【TS】主人公の両親を殺したラスボス吸血鬼ですが、彼の最後の家族をやってます。   作:サボテニウム

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第33話 適性なし

 

 

 

 

 昨日、オレは人間だと認められた。

 

 人類最高峰の教育機関が、採血と呪具と立派な書類を用いて、リーシャ・クーゲルシュタインは人間であると保証してくれたのだ。

 

 本人が第六真祖だと知っている点を除けば、実に信頼できる検査結果である。

 

 つまり、今日の試験に怖いものはない。

 

 普通に筆記試験を受け、適度な成績を取り、目立たない場所へ滑り込めばいい。

 

 最大の難関は、もう昨日のうちに越えている。

 

「遅い」

 

 アカデミーの正門前で、アギトが腕を組んでいた。

 

「まだ集合時間の二十五分前だよ?」

 

「俺は三十分前に来た」

 

「五分しか違わないじゃん」

 

「俺を待たせた」

 

「待ち合わせた覚えはないけどなあ」

 

 オレの隣では、カイが無言で正門を見上げている。

 

 家を出た時間は同じだったのに、途中で菓子屋へ寄ったオレだけが五分遅れた。

 

 正確には、菓子を買ったわけではない。

 

 昨日アギトに買ってもらった店の前で、新しい味が出ていることを確認しただけである。

 

 これは寄り道ではなく、将来に備えた情報収集だ。

 

「試験の日まで菓子を見てくるやつがあるか」

 

「食べてないから大丈夫だよ」

 

「そういう問題じゃねえ」

 

「リーシャ」

 

 カイがこちらを見る。

 

「口に蜜がついてる」

 

「えっ」

 

 慌てて口元を押さえる。

 

 指には何もつかなかった。

 

「ついてないよ?」

 

「うん」

 

「嘘だったの?」

 

「試してみただけ」

 

「何を?」

 

「食べたかどうか」

 

「カイまで疑ってたの?」

 

「食べてないならいいよ」

 

 よくない。

 

 幼馴染からの信用が、菓子一枚より薄い。

 

「それより」

 

 アギトがオレの鞄へ目を向けた。

 

「必要なものは全部持ってきたんだろうな」

 

「持ってきたよ。受験票、筆記用具、お昼ごはん」

 

「地図は?」

 

「案内書に挟んであるよ」

 

「予備の鉛筆は?」

 

「三本」

 

「消しゴムは?」

 

「二つ」

 

「本当に?」

 

「お母さんみたいになってるよ、アギト」

 

「誰がお母さんだ!」

 

 声が大きい。

 

 周囲の受験生がこちらを見る。

 

 初日から母性を披露するとは、将来有望な討魔師である。

 

「おはようございます」

 

 背後から、澄んだ声がした。

 

 振り返ると、久世澪が立っていた。

 

 制服ではなく、昨日と同じ濃紺の受験服。長い黒髪は邪魔にならないよう後ろで一つにまとめられている。

 

「おはよう、澪ちゃん」

 

「おはようございます、クーゲルシュタインさん」

 

「リーシャでいいよ」

 

「では、リーシャさんと」

 

 澪はアギトとカイにも一礼した。

 

「綾辻さん、氷室さんも、おはようございます」

 

「おう」

 

「おはよう」

 

 カイが短く返す。

 

 澪は懐中時計を確認した。

 

「これで第七班は全員揃いましたね。十五分前には必ず集合してください」

 

「まだ二十分以上あるぞ」

 

 アギトが言う。

 

「はい。ですから問題ありません」

 

「なら何で確認したんだよ」

 

「今後のためです」

 

「責めてんじゃねえのか?」

 

「何をでしょうか」

 

 澪は本当に分からないらしく、わずかに首を傾げた。

 

「……いや、もういい」

 

 勝手に攻撃されたと思い、勝手に矛を収めている。

 

 アギトにはたまに、存在しない敵と戦う癖がある。

 

 勇敢なのかもしれない。

 

 主に想像力が。

 

「本日の試験要項は確認しましたか?」

 

 澪が尋ねる。

 

「当然だ」

 

「内容を説明できますか?」

 

「俺を疑ってんのか?」

 

「確認です」

 

「筆記と適性検査。そのあと模擬市街地で救出試験だろ」

 

「制限時間は?」

 

「……」

 

「救出対象は何名ですか?」

 

「……二人」

 

「機密資料の回収もあります」

 

「分かってた」

 

