【TS】主人公の両親を殺したラスボス吸血鬼ですが、彼の最後の家族をやってます。   作:サボテニウム

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第34話 原作本編、始まります!

 

 

 

 試験開始の鐘が鳴った。

 

 ほかの班が一斉に正面へ走り出す中、第七班だけが西へ向かう。

 

「カイ、先に見てきてくれる?」

 

「うん」

 

 カイが瓦礫の間へ入っていく。

 

 地図では『通行困難』。

 

 実際に来てみると、その表現はずいぶん親切だった。

 

「……ほとんど塞がっていますね」

 

 澪が崩れた建物を見上げる。

 

「地図より状態が悪いです」

 

「うん」

 

「どうしますか?」

 

「三分で無理なら戻ろう」

 

 自分で選んだ道ではあるが、心中する義理はない。

 

 判断を変えないことと、判断力があることは別である。

 

 しばらくして、瓦礫の向こうからカイの顔が出た。

 

「通れるよ」

 

「本当?」

 

「でも、崩れる」

 

「どっちなの?」

 

「今は通れる。でも四人通ったら、たぶん崩れる」

 

 安心と不安を一つの文章に詰め込まないでほしい。

 

「固定できそう?」

 

「できると思う」

 

「どのくらい?」

 

「僕たちが通るくらいなら」

 

「じゃあお願い」

 

「うん」

 

 カイが瓦礫へ手を触れた。

 

 白い霜が指先から広がる。

 

 石と石の隙間へ氷が入り込み、ひび割れた壁を包みながら固まっていった。

 

 少し離れていても、空気が一気に冷えるのが分かる。

 

「アギト。大きいのだけお願い」

 

「任せろ」

 

 アギトが腕まくりする。

 

 人一人では動かせそうにない石塊へ両手をかけ、そのまま横へ押した。

 

 ごり、と嫌な音が鳴る。

 

「ちょっと待って」

 

「何だよ」

 

「そのまま引っ張ったら上が落ちるよ」

 

「じゃあどうすんだ」

 

「右を少し持ち上げて。カイ、そこ固定できる?」

 

「できる」

 

「澪ちゃんは後ろ見てて。何か来たら教えて」

 

「承知しました」

 

「よし。アギト、今」

 

「おう」

 

 石塊がずれる。

 

 人一人が屈めば通れる程度の穴ができた。

 

 アギトが額の汗を拭う。

 

「通れりゃいいだろ」

 

「かなり力任せですね」

 

 澪が言う。

 

「何だよ」

 

「否定はしていません」

 

「なら最初からそう言え」

 

「今、言いました」

 

 昨日より会話が成立している。

 

 いい傾向だ。

 

 文明の夜明けを見ている気分である。

 

「時間」

 

 カイが言った。

 

「あ」

 

 開始から二分四十秒。

 

「行こう。カイが先頭。次に私、澪ちゃん。アギトは最後」

 

「俺が前じゃなくていいのか?」

 

「今は戦うより、通れるかを見る方が大事だから」

 

「分かった」

 

 意外と素直に従った。

 

 四人で瓦礫の隙間を抜ける。

 

 最後にアギトが通りきった直後、頭上からぱらぱらと小石が落ちた。

 

 凍結していなければ、今ごろ全員仲良く生き埋めだったかもしれない。

 

「カイ」

 

「何?」

 

「帰りも持つ?」

 

 カイが振り返る。

 

 しばらく氷を見た。

 

「たぶん」

 

「その『たぶん』、信用していい方?」

 

「分からない」

 

「素直だね」

 

 嘘をつかれるよりはいい。

 

 帰りのオレたちに期待しよう。

 

 

     ◇ ◇ ◇

 

 

 西側の路地へ入って三分。

 

 最初の模擬吸血鬼が現れた。

 

 建物の窓が割れる。

 

 黒い人影が二階から飛び降りた。

 

 一体。

 

 続けて路地の奥から二体。

 

 合計三体。

 

 人型だが、顔には簡素な仮面。指先には訓練用の鈍い爪が取り付けられている。

 

 攻撃を受けても死ぬことはない。

 

 たぶん痛いだけだ。

 

 痛いなら十分避けたい。

 

「アギト、正面」

 

「おう」

 

「カイは左を塞いで。澪ちゃんは私と後ろ」

 

「承知しました」

 

「二十秒で終わらせる」

 

 アギトが剣を抜いた。

 

「十五秒なら褒めてあげる」

 

「言ったな」

 

