【TS】主人公の両親を殺したラスボス吸血鬼ですが、彼の最後の家族をやってます。 作:サボテニウム
昨日、オレは人間だと認められた。
人類最高峰の教育機関が、採血と呪具と立派な書類を用いて、リーシャ・クーゲルシュタインは人間であると保証してくれたのだ。
本人が第六真祖だと知っている点を除けば、実に信頼できる検査結果である。
つまり、今日の試験に怖いものはない。
普通に筆記試験を受け、適度な成績を取り、目立たない場所へ滑り込めばいい。
最大の難関は、もう昨日のうちに越えている。
「遅い」
アカデミーの正門前で、アギトが腕を組んでいた。
「まだ集合時間の二十五分前だよ?」
「俺は三十分前に来た」
「五分しか違わないじゃん」
「俺を待たせた」
「待ち合わせた覚えはないけどなあ」
オレの隣では、カイが無言で正門を見上げている。
家を出た時間は同じだったのに、途中で菓子屋へ寄ったオレだけが五分遅れた。
正確には、菓子を買ったわけではない。
昨日アギトに買ってもらった店の前で、新しい味が出ていることを確認しただけである。
これは寄り道ではなく、将来に備えた情報収集だ。
「試験の日まで菓子を見てくるやつがあるか」
「食べてないから大丈夫だよ」
「そういう問題じゃねえ」
「リーシャ」
カイがこちらを見る。
「口に蜜がついてる」
「えっ」
慌てて口元を押さえる。
指には何もつかなかった。
「ついてないよ?」
「うん」
「嘘だったの?」
「試してみただけ」
「何を?」
「食べたかどうか」
「カイまで疑ってたの?」
「食べてないならいいよ」
よくない。
幼馴染からの信用が、菓子一枚より薄い。
「それより」
アギトがオレの鞄へ目を向けた。
「必要なものは全部持ってきたんだろうな」
「持ってきたよ。受験票、筆記用具、お昼ごはん」
「地図は?」
「案内書に挟んであるよ」
「予備の鉛筆は?」
「三本」
「消しゴムは?」
「二つ」
「本当に?」
「お母さんみたいになってるよ、アギト」
「誰がお母さんだ!」
声が大きい。
周囲の受験生がこちらを見る。
初日から母性を披露するとは、将来有望な討魔師である。
「おはようございます」
背後から、澄んだ声がした。
振り返ると、久世澪が立っていた。
制服ではなく、昨日と同じ濃紺の受験服。長い黒髪は邪魔にならないよう後ろで一つにまとめられている。
「おはよう、澪ちゃん」
「おはようございます、クーゲルシュタインさん」
「リーシャでいいよ」
「では、リーシャさんと」
澪はアギトとカイにも一礼した。
「綾辻さん、氷室さんも、おはようございます」
「おう」
「おはよう」
カイが短く返す。
澪は懐中時計を確認した。
「これで第七班は全員揃いましたね。十五分前には必ず集合してください」
「まだ二十分以上あるぞ」
アギトが言う。
「はい。ですから問題ありません」
「なら何で確認したんだよ」
「今後のためです」
「責めてんじゃねえのか?」
「何をでしょうか」
澪は本当に分からないらしく、わずかに首を傾げた。
「……いや、もういい」
勝手に攻撃されたと思い、勝手に矛を収めている。
アギトにはたまに、存在しない敵と戦う癖がある。
勇敢なのかもしれない。
主に想像力が。
「本日の試験要項は確認しましたか?」
澪が尋ねる。
「当然だ」
「内容を説明できますか?」
「俺を疑ってんのか?」
「確認です」
「筆記と適性検査。そのあと模擬市街地で救出試験だろ」
「制限時間は?」
「……」
「救出対象は何名ですか?」
「……二人」
「機密資料の回収もあります」
「分かってた」
「今思い出したように見えましたが」
「分かってたって言ってるだろ」
昨日から、二人の会話はよく弾む。
弾むというより、互いの言葉が跳ね返っているだけかもしれないが、会話が続いているなら十分である。
原作でも、アギトと澪はこうして衝突しながら互いを認めていった。
実に順調。
ぜひオレの存在を忘れるくらい、二人で話し込んでほしい。
「リーシャ」
「なあに?」
「お前は分かってるんだろうな」