「今思い出したように見えましたが」

 

「分かってたって言ってるだろ」

 

 昨日から、二人の会話はよく弾む。

 

 弾むというより、互いの言葉が跳ね返っているだけかもしれないが、会話が続いているなら十分である。

 

 原作でも、アギトと澪はこうして衝突しながら互いを認めていった。

 

 実に順調。

 

 ぜひオレの存在を忘れるくらい、二人で話し込んでほしい。

 

「リーシャ」

 

「なあに?」

 

「お前は分かってるんだろうな」

 

 なぜこちらへ戻ってくる。

 

「もちろん。筆記試験は九十分。適性検査は五種。救出対象二名と機密資料一つを確保して、四十分以内に脱出。班員が一人でも行動不能になれば減点だよ」

 

「……全部覚えてんじゃねえか」

 

「案内書に書いてあったからね」

 

「俺にも教えろよ」

 

「昨日、一緒に読もうって言ったら寝たじゃん」

 

「あれは目を閉じて聞いてた」

 

「途中から寝息が聞こえてたよ?」

 

「集中してたんだ」

 

「どこに?」

 

「休息に」

 

 カイが答えた。

 

「お前は黙ってろ」

 

「うん」

 

 カイは素直に黙った。

 

 たぶん、必要なことは全部言い終えたからだ。

 

     ◇ ◇ ◇

 

 筆記試験は、三つの区分に分かれていた。

 

 一般教養。

 

 魔術理論。

 

 対吸血鬼戦術。

 

 最初の二つは問題ない。

 

 文字も計算も、この八年間で嫌というほど勉強した。

 

 自分の学力より、アギトへ教える方がはるかに難しかったので、結果としてオレの理解まで深まっている。

 

 人へ教えることは、自分の勉強にもなる。

 

 ただし教える相手が途中で机へ突っ伏すと、殺意の制御についても学べる。

 

 問題は、吸血鬼に関する設問だった。

 

『下級吸血鬼は、負傷者よりも健康な人間を優先して襲う。正しいか、誤りか』

 

 オレは鉛筆を止めた。

 

 個体による。

 

 空腹の程度にもよる。

 

 出血の匂いへ引かれる者もいれば、抵抗の強い獲物を好む者もいる。上位個体から命令を受けている場合は、その内容が最優先だ。

 

 しかし教本には、健康な人間を優先すると書かれていた。

 

 理由は、より多くの血を得られるから。

 

 ずいぶん大雑把な分類である。

 

 人間を「朝はパン派」と「朝は米派」の二種類に分けるくらいには乱暴だ。

 

 だが、試験で求められているのは吸血鬼本人の見解ではない。

 

 教科書の見解である。

 

 オレは「正しい」に印をつけた。

 

『上位吸血鬼の眷属は、主人の命令へ無条件で服従する』

 

 これも例外はある。

 

 血の濃度。

 

 契約の形。

 

 眷属本人の抵抗力。

 

 主である吸血鬼の能力。

 

 条件によっては命令を拒絶することも、解釈を捻じ曲げることも可能だ。

 

 だが、ここで詳しく書けばどうなるか。

 

 受験番号三一七番。

 

 十六歳。

 

 職歴なし。

 

 なぜか眷属契約の例外規定に異常に詳しい。

 

 面接官でなくても少し怖い。

 

 オレは教本どおり、「正しい」を選んだ。

 

 知っていることを知らないふりするのも、試験技術の一つである。

 

 世の中ではこれを教養と呼ばず、処世術と呼ぶらしい。

 

 最後の区分は、戦術問題だった。

 

『市街地で下級吸血鬼十二体と遭遇した。小隊員一名が負傷。民間人五名が建物内に取り残されている。通信は不通。以下の地図と戦力を基に、最適な行動を選択せよ』

 

 地図には三つの撤退経路が記されている。

 

 一つ目は最短だが、負傷者を置いていく。

 

 二つ目は市民を諦める。

 

 三つ目は全員を連れていけるが、追撃を受ければ小隊が壊滅する。

 

 問題文が暗に求めているのは、誰を見捨てるかだった。

 

 戦場では必要な判断だ。

 

 全員を助けようとして、全員が死ぬ。

 

 そんな事例は珍しくない。

 

 けれど。

 

 オレは地図を見直した。

 

 東側の建物は老朽化している。

 

 下級吸血鬼が侵入してくる北側の道路は狭い。

 

