【TS】主人公の両親を殺したラスボス吸血鬼ですが、彼の最後の家族をやってます。 作:サボテニウム
西暦二〇五六年。
人類の敗北から、六年。
パリは、再び燃えていた。
夜空を赤く染めているのは、朝焼けではない。
砲撃によって燃え上がった市街地。
崩れた家屋から噴き出す炎。
そして、街の東側を覆う赤黒い魔力の光だった。
かつて欧州における人類側の一大拠点だった都市は、第一真祖直属軍――明けの明星の攻勢によって、陥落寸前まで追い詰められている。
石畳を、避難民の列が埋め尽くしていた。
泣き叫ぶ子供。
足を引きずる負傷者。
家族の名を呼びながら、何度も後ろを振り返る者。
誰もが、何かを置き去りにしている。
家を。
友を。
昨日までの暮らしを。
それでも、足を止めることだけは許されなかった。
「第三班! 橋の手前で列を詰まらせるな!」
銃声と悲鳴を切り裂いて、男の怒号が響く。
「動ける負傷者は子供を背負え! 荷物は捨てろ! 命より高い荷物があるなら、俺があとで買い取ってやる!」
避難民の最後尾。
燃え落ちる市街地と、セーヌ川へ架かる最後の橋との間に、一人の男が立っていた。
氷室宗一郎。
十三戦鬼の一人。
肩から腰へ走った傷は深い。
左腕は折れ、力なく垂れ下がっている。
脇腹から流れる血は、すでに軍服の半分を黒く染めていた。
それでも、その声には微塵も弱った様子がない。
「氷室隊長!」
若い討魔師が駆け寄ってくる。
「東側の防衛線が突破されました! 敵の先鋒が、あと二分ほどで到達します!」
「二分か」
宗一郎は燃え上がる市街地を眺め、顎を撫でた。
「もう少しゆっくり来てくれりゃ、茶の一杯くらい出してやったんだがな」
「冗談を言っている場合ですか!」
「怒るな怒るな。こういうときに冗談も言えない隊長は、部下を余計に怖がらせる」
宗一郎の指先が、戦場をなぞる。
橋を渡り終えていない避難民の数。
敵が姿を現す路地。
風向き。
川の流れ。
崩落させるべき建物。
橋脚を落とす順序。
残存魔力。
視線を一度動かしただけで、必要な情報を拾い上げていく。
「第五班を北の路地へ回せ。敵を倒す必要はない。左右の建物を落として道を塞げ」
「敵を残すのですか?」
「今必要なのは死体の数じゃない。時間だ」
宗一郎は若い討魔師の肩を叩く。
「二分稼げ。全員、生きて橋を渡れ」
「氷室隊長は、どうなさるのです」
「俺は三分稼いでから帰る」
「また、そのようなことを」
「心配するな」
宗一郎は白い歯を見せた。
「家に無愛想な倅を一人置いてきてる。親父が土産話もなしに帰らなかったら、教育に悪いだろうが」
「……ご子息は、隊長の帰りを待っておられるのですか」
「いや。たぶん今頃、普通に寝てる」
「氷室隊長!」
「冗談だ」
笑みを残したまま、宗一郎の目だけが変わる。
「行け」
若い討魔師は反射的に背筋を伸ばした。
「ここは俺が預かる。橋を渡ったら、後ろを見るな」
「……ご武運を」
「帰ったら酒を奢れ」
「必ず」
「安酒だったら凍らせるからな」
若い討魔師が走り去る。
その背中が避難民の列へ紛れた瞬間、宗一郎の笑みが消えた。
敵の数。
自軍の残存戦力。
橋を落とすまでの時間。
生還できる確率。
すべてを、もう一度だけ計算する。
「さて」
宗一郎は石畳へ片膝をついた。
「格好いいところを見せる相手が、誰も残ってないのが残念だ」
右掌を地面へ押し当てる。
白い冷気が、指の隙間から溢れた。
瞬間。
街が凍った。
石畳を走った氷が、路地へ迫っていた吸血鬼たちの足を呑み込む。
壁を這い上がり。
窓を塞ぎ。
街灯を、馬車を、瓦礫を巻き込みながら、巨大な氷壁となって街路を封鎖する。
「――《氷獄》」
宗一郎が拳を握る。
氷壁の内側から、無数の氷柱が突き出した。
吸血鬼たちの身体が、次々と貫かれる。
悲鳴。
血飛沫。
砕ける石。
そのすべてが、白い冷気の中で静止していく。
