【TS】主人公の両親を殺したラスボス吸血鬼ですが、彼の最後の家族をやってます。 作:サボテニウム
「それ、そこに置いて」
「こちらにございますか」
「うん」
バフォメットが抱えていた黒い帳簿を、長机の中央へ置いた。
昨日見たものだ。
カイゼンの時代。
食料を失い、魔力を失い、死んでいったゲルマニア人たちの名前が記された帳簿。
会議の資料ではない。
地図でもない。
軍の報告書でもない。
それでも今日は、ここに置いておきたかった。
「ベルゼブブ様」
「何?」
「御前会議に用いる資料ではございませんが」
「知ってるよ」
「では、何故」
「今日、いっぱい数字の話するんでしょ?」
「左様にございます」
「だから」
帳簿を見る。
「その横に置いておいて」
「…………」
バフォメットは何も聞かなかった。
「御意」
◇
御前会議。
名前だけ聞けば、もう少し格好いいものを想像していた。
実際は。
長い机。
大量の紙。
大量の地図。
大量の偉い人。
そして。
大量の仕事である。
嫌だ。
帰りたい。
「ベルゼブブ様」
「聞いてるよ」
「まだ何も申し上げておりません」
「あ」
いけない。
心を読まれたのかと思った。
オレは椅子へ座り直す。
机の左右には、軍人や文官たちが並んでいた。
この場にいるのは、当然ながらゲルマニアでも上層に位置する者ばかりだ。
全員の視線がこちらへ集まっている。
「始めようか」
「はっ!」
一斉に頭が下がった。
こういうの。
八年経っても慣れない。
「まず、食料から」
「は」
一人の文官が立ち上がった。
「現在、ヨコハマへの主要搬入航路はいずれも正常に稼働しております。台湾方面、マダガスカル方面、スリランカ方面ともに、大きな遅延はございません」
机の上へ地図が広げられる。
海上に引かれた線。
その先にある島々。
昨日、港で見た船もこの線の上を通ってきたのだろう。
「血液、食肉ともに?」
「はい。現時点では不足の報告はございません」
「備蓄は?」
「平時の基準を維持しております」
平時。
その言葉を聞きながら、黒い帳簿へ目を向ける。
「一つ止まったら?」
「は?」
「航路」
地図を指す。
「三つとも動いてるから足りてるんでしょ。じゃあ、どれか一つが止まったら?」
「短期間であれば、他方面からの搬入および備蓄によって対応可能にございます」
「長く止まったら?」
「…………」
文官が一瞬だけ黙った。
「品目によっては、配給量の調整が必要となります」
なるほど。
「二つ止まったら?」
「それは……」
今度は答えが遅かった。
バフォメットを見る。
「調べてない?」
「想定自体はございます」
「あるんだ」
「ただし、二航路の長期同時停止ともなれば、現在の備蓄のみで従来の供給水準を維持することは困難となります」
「やっぱり」
八年前とは違う。
今は食べ物がある。
飢えていない。
けれど。
それは食べ物が無限に湧いているという意味ではない。
船が運んでいるだけだ。
海の向こうから。
「代替経路を増やそう」
地図を見る。
「一つの場所に頼りすぎないようにしたい」
「御意」
「それと、備蓄」
「増量なさいますか」
「できる範囲で。ただ、血も肉もずっと置いておけるわけじゃないでしょ?」
「左様にございます」
「保冷庫も必要になる」
「増設には相応の費用を要します」
別の文官が口を開いた。
少しだけ驚く。
反対意見が出た。
いい。
「どれくらい?」
「港湾設備のみならず、保管施設への魔力供給も必要となります。すべての主要拠点へ同時に整備するとなれば、他の公共事業への影響は避けられません」
「じゃあ全部一気にはやらない」
地図を引き寄せる。
「どこが一番危ない?」
「それは……調査の上で」
「うん。優先順位をつけよう。止まったときに代わりが利きにくい場所から」
「承知いたしました」
文官が座る。
よし。
ちゃんと会議っぽい。
今のところ。
たぶん。
「次」
「賜血に関して、ご報告がございます」
「ああ」
昨日の男を思い出す。
人間として生まれ。
四十年以上を人間として生き。
昨日。
吸血鬼になった。
「希望者、増えた?」
「はい。昨日の儀式後、名誉ゲルマニア人からの申請が増加しております」
「だよね」
