【TS】主人公の両親を殺したラスボス吸血鬼ですが、彼の最後の家族をやってます。   作:サボテニウム

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第43話 賜血

 

 

 

 

 

「見えない」

 

「御顔をお見せしないための幕でございますので」

 

「それは分かってる。前が見えないの」

 

「陛下が前をご覧になる必要はございません」

 

「あるよ。暇なんだから」

 

「ございません」

 

 ひどい。

 

 昨日まで八年間放置していたくせに、ヨコハマへ帰ってきた途端これである。

 

 朝から服を着せられた。

 

 髪を整えられた。

 

 よく分からない飾りをいくつもつけられた。

 

 そして現在。

 

 オレは薄青い布の向こうに座っていた。

 

 布、と呼んでいいのかも怪しい。

 

 細かな刺繍が施され、光を受けるたび銀糸が淡く輝いている。

 

 向こう側からこちらの姿はほとんど見えない。

 

 見えても人影程度だろう。

 

 逆にこちらからも、外がほとんど見えない。

 

「バフォメット」

 

「は」

 

「もう少し薄い布じゃ駄目だったの?」

 

「御尊顔を晒されます」

 

「じゃあ穴を開けるとか」

 

「なりません」

 

「小さい穴だよ?」

 

「なりません」

 

「目のところだけ」

 

「なりません」

 

 こいつ、今日やけに強いな。

 

 オレは諦めて椅子へ深く座り直した。

 

 昨日、ヨコハマの街を歩いた。

 

 パンを食べた。

 

 人間の肉も食べた。

 

 血も飲んだ。

 

 八年前とはまるで違う街を見て回ったあと、バフォメットから聞かされたのが今日の予定だった。

 

 名誉ゲルマニア人の昇格式。

 

 正確には、その中でもさらに上。

 

 賜血。

 

 功績を積み、資格を認められた人間へ、吸血鬼の血を与える。

 

 ただの名誉ゲルマニア人ではなく。

 

 本物のゲルマニア人になるために。

 

「始まります」

 

 バフォメットの声が変わった。

 

 先ほどまでオレと話していた老人の声ではない。

 

 大将軍の声。

 

 オレも背筋を伸ばす。

 

 幕の向こうから、足音が聞こえた。

 

 一人ではない。

 

 何十人。

 

 いや、もっといる。

 

 ざわめきが大きくなっていく。

 

 どうやら広場まで人が入っているらしい。

 

 そんなに来るの?

 

 ただの式典だと思っていたんだけど。

 

 やがて。

 

 鐘が鳴った。

 

 一度。

 

 二度。

 

 三度。

 

 それまで聞こえていた話し声が、一斉に消えた。

 

 嘘みたいに静かになる。

 

 そして、式典を取り仕切る男の声が響いた。

 

「――第六真祖」

 

 空気が変わった。

 

「第三帝国ゲルマニア皇帝」

 

 誰かが息を呑む音まで聞こえた気がした。

 

「ベルゼブブ陛下、御臨席」

 

 次の瞬間。

 

「――――ッ!」

 

 何かが爆発した。

 

 いや。

 

 歓声だった。

 

「陛下!」

 

「ベルゼブブ様!」

 

「女王陛下!」

 

 うるさっ。

 

 思わず肩が跳ねそうになる。

 

 危ない。

 

 今のオレは現人神のようなものだ。

 

 歓声に驚いてびくっとする現人神などいてはならない。

 

 幕があってよかった。

 

「ジーク・ハイル!」

 

 一人が叫んだ。

 

 続いた。

 

「ジーク・ハイル!」

 

 さらに大きく。

 

「ジーク・ハイル!」

 

 広場全体が震えた。

 

 石造りの建物へぶつかった声が何度も返ってくる。

 

 音というより振動だった。

 

 椅子の肘掛けへ置いた指先にまで伝わってくる。

 

 すごい。

 

 想像していたものとは違った。

 

 恐れられている。

 

 そう思っていた。

 

 第六真祖。

 

 ベルゼブブ。

 

 ヨコハマを焼いた怪物。

 

 第三帝国ゲルマニアの支配者。

 

 だから臣下が跪く。

 

 だから兵士が従う。

 

 そういうものだと思っていた。

 

 ……でも。

 

「お母さん、ベルゼブブ様いるの?」

 

 子供の声がした。

 

 幕の向こう。

 

 かなり遠い。

 

「いらっしゃるわ」

 

「どこ?」

 

「あそこ。青い幕の向こうよ」

 

「見えない」

 

「お顔を拝見できる方じゃないの」

 

 母親らしき女が笑った。

 

 声が震えている。

 

「ちゃんと覚えておきなさい」

 

「うん」

 

「あなたが今、お腹いっぱい食べられるのは――陛下のおかげなのよ」

 

 オレは何も言えなかった。

 

 式が始まった。

 

 最初に読み上げられたのは、一人の男の経歴だった。

 

 人間。

 

 四十代。

 

 八年前からヨコハマに住んでいる。

 

 復興事業に参加し、道路と給水設備の再建に携わった。

 