宗一郎は倒した敵を確認しない。
視線はすでに、次の路地へ向いていた。
「右から十二。屋根に四。地下に――三か」
足元へ影が伸びた。
宗一郎は振り返らず、右手を払う。
背後へ回り込んでいた吸血鬼の喉が、石畳から生えた氷刃によって切断された。
「隠れるなら呼吸を止めろ。雪山じゃ初歩だぞ」
敵が倒れるより早く、宗一郎は次の術式を放つ。
凍結した建物の壁面が崩れ落ち、路地を埋めた。
明けの明星の進軍が再び止まる。
宗一郎は脇腹へ手を当てた。
流れ続けていた血を、傷口ごと凍結させる。
「あと一分」
橋を見る。
まだ十数人が残っている。
追撃部隊は想定より速い。
ならば、予定を変える。
「最後尾!」
橋の向こうへ声を飛ばした。
「走れ! 三十数える前に橋を落とす!」
負傷者を支えていた討魔師が振り返る。
「まだ氷室隊長が!」
「十三戦鬼を舐めるな!」
宗一郎は笑った。
「セーヌ川くらい、凍らせて渡る!」
最後の避難民が橋を渡り切る。
討魔師が対岸へ飛び込むように辿り着いた。
宗一郎は橋脚へ右手を向けた。
セーヌ川の水面が白く染まる。
冷気が水中を走り、石と鉄で組まれた橋脚を内側から凍結させていく。
「伏せろ!」
指を鳴らした。
凍りついた橋脚が、一斉に砕ける。
轟音。
巨大な橋が中央から崩落し、川へ沈んだ。
水柱が夜空へ立ち上る。
市街地と避難民が、完全に切り離された。
これで、数千人が逃げ切った。
宗一郎は対岸へ消えていく人影を確認し、短く息を吐く。
「一分余ったな」
自分も帰る。
そのつもりだった。
パリに残された経路は、橋だけではない。
北西の地下水路。
崩れた鐘楼の地下に残る保守通路。
魔力さえ保てば、宣言どおりセーヌ川を凍らせることもできる。
生還の可能性は低い。
だが、ゼロではない。
氷室宗一郎は、可能性がゼロにならない限り、生き延びる手段を探す男だった。
そのとき。
拍手が聞こえた。
一度。
また一度。
急かすこともなく。
感動することもなく。
出来のよい余興を褒めるような、ゆっくりとした拍手だった。
宗一郎が振り返る。
凍りついた街路の奥から、明けの明星の兵士たちが姿を現した。
十人。
五十人。
百人。
だが、誰一人として宗一郎へ襲いかからない。
赤黒い軍装に身を包んだ吸血鬼たちは、道の両側へ分かれていく。
頭を垂れ。
息を潜め。
王の進む道を空ける。
その中央を、一人の男が歩いてきた。
武器はない。
防具もない。
炎と瓦礫の中を進んできたはずなのに、衣服には煤一つついていなかった。
無防備。
そう見える。
だが宗一郎は、右手を構えたまま一歩も動かなかった。
背筋を伝う冷たさは、自らの魔術によるものではない。
対峙した瞬間に理解する。
勝てるか、勝てないかではない。
生き物として立っている場所が違う。
「見事であった」
男が告げる。
低く、静かな声だった。
「螻蟻にしては、よく足掻いた」
「お褒めにあずかり光栄だ」
宗一郎は肩をすくめる。
「王様直々のお出迎えとは、随分と手厚いな」
「思い上がるな」
男の視線が、宗一郎をなぞった。
「珍しい芸を見たゆえ、足を止めただけだ」
周囲の兵士たちは、男の顔を見ることさえしない。
第一真祖ベリアル。
七人の真祖の頂点に立つ吸血鬼。
明けの明星を率いる王。
ベリアルは崩落した橋へ目を向ける。
「数千の螻蟻を逃がすため、一匹だけ残ったか」
「勝手に一匹と数えるな」
宗一郎は傷口から落ちかけた血を、皮膚ごと凍らせた。
「俺はまだ帰る途中だ」
「戯けたことを」
ベリアルが宗一郎へ視線を戻す。
「我が前に立ちながら、己に帰路が残されていると思うたか」
「帰り道ってのは、自分で作るもんだ」
宗一郎は腰を落とす。
「王様なら、道を空けるくらいの度量を見せろ」
ベリアルの口元に、冷たい笑みが浮かんだ。
「凡骨の分際で、我に度量を説くか」
「説教は無料だ。聞くだけ聞いておけ」
「痴れ者が」