なぜこちらへ戻ってくる。
「もちろん。筆記試験は九十分。適性検査は五種。救出対象二名と機密資料一つを確保して、四十分以内に脱出。班員が一人でも行動不能になれば減点だよ」
「……全部覚えてんじゃねえか」
「案内書に書いてあったからね」
「俺にも教えろよ」
「昨日、一緒に読もうって言ったら寝たじゃん」
「あれは目を閉じて聞いてた」
「途中から寝息が聞こえてたよ?」
「集中してたんだ」
「どこに?」
「休息に」
カイが答えた。
「お前は黙ってろ」
「うん」
カイは素直に黙った。
たぶん、必要なことは全部言い終えたからだ。
◇ ◇ ◇
筆記試験は、三つの区分に分かれていた。
一般教養。
魔術理論。
対吸血鬼戦術。
最初の二つは問題ない。
文字も計算も、この八年間で嫌というほど勉強した。
自分の学力より、アギトへ教える方がはるかに難しかったので、結果としてオレの理解まで深まっている。
人へ教えることは、自分の勉強にもなる。
ただし教える相手が途中で机へ突っ伏すと、殺意の制御についても学べる。
問題は、吸血鬼に関する設問だった。
『下級吸血鬼は、負傷者よりも健康な人間を優先して襲う。正しいか、誤りか』
オレは鉛筆を止めた。
個体による。
空腹の程度にもよる。
出血の匂いへ引かれる者もいれば、抵抗の強い獲物を好む者もいる。上位個体から命令を受けている場合は、その内容が最優先だ。
しかし教本には、健康な人間を優先すると書かれていた。
理由は、より多くの血を得られるから。
ずいぶん大雑把な分類である。
人間を「朝はパン派」と「朝は米派」の二種類に分けるくらいには乱暴だ。
だが、試験で求められているのは吸血鬼本人の見解ではない。
教科書の見解である。
オレは「正しい」に印をつけた。
『上位吸血鬼の眷属は、主人の命令へ無条件で服従する』
これも例外はある。
血の濃度。
契約の形。
眷属本人の抵抗力。
主である吸血鬼の能力。
条件によっては命令を拒絶することも、解釈を捻じ曲げることも可能だ。
だが、ここで詳しく書けばどうなるか。
受験番号三一七番。
十六歳。
職歴なし。
なぜか眷属契約の例外規定に異常に詳しい。
面接官でなくても少し怖い。
オレは教本どおり、「正しい」を選んだ。
知っていることを知らないふりするのも、試験技術の一つである。
世の中ではこれを教養と呼ばず、処世術と呼ぶらしい。
最後の区分は、戦術問題だった。
『市街地で下級吸血鬼十二体と遭遇した。小隊員一名が負傷。民間人五名が建物内に取り残されている。通信は不通。以下の地図と戦力を基に、最適な行動を選択せよ』
地図には三つの撤退経路が記されている。
一つ目は最短だが、負傷者を置いていく。
二つ目は市民を諦める。
三つ目は全員を連れていけるが、追撃を受ければ小隊が壊滅する。
問題文が暗に求めているのは、誰を見捨てるかだった。
戦場では必要な判断だ。
全員を助けようとして、全員が死ぬ。
そんな事例は珍しくない。
けれど。
オレは地図を見直した。
東側の建物は老朽化している。
下級吸血鬼が侵入してくる北側の道路は狭い。
南西には地下水路。
風は北東から南西へ。
負傷者を担いだまま正規の道を進む必要はない。
建物の一部を崩して北側を塞ぐ。
同時に少人数が血の匂いを利用して敵を西へ誘導。
市民は地下水路を通し、南の広場で小隊と合流する。
一時的に戦力は分散するが、敵を倒す必要はない。
追わせなければいい。
選択肢のどれにも該当しない。
オレは一番被害の少ない答えへ印をつけようとした。
その手が止まる。
余白がある。
『選択した理由を記せ』
余白があるのが悪い。
書けと言われれば、書きたくなる。
オレは地図へ線を引き、建物を崩す順番と、敵を誘導する経路を書いた。
市民の移動速度。
負傷者の搬送方法。
部隊を二つへ分ける時間。
再合流できなかった場合の撤退条件。
気づいたころには、余白の半分以上が文字で埋まっていた。
目立たない。
適度に手を抜く。
今朝までの立派な方針は、どこへ消えたのだろう。
答案用紙を裏返しても、もう遅い。