 飛び出した。

 

 一体目がアギトへ突進する。

 

 剣が横薙ぎに走り、胸部の標的へ直撃した。

 

 魔力光が一瞬弾け、模擬吸血鬼が停止する。

 

 残る二体が左右へ分かれた。

 

「カイ」

 

「うん」

 

 左へ回った一体の足元が凍る。

 

 脚を取られ、動きが止まった。

 

 アギトが二体目を斬る。

 

 十一秒。

 

 残り一体。

 

 その姿が消えた。

 

「……?」

 

 澪が周囲を見る。

 

 違う。

 

 上だ。

 

「アギト、右!」

 

 言うより早く、アギトが身体を捻った。

 

 屋根から落ちてきた模擬吸血鬼の爪を剣で弾く。

 

 そのまま懐へ入り、胸部の標的を突いた。

 

 停止。

 

「何秒だ!」

 

「十四秒」

 

「よし」

 

「本当に十五秒以内にやるんだ」

 

 言った本人が一番驚いてしまった。

 

 アギトが剣を肩へ担ぐ。

 

「約束だろ。褒めろ」

 

「えらいえらい」

 

「雑だな!」

 

「ちゃんと褒めてるよ?」

 

 澪が停止した模擬吸血鬼を確認してから、こちらを見た。

 

「先ほどの指示ですが」

 

「うん?」

 

「綾辻さんは、確認せずに反応しましたね」

 

 アギトが答える。

 

「リーシャが言ったからな」

 

「それだけですか?」

 

「それで十分だろ」

 

「視認できていなかったのでは?」

 

「だからリーシャが見てた」

 

「ですが、判断を誤る可能性も――」

 

「そのときは俺が何とかする」

 

 またそれである。

 

「アギト」

 

「何だよ」

 

「澪ちゃんが正しいよ」

 

「お前までかよ」

 

「確認できる余裕があるなら確認した方がいいよ。今のは余裕がなかったから、それでよかったけど」

 

「……分かった」

 

 少し不満そうだが、頷いた。

 

 八年前なら、もう二往復くらい反論していただろう。

 

 成長したものである。

 

 まあ、十四秒で三体倒せる十六歳が、一般的な成長をしているかは別問題だが。

 

 

     ◇ ◇ ◇

 

 

 最初の救助地点へ着いたのは、開始から九分後だった。

 

 正規経路を使った想定時間より、三分近く早い。

 

「リーシャさんの判断が当たりましたね」

 

 澪が地図を見る。

 

「まだ帰りがあるから、喜ぶのは早いかな」

 

「ですが、現時点では成功です」

 

「ありがとう」

 

 救助対象は、半壊した三階建ての建物にいる。

 

 入口横の札には『二階・負傷者一名』。

 

 窓から内部を覗く。

 

 階段は残っている。

 

 ただし、ところどころ床が抜けていた。

 

「私が行きます」

 

 澪が前へ出た。

 

「うん。澪ちゃんが一番いいと思う」

 

「俺が行く」

 

 アギトも続く。

 

「アギトが入ったら、床まで壊しそうなんだけど」

 

「壊さねえよ!」

 

「壊しそう」

 

 カイが言った。

 

「お前ら俺を何だと思ってんだ!」

 

「重い人」

 

「体重の話じゃねえ!」

 

 アギトはしばらくこちらを睨んでいたが、結局澪の後ろについて建物へ入った。

 

「二人で行く必要がありますか?」

 

 入口で澪が振り返る。

 

「一人で行かせるわけねえだろ」

 

「救助対象は人形です」

 

「建物は本物だろ」

 

 澪が一瞬黙った。

 

「……分かりました」

 

 二人の姿が建物の中へ消える。

 

 うん。

 

 二人きりで救助イベント。

 

 非常にいい。

 

「リーシャ」

 

「なあに?」

 

「顔、嬉しそう」

 

「試験が順調だからね」

 

「そう」

 

 カイはそれ以上聞かなかった。

 

 助かる。

 

 二階から物音がした。

 

 救助対象を見つけたらしい。

 

「確保しました!」

 

 澪の声。

 

 その直後。

 

 みし、と建物全体が軋んだ。

 

「……カイ」

 

「うん」

 

 嫌な音だった。

 

 二階の窓から埃が噴き出す。

 

 次の瞬間、内部で何かが崩れる大きな音がした。

 

「アギト!」

 

 駆け寄りかける。

 

「大丈夫だよ」

 

