【TS】主人公の両親を殺したラスボス吸血鬼ですが、彼の最後の家族をやってます。   作:サボテニウム

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第40話 二週間、私をお願い

 

 

 

 

 深淵の令嬢。

 

 その呼び名は、翌日になっても消えていなかった。

 

 むしろ増えていた。

 

 どうやら噂というものは一晩寝かせると熟成するらしい。

 

 迷惑な発酵食品である。

 

「リーシャさん」

 

「はい」

 

「手が止まっています」

 

「あ」

 

 ノートを見る。

 

 何も書いていない。

 

 同室の澪は机へ向かったまま、こちらを見ていた。

 

「考え事ですか?」

 

「うん」

 

「深淵について?」

 

「違うよ」

 

「そうですか」

 

 即座に信じてもらえた。

 

 少し寂しい。

 

 夜。

 

 消灯まではまだ時間がある。

 

 澪は今日の講義内容をノートへまとめていた。

 

 オレはベッドへ座り、その横顔を見る。

 

 真面目だ。

 

 毎日やっている。

 

 一日分の授業。

 

 実技で指摘されたこと。

 

 明日やること。

 

 忘れないよう、一つずつ書いている。

 

 少し前なら、こうして同じ部屋で過ごすことになるとは思っていなかった。

 

 久世航平の妹。

 

 原作のサブヒロイン。

 

 それだけだったはずなのに。

 

「…………」

 

「リーシャさん?」

 

「何?」

 

「見ています」

 

「見てた」

 

「何か?」

 

「真面目だなあって」

 

「普通です」

 

「その普通が難しいんだよ」

 

「毎日やれば普通になります」

 

 できる人間の理屈だった。

 

 オレは諦めて枕へ倒れる。

 

 柔らかい。

 

 素晴らしい。

 

 何も考えず、このまま寝たい。

 

「…………」

 

 そのとき。

 

 羽音が聞こえた。

 

 小さい。

 

 本当に小さな音。

 

 ぶうん。

 

「…………」

 

 窓。

 

 一匹の黒い蠅が、内側のガラスへ止まっていた。

 

 起き上がる。

 

「どうしました?」

 

「虫」

 

「虫?」

 

「うん」

 

 窓へ近づく。

 

 澪から見れば、本当にただの蠅にしか見えない。

 

 オレには違う。

 

 分かる。

 

 ヨコハマから来た。

 

「外に出してくる」

 

「窓を開ければよいのでは?」

 

「他の虫が部屋に入ってきたら嫌じゃん」

 

「それはそうですが」

 

 適当なことを言って蠅を布で掴もうとする。

 

 蠅が飛ぶ。

 

 手を出す。

 

 指先へ止まった。

 

「…………」

 

 魔力を感じる。

 

 微弱。

 

 でも間違いない。

 

 バフォメットからだ。

 

「ちょっと廊下行ってくるね」

 

「なぜ?」

 

「逃がすため」

 

「窓がありますが」

 

「…………」

 

「…………」

 

 澪がこちらを見る。

 

 まずい。

 

「廊下の方が自由かなって」

 

「蠅が?」

 

「うん」

 

「そうですか」

 

 納得していない顔だった。

 

 しかし追及はされなかった。

 

 助かる。

 

 部屋を出る。

 

 廊下。

 

 誰もいない。

 

 少し歩いて階段の踊り場まで行く。

 

「もういいよ」

 

 小さく呟く。

 

 指先の蠅が震えた。

 

『ベルゼブブ様』

 

 低い声。

 

 直接聞こえているわけではない。

 

 使い魔を通じた魔力の振動を、オレの頭が言葉として拾っているだけだ。

 

「久しぶり、バフォメット」

 

『ご無沙汰しております』

 

「何かあった?」

 

『第一真祖より招集がございます』

 

「…………」

 

 一瞬。

 

 眠気が消えた。

 

「ベリアル?」

 

『はっ』

 

「何の?」

 

 答えは何となく分かった。

 

 それでも聞く。

 

『七帝会談にございます』

 

「…………」

 

 やっぱりか。

 

