エロゲのヒロインに転生したんだが、もうオレは限界かもしれない。 作:サボテニウム
「お前……名前は?」
「…………」
鬼龍院月夜はオレの右手をつかんだまま、もう一度同じ質問をしてきた。
聞こえなかったわけではない。
どう答えるべきか考えているだけだ。
いや、名前を聞かれただけなのだから普通に答えればいいのだが、相手が相手である。
十三戦鬼の一人。
原作にて第六真祖軍の幹部を一人で殲滅し、物語後半では味方になったり敵になったり、よくわからない動きをしていた超危険人物。
そんなやつが、初対面の幼女の手をつかんで名前を聞いている。
これを怪しまずして何を怪しめというのだ。
バレたか?
いや、落ち着け。
まだ慌てるような時間じゃない。
もしかしたら単純に、庭で雑草を抜いている美少女があまりにも可愛かったので名前を知りたくなっただけかもしれない。
うん。
ないな。
「……リーシャです」
「リーシャ」
月夜は確かめるようにオレの名前を繰り返した。
その顔から、普段の皮肉屋らしい気だるそうな雰囲気が消えている。
こわっ。
なんでこいつ、そんな人を殺す直前みたいな顔してるの?
「姓は」
「クーゲルシュタインです。リーシャ=クーゲルシュタイン」
「クーゲルシュタイン……」
月夜の手に、わずかに力が入った。
やっぱり知ってるのか⁉
クーゲルシュタイン家は、人類側にも正体が割れていたのか?
だとしたらまずい。
ここで変なことを口走れば、クリスマスを祝うどころか、オレの首が教会の屋根に飾られることになる。
「あの……手を離してもらえませんか?」
「年は」
「人の話を聞いてます?」
「いくつだ」
「八歳ですけど」
「八歳……」
月夜は目を細め、オレの顔をじっと見た。
目。
鼻。
口元。
順番に確認するように視線を動かしていく。
なにこれ。
品評会?
このあと歯並びでも確認されるのだろうか。
「誕生日は」
「今日です」
「今日?」
「十二月二十四日です。というか、さっきから何なんですか?」
「八年前の今日……」
月夜はオレの言葉を聞いているのかいないのか、小さく呟いた。
こいつ、本当に怖いんだけど。
「お前の母親は」
心臓が大きく跳ねた。
「……え?」
「母親の名前は、なんという」
母親。
リーシャの母親。
原作では一度も語られなかった人物だ。
キャラクター設定集にも記載はなかった。
第六真祖ベルゼブブという肩書きや、クーゲルシュタイン家の名前は何度も出てきたが、リーシャが誰から生まれ、どうやって真祖になったのかは最後まで明かされていない。
おそらく続編で回収される予定だった伏線の一つなのだろう。
つまり、オレには答えようがない。
「……覚えていません」
「父親は」
「そちらも」
「出身は」
「ヨコハマです」
「生まれもか?」
「たぶん」
「たぶん?」
「小さいころのことなので、よく覚えてないんです」
我ながら苦しい。
小さいころも何も、いま現在が小さいころ真っ最中なのだ。
しかし月夜はそこを突っ込まなかった。
オレの手を見つめている。
正確には、緊張のあまり左手の親指を右手で握り込んでいる仕草を。
「その癖……」
「癖?」
「いや」
月夜は首を横に振る。
「……人違いだ」
「人違いなら、そろそろ手を離してもらえません?」
「そうだな」
ようやく解放される。
つかまれていた手首をさすりながら、一歩後ろへ下がった。
危なかった。
何が危なかったのかはわからないが、とにかく危なかった。
原作知識があるせいで相手の戦闘能力を知っている分、そこら辺の知らないおっさんに声をかけられるより百倍怖い。
「おい」
ほっとしたのも束の間、背後から聞き慣れた声がした。
振り返ると、熊手を片手に持ったアギトが、月夜を睨みつけながら立っていた。
「リーシャに何してんだよ」
「名前を聞いただけだ」
「名前聞くのに手ぇつかむ必要ねえだろ」
「それは……」
月夜が言葉に詰まる。
あれ?
もしかしてこいつ、こういう状況にあまり強くない?