家族と一緒に喜んでいた。
あれを見れば。
自分にもいつか、と考える者はいるだろう。
「資格審査については従来通り?」
「功績、納税、就労実績、帝国への忠誠、その他の基準を総合して判断しております」
「うん」
少し考える。
「枠は増やさないで」
何人かがこちらを見る。
「少なくとも、食料の見通しが出るまでは」
「理由をお聞きしても?」
「一人、吸血鬼を増やすってことは」
昨日の血を思い出す。
口に含んだ瞬間。
身体の奥へ魔力が満ちていった。
あれがなければ。
普通の吸血鬼は生きられない。
「その人を、一生食べさせるってことだから」
「…………」
「せっかく賜血したのに、十年後に食べ物がありませんじゃ笑えないでしょ」
「仰せの通りにございます」
「名誉ゲルマニア人に未来は見せたい。でも、無責任に増やしたくない」
黒い帳簿へ目を向ける。
「お父様の頃と同じことはしたくないから」
バフォメットの目が、ほんの少しだけ細くなった。
「御意」
◇
「軍事面に移ります」
今度はバフォメットが立った。
机の上の地図が取り替えられる。
こちらは。
さっきより嫌な線が多い。
「帝国外地防衛騎士団《ブラウアー・シルト》より、各外地に大規模な異常なしとの報告が届いております」
「台湾は?」
「局地的な抵抗活動は継続しておりますが、現時点で統治機構を脅かす規模ではございません」
「マダガスカル」
「同様に」
「スリランカ」
「現状、最も安定しております」
「分かった」
「本国防衛騎士団《ヴァイセス・クロイツ》についても、帝都周辺に異常はございません」
次。
地図の上に置かれた黒い駒。
「皇室近衛騎士団《シュヴァルツァー・アドラー》は、七帝会談へ同行する者の選抜を進めております」
「少なくしてって言ったよね?」
「精鋭のみを選抜しております」
「人数の話をしてるんだけど」
「精鋭のみを」
「バフォメット」
「…………」
「何人?」
「最終決定前にございます」
逃げた。
「絶対多いでしょ」
「皇帝陛下が第一真祖の帝都へ赴かれるのでございます」
「喧嘩しに行くわけじゃないよ」
「存じております」
「話し合い」
「存じております」
「分かってない顔してる」
「私には山羊の顔しかございません」
「それ昨日も使ったよね?」
「有効でございましたので」
こいつ。
八年で妙な技を覚えたな。
「アイゼンラート卿は?」
「予定通り移動中にございます。順調に進めば、明日にはヨコハマへ到着する見込みです」
「ダインスレイヴも?」
「無論」
「よし」
「ベルゼブブ様」
「何?」
「何故そこで安心なさるのです」
「護身用が来るから」
「…………」
「何」
「いえ」
「言いたいことあるなら言ってよ」
「護身用という言葉の意味について、改めて辞書を確認すべきかと考えておりました」
「失礼だな」
魔剣ダインスレイヴ。
ゲルマニア最強の呪具。
たしかに。
一般的な護身用ではない。
……でも。
ベリアル相手なら。
これくらいでようやく護身用だと思う。
「使わなければいいんだよ」
「それを願っております」
「私も」
本当に。
使いたくない。
◇
「続いて、七帝会談について」
空気が少しだけ変わった。
オレも背筋を伸ばす。
「現在までに、六名の真祖が出席する見込みにございます」
「やっぱりアラストルは来ない?」
「はい。第四真祖より欠席の通告が届いております」
「理由は?」
「明示されておりません」
「そっか」
エレオノーラ。
第四真祖アラストル。
そして。
お父様が裏切った相手。
顔を合わせなくて済む。
少しだけ安心する。
なのに。
同時に。
何となく残念でもあった。
自分でも理由は分からない。
「第一真祖側から、新しい連絡は?」
「現時点ではございません」
「つまり」
頬杖をつきかける。
やめる。
皇帝。
皇帝。
「呼びつけた割に、何をしたいのかよく分からない?」
「概ね」
「嫌だなあ」
そういうの。
会社でも嫌いだった。
『とりあえず会議します』
目的を言え。
目的を。
「ベルゼブブ様」
「うん」
「今回の会談における、ゲルマニアの基本方針を改めて」
「ああ」
これは決めてある。
「戦争を増やさない」
まず一つ。
「外地と海上航路は守る」
