【TS】主人公の両親を殺したラスボス吸血鬼ですが、彼の最後の家族をやってます。 作:サボテニウム
深夜零時過ぎ。
隣の部屋から、アギトとカイの寝息が聞こえ始めたころ。
オレは自分の部屋を抜け出し、音を立てないよう廊下を進んだ。
目的は、セント・テレジア孤児院の外へ出ること。
ただし、正門から堂々と外出するわけにはいかない。
この孤児院は、シスタークロエが設立した施設だ。
吸血鬼が侵入できないよう、敷地の周囲は高い塀で囲まれ、その全体へ強固な結界が張られている。
万が一にも孤児たちが襲われないように。
そんな彼女なりの配慮なのだろう。
おかげで、外から吸血鬼が入ってくることは難しい。
そして当然、中にいる吸血鬼がこっそり抜け出すのも難しかった。
正門には夜通し見張りがいる。
塀を越えれば結界へ触れる。
窓から出ても、敷地の外へは行けない。
そこでオレは、少し前から孤児院の墓地へ細工を施していた。
「十三番目の墓は……確か、この辺りだったよな」
月明かりだけを頼りに、墓石の間を進む。
入り口から数えて十三番目。
ほかより一回り大きな墓石の前で足を止めた。
「あった」
両手を石へ添え、ゆっくりと横へずらす。
人間であれば、数人がかりでも動かせないほど重い墓石だ。
だが、真祖の身体なら苦もなく持ち上げられる。
石の下には、地中へ続く小さな穴が隠されていた。
オレが夜な夜な掘り進めた、孤児院の外へ通じる抜け道である。
「よいしょっと」
穴の中へ入り、内側から墓石を元の位置へ戻す。
入り口を塞いでしまえば、地上から見つかる可能性はほとんどない。
こんな芸当ができるのも、人間離れした怪力を持つ吸血鬼だからこそだ。
暗い穴の中を、腹ばいになって進む。
土の臭い。
肌へまとわりつく湿気。
たまに顔へ当たる木の根。
お世辞にも快適な道ではない。
それでも五分ほど進むと、孤児院の北側にある茂みへ辿り着いた。
出口を塞いでいた土を押し退け、地上へ這い出る。
「ふう……」
立ち上がり、服についた土を両手で払った。
今夜の目的地は、とある廃ショッピングモールだ。
そこでは、このトウキョウエリアに潜む野良吸血鬼たちの集会が開かれるらしい。
野良吸血鬼。
つまり、七人の真祖が率いるどの帝国にも属さず、独自に暮らしている吸血鬼たちのことだ。
オレは、その集会へ一般の吸血鬼として参加するつもりだった。
(もちろん、第六真祖だと名乗るつもりはないけど)
正体を明かせば、無条件で従う者もいるだろう。
だが、同時に余計な警戒や争いも招く。
まずは末端の吸血鬼たちが何を考え、どのように暮らしているのかを、自分の目で確かめたかった。
とはいえ、見た目は八歳にも満たない少女だ。
子供の吸血鬼だと侮られ、集会の入り口で追い返される可能性もある。
(まあ、そのときはそのときか)
追い返されたなら、別の方法で入ればいい。
平和的に入るか、壁を壊して入るかの違いでしかない。
オレは周囲に人がいないことを確認すると、第六真祖の力を一割ほど解放した。
身体が一気に軽くなる。
地面を蹴り、夜の森を駆け抜ける。
時速にすれば、百三十キロほどだろうか。
この速度なら、目的地まではそれほどかからない。
木々の間を縫うように進んでいると、やがて森が途切れ、ひび割れた道路が姿を現した。
舗装はところどころ剥がれ、雑草がアスファルトを突き破っている。
道端には、乗り捨てられたまま雨ざらしになり、赤茶色に錆びついたワゴン車が放置されていた。
トウキョウ政庁の治安維持が行き届くのは、実質的には中心部の二十三区まで。
セント・テレジア孤児院がある第十二区――前世でいう世田谷区周辺を抜け、さらに外へ進めば、人間の領域は急速に終わりを迎える。
その先に広がっているのが、野良吸血鬼たちの縄張りだった。
ぶっちゃけ、滅茶苦茶に治安が悪い。
シスターたちは、この二十三区の外側を禁止区域と呼んでいた。
文字どおり、一般人の立ち入りが禁じられている地域だ。
足を止め、周囲を見渡す。
中心部とは、空気からして違っていた。
道路の脇には、汚物と腐敗した死体が当たり前のように転がっている。
鼻を突くのは、血と腐肉。
それに排泄物の混ざった、据えた臭い。
「ひどいな……」
ここも一応、トウキョウエリアの内側ではある。
多摩川沿いには、万里の長城のように東西へ延びる巨大な銀の結界が張られている。
そのため、旧ヨコハマエリアにいるオレの眷属たちは、トウキョウへ入ってくることができない。
だが、結界が完成する以前から内側へ潜んでいた吸血鬼までは排除しきれなかった。
政庁は中心部の安全を確保するため、外周部を事実上切り捨てた。
結果、取り残された野良吸血鬼たちが、この辺りへ大量に住み着いている。
人間の姿はほとんどない。
道端には一定の間隔で、立て看板が設置されていた。
『人間の一切の立ち入りを禁ずる 討魔師協会』