 その後も行政機関で働き、複数回の功績を認められている。

 

 名誉ゲルマニア人。

 

 そして今日。

 

 賜血資格を得た。

 

 足音が近づいてくる。

 

 幕の隙間から、わずかに見えた。

 

 一人の男が中央へ進み出る。

 

 正装している。

 

 人間だ。

 

 緊張しているのか、歩き方が少し固い。

 

 壇上の前で止まった。

 

 跪く。

 

「顔を上げよ」

 

 バフォメットが言った。

 

 男が顔を上げる。

 

「名誉ゲルマニア人として帝国へ尽くした功績、陛下はすべて御覧になられている」

 

 いや。

 

 昨日初めて聞きました。

 

 とは言えない。

 

「本日、その功を認め、汝に賜血を許す」

 

 静まり返った広場へ、バフォメットの声だけが響く。

 

「問う」

 

 男を見る。

 

「汝、人としての生を終え、ゲルマニアの民として生きることを望むか」

 

「はい」

 

 即答だった。

 

 迷いがない。

 

「人の血肉を糧とし、その身に魔を宿し、帝国の法に従い、皇帝陛下へ忠誠を捧げることを誓うか」

 

「誓います」

 

「よろしい」

 

 バフォメットが手袋を外した。

 

 そこでようやく気づく。

 

「え」

 

 小さく声が漏れた。

 

 幸い、歓声に慣れた外の連中には聞こえていない。

 

 バフォメット本人がやるの?

 

 昨日聞いた話では、誰の血を受けるかにも格がある。

 

 高位の吸血鬼ほど、その血を与えられること自体が名誉になる。

 

 そして。

 

 第六真祖本人を除けば。

 

 ゲルマニアでこれ以上はほとんどない。

 

 バフォメットが自分の親指へ小さく牙を立てた。

 

 赤い血が浮かぶ。

 

 それを銀の杯へ落とした。

 

 一滴。

 

 二滴。

 

 血が底へ溜まっていく。

 

 たったそれだけなのに、空気が張り詰めた。

 

「受けよ」

 

 男は両手で杯を受け取った。

 

 一度。

 

 こちらへ深く頭を下げる。

 

「ベルゼブブ陛下」

 

 震えていた。

 

「この御恩、一生忘れません」

 

 そして。

 

 飲んだ。

 

 数秒。

 

 何も起きない。

 

 男が杯を下ろす。

 

「――ッ」

 

 身体が大きく震えた。

 

 床へ片手をつく。

 

 会場は静かなままだ。

 

 誰も驚かない。

 

 これが普通なのだろう。

 

 男の首筋へ黒い血管が浮かんだ。

 

 額に汗が滲む。

 

 苦しそうに歯を食いしばっている。

 

 体内の何かが変わっていく。

 

 人間だった身体へ、吸血鬼の魔力が入り込む。

 

 やがて。

 

 男が顔を上げた。

 

 瞳の奥に、それまでなかった微かな光があった。

 

 魔力。

 

 弱い。

 

 けれど、確かにある。

 

「立て」

 

 バフォメットが言った。

 

 男がゆっくり立ち上がる。

 

「今日より、汝は名誉ゲルマニア人ではない」

 

 一拍。

 

「第三帝国ゲルマニアの臣民である」

 

 歓声が上がった。

 

 今度は先ほどより近かった。

 

 男が泣いている。

 

 客席のどこかから、女性の泣き声も聞こえた。

 

「あなた!」

 

 男がそちらを見る。

 

 妻だろうか。

 

 その隣で、まだ幼い女の子が両手を振っていた。

 

「お父さん!」

 

 男が笑った。

 

 吸血鬼になった男が。

 

 人間の妻と娘へ向かって。

 

 普通に。

 

 嬉しそうに。

 

 笑っていた。

 

 胸の奥に、変なものが引っかかった。

 

 家族だ。

 

 ただの。

 

 どこにでもいる家族。

 

 今日。

 

 その父親だけが、人間ではなくなった。

 

「……バフォメット」

 

 式典が次の表彰へ移ったところで、小さく呼ぶ。

 

「は」

 

「一つ聞いていい?」

 

「何なりと」

 

「賜血って、昔からこんなにやってたの?」

 

 一瞬。

 

 返事がなかった。

 

「いいえ」

 

 声が少しだけ低くなる。

 

「先帝陛下の御代末期には、極めて限定されておりました」

 

「どうして?」

 

「食わせられませぬゆえ」

 

 短かった。

 

 それだけで分かった。

 

「……ああ」

 

「新たな同胞を一人増やせば、その者が生涯必要とする血肉もまた増えます」

 

 当たり前だ。

 

 人間を吸血鬼にする。

 

 人口が増える。

 

 必要な食料も増える。

 

「当時は、今いる民を食わせることすら困難でございました」

 

 幕の向こうで拍手が起こっている。

 

 誰かが表彰されているらしい。

 

「子供が生まれても、十分な血を与えられぬ家もあった」

 

 バフォメットは淡々と続けた。

 

「魔力が尽き、起き上がれなくなる者も」

 

