【TS】主人公の両親を殺したラスボス吸血鬼ですが、彼の最後の家族をやってます。   作:サボテニウム

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第37話 二人部屋

 

 

 

 初日が終わった。

 

 正確には、終わらせてもらった。

 

「疲れた……」

 

 アカデミーの廊下を歩きながら、思わず声が漏れる。

 

「お前、今日それ何回目だよ」

 

「疲れるたびに言ってるから、たぶん正確な回数は誰にも分からないかな」

 

「胸張って言うな」

 

 隣を歩くアギトも十分疲れている。

 

 というか、こいつの場合は自業自得である。

 

 月夜に余計な口答えをして、午後の腕立て伏せを二十五回まで増やした。

 

 人間はなぜ怒られている最中に追加で怒られるような発言をするのだろう。

 

 火災現場へ油を持って駆け込む消防士みたいな男である。

 

「二十五回くらいで疲れるわけねえだろ」

 

「じゃあ今からもう二十五回できる?」

 

「できる」

 

「五十」

 

 後ろから声がした。

 

 アギトの足が止まった。

 

「……何でだよ」

 

「できるんだろ」

 

 月夜だった。

 

「そういう意味じゃねえよ!」

 

「六十」

 

「増えてんじゃねえか!」

 

「アギト」

 

 カイが呼ぶ。

 

「何だよ!」

 

「黙った方がいい」

 

「お前まで久世みたいなこと言うな!」

 

「合理的判断です」

 

「久世もいるし!」

 

 澪が平然と答えた。

 

 アギトが頭を抱える。

 

 成長しない男である。

 

 八年前からだいたいこんな感じだった気がする。

 

 背丈は伸びた。

 

 筋肉も増えた。

 

 声も低くなった。

 

 知性だけ成長速度が少し遅いのかもしれない。

 

「リーシャ」

 

「はい?」

 

「お前、今ろくでもねえこと考えてただろ」

 

 月夜がこちらを見る。

 

「まさか」

 

 にっこり笑う。

 

「アギトも立派に成長したなあって」

 

「何で俺見ながら言うんだよ」

 

「本人を見ないで成長を確認するのは難しくない?」

 

「そういう意味じゃねえ!」

 

「七十」

 

「もう俺しゃべらねえ!」

 

 ようやく学習した。

 

 遅かった。

 

 だが、進歩ではある。

 

 人類の未来は明るい。

 

 寮へ向かう道の途中で、道が分かれた。

 

 男子寮。

 

 女子寮。

 

 当然である。

 

「じゃあ、ここから別だね」

 

 オレは足を止める。

 

「リーシャ」

 

「なあに?」

 

「朝、一人で起きられるのか」

 

 アギトが真顔で聞いてきた。

 

「…………」

 

 失礼な質問だった。

 

 十六歳の女性に対してする質問ではない。

 

「起きられるよ」

 

「今日起こしたの俺たちだろ」

 

「今日は特別」

 

「昨日も俺が起こした」

 

「昨日も特別」

 

「一昨日も」

 

「アギト」

 

「何だよ」

 

「過去ばかり見ている男はモテないよ」

 

「朝起きろって話してんだよ!」

 

 論点をずらすことには成功しなかった。

 

 この八年間で耐性がついている。

 

「大丈夫だよ。目覚ましもあるし」

 

「止める」

 

 カイが言った。

 

「止めないよ」

 

「三回止めてた」

 

「いつの話?」

 

「昨日」

 

 最新だった。

 

「……明日から頑張るもん」

 

「本当かよ」

 

「本当だよ」

 

 信用されていない。

 

 家族からの信用が目覚まし時計以下である。

 

「それに、一人じゃないから大丈夫」

 

「一人じゃない?」

 

 アギトが眉を寄せる。

 

「うん」

 

 そこで隣を見る。

 

「澪ちゃんと同室だから」

 

 澪が小さく頷いた。

 

「はい。私とリーシャさんは同室です」

 

「……そうなのか」

 

 今度はアギトが澪を見る。

 

「うん。だから朝も大丈夫だよ」

 

「お前が久世に迷惑かける未来しか見えねえんだけど」

 

「ひどくない?」

 