「それにリーシャ、嫌がってただろ。離れろよ、おっさん」
「俺は二十歳だ」
「じゃあ変な兄ちゃん」
「言い直して悪化することがあるのか」
あるらしい。
「アギト、私は大丈夫だから」
「でもよ」
「名前を聞かれただけだよ」
正体がバレて殺されかけた可能性もあるが、それをアギトに説明するわけにはいかない。
アギトはまだ不満そうだったが、オレが月夜との間に入ると、しぶしぶ熊手を下ろした。
「……誰、この人」
今度はカイがやってきた。
両腕いっぱいに抜いた雑草を抱えている。
いつからそこにいたのか、驚いた様子もなく、月夜を無表情に眺めていた。
こいつ、口と態度はあまりよくないくせに、仕事だけは妙に真面目なんだよな。
「鬼龍院月夜だ」
「鬼龍院……」
カイの視線が、月夜の顔から腰に下げた武器へ移る。
「十三戦鬼の?」
「ああ」
「そう」
それだけ答えると、カイは今度はオレの手首を見た。
月夜につかまれていた場所だ。
「それで、十三戦鬼がリーシャの手をつかんで、何してたの」
「名前を尋ねていただけだ」
「名前を聞くのに?」
「……必要はなかったな」
「そうだね」
声は静かだった。
怒っているようにも、責めているようにも聞こえない。
なのに月夜の方が、なぜか居心地悪そうに目をそらした。
なんだこれ。
カイのくせに十三戦鬼を押している。
「リーシャ、この人と知り合い?」
「初対面だよ」
「じゃあ変だね」
「何がだ」
月夜が聞き返す。
カイは少しだけ首を傾けた。
「初対面の人を見る顔じゃなかったから」
「……よく見ているな」
「見れば分かるよ」
あっさりと言う。
言われてみれば確かにそうだが、それを本人の前で直接言える神経はすごい。
「俺はクロエに頼まれて、物資の護衛に来ただけだ」
「なら、物資を見ていた方がいいんじゃないですか」
月夜に対してだけ、わずかに丁寧な口調になる。
しかし内容はまったく遠慮していない。
「リーシャは物資じゃないので」
「それは分かっている」
「分かってる人の行動には見えなかった」
「カイ、もういいよ」
オレが止めると、カイは素直に口を閉じた。
「リーシャがいいなら、別にいいけど」
そう言いながらも、カイはオレと月夜の間に立つ。
本人は意識していないのかもしれない。
だが、アギトと同じようにオレを庇っているらしい。
生意気なガキどもだ。
……まあ、少しだけ頼もしくないこともない。
「月夜さん!」
教会の方からシスタークロエの声が響く。
「荷物を運ぶのを手伝っていただけますか?」
「ああ。今行く」
月夜はそう答えると、オレたちに背を向けた。
助かった。
どうやら尋問は終わりらしい。
今日はクリスマスだというのに、朝から寿命が縮む思いをした。
吸血鬼だから寿命とかほぼないけど。
「ああ、それと」
数歩進んだところで、月夜が足を止める。
嫌な予感がした。
「リーシャ」
「……はい」
「今日は孤児院から出るな」
「どうしてですか?」
「出るな」
「理由になってませんけど」
「俺が戻るまで、ここにいろ」
なんだその命令。
まさか本当にオレの正体を疑っていて、監視するつもりなのか?
「嫌だと言ったら?」
「見張る」
「横暴!」
「なら大人しくしていろ」
月夜はそれだけ言って、今度こそ教会へ歩いていった。
その後ろ姿が見えなくなったところで、アギトが不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「なんなんだよ、あいつ」
「さあ? 私が聞きたいくらいなんだけど」
「リーシャ、本当に知らないの?」
カイが月夜の消えた方向を見ながら聞いてくる。
「知らないよ。今日初めて会ったんだから」
「そう」
カイは短く答えたが、納得した様子ではなかった。
「でも、向こうはリーシャを知ってるみたいだった」
「……やっぱりそう見えた?」
「うん」
即答である。
「名前より、顔を確認してた。たぶん誰かと比べてたんだと思う」
相変わらず鋭い。
原作では誰よりも先に蠅の王の正体へたどり着くだけのことはある。
できれば今だけは、もう少し鈍くあってほしかった。
「まあ、危険な感じはしなかったけど」
「そうなの?」
「リーシャを殺そうとしてたなら、アギトが来る前に終わってる」
「お前、さらっと怖いこと言うなよ!」
「事実でしょ」
「そうだけどよ!」
カイは騒ぐアギトを気にすることなく、抱えていた雑草を集積場所へ運び始める。
「仕事、まだ終わってないよ」
「お前は真面目か!」
「アギトが不真面目なだけ」
「なんだと!」
二人がいつものように言い合いながら遠ざかっていく。
オレは一度だけ、月夜が消えた教会の入り口へ目を向けた。
原作では、月夜がオレたち三人の育ての親となる。
だから、この時期に何か接点があったとしてもおかしくはない。
しかし、こんな出会い方だっただろうか。
ゲーム本編では、オレたちの幼少期について詳しく描かれていなかった。
もしかしたら原作でも、同じことが起きていたのかもしれない。
あるいは――。
「姉さん……」
「え?」
遠ざかる月夜の方から、かすかに声が聞こえた気がした。
しかし振り返ったときには、すでにその姿は教会の中へ消えている。
「どうした、リーシャ?」
「……ううん。なんでもない」
聞き間違いだろう。
月夜の姉とオレに、何の関係があるというのか。
それよりも、いまはクリスマスを無事に乗り切る方が大事だ。
今日一日、十三戦鬼たちに正体を悟られず、可哀想な孤児として振る舞う。
簡単な仕事だ。
そう思いながら、オレは庭に落ちていた小石を拾い上げた。
――このときのオレは知らなかった。
鬼龍院月夜が十年間、ゲルマニアから帰らなかった姉を探し続けていたことを。
そしてオレの顔が、その姉の幼いころと瓜二つだったことを。
もちろん、自分がその姉の娘であることも。
オレはまだ、何も知らなかった。