エロゲのヒロインに転生したんだが、もうオレは限界かもしれない。   作:サボテニウム

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第27話 選ばせるな

 

 

 

 

 目が覚めると、部屋の外に人がいた。

 

 正確には、人の気配がした。

 

 夜はまだ明けていない。

 

 扉一枚を挟んだ向こう側。

 

 呼吸は浅く、ほとんど物音を立てていない。

 

 それでも吸血鬼であるオレの耳を誤魔化せるほどではなかった。

 

 というか。

 

 こんな時間に、オレの部屋の前へ立つ人間など一人しかいない。

 

 オレは音を立てないように布団から抜け出し、扉へ近づいた。

 

 少しだけ開ける。

 

 冷たい空気が隙間から入り込んできた。

 

 そして、予想どおり。

 

 月夜が廊下の壁へ背中を預けて座っていた。

 

 黒刀を抱えるようにして腕を組み、目を閉じている。

 

 どう見ても寝づらそうだ。

 

「何してるんですか」

 

「寝てる」

 

 即答だった。

 

「起きてますよね」

 

「寝言だ」

 

「便利な寝言ですね」

 

「戻れ」

 

 目を開ける気配すらない。

 

 会話を終えるつもりらしい。

 

 だが、オレにも聞きたいことがあった。

 

「いつからいるんですか」

 

「昨日から」

 

「昨日のいつですか」

 

「お前が寝た後だ」

 

「ずっとここに?」

 

「ああ」

 

「何のために」

 

 月夜がようやく片目を開く。

 

「監視」

 

「私をですか」

 

「そういう命令だ」

 

「逃げませんよ」

 

「そうか」

 

「信用してないんですか」

 

「してない」

 

「即答しないでください」

 

 もう少し言い方があるだろう。

 

 仮にも八歳の少女相手だぞ。

 

 繊細な子供だったら泣いているところだ。

 

 オレは繊細ではないので泣かないが。

 

「それなら、部屋の中で見張ればいいじゃないですか」

 

「嫌だ」

 

「なぜですか」

 

「狭い」

 

「廊下よりは広いですよ」

 

「うるさい」

 

「寒くないんですか」

 

「戻れ」

 

 またそれか。

 

 たしかに冬の廊下は冷える。

 

 孤児院の窓はところどころ割れており、布や板で塞いだだけの場所も多い。

 

 ここも例外ではなく、風が通るたびに廊下の燭台が小さく揺れている。

 

 月夜は外套を着ているとはいえ、三日間もここで寝るつもりなのだろうか。

 

「風邪を引きますよ」

 

「引かない」

 

「馬鹿は風邪を引かないというやつですか」

 

「戻れ」

 

「同じことしか言わなくなりましたね」

 

 オレが扉をもう少し開けると、月夜がこちらを見た。

 

「何だ」

 

「毛布を持ってきます」

 

「いらない」

 

「でも」

 

「必要ない」

 

「遠慮しなくてもいいですよ」

 

「リーシャ」

 

 低い声で名前を呼ばれる。

 

 怒鳴られたわけではない。

 

 それでも、それ以上は踏み込むなということだけは伝わった。

 

「部屋に戻れ」

 

「……はい」

 

 仕方なく扉を閉める。

 

 薄暗い部屋へ戻ると、窓際の壁にカイがもたれていた。

 

 いつの間に入り込んだのだろう。

 

「廊下にいるの、月夜?」

 

「いつからいたの?」

 

「少し前」

 

「勝手に入らないでよ」

 

「扉、開いてた」

 

「閉めてたよ」

 

「そうだっけ」

 

 嘘だ。

 

 オレの部屋へ無断で入り込んだことを、少しも悪いと思っていないらしい。

 

「月夜、何してるって?」

 

「監視だって」

 

「リーシャの?」

 

「そうみたい」

 

「違うと思う」

 

 カイが窓際から離れ、こちらを見た。

 

「何が?」

 

「月夜は、リーシャを見張ってない」

 

「扉の前にいるけど」

 

「廊下を見てる」

 

