【TS】主人公の両親を殺したラスボス吸血鬼ですが、彼の最後の家族をやってます。 作:サボテニウム
高嶺の花。
どうやらオレは、そういうものになったらしい。
別に登った覚えはない。
昨日まで普通に地面を歩いていた。
「おはようございます、リーシャさん」
「おはよう」
「っ、お、おはようございます!」
教室へ入ったところで、同じクラスの女子に声をかけられた。
笑って返す。
なぜか相手の背筋が伸びた。
「…………」
去っていく背中を見る。
何だろう。
こちらから話しかけにくいと言われたので、今日は少し意識して愛想よくしている。
それなのに。
「おはよう」
「お、おはようございます!」
「昨日の授業難しかったね」
「はい!」
「…………」
会話が続かない。
難しいな。
高嶺の花には下山方法が必要らしい。
「何をなさっているのですか?」
「庶民との交流」
「リーシャさんも庶民でしょう」
正論だった。
席へ着いた澪が教科書を机へ置く。
「高嶺の花って言われたから、もう少し親しみやすくなろうと思って」
「普段どおりでよいのでは?」
「普段どおりにしてた結果が高嶺なんだよ」
「では、それでよろしいのでは?」
「登ったまま?」
「はい」
澪は冷たい。
いや。
たぶん優しい。
たぶん。
「リーシャ」
「ん?」
横からカイが来た。
「おはよう」
「おはよう。カイ」
いつもどおりである。
そう思った直後。
「氷室君、今日もリーシャさんのところ行ってる……」
「毎朝じゃない?」
「やっぱり付き合ってるのかな」
聞こえた。
「…………」
オレはカイを見る。
カイもこちらを見る。
「何?」
「私たち、付き合ってるらしいよ」
「そう」
「感想それだけ?」
「違うから」
「まあ、そうだけど」
訂正する必要もなさそうだ。
そのうち勝手に分かるだろう。
「お前ら朝っぱらから何の話してんだ?」
アギトも来た。
「私とカイが付き合ってるらしい」
「はぁ!?」
声が大きい。
教室中から視線が集まった。
「なんでアギトが驚くの?」
「いや、だってお前ら――」
「違うよ」
カイが言った。
「分かってるよ!」
「じゃあ何でそんな大声出したの?」
「…………」
アギトが黙った。
何なんだ。
「朝から騒がないでください」
澪に怒られた。
「俺かよ!?」
「綾辻さんが最も大きな声を出しました」
「リーシャが変なこと言うからだろ!」
「噂を報告しただけなんだけど」
「何で俺に報告すんだよ!」
「聞いてきたじゃん」
「聞いてねえよ!」
朝から元気だなあ。
オレは鞄から教科書を取り出した。
その向こう。
さっきの女子たちがこちらを見ている。
「……綾辻君とも距離近いよね」
「うん」
「どっち?」
「分かんない」
聞こえている。
全部。
なるほど。
高嶺の花というのも大変らしい。
◇
午前二時間目。
戦術講義。
黒板には簡略化された地図が描かれていた。
山。
川。
一本の街道。
その先に橋。
赤い駒が敵軍。
青い駒が味方。
「状況を説明する」
教官が黒板を棒で叩いた。
「敵部隊は三十分前から退却を開始。数はおよそ二百。こちらは百五十。ただし敵は負傷兵と物資の一部を放棄している」
赤い駒が街道を西へ進む。
「味方は追撃可能な距離にいる。敵が橋を渡りきるまで約二十分」
教官が振り返った。
「どうする」
何人かが手を挙げる。
「追撃します」
「理由は」
「敵は崩れています。橋を渡る前に攻撃すれば、さらに被害を与えられます」
「他は」
「先回りして橋を押さえます」
「どうやって」
「北側の林を抜ければ――」
講義が続く。
オレは黒板を見る。
敵。
街道。
橋。
放棄された物資。
負傷兵。
「クーゲルシュタイン」
「はい?」
「ぼーっとするな。お前ならどうする」
ぼーっとしていたわけではない。
考えていたのだ。
「追いません」
教室が少し静かになる。
「理由は」
「逃げ方が綺麗すぎるので」
「綺麗?」
「はい」
席を立つ。
黒板の前へ行く。
「二百人が敗走してるなら、もう少しばらけると思います」
赤い駒を見る。
「負傷兵と物資は捨ててる。でも進路は一本。橋まで一直線」
「それが?」
「追いかけてくださいって言ってるみたいです」
棒を借りる。
街道の左右を示した。
「私が敵なら、この辺に伏兵を置きます」
「根拠は」
「ここから先、街道が細くなってるからです。百五十人が追撃してきても広がれない」
