【TS】主人公の両親を殺したラスボス吸血鬼ですが、彼の最後の家族をやってます。   作:サボテニウム

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第19話 鬼龍院の呪い

 

 

 

 

 翌朝。

 

 目を覚ましたオレが最初に確認したのは、自分の首がまだ胴体とつながっているかどうかだった。

 

 ある。

 

 ちゃんとある。

 

 寝ている間に十三戦鬼から首を刎ねられるという、最悪の事態は避けられたらしい。

 

「朝から何してるの?」

 

「うわっ⁉」

 

 すぐ近くから声がして、危うくベッドから転げ落ちかけた。

 

 顔を上げる。

 

 カイが、何事もなかったように枕元の椅子へ座っていた。

 

「……何してるの?」

 

「リーシャが起きるのを待ってた」

 

「いつから?」

 

「少し前から」

 

「少しって?」

 

「十分くらい」

 

 怖っ。

 

 目を覚ましたら、無表情な美少年が十分前から枕元に座っていた。

 

 文章だけなら、恋愛ゲームのイベントに見えなくもない。

 

 実際にやられると、ただの怪談である。

 

「どうやって入ったの?」

 

「扉から」

 

「そういうことを聞いてるんじゃないよ!」

 

 この部屋は、オレ一人の部屋だ。

 

 アギトとカイには、別に二人部屋が与えられている。

 

 昨夜、シスターから「リーシャちゃんも女の子ですから」と言われ、半ば強制的に部屋を分けられたばかりだった。

 

 前世では成人男性だった身としては、アギトたちと同室でも特に困らない。

 

 しかし現在の身体は八歳の美少女である。

 

 周囲の目というものもあるらしい。

 

 そこまでは分かる。

 

 分からないのは、部屋を分けた翌朝にはカイが普通に入り込んでいることだ。

 

「ノックは?」

 

「したよ」

 

「返事してないよね?」

 

「寝てたから」

 

「なら入らないでよ!」

 

「鍵が開いてたから」

 

「鍵が開いていたら、入っていいことにはならないの!」

 

 カイは少しだけ首を傾げた。

 

 本当に理解していない顔だった。

 

「でも、用があったから」

 

「用があれば入っていいわけでもないよ!」

 

「そうなの?」

 

「そうだよ!」

 

 こいつ、十三戦鬼を前にしても平然としていたくせに、生活常識だけ妙なところが欠けている。

 

 いや。

 

 たぶん知らないわけではない。

 

 知っているうえで、必要性を感じていないのだ。

 

 余計に悪い。

 

「それで、用って何?」

 

「リーシャが生きてるか確認しに来た」

 

「…………」

 

 怒りづらい理由を出すな。

 

 昨日から月夜に目をつけられているオレを心配していた、ということなのだろう。

 

 本人は心配したとは絶対に言わないだろうが。

 

「生きてるよ」

 

「うん。見れば分かる」

 

「確認が終わったなら出ていって」

 

「まだ」

 

「まだ何かあるの?」

 

 カイは枕元へ視線を落とした。

 

 昨日、アギトからもらった赤い髪飾りが置いてある。

 

「それ、つけないの?」

 

「いま髪がぼさぼさだから」

 

「昨日もぼさぼさだったよ」

 

「昨日はまだましだった」

 

「そうかな」

 

「そうなの」

 

 朝から失礼なやつである。

 

「リーシャ」

 

「なに?」

 

「嬉しそうだね」

 

「どこが?」

 

「顔」

 

「いつも通りでしょ」

 

「そういうことにしておく」

 

 なんだ、その生温かい反応は。

 

 カイのくせに。

 

 何か言い返そうとしたところで、今度は扉が二回叩かれた。

 

「おい、起きてるか?」

 

 アギトの声だ。

 

「起きてるよ」

 

「入るぞ」

 

「返事を待って!」

 

 言い終わる前に扉が開いた。

 

 アギトが入ってくる。

 

 そして、枕元に座っているカイを見た。

 

「……お前、何してんの?」

 

「リーシャが起きるのを待ってた」

 

「なんで部屋の中で?」

 

「外だと起きたか分からないから」

 

「いや、ノックしろよ」

 