ベリアルは歩みを止めない。
「我に届いてみせよ、凡骨」
◇ ◇ ◇
宗一郎が地面を蹴った。
石畳が砕ける。
一息で間合いを潰し、右手に形成した氷剣をベリアルの首へ振り抜く。
刃が届く直前。
黒い炎が灯った。
赤ではない。
熱によって揺らめくこともない。
光さえ呑み込みながら、闇そのものが燃えている。
暗黒の炎。
氷剣が触れる。
溶けない。
砕けない。
ただ、その部分だけが消えた。
宗一郎は即座に剣を捨て、後方へ跳ぶ。
「焼くんじゃない。触れた術式そのものを食ってやがる」
一度見ただけで、能力の性質を切り分ける。
同じ攻撃は二度使わない。
宗一郎が右手を振る。
街路の両側に残されていた水道管が破裂した。
噴き出した水が瞬時に凍り、無数の細い氷線となってベリアルを取り囲む。
倒すための攻撃ではない。
暗黒の炎が展開する速度。
干渉可能な範囲。
反応の遅れる方向。
それらを測るための探針だった。
黒炎が広がる。
氷線が次々と消えていく。
宗一郎は、その順序を見ていた。
「右後ろが遅い」
氷線を踏み台にして宙へ跳ぶ。
ベリアルの死角。
黒炎の展開が最も遅れた位置へ回り込み、氷槍を放つ。
だが、ベリアルは振り向かなかった。
街路へ転がっていた死体から、血が浮かび上がる。
一滴。
また一滴。
人間の死体から。
吸血鬼の死体から。
敵も味方も区別なく、流れ出していた血が空中へ集まっていく。
無数の槍へ形を変えた。
ベリアルが指を動かす。
血槍が放たれた。
氷槍と衝突する。
双方が砕けた。
散った血は、地面へ落ちる前に細い鎖へ変わる。
「趣味の悪い王様だ」
宗一郎は身を捻り、二本をかわす。
三本目が頬を裂いた。
傷から滲んだ血が、空中へ引き抜かれようと浮かび上がる。
宗一郎は即座に自分の頬を凍結させた。
「死体が弾倉で、傷口が銃口か」
指を鳴らす。
街路に倒れていた死体が、一斉に白く凍りついた。
皮膚だけではない。
流れ出した血も。
瓦礫の隙間も。
服へ染み込んだ一滴に至るまで。
浮かび上がりかけていた血が、動きを止める。
「悪いな」
宗一郎が笑った。
「初見殺しは一回までって決めてるんだ」
ベリアルの眉が、ごくわずかに動いた。
「ほう」
「王様でも感心することがあるらしい」
「己の浅知恵を誇るな、凡骨」
ベリアルが片手を上げる。
宗一郎の身体が警告を発した。
反射的に飛び退く。
直前まで立っていた場所を、赤い槍が貫いた。
死体から引き出された血ではない。
宗一郎自身の脇腹。
凍結した傷口を内側から破り、血が引きずり出されていた。
「我が支配する血に、生死の別などない」
ベリアルが指を曲げる。
宗一郎の体内で、血が逆流した。
「がっ……!」
心臓が大きく跳ねる。
宗一郎は迷わない。
自らの胸を叩き、心臓の周囲だけを凍結させる。
血流を強制的に抑え込んだ。
身体を壊しかねない荒技。
それでも、膝はつかない。
「自らの心臓まで凍らせるか」
「長生きの秘訣は、健康診断と早めの治療だ」
宗一郎は口元の血を拭う。
「医者には見せられんがな」
軽口を叩きながら、目は笑っていない。
死体からの血液操作。
生体への干渉。
暗黒の炎。
再生能力。
現時点で、明確な隙はない。
ならば、作るしかない。
宗一郎が両手を広げた。
パリの気温が、一気に下がる。
セーヌ川の水面が凍り始める。
燃えていた家屋の炎が小さくなり、空気中の水分が白い霧へ変わった。
濃霧が街路を包み込む。
視界が消える。
魔力の気配さえ、無数の氷片へ分散された。
「目眩ましか」
ベリアルの声が、霧の向こうから響く。
「逃げるためじゃない」
宗一郎の声は、別方向から聞こえた。
「お前に探させるためだ」
氷の像が、濃霧の中へ次々と立ち上がる。
十。
二十。
五十。
宗一郎と同じ姿。
同じ体温。
同じ魔力反応。
血の匂いまで、氷の内部へ閉じ込めてある。
暗黒の炎が走った。
氷像の一体が消える。