 壁へ背を預ける。

 

 七帝会談。

 

 名前どおり。

 

 七人の真祖。

 

 正確には、その時代に世界を分け合う七つの吸血鬼帝国、その支配者たちによる会談。

 

 頻繁に開かれるものではない。

 

 オレがリーシャになってからも、一度も出席したことはなかった。

 

 そもそも。

 

 できるだけ真祖同士の集まりなど行きたくない。

 

 怖いから。

 

「いつ?」

 

『二週間後。場所はクレムリンとのこと』

 

「遠いなあ……」

 

『恐れながら、ベルゼブブ様』

 

「何?」

 

『二週間後に会談が始まる、という意味にございます』

 

「…………」

 

 なるほど。

 

 移動時間。

 

 そうだった。

 

 この世界には飛行機がない。

 

「いつ出ればいい?」

 

『可能であれば、近日中にヨコハマへお戻りいただきたく』

 

「近日中って」

 

『早いほど望ましいかと』

 

「明日?」

 

『御意』

 

「急だなあ」

 

 困った。

 

 本当に。

 

 オレは女子寮の天井を見る。

 

 学院へ入学して、まだ大して経っていない。

 

 そこで突然二週間ほど消える。

 

 どう考えても怪しい。

 

 しかも理由が、

 

 第六真祖として世界支配者会議へ行ってきます。

 

 である。

 

 言えるわけがない。

 

「……バフォメット」

 

『はっ』

 

「私、今学院生なんだけど」

 

『存じております』

 

「二週間休むのってまずいよね」

 

『左様でございましょうな』

 

「何とかならない?」

 

『ベルゼブブ様がご欠席になる、という意味でございましょうか』

 

「違うよ」

 

 そこまで命知らずではない。

 

 第一真祖から招集を受けて無視する。

 

 しかもオレは他の真祖との関係を把握しきれていない。

 

 そんな危険な賭けはしたくない。

 

「学院の方」

 

『…………』

 

「何その間」

 

『いえ』

 

「絶対、どうでもいいと思ったでしょ」

 

『滅相もございません』

 

 思ってるな。

 

 まあ。

 

 ゲルマニアの大将軍からすれば、真祖の会談と人類側の学校生活。

 

 どちらが重要かは考えるまでもない。

 

 でもオレには重要なのだ。

 

 原作本編。

 

 ついに始まったのだから。

 

「分かった。戻る」

 

『お待ちしております』

 

「ただし」

 

『はっ』

 

 考える。

 

 会談。

 

 クレムリン。

 

 第一真祖ベリアル。

 

「本国へ連絡して」

 

『内容を』

 

「ダインスレイヴをヨコハマへ運ばせて」

 

『…………』

 

 今度の沈黙は違った。

 

 空気が変わった。

 

『魔剣を、でございますか』

 

「うん」

 

 魔剣ダインスレイヴ。

 

 カイゼンの時代からゲルマニア皇室に伝わる呪具。

 

 そして。

 

 現在のゲルマニアが保有する中で、最強の呪具。

 

 普段は本国で厳重に保管されている。

 

 持ち出すこと自体、滅多にない。

 

『七帝会談へお持ちになるおつもりで?』

 

「護身用」

 

『…………』

 

「何?」

 

『いえ』

 

「護身用だよ」

 

『承知いたしました』

 

 絶対信じていない。

 

 でも本当である。

 

 護身用。

 

 ただし。

 

 相手が第一真祖だった場合も含む。

 

 会談へ行って、何も起きないならそれでいい。

 

 普通に話して。

 

 普通に帰る。

 

 それが一番いい。

 

 でも。

 

 もし何かあったら。

 

 ベリアルと戦うことになったら。

 

 丸腰だけは嫌だ。

 

 オレは慎重な人間である。

 

 怖がりともいう。

 

「輸送はヴァルターに任せて」

 

『アイゼンラート卿に』

 

「うん。あの人なら変なところで落とさないでしょ」

 

『その点につきましては、私も異論ございません』

 

「あと黒鷲」

 

『はっ』

 