「した」

 

「返事は?」

 

「なかった」

 

「じゃあ入るなよ!」

 

 珍しくアギトと意見が合った。

 

「アギトも返事を待たずに入ったけど」

 

「俺は返事聞いただろ!」

 

「入っていいとは言ってないよ!」

 

「起きてるって言っただろ!」

 

「それは入室許可じゃない!」

 

「なんなんだよ、この部屋!」

 

 なんなのはお前らだよ。

 

 部屋を分けた意味が、初日から完全に消滅している。

 

     ◇ ◇ ◇

 

 身支度を終え、食堂へ入る。

 

 昨日より少しだけ薄くなったスープの匂いと、焼き直したパンの香りが漂っていた。

 

 そして、それらより先に感じたものがある。

 

 視線だ。

 

 窓際。

 

 鬼龍院月夜が壁に背を預け、腕を組んで立っている。

 

 オレを見ていた。

 

「…………」

 

「…………」

 

 目が合う。

 

 月夜はそらさない。

 

 試しに右へ一歩動く。

 

 視線も右へ動いた。

 

 左へ動く。

 

 やはりついてくる。

 

「何してんだ、リーシャ」

 

 後ろから来たアギトが、不審そうに尋ねてきた。

 

「実験」

 

「何の?」

 

「どこまで追尾してくるか」

 

「何が?」

 

「あの人の目」

 

 もう一度、右へ動いてみる。

 

 月夜の視線がついてきた。

 

「本当だ」

 

「昨日より露骨だね」

 

 カイまでオレの横に並ぶ。

 

 本人を目の前にして観察するのも失礼だが、先に観察してきたのは向こうである。

 

 お互い様ということにしておこう。

 

「月夜さん」

 

「なんだ」

 

「何か用ですか?」

 

「いや」

 

「では、なぜ見ているんです?」

 

「見ていない」

 

「目が合ってますけど」

 

「偶然だ」

 

「私が動くたびに、目も動いてますよね?」

 

「妙な動きをするからだ」

 

「最初から見ていなければ、気づかないでしょう!」

 

 正論をぶつけると、月夜は黙った。

 

 こいつ、昨日から都合が悪くなると黙るな。

 

 十三戦鬼になると、会話から逃げても許されるのだろうか。

 

「やっぱりリーシャを狙ってるんじゃねえの」

 

 アギトがオレの前へ出た。

 

 朝から喧嘩を売る相手としては、少々危険すぎる。

 

「それは違うと思う」

 

 カイが言った。

 

「なんで分かるんだよ」

 

「あれは女の子を見る顔じゃないから」

 

「じゃあ、何を見る顔なんだ?」

 

 カイは少しだけ首を傾げ、月夜を見た。

 

「……死んだ人」

 

 食堂の空気が、わずかに変わった。

 

 アギトが口を閉じる。

 

 オレも、すぐには言葉が出なかった。

 

 月夜の表情は変わらない。

 

 ただ、否定もしなかった。

 

「よく見ているな」

 

 月夜はカイへ視線を移した。

 

「そういうところは父親――氷室さんに似たらしい」

 

 カイが一度だけ瞬いた。

 

「父さんを知ってるんですか?」

 

「ああ。同じ十三戦鬼だ」

 

「そうですか」

 

 カイは、月夜の顔をじっと見た。

 

「父さんは、どんな人ですか?」

 

「周りをよく見ていた。余計なことは話さないが、必要なものは見落とさない人だった」

 

「僕と同じですね」

 

「氷室さんは、お前より愛想があった」

 

「そうですか」

 

 カイはいつもと変わらない顔で答えた。

 

 けれど、その返事だけがほんの少し遅れた。

 

「父さんは、帰ってきますか?」

 

 月夜が黙る。

 

 さっきまでオレへ向けていたものとは違う、静かな視線がカイへ注がれた。

 

「……俺には分からない」

 

「そうですか」

 

 カイはそれ以上聞かなかった。

 

 何事もなかったように視線を戻す。

 

 ただ、服の袖をつまんだ指だけが、さっきより少し強く布を握っていた。

 

「リーシャ」

 

「なに?」

 

「髪飾り、曲がってるぞ」

 