 オレは閉じた扉へ目を向けた。

 

 たしかに。

 

 月夜が座っていたのは、こちらへ背中を向ける位置だった。

 

 オレが逃げないように見張るなら、扉の方を向いているはずだ。

 

 だが月夜は反対側。

 

 廊下の先を見張るように座っていた。

 

「リーシャが逃げないようにするなら、扉を見てればいい」

 

 カイが言う。

 

「誰かが来ないようにしてるんじゃない?」

 

「誰かって?」

 

「知らない」

 

 そこまで言うと、カイは扉へ向かった。

 

「寝直す」

 

「自分の部屋で?」

 

「うん」

 

「最初から自分の部屋で寝ててよ」

 

「月夜が気になったから」

 

「それで私の部屋に入る理由にはならないでしょ」

 

「近かった」

 

 分かりやすい言い訳だった。

 

 カイが扉を開ける。

 

 廊下に座っていた月夜が、片目を開いた。

 

「何してた」

 

「リーシャと話してた」

 

「自分の部屋へ戻れ」

 

「今戻る」

 

 カイは廊下へ出ると、アギトと二人で使っている隣の部屋へ戻っていった。

 

 オレは再び布団へ入る。

 

 月夜が廊下の向こうを見張っている。

 

 オレを監視しているのではなく、オレへ近づく何かを警戒している。

 

 そんなことを考えながら横になったものの、なかなか寝つくことはできなかった。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 翌朝。

 

「何でこいつがいるんだよ」

 

 食堂へ入ってくるなり、アギトが不機嫌そうな声を出した。

 

 月夜が壁際の席に座り、一人で固いパンを食べていたからだ。

 

 孤児院の食事はまずい。

 

 そのうえ、量も少ない。

 

 十三戦鬼に出すようなものではないと思うのだが、月夜は文句も言わずにパンを口へ運んでいる。

 

「今日から三日間、ここにいるんだって」

 

 オレが説明すると、アギトの眉間の皺が深くなった。

 

「何で」

 

「監視だって」

 

「誰の」

 

「私の」

 

「はあ?」

 

 予想どおりの反応だった。

 

 アギトは月夜の前まで歩いていく。

 

「リーシャが何したんだよ」

 

「何もしてない」

 

「なら何で見張るんだ」

 

「何もさせないためだ」

 

「意味分かんねえよ」

 

「分からなくていい」

 

「よくねえ!」

 

 アギトが机を叩く。

 

 食器が小さく跳ねた。

 

 周囲で食事をしていた子供たちが一斉にこちらを見る。

 

 月夜は気にした様子もなく、パンを噛んでいる。

 

「リーシャは怪我してんだぞ」

 

「知ってる」

 

「だったら休ませろ」

 

「休ませてるだろ」

 

「お前がいたら休めねえ」

 

「そうか?」

 

 月夜がオレを見る。

 

「眠れなかったか」

 

「まあ、少し」

 

「ほら!」

 

 アギトが鬼の首でも取ったように叫ぶ。

 

「お前のせいじゃねえか!」

 

「半分はカイだ」

 

「僕?」

 

 スープを飲んでいたカイが顔を上げた。

 

「夜中に勝手に私の部屋へ入ってきたでしょ」

 

「月夜が気になったから」

 

「何してんだよ、お前!」

 

 アギトが今度はカイへ怒鳴る。

 

「見に行っただけ」

 

「だったら月夜に直接聞けよ!」

 

「リーシャが聞いてた」

 

「盗み聞きじゃねえか!」

 

「聞こえただけ」

 

「同じだろ!」

 

 なんだかいつもの朝になってきた。

 

 ほんの少しだけ、肩の力が抜ける。

 

 月夜は残ったパンを口へ放り込むと、席を立った。

 

「リーシャ」

 

「はい」

 

「今日は外へ出るな」

 

「仕事があります」

 

「休め」

 

「でも」

 

「命令だ」

 

「ここは孤児院ですよ。月夜さんに命令される筋合いはありません」

 

「俺の監視対象だ」

 