「会談へ連れていく人を選んで。少人数でいいけど精鋭を」

 

『指揮官はいかがいたします』

 

「ヴァルター」

 

 すぐに答える。

 

 ヴァルター・アイゼンラート。

 

 アイゼンラート公爵家の出身。

 

 ゲルマニア軍でも若い世代を代表する一人。

 

 現在の序列は第四位。

 

 昔。

 

 カイゼンの近衛にもついていた。

 

 なら。

 

 その娘の護衛を命じても問題はないだろう。

 

「ダインスレイヴを運んで、そのまま私の護衛隊を指揮してもらう」

 

『承知いたしました』

 

「バフォメットはヨコハマに残って」

 

『…………ベルゼブブ様』

 

「駄目」

 

『まだ何も申し上げておりませんが』

 

「一緒に行くって言うでしょ」

 

『当然にございます』

 

「駄目」

 

 即答する。

 

「私が留守になるのに、バフォメットまでヨコハマからいなくなったら誰が残るの」

 

『戦力はございます』

 

「あなた以上に信用できる人いる?」

 

『…………』

 

「いないでしょ」

 

『恐れ入ります』

 

「褒めてない。留守番を頼んでる」

 

『同じことにございます』

 

 違う気もする。

 

「とにかく。ヨコハマはお願い」

 

『御意』

 

「明日の夜には出る」

 

『では、迎えを――』

 

「いらない」

 

『しかし』

 

「いつもの道を使うから」

 

『……承知いたしました』

 

「それと、替え玉を一人、地下道へ向かわせて」

 

『かしこまりました』

 

 使い魔が一度羽を震わせる。

 

 通信が終わる前。

 

「バフォメット」

 

『はっ』

 

「久しぶりに会えるね」

 

 少しだけ考えてから言った。

 

 沈黙。

 

 それから。

 

『――御身のお帰りを、お待ちしております』

 

「うん」

 

 蠅との接続が切れる。

 

 普通の虫へ戻った。

 

 窓を開ける。

 

「じゃあね」

 

 外へ逃がす。

 

 小さな黒い点が夜へ消えていった。

 

「…………」

 

 二週間。

 

 いや。

 

 移動を含めれば、それ以上になる可能性もある。

 

 困った。

 

 本当に。

 

 オレは部屋へ戻った。

 

     ◇

 

「遅かったですね」

 

「蠅が思ったより自由を求めてた」

 

「…………」

 

「何?」

 

「いえ」

 

 澪は何も聞かなかった。

 

 ありがたい。

 

 ありがたいのだが。

 

 たぶん。

 

 変な人だと思われている。

 

 もう深淵でいいかもしれない。

 

「先にお風呂入ってくるね」

 

「はい」

 

 着替えを持つ。

 

 浴場へ向かう。

 

 考えなければならない。

 

 学院をどうするか。

 

 方法はある。

 

 実は。

 

 最初からある。

 

 使いたくなかっただけで。

 

 変身を得意とする吸血鬼に、オレの代わりをやってもらう。

 

 見た目。

 

 声。

 

 体格。

 

 仕草。

 

 そこまでなら、かなり精密に再現できる。

 

 遠目ではまず分からない。

 

 近くでも普通は気づかない。

 

 ただし。

 

 当然、オレの記憶まで持っているわけではない。

 

 アギトと八年間暮らした記憶も。

 

 カイとの距離感も。

 

 月夜とのやり取りも。

 

 澪と同室で過ごした時間も。

 

 全部知らない。

 

 だから。

 

 事前に教える必要がある。

 

 そしてもう一つ。

 

 変身しても、その吸血鬼自身が人間になるわけではない。

 

 吸血鬼判定を受ければ終わりだ。

 

 幸い。

 

 学院へ入る際の検査はもう終わっている。

 

 二週間程度なら、再検査を受けずに済む可能性は高い。

 

「…………」

 

 湯船へ沈む。

 

 さらに問題がある。

 

 長期間の変身。

 

 ただ顔を変えるだけならともかく。

 

 オレと見分けがつかないほど精密に。

 

 声。

 

 体温。

 

