【TS】主人公の両親を殺したラスボス吸血鬼ですが、彼の最後の家族をやってます。   作:サボテニウム

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第26話 正しい報告書

 

 

 

 報告書は、事実を記すためにある。

 

 少なくとも、建前ではそうなっている。

 

 鬼龍院旭の執務机には、同じ事件について書かれた二通の報告書が置かれていた。

 

 一通目の作成者は、十三戦鬼・鬼折竜禅。

 

 二通目の作成者は、同じく十三戦鬼・鬼龍院月夜。

 

 記された日時も、場所も、登場人物も同じ。

 

 それにもかかわらず、二通の報告書は、まるで別の事件を扱っているかのようだった。

 

 旭はまず、鬼折の報告書を手に取った。

 

 無骨な筆跡が、紙面を乱暴に埋めている。

 

『西トウキョウ旧連絡路にて、消息を絶っていた測量班三名を発見』

 

『二名を生存状態で確保。一名は現場の崩落により死亡』

 

『現場には複数の吸血鬼が潜伏しており、測量班を拘束していた』

 

『人間の少女一名が吸血鬼に協力。吸血鬼側と行動を共にしていた』

 

『少女の氏名はリーシャ・クーゲルシュタイン』

 

『鬼龍院月夜は、吸血鬼の追撃を妨害』

 

『さらに西側通路を開放し、吸血鬼の逃走を幇助した』

 

『敵性吸血鬼一体を討伐。遺体および魔力核を回収』

 

『残存する吸血鬼は西方へ逃走』

 

 そこまで読み、旭は報告書を机へ戻した。

 

 次に、月夜のものを手に取る。

 

 こちらの文字は整っていた。

 

 余計な感情はなく、状況と判断だけが淡々と記されている。

 

『西トウキョウ旧連絡路にて、消息不明となっていた測量班を発見』

 

『生存者二名を保護』

 

『死亡者一名は、老朽化した地下構造物の崩落に巻き込まれたものと推定する』

 

『現場にいた少女リーシャ・クーゲルシュタインは、測量班生存者の救助および負傷者への応急処置に関与』

 

『同少女に、測量班へ危害を加えた形跡は認められない』

 

『現場は戦闘および老朽化により崩落の危険が高く、追撃を継続すれば保護対象である測量班を巻き込む可能性があった』

 

『西側通路の障害物は、少女および負傷者の退避経路を確保するために除去した』

 

『敵性吸血鬼一体と鬼折竜禅の戦闘により、大規模な崩落が発生』

 

『以後の追跡は、生存者の救出を優先し中断した』

 

 旭は二通を並べた。

 

 鬼折の報告書を読めば、月夜は吸血鬼を逃がした裏切り者だった。

 

 月夜の報告書を読めば、鬼折は救出対象を危険にさらしてまで戦闘を続けたことになる。

 

「なるほど」

 

 旭は小さく呟いた。

 

 執務机の前には、報告書を書いた二人が立っている。

 

 月夜は壁際に寄りかかり、腕を組んでいた。

 

 鬼折は椅子が用意されているにもかかわらず座らず、机の前で仁王立ちしている。

 

 どちらも、相手の方を見ようとはしない。

 

「どちらも嘘は書いていない」

 

 旭が言った。

 

「だから面倒だ」

 

「面倒にしたのは、そこの馬鹿だ」

 

 月夜が顎で鬼折を示す。

 

「救出任務の最中に斬りかかったのはこいつだ」

 

「鬼を目の前にして見逃せって方が馬鹿だろうが」

 

 鬼折が吐き捨てる。

 

「見逃した結果、あいつらは西へ逃げた」

 

「負傷した人間が二人いた」

 

「生きてんだろ」

 

「お前が戦わなければ、もっと安全に帰せた」

 

「俺が鬼を斬らなきゃ、後でそいつらに殺される人間が増える」

 

