【TS】主人公の両親を殺したラスボス吸血鬼ですが、彼の最後の家族をやってます。   作:サボテニウム

28 / 46
第28話 白

 

 

 

「始めてください」

 

 口にした途端、銀の鏡が強く輝いた。

 

 白い光がオレの全身を舐めるように走る。

 

 熱くはない。

 

 痛くもない。

 

 だが、身体の内側まで覗かれているような感覚がした。

 

 オレは鑑定台の上で、両手を固く握る。

 

 逃げるな。

 

 動くな。

 

 余計なことを考えるな。

 

 オレは人間だ。

 

 どこからどう見ても、ただの可憐な八歳児である。

 

 少なくとも今は。

 

「第一種族相、投影を開始します」

 

 鑑定官の声とともに、鏡の表面が水のように揺れた。

 

 そこへオレの姿が映し出される。

 

 銀色の髪。

 

 赤い瞳。

 

 白い肌。

 

 見慣れたリーシャ・クーゲルシュタインの姿だ。

 

 角もない。

 

 翼もない。

 

 全身を蠅で覆った化け物の姿でもない。

 

 普通の少女。

 

 いや、目の色だけなら吸血鬼らしく見えなくもないが、赤い目の人間など探せばいる。

 

 たぶん。

 

 いてくれ。

 

 鑑定官が鏡の周囲に浮かんだ文字を確認する。

 

「種族相に混濁なし」

 

 別の鑑定官が書板へ結果を記した。

 

「人間相です」

 

 白。

 

 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に詰まっていたものが少しだけほどけた。

 

 まだ最初の一つだ。

 

 安心するには早い。

 

 分かっている。

 

 それでも、黒と言われなかった。

 

 その事実だけで、止めていた息がわずかに漏れた。

 

 視界の端に月夜がいる。

 

 壁際に立ち、こちらを見ていた。

 

 表情は変わらない。

 

 右手も、絶影の柄へ置かれたままだ。

 

 まだ信じていないらしい。

 

 オレのことをではなく、この鑑定そのものを。

 

「次に、生命波形を測定します」

 

 水晶の柱が鑑定台の横へ運ばれてきた。

 

 透明な柱の内部には、淡い光の粒が雪のように舞っている。

 

 鑑定官がオレの胸元へ細い杖を向けると、水晶の中の光が一斉に動き始めた。

 

 規則正しく上下する。

 

 オレの心臓の動きに合わせているらしい。

 

 なるほど。

 

 魔術版の心電図みたいなものか。

 

 いや、待て。

 

 真祖の心臓って普通に動いているのか?

 

 そもそも吸血鬼の生命波形と人間の生命波形は何が違うんだ?

 

 設定資料集にそんな細かい話は載っていなかった。

 

 なんでプレイヤー向けの設定資料集には、ヒロインの胸囲は載っているのに生命波形は載ってないんだよ。

 

 今必要なのは圧倒的に後者だろうが。

 

 水晶の光が、次第に白い一本の線へ変わっていく。

 

 鑑定官がそれを慎重に確認した。

 

「脈動、体温、魂魄の定着、すべて人間域」

 

「異常なし」

 

 再び書板へ文字が記される。

 

 白。

 

 二つ目。

 

「続いて、魔力回路の構造を確認します」

 

 針のついた腕輪が運ばれてくる。

 

 見た瞬間、思わず身体を引きかけた。

 

「動かないでください」

 

「これ、刺すんですか?」

 

「表皮へ触れるだけです」

 

 鑑定官は平然と答えた。

 

 絶対に嘘だ。

 

 どう見ても刺すための形をしている。

 

 腕輪の内側には、銀色の針が何十本も並んでいる。

 

 拷問器具を医療器具と呼び張るのはやめてほしい。

 

「痛みはほとんどありません」

 

「ほとんど、ということは少しは痛いんですね」

 

「動かないでください」

 

 答えになっていない。

 

 鑑定官が腕輪をオレの左腕へ巻きつける。

 

 直後。

 

「痛っ」

 

 細い針が一斉に皮膚へ触れた。

 

 刺さないと言ったな。

 

 表皮へ触れるだけと言ったな。

 

 これは世間一般では刺さっていると言うんじゃないのか。

 

 文句を言おうとしたが、腕輪から流れ込んできた魔力に意識を奪われる。

 

 細い糸のような魔力が、皮膚の下へ染み込んでくる。

 

 腕から肩へ。

 

 肩から胸へ。

 

 そこから全身へ。

 

 オレの中にある魔力の通り道を、一つずつ確かめるように進んでいく。

 

 まずい。

 

 これ、本当にまずいやつでは?