二つ。
「兵を簡単に貸さない」
三つ。
「領土とか条約とか、その場で即答しなきゃいけない話は持ち帰る」
四つ。
「それから」
少し考える。
「ゲルマニアの民が食べられなくなる条件は飲まない」
誰も口を挟まなかった。
「以上」
「…………」
「何?」
「いえ」
バフォメットが首を振る。
「明確でございます」
「でしょ?」
「最後の一点を除けば、極めて穏当かと」
「最後も穏当だよ」
「条件次第では、戦争を意味いたします」
「そのときは仕方ない」
「ベルゼブブ様」
「分かってるって」
軽く手を上げる。
「喧嘩を売りに行く気はないよ」
「はい」
「でも」
昨日の港を思い出す。
運び込まれる血。
肉。
人間。
その向こうにいる。
腹を空かせずに済むゲルマニアの子供たち。
「食べ物まで取られて、笑って帰ってくる気もない」
「御意」
バフォメットが深く頭を下げた。
◇
報告は続いた。
税収。
人口。
道路。
港。
住宅。
治安。
外地。
軍。
輸送。
数字が次々と並ぶ。
昨日、自分で思ったばかりだ。
数字はいくらでも並べられる。
でも。
必要でもある。
国を動かすなら。
数字を見ないわけにはいかない。
「以上となります」
最後の報告が終わった。
「うん」
机の上を見る。
資料の山。
そして、その真ん中。
古い黒い帳簿。
「一個だけいい?」
「何なりと」
オレは帳簿へ手を伸ばした。
開く。
昨日見た文字が並んでいる。
名前。
年齢。
地区。
死亡日。
「これ」
何人かの視線が集まる。
「お父様の頃の帳簿なんだ」
誰も喋らない。
「食料がなくて死んだ人の名前が書いてある」
ページをめくる。
「最初は、人数しか報告してなかったんだって」
バフォメットを見る。
「そうだよね?」
「左様にございます」
「それを、お父様が変えた」
もう一度、帳簿へ視線を落とす。
「数字だけじゃなくて、名前を持ってこいって」
「…………」
「私は」
少し迷う。
「お父様がしたことを、全部正しかったと思ってるわけじゃない」
バフォメットは何も言わない。
「たぶん、間違ったこともいっぱいした」
それどころか。
世界中から見れば。
とんでもないことをした人だ。
「でも、これは真似したい」
帳簿を閉じる。
「これから、御前会議に上げる被害報告は、人数だけにしないで」
一人の軍人が顔を上げた。
「と、申されますと」
「名前が分かるなら、名前も」
「兵士のみならず?」
「市民も」
「外地においても?」
「うん」
「すべてを陛下ご自身がご覧になられるおつもりですか」
「全部覚えるのは無理だよ」
即答する。
「私、そこまで頭よくないし」
「…………」
何故か。
ものすごく言ってはいけないことを言ったような空気になった。
「何?」
「いえ……」
「皇帝が頭よくないと駄目?」
誰も答えない。
バフォメット。
助けて。
「ベルゼブブ様」
「うん」
「話をお戻しください」
見捨てられた。
「とにかく」
咳払いする。
「全部覚えられないからって、最初から数字だけにしていい理由にはならないと思う」
帳簿の表紙を指で撫でる。
「三人死んだ、と」
「…………」
「誰々が死んだ、は」
「…………」
「同じじゃないから」
静かだった。
「数字は必要。これからも出して」
「はい」
「でも、名前がある人を、最初から数字だけにしないで」
「御意」
バフォメットが答えた。
その声に続いて。
「御意」
「御意」
机の左右から声が重なった。
「あと」
もう一つ。
「私が間違ってると思ったら、言ってね」
「…………」
また静かになった。
なんで。
「いや、本当に」
「ベルゼブブ様」
「何?」
「それは、臣下へ異論を許されるという意味にございますか」
「許すというか」
考える。
「言ってほしい」
「…………」
「私、一人で全部分かるわけじゃないし」
原作では。
何でも一人でやろうとした。
その結果。
随分ひどい目に遭った。
「ちゃんと理由があるなら聞くよ」
「陛下の御判断に反する場合であっても?」
「うん」
「強く反対しても?」
「理由があるなら」
「…………」
「でも最後に決めるのは私」
「無論にございます」
「そこは譲らない」
それが皇帝だと思う。