「まだ何もしていない女子供もいた」

 

「今はな」

 

 鬼折の返答に迷いはなかった。

 

「今は人間を殺してねえ。今は弱え。今は腹の中にいる」

 

 口元が、わずかに歪む。

 

「だから何だ」

 

「何が言いたい」

 

 月夜の声が低くなる。

 

「育って人を食うまで待てってのか?」

 

「全員がそうなるとは限らない」

 

「ならねえ保証もねえ」

 

「だから殺すのか」

 

「ああ」

 

 鬼折は一歩も引かなかった。

 

「一人目が食われてからじゃ遅え」

 

 月夜の右手が、腰の黒刀へ近づく。

 

 それを見ても、鬼折は笑わなかった。

 

 ただ、迎え撃つように右肩をわずかに前へ出す。

 

「二人ともやめろ」

 

 旭の声が、部屋の空気を断ち切った。

 

 大声ではない。

 

 それでも月夜の手が止まり、鬼折の肩から力が抜ける。

 

「ここは訓練場ではない」

 

「こいつに言え」

 

「先に刀へ手を伸ばしたのはお前だ、月夜」

 

「……」

 

 月夜は黒刀から手を離した。

 

 旭は再び報告書へ視線を落とす。

 

「測量班の証言は」

 

 部屋の端に控えていた事務官が、一枚の紙を差し出した。

 

「生存者二名から個別に聴取しております」

 

 旭は受け取った。

 

 一人目は、眼鏡をかけた男性調査員。

 

『吸血鬼に拘束されていたことは事実です』

 

『殺される可能性もあったと思います』

 

『ただし、リーシャという少女は、我々の傷を治療しようとしていました』

 

『吸血鬼側の少女と親しく話していました』

 

『彼女自身が何者なのかは分かりません』

 

 二人目は、無精髭の男性調査員。

 

『あの子がいなければ、俺たちは死んでいた』

 

『吸血鬼と一緒にいたのも本当だ』

 

『けど、俺たちを殺そうとしたのは、あの子じゃない』

 

『死んだ若いのを助けようともしていた』

 

『鬼折様が来た後の方が、正直怖かった』

 

 最後の一文を読み、鬼折が鼻を鳴らす。

 

「命を助けてやったのに、随分な言われようだな」

 

「自覚がないのか」

 

 月夜が言う。

 

「てめえも書かれてるぞ」

 

「何を」

 

「鬼龍院月夜は、少女を庇って吸血鬼の追撃を止めた」

 

「事実だ」

 

「認めんのかよ」

 

「必要な判断だった」

 

「少女を守るためか?」

 

「生存者を守るためだ」

 

「それだけか」

 

 月夜は答えなかった。

 

 鬼折の目が細くなる。

 

 旭は二人の会話を遮るように、証言書を机へ置いた。

 

「リーシャ・クーゲルシュタイン」

 

 その名前を口にすると、月夜がわずかに顔を上げた。

 

「八歳。セントテレジア孤児院所属。ヨコハマエリアからの避難民」

 

「そういうことになっている」

 

 鬼折が言う。

 

「異論があるのか」

 

「あるからここに来た」

 

「報告書には、人間の少女と書いてある」

 

「臭いも、身体も人間だったからな」

 

「ならば何が問題だ」

 

「人間なら、なぜ鬼どもが命を張って庇う」

 

 鬼折が机へ両手をついた。

 

「俺があのガキに近づいただけで、狼の餓鬼どもは牙を剥いた」

 

「リーシャが先に助けたからだ」

 

「それだけで命まで張るか?」

 

「張るやつもいる」

 

「鬼がか」

 

「人間にも、そういうやつはいる」

 

「またそれか」

 

 鬼折の声に、苛立ちが混じる。

 

「鬼にも善良なやつがいる。人間にもクズがいる。だから話を聞け。お前は昔からそればっかりだ」

 

「間違っているか」

 