「ご安心ください。必要であれば起こします」

 

「澪ちゃん……!」

 

 早くも頼れる同居人だった。

 

「ただし、ご自身でも起きる努力はしてください」

 

「…………」

 

 訂正。

 

 頼れるが、甘くはない。

 

「女子寮には入れませんよ」

 

 澪が言った。

 

「入らねえよ!」

 

「カイもだからね」

 

「分かった」

 

 素直だ。

 

「窓も駄目だからね」

 

「分かった」

 

「屋根も」

 

「うん」

 

「なんで選択肢に入ってたんだよ!」

 

 アギトだけが騒いでいる。

 

 カイの場合、本当に侵入しかねない。

 

 扉が開いていた。

 

 だから入った。

 

 こいつの中では八年間、それで話が完結している。

 

 法治国家との相性が悪い。

 

「ほら、行くぞ」

 

 月夜がアギトの襟首をつかんだ。

 

「何で俺だけ!」

 

「うるせえから」

 

「カイもいるだろ!」

 

「静かだからいい」

 

「理不尽だ!」

 

「じゃあな」

 

 月夜が片手を上げる。

 

「ちゃんと寝ろよ」

 

「はーい」

 

「返事が軽い」

 

「ちゃんと寝ます」

 

「朝も起きろ」

 

「善処します」

 

「起きろ」

 

「はい」

 

 逃げ道を塞がれた。

 

「おやすみ、リーシャ」

 

 カイが言う。

 

「うん。おやすみ、カイ」

 

「リーシャ」

 

「なあに?」

 

 アギトが振り返った。

 

「……いや」

 

「?」

 

「何でもねえ。ちゃんと寝ろよ」

 

「アギトまで月夜さんみたいなこと言ってる」

 

「うるせえ」

 

「おやすみ」

 

「おう」

 

 三人がこちらから離れていく。

 

 月夜。

 

 アギト。

 

 カイ。

 

 見慣れた背中だった。

 

 八年間。

 

 帰る場所には、いつもあの三人がいた。

 

「行きましょうか」

 

 隣から声がした。

 

「うん」

 

 今日は違う。

 

 オレは澪と一緒に女子寮へ向かった。

 

「ここです」

 

 部屋の扉に書かれた番号を見て、澪が足を止めた。

 

「へえ」

 

「部屋番号までは確認していなかったのですね」

 

「確認したよ?」

 

「では部屋番号は?」

 

「…………」

 

「リーシャさん」

 

「澪ちゃん」

 

「はい」

 

「今日からよろしくね」

 

「話を逸らしましたね」

 

 賢い。

 

 扉が開く。

 

 二つのベッド。

 

 二つの机。

 

 二つの椅子。

 

 必要な家具が並んだ、簡素な部屋だった。

 

 澪の荷物はすでに片側へまとめられている。

 

 服。

 

 教本。

 

 筆記用具。

 

 どれもきれいに整理されていた。

 

 一方。

 

 オレの鞄。

 

 置く。

 

 終わり。

 

「リーシャさん」

 

「なあに?」

 

「荷解きは?」

 

「明日やるよ」

 

「必要なものが取り出せなくなりませんか?」

 

「そのとき出すから大丈夫」

 

「それを荷解きと言うのでは?」

 

「…………」

 

 なるほど。

 

 頭がいい。

 

「澪ちゃんって、家でもそんな感じなの?」

 

「そのような、とは?」

 

「ちゃんとしてる」

 

「普通だと思います」

 

 普通。

 

 危険な言葉である。

 

 人は自分の常識を普通と呼ぶ。

 

 月夜もたぶん自分を普通だと思っている。

 

 アギトも思っている。

 

 カイも思っている。

 

 全員おかしい。

 

 ということは、この世に普通の人間など存在しない可能性がある。

 

 哲学的な問題になってきた。

 

「リーシャさん?」

 

「ううん。何でもないよ」

 

 オレはベッドへ腰を下ろした。

 

 柔らかい。

 

 家のベッドとは少し違う。

 

 天井も違う。

 

 匂いも違う。

 

 当たり前だ。

 

 今日から、ここで寝る。

 

「……そっか」

 

「どうされました?」

 

