ける方法など、ほとんど存在しない。

 

 どれだけカイが書いても。

 

 どれだけクロエへ預けても。

 

 父親が受け取ることはない。

 

「…………」

 

 クロエも、それを理解しているはずだった。

 

 カイから手紙を渡されるたび、彼女は決まって一瞬だけ悲しそうな顔をする。

 

 それでも、無駄だから書くなとは言わない。

 

『お預かりしますね』

 

 そう言って、毎回大切そうに受け取っている。

 

 届くはずのない手紙を受け取り続けるクロエが、何を思っているのか。

 

 想像するだけで胸が重くなった。

 

 カイの希望を否定したくないのだろう。

 

 父親は帰ってこないと、まだ八歳の子供へ突きつけることもできない。

 

 だから、せめて手紙を書くことだけは止めない。

 

 それがクロエなりの優しさなのかもしれない。

 

 そもそも、カイの父親が息子をこの孤児院へ預けたのも、クロエが院長を務めていたからだろう。

 

 同じ十三戦鬼として、彼女の実力も人柄も知っていた。

 

 自分が戻れない可能性を覚悟したうえで、最も信頼できる相手へ息子を託した。

 

 人類側の最高戦力であるクロエが守る孤児院なら、少なくともトウキョウエリア内では、これ以上安全な場所もない。

 

(それでも、カイは納得できないよな)

 

 父親がどのような覚悟で戦場へ向かったとしても、子供にとっては関係ない。

 

 英雄として人類を守ることより。

 

 パリの防衛線を維持することより。

 

 父親に帰ってきてもらうことの方が、ずっと大切に決まっている。

 

 どうして十三戦鬼ほどの戦力を、陥落寸前のパリへ派遣したのか。

 

 疑問に思う者もいるだろう。

 

 だが、討魔師協会にも、それだけの危険を冒さなければならない理由があった。

 

 この世界は、七人の真祖が支配する七つの帝国によって分割されている。

 

 オレは部屋の壁へ貼られた世界地図を見上げた。

 

 端が破れ、何度も修繕された古い地図。

 

 それでも各勢力の支配領域は、一目で分かるよう色分けされている。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 赤く塗られているのは、第一真祖ベリアルが率いる明けの明星。

 

 水色は、第二真祖アスタロスの日輪神王領ミスラ。

 

 緑色は、第三真祖アスモデウスのワラキア公国。

 

 桃色は、第四真祖アラストルの神聖守護領域アルカディア。

 

 黄色は、第五真祖モロクの黄昏の断片。

 

 青色は、第六真祖ベルゼブブの第三帝国ゲルマニア。

 

 そして橙色は、第七真祖マモンの万国自由領ラ・ヌーヴェル・バビロン。

 

 いまだ色が塗られていないわずかな土地が、人類側に残された領域である。

 

 パリは、人類にとってヨーロッパ最大級の防衛拠点だった。

 

 そこが陥落すれば、ベリアル軍の侵攻を食い止める大きな壁が失われる。

 

 フランスの南にはスペインとポルトガル。

 

 さらに海を隔てた先には、モロッコ北部。

 

 イベリア半島と北アフリカの両方を押さえられれば、ジブラルタル海峡まで吸血鬼の手へ落ちかねない。

 

 そうなれば、ベリアル軍は大西洋と地中海を自由に行き来できるようになる。

 

 地中海からスエズ方面へ進み、インド洋を経由して、日本を含む東アジアへ勢力を伸ばすことも容易になるだろう。

 

 パリは、単なる一都市ではない。

 

 ヨーロッパの人類を守る盾であり、吸血鬼の海上進出を防ぐ栓でもあった。

 

 だからトウキョウ政庁も、貴重な十三戦鬼の一人を援軍として派遣せざるを得なかった。

 

 ほとんど捨て石に近い任務だと分かっていても。

 

 パリを見捨てれば、その先にいるさらに多くの人間が危険にさらされる。

 

 討魔師協会にとっても、苦渋の決断だったのだろう。

 

 事情だけなら理解できる。

 

 合理的な判断だったとも思う。

 

 だが、その合理性を八歳のカイへ理解しろというのは、あまりに酷だった。

 

 カイにとって父親は、世界を守る十三戦鬼ではない。

 

 たった一人の家族なのだから。

 

(何も言わない方がいいか)

 

 オレが知ったような口を挟んだところで、父親が帰ってくるわけではない。

 

 届かないから手紙を書くなと言う権利もない。

 

 ここは黙って見守る。

 

 前世で一応は大人だった者として、それが正しい対応だろう。

 

「リーシャ」

 

 アギトが、またこちらを呼んだ。

 

「今度はここが分かんねえ」

 

「はいはい」

 

 オレは地図から視線を戻す。

 

 その直前。

 

 青く塗られた領域が、ちらりと目に入った。

 

 第六真祖ベルゼブブの支配領域。

 

 つまり、オレの帝国である。

 

「…………」

 

 小さい。

 

 改めて見ると、驚くほど小さい。

 

 第一真祖ベリアルの赤い領域と比べれば、ほとんど端へ追いやられた染みのような大きさしかない。

 

(オレの領土、小さすぎない?)

 

 これでベリアルと戦争になったら、一瞬で潰される未来しか見えない。

 

 個人の力でも負けている。

 

 軍の規模でも負けている。

 

 領土の広さでも、もちろん負けている。

 

 勝っている要素が一つもない。

 

(いっそ土下座外交でもするか……?)

 

『どうか命だけはお助けください、ベリアル様』

 

 そんなことを言えば、あいつは喜んで踏みつけてきそうなので却下だ。

 

 そもそも、謝る順番で言えばベリアルよりも先にアギトである。

 

 オレはこいつの故郷を滅ぼし、両親まで殺している。

 

 いつか正体が露見したら、まずは土下座から始めるべきだろう。

 

「おお!」

 

 事情を何も知らないアギトが、紙へ答えを書き込んだ。

 

「できた!」

 

「うん。正解」

 

「やっぱりリーシャの教え方、すげえ分かりやすいな」

 

 アギトは満足そうに笑う。

 

「マジで助かるぜ」

 

「そう?」

 

「ああ。リーシャがいてくれてよかった」

 

「…………」

 

 本人がこう言っているのだから、まあいいか。

 

 謝罪については、もう少し先まで保留にしておこう。

 

 

 

 

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