そう書かれているはずだが、吸血鬼たちの落書きによって、ほとんど文字を読むことはできなかった。
ここは真祖の治める帝国でもなければ、トウキョウ政庁の法が機能している土地でもない。
守る者もいない。
裁く者もいない。
殺人。
強盗。
強姦。
何をしても、罰を与える者はいない。
力こそがすべての無法地帯だった。
気に入らないなら殺せ。
腹が減ったなら奪え。
欲しいものがあるなら、持ち主ごと踏みにじれ。
そんな規則とも呼べない理屈が、ここでは当たり前のようにまかり通っている。
だから。
「うひひっ」
こういう、自分と相手の力量差すら見抜けない吸血鬼も、平気で近寄ってくる。
「ずいぶん綺麗な服を着たお嬢ちゃんじゃねえか」
背後から、粘つくような声が聞こえた。
振り返る。
そこに立っていたのは、薄汚れた服をまとった中年の吸血鬼だった。
伸び放題の髪。
黄色く濁った目。
口元から覗く、黒ずんだ牙。
男はオレの身体を舐め回すように見ながら、ゆっくりと距離を詰めてくる。
「こんな夜中に、どこへ行くのかな?」
面倒な相手に絡まれた。
だが、ちょうどいい。
こいつなら、集会の場所を知っているかもしれない。
「この辺りで、吸血鬼たちが大きな集会を開くって聞いたんだけど」
オレは何も知らない少女を装い、小さく首を傾げた。
「道に迷っちゃって。おじさん、場所を知らない?」
「ああ?」
男は不機嫌そうに顔をしかめる。
「ディアボロスとかいう、自警団気取りの連中が開く集会のことか?」
「詳しくは知らないけど、たぶんそれ」
「けっ」
男は地面へ唾を吐いた。
「あんな胡散臭え連中に、こんな小せえ嬢ちゃんまで興味津々かよ」
どうやら、当たりらしい。
「場所を教えてくれる?」
「まあ、待ちなよ」
男は下卑た笑みを浮かべながら、さらに一歩近づいてきた。
「それよりも、おじさん、昨日から何も食べてなくてねえ」
「そうなんだ」
「ああ。腹が減って、今にも倒れちまいそうなんだよ」
男の目が、オレの手足へ向けられる。
「見たところ、嬢ちゃんも同族みてえだな」
「うん」
「だったらさあ……手か足の一本くらい、おじさんに恵んじゃくれねえか?」
舌なめずりをしながら、男が手を伸ばしてくる。
「お嬢ちゃんみてえな、かわいらしい吸血鬼ならよぉ。おいら、共食いだって大歓迎で――」
「おじさん」
オレは男の言葉を遮った。
「やめておいた方がいいと思うよ」
「あ?」
男の手が止まる。
「何でだい、お嬢ちゃ――」
「こうなるから」
指先へ、紫色の光が集まる。
バチン、と。
夜の闇を裂くように、一筋の稲妻が走った。
直後。
耳をつんざく炸裂音とともに、男の頭部が消し飛ぶ。
首から上を失った身体が、数秒遅れて地面へ崩れ落ちた。
黒い血が、ひび割れた道路へ広がっていく。
「はぁ……」
オレは小さくため息をついた。
(殺吸血鬼にも、何の抵抗もなくなってきたな)
以前なら、もう少し何かを感じていたはずだ。
恐怖。
罪悪感。
自分が命を奪ったことへの嫌悪。
だが、今は何もない。
ただ、邪魔なものを排除した。
それだけだった。
リーシャの身体に流れる真祖の血へ、少しずつ馴染んできているのだろうか。
どうでもいい相手を殺すことに、何の感慨も湧かなくなっている。
まさしく、無だった。
もっとも、普段なら絡まれた程度で、いきなり殺したりはしない。
軽く脅す。
腕の一本でも焼く。
それで逃げるなら、わざわざとどめを刺す必要もない。
今回、問答無用で殺したのには理由があった。
倒れた男の後ろ。
崩れかけた建物の壁際に、二体の吸血鬼の遺体が転がっている。
母親と、まだ幼い娘。
二人とも手足を失い、衣服は引き裂かれ、見るに堪えない姿で放置されていた。
何をされたのか。
わざわざ詳しく考える必要もない。
この無法地帯では、弱いことそのものが罪とされる。
母娘を弄び、殺した吸血鬼を裁く法もなければ、仇を討つ者もいない。
だからといって、あの男の行いが正しいわけではない。
ただ、善悪を決める仕組みそのものが存在しないだけだ。
「…………」
オレは二人の亡骸から目を逸らした。
同じ女の身体を持つ者として。
そして、見た目だけなら彼女たちと大差のない少女として。
気分のいいものではなかった。
だから殺した。
正義のためではない。
法の代わりに裁いたつもりもない。
ただ、あの男を生かしておくことが気に入らなかっただけだ。
(法のない世界にも、道徳くらいは必要なのかもな)
自分でも似合わないと思う。
真祖の一人が、道徳を語るなど笑い話だ。
それでも、先ほどの光景を見たあとでは、そう考えずにはいられなかった。
「さて……」
気を取り直し、男が口にした名前を思い出す。
ディアボロス。
自警団を名乗る、野良吸血鬼たちの集団。
その連中が待つという廃ショッピングモールへ向かって、オレは再び歩き出した。