エロゲのヒロインに転生したんだが、もうオレは限界かもしれない。 作:サボテニウム
「リーシャ、これを食堂まで運んでくれる?」
「はーい」
シスターリリアから大皿を受け取り、オレは慎重に食堂へ向かった。
皿の上で湯気を立てているのは、いつものゲロ不味い穀物ごちゃ混ぜスープ――ではない。
今日のスープには肉が入っている。
それも、たぶん鶏肉だ。
たぶん、とつけたのは、肉片があまりにも小さく、本当に鶏なのか野ネズミなのか判別できなかったからである。
まあ、どちらでも構わない。
食えて腹を壊さないなら、この世界では十分にご馳走だ。
「おい、リーシャ!」
長机の向こうから、椅子を並べていたアギトが声を張り上げた。
「なに?」
「その皿、こっちに置けよ」
「なんで?」
「なんでって、そこだと椅子が置けねえだろ」
アギトは、さも当然という顔で床を指さした。
見ると、確かにオレが置こうとしている場所のすぐそばには、まだ並べられていない椅子が積まれている。
だからどうした。
「反対側から並べればいいじゃん」
「お前が皿をずらせば一秒で済むだろ!」
「アギトが反対側に回るのも一秒で済むけど」
「お前、今日なんかめんどくせえな!」
「アギトは毎日めんどくさいよ」
近くでナイフとフォークを並べていたカイが、こちらを見もせずに言った。
「お前には聞いてねえ!」
「聞かれてなくても事実は変わらないから」
「なんだと、この野郎!」
「二人とも、口を動かす前に手を動かして」
「お前が言うな!」
なんでだよ。
オレはちゃんと働いているだろうが。
大皿を運んで、アギトへの適切な指導まで行っている。むしろ一人で二人分の仕事をしていると言っても過言ではない。
「……リーシャ」
「なに?」
「今、自分は悪くないって思ってるでしょ」
カイがフォークの向きを揃えながら言った。
「よく分かったね」
「顔に出てるから」
失礼な。
ポーカーフェイスには自信があったのだが。
もっとも、原作で誰よりも先に蠅の王の正体へたどり着くカイが相手では、多少は仕方ないのかもしれない。
できれば今だけは、もう少し子供らしく鈍くあってほしいものだ。
今日は十二月二十四日。
孤児院では昼過ぎからクリスマス会が開かれることになっていた。
戦時中なので、豪勢なご馳走など用意できない。それでも普段より白いパン、肉入りのスープ、一人一枚のクッキーまで並ぶと聞き、孤児たちは朝から落ち着きをなくしていた。
アギトも例外ではない。
いや、浮かれているというより――明らかに挙動がおかしい。
「アギト」
「今度はなんだよ」
「さっきから何度も右のポケットを触ってるけど、何か盗んだ?」
「盗んでねえよ!」
アギトは反射的に右ポケットを押さえた。
疑惑が確信に変わった瞬間である。
「じゃあ見せて」
「嫌だ」
「盗んでないなら見せられるでしょ」
「なんでお前に見せなきゃいけねえんだよ!」
「やっぱり盗んだんだ」
「盗んでねえって言ってんだろ!」
「大声を出すと、余計に怪しく見えるよ」
カイが淡々と追い打ちをかける。
「お前はどっちの味方なんだよ!」
「どっちでもない」
「じゃあ黙ってろ!」
「嫌だ」
「なんなんだよ、お前ら!」
アギトは顔を真っ赤にすると、ポケットを手で守りながら食堂の反対側へ逃げていった。
分かりやすいやつだ。
絶対に何かを隠している。
あとで寝静まった頃に確認するとしよう。
「リーシャ」
「なに?」
「最低なことを考えてそうな顔してる」
「失礼な。ちょっと寝込みを襲おうと思っただけだよ」
「十分最低だと思う」
カイは顔色一つ変えず、一本だけわずかに曲がっていたフォークを取り替えた。
細かいやつである。
◇ ◇ ◇
「みなさん、席に着いてください!」
昼過ぎ。
シスタークロエの声が響くと、孤児たちが一斉に長机を囲んだ。
食器が触れ合う音。
椅子を引きずる音。
焼きたてとは言えないまでも、普段より柔らかなパンの匂い。
いつもと同じ食堂なのに、今日は少しだけ空気が明るい。
「今日はクリスマスです。食事を用意してくださった方々に感謝して、みんなで仲よくいただきましょう」
「はーい!」
子供たちの元気な声が重なる。
オレも一拍遅れて口を動かした。
壁際には、昨日から孤児院に滞在している十三戦鬼たちの姿がある。
シスタークロエのそばには先程アギトがサインをねだっていた百目鬼玄武。
窓際には鬼龍院月夜。
そして月夜は、またオレを見ていた。
朝からずっとである。
視線が合うと、そらすどころか、こちらの顔をさらに凝視してくる。
なんなの、あいつ。
美少女を見るのが初めてなの?