自分で書いた字は消えない。
現実には、便利なセーブ機能もやり直しも存在しない。
消しゴムならあるが、残り時間は三分だった。
人生にはやり直せない選択がある。
今回は単に、書きすぎただけである。
◇ ◇ ◇
採点結果は、昼休憩の前に掲示された。
早すぎる。
失敗した試験の結果くらい、一週間は心の準備をさせてほしい。
「一位」
掲示板を見上げたカイが言った。
「誰が?」
「僕」
「もう少し嬉しそうにしたら?」
「嬉しいよ」
「そう見えないなあ」
「僕には分かる」
昨日と同じことを言っている。
カイは総合首位。
一般教養、魔術理論、戦術のすべてが高得点だった。
特に魔術理論は満点。
澪も上位に入っている。
突出した一科目というより、すべての科目で失点が少ない。規則と救護手順に関する問題は満点だった。
本人は順位より、間違えた問題を確認している。
「ここは私の確認不足でした」
「二問しか間違えてないよ?」
「二問も、です」
真面目だ。
オレなら二問しか間違えなかった時点で、その日は祝日にする。
「俺は?」
人混みの後ろから、アギトが掲示板を覗き込む。
「四十三位だよ」
「低いな」
「受験者は六百人以上いるんだから、高い方だと思うけど」
「カイより下だ」
「僕が一位だからね」
「言われなくても分かってる」
アギトの答案も返却されていた。
基礎問題はよくできている。
八年間、オレが机へ縛りつけた成果だ。
問題は記述欄だった。
『負傷者と民間人を救出するため、最適な行動を記せ』
アギトの回答。
『敵を倒して全員助ける』
その下には教官の赤字が入っている。
『具体的な方法を記述すること』
「気持ちだけで点数を取りにいってるね」
「できるなら問題ねえだろ」
「試験官は未来のアギトを採点してくれないよ」
「現場で見せればいい」
「今は筆記試験なんだけどなあ」
アギトは納得していない様子で答案を畳んだ。
「それで、お前は?」
「えーっと……」
探す必要はなかった。
掲示板の一番上に、特別加点者として受験番号が張られている。
三一七番。
リーシャ・クーゲルシュタイン。
戦術科目、最高点。
通常の満点を少し超えている。
「一位じゃねえか」
アギトが言った。
「戦術だけだよ」
「十分だろ」
「吸血鬼生態は平均点ですね」
澪が別の欄を見ている。
「そこはちょっと苦手で」
嘘である。
本人だから詳しいとは限らないが、少なくとも教本を書いた人間よりは詳しい。
「戦術問題の答案が掲示されています」
澪が、参考答案として張り出された紙を読む。
オレが余白へ書いた作戦だった。
横には教官の講評がある。
『教本外の手順ではあるが、理論上は負傷者および民間人全員の生還が可能。実行には高い統率能力を要する』
「これ、リーシャさんが試験中に考えたのですか?」
「たまたま地図を見てたら思いついただけだよ」
「偶然で、撤退条件まで設定するとは思えません」
澪は答案を見つめている。
褒めるための言葉ではなく、本当に内容を確認している顔だ。
「建物の崩壊時間は、どの資料から算出したのですか?」
「壁の亀裂と構造かな。問題文に建築年代も書いてあったから」
「敵を西へ誘導する役は、戻れない可能性があります」
「だから地下水路の出口を二つ使うの。合流時間を過ぎたら、囮役はそのまま南へ逃げる」
「なるほど……」
澪がもう一度、紙へ目を戻した。
「見事だと思います」
真っ直ぐに言われた。
その目には、昨日までとは違う色がある。
航平さんの葬儀で会った少女。
それだけではなく、一人の受験者としてオレを見ている。
「ありがとう」
素直に答える。
「だから言っただろ」
なぜかアギトが得意そうに腕を組んだ。
「リーシャの判断は間違わねえ」
「アギトの点数じゃないよ?」
「知ってる」
「じゃあ、どうしてアギトが偉そうなの?」
「俺は前から知ってたからな」
何を自慢しているのだろう。
優秀な飼い犬を褒められた飼い主のような顔である。
せめて家族にしてほしい。
「リーシャさんの判断に従えば、必ず成功するのですか?」