「監視対象は仕事をしてはいけないんですか」

 

「怪我人は休め」

 

 月夜はそれだけ言うと、食堂を出ていった。

 

 相変わらず説明が足りない。

 

「何だよ、あいつ」

 

 アギトが月夜の背中を睨む。

 

「偉そうにしやがって」

 

「本当に偉い人だからね」

 

「だからって何してもいいのかよ」

 

「よくはないけど」

 

 オレはスープを一口飲む。

 

 相変わらずまずい。

 

「でも」

 

「でも?」

 

「たぶん、悪いことをしに来たわけじゃないと思う」

 

「何で分かるんだ」

 

「勘」

 

「信用できねえ」

 

「ひどい」

 

「リーシャはすぐ無茶するからな」

 

「それは関係ないでしょ」

 

「ある」

 

 アギトが即答する。

 

 月夜といいアギトといい、今日は即答されてばかりだ。

 

 カイがスープを見つめたまま、ぽつりと言う。

 

「月夜はリーシャを見張ってない」

 

「は?」

 

 アギトがカイを見る。

 

「リーシャに近づく人を見張ってる」

 

 アギトが黙る。

 

「何でだよ」

 

「知らない」

 

「お前、さっきからそればっかりだな」

 

「分からないから」

 

 カイの視線がオレの包帯へ移る。

 

「でも、昨日から門の外にも討魔師がいる」

 

「え?」

 

 オレは思わず窓の方を見る。

 

「何人?」

 

「二人」

 

「ずっと?」

 

「交代してる」

 

 まったく気づかなかった。

 

 孤児院の外まで意識を伸ばせば簡単に分かったはずだ。

 

 だが、下手に感知魔術を使えばクロエに気づかれるかもしれない。

 

 怪我をしてからは、周囲の探知もなるべく人間の感覚だけで済ませていた。

 

「何でそんなこと分かるんだよ」

 

 アギトが聞く。

 

「窓から見えた」

 

「なら先に言えよ!」

 

「聞かれなかったから」

 

 カイは平然と答えた。

 

 オレは食べかけのスープへ視線を落とす。

 

 門の外に討魔師。

 

 廊下には月夜。

 

 監視という言葉は、どうやら冗談でも建前でもないらしい。

 

 西トウキョウで吸血鬼と一緒にいた。

 

 鬼折の前でロウカを庇った。

 

 その事実が、人類側でどう処理されるのか。

 

 オレは知らない。

 

 原作に、こんな展開はなかったからだ。

 

 そもそも原作のリーシャは、幼少期に人類側の正式鑑定を受けていない。

 

 設定資料集には、人間形態のリーシャは討魔師の呪具でも人間と判定される、と書かれていた。

 

 少なくとも、簡易的な種族判定なら問題ないはずだ。

 

 だが。

 

 本格的な鑑定。

 

 しかも、十三戦鬼が立ち会うようなものとなれば話は別だ。

 

 何をされるか分からない。

 

 真祖の魔力核まで調べられたら?

 

 使い魔との繋がりを見つけられたら?

 

 身体は人間でも、魂が吸血鬼だと判断されたら?

 

 嫌な考えはいくらでも浮かんでくる。

 

「リーシャ」

 

 アギトに呼ばれ、顔を上げる。

 

「何だよ、その顔」

 

「どんな顔?」

 

「何か隠してる顔」

 

「気のせい」

 

「またそれかよ」

 

 アギトは納得していない。

 

 それでも、食堂の入口へ視線をやったあと、声を落とした。

 

「逃げるなら手伝うぞ」

 

「え?」

 

「見張られてんだろ」

 

「だからって、どうして逃げるの」

 

「嫌なんじゃねえのか」

 

「嫌だけど」

 

「なら逃げればいいだろ」

 

「単純だね」

 

「うるせえ」

 

 アギトが机へ身を乗り出す。

 

「俺があいつらの気を引く。その間に裏から出ろ」

 

「それでどこへ行くの」

 

「……どっか」

 

「無計画すぎるよ」

 

「何とかなる」

 

「ならない」

 