「間違ってねえよ」

 

 意外な答えだった。

 

 月夜が目を細める。

 

 鬼折は吐き捨てるように続けた。

 

「善良な鬼がいるかもしれねえ。人間より上等な鬼がいるかもしれねえ」

 

「……」

 

「だから何だ」

 

 鬼折は自分の胸を指で叩く。

 

「それを調べるために、誰か一人が殺されるまで待つのか?」

 

 月夜は答えない。

 

「俺の家族を食ったやつも、その前の日までは誰も食ってなかったかもしれねえ」

 

「だから全部殺すのか」

 

「ああ」

 

「子供も」

 

「ああ」

 

「妊婦も」

 

「ああ」

 

 鬼折の目には、狂気も迷いもなかった。

 

 ただ、本人なりの結論だけがあった。

 

「俺は二度と、一人目を作らせねえ」

 

 部屋が静まり返る。

 

 旭はしばらく鬼折を見た。

 

 それから尋ねる。

 

「リーシャも吸血鬼だと?」

 

「分からねえ」

 

「先ほど、人間だったと言ったな」

 

「見た限りではな」

 

「正式な鑑定を受けた記録もある」

 

「記録が正しけりゃ、あれは人間だ」

 

「それでも疑うのか」

 

「人間なら、人間でおかしい」

 

 鬼折は即答した。

 

「八歳のガキが一人で西トウキョウまで行って、鬼の群れに入り込んで、調査員を助けて、俺と月夜の間に立った」

 

「……」

 

「普通の人間のガキじゃねえ」

 

「変わった子供ではある」

 

 月夜が呟く。

 

「随分と控えめな表現だな」

 

「お前よりは普通だ」

 

「殺すぞ」

 

「やってみろ」

 

「やめろと言ったはずだ」

 

 旭が二人を睨む。

 

 今度こそ、両者は黙った。

 

「鬼折。お前の要求は何だ」

 

「鑑定だ」

 

「すでに記録がある」

 

「今のあいつを、俺の前でもう一度調べろ」

 

「何を用いる」

 

「正式呪具を全部だ」

 

 鬼折は指を折りながら並べていく。

 

「種族判定。魔力構造。使い魔契約。銀への反応。吸血衝動。やれるものは全部やれ」

 

「八歳の子供だぞ」

 

 月夜が言う。

 

「だから何だ」

 

「身体への負担を考えろ」

 

「黒だったら、その身体で何人殺せると思ってる」

 

「白だったらどうする」

 

「今日は斬らねえ」

 

「今日は、か」

 

「ああ」

 

 鬼折は月夜を見た。

 

「次に鬼の側で会えば話は別だ」

 

 月夜の目つきが変わる。

 

「鬼折」

 

「あ?」

 

「リーシャに手を出してみろ」

 

 黒刀へは触れていない。

 

 それでも、その言葉だけで空気が冷えた。

 

「俺がお前を斬る」

 

「やっぱり随分と懐かれてるじゃねえか」

 

「俺の話をしている」

 

「だから面白えんだろうが」

 

 鬼折は歯を見せる。

 

「人間だと言い張るガキを、何でそこまで庇う?」

 

「俺の監督下にいる」

 

「それだけか?」

 

「それだけだ」

 

「嘘が下手だな、月夜」

 

「お前よりはましだ」

 

 旭は二人を見比べる。

 

 月夜はリーシャを吸血鬼だと考えている。

 

 少なくとも、その可能性を捨ててはいない。

 

 それなのに、鑑定を避けようとしている。

 

 理由は単純だった。

 

 黒と判定された場合、自分が何を選ぶのか分からないからだ。

 

 あるいは。

 

 すでに、答えが分かっているからかもしれない。

 

「鑑定は実施する」

 

 旭が告げた。

 

「旭」

 

 月夜が壁から身体を離す。

 

「必要ない」

 