「ううん」

 

 少しだけ変な感じがした。

 

 学校へ行く。

 

 授業を受ける。

 

 友達と一緒に寮へ帰る。

 

 同じ部屋で生活する。

 

 それだけ。

 

 十六歳なら、珍しくもないのだろう。

 

 八年前。

 

 燃える街から逃げたときには、こんな未来を想像していなかった。

 

 そのあとも。

 

 孤児院にいて。

 

 月夜と暮らすことになって。

 

 アギトとカイがいて。

 

 いつの間にか八年が過ぎた。

 

 帰る場所というのは一つだけだと思っていた。

 

「ただいま」

 

 なんとなく口から出た。

 

 澪がこちらを見る。

 

「?」

 

「あ、ごめん。何となく」

 

「……お帰りなさい」

 

 少し間を置いて。

 

 澪が答えた。

 

「…………」

 

「何でしょうか」

 

「ううん」

 

 なんだ。

 

 悪くない。

 

「ただいま、澪ちゃん」

 

「二度目です」

 

「言いたくなったから」

 

「そうですか」

 

「うん」

 

 澪は机へ向かう。

 

 何かを書き始めた。

 

「何してるの?」

 

「本日の訓練記録です」

 

「今?」

 

「忘れる前に記録しておこうと思いまして」

 

「真面目だねえ」

 

 オレはベッドへ倒れた。

 

 こいつはたぶん夏休みの宿題を七月中に終わらせる人間である。

 

 敵だ。

 

 学生として明確に敵対する思想を持っている。

 

「リーシャさんも書かれてはいかがですか?」

 

「覚えてるから大丈夫」

 

「どの部分を?」

 

「走った」

 

「それだけですか?」

 

「いっぱい走った」

 

「情報量がほとんど増えていません」

 

 厳しい。

 

 澪のペンが動く。

 

「鬼龍院教官の指摘はもっと具体的でした」

 

「走力不足?」

 

「はい」

 

「そこは忘れていいんじゃないかな」

 

「改善すべき点です」

 

「澪ちゃん」

 

「はい」

 

「同室なんだから、もう少し私に優しくしてもいいと思うな」

 

「優しくしています」

 

「これで?」

 

「はい」

 

 即答だった。

 

 前途は険しい。

 

 今日だけで二度目である。

 

「……でも」

 

 澪のペンが止まった。

 

「何?」

 

「私も反省すべき点がありました」

 

「澪ちゃんが?」

 

「はい」

 

 意外だった。

 

 今日の訓練で一番まともだったのは澪だ。

 

 次がカイ。

 

 その次が――。

 

 いや。

 

 やめておこう。

 

 最下位争いである。

 

「リーシャさんを助けようとして、足を止めました」

 

「ああ」

 

 思い出す。

 

 月夜に追いつかれかけたオレ。

 

 先に行けと言った。

 

 澪は迷った。

 

 そして。

 

 戻った。

 

「結果として二人とも捕まりました」

 

「うん」

 

「鬼龍院教官の仰るとおりです。助けるのであれば、その後の離脱まで考慮すべきでした」

 

「……そっか」

 

「はい」

 

「でも、私」

 

 少し考える。

 

「嬉しかったよ」

 

 澪の手が止まる。

 

「効率は悪かったかもしれないけど」

 

「…………」

 

「戻ってきてくれたの」

 

 澪は何も言わなかった。

 

 数秒。

 

 またペンが動く。

 

「何書いたの?」

 

「次回、味方へ接近する場合は退路を先に確保する」

 

「また来る気だ」

 

「助けないとは言っていません」

 

 澪は顔を上げなかった。

 

 真面目だ。

 

 面倒くさい。

 

 そして。

 

 たぶん優しい。

 

「じゃあ、私も次はちゃんと逃げるね」

 

「お願いします」

 

「頑張る」

 

「走力も」

 

「それは別問題かな」

 

「同じ問題です」

 

 即答された。

 

 それからしばらくして。

 

 澪は入浴へ向かった。

 

 オレは部屋に一人残された。

 

「…………」

 

 静かだ。

 

 誰もいない。

 

 アギトはいない。

 

 カイもいない。

 

