【TS】主人公の両親を殺したラスボス吸血鬼ですが、彼の最後の家族をやってます。 作:サボテニウム
オレとアギトがトウキョウエリアへ逃れてから、一年が過ぎた。
親を失った子供たちは孤児院へ預けられ、集団生活を送ることになった。
ヨコハマエリアと違い、トウキョウにはそれなりの食料と物資が備蓄されていたらしい。
しかし、押し寄せた避難民の数は、人類側の想定を大きく上回っていた。
ほどなくして食料は配給制となり、オレたちに与えられる一日の食事も、干からびたパンと、正体不明の穀物を煮込んだスープが中心になった。
戦時中なのだから、贅沢は言えない。
それは分かっている。
分かってはいるのだが――。
「また今日も、このスープか……」
アギトがげんなりと呟いた。
木製の匙ですくったスープを、嫌そうに口へ運ぶ。
「アギト、これ嫌い?」
「……ああ。いろんな味が混ざってて、何食ってるのか分からねえ」
奇遇だな。
オレも分からない。
見た目は薄茶色。
食感はどろどろ。
味は苦いような酸っぱいような、それでいて妙に生臭い。
料理というより、厨房に残っていた食材同士が鍋の中で不幸な事故を起こした結果に近かった。
ぶっちゃけ、すげえまずい。
それでもアギトは、不満を口にしながら最後の一滴まできちんと飲み干した。
討魔師になるには、しっかり食べて身体を作らなければならないらしい。
まだ八歳のくせに、妙なところで真面目なやつだった。
「これ食ったら掃除か……やだなあ」
「仕事だから仕方ないよ。私たち、タダで住ませてもらってるんだし」
「分かってるけどよ」
孤児院での生活は、衣食住が保障されている代わりに、自分たちのことは可能な限り自分たちで行う決まりになっていた。
掃除。
洗濯。
料理の手伝い。
建物の修繕。
朝食が終わると、院内で最年長の孤児がそれぞれに仕事を割り振り、一日が始まる。
住む場所と食事が与えられるだけありがたい。
そう考えれば筋は通っている。
ただ、七歳児へ建物の修繕まで任せるのは、少々筋を通しすぎではないだろうか。
日曜日だけは安息日とされ、こうした仕事から解放される。
その代わり、シスターたちが読み書きや算数を教えてくれるので、孤児たちは競うように勉強へ参加していた。
教育というものは、毎日受けられるうちは面倒に感じるのに、取り上げられた途端に欲しくなるらしい。
人間は、失ってから価値に気づく生き物なのだ。
家族も。
平和も。
学校も。
そして、まともな味のスープも。
「なあ、リーシャ」
アギトが周囲を気にしながら、小声で話しかけてきた。
「今日も、その……勉強、頼めるか?」
「うん。いいよ」
「ほんとか?」
「昨日の続きでしょ。ちゃんと覚えてるよ」
アギトは勉強をしたがっていた。
だが、シスターたちが優先して教えるのは年長の孤児たちで、オレたち年少組まで順番が回ってくることはほとんどない。
それを悔しがるアギトが少し不憫で、オレは毎晩、皆が寝静まってから読み書きや算数を教えていた。
紙も明かりも満足に使えないため、同じ布団へ潜り込み、小声での授業である。
本来ならば、将来自分を殺すかもしれない相手を賢くするなど、敵へ塩を送るにもほどがある。
とはいえ、原作でもリーシャはアギトへ勉強を教えていた。
ならば、ここでのオレの仕事も同じだ。
できる限り原作どおりに行動し、未来の展開を知っているという優位を失わない。
それが、この世界で生き残るための最も確実な方法である。
たぶん。
原作知識を頼りにしている人間が、原作を自分で壊してしまっては笑えない。
アギトを始末するにしても、もう少し後でいいだろう。
少なくとも、今日の算数を教えてからでも遅くはない。
◇ ◇ ◇
朝食を終えたオレとアギトは、汚れた布を一枚ずつ渡され、大聖堂の清掃班へ組み込まれた。
その日の班を仕切るのは、矢原という十六歳の少年だった。
孤児たちの中では年長者で、体格も大きい。