 

 人間相になっているとはいえ、オレの本質は第六真祖だ。

 

 身体のどこかに、真祖の魔力回路が残っている可能性はある。

 

 もし、この腕輪がそこまで到達したら。

 

 右手が熱くなる。

 

 逃げろと、本能が訴えていた。

 

 今ならまだ間に合う。

 

 蠅へ変わり、天井へ逃げる。

 

 月夜が鬼折を止めている間に、本部を抜ける。

 

 その後のことは――。

 

「動くな」

 

 月夜の声がした。

 

 オレは顔を上げる。

 

 月夜は先ほどと同じ場所に立っている。

 

 ただ、まっすぐオレを見ていた。

 

「動いてませんよ」

 

「今、逃げようとしただろ」

 

「してません」

 

「顔に出てる」

 

「失礼ですね」

 

「嘘が下手なんだよ」

 

 何で分かるんだ。

 

 こいつ、読心術でも使えるのか?

 

 だが、月夜と話したおかげで、身体から余計な力が抜けた。

 

 逃げるな。

 

 オレがさっき、自分で決めたことだ。

 

 検査を受ける。

 

 受けて、帰る。

 

 アギトとカイのいる孤児院へ。

 

 腕輪へ目を戻す。

 

 針の根元に埋め込まれた小さな石が、一つずつ光り始めた。

 

 赤でもない。

 

 黒でもない。

 

 淡い白。

 

「魔力回路、単層循環型」

 

「異種回路の混在なし」

 

「人間の構造と一致します」

 

 白。

 

 三つ目。

 

 鑑定官が腕輪を外す。

 

 針の痕が、腕へ小さな赤い点となって残っていた。

 

 痛い。

 

 だが、オレの首はまだ胴体と繋がっている。

 

 安いものだ。

 

「次は銀への接触反応です」

 

 安くなかったかもしれない。

 

 鑑定官が銀の板を持ってきた。

 

 掌ほどの大きさで、表面には聖句が刻まれている。

 

 純銀。

 

 しかも、おそらく討魔師が吸血鬼を殺すために使うものと同じ純度だ。

 

「右手を出してください」

 

 オレは包帯を外された右腕を見る。

 

 銀に焼かれた傷が、まだ赤く残っている。

 

「怪我をしていない方の手でもいいですか?」

 

「左手で構いません」

 

 少しだけ安心した。

 

 オレは左手を差し出す。

 

 鑑定官が掌へ銀板を載せた。

 

 冷たい。

 

 それだけだった。

 

 皮膚が焼けることもない。

 

 煙も出ない。

 

 身体の中から力を奪われる感覚もなかった。

 

 人間形態になっているオレの身体は、銀を異物として認識していない。

 

 知識としては分かっていた。

 

 だが、実際に何も起きないのを見るまでは信じられなかった。

 

「発熱なし」

 

「皮膚変質なし」

 

「拒絶反応なし」

 

 鑑定官がオレの傷へ視線を向ける。

 

「右腕の負傷は、強い銀性魔力を受けたことによる魔力熱傷と考えられます。種族特有の拒絶反応ではありません」

 

 よく分からないが、人間でも強い銀の魔力を浴びれば火傷くらいはするらしい。

 

 ありがとう、人間の脆弱な身体。

 

 今回だけは心から感謝する。

 

「判定、人間」

 

 白。

 

 四つ目。

 

 これで終わりか。

 

 そう思ったオレは甘かった。

 

「次に、吸血衝動の誘発試験を行います」

 

「まだあるんですか?」

 

 思わず聞いてしまった。

 

 鑑定官がこちらを見る。

 

「正式鑑定ですので」

 

 いや多くない?