続いて橋。
「あと、橋を壊してない」
「まだ敵が渡っていない」
「だからです」
オレなら壊さない。
逃げ道があると思わせた方が、相手は追ってくる。
「橋を渡ったあとに壊す?」
誰かが呟いた。
「ううん」
首を振る。
「追撃部隊が橋に乗ってから」
「…………」
教室が静かになった。
あれ。
「橋の下流は深いですし、両岸も急です。ここまで誘い込めば、後ろを伏兵で塞いで橋を落とすだけで――」
一度、地図を見る。
「全員殺せます」
「…………」
静かだった。
さっきよりも。
教室の全員が、こちらを見ている。
「……?」
何だろう。
オレは教官を見る。
教官もこちらを見ていた。
「……ずいぶん容赦がないな」
「敵なので」
「…………」
また黙った。
何かおかしいことを言っただろうか。
戦争の話だ。
敵がこちらを殺そうとしているなら、こちらも殺されない方法を考える。
普通だと思う。
「それで、実際にはどうする」
「斥候を出します」
「どこへ」
「北と南です。特に南」
「理由は」
「北は見晴らしが良すぎるので、伏兵を隠すなら南側かなって」
教官が地図の端をめくった。
隠れていた赤い印が現れた。
南側。
伏兵。
「正解だ」
教室がざわついた。
なるほど。
当たっていたらしい。
「敵を追わず、斥候を先行。伏兵を確認後、主力は街道から離脱。これが模範解答だ」
棒を返す。
「座っていいですか?」
「ああ」
「ありがとうございます」
席へ戻る。
澪がこちらを見ていた。
「何?」
「いえ」
「カイ?」
「何?」
「何でもない」
アギトを見る。
「お前、怖えよ」
「なんで?」
「普通、橋に乗ってから落とすとかすぐ出てこねえだろ」
「アギトだって討魔師になるんだから考えた方がいいよ」
「そういう問題か?」
そういう問題だと思う。
「敵だったらどうするか考えないと、敵が何するか分からないじゃん」
「それはそうだけどよ……」
アギトが納得しきれない顔で前を向いた。
講義が再開する。
オレもノートを取る。
後ろから小さな声が聞こえた。
「……やっぱり何考えてるか分かんないね」
「うん」
失礼だな。
今かなり丁寧に説明しただろう。
◇
昼休み。
「一個ちょうだい」
「やだ」
「まだ何も言ってないよ」
「どうせこれだろ」
アギトが皿を遠ざけた。
今日の昼食には小さな揚げ物が三つ乗っている。
正解だった。
「何で分かったの?」
「見てたからだよ」
「一個くらいいいじゃん」
「自分の食え」
「もう食べた」
「だからって俺のを狙うな」
ケチだなあ。
仕方がない。
隙を待とう。
アギトが水を飲む。
今。
「おい!」
「いただきます」
「取ってんじゃねえ!」
「いただきますって言ったよ」
「許可してねえだろ!」
「美味しい」
「聞けよ!」
うん。
人の皿から取ったものは少し美味しく感じる。
不思議である。
「リーシャさん」
「ん?」
澪が呆れたようにこちらを見る。
「ご自分の分を食べたのでしょう?」
「食べたよ」
「では、なぜ綾辻さんのものを」
「そこにあったから」
「山賊か、お前は!」
「ちゃんと一個しか取ってないよ」
「一個でも盗賊だ!」
言い過ぎである。
オレは犯罪者ではない。
昼食を少し分けてもらっただけだ。
事後承諾で。
「リーシャ」
「ん?」
カイが呼ぶ。
見る。
「髪」
「私?」
「僕」
カイが自分の頭を指した。
一本だけ跳ねている。
「あ、本当だ」
珍しい。
「直して」
「自分でやれば?」
「見えない」
「まあ、そうか」
手を伸ばす。
指で髪を押さえる。
戻る。
離す。
跳ねる。
「…………」
「直った?」
「頑固だね」
「そう」
もう一度。
今度は少し水をつけて押さえる。
「はい」
「ありがとう」
「どういたしまして」
席へ戻る。
アギトがこちらを見ていた。
「何?」
「別に」
「またそれ?」
「何でもねえって」
「今日それ多くない?」
「うるせえ」
何なんだ。
ふと周囲を見る。
また見られている。
昨日からだいぶ慣れた。
向こうの席の女子三人。
目が合う。
さっと逸らされた。
「…………」
何だろう。
今度は顔だけではない気がする。
「澪ちゃん」
「はい」
「やっぱり私、何か変?」
「いつもどおりです」
「カイと同じこと言うようになったね」
「事実ですので」
なら大丈夫か。