頬に食べかすでもついているのかと思い、指先で触れてみる。しかし何もない。
「リーシャ」
隣に座ったアギトがパンをちぎりながら言った。
「なに?」
「お前、今日誕生日だよな」
食堂のざわめきが、一瞬だけ止まった。
待て。
何を言っている、こいつ。
「えっ、リーシャちゃん、今日がお誕生日なの?」
シスターリリアが食堂中に届く声を上げた。
やめろ。
その声量はやめてくれ。
「そうですけど、別に大したことでは――」
「まあ! それなら、クリスマスと一緒にお祝いしなくちゃ!」
周囲の孤児たちが一斉にオレを見る。
逃げ道がなくなった。
「リーシャ、お誕生日なの?」
「今日で八歳?」
「おめでとう!」
次々に声をかけられ、拍手まで起こり始める。
やめろ。
オレは第六真祖だぞ。
国へ帰れば、数万の吸血鬼が頭を垂れる存在なのである。
それを孤児院の食堂で囲み、無邪気な笑顔を向けるんじゃない。
「では、みんなで歌いましょうか」
「どうしてそうなるんですか⁉」
抵抗もむなしく歌が始まった。
手拍子までついている。
顔が熱い。
耳も熱い。
普段なら気にも留めない視線が、今日に限っては一本一本、針のように突き刺さってくる。
戦場で数百人の討魔師に囲まれる方が、まだましだ。
あちらは殺せば済むからな。
しかし、この無邪気な善意に対して真祖の力を解放するわけにはいかない。
オレは机に額を押しつけた。
冷たい木の感触が、いまはありがたい。
「顔、赤いよ」
隣からカイの声がする。
「うるさい」
「照れてる?」
「殺すよ」
「誕生日に物騒だね」
「元はといえば、アギトが余計なことを言うからでしょ!」
「なんで俺のせいなんだよ!」
「アギトが黙っていれば、こんなことにはならなかった!」
「誕生日を隠す意味が分かんねえよ!」
「こうなるから隠したかったんだよ!」
「祝ってもらってんだから喜べよ!」
「じゃあアギトも歌ってよ!」
「はあ⁉ 絶対嫌だ!」
「なんでよ!」
「恥ずかしいだろ!」
「私はその恥ずかしいことを、全員からされてるんだけど!」
「知らねえよ!」
「二人とも、仲いいね」
「「よくない!」」
オレとアギトの声が、見事に重なった。
一瞬の静寂。
その後、食堂中から笑い声が上がった。
最悪だ。
なんでこいつとだけ、こんなときに息が合うんだ。
◇ ◇ ◇
クリスマス会が終わったあと。
オレは食器を重ねて厨房まで運んでいた。
結局、誕生日という理由でクッキーを一枚多くもらった。
悪くない。
あの辱めを受けた代償として十分かと言われると疑問だが、クッキーそのものに罪はないので、あとで大切にいただくとしよう。
「リーシャ」
背後からアギトに呼び止められた。
「なに?」
「ちょっと来い」
「嫌」
「なんでだよ!」
「人気のないところへ連れ込まれそうだから」
「変な言い方すんな!」
「じゃあ、ここで話せばいいじゃん」
「ここじゃ駄目なんだよ!」
「やっぱり連れ込むつもりじゃん」
「いいから来い!」
アギトに腕を引かれ、食堂裏の物置まで連れていかれる。
朝は月夜、昼はアギト。
今日はやたらと男に腕をつかまれる日である。
美少女というのも、なかなか大変だな。
「それで?」
「…………」
物置まで来たというのに、アギトは何も言わない。
右ポケットへ手を入れかけては止め、オレの顔を見てはすぐに目をそらす。
なんだこいつ。
さっきまであれだけうるさかったのに、急に壊れたのか?