 アギトがオレの頭を指さした。

 

「えっ」

 

 慌てて手を伸ばすが、自分の頭ではどう曲がっているのか分からない。

 

 アギトが呆れたように眉を寄せる。

 

「お前、自分でつけたのか?」

 

「そうだけど」

 

「下手くそ」

 

「朝から失礼だな!」

 

「貸せ。俺が直してやる」

 

 アギトが髪飾りへ手を伸ばしてくる。

 

 オレは反射的に頭を引いた。

 

「嫌だ」

 

「なんでだよ!」

 

「昨日、髪を三回も引っ張った人には頼みません」

 

「あれはお前が動くからだろ!」

 

「動かなくても二回は引っ張ってたよね?」

 

「細かいこと覚えてんなよ!」

 

「痛かったからね!」

 

「じゃあ、そのまま曲げとけ!」

 

「贈った本人が投げやりにならないでよ!」

 

「二人とも、朝ご飯がなくなるよ」

 

 カイは興味を失ったように、さっさと席へ向かっていった。

 

 その直後、玄関の方から足音が響いた。

 

 大きな音ではない。

 

 それなのに、食堂にいた大人たちが自然と口を閉ざした。

 

 入ってきたのは、黒い外套をまとった長身の男だった。

 

 二十代後半。

 

 月夜と同じ黒髪だが、雰囲気はまるで違う。

 

 月夜がいつ抜かれるか分からない刃物だとすれば、こちらは刃物を使う側だ。

 

 立っているだけで、周囲が勝手に自分の位置を確認する。

 

 鬼龍院旭。

 

 十三戦鬼の一人。

 

 原作ではバフォメットと正面から渡り合った、人類側の最高戦力である。

 

 月夜一人でも胃が痛いのに、その兄まで追加された。

 

 クリスマスは終わったはずなのだが、厄日だけは継続しているらしい。

 

「旭」

 

 月夜が壁から背を離す。

 

 旭は弟に答える前に、食堂を一度見回した。

 

 そして、オレを見る。

 

 月夜のように固まることはなかった。

 

 ただ、ほんの一瞬だけ、その視線がオレの髪飾りで止まった。

 

「その子か」

 

 低い声だった。

 

 何が?

 

「昨夜の報告は受けた」

 

 旭が言う。

 

「早いな」

 

「夕莉に似た子供がいると聞けば、確認は必要だ」

 

 夕莉。

 

 月夜の姉の名前だろうか。

 

「場所を変える」

 

 旭が踵を返す。

 

 月夜は一度だけオレを見たあと、その背中を追った。

 

 食堂を出る直前、旭が足を止める。

 

「子供はついてくるな」

 

 その言葉を聞いた瞬間、アギトがオレを見た。

 

 カイもオレを見る。

 

 オレは二人を見た。

 

「行く?」

 

 カイが尋ねる。

 

「行かないよ。盗み聞きはよくないから」

 

「そう」

 

「裏口って、どっちだっけ」

 

「こっち」

 

「お前ら、最初から行く気じゃねえか!」

 

 アギトの声が大きい。

 

「静かにして。見つかるでしょ。早くいくわよ」

 

「俺も行くとは言ってねえ!」

 

「残るの?」

 

「……行く」

 

 素直でよろしい。

 

     ◇ ◇ ◇

 

 孤児院の裏手には、小さな物置と、薪を積んだ屋根がある。

 

 月夜と旭は、そのさらに先にある古い井戸のそばまで歩いていった。

 

 オレたちは三人で薪の陰に身を隠す。

 

 我ながら最低な行為である。

 

 だが、向こうがオレについて話している以上、当事者として内容を知る権利がある。

 

 たぶん。

 

「もう少し近づかないと聞こえないよ」

 

 カイが小声で言った。

 

「これ以上近づいたら見つかるでしょ」

 

「じゃあ諦める?」

 

「それは嫌」

 

「わがままだね」

 

「あの二人ももう少し大きな声で話せばいいのに不親切ね」

 

「お前らが勝手についてきたんだろ」

 

 アギトが不満そうに呟く。

 

「嫌なら戻っていいよ」

 

「戻るとは言ってねえ!」

 