 南西には地下水路。

 

 風は北東から南西へ。

 

 負傷者を担いだまま正規の道を進む必要はない。

 

 建物の一部を崩して北側を塞ぐ。

 

 同時に少人数が血の匂いを利用して敵を西へ誘導。

 

 市民は地下水路を通し、南の広場で小隊と合流する。

 

 一時的に戦力は分散するが、敵を倒す必要はない。

 

 追わせなければいい。

 

 選択肢のどれにも該当しない。

 

 オレは一番被害の少ない答えへ印をつけようとした。

 

 その手が止まる。

 

 余白がある。

 

『選択した理由を記せ』

 

 余白があるのが悪い。

 

 書けと言われれば、書きたくなる。

 

 オレは地図へ線を引き、建物を崩す順番と、敵を誘導する経路を書いた。

 

 市民の移動速度。

 

 負傷者の搬送方法。

 

 部隊を二つへ分ける時間。

 

 再合流できなかった場合の撤退条件。

 

 気づいたころには、余白の半分以上が文字で埋まっていた。

 

 目立たない。

 

 適度に手を抜く。

 

 今朝までの立派な方針は、どこへ消えたのだろう。

 

 答案用紙を裏返しても、もう遅い。

 

 自分で書いた字は消えない。

 

 現実には、便利なセーブ機能もやり直しも存在しない。

 

 消しゴムならあるが、残り時間は三分だった。

 

 人生にはやり直せない選択がある。

 

 今回は単に、書きすぎただけである。

 

     ◇ ◇ ◇

 

 採点結果は、昼休憩の前に掲示された。

 

 早すぎる。

 

 失敗した試験の結果くらい、一週間は心の準備をさせてほしい。

 

「一位」

 

 掲示板を見上げたカイが言った。

 

「誰が?」

 

「僕」

 

「もう少し嬉しそうにしたら?」

 

「嬉しいよ」

 

「そう見えないなあ」

 

「僕には分かる」

 

 昨日と同じことを言っている。

 

 カイは総合首位。

 

 一般教養、魔術理論、戦術のすべてが高得点だった。

 

 特に魔術理論は満点。

 

 澪も上位に入っている。

 

 突出した一科目というより、すべての科目で失点が少ない。規則と救護手順に関する問題は満点だった。

 

 本人は順位より、間違えた問題を確認している。

 

「ここは私の確認不足でした」

 

「二問しか間違えてないよ?」

 

「二問も、です」

 

 真面目だ。

 

 オレなら二問しか間違えなかった時点で、その日は祝日にする。

 

「俺は?」

 

 人混みの後ろから、アギトが掲示板を覗き込む。

 

「四十三位だよ」

 

「低いな」

 

「受験者は六百人以上いるんだから、高い方だと思うけど」

 

「カイより下だ」

 

「僕が一位だからね」

 

「言われなくても分かってる」

 

 アギトの答案も返却されていた。

 

 基礎問題はよくできている。

 

 八年間、オレが机へ縛りつけた成果だ。

 

 問題は記述欄だった。

 

『負傷者と民間人を救出するため、最適な行動を記せ』

 

 アギトの回答。

 

『敵を倒して全員助ける』

 

 その下には教官の赤字が入っている。

 

『具体的な方法を記述すること』

 

「気持ちだけで点数を取りにいってるね」

 

「できるなら問題ねえだろ」

 

「試験官は未来のアギトを採点してくれないよ」

 

「現場で見せればいい」

 

「今は筆記試験なんだけどなあ」

 

 アギトは納得していない様子で答案を畳んだ。

 

「それで、お前は?」

 

「えーっと……」

 

 探す必要はなかった。

 

 掲示板の一番上に、特別加点者として受験番号が張られている。

 

 三一七番。

 

 リーシャ・クーゲルシュタイン。

 

 戦術科目、最高点。

 

 通常の満点を少し超えている。

 

「一位じゃねえか」

 

 アギトが言った。

 

「戦術だけだよ」

 

「十分だろ」

 

「吸血鬼生態は平均点ですね」

 

 澪が別の欄を見ている。

 

「そこはちょっと苦手で」

 

 嘘である。

 

 本人だから詳しいとは限らないが、少なくとも教本を書いた人間よりは詳しい。

 

「戦術問題の答案が掲示されています」

 

 澪が、参考答案として張り出された紙を読む。

 

 オレが余白へ書いた作戦だった。

 