 髪。

 

 瞳。

 

 体格。

 

 細かな表情。

 

 そこまで維持し続けるとなれば、相応に負担がかかる。

 

 二週間。

 

 そのくらいなら、ぎりぎり耐えられる。

 

 それ以上になると。

 

 少しずつ精度が落ちてくる可能性がある。

 

「…………」

 

 怖いな。

 

 ものすごく。

 

 でも。

 

 他に手段がない。

 

 月夜へ二週間休みますと言えば、理由を聞かれる。

 

 アギトも聞く。

 

 澪も聞くだろう。

 

 カイも。

 

 カイは聞かないかもしれない。

 

 でも見る。

 

 あいつは黙って見てくる。

 

 それも困る。

 

「…………」

 

 やるしかないか。

 

 二週間。

 

 頼むだけ。

 

 何も起きなければいい。

 

 学院なんて、毎日授業を受けて訓練するだけだ。

 

 そんな短期間で大事件が起きるはずもない。

 

 たぶん。

 

     ◇

 

 夜。

 

 澪が眠ったあと。

 

 オレは静かにベッドを出た。

 

 時計を見る。

 

 午前一時。

 

「…………」

 

 澪の寝息。

 

 規則正しい。

 

 起きる気配はない。

 

 音を立てないように着替える。

 

 扉を開く。

 

 最後に一度だけ振り返った。

 

 澪は眠ったままだった。

 

「…………」

 

 部屋を出る。

 

 そのまま。

 

 人目を避けて学院を離れた。

 

     ◇

 

 地下。

 

 暗い通路を歩く。

 

 八年前にも何度も通った道。

 

 まだトウキョウ側。

 

 その途中。

 

「お待ちしておりました」

 

 暗闇から声がした。

 

「待った?」

 

「いいえ」

 

 吸血鬼が一人。

 

 こちらを待っていた。

 

「じゃあ、お願い」

 

「はっ」

 

 その身体が変わっていく。

 

 背丈。

 

 骨格。

 

 髪。

 

 顔。

 

 少しずつ。

 

 オレへ近づいていく。

 

 淡い桃色を帯びた金髪。

 

 深い葡萄色の瞳。

 

 同じ顔。

 

 同じ身体。

 

 そして。

 

「…………」

 

「…………」

 

 オレがいた。

 

 気持ち悪い。

 

 自分と同じ顔が目の前にいる。

 

 鏡とは違う。

 

 呼吸している。

 

 瞬きしている。

 

「笑って」

 

「はい」

 

 にこり。

 

「…………」

 

 似てる。

 

 当たり前だ。

 

「もう一回」

 

「はい」

 

 にこり。

 

「ちょっと違う」

 

「修正します」

 

「もう少し柔らかく」

 

「はい」

 

 にこり。

 

「…………うん」

 

 これなら大丈夫。

 

「声」

 

「リーシャ・クーゲルシュタインです」

 

「もうちょっと普通に話して」

 

「何を話せばいいですか?」

 

「それでいい」

 

 すごい。

 

 本当に似ている。

 

 少なくとも知らない人間には絶対分からないだろう。

 

 問題は。

 

 知っている人間だ。

 

「じゃあ説明するね」

 

「はい」

 

「二週間くらい、私の代わりに学院生活を送って」

 

「承知しました」

 

「まず正体は絶対にばらさない」

 

「はい」

 

「魔力も使わない」

 

「はい」

 

「喧嘩しない」

 

「はい」

 

「勝手に学院の外へ出ない」

 

「はい」

 

「誰かについていかない」

 

「はい」

 

「知らない人から食べ物もらわない」

 

「はい」

 

 …………。

 

 何だこれ。

 

 子供への留守番指導みたいになってきた。

 

「学院では第六小隊に所属してる」

 

「第六小隊」

 

「綾辻アギト、氷室カイ、久世澪。教官は鬼龍院月夜」

 

「記録しました」

 

「アギトとは八年一緒に暮らしてる」

 

「はい」

 

「結構近い。多少口喧嘩しても大丈夫」

 

「はい」

 