「用がないなら戻るけど」
「待て!」
「じゃあ早くして」
「いま出すから黙ってろ!」
「なんで怒ってるの?」
「怒ってねえ!」
怒ってはいないらしい。
どう見ても怒っているが。
アギトは物置の入り口へ何度も目を向け、誰もいないことを確認すると、ようやく右ポケットへ手を入れた。
取り出した小さな包みを、乱暴にオレへ突き出す。
「これ」
「なにこれ」
「見れば分かるだろ!」
「包まれてるから分からないんだけど」
「開ければ分かるだろ!」
「最初からそう言えばいいじゃん」
「お前、いちいちムカつくな!」
文句を言いながら包みを開く。
中に入っていたのは、赤い花をかたどった小さな髪飾りだった。
金属部分は少し歪んでいるし、装飾も高級品には見えない。前世なら千円どころか、露店で数百円程度だったかもしれない。
けれど、いまは物資不足の戦時中だ。
それに、アギトがこれを買うため、あのクッキーを売ろうとしていたことをオレは知っている。
一週間、あの不味いパンを我慢して。
慣れない手つきで生地を作り。
焼き上がったクッキーを宝物のように抱えていた理由。
全部、このためだったのか。
指先で髪飾りに触れる。
冷たい金属が、少しずつ手の中で温まっていく。
「これ、もしかして……」
「いつも髪、邪魔そうにしてるだろ」
「別に邪魔じゃないけど」
「じゃあ返せ!」
「なんで⁉」
「いらねえんだろ!」
「いるよ!」
「どっちだよ!」
「髪は邪魔じゃないけど、これはいるの!」
「わけ分かんねえ!」
アギトが取り返そうと手を伸ばす。
オレは反射的に髪飾りを胸元へ抱え込み、一歩後ろへ逃げた。
「私にくれたんだから、もう私のだからね」
「じゃあ最初から文句言うなよ!」
「文句じゃないし」
「じゃあなんだよ!」
「……ありがとう」
口にした瞬間、アギトの動きが止まった。
耳が赤くなる。
頬まで赤い。
視線は意味もなく物置の天井と床を行き来している。
こいつ、礼を言われることをまったく想定していなかったらしい。
「アギト?」
「う、うるせえ!」
「まだ何も言ってないけど」
「その顔やめろ!」
「どの顔?」
「ニヤニヤすんな!」
ばれたか。
しかし、これは仕方ない。
普段あれだけ生意気なクソガキが、たった一言で真っ赤になっているのだ。
笑うなという方が無理である。
「せっかくだから、つけてよ」
「俺が⁉」
「アギトが買ったんでしょ」
「自分でつけろよ!」
「つけ方が分からない」
「そんなわけあるか!」
「早く」
「命令すんな!」
文句を言いながらも、アギトは髪飾りを受け取った。
オレの後ろへ回り、長い髪を一つにまとめようとする。
慣れない指が何本かの髪を巻き込み、容赦なく引っ張った。
「痛い!」
「動くなよ!」
「引っ張りすぎ!」
「髪多すぎんだよ!」
「私のせい⁉」
「じっとしてろって!」
「アギトが下手くそなんでしょ!」
「じゃあ自分でやれ!」
「途中で投げ出すな!」
「注文多いんだよ!」
言い争いながら、ふと気づく。
アギトの顔が、思っていたより近い。
オレの髪を結ぼうと必死になっているせいで、吐息が耳元にかかるほどだ。
さっき食堂中から歌を歌われたときとは、また違う恥ずかしさが込み上げてくる。
妙に心臓がうるさい。
別にこれは、アギトを男として意識したとか、そういう話ではない。
中身はいい年をした元サラリーマンである。
八歳のクソガキ相手に照れるはずがない。
これは単に、人との距離が近すぎることによる生理現象だ。
うん。
そういうことにしておこう。
「できた」
アギトが一歩下がった。
数分かけた割には、髪は少し斜めにまとめられている。鏡を見なくても、あまり上手くないことは分かった。
それでも、髪飾りが落ちる様子はない。
「どう?」
「……まあ、いいんじゃねえの」
「そこは似合ってるって言うところでしょ」
「自分で言うなよ!」
「アギトが言わないからでしょ!」
「似合ってねえ!」
「じゃあ返す」
「それは駄目だ!」
「どっちなの!」
ほんとに面倒くさいやつだ。
けれど、髪飾りへ触れた指は、自然と丁寧になっていた。
少しくらい歪んでいてもいい。
むしろ、これでいい。
「……似合ってる」
「え?」
「一回しか言わねえからな!」
アギトはそう叫ぶと、耳まで真っ赤にして物置から逃げ出した。