 横には教官の講評がある。

 

『教本外の手順ではあるが、理論上は負傷者および民間人全員の生還が可能。実行には高い統率能力を要する』

 

「これ、リーシャさんが試験中に考えたのですか?」

 

「たまたま地図を見てたら思いついただけだよ」

 

「偶然で、撤退条件まで設定するとは思えません」

 

 澪は答案を見つめている。

 

 褒めるための言葉ではなく、本当に内容を確認している顔だ。

 

「建物の崩壊時間は、どの資料から算出したのですか?」

 

「壁の亀裂と構造かな。問題文に建築年代も書いてあったから」

 

「敵を西へ誘導する役は、戻れない可能性があります」

 

「だから地下水路の出口を二つ使うの。合流時間を過ぎたら、囮役はそのまま南へ逃げる」

 

「なるほど……」

 

 澪がもう一度、紙へ目を戻した。

 

「見事だと思います」

 

 真っ直ぐに言われた。

 

 その目には、昨日までとは違う色がある。

 

 航平さんの葬儀で会った少女。

 

 それだけではなく、一人の受験者としてオレを見ている。

 

「ありがとう」

 

 素直に答える。

 

「だから言っただろ」

 

 なぜかアギトが得意そうに腕を組んだ。

 

「リーシャの判断は間違わねえ」

 

「アギトの点数じゃないよ?」

 

「知ってる」

 

「じゃあ、どうしてアギトが偉そうなの?」

 

「俺は前から知ってたからな」

 

 何を自慢しているのだろう。

 

 優秀な飼い犬を褒められた飼い主のような顔である。

 

 せめて家族にしてほしい。

 

「リーシャさんの判断に従えば、必ず成功するのですか?」

 

 澪がアギトへ尋ねた。

 

「必ずとは言わねえ」

 

 アギトは少しだけ考えた。

 

「でも、こいつが無理だと言わないなら、俺が何とかする」

 

「それでは、判断ではなくあなたの実力が前提では?」

 

「両方あれば失敗しねえだろ」

 

 ずいぶん強引な理屈だ。

 

 だが、アギトは本気でそう思っている。

 

 オレが道を選び。

 

 その道を、アギトが力ずくで正解にする。

 

 八年前から、何度もそうしてきた。

 

「……そうですね」

 

 澪がわずかに目を細めた。

 

「随分と信頼しているのですね」

 

「当然だ」

 

 迷いのない答えだった。

 

 澪が一瞬だけオレを見る。

 

 この反応はよくない。

 

 もっとアギト本人を見てほしい。

 

 せっかく原作主人公が格好いいことを言っているのだから、好感度の一つでも上げるべきである。

 

「澪ちゃんもすごかったよ」

 

「私ですか?」

 

「全科目でほとんど間違えてないし。アギトと違って、記述もちゃんと具体的だったよ」

 

「おい。何で俺と比べるんだ」

 

「分かりやすいから」

 

 澪は少し困ったように答えた。

 

「ありがとうございます。ですが、氷室さんやリーシャさんには及びませんでした」

 

「順位だけが全部じゃないよ」

 

「それを一位の人が言うと、あまり慰めにならないね」

 

 カイが言った。

 

「私は戦術だけだよ?」

 

「それでも一位」

 

「カイは総合一位でしょ」

 

「うん」

 

 自覚があるなら、もう少し遠慮してほしい。

 

 才能のある人間の無自覚な発言は、ときに刃物より鋭い。

 

     ◇ ◇ ◇

 

 午後からは、対吸血鬼呪具への適性検査だった。

 

 訓練場には、五種類の呪具が並べられている。

 

 銀製の剣。

 

 術式銃。

 

 結界杭。

 

 索敵盤。

 

 治癒補助具。

 

 それぞれへ魔力を流し、起動率と出力を計測するらしい。

 

 昨日の種族鑑定とは違う。

 

 人間であっても適性が低い者はいる。

 

 つまり、ここで妙な結果が出ても即座に首を落とされることはない。

 

 その説明を聞いて、少し安心した。

 

 最近、試験項目を見るたび処刑の可能性を考えている気がする。

 

 普通の受験生は、もう少し合否だけを心配するものだろう。

 

「氷室カイ」

 

 最初にカイが呼ばれた。

 

「はい」

 

 前へ出る。

 

 銀剣の柄を握り、教官の指示どおり魔力を流した。

 

 淡い光が刀身を走る。

 