「じゃあカイが考えろ」

 

「嫌だ」

 

「何でだよ!」

 

「逃げたら余計に疑われるから」

 

 カイの方が正しい。

 

 ここで逃げれば、吸血鬼ですと自白するようなものだ。

 

 それに、オレ一人が逃げたところで、アギトやカイ、孤児院へ迷惑がかかる。

 

「大丈夫だよ」

 

 オレはできるだけ軽く言った。

 

「少し検査を受けるだけだから」

 

「何の検査だよ」

 

「健康診断みたいなもの」

 

「包帯取るのか」

 

「さあ」

 

「痛いのか」

 

「分からない」

 

「大丈夫じゃねえじゃん」

 

 アギトの声が少しだけ低くなった。

 

「私が大丈夫って言ったら大丈夫なの」

 

「お前の大丈夫は信用できねえ」

 

「昨日から信用ないね、私」

 

「無茶するからだろ」

 

 またそれか。

 

 オレはスープを飲み干す。

 

 不味さのおかげで、嫌な想像が少しだけ薄れた。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 三日間。

 

 月夜は本当に孤児院の廊下で寝た。

 

 昼間はオレが仕事を休まされている間も、一定の距離を保ってついてくる。

 

 礼拝堂へ行けば入口に立ち。

 

 食堂へ行けば壁際に座り。

 

 庭へ出れば木の下で黒刀を抱えている。

 

 監視されているというより、大きくて無愛想な野良犬に付きまとわれている気分だった。

 

「暇なんですか」

 

 二日目の午後。

 

 庭のベンチへ座りながら聞くと、月夜は木へ背中を預けたまま答えた。

 

「暇に見えるか」

 

「はい」

 

「なら暇なんだろ」

 

「仕事は?」

 

「これが仕事だ」

 

「私を見ているだけでお給料がもらえるんですか」

 

「欲しいか」

 

「ください」

 

「働け」

 

「今、月夜さんに休まされてるんですけど」

 

「なら無理だな」

 

「理不尽」

 

 会話はそれで終わった。

 

 月夜は必要以上に話さない。

 

 オレも、どこまで踏み込んでいいのか分からない。

 

 それでも三日間。

 

 どこへ行っても、振り返れば必ず同じ場所にいた。

 

 三日目の朝。

 

 正式な鑑定命令書を持った討魔師たちが、孤児院へやってきた。

 

 銀の鎧を身につけた四人。

 

 その中央にいる細身の男が、巻かれた書状を開く。

 

「リーシャ・クーゲルシュタイン」

 

「はい」

 

「西トウキョウ旧連絡路における敵性吸血鬼との接触、および同行の事実について、正式種族鑑定を実施する」

 

 大聖堂には、孤児院の子供たちが集まっていた。

 

 アギトとカイもいる。

 

 クロエはオレの隣に立ち、黙って命令書を見ていた。

 

「対象者は我々と同行せよ」

 

「分かりました」

 

 オレが前へ出る。

 

 その瞬間。

 

 アギトが討魔師とオレの間へ割って入った。

 

「俺も行く」

 

「許可できない」

 

「何でだよ」

 

「関係者以外の立ち入りは禁止されている」

 

「俺は関係者だ」

 

「お前は誰だ」

 

「綾辻アギト。リーシャの家族だ」

 

 討魔師が眉を寄せる。

 

「血縁者か」

 

「違う」

 

「なら関係者ではない」

 

「家族だって言ってんだろ!」

 

 アギトの手が、討魔師の鎧をつかむ。

 

「アギト」

 

 オレはその腕を引いた。

 

「やめて」

 

「でも」

 

「すぐ帰ってくるから」

 

「本当かよ」

 

「うん」

 

「絶対か」

 

「絶対」

 

 本当は分からない。

 

 検査で正体がばれたら、帰れるはずがない。

 

 だが、そんなことを言えるわけもない。

 

「嘘ついたら許さねえからな」

 

「どうやって怒るの」

 

「探して見つける」

 

「どこにいても?」

 

「当たり前だろ」

 