そして、なぜかアギトとは恐ろしく仲が悪かった。
アギトは清掃班の担当が矢原だと知った途端、分かりやすく顔をしかめた。
「おい、アギト」
矢原がその表情を見逃すはずもなかった。
「なんだよ、その顔は。不満でもあんのか?」
「……別に」
アギトは矢原を見ようともせず、手にした布を広げる。
「いいから、さっさと始めようぜ。お互い時間を無駄にしたくないだろ」
「なんだ、その言い方は!」
矢原の顔が一気に険しくなった。
「生意気なんだよ、てめえ!」
胸ぐらへ伸ばされた手が、アギトの服をつかむ。
アギトも負けじと矢原の腕を払いのけようとした。
このままでは、掃除を始める前に床へ新しい汚れが増える。
「やめてください」
オレは二人の間へ割って入った。
「アギトから手を離してください」
「なんだよ、リーシャ」
矢原がオレを睨む。
「お前もアギトの味方をするなら、容赦しねえぞ?」
「どちらの味方という話ではありません」
矢原の手からアギトの服を外しながら、廊下の方へ目を向ける。
「そろそろシスターが見回りに来ます」
「だから何だよ」
「先輩も、暴力を振るっているところを見つかって、また懺悔室へ入れられたくはないでしょう?」
「…………」
矢原の顔から、さっと血の気が引いた。
その反応を見るに、懺悔室ではよほどありがたい説教を受けたらしい。
矢原は慌ててアギトから手を離した。
その数十秒後。
硬い靴音を響かせながら、シスタークロエが廊下の奥から姿を現した。
「何か……揉め事ですか?」
柔らかな声だった。
笑顔も、いつもと変わらない。
それなのに矢原は、蛇に睨まれた蛙のように動かなくなった。
「いえ」
オレは何事もなかったように答える。
「特に問題はありません」
「……そうですか」
クロエはオレたち三人を順番に見た。
最後に矢原の乱れた服と、アギトの胸元へ視線を落としたが、それ以上は何も言わなかった。
「では、引き続きお掃除をお願いしますね」
「はい」
オレが返事をすると、クロエは小さくうなずき、再び廊下を歩いていった。
金色の髪。
青い瞳。
穏やかな笑顔。
修道服の上からでも分かるほど豊かな胸。
どこからどう見ても、優しく包容力のあるシスターである。
ただし、原作をプレイしたオレは知っていた。
あの人は、やばい。
シスタークロエは、表向きこそ孤児院に勤める修道女だが、その正体は人類側でも選りすぐりのSランク討魔師。
この国に十三人しかいない、十三戦鬼の一人である。
十三戦鬼。
過去に、真祖を除く上級吸血鬼を単独で討伐した者へ与えられる称号だ。
要するに、滅茶苦茶強い。
原作では、リーシャの側近であるバフォメットと互角に戦っていた。
二メートルを超える黒山羊の筋肉だるまと、あの華奢なシスターが、である。
しかも武器はモーニングスター。
朝の星などという爽やかな名前に反し、実物は鎖の先に鉄球をつけた殺意の塊だった。
あの細腕で、それをぶんぶん振り回す。
そりゃ矢原も黙る。
オレだって黙る。
幸い、クロエはオレの正体に気づいていない。
いまのところ、彼女はオレたちを守ってくれる頼もしい味方だ。
いずれ敵に回すことを考えると、実に惜しい人材である。
◇ ◇ ◇
掃除を終えると、アギトがどこか恨みがましい顔で近づいてきた。
「……余計なことすんなよ、リーシャ」
「何が?」
「お前が間に入らなきゃ、矢原のやつをボコボコにできたのによ」
「駄目だよ。暴力は」
「ちぇ。真面目かよ」
「アギトが懺悔室に入れられたら、今夜の勉強はなしになるけど」
「それは困る」
即答だった。
吸血鬼への復讐より、今夜の勉強を選んだらしい。
知識欲の強い主人公で何よりである。
アギトはそっぽを向く。
それから少しだけ鼻をすすり、聞き逃しそうなほど小さな声で言った。
「……でも、ありがとよ」
「うん」
オレは、それ以上からかわなかった。
からかえば、礼を言ったこと自体をなかったことにされそうだったからだ。