アギトの皿を見る。
残り二個。
「もうやらねえぞ」
「見ただけだよ」
「目が狙ってんだよ」
「目にそんな機能ないよ」
「お前にはある」
ひどい言いがかりだった。
◇
事件が起きたのは、その日の午後だった。
いや。
事件というほどではない。
廊下を歩いていただけである。
澪と二人。
次の授業へ向かっていた。
前から女子生徒が二人来る。
すれ違う。
「――深淵の令嬢」
聞こえた。
「…………」
三歩。
止まる。
「澪ちゃん」
「はい」
「今、なんて言った?」
「私ではありません」
「知ってるよ」
振り返る。
女子二人は既に角を曲がっていた。
「深淵って聞こえたんだけど」
「聞こえました」
「令嬢も?」
「はい」
「…………」
高嶺の花。
昨日。
深淵の令嬢。
今日。
「落ちるの早くない?」
「何がでしょうか」
「昨日高いところにいたのに、もう深淵まで落とされたんだけど」
「そういう意味ではないかと」
「じゃあどういう意味なの?」
「さあ」
澪は知らないらしい。
気になる。
ものすごく気になる。
高嶺の花は分かる。
見た目がいい。
近寄りがたい。
理解できる。
深淵。
何だ。
何を見た。
オレの。
「……私、そんな暗い?」
「明るい方だと思います」
「だよね」
では深淵要素がない。
歩き出す。
気になる。
十歩。
「澪ちゃん」
「はい」
「深淵って何?」
「まだ考えていたのですか?」
「気になるよ!」
「本人へ直接尋ねてはいかがでしょう」
「もういないよ」
「では諦めてください」
「冷たいなあ」
「授業に遅れます」
またそれである。
最近の澪は時間を盾にすればオレが黙ると思っている節がある。
正しい。
月夜に怒られるのは嫌なので黙る。
教室へ入る。
席へ向かう途中。
「深淵……」
聞こえた。
今度は男子。
「…………」
何だ。
増えている。
席に座る。
机へ両手を置く。
「アギト」
「あ?」
「私、深淵らしい」
「何言ってんだ?」
「私が聞きたい」
カイを見る。
「カイは知ってる?」
「聞いた」
「何で教えてくれなかったの?」
「聞かれなかったから」
この男は。
「何なの?」
「深淵の令嬢」
「それは聞いた。由来」
「知らない」
「役に立たないなあ」
「ごめん」
「謝られると私が悪いみたいになるからやめて」
アギトが吹き出した。
「何笑ってるの」
「いや、お前が深淵って」
「笑い事じゃないよ」
「高嶺より合ってんじゃねえの?」
「どこが?」
「たまに何考えてんのか全然分かんねえし」
「分かりやすいって」
「どこがだよ」
納得できない。
オレほど表裏のない人間も珍しいと思う。
……いや。
それは言いすぎた。
表裏はある。
かなりある。
言えないことも多い。
でも普段のオレは分かりやすいはずだ。
「リーシャさん」
澪。
「何?」
「先ほど、同じクラスの方から伺いました」
「何を?」
「深淵の令嬢についてです」
「仕事が早い!」
さすが澪。
できる女。
「何だった?」
「複数の理由があるそうです」
「複数?」
嫌な予感がする。
「まず、何を考えているのか分からない」
「それアギトと同じじゃん」
「ほらな」
「アギトは黙って」
「次に、戦術講義での回答が怖い」
「正解だったのに?」
「正解だからではないでしょうか」
どういうことだ。
「さらに、実技適性が低いにもかかわらず、戦術分野では教官より先に意図を見抜くことがある」
「それはちょっと盛られてるよ」
教官より先というか、ゲームで似た状況を何度も見てきただけの部分もある。
この世界で戦争まで経験しているし。
「それから、素性がよく分からない」
「孤児だよ?」
「それ以前が分からない、という意味かと」
「ああ」
そこは仕方がない。
本当のことを言うわけにはいかない。
「そして」
「まだあるの?」
「見た目が令嬢らしい」
「急に雑になったね」
「以上を総合した結果――」
澪が一拍置く。
「深淵の令嬢、だそうです」
「総合の仕方がおかしくない?」
「私に言われましても」
おかしい。
絶対おかしい。
「誰が最初に言ったの?」
「分からないそうです」
「最悪のタイプの噂だ」
発生源がない。
つまり止めようもない。
「高嶺の花でよかったのに」
「気に入ってたのかよ」
「深淵よりはいいでしょ」
「まあ……」
アギトまで否定しない。
深淵はそんなに嫌か。