逃げ足だけは一流である。
「最初から素直に言えばいいのに」
「本当だね」
「うわっ⁉」
振り返ると、物置の入り口にカイが立っていた。
いつからそこにいた。
「いつからいたの?」
「アギトが『見れば分かるだろ』って言ったところから」
「ほぼ最初じゃん!」
「二人とも声が大きいから」
カイはいつもの無表情で、オレの髪飾りを見る。
「似合ってるよ」
「……ありがとう」
「アギトより素直だね」
「アギトと比べないで」
「それはアギトに失礼じゃない?」
「なんでよ」
「どっちも同じくらい面倒だから」
「カイ、最近ちょっと生意気じゃない?」
「最初からだと思う」
そこは否定しろよ。
カイは一冊の古びた本を差し出した。
「これ」
「なに?」
「見れば分かるでしょ」
「お前ら兄弟なの?」
「違う」
即答である。
受け取った本の表紙には、見慣れない文字で題名が書かれていた。
「ゲルマニアの童話集。前に読みたいって言ってたから」
「これ、カイが大事にしてた本じゃなかった?」
「もう読んだ」
「くれるの?」
「いらないなら返して」
「もらう」
「そう」
カイはそれだけ言うと、さっさと背を向けた。
「ありがとう、カイ」
「別に」
歩き去るカイの耳が、ほんの少し赤くなっていた。
こいつも大概、素直ではない。
◇ ◇ ◇
「似合っている」
物置を出たところで、突然声をかけられた。
廊下の壁際に、月夜が立っている。
「……何がですか?」
「髪飾りだ」
「そうですか」
「嬉しくないのか」
「朝から私を尋問していた人に急に褒められても、怖いだけです」
「尋問ではない」
「名前、年齢、誕生日、両親、出身地まで聞きましたよね」
「……では職務質問だ」
「悪化してますけど」
月夜は髪飾りから目を離さなかった。
やはり、オレではなく、オレを通して誰か別の人間を見ている。
そんな目だ。
「それは、あの少年からか」
「そうです」
「大切にしろ」
「言われなくても大切にしますよ」
「そうか」
月夜は、ほんの少しだけ笑った。
原作でも滅多に見せなかった表情だった。
この男にも笑顔という機能が搭載されていたらしい。
「リーシャ」
「はい?」
「誕生日、おめでとう」
アギトから髪飾りをもらったときとは違う。
けれど、また胸の奥に小さな熱が生まれた。
「……ありがとうございます」
月夜はそれ以上何も言わず、廊下の向こうへ歩いていった。
やっぱり変だ。
あいつはオレを見るときだけ、十三戦鬼の顔をしない。
敵を見る目でも、吸血鬼を見る目でもない。
もっと近しい誰かを、遠い場所から探しているような目だった。
◇ ◇ ◇
夜。
月夜は誰もいない客室へ入ると、静かに扉の鍵をかけた。
胸元から取り出したのは、長い年月によって表面の傷んだロケットペンダント。
親指で留め具を外す。
中に収められているのは、十年以上前に撮られた一枚の写真だった。
赤い花の髪飾りをつけた少女が、こちらへ向かって笑っている。
まだ幼かった頃の、月夜の姉。
その目元も、笑うとわずかに上がる口角も、今日のリーシャとあまりにもよく似ていた。
髪飾りだけではない。
緊張すると反対の手で親指を握る癖。
素直に礼を言えないとき、少しだけ視線をそらす仕草。
偶然で片づけるには、重なるものが多すぎる。
姉が使節団の護衛としてゲルマニアへ渡ったのは、十年前。
リーシャは八歳。
時期は一致している。
「姉さん……」
月夜は写真の中の少女を指先でなぞった。
期待してはいけない。
姉は死んだ。
第六真祖の裏切りによって捕らえられ、ゲルマニアで処刑された。
異母兄の旭からも、何度そう言われたか分からない。
それでも遺体は帰ってこなかった。
骨の一本すら、日本の土へ戻ってはいない。
月夜は何度も自分へ言い聞かせてきた。
姉の生存を信じているわけではない。
ただ遺骨を見つけ、家族の墓へ入れてやりたいだけなのだと。
けれど今日、姉の幼い頃と瓜二つの少女が現れた。
年齢まで合っている。
「まさか、あの子は――」
口にすれば、それが希望になってしまう。
希望を持てば、失ったときにまた傷つく。
月夜はロケットを閉じた。
それでも、浮かんだ疑問を消すことはできなかった。
「……あなたの娘なのか、姉さん」
静かな部屋に、答える者はいなかった。