「必要かどうかを決めるのはお前ではない」

 

「あいつは人間だ」

 

「お前自身が疑っていたはずだ」

 

「……」

 

「夕莉の娘ではないか。吸血鬼ではないか。そう考えていたのは誰だ」

 

 鬼折が眉を上げる。

 

「夕莉?」

 

「お前には関係ない」

 

 月夜が即座に切り捨てた。

 

 旭は構わず続ける。

 

「疑惑が公の記録へ残った以上、放置はできない」

 

「鬼折の妄想だ」

 

「お前の報告書にも、吸血鬼と行動を共にしていたと書かれている」

 

「事実を書いただけだ」

 

「その事実をどう処理する」

 

「……」

 

「鑑定を拒否すれば、疑いは消えない」

 

 旭は二通の報告書を指先で叩いた。

 

「むしろ、鬼龍院月夜が何かを隠すために検査を妨害したという記録が加わる」

 

「そんな記録は消せばいい」

 

「一度書かれた報告書は消えない」

 

 旭の声は冷静だった。

 

「紙を燃やすことはできる。書いた人間を黙らせることもできる」

 

 鬼折が笑う。

 

「物騒なことを言うじゃねえか」

 

「だが、その事実を知った人間すべての記憶までは消せない」

 

 旭は月夜を見る。

 

「リーシャ・クーゲルシュタインを守りたいなら、白であることを記録に残せ」

 

「黒だったら」

 

「結果が出る前の話をするな」

 

「結果が出てからじゃ遅い」

 

 月夜の声が低くなる。

 

「黒だったらどうする」

 

 旭は答えなかった。

 

 答えられなかったのではない。

 

 今ここで答える必要がないと判断しただけだった。

 

 その沈黙が、月夜には何よりも明確な返答に聞こえた。

 

「殺すのか」

 

「任務と規定に従って判断する」

 

「それを殺すと言うんだ」

 

「お前は何をするつもりだ」

 

 旭が問い返す。

 

 月夜は黙った。

 

「鑑定官を斬るか」

 

「……」

 

「鬼折を斬るか」

 

「必要なら」

 

「リーシャを連れてトウキョウを出るか」

 

「……」

 

「追手も斬るのか」

 

 月夜は答えなかった。

 

 だが、否定もしなかった。

 

 鬼折が愉快そうに喉を鳴らす。

 

「いい顔になってきたじゃねえか」

 

「黙ってろ」

 

「お前もこっち側だ」

 

「あ?」

 

「守りてえもんのためなら、ほかを斬る」

 

 鬼折は自分の胸へ親指を向けた。

 

「俺と何が違う」

 

「一緒にするな」

 

「何が違うって聞いてんだ」

 

 月夜は返せなかった。

 

 鬼折は吸血鬼が将来人を殺す可能性を理由に、先に殺す。

 

 月夜はリーシャが殺される可能性を理由に、彼女を殺そうとする人間を先に斬ろうとしている。

 

 守ろうとする対象が違うだけ。

 

 やっていることは同じだと、鬼折は言っている。

 

「違いはある」

 

 旭が言った。

 

「何だよ」

 

「鬼折は、自分が正しいと信じている」

 

 鬼折の眉が動く。

 

「月夜は、自分が間違っていると分かったうえで斬ろうとしている」

 

「どっちも同じだろ」

 

「結果だけを見ればな」

 

 旭は立ち上がった。

 

 机の上から、リーシャの身上記録を手に取る。

 

 避難民登録票。

 

 孤児院での生活記録。

 

 過去に行われた簡易鑑定の結果。

 

 すべての欄に、人間と記されている。

 

「鑑定は三日後に実施する」

 

「三日後?」

 

 鬼折が不満そうに言う。

 

「今すぐやれ」

 

「正式呪具と鑑定官をそろえる必要がある」

 

「逃げたらどうする」

 

「監視をつける」

 

 月夜が旭を睨む。

 