澪がアギトへ尋ねた。
「必ずとは言わねえ」
アギトは少しだけ考えた。
「でも、こいつが無理だと言わないなら、俺が何とかする」
「それでは、判断ではなくあなたの実力が前提では?」
「両方あれば失敗しねえだろ」
ずいぶん強引な理屈だ。
だが、アギトは本気でそう思っている。
オレが道を選び。
その道を、アギトが力ずくで正解にする。
八年前から、何度もそうしてきた。
「……そうですね」
澪がわずかに目を細めた。
「随分と信頼しているのですね」
「当然だ」
迷いのない答えだった。
澪が一瞬だけオレを見る。
この反応はよくない。
もっとアギト本人を見てほしい。
せっかく原作主人公が格好いいことを言っているのだから、好感度の一つでも上げるべきである。
「澪ちゃんもすごかったよ」
「私ですか?」
「全科目でほとんど間違えてないし。アギトと違って、記述もちゃんと具体的だったよ」
「おい。何で俺と比べるんだ」
「分かりやすいから」
澪は少し困ったように答えた。
「ありがとうございます。ですが、氷室さんやリーシャさんには及びませんでした」
「順位だけが全部じゃないよ」
「それを一位の人が言うと、あまり慰めにならないね」
カイが言った。
「私は戦術だけだよ?」
「それでも一位」
「カイは総合一位でしょ」
「うん」
自覚があるなら、もう少し遠慮してほしい。
才能のある人間の無自覚な発言は、ときに刃物より鋭い。
◇ ◇ ◇
午後からは、対吸血鬼呪具への適性検査だった。
訓練場には、五種類の呪具が並べられている。
銀製の剣。
術式銃。
結界杭。
索敵盤。
治癒補助具。
それぞれへ魔力を流し、起動率と出力を計測するらしい。
昨日の種族鑑定とは違う。
人間であっても適性が低い者はいる。
つまり、ここで妙な結果が出ても即座に首を落とされることはない。
その説明を聞いて、少し安心した。
最近、試験項目を見るたび処刑の可能性を考えている気がする。
普通の受験生は、もう少し合否だけを心配するものだろう。
「氷室カイ」
最初にカイが呼ばれた。
「はい」
前へ出る。
銀剣の柄を握り、教官の指示どおり魔力を流した。
淡い光が刀身を走る。
次の瞬間、剣の表面へ白い霜が広がった。
訓練場の空気がわずかに冷える。
「出力を下げろ」
「これくらい?」
「もう少しだ」
「そう」
カイが力を抑えると、霜の広がりがぴたりと止まった。
術式銃も、結界杭も、ほとんど失敗しない。
初めて触れた呪具ですら、教官の説明を一度聞いただけで適切な出力へ合わせている。
「基礎制御はすでに完成しているな」
教官が記録板へ何かを書き込む。
周囲の受験者がざわついた。
カイは特に気にした様子もない。
「終わり?」
「ああ。次へ移れ」
「うん」
こちらへ戻ってくる。
「すごかったね、カイ」
「そう?」
「剣に霜が出てたよ」
「冷えただけだよ」
「普通は冷えないと思うな」
「リーシャが見てたから、少し出しすぎた」
「私のせいなの?」
「たぶん」
褒められたかったのか、単に視線が気になっただけなのか。
カイはそれ以上説明しない。
顔がよくて、頭もよくて、魔術まで優秀。
世の中の能力配分には、明らかな偏りがある。
均等という言葉を考えた人間に、一度カイを見せてみたい。
「久世澪」
「はい」
次に澪が呼ばれた。
カイほどの出力ではない。
だが、すべての呪具を安定して起動させていく。
銀剣から術式銃へ。
術式銃から結界杭へ。
道具が変わっても迷いがない。
特に剣と防御術式を切り替える動作は速かった。
「次。防御から反撃へ移れ」
「はい」
正面へ小型の標的が射出される。
澪は結界で受け止めると、ほとんど間を置かずに銀剣で標的を斬った。
破片が床へ落ちる。
「お前、思ったよりやるな」
アギトが声をかけた。
褒め方としては、かなり失礼である。
澪は剣を教官へ返しながら答える。
「評価するのは教官です」
「俺が感想を言うのは自由だろ」
「それは否定していません」
「じゃあ素直に受け取れよ」
「ありがとうございます」