 カイが言った。

 

「どうして分かるの?」

 

「魔力が動いてる」

 

 数秒後。

 

 入口から澪が現れた。

 

 その後ろから、救助人形を肩へ担いだアギト。

 

 二人とも無傷。

 

「大丈夫!?」

 

「ああ」

 

「問題ありません」

 

 澪の髪に埃がついている。

 

 アギトの肩にも細かな木屑。

 

「中で何があったの?」

 

「梁が落ちた」

 

 アギトが答える。

 

「久世が避けるの遅れただけだ」

 

「遅れていません」

 

「俺が引っ張らなかったら当たってただろ」

 

「救助対象を確保していたためです」

 

「だから一人で入るなって言ったんだよ」

 

「結果論です」

 

「無事なら何でもいい」

 

 アギトは救助人形を地面へ下ろす。

 

「怪我は?」

 

「ありません」

 

「ならいい」

 

 それだけ。

 

 澪が一瞬、アギトを見た。

 

 何かを言いかけたようにも見えたが、そのまま口を閉じる。

 

 オレは二人を見比べた。

 

(お?)

 

 これは。

 

 ひょっとして。

 

「リーシャ」

 

「なあに?」

 

 アギトがこちらへ来た。

 

「お前は怪我してねえな?」

 

「ずっと外にいた私に聞く?」

 

「敵が来てたかもしれねえだろ」

 

「カイもいたよ」

 

「お前に聞いてる」

 

「……ないよ?」

 

「ならいい」

 

(そっちはいいから澪ちゃん見ててよ)

 

 フラグが立ったと思ったら、建築主がすぐ別の土地へ帰ってきた。

 

 恋愛というものは難しい。

 

 

     ◇ ◇ ◇

 

 

 第一救助対象を確保したあと、第二地点までは大きな戦闘もなかった。

 

 カイが後方を警戒し、アギトが前を歩く。

 

 澪は救助人形を運びながらも、足取りが乱れない。

 

 オレは中央で地図と時計を見る。

 

 思った以上に、小隊として動けている。

 

 昨日会ったばかりの澪が混ざっているとは思えないくらいだ。

 

 まあ、残り三人は八年間一緒なのだから、当然と言えば当然かもしれない。

 

「次、左」

 

「分かりました」

 

「アギト、その角ゆっくりね」

 

「敵か?」

 

「分からないから、ゆっくり」

 

「いなけりゃ走るぞ」

 

「見てからね」

 

「はいはい」

 

 返事が軽い。

 

 でも、ちゃんと速度は落とす。

 

 こういうところは昔より扱いやすくなった。

 

 第二救助対象も無事確保。

 

 残るのは機密資料。

 

 指定された建物へ入り、机の上に置かれた封筒を回収する。

 

「これで全部ですね」

 

 澪が言った。

 

「うん。あとは帰るだけ」

 

 封筒の横には、試験用の作戦図が広げられていた。

 

 何気なく目をやる。

 

「……」

 

 手が止まった。

 

 崩れた市街地。

 

 西へ延びる幹線道路。

 

 古い住宅区画。

 

 川。

 

 複数の地下通路。

 

 どこかで見たことがある。

 

「リーシャ?」

 

 アギトが呼ぶ。

 

「どうした」

 

「……ううん」

 

 もう一度だけ地図を見る。

 

 完全に同じではない。

 

 それでも、妙に引っかかる。

 

「何でもないよ。行こう」

 

 封筒を鞄へ入れる。

 

 実在する旧市街地を参考に演習区画を作ることくらい、珍しくはないのだろう。

 

 今考えることではない。

 

 そう判断して、頭から追い出した。

 

 

     ◇ ◇ ◇

 

 

 帰路へ入ったころ、遠くから戦闘音が聞こえ始めた。

 

 金属の衝突。

 

 叫び声。

 

 推奨経路の方角だ。

 

「始まりましたね」

 

 澪が言った。

 

 少し高い建物の踊り場から様子を見ると、狭い道路へいくつもの班が集中していた。

 

 前方から模擬吸血鬼。

 

 後方からも別の集団。

 

 救助人形を抱えた状態では、自由に動けない。

 

 予想どおりだった。

 

「リーシャさんの読みが当たりました」

 

「嬉しくない当たり方だけどね」

 

 試験官も想定している罠だろう。

 

 あそこからどう抜け出すかを見るのも、試験の一部。

 

「私たちはこのまま進みましょう」

 

 澪が言った。

 