 次の瞬間、剣の表面へ白い霜が広がった。

 

 訓練場の空気がわずかに冷える。

 

「出力を下げろ」

 

「これくらい?」

 

「もう少しだ」

 

「そう」

 

 カイが力を抑えると、霜の広がりがぴたりと止まった。

 

 術式銃も、結界杭も、ほとんど失敗しない。

 

 初めて触れた呪具ですら、教官の説明を一度聞いただけで適切な出力へ合わせている。

 

「基礎制御はすでに完成しているな」

 

 教官が記録板へ何かを書き込む。

 

 周囲の受験者がざわついた。

 

 カイは特に気にした様子もない。

 

「終わり?」

 

「ああ。次へ移れ」

 

「うん」

 

 こちらへ戻ってくる。

 

「すごかったね、カイ」

 

「そう?」

 

「剣に霜が出てたよ」

 

「冷えただけだよ」

 

「普通は冷えないと思うな」

 

「リーシャが見てたから、少し出しすぎた」

 

「私のせいなの?」

 

「たぶん」

 

 褒められたかったのか、単に視線が気になっただけなのか。

 

 カイはそれ以上説明しない。

 

 顔がよくて、頭もよくて、魔術まで優秀。

 

 世の中の能力配分には、明らかな偏りがある。

 

 均等という言葉を考えた人間に、一度カイを見せてみたい。

 

「久世澪」

 

「はい」

 

 次に澪が呼ばれた。

 

 カイほどの出力ではない。

 

 だが、すべての呪具を安定して起動させていく。

 

 銀剣から術式銃へ。

 

 術式銃から結界杭へ。

 

 道具が変わっても迷いがない。

 

 特に剣と防御術式を切り替える動作は速かった。

 

「次。防御から反撃へ移れ」

 

「はい」

 

 正面へ小型の標的が射出される。

 

 澪は結界で受け止めると、ほとんど間を置かずに銀剣で標的を斬った。

 

 破片が床へ落ちる。

 

「お前、思ったよりやるな」

 

 アギトが声をかけた。

 

 褒め方としては、かなり失礼である。

 

 澪は剣を教官へ返しながら答える。

 

「評価するのは教官です」

 

「俺が感想を言うのは自由だろ」

 

「それは否定していません」

 

「じゃあ素直に受け取れよ」

 

「ありがとうございます」

 

 澪は一拍置いて頭を下げた。

 

 表情はほとんど変わらない。

 

 ただ、先ほどより肩の力が少しだけ抜けている。

 

 いい。

 

 アギトが澪の能力を認めた。

 

 澪も悪い気はしていない。

 

 小さいが、確かな一歩である。

 

 恋愛という建物も、最初は一本の杭から始まる。

 

 そのまま完成まで頑張ってほしい。

 

「綾辻アギト」

 

「やっとか」

 

 アギトが前へ出た。

 

 最初の銀剣は、カイや澪ほど綺麗に起動しなかった。

 

 光が不安定に揺れ、刀身から散る。

 

「力を込めすぎだ」

 

「これくらいか?」

 

「逆だ。流れが弱い」

 

「面倒くせえな」

 

「呪具は腕力で動かない」

 

「分かってる」

 

 分かっていない人間がよく使う言葉だった。

 

 二度目。

 

 三度目。

 

 失敗するたび、アギトの動きが変わる。

 

 教官の手元。

 

 魔力を流す呼吸。

 

 剣を構える姿勢。

 

 見たものを、そのまま自分の身体へ取り込んでいく。

 

 五度目には、刀身を安定した光が覆っていた。

 

「次、槍型を使え」

 

「剣じゃねえのか?」

 

「変更だ」

 

 別の呪具を渡される。

 

 アギトは一度振っただけで重心を確かめ、構えを変えた。

 

 最初こそ荒い。

 

 しかし、使うほど速くなる。

 

 呪具へ自分を合わせるのではない。

 

 自分が使える形へ、呪具の方を引き寄せている。

 

「妙な適性だな」

 

 教官が呟く。

 

「出力自体は突出していない。だが、実戦での習熟が異様に速い」

 

「つまり?」

 

「戦場向きということだ」

 

 アギトが笑った。

 

 それから真っ先に、こちらを見る。

 

 分かりやすい。

 

「すごいね、アギト」

 

「当然だろ」

 

 オレが褒めると、満足そうに口元を上げる。

 