 アギトはオレの腕をつかんだまま離さない。

 

 指先が、包帯の上へ触れている。

 

 強くはない。

 

 それでも、離したくないという意思だけは痛いほど伝わった。

 

「大丈夫だよ」

 

 オレはもう一度言った。

 

 その大丈夫を、アギトが信用していないことは知っていた。

 

「僕も行く」

 

 カイが言う。

 

「お前も許可できない」

 

「リーシャの怪我を説明できる」

 

「本人から聞く」

 

「リーシャは嘘をつく」

 

「カイ!」

 

 何を言っているんだ、こいつは。

 

 こんな場面で余計な疑いを増やすな。

 

「嘘つきなのか」

 

 討魔師がオレを見る。

 

「違います」

 

「嘘」

 

 カイが即座に否定した。

 

「余計なこと言わないで!」

 

「でも、嘘つく」

 

「時と場合によるの!」

 

「今は?」

 

「ついてない!」

 

「それも嘘?」

 

「もう黙ってて!」

 

 討魔師が怪訝そうな顔をする。

 

 クロエが小さく微笑んだ。

 

「申し訳ありません。この子たちなりに、リーシャを心配しているのです」

 

「シスタークロエ」

 

 討魔師が姿勢を正す。

 

「貴殿には孤児院責任者として同行許可が出ています」

 

「承知しています」

 

 クロエはオレの肩へ手を置いた。

 

「私も一緒に行きますから、安心してください」

 

「はい」

 

 柔らかい笑顔。

 

 だが、何を考えているかは分からない。

 

 オレの正体を疑っているのか。

 

 本当にただ心配しているだけなのか。

 

 この人だけは、今まで一度も判断できなかった。

 

「行くぞ」

 

 月夜が大聖堂の入口から声をかける。

 

 いつの間にか外套を羽織り、黒刀を腰へ差していた。

 

 アギトが月夜を睨む。

 

「リーシャに何かしたら許さねえ」

 

「お前に許してもらう必要はない」

 

「ふざけんな」

 

「だが」

 

 月夜は一度だけオレを見る。

 

「何もさせない」

 

「……」

 

「それでいいだろ」

 

 アギトはしばらく月夜を睨んでいた。

 

 やがて、渋々オレの腕を離す。

 

「ちゃんと連れて帰ってこい」

 

「ああ」

 

 月夜の返事は短かった。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 鑑定所は、討魔師協会の本部地下にあった。

 

 白い石造りの廊下。

 

 壁には銀で作られた聖句と、幾重もの結界術式。

 

 一歩進むごとに、肌の奥がぴりぴりと痛む。

 

 人間形態になっているため、銀へ直接触れなければ大きな影響はない。

 

 それでも気分のいい場所ではなかった。

 

 完全に吸血鬼を殺すための部屋じゃねえか。

 

 こんな場所へ八歳児を連れてくる人類側の倫理観はどうなっているんだ。

 

 いや。

 

 吸血鬼を疑われている時点で、年齢は関係ないのだろう。

 

 扉の前で討魔師が立ち止まる。

 

「こちらです」

 

 重い扉が開く。

 

 中には、すでに何人もの人間が待っていた。

 

 部屋の中央には白い鑑定台。

 

 その周囲を、見たこともない呪具が取り囲んでいる。

 

 銀の鏡。

 

 水晶の柱。

 

 針のついた腕輪。

 

 古びた十字架。

 

 黒い液体が入った透明な器。

 

 健康診断という言葉で誤魔化すには、少々物々しすぎる。

 

 奥には旭。

 

 その隣には鬼折。

 

 鬼折はオレの姿を見ると、獲物を見つけた獣のように目を細めた。

 

 その時点で帰りたくなった。

 

「来たか」

 

「逃げませんでしたよ」

 

「当たり前だ」

 

 鬼折が近づいてくる。

 

 月夜が自然にオレとの間へ入った。

 

「近い」

 

「鑑定するんだろうが」

 

「お前は鑑定官じゃない」

 

「傷を見てるだけだ」

 