「試験官が監視しています。他班へ介入すれば、かえって相手の試験を妨害する可能性があります」

 

「うん」

 

 正しい。

 

 これは本物の戦場ではない。

 

 助けに入れば、相手の評価まで狂わせてしまう。

 

「行くぞ」

 

 アギトも一度だけ向こうを見て、歩き出した。

 

 そのときだった。

 

 遠くで、鈍い音が鳴った。

 

 道路脇の床面が沈む。

 

 一人の受験生の姿が消えた。

 

「――っ!」

 

 直後に聞こえた悲鳴は、さっきまでとは違った。

 

 演技ではない。

 

 訓練用の痛みに対する声でもない。

 

 オレは足を止める。

 

「……今の」

 

「本当に怪我してる」

 

 カイが言った。

 

 アギトはもう向こうを見ていた。

 

 路面の一部が陥没している。

 

 落ちた受験生が、穴の中で脚を押さえていた。

 

 同じ班の仲間が二人、助けに向かおうとしている。

 

 だが、一人はすでに胸部へ赤い判定灯が点いていた。

 

 行動不能。

 

 もう一人も、模擬吸血鬼を引きつけるので精一杯だ。

 

 試験官たちも動き始めている。

 

 それでも距離がある。

 

「リーシャ」

 

 アギトが言った。

 

 顔を見れば分かった。

 

 止めても行く。

 

 いや。

 

 止める理由がない。

 

「うん」

 

「悪い」

 

「謝らなくていいよ」

 

 オレは時計を見る。

 

 残り十二分。

 

「行って」

 

 アギトが走った。

 

「あの」

 

 澪がこちらを見る。

 

「私も同行してもよろしいでしょうか」

 

「澪ちゃんも?」

 

「実際の負傷者であれば、救護は私の方が適任です」

 

 一拍も迷わない。

 

「お願いします」

 

「はい」

 

 澪もアギトを追う。

 

「カイ」

 

「何?」

 

「私たちも行くよ。カイは後ろから来る敵を止めて。私は時間と帰り道を見る」

 

「分かった」

 

 試験は予定から外れた。

 

 でも、やることはむしろ簡単になった。

 

 助ける。

 

 そのあと、全員連れて帰る。

 

 

     ◇ ◇ ◇

 

 

 現場へ着いたとき、負傷した少年は穴から引き上げられていた。

 

 右脚。

 

 腫れ方がおかしい。

 

「触らないでください!」

 

 澪が膝をつく。

 

「動かさないで。状態を確認します」

 

 残っていた受験生が場所を空ける。

 

「俺たちの班員です。俺が――」

 

「あなたは右腕に行動不能判定が出ています」

 

 澪が一度だけ相手を見る。

 

「今は動かさないでください。こちらで対応します」

 

「……お願いします」

 

 アギトはその前へ立った。

 

 模擬吸血鬼が二体。

 

 事故を認識した試験官から停止命令が飛んでいるはずだが、まだこちらまで届いていない。

 

「俺が止める」

 

「お願いします」

 

 澪は負傷者の脚へ触れた。

 

「骨折の可能性があります。固定します」

 

 アギトが一体目を斬る。

 

 二体目が横へ回る。

 

「アギト、左!」

 

「分かってる!」

 

 剣で爪を受ける。

 

 さらに後ろから一体。

 

 カイが手を伸ばした。

 

 地面が凍り、模擬吸血鬼の脚を封じる。

 

「三体目」

 

「助かる!」

 

 澪は負傷者だけを見ている。

 

 添え木。

 

 固定帯。

 

 手が速い。

 

 そこへ、止められていた一体が氷を砕いた。

 

 澪の死角。

 

「澪!」

 

 アギトが叫んだ。

 

 振り向くより早く、澪の前へ割って入る。

 

 爪を剣で受け止め、そのまま押し返した。

 

「そっちは任せた!」

 

「……はい!」

 

 澪の返事が、一瞬だけ遅れた。

 

 でもすぐに負傷者へ向き直る。

 

 アギトが模擬吸血鬼を倒す。

 

 カイが最後の一体を凍らせる。

 

 遅れて試験官の停止信号が届き、残った人形の動きが止まった。

 

(名前呼び!)