 

 健康診断でここまで調べないだろ。

 

 八歳児に何を求めてんだよ。

 

 黒い液体の入った透明な器が運ばれてくる。

 

 先ほどから気になっていたやつだ。

 

 蓋が厳重に閉じられ、器の周囲には何重にも封印札が巻かれている。

 

 見るからに危険物である。

 

「これから対象者の捕食衝動を一時的に刺激します」

 

「危険はないんですか?」

 

「人間にはありません」

 

 吸血鬼だった場合の話を聞いているんだが。

 

 鑑定官が封印札を一枚ずつ剥がしていく。

 

 最後に器の蓋をわずかに開いた。

 

 甘い匂いがした。

 

 花でも果実でもない。

 

 もっと生々しい匂い。

 

 温かい血。

 

 流れたばかりの、人間の血の匂いだ。

 

 喉の奥が小さく動いた。

 

 まずい。

 

 オレは反射的に唇を閉じる。

 

 人間形態では吸血衝動もほとんどなくなる。

 

 普段なら、血の匂いを嗅いでも食事とは思わない。

 

 だが、この黒い液体は単なる血ではない。

 

 吸血鬼の本能そのものを引きずり出す呪具だ。

 

 腹の奥で、何かが目を覚ましかけた。

 

 喉が渇く。

 

 黒い器の中身を見たい。

 

 蓋を開けて、顔を近づけたい。

 

 ほんの少しだけ。

 

 味見するだけなら――。

 

 違う。

 

 オレは人間だ。

 

 少なくとも、今は人間だ。

 

 爪を掌へ食い込ませる。

 

 痛みで意識を繋ぎ止める。

 

「反応は?」

 

 旭が尋ねた。

 

 鑑定官がオレではなく、器の側面を見ている。

 

 透明だった器の一部に、細い目盛りが浮かんでいた。

 

 針はまったく動いていない。

 

「捕食衝動の上昇なし」

 

「対象者の魂魄にも変化ありません」

 

「人間です」

 

 器の蓋が閉じられる。

 

 甘い匂いが消えた。

 

 オレは気づかれないように息を吐く。

 

 危なかった。

 

 いや、結果が白なら危なくはなかったのか?

 

 オレ自身は飲みたくなった気がするんだが。

 

 呪具が反応しなかったのなら、あれは単なる気のせいということにしておこう。

 

 白。

 

 五つ目。

 

「使役契約の痕跡を調べます」

 

 今度は古びた十字架が持ち上げられた。

 

 中央には小さな水晶が埋め込まれ、その周囲を細い鎖が囲んでいる。

 

「使役契約?」

 

「吸血鬼が人間へ偽装している場合、本体や眷属との間に魔力的な繋がりが残ります」

 

 なるほど。

 

 つまり、使い魔を使っている吸血鬼を見つける道具か。

 

 これも相当まずい。

 

 オレには無数の蠅の使い魔がいる。

 

 今も、遠く離れた場所にいる配下たちと繋がっている。

 

 人間形態になったからといって、その契約自体が消滅したわけではない。

 

 十字架の水晶が光る。

 

 細い鎖がひとりでに動き、オレの両手首へ巻きついた。

 

 冷たい魔力が流れ込んでくる。

 

 先ほどの腕輪よりも浅い。

 

 代わりに、身体の内側ではなく外側へ向かって広がっていく。

 

 オレと繋がっているものを探している。

 

 西へ向かった蠅。

 

 ヨコハマに残してきた配下。

 

 遠く離れた吸血鬼たち。

 

 それらへ伸びる糸の一本でも見つけられれば終わりだ。

 

 水晶の光が強くなる。

 

 鎖が小さく震える。

 

 オレは息を止めた。

 

 やがて。

 

 水晶の中に浮かんだ光が、そのまま消えた。

 

「外部契約なし」

 

「使役、被使役、眷属化、いずれの痕跡も確認できません」

 