「静かにして。アギトの声しか聞こえない」

 

「お前らが話しかけてくるからだろ!」

 

「だから静かにしてって言ってるの」

 

「理不尽だろ!」

 

 二人がかりでアギトの口を塞ぐ。

 

 ようやく静かになったところで、井戸の方へ耳を澄ませた。

 

 しかし思っていた以上に距離がある。

 

 風も強い。

 

 二人が話していることは分かっても、言葉まではうまく拾えなかった。

 

「――夕莉は……」

 

 旭の声。

 

「……ゲルマニア……」

 

 今度は月夜。

 

 その単語に、オレの肩がわずかに強張る。

 

 クーゲルシュタイン家も、第六真祖領もゲルマニアにある。

 

 やはり、オレと無関係な話ではないらしい。

 

「何て言ってる?」

 

 アギトが耳元で聞いてきた。

 

「聞こえない」

 

「もっと近づこうぜ」

 

「見つかるよ」

 

「カイなら分からないの?」

 

「僕の耳は普通だから」

 

「役に立たねえな」

 

「アギトよりは役に立つと思う」

 

「なんだと」

 

「二人とも黙って!」

 

 再び耳を澄ませる。

 

 月夜は胸元に手を当てていた。

 

 昨日見ていたロケットペンダントがある場所だ。

 

 旭が何かを告げる。

 

 月夜は動かなかった。

 

 ただ、ロケットを握る手に力が入ったのが、遠目にも分かった。

 

「――死んだ」

 

 その一言だけが、風の切れ間を縫って届いた。

 

 誰が。

 

 夕莉という女性が?

 

 月夜の姉は、すでに死んでいるのか。

 

 アギトにも聞こえたらしい。

 

 さっきまでの不満そうな表情を消し、黙って月夜を見ている。

 

 そのあとの会話は、再び風にかき消された。

 

 二人とも怒鳴ってはいない。

 

 それでも、間にある空気が張り詰めていることだけは伝わってきた。

 

「何の話だと思う?」

 

 アギトが小声で尋ねる。

 

「分からない」

 

「リーシャに関係あるのかな」

 

 カイが言う。

 

「たぶん。そうじゃなければ、私を見た直後にこんな話をしないでしょ」

 

 夕莉。

 

 ゲルマニア。

 

 死んだ。

 

 聞こえた言葉をつなげても、意味は分からない。

 

 あと少し。

 

 せめて、オレと夕莉という女性に何の関係があるのかだけでも知りたい。

 

 そう思って薪の陰から身を乗り出した、そのときだった。

 

「くしゅん!」

 

 隣から、かわいらしいくしゃみが響いた。

 

 アギトだった。

 

「なんでアギトなの⁉」

 

「仕方ねえだろ、鼻がむずむずしたんだよ!」

 

「普通そこは私かカイでしょ!」

 

「くしゃみに役割分担があるか!」

 

「もう遅いよ」

 

 カイの言う通りだった。

 

「出てこい」

 

 月夜の声が飛んでくる。

 

 三人で顔を見合わせる。

 

「アギトが聞こうって言いました」

 

「お前ふざけんな!」

 

「最初に裏口へ向かったのはリーシャだよ」

 

「カイまで裏切るの⁉」

 

「全員だ。早く出てこい」

 

 逃げ道はないらしい。

 

 オレたちは薪の陰から、しぶしぶ姿を現した。

 

 旭はこちらを無表情に見ている。

 

 月夜は額に手を当て、大きくため息をついた。

 

「盗み聞きは感心しないな」

 

「私の話をしていましたよね?」

 

「だからといって許されるわけじゃない」

 

「本人に隠れて本人の話をするのも、どうかと思いますけど」

 

「口が達者だな」

 

「八歳なので」

 

「関係あるか?」

 

 ないかもしれない。

 

「どこまで聞いた」

 

 月夜が尋ねる。

 

「ほとんど聞こえませんでした」

 

「本当か」

 

「夕莉、ゲルマニア、死んだ」

 

 カイが聞こえた単語を淡々と並べる。

 

「俺もそれしか聞こえなかった」

 

 アギトも続けた。

 

 月夜の眉がわずかに動く。

 