嫌だよ。
「深窓の令嬢ならまだ分かるんだけど」
「深窓?」
「箱入りのお嬢様みたいなやつ」
「お前が?」
「何その顔」
「いや」
「今日みんなそれ言うね!」
別に箱には入っていない。
むしろ八歳からだいぶ外を走り回ってきた。
そういう意味では確かに違う。
「訂正したら?」
アギトが言う。
「どうやって?」
「知らねえよ」
「廊下で『私は深淵ではありません』って宣言するの?」
「…………」
「余計怖くない?」
「やめとけ」
だろう。
オレだってそう思う。
仕方ない。
放っておけば、そのうち飽きる。
学院生も暇ではない。
たぶん。
◇
放課後。
本日の授業も終わった。
「疲れた」
「リーシャさん、今日は実技ほとんどしていませんよね?」
「精神的に疲れた」
「深淵で?」
「そう」
新しいあだ名というものは精神を削る。
廊下を四人で歩く。
男子寮と女子寮へ向かう道は途中まで同じだった。
「明日の朝、遅れんなよ」
アギトが言う。
「起こして」
「自分で起きろ」
「冷たいなあ」
「澪がいるだろ」
澪を見る。
「お願いします」
「努力はしてください」
「はい」
予約完了。
これで明日も安心だ。
歩く。
「…………」
ふと。
アギトと目が合った。
「何?」
「いや」
逸らされた。
数歩。
また。
「…………」
「何?」
「何でもねえ」
「さっきから何なの」
「何でもねえって言ってんだろ」
変なの。
顔に何かついているのだろうか。
頬を触る。
何もない。
「リーシャさん」
「ん?」
「ついていません」
「まだ何も聞いてないよ」
「顔でしょう?」
「うん」
澪。
だんだんオレの扱いに慣れてきたな。
「綾辻さん」
「あ?」
今度は澪がアギトを見る。
「先ほどから、リーシャさんのことばかり見ていませんか?」
「は?」
アギトが止まった。
オレも止まる。
カイも止まった。
「え?」
「いや、見てねえよ!」
「見ています」
「見てねえ!」
「見ていました」
「何で断言できんだよ!」
「数えましたので」
「数えんな!」
数えたのか。
澪、妙なところで真面目だな。
「何回?」
「九回です」
「九回!?」
そんなに?
アギトを見る。
「何?」
「だから何でもねえって!」
「九回も?」
「たまたまだよ!」
「暇なの?」
「何でそうなるんだよ!」
違うのか。
九回も同じ人間を見るくらいなら、結構暇だと思う。
「リーシャ」
「ん?」
カイ。
「十回」
「増えた」
「てめえも数えんな!」
アギトが怒った。
理不尽である。
見ていたのは本人なのに。
「何か言いたいことあるなら言えばいいじゃん」
「ねえよ!」
「じゃあ見ないでよ」
「それは……」
「?」
アギトが止まる。
何だ。
「…………」
「何?」
「……もういい」
ぷいっと前を向いた。
「だから何なの」
今日これ何回目だろう。
意味が分からない。
澪を見る。
「分かる?」
「はい」
「本当?」
「はい」
「何?」
「私から申し上げることではありません」
「なんで!?」
知っているのに教えてくれない。
ひどい。
「カイは?」
「分かる」
「カイまで!?」
「うん」
「教えて」
「本人に聞いた方がいい」
「本人が言わないんだけど!」
全員敵だ。
第六小隊に味方がいない。
アギトだけは耳まで少し赤い。
熱でもあるのだろうか。
「アギト、体調悪い?」
「お前はもう喋るな!」
「心配したのに!?」
何だこいつ。
失礼な。
澪が小さく息を吐いた。
呆れているのかと思った。
でも。
「…………」
ほんの少しだけ。
笑っていた。
「澪ちゃん?」
「何でしょう」
「今笑った?」
「いいえ」
「笑ったよね?」
「気のせいです」
「絶対笑った」
「寮へ戻りますよ」
「逃げないでよ」
女子寮へ向かう道へ曲がる。
後ろからアギトの声がした。
「明日は自分で起きろよ!」
「努力する!」
「起きろ!」
無茶を言う。
手を振って、そのまま澪と歩く。
少し先。
別の女子候補生たちとすれ違った。
こちらを見て、小声。
「……深淵の令嬢」
また聞こえた。
「…………」
「リーシャさん」
「何?」
「反応しない方がよろしいかと」
「分かってる」
分かっている。
反応したら負けだ。
深淵。
深淵。
オレは前を見る。
女子寮までの平坦な道。
高低差はない。
少なくとも今日は、これ以上落ちることはないはずだ。
たぶん。