 鬼折が横から手を伸ばす。

 

 狙いは、包帯の巻かれたオレの右腕。

 

 避けるより先に、手首をつかまれた。

 

「痛っ」

 

 思わず声が出る。

 

 その直後。

 

 乾いた音が鳴った。

 

 月夜の手が、鬼折の腕をつかんでいた。

 

「離せ」

 

「あ?」

 

「その手を離せ」

 

「触っただけだろ」

 

「怪我人だ」

 

「銀に焼かれた傷だ。吸血鬼なら、もっと残ってるはずだろ」

 

「鑑定官にやらせろ」

 

「てめえが隠してる可能性もある」

 

 鬼折の指に力が入る。

 

 包帯の下の傷が痛んだ。

 

 月夜の目が変わる。

 

「離せと言った」

 

 声は静かだった。

 

 だが、次の瞬間には鬼折の腕が強引に外されていた。

 

 月夜はオレを背後へ押しやる。

 

 鬼折は手首を振りながら笑う。

 

「随分と大事にしてんじゃねえか」

 

「黙れ」

 

「人間なんだろ、そいつ」

 

「そうだ」

 

「なら何を怖がってる」

 

 月夜が答えない。

 

 鬼折が一歩近づく。

 

「白だと信じてんなら、好きに調べさせりゃいい」

 

「お前に触らせる理由はない」

 

「黒だったとき、てめえがどうするか見ものだな」

 

 月夜の右手が、黒刀へ近づく。

 

 ほんのわずかな動き。

 

 だが鬼折はそれを見逃さなかった。

 

 口元が吊り上がる。

 

「やるか?」

 

「やめろ」

 

 旭の声が響いた。

 

 二人の動きが止まる。

 

「ここは鑑定所だ。戦闘を許可した覚えはない」

 

「こいつが先に――」

 

「鬼折」

 

 旭が名前を呼ぶ。

 

 それだけで鬼折は舌打ちし、数歩下がった。

 

「月夜」

 

「何だ」

 

「刀から手を離せ」

 

「……」

 

「命令だ」

 

 月夜は従わない。

 

 黒刀へ触れてはいない。

 

 だが、いつでも抜ける位置から手を動かさなかった。

 

「月夜さん」

 

 呼んでも反応しない。

 

 視線は旭へ向けられたままだ。

 

「黒だったら」

 

 月夜が言う。

 

「こいつをどうする」

 

 部屋の空気が静まる。

 

「結果が出る前の話をするな」

 

 旭の声は変わらない。

 

「結果が出てからじゃ遅い」

 

「何が遅い」

 

「斬るつもりだろ」

 

「規定に従って判断する」

 

「同じことだ」

 

「なら聞こう」

 

 旭が月夜を見る。

 

「お前はどうする」

 

「……」

 

「鑑定結果が黒だった場合、鑑定官を斬るのか」

 

 月夜は答えない。

 

「鬼折を斬るか」

 

 沈黙。

 

「私を斬るか」

 

 その問いにも、月夜は否定しなかった。

 

「リーシャを連れて逃げるのか」

 

「旭」

 

「追手も斬るか」

 

「それ以上言うな」

 

「答えろ」

 

 月夜の手が、黒刀の柄へ触れた。

 

 金属が小さく鳴る。

 

 周囲の鑑定官たちが息を呑んだ。

 

 クロエは動かない。

 

 鬼折だけが楽しそうに笑っている。

 

「ほらな」

 

 鬼折が言った。

 

「てめえも守るためなら斬る側だ」

 

「黙れ」

 

「何が違う?」

 

「お前と一緒にするな」

 

「同じだろうが」

 

 鬼折が自分の胸を指す。

 

「俺は人間を守るために鬼を斬る」

 

 次に月夜を指した。

 

「てめえはその餓鬼を守るために、人間を斬る」

 

「まだ何もしてない」

 

「俺が斬ってる鬼どもだって、斬る前は何もしてなかったかもしれねえ」

 

「……」

 

「それでも危険なら斬る。てめえも同じだ」

 

 月夜は何も言わない。

 

 その横顔を見て、ようやく気づいた。

 

 月夜は、本気だった。

 

 脅しではない。

 

 もしオレが吸血鬼だと判定されたら。

 

 鑑定官が処分を告げたら。

 

 鬼折が刀を抜いたら。

 

 月夜はここにいる全員を斬って、オレを連れて逃げるつもりでいる。

 

 なぜ。

 

 オレが亡くなった姉に似ているから?