 さっき教官に評価されたときより、明らかに嬉しそうである。

 

 澪もその様子を見ていた。

 

 アギトの実力ではなく、アギトの視線の先を。

 

「次。リーシャ・クーゲルシュタイン」

 

「はーい」

 

 呼ばれて、前へ出る。

 

 銀剣を受け取った。

 

 ずしりと重い。

 

「柄へ魔力を流せ」

 

「はい」

 

 言われたとおりにする。

 

 何も起こらなかった。

 

「もう一度」

 

 流す。

 

 何も起こらない。

 

 剣は沈黙している。

 

 気まずい。

 

 こちらから話しかけるべきだろうか。

 

 剣との初対面で、ここまで会話が弾まないとは思わなかった。

 

「別のものを使う」

 

 術式銃を渡された。

 

 引き金へ指をかけ、魔力を流す。

 

 銃口に小さな光が灯り――すぐ消えた。

 

「もう一度だ」

 

「はい」

 

 今度は最初から光らなかった。

 

 結界杭。

 

 反応なし。

 

 索敵盤。

 

 針がわずかに動いただけ。

 

 治癒補助具。

 

 最低出力にも届かない。

 

 教官が装置の故障を疑い、別の呪具へ交換した。

 

 結果は同じだった。

 

 ここまで嫌われると、少し傷つく。

 

 オレは第六真祖である。

 

 人類製の対吸血鬼呪具と相性がよくないことくらい、ある程度は予想していた。

 

 それでも、挨拶くらい返してくれてもいいではないか。

 

「もう一度、銀剣を」

 

 最初の剣へ戻る。

 

 両手で柄を握り、魔力を流す。

 

 刀身の根元に、申し訳程度の光が灯った。

 

 すぐに消える。

 

 教官が記録板へ結果を書き込んだ。

 

「呪具適性、最低等級」

 

 周囲がわずかにざわつく。

 

「前衛戦闘課程への配属は難しい。戦術、兵站、記録課程を推奨する」

 

「分かりました」

 

 理想的な結果だった。

 

 戦えない。

 

 前衛へ出す価値がない。

 

 人間用の武器も使えない。

 

 最強の吸血鬼が、対吸血鬼戦闘に適性なし。

 

 検査結果だけ見れば、かなり平和な冗談である。

 

「戦術点だけだったのか」

 

「模擬戦じゃ守られる側だな」

 

 後ろから、小さな声が聞こえた。

 

 嘲笑というほど悪意はない。

 

 同じ班になりたくないと考える受験生の、素直な感想なのだろう。

 

 実地試験では、役に立たない人間一人が班全体の合否を左右する。

 

 オレでも同じ立場なら警戒する。

 

 だから気にする必要はない。

 

「試験で分かる」

 

 アギトが低い声で言った。

 

 周囲へではない。

 

 だが、近くにいた受験生には十分聞こえたらしい。

 

 会話が止まる。

 

「アギト」

 

「何だ」

 

「喧嘩しちゃ駄目だよ?」

 

「してねえ」

 

「顔がしてる」

 

「事実を言っただけだ」

 

 カイの言い回しがうつっている。

 

 あまりよくない感染だった。

 

「お前は指示だけ出せ」

 

 アギトが言う。

 

「俺が全部、そのとおりにする」

 

「全部は困るかな。私だって間違えるよ?」

 

「そのときは俺が何とかする」

 

 昨日と同じ答えだった。

 

 無茶な理屈だ。

 

 けれど、アギトは一度決めたことを疑っていない。

 

「リーシャが戦う必要はないよ」

 

 カイが静かに続けた。

 

「僕とアギトがいるから」

 

「カイまで」

 

「足りない?」

 

「そういう意味じゃないよ」

 

「ならいい」

 

 カイにとっては、慰めですらない。

 

 オレが戦えないなら、自分たちが戦う。

 

 それだけのことらしい。

 

「適性がないことと、能力がないことは別です」

 

 澪が言った。

 

 オレたち三人が振り返る。

 

「筆記試験で、リーシャさんの判断力は証明されています」

 

「でも、模擬戦では足を引っ張るかもしれないよ?」

 

「その可能性はあります」

 

 澪は否定しなかった。

 

 そこが彼女らしい。

 

「ですが、私たちがリーシャさんの指示を実行できない可能性も同じようにあります。失敗した際、原因を一人へ押しつけるつもりはありません」

 

 真っ直ぐな言葉だった。

 