 人間相になったオレと、吸血鬼としてのオレ。

 

 二つは同じ存在でありながら、魔術的には完全に切り離されている。

 

 人間のオレをいくら探っても、吸血鬼のオレへは辿り着けない。

 

 そういうことらしい。

 

「判定、人間」

 

 白。

 

 六つ目。

 

 鑑定官たちの空気が少しだけ緩んだ。

 

 書板へ結果を記していた男も、筆を置こうとしている。

 

 終わった。

 

 今度こそ終わった。

 

「最後に、原罪反応を確認します」

 

 終わっていなかった。

 

 部屋の奥から、円盤状の呪具が運び込まれる。

 

 黒い石で作られた円盤。

 

 その表面は七つに分かれ、それぞれに異なる紋章が刻まれている。

 

 見覚えがあった。

 

 原作で、真祖の力を判別するために使われていた呪具。

 

 七罪盤。

 

 七つの原罪へ反応し、真祖、あるいは真祖の血を濃く引く吸血鬼を見つけるためのものだ。

 

 そのうちの一つ。

 

 大きく口を開けた獣の紋章。

 

 暴食。

 

 第六真祖ベルゼブブを示す紋章だった。

 

 おい。

 

 これは聞いてないぞ。

 

 簡易鑑定なら問題ない。

 

 正式な種族判定も、おそらく突破できる。

 

 そう思っていた。

 

 だが、真祖の原罪そのものを探られるなんて、設定資料集のどこにも書いていなかった。

 

 いや、原作のリーシャはこの鑑定を受けていない。

 

 書かれていなくて当然だ。

 

 七罪盤が鑑定台の前へ置かれる。

 

 七つの紋章が、順番に淡く光った。

 

「両手を盤上へ」

 

 嫌です。

 

 心の中では即答した。

 

 だが、実際のオレはゆっくりと両手を伸ばす。

 

 逃げるな。

 

 ここまで来た。

 

 六つも白だった。

 

 きっと大丈夫だ。

 

 何の根拠もない言葉を、頭の中で何度も繰り返す。

 

 掌が黒い円盤へ触れた。

 

 冷たい。

 

 その直後、七罪盤の紋章が一斉に消えた。

 

 部屋が静まり返る。

 

 誰も声を出さない。

 

 鑑定官たちは、円盤を凝視している。

 

 鬼折も。

 

 旭も。

 

 クロエも。

 

 月夜も。

 

 オレは暴食の紋章から目を離せなかった。

 

 光るな。

 

 頼むから光るな。

 

 頼む。

 

 頼む。

 

 頼む。

 

 一秒。

 

 二秒。

 

 三秒。

 

 暴食の紋章は黒いままだった。

 

 ほかの六つも何も起こらない。

 

「原罪反応なし」

 

 鑑定官の声が、静かな部屋へ響いた。

 

「真祖因子、眷属因子ともに確認できません」

 

 書板を持った男が、最後の欄へ文字を記す。

 

「判定、人間」

 

 白。

 

 最後の一つも。

 

 白だった。

 

「以上をもって、正式種族鑑定を終了します」

 

 終わった。

 

 本当に。

 

 終わった。

 

 全身から力が抜ける。

 

 危うく鑑定台の上へ倒れそうになり、両手をついて身体を支えた。

 

 今すぐ寝転がりたい。

 

 それどころか三日くらい眠りたい。

 

 精神的な疲労なら、地下で鬼折に追い回されたときよりひどい。

 

「総合結果を報告します」

 

 主任らしい鑑定官が旭へ向き直る。

 

「リーシャ・クーゲルシュタインの肉体、魂魄、魔力回路、種族相、すべて人間のものと一致しました」

 

 旭は黙って聞いている。

 

「吸血鬼、およびその眷属であることを示す反応は一切ありません」

 

「結論は」

 

「人間です」

 

 その言葉が、部屋へ落ちた。

 

 誰もすぐには話さなかった。

 

 オレは視線だけを月夜へ向ける。

 

 月夜の顔はいつもと変わらない。

 

 だが。

 