 旭は何も言わなかった。

 

「夕莉という人が、あなたのお姉さんなんですか?」

 

「ああ」

 

「亡くなっているんですか?」

 

 月夜は答えなかった。

 

 代わりに旭が口を開く。

 

「十年前にな」

 

「旭」

 

「その程度は隠す必要もない」

 

 月夜は兄を睨んだが、それ以上止めなかった。

 

「その人が、私に似ているんですか?」

 

「ああ」

 

「どのくらい?」

 

 月夜は少し考えた。

 

「気味が悪いくらいだ」

 

「言い方というものがあるでしょう」

 

「すまない」

 

「素直に謝られると、逆に困るんですけど」

 

 月夜は胸元からロケットペンダントを取り出した。

 

 留め具を外し、中の写真をオレへ向ける。

 

 赤い花の髪飾りをつけた少女が、こちらへ向かって笑っていた。

 

「……リーシャじゃん」

 

 後ろから写真を覗き込んだアギトが言った。

 

「私じゃないよ」

 

「でもリーシャだろ」

 

「違うってば」

 

「似てるね」

 

 カイも写真とオレの顔を見比べる。

 

 髪の色も瞳の色も違う。

 

 それでも、目元や鼻筋、口元の形は、自分の顔を写したようによく似ていた。

 

 初対面で月夜が固まった理由が、ようやく分かった。

 

 分かったところで、別の疑問が増えただけだが。

 

「本当に、母親の名前を覚えていないのか」

 

 月夜が尋ねる。

 

「……はい」

 

 嘘ではない。

 

 リーシャの母親について、オレは何も知らない。

 

 原作でも、その存在はほとんど語られていなかった。

 

「そうか」

 

 月夜は写真を見つめたあと、静かにロケットを閉じた。

 

 旭がオレたち三人へ目を向ける。

 

「話は終わりだ。孤児院へ戻れ」

 

「でも――」

 

「戻れ」

 

 声を荒らげたわけではない。

 

 けれど、反論を許す口調でもなかった。

 

 アギトが不満そうな顔をする。

 

 カイは旭を見つめたまま、何も言わない。

 

 オレとしても聞きたいことは山ほどある。

 

 しかし、バフォメットと互角に戦える男へ喧嘩を売るほど命知らずではない。

 

 今は、まだ。

 

「リーシャ」

 

 月夜に呼ばれる。

 

「なんですか?」

 

「俺は、しばらくここに残る」

 

「は?」

 

「孤児院の警備だ」

 

「そんな予定、昨日までありませんでしたよね?」

 

「今できた」

 

「もしかして、私を監視するためですか?」

 

 月夜は少しだけ間を置いた。

 

「そう思っておけ」

 

 それだけ言うと、月夜は旭へ向き直った。

 

 どうやら、まだ兄弟の話は終わっていないらしい。

 

 アギトが不満そうに月夜の背中を睨む。

 

「やっぱりあいつ、リーシャを狙ってるんじゃねえか?」

 

「違うと思う」

 

 カイが答えた。

 

「じゃあ何なんだよ」

 

「分からない」

 

「お前にも分かんねえのかよ」

 

「分からないものは分からないよ」

 

 当然のことを言い、カイは孤児院へ戻っていく。

 

 オレはもう一度、月夜の背中を見た。

 

 夕莉という姉。

 

 ゲルマニア。

 

 十年前の死。

 

 そして、その姉と瓜二つだというオレの顔。

 

 何一つ、答えは分からない。

 

 分からないが、一つだけ確定したことがある。

 

 十三戦鬼が孤児院へ常駐する。

 

 オレの行動を監視する。

 

 つまり、第六真祖として自由に動ける時間が、さらに減るということである。

 

 ……悲報。

 

 死亡フラグを折ろうとしていたら、死亡フラグ本人が居座ることになりました。

 

 いや、居座ると決まったわけではない。

 

 警備だ。

 

 あくまで、一時的な警備のはずだ。

 

 その程度の違いに縋りながら、オレは小さくため息をついた。

 

   ◇ ◇ ◇

 

 

 子供たちが孤児院の中へ戻っていく。

 