 

 来た。

 

 今、確かに澪って呼んだ。

 

 原作主人公が仕事をしている。

 

「リーシャ」

 

「なあに?」

 

「顔、嬉しそう」

 

 またカイだった。

 

「人が助かったからだよ?」

 

「そう」

 

 それ以上は聞かない。

 

 やはり助かる。

 

「固定できました」

 

 澪が立ち上がった。

 

「搬送できます。ただし、歩かせるのは無理です」

 

「俺が担ぐ」

 

 アギトが迷わずしゃがむ。

 

「綾辻さん、試験の救助対象もあります」

 

「だから俺がこいつを持つ。人形より人間だろ」

 

 少年を背負う。

 

 澪が少しだけアギトを見た。

 

 今度は何も言わなかった。

 

 ただ、その視線が昨日までとは少し違って見えた。

 

「残り九分」

 

 カイの声で現実へ戻された。

 

「……まずいね」

 

 こちらには救助人形二体。

 

 機密資料。

 

 さらに本物の負傷者一人。

 

 正規経路は混雑。

 

 帰るなら西側。

 

「配置を変えるよ」

 

 三人がこちらを見る。

 

「アギトはその人をお願い。澪ちゃんは一体。カイはもう一体を運んで。私は資料を持って先に道を見る」

 

「待て」

 

 アギトが即座に反応した。

 

「お前が先頭は駄目だ」

 

「今は私が一番身軽なんだから仕方ないよ」

 

「戦えねえだろ」

 

「敵が来たら逃げる」

 

「一人でか?」

 

「カイは後ろをお願い」

 

 カイを見る。

 

「追ってくる敵を止められるの、カイだけだから」

 

「うん」

 

「リーシャ」

 

「大丈夫」

 

 アギトを見る。

 

「敵がいたら戦わない。すぐ戻る。約束する」

 

「……絶対だぞ」

 

「うん」

 

 ようやく頷いた。

 

 澪がそのやり取りを黙って見ている。

 

「行こう」

 

 走り出した。

 

 

     ◇ ◇ ◇

 

 

 残り六分。

 

 行きに使った西側の迂回路へ戻る。

 

「カイ」

 

「もう長く持たない」

 

「やっぱり?」

 

「うん」

 

 氷には大きな亀裂が入っている。

 

 日差しと振動で、かなり融けていた。

 

「通れる?」

 

「今なら」

 

「じゃあ順番に」

 

 最初にオレが入る。

 

 鞄を胸へ抱え、屈んで瓦礫の下を抜ける。

 

 向こう側へ出る。

 

「次、澪ちゃん!」

 

「はい!」

 

 救助人形を引きずりながら通過。

 

 続いてアギト。

 

 人間を背負っているため、身体を低くしにくい。

 

「右肩!」

 

 オレが叫ぶ。

 

「分かってる!」

 

 瓦礫へぶつかる寸前で身体を捻り、抜けた。

 

 最後にカイ。

 

 救助人形を先へ押し込み、自分も穴へ入る。

 

 ぱき、と氷が鳴った。

 

「カイ!」

 

「大丈夫」

 

 滑り込む。

 

 その直後。

 

 背後で氷が砕けた。

 

 瓦礫が一気に崩れ、通路を完全に塞ぐ。

 

 大きな音が路地へ響いた。

 

「……帰り道なくなったね」

 

「帰ったから問題ないよ」

 

 カイが言う。

 

「前向きだね」

 

「後ろは塞がったから」

 

「そういう意味じゃないんだけどな」

 

 だが、追撃も来られない。

 

 あとはゴールまで走るだけ。

 

「残り四分!」

 

 澪が言った。

 

 走る。

 

 途中、アギトの速度が落ちた。

 

 負傷者を背負っている。

 

「綾辻さん」

 

「何だ」

 

「代わります」

 

「無理すんな」

 

「救護搬送は訓練しています。今の速度では間に合いません」

 

「俺が持った方が――」

 

「綾辻さんが前を空けた方が速いです」

 

 アギトが黙る。

 

 一瞬だけ。

 

「……分かった」

 

 少年を澪へ預けた。

 

「任せた」

 

「はい」

 

 昨日のアギトなら、意地でも自分で運んだだろう。

 

 でも今は、澪の能力を知っている。

 

 だから任せた。

 

 アギトが前へ出る。

 

 最後の角から模擬吸血鬼が一体現れた。

 

「邪魔だ!」

 

 走ったまま剣を抜く。

 

 一撃。

 

 標的を斬り、止める。

 

「道空いたぞ!」

 

「そのまま!」

 

 オレが先へ走る。

 

 アギトが前。

 

 澪が負傷者。

 

 カイが救助人形を運びながら後方を警戒する。

 