澪は一拍置いて頭を下げた。
表情はほとんど変わらない。
ただ、先ほどより肩の力が少しだけ抜けている。
いい。
アギトが澪の能力を認めた。
澪も悪い気はしていない。
小さいが、確かな一歩である。
恋愛という建物も、最初は一本の杭から始まる。
そのまま完成まで頑張ってほしい。
「綾辻アギト」
「やっとか」
アギトが前へ出た。
最初の銀剣は、カイや澪ほど綺麗に起動しなかった。
光が不安定に揺れ、刀身から散る。
「力を込めすぎだ」
「これくらいか?」
「逆だ。流れが弱い」
「面倒くせえな」
「呪具は腕力で動かない」
「分かってる」
分かっていない人間がよく使う言葉だった。
二度目。
三度目。
失敗するたび、アギトの動きが変わる。
教官の手元。
魔力を流す呼吸。
剣を構える姿勢。
見たものを、そのまま自分の身体へ取り込んでいく。
五度目には、刀身を安定した光が覆っていた。
「次、槍型を使え」
「剣じゃねえのか?」
「変更だ」
別の呪具を渡される。
アギトは一度振っただけで重心を確かめ、構えを変えた。
最初こそ荒い。
しかし、使うほど速くなる。
呪具へ自分を合わせるのではない。
自分が使える形へ、呪具の方を引き寄せている。
「妙な適性だな」
教官が呟く。
「出力自体は突出していない。だが、実戦での習熟が異様に速い」
「つまり?」
「戦場向きということだ」
アギトが笑った。
それから真っ先に、こちらを見る。
分かりやすい。
「すごいね、アギト」
「当然だろ」
オレが褒めると、満足そうに口元を上げる。
さっき教官に評価されたときより、明らかに嬉しそうである。
澪もその様子を見ていた。
アギトの実力ではなく、アギトの視線の先を。
「次。リーシャ・クーゲルシュタイン」
「はーい」
呼ばれて、前へ出る。
銀剣を受け取った。
ずしりと重い。
「柄へ魔力を流せ」
「はい」
言われたとおりにする。
何も起こらなかった。
「もう一度」
流す。
何も起こらない。
剣は沈黙している。
気まずい。
こちらから話しかけるべきだろうか。
剣との初対面で、ここまで会話が弾まないとは思わなかった。
「別のものを使う」
術式銃を渡された。
引き金へ指をかけ、魔力を流す。
銃口に小さな光が灯り――すぐ消えた。
「もう一度だ」
「はい」
今度は最初から光らなかった。
結界杭。
反応なし。
索敵盤。
針がわずかに動いただけ。
治癒補助具。
最低出力にも届かない。
教官が装置の故障を疑い、別の呪具へ交換した。
結果は同じだった。
ここまで嫌われると、少し傷つく。
オレは第六真祖である。
人類製の対吸血鬼呪具と相性がよくないことくらい、ある程度は予想していた。
それでも、挨拶くらい返してくれてもいいではないか。
「もう一度、銀剣を」
最初の剣へ戻る。
両手で柄を握り、魔力を流す。
刀身の根元に、申し訳程度の光が灯った。
すぐに消える。
教官が記録板へ結果を書き込んだ。
「呪具適性、最低等級」
周囲がわずかにざわつく。
「前衛戦闘課程への配属は難しい。戦術、兵站、記録課程を推奨する」
「分かりました」
理想的な結果だった。
戦えない。
前衛へ出す価値がない。
人間用の武器も使えない。
最強の吸血鬼が、対吸血鬼戦闘に適性なし。
検査結果だけ見れば、かなり平和な冗談である。
「戦術点だけだったのか」
「模擬戦じゃ守られる側だな」
後ろから、小さな声が聞こえた。
嘲笑というほど悪意はない。
同じ班になりたくないと考える受験生の、素直な感想なのだろう。
実地試験では、役に立たない人間一人が班全体の合否を左右する。
オレでも同じ立場なら警戒する。
だから気にする必要はない。
「試験で分かる」
アギトが低い声で言った。
周囲へではない。
だが、近くにいた受験生には十分聞こえたらしい。
会話が止まる。
「アギト」
「何だ」
「喧嘩しちゃ駄目だよ?」
「してねえ」
「顔がしてる」
「事実を言っただけだ」
カイの言い回しがうつっている。
あまりよくない感染だった。
「お前は指示だけ出せ」
アギトが言う。
「俺が全部、そのとおりにする」