 リーシャは最後まで何度も振り返っていたが、やがてアギトに背中を押され、裏口の向こうへ姿を消した。

 

 再び井戸の周囲へ静けさが戻る。

 

 月夜と旭は、互いに向き合った。

 

「写真まで見せる必要はなかった」

 

 先に口を開いたのは旭だった。

 

「隠す理由もない」

 

「無関係な子供だ」

 

「まだ決まっていない」

 

「似ているだけだ」

 

「顔だけなら、俺もそう思った」

 

 月夜は胸元のロケットへ触れた。

 

「目の動かし方も、緊張したときに左の親指を握る癖も同じだ」

 

「人間には似た癖を持つ者もいる」

 

「誕生日は八年前の十二月二十四日。姉さんがゲルマニアへ渡ったのは十年前だ」

 

「数字が合うだけで、血縁を決めるつもりか」

 

「だから調べる」

 

「許可しない」

 

 旭の声に迷いはなかった。

 

 弟への忠告ではない。

 

 すでに決定した事実を伝える口調だった。

 

「夕莉の件から手を引け。これは忠告ではない。命令だ」

 

「断る」

 

 月夜も迷わなかった。

 

「そう言うと思っていた」

 

「なら、わざわざ言いに来るな」

 

「命令を伝えることと、お前が従うかどうかは別の問題だ」

 

 旭は月夜を正面から見た。

 

「必要なら拘束する」

 

「やってみろ」

 

「お前と争うために来たわけではない」

 

「だったら邪魔をするな」

 

「夕莉は死んだ」

 

 月夜の指が、ロケットの縁で止まった。

 

「分かっている」

 

「分かっていない。お前はあの子供に、夕莉を重ねている」

 

「姉さん本人だと思っているわけじゃない」

 

「なら、なおさらだ。無関係な子供を、お前の後悔へ巻き込むな」

 

 月夜はロケットを握った。

 

「姉さんが俺を庇っていたとき、あんたは見ていただけだった」

 

 旭の表情は変わらない。

 

「そうだ」

 

 あまりにも迷いのない返答だった。

 

 月夜の眉がわずかに動く。

 

「否定しないのか」

 

「事実を否定して何になる」

 

「鬼龍院の連中が、俺たちを妾の子と笑っていたことは」

 

「知っていた」

 

「俺が訓練で失敗するたび、食事を抜かれていたことも?」

 

「知っていた」

 

「姉さんが俺を庇って、代わりに罰を受けていたこともか」

 

「知っていた」

 

 声の調子すら変わらない。

 

 月夜の奥歯が、かすかに鳴った。

 

「十歳の俺を、十六歳の姉さんが守っていた」

 

「そうだ」

 

「十八だったあんたは、何をしていた」

 

「何もしていない」

 

「……あんたは昔からそうだ」

 

「感情で事実は変わらない」

 

「変えようともしなかったくせに、偉そうに言うな」

 

「当時の俺には、父の決定を覆す力がなかった」

 

「だから見捨てたのか」

 

「一緒に罰を受けることを、守るとは言わない」

 

 旭は一歩も引かなかった。

 

「俺が父に逆らえば、お前たちへの扱いが良くなったとでも思うのか」

 

「少なくとも、姉さんは一人じゃなかった」

 

「結果の出ない満足に価値はない」

 

「姉さんは、そうは思わなかった」

 

「夕莉と俺は違う」

 

「ああ。知ってるよ」

 

 月夜は吐き捨てるように言った。

 

「姉さんは、人を守るときに損得を計算しなかった」

 

「だから死んだ」

 

 月夜の目が鋭くなる。

 

 だが旭は視線をそらさない。

 

「外交使節団の護衛としてゲルマニアへ渡り、第六真祖の裏切りに巻き込まれ、処刑された。夕莉の善意が、その結末を変えたか」

 

「処刑されたという記録しかない」

 

「公式記録だ」

 

「遺体を確認したのは誰だ」

 

 旭は答えなかった。

 

 風が、井戸の上を吹き抜ける。

 

「聞いているんだ、旭」

 

「確認して何になる」

 

「あんたは、姉さんの死体を見たのか」

 

「見ていない」

 

 旭は淡々と答えた。

 