「模擬戦では、あなたの判断に従います」

 

「……ありがとう」

 

 原作ヒロインまで、オレの指揮下へ入ってしまった。

 

 本来なら、アギトの隣で共に戦い、距離を縮めてもらう予定だったのだが。

 

 なぜ全員、こちらを中心に配置され始めているのだろう。

 

 恋愛ルートを誘導するどころか、小隊長ルートへ入りかけている。

 

     ◇ ◇ ◇

 

 午後。

 

 オレたちは模擬市街地区画へ移動した。

 

 高い防壁の向こうには、崩れかけた建物と細い路地が再現されている。

 

 瓦礫。

 

 焼けた車両。

 

 割れた窓。

 

 遠目には、本物の廃市街地とほとんど変わらない。

 

 試験官が壇上から説明する。

 

「課題は、負傷者二名および機密資料の回収。その後、指定地点まで撤退せよ」

 

 地図が各班へ配られた。

 

「制限時間は四十分。班員の行動不能、救助対象の喪失、資料の未回収は減点となる」

 

 試験官は受験生全体を見渡す。

 

「目的は討伐ではない。救出と撤退だ。敵を倒すことへ固執するな」

 

 アギトが小さく舌打ちした。

 

「聞こえたよ?」

 

「何も言ってねえ」

 

「顔が不満そう」

 

「敵がいるなら倒した方が早いだろ」

 

「それで時間を使ったら意味ないよ」

 

「すぐ倒せばいい」

 

 試験開始前から、目的を忘れかけている。

 

 どうやら最初の任務は、アギトへ試験内容を覚えさせ続けることらしい。

 

「作戦を決めましょう」

 

 澪が地図を地面へ広げた。

 

 赤い線で推奨経路が記されている。

 

「正面から進み、中央区画で救助対象を回収。その後、東側の道を通って撤退地点へ向かいます」

 

 澪は地図を指でなぞる。

 

「綾辻さんが前衛。氷室さんが後方警戒。私は救助対象を運びます。リーシャさんは中央で地図と時間の管理を」

 

 合理的な配置だった。

 

「役割はそれでいいと思う」

 

 オレは地図を見る。

 

 正面の大通り。

 

 中央区画。

 

 東側の細い道。

 

 救助対象を回収するまでは問題ない。

 

 だが、帰りがまずい。

 

「待って」

 

「どうしましたか?」

 

「推奨経路は使わない方がいいと思う」

 

 澪の指が止まる。

 

「理由を説明してください」

 

 反発はしない。

 

 ただ、根拠を求める。

 

 オレは地図上の東側道路を指した。

 

「ここ、途中から道幅が狭くなってるよね」

 

「はい」

 

「両側は高い建物。負傷者を運んだ状態だと、隊列は縦に伸びる」

 

「それだけなら、後方を氷室さんが守れば対応できます」

 

「風向きは?」

 

 澪が地図の端を見る。

 

「北東から南西です」

 

「救助対象には、敵を誘導するための人工血液が塗られてるはず」

 

「なぜ分かるのですか?」

 

「この試験、敵を倒さず撤退できるかを見るんでしょ? 救助したあとの方が簡単なら、試験にならないから」

 

 地図の北側を指す。

 

「模擬吸血鬼は、たぶんここから来る。血の匂いは東側の細道へ流れる」

 

 狭い道。

 

 速度の落ちた班。

 

 後方から迫る敵。

 

 左右の建物には逃げ道がない。

 

「この道に入ったところで襲われたら、全員まとめて閉じ込められるよ」

 

 澪が黙って地図を見直す。

 

「では、どこを通りますか?」

 

「こっち」

 

 西側の脇道を指した。

 

 地図では瓦礫によって通行困難と記されている。

 

「ここは封鎖されています」

 

「完全に塞がってるとは書いてないよ」

 

「現地の状態が、地図と同じとは限りません」

 

「うん。だから最初にカイが確認する」

 

 カイを見る。

 

「できる?」

 

「何を?」

 

「瓦礫の隙間と、崩れる可能性を見てほしいの。通れそうなら、氷で一度固定できる?」

 

「できると思う」

 

「アギトは、通るのに邪魔な瓦礫だけ動かして」

 

「それくらいなら余裕だ」

 

「作業時間は?」

 

 澪が尋ねる。

 

「三分以内。無理なら諦めて、正規経路へ戻る」

 

「その場合、ほかの班より遅れます」

 