「全部は困るかな。私だって間違えるよ?」
「そのときは俺が何とかする」
昨日と同じ答えだった。
無茶な理屈だ。
けれど、アギトは一度決めたことを疑っていない。
「リーシャが戦う必要はないよ」
カイが静かに続けた。
「僕とアギトがいるから」
「カイまで」
「足りない?」
「そういう意味じゃないよ」
「ならいい」
カイにとっては、慰めですらない。
オレが戦えないなら、自分たちが戦う。
それだけのことらしい。
「適性がないことと、能力がないことは別です」
澪が言った。
オレたち三人が振り返る。
「筆記試験で、リーシャさんの判断力は証明されています」
「でも、模擬戦では足を引っ張るかもしれないよ?」
「その可能性はあります」
澪は否定しなかった。
そこが彼女らしい。
「ですが、私たちがリーシャさんの指示を実行できない可能性も同じようにあります。失敗した際、原因を一人へ押しつけるつもりはありません」
真っ直ぐな言葉だった。
「模擬戦では、あなたの判断に従います」
「……ありがとう」
原作ヒロインまで、オレの指揮下へ入ってしまった。
本来なら、アギトの隣で共に戦い、距離を縮めてもらう予定だったのだが。
なぜ全員、こちらを中心に配置され始めているのだろう。
恋愛ルートを誘導するどころか、小隊長ルートへ入りかけている。
◇ ◇ ◇
午後。
オレたちは模擬市街地区画へ移動した。
高い防壁の向こうには、崩れかけた建物と細い路地が再現されている。
瓦礫。
焼けた車両。
割れた窓。
遠目には、本物の廃市街地とほとんど変わらない。
試験官が壇上から説明する。
「課題は、負傷者二名および機密資料の回収。その後、指定地点まで撤退せよ」
地図が各班へ配られた。
「制限時間は四十分。班員の行動不能、救助対象の喪失、資料の未回収は減点となる」
試験官は受験生全体を見渡す。
「目的は討伐ではない。救出と撤退だ。敵を倒すことへ固執するな」
アギトが小さく舌打ちした。
「聞こえたよ?」
「何も言ってねえ」
「顔が不満そう」
「敵がいるなら倒した方が早いだろ」
「それで時間を使ったら意味ないよ」
「すぐ倒せばいい」
試験開始前から、目的を忘れかけている。
どうやら最初の任務は、アギトへ試験内容を覚えさせ続けることらしい。
「作戦を決めましょう」
澪が地図を地面へ広げた。
赤い線で推奨経路が記されている。
「正面から進み、中央区画で救助対象を回収。その後、東側の道を通って撤退地点へ向かいます」
澪は地図を指でなぞる。
「綾辻さんが前衛。氷室さんが後方警戒。私は救助対象を運びます。リーシャさんは中央で地図と時間の管理を」
合理的な配置だった。
「役割はそれでいいと思う」
オレは地図を見る。
正面の大通り。
中央区画。
東側の細い道。
救助対象を回収するまでは問題ない。
だが、帰りがまずい。
「待って」
「どうしましたか?」
「推奨経路は使わない方がいいと思う」
澪の指が止まる。
「理由を説明してください」
反発はしない。
ただ、根拠を求める。
オレは地図上の東側道路を指した。
「ここ、途中から道幅が狭くなってるよね」
「はい」
「両側は高い建物。負傷者を運んだ状態だと、隊列は縦に伸びる」
「それだけなら、後方を氷室さんが守れば対応できます」
「風向きは?」
澪が地図の端を見る。
「北東から南西です」
「救助対象には、敵を誘導するための人工血液が塗られてるはず」
「なぜ分かるのですか?」
「この試験、敵を倒さず撤退できるかを見るんでしょ? 救助したあとの方が簡単なら、試験にならないから」
地図の北側を指す。
「模擬吸血鬼は、たぶんここから来る。血の匂いは東側の細道へ流れる」
狭い道。
速度の落ちた班。
後方から迫る敵。
左右の建物には逃げ道がない。
「この道に入ったところで襲われたら、全員まとめて閉じ込められるよ」
澪が黙って地図を見直す。
「では、どこを通りますか?」
「こっち」
西側の脇道を指した。
地図では瓦礫によって通行困難と記されている。
「ここは封鎖されています」