次。
また次。
そのたびに、黒炎の軌道が白い霜となって浮かび上がる。
宗一郎は攻撃していない。
ベリアルへ力を使わせ、その癖を見ている。
濃霧の中。
宗一郎は地面へ横たわる血の鎖へ、そっと手を触れた。
凍結。
血の鎖の内部を氷が走る。
鎖から血槍へ。
血槍から石畳へ。
そして、ベリアルの足元へ。
「そこだ」
宗一郎が地面を蹴った。
囮の氷像が一斉に砕ける。
白い破片が濃霧を裂いた。
ベリアルの右側。
黒炎が展開するよりも早く、宗一郎が懐へ潜り込む。
右手には氷の短刀。
暗黒の炎へ触れれば消される。
宗一郎は刃を投げ捨てた。
代わりに、ベリアルの胸へ素手を叩き込む。
「――凍れ」
接触点から氷が侵入する。
皮膚。
肉。
血管。
第一真祖の肉体そのものを、内側から凍結させていく。
同時に、背後のセーヌ川から巨大な氷槍が伸びた。
宗一郎がベリアルの体内へ打ち込んだ氷を目印に、一直線に飛来する。
胸を貫いた。
衝撃が市街地を揺らす。
氷槍はベリアルの身体を串刺しにしたまま、背後の建物へ突き刺さった。
石壁が崩れる。
白い氷が広がり、第一真祖を建物ごと凍結させる。
宗一郎は即座に距離を取った。
右手の指先が、黒く変色している。
接触した一瞬だけで、暗黒の炎に侵食されていた。
それでも。
手応えはあった。
心臓を貫いた。
肉体の内部まで凍結させた。
だが、勝ったとは思わない。
宗一郎は息を整えながら、次の変化を待った。
氷の中で。
赤黒い炎が灯る。
火は氷を溶かさない。
凍結という現象そのものを、内側から食い破っていく。
氷槍へ亀裂が走った。
巨大な氷塊が、音もなく崩れていく。
ベリアルが一歩、前へ出た。
胸を貫いていた槍が、灰となって散る。
傷は残っている。
第一真祖の胸から、わずかに血が流れていた。
ベリアルは指先で自らの血へ触れる。
その赤を、興味深そうに眺めた。
「見事」
初めて。
その声に、明確な評価が含まれていた。
「人の身で、我に傷を刻むか」
「そいつはどうも」
宗一郎は肩で息をしながら笑う。
「治療費は請求するなよ」
ベリアルが宗一郎を見る。
もはや、名も持たぬ螻蟻を見る目ではなかった。
「名は」
「氷室宗一郎」
「氷室宗一郎か」
第一真祖が、初めて名を呼ぶ。
「その名、覚えてやろう」
宗一郎の足元で、血が動いた。
「光栄に思え、痴犬」
宗一郎は即座に跳ぼうとした。
遅い。
凍結した死体の内部。
地面の下。
宗一郎の魔力が届かなかった、さらに深い場所。
パリで流れた血のすべてが、目を覚ましていた。
石畳が赤く染まる。
川のように血が流れ、無数の鎖が宗一郎の両脚へ絡みつく。
力任せに引きちぎる。
切れた鎖が槍へ変わり、肩を貫いた。
宗一郎は槍を凍結させる。
凍った血が、暗黒の炎を纏う。
「くそったれ……」
宗一郎が槍を引き抜く。
その間に。
空が赤く染まり始めていた。
戦場に流れた血が、重力へ逆らって昇っていく。
人間の死体から。
吸血鬼の死体から。
瓦礫の下から。
宗一郎自身の傷口から。
無数の血が、ベリアルの頭上へ集まる。
赤黒い巨大な球体。
その中心で、闇と炎が混ざり合った黒い太陽が燃えていた。
星。
そうとしか呼べないものが、パリの夜空へ生まれようとしている。
宗一郎の本能が告げる。
あれが完成すれば、街一つでは済まない。
敵を殺すためだけの術ではない。
戦場にある生も死も、第一真祖の所有物へ変える何か。
だが。
ベリアルは指を閉じた。
空へ生まれかけていた赤黒い星が、霧のように消える。
昇っていた血も。
暗黒の炎も。
初めから存在しなかったかのように、消え去った。
「痴犬一匹を躾けるために、明星を墜とすほど我は酔狂ではない」
宗一郎は理解した。
あの術を使う必要さえない。
そう判断されたのだ。
自分は全力だった。
街を使い。
川を使い。
敵の術式を分析し。
命を削って、一度だけ第一真祖へ傷を刻んだ。