 絶影の柄へ置かれていた右手が、ゆっくりと離れた。

 

 それだけだった。

 

 深く息を吐くわけでもない。

 

 笑うわけでもない。

 

 ただ、刀から手を離した。

 

 それを見て、胸の奥が少しだけ温かくなった。

 

「待て」

 

 鬼折が声を上げる。

 

 温かくなったものが一瞬で冷えた。

 

「まだ何かあるんですか」

 

 思わず口から出た。

 

 鬼折がこちらを見る。

 

「ずいぶん余裕じゃねえか」

 

「これ以上何を調べるのかと思っただけです」

 

「決まってんだろ。もう一度だ」

 

「すべての項目で人間判定が出ています」

 

 主任鑑定官が答える。

 

「使用した呪具にも異常はありません」

 

「全部同じ場所で管理してる道具だろうが」

 

 鬼折が七罪盤を顎で示す。

 

「誰かが細工してりゃ、全部まとめて白になる」

 

「鬼折」

 

 月夜の声が低くなる。

 

「鑑定を受けろと言ったのはお前だ」

 

「ああ」

 

「結果が出た」

 

「新しい道具の結果はな」

 

 鬼折は旭を見る。

 

「軍の倉庫に旧式の判別器が残ってるはずだ。管理系統も術式も違う」

 

「対象者はすでに七項目の鑑定を終えています」

 

 鑑定官が止めようとする。

 

「子供の身体へ、これ以上の負担をかけるべきではありません」

 

「人間なら死なねえ」

 

「鬼折」

 

 月夜の手が再び絶影へ近づく。

 

「それ以上やるなら、先に俺とやれ」

 

「またかよ」

 

 鬼折が楽しそうに笑った。

 

「てめえ、本当に分かりやすくなったな」

 

「月夜さん」

 

 オレは鑑定台の上から呼びかける。

 

「黙ってろ」

 

「嫌です」

 

「お前はもう終わった」

 

「もう一度受けます」

 

 月夜がこちらを見る。

 

「必要ない」

 

「ここで断ったら、鬼折さんは納得しません」

 

「こいつが納得する必要はない」

 

「でも、疑いは残ります」

 

 正式な記録が白でも、十三戦鬼の一人が黒だと言い続ければ意味がない。

 

 それなら。

 

 ここですべて終わらせた方がいい。

 

「大丈夫です」

 

「お前の大丈夫は信用してない」

 

 アギトと同じことを言われた。

 

 そんなに信用がないのか、オレ。

 

「今度は本当に大丈夫です」

 

「今度は、って言ったな」

 

「言葉の綾です」

 

「やめろ」

 

「受けます」

 

「リーシャ」

 

「私が決めたことです」

 

 自分のことを、誰かに勝手に決めさせたくない。

 

 その考えは今も変わっていなかった。

 

 月夜はしばらく黙っていた。

 

 やがて、苛立たしげに舌打ちする。

 

「一度だけだ」

 

「はい」

 

「異常が出たら即座に止める」

 

「分かりました」

 

「鬼折」

 

 月夜の視線が鬼折へ移る。

 

「これで最後だ」

 

「白ならな」

 

 それからしばらくして、旧式の軍用判別器が運び込まれた。

 

 新しい鑑定具よりも、さらに物々しい見た目をしている。

 

 円形に組まれた銀の枠。

 

 その内側に並ぶ十二本の聖杭。

 

 中央には黒ずんだ石板があり、人一人が立てる程度の空間しかない。

 

 どう見ても検査器具ではない。

 

 処刑台だ。

 

「これ、本当に鑑定用なんですか?」

 

「第三次吸血鬼大戦の初期に、前線で使用されていたものです」

 

 鑑定官が説明する。

 

「誤判定が多いため、現在は使用されていません」

 

「今、誤判定が多いと言いました?」

 

「黒を白と判定することはほとんどありません」

 

「逆は?」

 

 鑑定官が黙った。

 

 おい。

 

「人間を吸血鬼と判定することはあるんですか?」

 

「術式が古いため、まれに」

 

「まれにあるんですね?」

 