 もう一体の救助人形は、行動可能だった他班の受験生に運んでもらっている。

 

 オレが道を選ぶ。

 

 全員、やることが違う。

 

 なのに不思議なくらい、足並みは揃っていた。

 

「残り一分!」

 

 ゴールの門が見える。

 

「走れ!」

 

 アギトが叫んだ。

 

 三十秒。

 

 澪が入る。

 

 二十二秒。

 

 カイ。

 

 十六秒。

 

 アギトが門の直前で振り返った。

 

「リーシャ!」

 

「先に行って!」

 

 オレだけ少し遅れていた。

 

 戦えない。

 

 呪具も使えない。

 

 そして単純に、足もアギトほど速くない。

 

 八秒。

 

「アギト!」

 

「置いてくわけねえだろ!」

 

 こっちへ戻ってくる。

 

「戻らなくていいって!」

 

「うるせえ!」

 

 手をつかまれた。

 

 そのまま引っ張られる。

 

 三。

 

 二。

 

 一。

 

 門をくぐる。

 

 終了の鐘が鳴った。

 

「……間に合った?」

 

 息を切らしながら時計を見る。

 

 表示は。

 

 四十分二秒。

 

「…………」

 

 二秒。

 

「アギト」

 

「何だ」

 

「二秒遅れたよ?」

 

「全員入っただろ」

 

「二秒遅れたの」

 

「細けえ」

 

「試験だよ?」

 

「お前置いてくよりマシだ」

 

 言い切った。

 

 こういうところがあるから困る。

 

 

     ◇ ◇ ◇

 

 

 結果発表は、その日の夕方だった。

 

 第七班。

 

 救助対象二名。

 

 機密資料。

 

 班員全員生還。

 

 追加の実負傷者一名。

 

 制限時間、二秒超過。

 

 途中で他班へ介入したため、監督官による確認が長引いていた。

 

「落とすなら俺だけ落とせ」

 

 教官の前で、アギトが言った。

 

「何でそうなるの?」

 

「戻るって決めたのは俺だ」

 

「止めなかったのは私だよ」

 

「私も同行を申し出ました」

 

 澪が続く。

 

「僕も行った」

 

 カイも言う。

 

「お前ら……」

 

 アギトが振り返る。

 

「勝手に一人で責任取らないでよ」

 

「そうです。判断は班全体で行いました」

 

「僕も同じ」

 

 三方向から言われ、アギトが黙った。

 

 教官はしばらくオレたちを見ていた。

 

「誰が不合格だと言った」

 

「え?」

 

 アギトが顔を上げる。

 

「救助対象二名、確保。機密資料、回収。班員全員、生還。加えて実負傷者一名を救助」

 

 記録板が閉じられる。

 

「第七班、合格だ」

 

「……いいの?」

 

 思わず聞いてしまった。

 

「事故発生後の時間は、そのまま評価には使わん。二秒で落とすほど馬鹿な採点はしていない」

 

 よかった。

 

 人類にも融通というものは存在したらしい。

 

「それと、推奨経路を外れた件も問題ない」

 

 教官が続ける。

 

「推奨は命令じゃない。現場を見て、より安全な経路を選んだなら、それも判断だ」

 

 少しだけ安心した。

 

 勝手に道を変えたせいで減点されていたら、戦術試験とは何なのかについて考え直すところだった。

 

「ただし」

 

 教官の声が低くなる。

 

「事故発生後の対応には問題がある」

 

 アギトを見る。

 

「班内で指揮を通したのはいい。だが、実事故が発生した時点で監督官にも報告しろ。お前らだけで全部処理しようとするな」

 

「……はい」

 

「助けに行った判断を責めてるわけじゃない。報告を怠れば、別の教官が同じ負傷者を助けに向かう。その間、ほかの受験生を見る人間が減る」

 

「分かりました」

 

「現場で勝手に英雄になるな。助けるなら、助けるために頭を使え」

 

「はい」

 

 今度は素直だった。

 

 横を見る。

 

 澪がアギトを見ている。

 

 口には出さない。

 

 しかし、その表情が言っていた。

 

 ほら。

 

「何だよ」

 

 アギトが気づいた。

 

「何も言っていません」

 

「顔が言ってる」

 

「そうでしょうか」

 

「絶対そうだろ」

 

 昨日より、少しだけ距離が近い。

 

 いい。

 

 本当にいい。

 

 

     ◇ ◇ ◇

 

 

 校舎を出る前。

 