 月夜もいない。

 

 澪もいない。

 

 完全な一人。

 

「…………」

 

 尿意を感じた。

 

 トイレへ行った。

 

「…………」

 

 用を足そうとして。

 

 ふと思った。

 

 ――どこまで飛ぶんだろう。

 

「…………」

 

 何が、とは言わない。

 

 いや。

 

 言わなくても分かる。

 

 尿である。

 

 なぜそんなことを思ったのかは分からない。

 

 人間の脳は時として、本人にも理解できない命令を発する。

 

 高いところから下を覗いたとき。

 

 ここから飛び降りたらどうなるのだろう。

 

 刃物を持ったとき。

 

 これで指を切ったらどれくらい痛いのだろう。

 

 そういう、実行する価値が一切ない思考が頭をよぎることがある。

 

 今。

 

 オレの脳が提示した議題は。

 

 ――女の身体で、どこまで小便を飛ばせるのか。

 

「…………」

 

 くだらない。

 

 非常にくだらない。

 

 人類史に一切貢献しない。

 

 仮に成功したところで誰にも自慢できない。

 

 論文にもならない。

 

 賞金も出ない。

 

 むしろ発覚した場合、社会的評価が落ちる。

 

「…………」

 

 やめよう。

 

 普通に用を足そう。

 

 一度便器へ近づく。

 

「…………」

 

 止まる。

 

 でも。

 

 どこまで飛ぶんだろう。

 

「…………」

 

 気になる。

 

 良くない。

 

 これは良くない兆候である。

 

 知らない方がいいことも世の中にはある。

 

 自分の出生。

 

 国家機密。

 

 他人の給与明細。

 

 そして自分の排尿飛距離。

 

 知らなくても生きていける。

 

「…………」

 

 一歩下がった。

 

 ……一回だけ。

 

 科学とは疑問から始まる。

 

 人類が月へ到達したのも。

 

 海を越えたのも。

 

 空を飛んだのも。

 

 最初は誰かの「できるのではないか」から始まった。

 

 つまりこれは。

 

 同じである。

 

 違う気もする。

 

「よし」

 

 小さく呟く。

 

 床を見る。

 

 タイル。

 

 一定間隔で並んでいる。

 

 測れる。

 

 最低限の測定環境まで整っていた。

 

 神はオレに試せと言っているのかもしれない。

 

 いや。

 

 神ならもう少し有益な試練を寄越してほしい。

 

 とりあえず便器から少し離れる。

 

「…………」

 

 問題がある。

 

 現在の身体構造上。

 

 狙いがつけにくい。

 

 八年間この身体で生活しているが、立った状態で排尿の射撃訓練をした経験は当然ない。

 

 なぜなら必要がないからである。

 

 だが。

 

 必要が今生まれた。

 

 自分で生んだ。

 

「角度……?」

 

 少し姿勢を変える。

 

「こう……?」

 

 違う気がする。

 

 腰か。

 

 膝か。

 

 腹圧か。

 

 射角。

 

 初速。

 

 重力。

 

 空気抵抗。

 

 風はない。

 

 室内なので当然である。

 

「…………」

 

 ものすごく頭を使っている。

 

 今日の戦術試験くらい使っている。

 

 もっと別のところで使え。

 

 自分でもそう思う。

 

「まあ……一回なら」

 

 やってみた。

 

「…………」

 

 失敗した。

 

 床を見た。

 

「…………」

 

 便器を見る。

 

 床を見る。

 

 もう一度便器を見る。

 

「…………」

 

 想定より。

 

 だいぶ手前だった。

 

「……なるほど」

 

 問題は飛距離以前だった。

 

 方向制御ができていない。

 

 新兵がいきなり長距離射撃へ挑戦したようなものである。

 

 まず照準を合わせるべきだった。

 

 失敗には理由がある。

 

 理由が分かれば次へ活かせる。

 

 次。

 

「…………」

 

 いや。

 

 次じゃない。

 

 何を自然に二回目へ移行しようとしている。

 

 掃除しろ。

 

 終われ。

 

 今ならまだ戻れる。

 

 人間として。

 

「…………」

 

 床を見る。

 

 便器を見る。

 

 でも今のは試行回では?