「誰を」

 

「お前だ」

 

「……」

 

「対象をセントテレジア孤児院から出すな」

 

「最初から怪我が治るまで出す気はない」

 

「夜間もだ」

 

「俺に孤児院へ泊まれって言うのか」

 

「不満か」

 

「部屋がない」

 

「廊下で寝ろ」

 

 鬼折が鼻で笑った。

 

「子守がお似合いだ」

 

「お前は立入禁止だ」

 

「何でだよ」

 

「対象への威圧および独断での処分を防止するためだ」

 

「俺はまだ何もしてねえ」

 

「しようとしている顔をしている」

 

「顔で判断すんな」

 

「日頃の行いだ」

 

 月夜がぼそりと言った。

 

「てめえ、さっきも同じこと言ってやがったな」

 

「事実だからな」

 

「両名とも、異論は後で聞く」

 

 旭は事務官へ書類を渡した。

 

「正式な鑑定命令書を作成しろ」

 

「はっ」

 

「対象者名」

 

 事務官が筆を構える。

 

 旭は一度だけ月夜を見た。

 

 月夜の顔には、いつもの気怠さはない。

 

 黒刀を抜く前と同じ目をしていた。

 

「リーシャ・クーゲルシュタイン」

 

 事務官の筆先が、白い紙の上を走る。

 

「所属、セントテレジア孤児院」

 

「鑑定項目は」

 

「種族判定を最優先。魔力構造、呪具契約、銀反応を含む正式鑑定一式」

 

「立会人は」

 

「鬼折竜禅」

 

「当然だ」

 

「および鬼龍院月夜」

 

 月夜が旭を見る。

 

「俺もか」

 

「お前がいなければ、対象が安心して検査を受けない可能性がある」

 

「俺がいれば安心すると思ってるのか」

 

「少なくとも鬼折だけよりはましだ」

 

「おい」

 

「異論があるなら、普段の行いを改めろ」

 

 事務官が笑いを堪えるように咳払いした。

 

 鬼折がそちらを睨み、事務官は慌てて顔を伏せる。

 

「鑑定結果が白だった場合」

 

 旭が続けた。

 

「リーシャ・クーゲルシュタインを正式に人間として記録し、今回の嫌疑を棄却する」

 

「黒なら」

 

 月夜が尋ねる。

 

 旭は、今度も答えなかった。

 

「そのとき判断する」

 

「旭」

 

「話は終わりだ」

 

「終わってない」

 

「終わりだ」

 

 月夜が何かを言おうとする。

 

 しかし旭は、すでに次の書類へ視線を落としていた。

 

 これ以上ここで問い詰めても、答えは出ない。

 

 月夜は舌打ちし、扉へ向かう。

 

「月夜」

 

 旭が呼び止めた。

 

「何だ」

 

「命令を忘れるな」

 

「監視だろ」

 

「違う」

 

 旭は報告書を閉じた。

 

「三日間、リーシャ・クーゲルシュタインを守れ」

 

 月夜が振り返る。

 

 旭は書類から顔を上げない。

 

「鑑定台へ無事に立たせるところまでが、お前の任務だ」

 

「……」

 

「結果が出る前に、鬼折やほかの誰かに手を出させるな」

 

「俺を含めてか」

 

「ああ」

 

 短い沈黙が落ちた。

 

「了解した」

 

 月夜はそれだけ答え、部屋を出ていった。

 

 鬼折もあとに続こうとする。

 

「鬼折」

 

「あ?」

 

「回収した吸血鬼の遺体については、研究局へ引き渡せ」

 

 鬼折の目が細くなる。

 

「俺の戦利品だ」

 

「討魔師協会の所有物だ」

 

「魔力核は傷つけてねえ」

 

「報告書に書いてある」

 

「良い素材になる」

 

 鬼折は悪びれもせずに言った。

 