「入れ」

 

 鬼折が言う。

 

 こいつ、自分で入ってみろ。

 

 心の中で悪態をつきながら、銀の枠の中へ入る。

 

 月夜が枠のすぐ外に立った。

 

「近くないですか」

 

「異常が出たら壊す」

 

「判別器を?」

 

「全部だ」

 

 何を指して全部と言っているのか、あえて聞かないことにした。

 

 鑑定官が術式を起動する。

 

 十二本の聖杭から銀色の光が伸び、オレの身体を囲んだ。

 

 逃げ道を塞ぐように、光の柱が天井まで立ち上がる。

 

 中央の石板へ文字が浮かぶ。

 

 人間。

 

 吸血鬼。

 

 その二つだけ。

 

 新しい鑑定具のように細かく調べるものではない。

 

 目の前にいる存在が人間か。

 

 それ以外か。

 

 それだけを無理やり判別する、戦場用の道具。

 

 銀の光が身体へ食い込んでくる。

 

「うっ……」

 

 痛い。

 

 先ほどまでの検査とは比べものにならない。

 

 皮膚ではない。

 

 身体の内側から押し潰されるような痛み。

 

 人間形態の奥にある吸血鬼のオレを、力ずくで引きずり出そうとしている。

 

 視界が揺れる。

 

 膝が折れそうになる。

 

「止めろ」

 

 月夜の声がした。

 

「まだ判定が――」

 

「止めろと言った」

 

「待ってください」

 

 オレは光の中から声を出す。

 

「もう少しです」

 

「出ろ」

 

「嫌です」

 

「倒れるぞ」

 

「倒れてません」

 

 強がった直後、膝が揺れた。

 

 月夜の眉間に皺が寄る。

 

「今、倒れかけただろ」

 

「気のせいです」

 

「次に動いたら壊す」

 

「だから何をですか」

 

「全部だ」

 

 やっぱり聞かなくてよかった。

 

 石板の文字が激しく点滅する。

 

 人間。

 

 吸血鬼。

 

 二つの文字が交互に浮かび、消えていく。

 

 心臓が跳ねた。

 

 判別器が迷っている。

 

 人間相の下にあるものへ、気づきかけている。

 

 月夜の手が絶影の柄へ触れた。

 

 鬼折が腰を落とす。

 

 鑑定官たちが術式の周囲から離れる。

 

 旭だけが動かない。

 

 石板の光が強くなる。

 

 そして。

 

 一方の文字が消えた。

 

 残った文字は。

 

『人間』

 

 銀色の光が消える。

 

 解放された瞬間、身体から力が抜けた。

 

 前へ倒れかけたオレを、月夜が片腕で受け止める。

 

「大丈夫か」

 

「大丈夫です」

 

「信用できない」

 

「今日はよく言われますね、それ」

 

 月夜は返事をせず、オレを銀の枠から引きずり出した。

 

 主任鑑定官が石板を確認する。

 

「旧式軍用判別器による結果も、人間です」

 

 誰も反論しなかった。

 

 反論できなかった。

 

 新式の正式鑑定。

 

 旧式の軍用判別。

 

 異なる二つの術式が、同じ答えを出した。

 

 鬼折は石板を睨んでいた。

 

 しばらくして、大きく舌打ちする。

 

「白なら、今日は斬らねえ」

 

「最初から斬るなよ」

 

 月夜が吐き捨てる。

 

「今日は、だ」

 

 鬼折がオレを見る。

 

 鋭い目。

 

 それでも、刀へ手を伸ばすことはなかった。

 

「次に鬼の側で見つけたら、判定を待つとは思うな」

 

「次はありません」

 

「どうだかな」

 

 鬼折は背を向ける。

 

 扉の前で一度だけ足を止めた。

 

「餓鬼」

 

「何ですか」

 

「白なら白らしく生きろ」

 

 それだけ言い残し、部屋を出ていった。

 

 何様だ。

 

 そう思ったが、口には出さなかった。

 

 鬼折なりに、判定を受け入れたということなのだろう。

 

 たぶん。

 

 あれで。

 