 

 十分な条件設定を行わず実施した予備実験を本試験の結果へ含めるのは、科学的に不誠実ではないだろうか。

 

「…………」

 

 そうだ。

 

 科学に失礼だ。

 

 二回目。

 

 今度は距離を縮めた。

 

 姿勢も変える。

 

 照準を修正。

 

 腹圧。

 

 射角。

 

 いける。

 

「…………」

 

 実行。

 

「おっ」

 

 入った。

 

「…………」

 

 入った。

 

 便器へ。

 

「…………!」

 

 成功である。

 

 人類は一歩前進した。

 

 オレは静かに拳を握った。

 

「いけるじゃん……」

 

 できる。

 

 女性でも可能だ。

 

 少なくともオレには。

 

 問題はここから。

 

 距離である。

 

 一歩下がる。

 

「…………」

 

 三回目。

 

 失敗。

 

「くっ……」

 

 惜しい。

 

 右へ逸れた。

 

 射線が安定していない。

 

 身体構造上、銃身が固定されていないのが致命的である。

 

 銃身とか言うな。

 

 自分で思って少し嫌になった。

 

「もう一回……」

 

 四回目。

 

 さらに下がる。

 

 失敗。

 

「…………」

 

 ここで尿量という有限資源の存在が問題になった。

 

 弾切れが近い。

 

 弾とか言うな。

 

 自分で思って、また嫌になった。

 

 だが実験者に感傷は不要である。

 

 残された試行回数は少ない。

 

 決めなければ。

 

 最大射程を。

 

「…………」

 

 五回目。

 

 姿勢を低く。

 

 射角を上げる。

 

 これなら。

 

 コンコン。

 

「リーシャさん?」

 

「ひゃいっ!?」

 

 扉の向こうから澪の声がした。

 

 身体が跳ねた。

 

 結果。

 

「…………」

 

 惨敗した。

 

「リーシャさん?」

 

「う、うん!」

 

「大丈夫ですか?」

 

「大丈夫だよ!」

 

 声だけは可愛くする。

 

 床を見る。

 

 大丈夫ではない。

 

 戦場なら壊滅判定である。

 

「何か音がしましたが」

 

「ちょっと物を落としただけ!」

 

「お怪我は?」

 

「してないよ!」

 

「そうですか」

 

 足音が遠ざかる。

 

「…………」

 

 危なかった。

 

 心臓が速い。

 

 第六真祖ともあろうものが、同室の女子高生に排尿飛距離測定の現場を押さえられかけた。

 

 死ねない。

 

 こんなところでは死ねない。

 

 八年前、あれだけの人間を殺して。

 

 ラスボスとして生き残って。

 

 今さら死因が羞恥ではあまりにも格好がつかない。

 

 いや。

 

 死なないけど。

 

「…………」

 

 床を見る。

 

 ひどい。

 

 何をしているんだ、オレは。

 

 急速に正気が戻ってきた。

 

 先ほどまで人類の進歩を背負っていた研究者は消えた。

 

 残ったのは女子寮のトイレで床を汚した十六歳の女だけである。

 

「…………」

 

 掃除しよう。

 

 そこからのオレは速かった。

 

 今日一番速かったかもしれない。

 

 布。

 

 水。

 

 洗剤。

 

 拭く。

 

 洗う。

 

 もう一度拭く。

 

 確認。

 

 臭い。

 

 なし。

 

 痕跡。

 

 なし。

 

 床。

 

 むしろ入ったときより綺麗。

 

「…………」

 

 完璧。

 

 証拠隠滅という行為に初めて犯罪者側から共感できた。

 

 罪を犯した人間が現場へ戻る理由も少し分かった気がする。

 

 気になるのだ。

 

 ちゃんと消したか。

 

「…………」

 

 最後に床を見る。

 

 便器を見る。

 

 最大記録。

 

 タイル一枚半。

 

「…………」

 

 いや。

 

 五回目は澪の妨害があった。

 

 正式記録として扱うべきではない。

 

「…………」

 

 待て。

 

 何を記録しようとしている。

 

 もうやめよう。

 

 今度こそ。

 

 オレは手を洗った。

 