「父親の刀と相性もいい。同じ血じゃねえが、風の系統が近い」

 

「用途の判断は研究局が行う」

 

「俺が使う」

 

「許可は出していない」

 

「そのうち出る」

 

「ずいぶんと自信があるな」

 

「死んだ鬼に使い道があるなら、使うべきだろ」

 

 旭は鬼折を見た。

 

 倒された吸血鬼の名前はナオト。

 

 自らをディアボロスのリーダーと名乗り、家族を逃がすために死んだ少年。

 

 鬼折の報告書には、その名も、最後の言葉も書かれていない。

 

 記されているのは、敵性吸血鬼一体を討伐したという一文だけだった。

 

「お前の報告書には、随分と書かれていないことが多い」

 

「必要なことは全部書いた」

 

「名を聞いたのではないか」

 

「聞いた」

 

「なぜ書かなかった」

 

「報告に必要か?」

 

「敵の識別には必要だ」

 

「死んだやつの名前なんざ、どうでもいいだろ」

 

 鬼折はそう言った。

 

 だが。

 

 旭は、鬼折がその名を忘れていないことを見抜いていた。

 

「名前は」

 

「……ナオト」

 

 鬼折が低く答える。

 

「ディアボロスのリーダーだそうだ」

 

「追記しろ」

 

「必要ねえ」

 

「命令だ」

 

 鬼折は不満そうに舌打ちした。

 

「分かったよ」

 

 今度こそ扉を開ける。

 

「鬼折」

 

「まだあんのか」

 

「お前の報告書は正しい」

 

「あ?」

 

「月夜のものも正しい」

 

 旭は二通を見下ろした。

 

「だが、どちらもすべてではない」

 

「報告書に全部書けるかよ」

 

「そうだな」

 

 鬼折が部屋を出る。

 

 重い扉が閉じた。

 

 執務室に残ったのは、旭と事務官だけだった。

 

 事務官が恐る恐る口を開く。

 

「鬼龍院様」

 

「何だ」

 

「鑑定結果が、本当に吸血鬼だった場合は……」

 

 旭は答えなかった。

 

 窓の外では、朝日がトウキョウの街を照らし始めている。

 

 人間を守るために作られた銀の結界。

 

 その内側で眠っている、一人の少女。

 

 人間ならば、制度によって守る。

 

 吸血鬼ならば、制度に従い処分する。

 

 本来なら、それだけの話だった。

 

 しかし、夕莉と同じ顔をした少女を、月夜が規定どおりに斬れるとは思えない。

 

 月夜が斬れなければ、代わりに誰かが斬る。

 

 鬼折か。

 

 自分か。

 

「鑑定結果が出てから判断する」

 

 旭は同じ言葉を繰り返した。

 

「今は、それ以外の答えは必要ない」

 

「承知しました」

 

 事務官が一礼し、命令書を持って退室する。

 

 残された旭は、もう一度二通の報告書を開いた。

 

 どちらにも、嘘は書かれていなかった。

 

 鬼折は、吸血鬼が人間を拘束し、月夜がその逃走を助けたと書いた。

 

 月夜は、リーシャが人間を救い、鬼折の戦闘が崩落を招いたと書いた。

 

 どちらも正しい。

 

 ただし。

 

 鬼折の報告書には、ナオトが家族を逃がすために残ったことが書かれていない。

 

 月夜の報告書には、リーシャが吸血鬼の少女を友達と呼んだことが書かれていない。

 

 誰も嘘を書いてはいない。

 

 誰も、すべてを書いてはいない。

 

 旭は二通を重ね、正式な記録として封をした。

 

 その封筒の表には、ただ一行。

 

『西トウキョウ旧連絡路・測量班救出事案』

 

 そう記されていた。

 

 ナオトの死も。

 

 ロウカの涙も。

 

 リーシャが交わした約束も。

 

 その正しい報告書には、どこにも残らなかった。

 

 

 

 

 

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