 オレは月夜から身体を離す。

 

 まだ少し足元がふらついたが、一人で立てないほどではない。

 

「私が人間で安心しました?」

 

 月夜を見上げて聞く。

 

「別に」

 

「さっきまで全員斬りそうな顔をしてましたけど」

 

「元からこういう顔だ」

 

「怖い顔ですね」

 

「お前に言われたくない」

 

「私は可愛いですよ」

 

「自分で言うな」

 

 月夜が絶影から完全に手を離す。

 

 その手が二度と柄へ戻らないことを確認してから、オレは小さく息を吐いた。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 すべての検査が終わると、クロエがオレの右腕へ新しい包帯を巻いてくれた。

 

「痛みますか?」

 

「少しだけです」

 

「無理をしてはいけませんよ」

 

「はい」

 

「リーシャの『はい』は、あまり信用できませんね」

 

「クロエさんまで……」

 

 いつの間に、オレはここまで信用を失ったのだろう。

 

 周囲では、鑑定官たちが呪具を片づけている。

 

 七罪盤も。

 

 銀の鏡も。

 

 オレを散々痛めつけた針つきの腕輪も、箱の中へ収められていく。

 

 旭は事務官から鑑定記録を受け取り、最初から最後まで読み返していた。

 

 月夜はその横で、主任鑑定官を呼び止める。

 

「一つ聞く」

 

「何でしょうか」

 

「血縁関係を調べる術式はあるか」

 

 クロエの手が、ほんの一瞬だけ止まった。

 

 すぐに包帯を巻き直し始めたので、見間違いかもしれない。

 

 主任鑑定官は月夜を見る。

 

「どの程度の血縁でしょうか」

 

「親子だ」

 

 誰と誰の話だ?

 

 オレは月夜の横顔を見る。

 

 月夜はオレを見ていない。

 

「死んだ人間の髪が残っている。それと、生きている人間が親子かどうか調べられるか」

 

「難しいでしょう」

 

「できないのか」

 

「血縁者同士の魔力が似ることはあります。しかし、それをもって親子であるとは断定できません」

 

 鑑定官が片づけられていく呪具へ目を向ける。

 

「魔力の性質は、長期間の契約や師弟関係、同じ土地で暮らした者同士でも似ることがあります」

 

「髪や血は?」

 

「身体から切り離された時点で、魔力的な性質が変質します。保存状態が良くても、比較できるのはごく一部です」

 

「親子でも分からないのか」

 

「少なくとも、正式な証明としては使えません」

 

 月夜は黙った。

 

 その表情からは、何を考えているのか分からない。

 

 誰の髪が残っているのだろう。

 

 オレと誰かが親子かもしれないと疑っているのか。

 

 以前も、月夜はオレの母親について妙に詳しく聞いてきた。

 

 誕生日。

 

 年齢。

 

 出身。

 

 母親の名前。

 

 もしかすると、オレの本当の家族に心当たりがあるのだろうか。

 

「何の話ですか?」

 

 オレが聞くと、月夜はこちらを見た。

 

「お前には関係ない」

 

「私と誰かの血縁を調べようとしてませんでした?」

 

「聞き間違いだ」

 

「親子ってはっきり言ってましたよね」

 

「忘れろ」

 

「無理ですよ」

 

「なら勝手に考えてろ」

 

 月夜はそれ以上答えなかった。

 

 相変わらず説明が足りない。

 

 だが、無理に聞いても答える男ではないことは分かっている。

 

 いつか話すつもりがあるのか。

 

 それとも、永遠に黙っているつもりなのか。

 

 今のオレには判断できなかった。

 

「鬼龍院月夜」

 

 旭が鑑定記録から顔を上げた。

 

「西トウキョウ旧連絡路における独断行動について、処分を通達する」

 

 月夜が面倒そうに振り返る。

 

「今やるのか」

 

「今だからだ」

 

 旭は事務官から別の書類を受け取る。

 

「命令を無視した追跡行動。敵性吸血鬼への追撃妨害。現場指揮系統の混乱。いずれも看過できない」

 

「救出対象は全員連れ帰った」

 

「結果の話はしていない」

 

「なら好きにしろ」

 

「一か月間、本部への出頭を停止する」

 

 謹慎。

 

 十三戦鬼に対する処分として重いのか軽いのか、オレには分からない。

 

「期間中は、セントテレジア孤児院付属宿舎で待機しろ」

 

 ん?