「でも急に敬語使わないでね。絶対怪しまれる」

 

「はい」

 

「あと、アギトの食べ物をたまに取る」

 

「…………」

 

「何?」

 

「必要行動ですか?」

 

「たぶん」

 

「記録しました」

 

 何だろう。

 

 自分の日常を説明すると、急に恥ずかしくなる。

 

「カイも八年一緒」

 

「はい」

 

「無口だけど普通だから気にしないで」

 

「はい」

 

「部屋に勝手に入ってきても驚かない」

 

「女子寮へ?」

 

「いや、それは怒って」

 

「承知しました」

 

 危ない。

 

 以前の感覚で言ってしまった。

 

「澪ちゃんは今寝てる子」

 

「久世澪」

 

「そう。同室。真面目。時間に厳しい。でも優しい」

 

「はい」

 

「朝、起こしてくれると思う」

 

「起床します」

 

「一回で起きないで」

 

「…………」

 

「何?」

 

「起こされた場合、起きるべきでは?」

 

「私が一回で起きると怪しまれる」

 

「なるほど」

 

「二回くらいは粘って」

 

「二回」

 

「三回でもいい」

 

「どちらでしょうか」

 

「その日の気分で」

 

「…………」

 

 自分で言っていて難しい。

 

「月夜さんは教官」

 

「鬼龍院月夜」

 

「そう。口悪いけど悪い人じゃない」

 

「はい」

 

「多少怒られても普通」

 

「はい」

 

「素直すぎても怪しまれる」

 

「では反抗します」

 

「反抗しすぎないで」

 

「程度は?」

 

「…………」

 

 難しいな。

 

「いい感じで」

 

「抽象的です」

 

「私もそう思う」

 

 頭を抱える。

 

 普段の自分を再現させるというのは、思っていたより難しい。

 

「あと学院で私は高嶺の花とか深淵の令嬢とか言われてるらしい」

 

「称号ですか?」

 

「違う」

 

「では?」

 

「気にしなくていい」

 

「はい」

 

「知らない人から話しかけられたら普通に返事して」

 

「はい」

 

「愛想よく」

 

「はい」

 

「でも余計な約束はしない」

 

「余計な約束」

 

「遊びに行くとか、お金貸すとか、何か秘密を共有するとか」

 

「はい」

 

「特に」

 

 ここは大事だ。

 

「告白されたら断って」

 

「告白」

 

「好きですとか、付き合ってくださいとか」

 

「理解しました」

 

「絶対断って」

 

「はい」

 

「私が帰ってきたとき彼氏が増えてたら困るから」

 

「拒絶します」

 

「できれば優しくね」

 

「はい」

 

「泣かせないで」

 

「はい」

 

「でも付き合わないで」

 

「はい」

 

 よし。

 

 完璧。

 

「あと、勝手に新しいこと始めない」

 

「新しいこと」

 

「今まで私がやってないこと」

 

「具体的には?」

 

「…………何だろう」

 

「不明です」

 

「とにかく余計なことしないで」

 

「はい」

 

「授業受けて、ご飯食べて、訓練して、寝る。それだけ」

 

「はい」

 

「世界を変えようとしない」

 

「しません」

 

「人類を救おうとしない」

 

「しません」

 

「学院を支配しない」

 

「しません」

 

「誰かと婚約しない」

 

「しません」

 

「国も作らない」

 

「作りません」

 

「よし」

 

 これなら大丈夫。

 

 さすがに。

 

「それから実技」

 

「はい」

 

「頑張りすぎないで」

 

「勝利を目指さない?」

 

「小隊としては目指して。でも私個人が急に強くなると困る」

 

「理解しました」

 

「走るのも遅め」

 

「どの程度」

 

「人間の女の子としてちょっと遅いくらい」

 

「数値を」

 

「知らないよ」

 

 そんなもの測ったことがない。

 

「月夜さんに追いかけられたら捕まって」

 

「はい」

 

「でも最初から捕まらないで」

 

「はい」

 

「逃げる努力はして」

 

「はい」

 

「怪我はしないでね」

 

「はい」

 