「……」

 

「親が自らの配給を子へ譲り、そのまま死んだ例も、珍しいものではございません」

 

 昨日。

 

 市場で見た。

 

 大量の肉。

 

 血を売る店。

 

 食事を楽しむ家族。

 

 焼きたてのパン。

 

 酒。

 

 音楽。

 

 笑っていた。

 

 みんな。

 

「現在は違います」

 

 バフォメットが言った。

 

「陛下が領土を広げられた」

 

 台湾。

 

 マダガスカル。

 

 スリランカ。

 

 遠く離れた外地。

 

「海路を整え、外地から安定して食糧を運べるようになった」

 

 食糧。

 

 昨日見た荷車が脳裏に浮かぶ。

 

 首に番号札をつけられた人間たち。

 

「故に、我らは再び民を増やせるようになった」

 

 バフォメットの声には。

 

 誇りがあった。

 

「子供が飢えぬようになりました」

 

 悪意などない。

 

「兵も働ける」

 

 心から喜んでいる。

 

「老人も、配給を孫へ譲らずに済む」

 

 そして。

 

「功を立てた人間へ、未来を与える余裕もできた」

 

 先ほどの男が見えた。

 

 妻と娘に囲まれている。

 

 周囲の吸血鬼たちから肩を叩かれ、何度も頭を下げている。

 

 幸せそうだった。

 

 本当に。

 

 幸せそうだった。

 

「陛下」

 

 バフォメットが静かに言う。

 

「民は、あの日々を忘れておりません」

 

 また。

 

 広場のどこかから声が上がった。

 

「ベルゼブブ陛下万歳!」

 

 それに応えるように。

 

「万歳!」

 

「女王陛下万歳!」

 

「ベルゼブブ様!」

 

 歓声が広がっていく。

 

 誰かに命令された声ではない。

 

 泣いている者がいる。

 

 笑っている者がいる。

 

 子供を肩車している父親もいる。

 

 杖をついた老人が、震える腕を掲げている。

 

 この国でオレは英雄だった。

 

 人間だったころの感覚なら、笑えない。

 

 この食卓の向こう側に何があるのか、知っている。

 

 昨日食べた肉も。

 

 飲んだ血も。

 

 今日ここにいる吸血鬼たちが食べているものも。

 

 どこかにいた人間だ。

 

 誰かの親。

 

 誰かの子供。

 

 誰かの家族。

 

 それでも。

 

 この歓声も嘘ではない。

 

 オレが奪った命がある。

 

 オレが救った命もある。

 

 どちらか一つだけを見れば簡単なのに。

 

 世界は只々残酷で、それを許してはくれない。

 

「……バフォメット」

 

「は」

 

「昨日、私が聞いたこと覚えてる?」

 

「何を、でございましょう」

 

「この八年間で、何を作ったのかって」

 

「はい」

 

 オレは幕の向こうを見る。

 

 ほとんど何も見えない。

 

 それでも。

 

 今は昨日より少しだけ分かる気がした。

 

「国だったんだね」

 

 バフォメットは答えなかった。

 

「領土じゃなくて」

 

 人がいる。

 

 吸血鬼がいる。

 

 働いて。

 

 食べて。

 

 子供を育てて。

 

 誰かを好きになって。

 

 明日も生きようとしている。

 

「みんな、生きてる」

 

「当然にございます」

 

 即答された。

 

 思わず笑った。

 

「そういうところだよ、バフォメット」

 

「?」

 

「ううん。何でもない」

 

 こいつにはたぶん分からない。

 

 それでいい。

 

 しばらくして、式典が終わった。

 

 最後の礼。

 

 最後の歓声。

 

 そしてもう一度。

 

「ジーク・ハイル!」

 

「ジーク・ハイル!」

 

「ジーク・ハイル!」

 

 轟音のような声が、ヨコハマの空へ響いていく。

 

 オレはその中心で。

 

 誰にも顔を見せないまま。

 

 ただ聞いていた。

 

   ◇ ◇ ◇

 

「バフォメット」

 

 大礼が終わり、人払いされた部屋へ戻ってから呼び止めた。

 

「は」

 

「さっきの話」

 

「賜血でございますか」

 

「違う」

 

 オレは首を振った。

 

「その前」

 

 バフォメットがこちらを見る。

 

「先代の頃の飢え」

 

「……」

 

「もっと聞かせて」

 

 初めて見る顔だった。

 

 ほんのわずかに。

 

 バフォメットが黙った。

 

「お父様の頃、この国で何があったのか」

 

 オレは椅子へ座る。

 

「ちゃんと知っておきたい」

 

 自分が何を変えたのか。

 

 ……その前に。

 

 何が壊れていたのか。

 

 知らなければならない。

 

 バフォメットはしばらく黙ったあと。

 

 ゆっくりと頭を下げた。

 

「承知いたしました」

 

 そして。

 

「では――先帝陛下が、まだ御健在であられた頃よりお話しいたしましょう」

 

 その声から。

 

 いつもの穏やかさが消えていた。

 

 

 

 

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