 

 それとも三日前、地下で一緒に行動したから?

 

 分からない。

 

 分からないが。

 

 このままではいけない。

 

 月夜が刀を抜けば、もう戻れなくなる。

 

 十三戦鬼が人類側の本部で仲間へ刃を向ける。

 

 それは裏切りだ。

 

 月夜だけではない。

 

 孤児院も疑われる。

 

 クロエも。

 

 アギトも。

 

 カイも。

 

 全員が巻き込まれる。

 

 そもそも。

 

 月夜にそんなものを選ばせていいはずがない。

 

「月夜さん」

 

 返事はない。

 

 オレは外套の裾をつかんだ。

 

「離せ」

 

「嫌です」

 

「リーシャ」

 

「刀から手を離してください」

 

「お前には関係ない」

 

「私のことでしょう」

 

「俺が決める」

 

「勝手に決めないでください」

 

「うるさい。下がってろ」

 

 月夜がオレの手を外そうとする。

 

 オレはさらに強く外套をつかんだ。

 

「嫌です」

 

「何度も言わせるな」

 

「それはこっちの台詞です」

 

 月夜が初めてこちらを見た。

 

 苛立っているようにも見えた。

 

 困っているようにも見えた。

 

「私は逃げません」

 

「結果が出てない」

 

「だから受けます」

 

「黒だったらどうする」

 

 月夜の声が低くなる。

 

 オレは答えられなかった。

 

 本当に黒と判定されたら。

 

 その場で殺されるかもしれない。

 

 第六真祖の力を解放すれば、ここから逃げることはできる。

 

 だが、そうすればリーシャ・クーゲルシュタインが吸血鬼だったことが確定する。

 

 アギトの前へは、もう戻れない。

 

 人類領にもいられない。

 

 月夜も巻き込む。

 

 何を選んでも、何かを失う。

 

「答えられないだろ」

 

 月夜が言う。

 

「だったら俺が決める」

 

「だから嫌なんです」

 

「何が」

 

「私のために、月夜さんが悪い人になることが」

 

 口から出たのは、考えていた言葉ではなかった。

 

 月夜の目がわずかに見開かれる。

 

「私を守るために、誰かを斬らないでください」

 

「……」

 

「私のせいで、月夜さんが帰れなくなるのは嫌です」

 

「何を言ってる」

 

「旭さんも、鬼折さんも、鑑定官の人たちも」

 

 一人ずつ見る。

 

「誰も斬らないでください」

 

「黒だったら、お前が斬られる」

 

「まだ決まってません」

 

「決まってからじゃ遅い」

 

 さっき月夜が旭へ言った言葉。

 

 オレは首を横へ振る。

 

「決まってないのに、先に全部壊さないでください」

 

「……」

 

「私に選ばせてください」

 

「何を」

 

「検査を受けるかどうかです」

 

 月夜の手は、まだ黒刀の柄に乗っている。

 

「月夜さんが決めたら、私は月夜さんの後ろに隠れるだけになります」

 

「子供は隠れてろ」

 

「子供扱いしないでください」

 

「八歳だろ」

 

「それでもです」

 

「死ぬかもしれないんだぞ」

 

「月夜さんだって死ぬかもしれないでしょう」

 

「俺は死なない」

 

「何ですか、その根拠のない自信」

 

「お前より強い」

 

「それは知ってます」

 

 思わず、いつもの調子で返してしまう。

 

 月夜の眉が少しだけ動いた。

 

「でも」

 

 オレは外套をつかんだまま言う。

 

「強いからって、全部一人で決めていいわけではありません」

 

「……」

 

「私は検査を受けます」

 