「死なないで」

 

「はい」

 

 当たり前だ。

 

 替え玉とはいえ。

 

 自分の姿をしたものが死ぬのは見たくない。

 

 それ以上に。

 

 オレのために死なれるのは嫌だ。

 

「それと」

 

「はい」

 

「私が戻るまでのこと、記録しておいて」

 

「記録可能です」

 

「細かくね」

 

「はい」

 

「誰と話したか」

 

「はい」

 

「何を言われたか」

 

「はい」

 

「何をしたか」

 

「はい」

 

「変なことがあったら全部」

 

「はい」

 

「特にアギトたち」

 

「優先して記録します」

 

「お願い」

 

「承知しました」

 

 そこで。

 

 替え玉が黙った。

 

 オレも黙る。

 

「…………」

 

「…………」

 

 何か。

 

 忘れている気がする。

 

「他にありますか?」

 

「ちょっと待って」

 

 考える。

 

 アギト。

 

 カイ。

 

 澪。

 

 月夜。

 

 授業。

 

 訓練。

 

 食事。

 

 寮。

 

 告白。

 

 正体。

 

 全部説明した。

 

 大丈夫。

 

 たぶん。

 

「ない」

 

「承知しました」

 

 完璧である。

 

 オレは満足した。

 

「じゃあ明日からお願い」

 

「はい」

 

 自分と同じ顔がうなずく。

 

 不思議な光景だった。

 

「変身、大丈夫?」

 

「はい」

 

「二週間だよ」

 

「この精度での維持であれば、その程度が限度ではありますが、任務遂行に支障はございません」

 

「限度なんだ」

 

「はい」

 

「無理になったら?」

 

「任務を継続いたします」

 

「しないで」

 

「…………」

 

「バレそうになったら逃げて」

 

「しかし」

 

「吸血鬼判定を受けることになっても逃げて。変身が崩れそうになっても逃げて」

 

「…………」

 

「死ぬまで私のふりをする必要ないから」

 

 少しだけ。

 

 オレの顔が黙った。

 

「分かった?」

 

「……承知しました」

 

「うん」

 

 二週間。

 

 長いようで短い。

 

 帰ってくるころには、学院生活もほとんど変わっていないだろう。

 

 アギトがいて。

 

 カイがいて。

 

 澪がいて。

 

 月夜がいる。

 

 いつもの学院。

 

 そこへ戻ってくればいい。

 

「…………」

 

 少しだけ。

 

 胸の奥に妙な感覚があった。

 

 八年前なら。

 

 こんなことは思わなかった。

 

 誰かのところへ帰る。

 

 自分のいない間も、誰かの日常が続いている。

 

 それを惜しいと思う。

 

 二週間。

 

 たったそれだけなのに。

 

 少しだけ離れたくない。

 

「…………」

 

 オレはその考えを振り払った。

 

 仕事だ。

 

 ゲルマニアの皇帝として。

 

 第六真祖として。

 

 行かなければならない。

 

 薄暗い地下道。

 

 自分と同じ顔へ向き直る。

 

「二週間」

 

「はい」

 

「私をお願い」

 

「承知しました」

 

 替え玉が。

 

 オレとまったく同じ顔で笑った。

 

 その笑顔を見ながら。

 

 オレは最後にもう一度だけ考えた。

 

 余計なことはするな。

 

 本当に。

 

 頼むから。

 

「じゃあね」

 

「はい」

 

「あ」

 

「?」

 

「そこも」

 

「…………」

 

「学院に戻ったら、もう私なんだから」

 

 少しだけ考えて。

 

 オレと同じ顔が言い直した。

 

「うん。またね」

 

「…………」

 

 よし。

 

 たぶん。

 

 替え玉が東へ歩き出す。

 

 トウキョウ。

 

 学院。

 

 オレが今までいた場所へ。

 

 その背中が暗闇へ消えるまで見送った。

 

 それから。

 

 オレは反対を向く。

 

 西。

 

 ヨコハマ。

 

 八年前に崩れた地下道の奥へ。

 

 一人で歩き出した。

 

 

 

 

 

 

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