「完全に塞がってるとは書いてないよ」
「現地の状態が、地図と同じとは限りません」
「うん。だから最初にカイが確認する」
カイを見る。
「できる?」
「何を?」
「瓦礫の隙間と、崩れる可能性を見てほしいの。通れそうなら、氷で一度固定できる?」
「できると思う」
「アギトは、通るのに邪魔な瓦礫だけ動かして」
「それくらいなら余裕だ」
「作業時間は?」
澪が尋ねる。
「三分以内。無理なら諦めて、正規経路へ戻る」
「その場合、ほかの班より遅れます」
「でも、まだ救助前だから血の匂いはない。敵が来る前に戻れるよ」
澪はしばらく地図を見ていた。
指で距離を測り、時間を計算する。
「……分かりました」
やがて頷いた。
「その案で進みましょう」
「いいの?」
「根拠があります。撤退条件も明確です」
澪は規則を守る。
けれど、決められた道しか歩けないわけではない。
正しい理由があるなら、別の選択も受け入れる。
この柔軟さがあるから、原作でもアギトと同じ小隊で戦えたのだろう。
「アギトもいい?」
「リーシャがそう言うなら、それでいい」
地図すら見ずに即答した。
澪がアギトを見る。
「あなたも確認してください」
「リーシャが確認した」
「自分でも確認してください」
「二度手間だろ」
「指揮官が誤った際、止めるのも班員の役目です」
「リーシャは間違えねえ」
「先ほど、本人が間違えることもあると言っていました」
アギトがオレを見る。
「言ったか?」
「言ったよ」
「忘れた」
「早いね」
「都合の悪いことだけ忘れるのは、少し羨ましいです」
澪が淡々と言った。
「嫌味か?」
「感想です」
アギトは不満そうに地図を覗き込んだ。
やがて、東側道路と風向きを確認する。
「……確かに、狭いな」
「確認して初めて分かることもあります」
「分かってた」
「今、確かにと言いました」
「うるせえ」
二人は相変わらず噛み合わない。
けれど、澪が言わなければ、アギトは地図を確認しなかった。
アギトが現場で突っ走れば、澪は手順を思い出させる。
澪が規則に縛られれば、アギトが目の前の人間を優先させる。
喧嘩しながら、互いに足りない部分を補っている。
いい。
実にいい。
そのまま距離も補ってほしい。
「リーシャ」
「なあに?」
アギトが地図を畳み、オレの頭へ手を置いた。
「お前は俺の後ろから離れるな」
「どうして急に子供扱いするの?」
「戦闘適性なしなんだろ」
「検査結果を盾に取るの、よくないと思うな」
「事実だ」
「指揮官を守りすぎると、周りが見えなくなるよ?」
「お前が見てればいい」
「ずいぶん都合がいいね」
「今さらだろ」
否定できない。
アギトが前を守り、オレが周囲を見る。
八年前から続いてきた役割だった。
澪との関係が順調に進みかけても、最後にはこちらへ戻ってくる。
主人公の視線誘導が、どうにも上手くいかない。
「試験開始、一分前!」
教官の声が響いた。
模擬市街地を塞いでいた巨大な鉄扉が、低い音を立てて開いていく。
その向こうには、崩れた街が広がっていた。
割れた窓。
焼けた道路。
入り組んだ路地。
遠くから、何かが地面を引っ掻くような音が聞こえる。
模擬吸血鬼。
人間の動きと魔力へ反応し、受験生を追跡する訓練用の自動人形だ。
周囲の班が身構える。
澪がオレを見る。
カイも静かに待っている。
アギトは正面へ向き直り、腰の訓練剣へ手をかけた。
「指示を出せ、リーシャ」
戦闘適性なし。
呪具適性、最低等級。
前衛としては役に立たない。
今日一日で、そう評価された少女へ。
三人が判断を預けている。
試験開始の鐘が鳴った。
ほかの班が一斉に、地図へ記された正面経路へ走り出す。
第七班だけが、その場に残った。
オレは地図を折り畳み、瓦礫に塞がれた西側の路地を指さした。
「推奨経路は使わないよ」
澪が頷く。
カイが歩き出す。
アギトが、オレたちの前へ出る。
「私たちは、こっち」
こうして、戦闘適性なしと判定されたオレの指揮で、入学試験が始まった。
――早くも、試験要項とは別の方向へ走りながら。