 何事もなかったように髪を整える。

 

 鏡を見る。

 

 淡いピンクブロンド。

 

 葡萄色の瞳。

 

 整った顔。

 

 可愛い。

 

 よし。

 

 誰も、この女が三分前まで小便の射程距離を測っていたとは思うまい。

 

 部屋へ戻る。

 

「お待たせ、澪ちゃん」

 

「いえ」

 

 澪は机で教本を読んでいた。

 

「随分長かったですね」

 

「そう?」

 

「はい」

 

「ちょっとお掃除してたの」

 

「掃除を?」

 

「うん」

 

「初日からですか」

 

「綺麗な方が気持ちいいでしょ?」

 

 微笑む。

 

「それはそうですね」

 

 澪が小さく頷いた。

 

 勝った。

 

 何に勝ったのかは分からない。

 

「リーシャさん」

 

「なあに?」

 

「髪が少し濡れています」

 

「…………」

 

 心臓が止まりかけた。

 

「お水が跳ねたのかな」

 

「そうですか」

 

「うん」

 

「風邪を引きますので、乾かした方がよいかと」

 

「ありがとう」

 

 疑っていない。

 

 この少女。

 

 人を信じすぎである。

 

 悪い大人に騙されないか心配になってきた。

 

 お前が言うな。

 

 頭の中で誰かが言った。

 

 そのあとオレも風呂を済ませ、部屋へ戻った。

 

「もう寝ますか?」

 

 澪が教本を閉じる。

 

「そうだね」

 

 オレもベッドへ入った。

 

 明かりが消える。

 

 知らない天井。

 

 隣のベッドには澪がいる。

 

「おやすみなさい、リーシャさん」

 

「うん。おやすみ、澪ちゃん」

 

 静かになる。

 

 目を閉じる。

 

 今日はいろいろあった。

 

 アカデミーで初めて授業を受けた。

 

 月夜に追い回された。

 

 四人で逃げた。

 

 澪と同じ部屋になった。

 

 新しい帰る場所ができた。

 

「…………」

 

 少しだけ笑う。

 

「澪ちゃん」

 

「はい?」

 

「明日も言ってね」

 

「何をでしょうか」

 

「お帰りなさい」

 

 少し間があった。

 

「分かりました」

 

 澪の声が聞こえる。

 

「リーシャさんも」

 

「うん?」

 

「忘れず帰ってきてください」

 

「…………」

 

 今日の訓練を思い出した。

 

 逃げるのも仕事。

 

 生きて帰る。

 

 次へ繋げる。

 

「うん」

 

 今度は少しだけ真面目に答える。

 

「ただいまって言いに帰ってくるよ」

 

「はい」

 

 静かになった。

 

 こうして。

 

 アカデミーでの最初の一日が終わった。

 

 ちなみに。

 

 タイル一枚半が長いのか短いのか。

 

 比較対象がないため、結局分からなかった。

 

 

 

 

 

 

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幼馴染の親友に彼女ができたので最近はあまり遊んでいなかった。▼久々に顔を見た親友は死にそうな顔をしていたものだから、詳しく聞くと彼女と先輩と後輩を寝取られたんだという。▼もう女なんてこりごりだぜ、と強がるけれど死にそうな顔をしているので少々優しくしてやることにした。久々に泊まり込みでゲームをするのは楽しかったし少しは元気が出たようで安心した。▼――で、翌朝起…


総合評価:3115/評価:8.54/連載:19話/更新日時:2026年07月30日(木) 20:03 小説情報

壊れかけの聖女に俺がインストールされたらしい(作者:あまぐりムリーパー)(オリジナルファンタジー/冒険・バトル)

聖女ちゃんが、心を閉ざして動かなくなっちゃった、どうしよう!?▼せや、適当にそこら辺の魂突っ込んどけばええやろ!▼それで、俺が選ばれたってわけ▼んで、死なない体で化け物退治とかさせられてたんだけど、なんか聖女も狂信者も神官くんも、様子がおかしくない?▼※不定期更新▼カクヨム、小説家になろうにもマルチで投稿始めました


総合評価:3695/評価:8.15/完結:94話/更新日時:2026年08月11日(火) 20:15 小説情報


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