「でも、まだ救助前だから血の匂いはない。敵が来る前に戻れるよ」

 

 澪はしばらく地図を見ていた。

 

 指で距離を測り、時間を計算する。

 

「……分かりました」

 

 やがて頷いた。

 

「その案で進みましょう」

 

「いいの?」

 

「根拠があります。撤退条件も明確です」

 

 澪は規則を守る。

 

 けれど、決められた道しか歩けないわけではない。

 

 正しい理由があるなら、別の選択も受け入れる。

 

 この柔軟さがあるから、原作でもアギトと同じ小隊で戦えたのだろう。

 

「アギトもいい?」

 

「リーシャがそう言うなら、それでいい」

 

 地図すら見ずに即答した。

 

 澪がアギトを見る。

 

「あなたも確認してください」

 

「リーシャが確認した」

 

「自分でも確認してください」

 

「二度手間だろ」

 

「指揮官が誤った際、止めるのも班員の役目です」

 

「リーシャは間違えねえ」

 

「先ほど、本人が間違えることもあると言っていました」

 

 アギトがオレを見る。

 

「言ったか?」

 

「言ったよ」

 

「忘れた」

 

「早いね」

 

「都合の悪いことだけ忘れるのは、少し羨ましいです」

 

 澪が淡々と言った。

 

「嫌味か?」

 

「感想です」

 

 アギトは不満そうに地図を覗き込んだ。

 

 やがて、東側道路と風向きを確認する。

 

「……確かに、狭いな」

 

「確認して初めて分かることもあります」

 

「分かってた」

 

「今、確かにと言いました」

 

「うるせえ」

 

 二人は相変わらず噛み合わない。

 

 けれど、澪が言わなければ、アギトは地図を確認しなかった。

 

 アギトが現場で突っ走れば、澪は手順を思い出させる。

 

 澪が規則に縛られれば、アギトが目の前の人間を優先させる。

 

 喧嘩しながら、互いに足りない部分を補っている。

 

 いい。

 

 実にいい。

 

 そのまま距離も補ってほしい。

 

「リーシャ」

 

「なあに?」

 

 アギトが地図を畳み、オレの頭へ手を置いた。

 

「お前は俺の後ろから離れるな」

 

「どうして急に子供扱いするの?」

 

「戦闘適性なしなんだろ」

 

「検査結果を盾に取るの、よくないと思うな」

 

「事実だ」

 

「指揮官を守りすぎると、周りが見えなくなるよ?」

 

「お前が見てればいい」

 

「ずいぶん都合がいいね」

 

「今さらだろ」

 

 否定できない。

 

 アギトが前を守り、オレが周囲を見る。

 

 八年前から続いてきた役割だった。

 

 澪との関係が順調に進みかけても、最後にはこちらへ戻ってくる。

 

 主人公の視線誘導が、どうにも上手くいかない。

 

「試験開始、一分前!」

 

 教官の声が響いた。

 

 模擬市街地を塞いでいた巨大な鉄扉が、低い音を立てて開いていく。

 

 その向こうには、崩れた街が広がっていた。

 

 割れた窓。

 

 焼けた道路。

 

 入り組んだ路地。

 

 遠くから、何かが地面を引っ掻くような音が聞こえる。

 

 模擬吸血鬼。

 

 人間の動きと魔力へ反応し、受験生を追跡する訓練用の自動人形だ。

 

 周囲の班が身構える。

 

 澪がオレを見る。

 

 カイも静かに待っている。

 

 アギトは正面へ向き直り、腰の訓練剣へ手をかけた。

 

「指示を出せ、リーシャ」

 

 戦闘適性なし。

 

 呪具適性、最低等級。

 

 前衛としては役に立たない。

 

 今日一日で、そう評価された少女へ。

 

 三人が判断を預けている。

 

 試験開始の鐘が鳴った。

 

 ほかの班が一斉に、地図へ記された正面経路へ走り出す。

 

 第七班だけが、その場に残った。

 

 オレは地図を折り畳み、瓦礫に塞がれた西側の路地を指さした。

 

「推奨経路は使わないよ」

 

 澪が頷く。

 

 カイが歩き出す。

 

 アギトが、オレたちの前へ出る。

 

「私たちは、こっち」

 

 こうして、戦闘適性なしと判定されたオレの指揮で、入学試験が始まった。

 

 ――早くも、試験要項とは別の方向へ走りながら。

 

 

 

 

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