 澪がアギトを呼び止めた。

 

「綾辻さん」

 

「何だ」

 

「先ほどは、ありがとうございました」

 

「何が?」

 

「建物の中と、負傷者の救護中です」

 

「ああ」

 

 アギトは少し考えてから、肩をすくめた。

 

「別にいいって」

 

「それでもです」

 

 澪が小さく頭を下げる。

 

「助けていただいたのは事実ですから」

 

「お前が怪我したら、負傷者を助けられねえだろ」

 

「……そうですね」

 

 少しだけ拍子抜けしたような顔。

 

 それから。

 

 澪が、ほんのわずかに笑った。

 

 初めて見る笑顔だった。

 

 アギトも気づいたらしい。

 

「お前、そういう顔もできんだな」

 

 台無しにした。

 

「失礼ですね」

 

「何でだよ。褒めただろ」

 

「褒め言葉には聞こえません」

 

「面倒くせえな」

 

「よく言われます」

 

 また同じやり取り。

 

 でも、昨日とは違う。

 

(いいぞ)

 

 順調。

 

 実に順調である。

 

「リーシャ」

 

「なあに?」

 

 もう来た。

 

「怪我してねえな?」

 

「何回確認するの?」

 

「答えろ」

 

「ないよ」

 

「本当に?」

 

「ほら」

 

 両腕を広げて見せる。

 

「無傷です」

 

「ならいい」

 

 ようやく安心したように息を吐く。

 

 その顔を、澪が少し離れたところから見ていた。

 

 なぜだろう。

 

 ほんの少しだけ、嫌な予感がした。

 

 

     ◇ ◇ ◇

 

 

 数日後。

 

 合格通知が届いた。

 

 オレも。

 

 アギトも。

 

 カイも。

 

 三人揃って、正式にアカデミーへの入学が認められた。

 

 それは同時に、八年間暮らした家を出る日でもある。

 

 アカデミーは全寮制だ。

 

 玄関には、大きな鞄が三つ並んでいた。

 

「忘れ物すんなよ」

 

 月夜さんが壁へ寄りかかっている。

 

「大丈夫だよ」

 

「お前が言うと一番信用できねえ」

 

「ひどくない?」

 

「昨日だけで三回荷物開け直してただろ」

 

「確認は大切だよ?」

 

「三回目で下着入れ忘れてたやつが言うな」

 

「月夜さん!」

 

 アギトが笑っている。

 

 カイは無表情で鞄を持ち上げた。

 

「行こう」

 

「カイは寂しくないの?」

 

「何が?」

 

「この家を出るの」

 

 カイが部屋の奥を見る。

 

 少しだけ。

 

「帰ってくるでしょ」

 

「……そうだね」

 

「ならいい」

 

 らしい答えだった。

 

「寮じゃ朝起こしてくれるやつはいねえぞ」

 

 月夜さんが言う。

 

「リーシャは俺が起こす」

 

 アギトが即答した。

 

「何でアギトが決めるの?」

 

「今まで俺が起こしてただろ」

 

「女子寮まで来たら捕まると思うな」

 

「じゃあ自分で起きろ」

 

「急に突き放された」

 

「当たり前だ」

 

 月夜さんが鼻で笑う。

 

「少しは自立してこい」

 

「月夜さんこそ、私たちいなくなったら寂しくて泣かないでね?」

 

「昼飯代が減って助かる」

 

「そこは寂しがってよ」

 

「はいはい。寂しい寂しい」

 

「気持ちがない!」

 

「早く行け。初日から問題起こすなよ」

 

「まだ入学前だよ?」

 

「お前ら三人なら今からでも起こせる」

 

「信用がないなあ」

 

「八年分の実績があるからな」

 

 最後まで雑だった。

 

 でも。

 

「……行ってきます」

 

 口にすると、少しだけ胸が詰まる。

 

 八年前。

 

 行く場所のなかったオレたちが、この家へ来た。

 

 それが今日、自分たちから外へ出ていく。

 

「おう」

 

 月夜さんが答えた。

 

「ちゃんとやってこい」

 

「うん」

 

 笑って、玄関を出た。

 

 

     ◇ ◇ ◇

 

 

 入寮を済ませた翌朝。

 

 新品の制服は、思ったより着心地が悪かった。

 

 鏡の前で襟を直す。

 

 ピンクブロンドの髪。

 

 葡萄色の瞳。

 

 原作ゲームで何度も見たアカデミーの制服。

 