「だから」
みんなを見る。
「止めるなら、私が決める前に止めて」
昨日の言葉を思い出す。
次の皇帝が。
自分は正しいと思い始めたら。
見せろ。
「私が、自分は絶対正しいって思い始めたら」
黒い帳簿を軽く叩く。
「たぶん一番危ないから」
バフォメットの視線が帳簿へ落ちた。
ほんの少しだけ。
黒山羊の口元が緩んだように見えた。
「何?」
「いえ」
「今笑った?」
「私には山羊の顔しかございません」
「便利すぎない? それ」
◇
「ベルゼブブ様」
「はい」
「先ほどの件ですが」
「うん?」
「では、早速」
文官の一人が手を上げた。
「港湾保冷施設の増設について、申し上げてもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
「現在の財政状況を鑑みれば、陛下がお考えの規模での整備は時期尚早かと存じます」
「…………」
早いな。
さっき言ったばっかりなのに。
「理由は?」
「復旧途上にある居住区への予算を圧迫いたします」
「なるほど」
「食料備蓄は重要にございます。しかし、現状すでに一定の余裕がございますゆえ、一度に設備を増やす必要性は低いものと」
「じゃあ」
地図を引き寄せる。
「さっき言った通り、全部はやめよう」
「は」
「止まったときに危ない場所を調べて、そこだけ先に」
「それであれば」
「いける?」
「検討可能にございます」
「じゃあ、それで」
「御意」
文官が頭を下げる。
オレはバフォメットを見る。
「ほら」
「何がでございますか」
「言ってくれた」
「ベルゼブブ様がお命じになられましたゆえ」
「うん」
悪くない。
何でも、
『仰せのままに』
で通されるより。
ずっといい。
「これなら」
少しだけ笑う。
「私が変なこと言っても大丈夫そう」
「陛下」
「何?」
「限度はございます」
「そこは頑張ってよ」
◇
御前会議が終わった頃には。
太陽は随分高くなっていた。
「疲れた……」
机へ突っ伏したい。
でも。
まだ人がいる。
我慢。
我慢だ。
「ベルゼブブ様」
「何?」
「本日の決裁書類が」
「まだあるの?」
「ございます」
机の端に。
どさり。
紙の束が置かれた。
「…………」
皇帝やめたい。
一瞬だけ。
本当に一瞬だけ思った。
口には出さない。
「多くない?」
「八日分にございます」
「あ」
そうだった。
普段いないんだった。
むしろ八日分なら。
少ないのかもしれない。
いや。
やっぱり多い。
「ベルゼブブ様」
「今度は何?」
「アイゼンラート卿より、先ほど通信が届きました」
顔を上げる。
「ヴァルター?」
「はい」
「どうだった?」
「予定通り、明日ヨコハマへ到着いたします」
「お」
ようやく。
「魔剣ダインスレイヴも、アイゼンラート卿自ら護送中にございます」
「よし」
「シュヴァルツァー・アドラーの護衛選抜も、本日中には完了いたします」
「じゃあ」
指折り数える。
「ヴァルターが来て、準備して」
「はい」
「それから出発」
「シベリア鉄道の皇室専用列車についても手配済みにございます」
「…………」
机の地図を見る。
ヨコハマ。
その先。
さらに西。
クレムリン。
遠い。
めちゃくちゃ遠い。
「バフォメット」
「は」
「空飛べたら楽なのにね」
「…………」
「何、その顔」
「私には山羊の顔しかございません」
「今日何回目!?」
黒山羊は答えなかった。
机の中央には。
まだ、古い帳簿が置かれている。
その隣には。
今日決めたばかりの新しい書類が積まれていた。
過去。
現在。
そして。
これから。
「…………」
皇帝の仕事というのは。
たぶん。
正解を選ぶ仕事ではない。
正解なんて分からなくても。
何かを選ばなければならない仕事だ。
だからせめて。
選んだあとで。
何を失ったのかまで忘れないようにする。
「ベルゼブブ様」
「うん?」
「決裁書類を」
「…………」
現実が戻ってきた。
「今やる?」
「本日中に」
「明日じゃ駄目?」
「アイゼンラート卿がお越しになります」
「明後日」
「出立準備がございます」
「…………」
「ベルゼブブ様」
「はい」
諦めて、一枚目の書類を取った。
皇帝は。
どうやら、感傷に浸る暇もないらしい。