「リーシャ」

 

「受けて、帰ります」

 

「白になる保証はない」

 

 ある。

 

 と言い切りたかった。

 

 だが、本当にそうなのかは分からない。

 

 それでも。

 

「私を信じてください」

 

 月夜は答えない。

 

 長い沈黙だった。

 

 やがて。

 

 黒刀の柄から、月夜の手が離れた。

 

 それを見て、部屋にいた何人かが小さく息を吐く。

 

 鬼折だけが、つまらなそうに鼻を鳴らした。

 

「甘えたこと言ってんな」

 

「黙れ」

 

 月夜が睨む。

 

 だが、もう刀へ手を戻すことはなかった。

 

 オレは外套から手を離す。

 

「……ありがとうございます」

 

「まだ許したわけじゃない」

 

「でも、止めませんよね」

 

「……」

 

「止めないでください」

 

 月夜は何も言わず、顔を背けた。

 

 クロエがオレのそばへ来る。

 

「リーシャ」

 

「はい」

 

「本当に大丈夫ですか」

 

「大丈夫です」

 

 クロエはオレの目をじっと見る。

 

 その笑顔からは、何も読み取れない。

 

「そうですか」

 

 ただ、それ以上は止めなかった。

 

 旭が鑑定官へ視線を送る。

 

「準備を進めろ」

 

「はっ」

 

 白い衣服を着た鑑定官たちが動き始める。

 

 銀の鏡が鑑定台の周囲へ並べられる。

 

 水晶へ淡い光が灯る。

 

 針のついた腕輪が運ばれてきた。

 

 改めて見ると、怖い。

 

 ものすごく怖い。

 

 これのどこが健康診断だ。

 

 健康な人間でも病気になりそうな光景じゃないか。

 

「対象者は鑑定台へ」

 

 鑑定官に促される。

 

 オレは一歩進んだ。

 

 足が少し震える。

 

 ばれたら終わり。

 

 今まで積み上げてきたものが、全部なくなる。

 

 アギトとの生活も。

 

 カイとのくだらない会話も。

 

 クロエのまずいスープも。

 

 月夜が何も言わず、廊下で守ってくれた三日間も。

 

 全部。

 

「リーシャ」

 

 後ろから呼ばれる。

 

 振り返ると、月夜が立っていた。

 

「何ですか」

 

「……」

 

 何かを言おうとして、やめたように見えた。

 

 代わりに月夜は、いつもの無愛想な顔で言う。

 

「俺の見えるところにいろ」

 

「鑑定台は目の前ですよ」

 

「そういう意味じゃない」

 

「じゃあ、どういう意味ですか」

 

「分からないならいい」

 

「説明が下手ですね」

 

「うるさい」

 

 その返事を聞いて、ほんの少しだけ笑えた。

 

 オレは鑑定台へ上がる。

 

 冷たい。

 

 銀で作られているのかと思ったが、触れても焼ける感覚はない。

 

 普通の石らしい。

 

 鑑定官がオレの両腕を台の上へ置く。

 

 包帯を外される。

 

 赤く焼けた傷が空気へ晒された。

 

 鬼折が目を細める。

 

 旭は表情を変えない。

 

 クロエは胸元で手を組んでいる。

 

 月夜だけが。

 

 いつでも動ける位置に立っていた。

 

 オレが黒だった場合。

 

 この男は、また刀を抜こうとする。

 

 そんな気がした。

 

 だから。

 

 絶対に白でなければならない。

 

 オレのためだけではなく。

 

 月夜に、何かを選ばせないために。

 

 鑑定官が最初の呪具を手に取る。

 

「これより、リーシャ・クーゲルシュタインの正式種族鑑定を開始します」

 

 銀の鏡が淡く輝く。

 

 部屋中の視線が、オレ一人へ集まった。

 

 逃げ出したい。

 

 泣きたい。

 

 今すぐ蠅になって、天井の隙間から逃げたい。

 

 だが。

 

 オレは両手を握りしめ、正面を向いた。

 

「始めてください」

 

 

 

 

 

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