 まさか自分で着ることになるとは思わなかった。

 

「リーシャ、遅い!」

 

 窓の外から、聞き慣れた声が飛んできた。

 

「今行くよー!」

 

 鞄を持って階段を下りる。

 

 男子寮と女子寮は当然別だ。

 

 なので、アギトは女子寮棟の前で待っている。

 

 朝から女子寮へ突入するほど、主人公としての常識を捨ててはいなかったらしい。

 

 門の前にはアギトとカイ。

 

 少し離れて、澪も待っていた。

 

「おはようございます」

 

「おはよう、澪ちゃん」

 

「遅いぞ」

 

「時間には間に合ってるよ」

 

「俺を待たせた」

 

「またそれ?」

 

 数日前にも聞いた。

 

 たぶん卒業まで聞くことになるのだろう。

 

 四人で入学式へ向かう。

 

 校舎。

 

 講堂。

 

 新入生たち。

 

 ゲームの画面で見た場所が、今は全部、自分の周囲に存在している。

 

 そして式が終わり。

 

 所属小隊が発表された。

 

『第六小隊』

 

「……」

 

 よりによって六番か。

 

 人事担当に心を読まれている可能性については、考えないことにする。

 

『綾辻アギト』

 

「おう」

 

『氷室カイ』

 

「はい」

 

『久世澪』

 

「はい」

 

『リーシャ・クーゲルシュタイン』

 

「はい」

 

 原作主人公。

 

 原作ヒロイン。

 

 原作ではここにいなかったカイ。

 

 そして、第六真祖。

 

 第六小隊。

 

(……人事担当、もうちょっと考えて?)

 

 偶然にしては、番号の趣味が悪い。

 

 もちろん、事情を知っている人間はいない。

 

 いないはずだ。

 

 たぶん。

 

「第六小隊は第一演習棟、第三教室へ移動。担当教官の指示を受けろ」

 

 案内役の教官が告げる。

 

「どんな教官でしょうか」

 

 澪が言った。

 

「誰でもいい」

 

 アギトが答える。

 

「俺たちがやることは変わらねえだろ」

 

「担当教官の指示には従ってください」

 

「必要ならな」

 

「始まる前から不安になることを言わないでください」

 

「カイは?」

 

 オレが聞く。

 

「面倒じゃない人がいい」

 

「私は優しい人がいいなあ。宿題が少ないとなお嬉しい」

 

「それは教官の資質とは関係ありません」

 

「大事だよ?」

 

 そんな話をしながら、第三教室へ入った。

 

 誰もいない。

 

 教卓も空。

 

「まだ来ていないようですね」

 

「遅刻か?」

 

「綾辻さんが言える立場ではありません」

 

「俺は遅刻してねえ」

 

「先日の話です」

 

「今日の話しろよ」

 

 澪とアギトが早速始める。

 

 カイは窓際の席へ向かった。

 

 オレは教卓を見る。

 

 黒板に一行。

 

 ずいぶん雑な字で書いてあった。

 

 

『勝手に座って待ってろ。死なない程度に』

 

 

「……」

 

 何だろう。

 

 ものすごく身近なところで、こういう言い回しを聞いたことがある気がする。

 

「どうしました?」

 

 澪が聞く。

 

「ううん」

 

 首を傾げる。

 

「この学校、死なないって言葉が好きだなって」

 

「重要なことですから」

 

「そうなんだけどね」

 

 まあ、いいか。

 

 席へ向かう。

 

「リーシャ」

 

「なあに?」

 

 先に座っていたアギトが、隣の席を顎で示した。

 

「ここ」

 

「指定席じゃないでしょ?」

 

「空いてる」

 

「他も全部空いてるよ」

 

「ここでいいだろ」

 

「はいはい」

 

 隣へ座る。

 

 アギトはそれだけで満足したように前を向いた。

 

 澪も近くの席へ座る。

 

 カイは窓際。

 

 入学試験で、アギトと澪の間には確かに小さなフラグが立った。

 

 助けた。

 

 能力を認めた。

 

 名前で呼んだ。

 

 笑顔も見た。

 

 順調である。

 

 あとはアギトが、そのうち澪ちゃんあたりを好きになってくれればいい。

 

 そうすれば。

 

 リーシャルートから外れる。

 

 オレは死なずに済む。

 

 簡単な話だ。

 

 ――このときのオレは、まだそう思っていた。

 

 原作本編。

 

 今度こそ、本当に始まります。

 

 

 

 

 

 

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