 

 孤児院?

 

「また、リーシャ・クーゲルシュタインについては、吸血鬼との接触経緯に不明な点が残っている」

 

 旭の視線がオレへ向けられる。

 

 冷たい目。

 

 表情からは、何の感情も読み取れない。

 

「正式鑑定によって人間であることは証明された。よって、拘束および追加の尋問は行わない」

 

 まずは安心した。

 

「ただし、当面の間は行動記録を提出させる」

 

「監視を続けるということですか?」

 

「そうだ」

 

 やっぱり終わっていなかった。

 

 オレの自由はどこへ消えたんだ。

 

「監視役は鬼龍院月夜とする」

 

 オレと月夜が同時に旭を見る。

 

「俺に監視しろってことか」

 

「そう理解して構わない」

 

「それのどこが謹慎だ」

 

「本部への出頭は禁止している」

 

「仕事をさせてるだろ」

 

「お前が監視対象から離れない以上、ほかの者を置く方が非効率だ」

 

 正論のようで、何かがおかしい。

 

 月夜を処分すると言いながら、孤児院へ置く。

 

 オレを監視すると言いながら、監視役はオレを守るために全員斬ろうとした月夜。

 

 これでは罰というより。

 

 月夜を本部から遠ざけたうえで、オレのそばに置くための命令に見える。

 

 考えすぎだろうか。

 

 旭がそんな回りくどいことをする理由は分からない。

 

「異議は」

 

「ある」

 

「却下する」

 

「なら聞くな」

 

「形式上必要だ」

 

 月夜は露骨に嫌そうな顔をした。

 

 だが、命令を拒否するとは言わなかった。

 

 旭は次にオレを見る。

 

「リーシャ・クーゲルシュタイン」

 

「はい」

 

「本日の鑑定結果は、討魔師協会の正式記録として保管される」

 

 旭が鑑定書の最後へ署名する。

 

 紙の下部へ、協会の印章が押された。

 

 白い紙へ、赤い印が残る。

 

「以後、正当な根拠なくお前を吸血鬼として拘束、処分することは認めない」

 

「……はい」

 

 その言葉の意味が、すぐには理解できなかった。

 

 鑑定を受ける前まで。

 

 オレが人間であるという事実は、オレ自身がついた嘘でしかなかった。

 

 アギトへついた嘘。

 

 カイへついた嘘。

 

 クロエへ。

 

 月夜へ。

 

 孤児院にいるすべての人間へついた、大きな嘘。

 

 だが、今。

 

 その嘘へ、人類側の最高機関が印を押した。

 

 リーシャ・クーゲルシュタインは人間である。

 

 それが正式な記録になった。

 

 オレの言葉ではない。

 

 国が認めた事実として。

 

「帰るぞ」

 

 月夜が言う。

 

「もう帰っていいんですか?」

 

「ここに残りたいのか」

 

「帰ります」

 

 即答した。

 

 今頃、アギトは孤児院の入口を何度も確認しているだろう。

 

 カイも、何も言わず窓から外を見ているかもしれない。

 

 帰ったら、何と説明すればいいのだろう。

 

 大丈夫だった。

 

 何も問題はなかった。

 

 やっぱり私は人間だった。

 

 そのすべてが正しくて。

 

 そのすべてが嘘だった。

 

 クロエに手を引かれ、オレは鑑定室を出る。

 

 月夜がすぐ後ろを歩く。

 

 旭は残された書類を読んでいた。

 

 最後まで、こちらを見ることはなかった。

 

 重い扉が閉じる。

 

 こうしてリーシャ・クーゲルシュタインは、正式に人間となった。

 

 本当は吸血鬼であるオレの嘘が。

 

 初めて、この国の真実になった。

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。