ベリアルにとっては。
ただ、名前を覚える価値があると認めた程度のことだった。
◇ ◇ ◇
勝てない。
宗一郎は迷わず、その結論を受け入れた。
恐怖でも、絶望でもない。
戦場における事実として。
勝てない敵へ、勝てると思い込んで挑み続けるのは勇気ではない。
ただの無能だ。
目的を変える。
敵を倒すことから。
情報と身体を奪わせないことへ。
十三戦鬼として知る人類側の防衛線。
東京の戦力。
討魔師たちの配置。
自らが扱う氷の魔術。
第一真祖へ渡すわけにはいかない。
捕虜となれば、必ず利用される。
ならば。
死ぬ。
宗一郎は、残された魔力を右手へ集めた。
だが、自らの胸へは手を伸ばさない。
目に見える動作を取れば、止められる。
「なお抗うか」
ベリアルが告げる。
「悪いな」
宗一郎は笑った。
「負けず嫌いなんだ」
地面から氷槍を生み出す。
正面。
左右。
背後。
連続する攻撃。
すべて囮。
ベリアルが暗黒の炎を放った瞬間。
宗一郎は、自らの魔力核の内部へ、あらかじめ生じさせておいた氷を砕いた。
戦いながら、準備していた。
外から止めることはできない。
魔力核が崩壊する。
心臓が止まった。
宗一郎の身体から力が抜ける。
倒れながら、東京を思い浮かべた。
静かな息子。
言葉の少ない少年。
宗一郎が大げさに抱きつけば、露骨に嫌そうな顔をする。
それでも、強くは振り払わない。
手を離したあとも、ほんの少しだけ近くに残る。
「悪いな、カイ」
最後の言葉が、掠れた息とともに漏れた。
「土産話は……また今度だ」
視界が暗くなる。
音が消える。
痛みも消えた。
死んだ。
確かに。
一度は。
ベリアルは、動かなくなった宗一郎を見下ろした。
止められなかったのではない。
止めなかった。
人間が最後に何を選ぶのか。
ただ、それを見届けた。
「満足したか、痴犬」
返事はない。
宗一郎は死んでいる。
「では、次は我の番だ」
ベリアルが宗一郎の胸へ手をかざす。
赤黒い血が、指先から滴り落ちた。
傷口へ。
砕けた魔力核へ。
止まった心臓へ。
第一真祖の血が流れ込む。
「戯け」
冷たい声が、死者へ降り注ぐ。
「死を選べば、我から逃れられると思うたか」
宗一郎自身のものではない血が、亡骸を内側から満たしていく。
砕けた骨が戻る。
裂けた肺が塞がる。
崩壊した魔力核が、人間とは異なるものへ作り変えられていく。
止まっていた心臓が動いた。
一度。
二度。
人間だった頃とは異なる鼓動。
宗一郎は目を開けた。
「……っ!」
反射的に、自分の心臓を凍結させる。
心臓が砕けた。
身体が死ぬ。
だが、第一真祖の血が破片をつなぎ合わせる。
鼓動が戻る。
宗一郎は喉元へ氷刃を生み出した。
頸動脈を切断する。
噴き出した血は、地面へ落ちる前に逆流した。
傷口が塞がる。
魔力核を壊す。
再生する。
心臓を止める。
動き出す。
何度死のうとしても。
第一真祖の血が、宗一郎を死から引き戻した。
「やめろ……」
宗一郎の声が掠れる。
「何を止めよと?」
「俺を……生かすな」
「先ほどまで生へ執着していた痴犬が、今度は死を乞うか」
「人間のまま、死なせろ」
ベリアルは宗一郎の胸へ目を落とした。
第一真祖の血が、肉体を作り変え続けている。
「そのようなものは、先ほど死んだ」
宗一郎はベリアルへ殴りかかろうとした。
右腕が動かない。
筋肉は動こうとしている。
宗一郎自身も、明確に命令している。
それでも体内を流れる血が、その意思を拒絶した。
「痴犬が」
ベリアルは、道理を知らぬものへ教えるような声で告げる。
「我の所有物が、誰の許しを得て壊れる」
「俺は、貴様のものじゃない」
「戯け」
ベリアルが宗一郎の顎をつかむ。
抗おうとした右腕は動かなかった。
体内を巡る血が、宗一郎の意思を拒んでいる。
赤い瞳が、逃げ場のない距離から宗一郎を見下ろした。
「今、この瞬間から、お前の生も死も我のものだ」