「なら――」

 

「だからといって、生きている証拠にはならない」

 

「そんなものを期待してるんじゃない」

 

 月夜はロケットを握り締めた。

 

「姉さんが生きているなんて思っていない」

 

「なら、何を求めている」

 

「遺体だ」

 

 旭の目がわずかに細くなる。

 

「処刑された者の遺体が、十年後まで残っていると思うか」

 

「骨なら残る」

 

「ゲルマニアへ乗り込み、夕莉の骨を探すつもりか」

 

「ああ」

 

「一人の遺骨のために、国境を越え、吸血鬼の領域へ入り、外交上の火種を作ると?」

 

「姉さんは、その一人だ」

 

「お前にとってはな」

 

「それで十分だ」

 

 月夜はロケットを開いた。

 

 写真の中で、幼い夕莉が赤い花の髪飾りをつけて笑っている。

 

 鬼龍院家の中で、月夜を弟として扱った唯一の人間。

 

 出来損ないと呼ばれるたび、何度でも前に立ってくれた人。

 

「鬼龍院の墓に入れろとは言わない」

 

 月夜は静かに言った。

 

「あの家に、姉さんを迎える資格があるとも思わない。鬼龍院の名を墓に刻む必要もない」

 

「では、何のためだ」

 

「知らない国に、一人で置いておきたくない」

 

 旭は何も言わなかった。

 

「骨だけでも、帰してやりたい」

 

 月夜の声は、風よりも小さかった。

 

「それすら、許さないのか」

 

 長い沈黙が落ちた。

 

 旭の顔には、後悔も同情も浮かんでいない。

 

 それでも、すぐに無駄だと切り捨てることはなかった。

 

「お前が夕莉の遺骨だけを求めているなら、リーシャという子供は無関係だ」

 

「姉さんの娘かもしれない」

 

「証拠はない」

 

「だから確かめる」

 

「確かめた結果、夕莉の娘だったらどうする」

 

 月夜は答えなかった。

 

「鬼龍院家へ連れ戻すのか」

 

「あり得ない」

 

「では保護するか」

 

「ああ」

 

「本人の意思も聞かずに?」

 

 月夜が旭を見る。

 

「お前が嫌っている鬼龍院家と、何が違う」

 

 その言葉だけは、月夜にもすぐ返せなかった。

 

 旭は外套を翻す。

 

「感情で動くのは勝手だ。だが、他人の人生まで自分の後悔で決めるな」

 

「……あんたに言われたくないな」

 

「だから言っている」

 

 旭は歩き出した。

 

「夕莉の件を調べるなら、俺は止める。あの子供を巻き込むなら、なおさらだ」

 

「兄貴面するのか」

 

 旭の足が止まる。

 

 だが振り返らない。

 

「立場の話をしている」

 

「そういうことにしておくよ」

 

「好きにしろ」

 

 旭は今度こそ立ち去った。

 

 月夜は一人、井戸のそばに残された。

 

 ロケットを開く。

 

 幼い夕莉の顔と、先ほど見たリーシャの顔が重なる。

 

 同じ顔。

 

 同じ癖。

 

 同じ赤い花の髪飾り。

 

 だが、旭の言葉も正しい。

 

 リーシャは夕莉ではない。

 

 夕莉の娘だと決まったわけでもない。

 

 姉に何も返せなかった後悔を、無関係な少女へ押しつけていい理由にはならない。

 

 月夜はロケットを閉じた。

 

「……分かってる」

 

 誰に聞かせるでもなく、呟く。

 

 それでも、見なかったことにはできなかった。

 

 夕莉の娘かもしれない少女が、身寄りもなく孤児院で暮らしている。

 

 もし本当に血がつながっているのなら、今度こそ守る側に回りたい。

 

 もし、血がつながっていなかったとしても――。

 

 月夜の脳裏に、アギトとカイの前で騒いでいたリーシャの姿が浮かぶ。

 

 曲がった髪飾りを指摘され、子供らしく言い返していた少女。

 

 まだ、答えは出せない。

 

 月夜は孤児院を見上げた。

 

「今度は、見ているだけで終わらせない」

 

 その言葉は、冷たい冬の風に消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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