【TS】主人公の両親を殺したラスボス吸血鬼ですが、彼の最後の家族をやってます。 作:サボテニウム
「ヤヴォール、マジェステート!」
翌朝。
ヨコハマの軍施設に響き渡った第一声を聞いて、オレは思わず足を止めた。
懐かしい。
というより、相変わらず声がでかい。
「久しぶり、ヴァルター」
「はっ!」
ゲルマニア有数の公爵家出身。
序列第4位にして若い世代のエース。
ヴァルター・アイゼンラートは片膝をつき、深く頭を垂れていた。
その姿勢には寸分の乱れもない。
八年ぶりに見るというのに、昨日別れたばかりと言われても納得できそうなくらい何も変わっていなかった。
いや、実際には変わっているのだろう。
オレだって八歳から十六歳になった。
ヴァルターにも同じだけの時間が流れている。
それなのに、こうして目の前で跪かれると、妙な安心感があった。
「御健勝の御様子、何よりにございます」
「うん。ヴァルターも元気そうだね」
「はっ」
「…………」
「…………」
「相変わらず固いね」
「恐れ入ります」
「褒めてないよ」
「はっ」
駄目だ。
会話が跳ね返ってくる。
バフォメットなら、このあたりで少しくらい余計なことを言うようになったのだが。
横を見ると、そのバフォメットが何食わぬ顔で立っている。
「バフォメット」
「何でございましょう」
「ヴァルターに、もうちょっと力抜いていいって教えなかったの?」
「申し上げた記憶はございます」
「ヴァルターが聞き入れなかっただけか」
「左様にございます」
「大将軍閣下」
ヴァルターが顔を上げる。
「陛下の御前にて、そのような誤解を招く発言はお控えください」
「誤解?」
「私が諫言を聞き入れぬ者のようではありませんか」
「違うの?」
「必要な御意見であれば拝聴いたします」
「『もう少し力を抜け』は?」
「必要性を認めませんでした」
「聞き入れてないじゃん」
「…………」
バフォメットが黙った。
たぶん笑っている。
山羊の顔だから分からないけど。
「まあ、いいや」
オレはヴァルターの後方へ目を向けた。
そこには黒を基調とした軍装の騎士たちが整然と並んでいる。
皇室近衛騎士団《シュヴァルツァー・アドラー》。
通称、黒鷲。
これから七帝会談へ同行する者たちだ。
そして、その中央。
厳重な警護の下に、今回わざわざ本国から運ばせたものがある。
「持ってきてくれたんだね」
「御命令の品、確かに」
ヴァルターが立ち上がり、そちらへ向き直った。
「魔剣ダインスレイヴにございます」
ゲルマニア最強の呪具。
カイゼンの時代から皇室に伝わる帝国の宝物。
その名を聞いただけで、周囲の空気が少し張り詰めたような気がした。
オレはしばらく黙って、それを見る。
昨日までなら、たぶん違う感想を抱いていただろう。
強力な武器。
七帝会談へ持っていく保険。
ベリアル相手に何かあった場合の護身用。
もちろん、それは今も変わらない。
ただ。
昨日、バフォメットから父の話を聞いた。
カイゼン・フォン・ゲルマニア。
歴史の中で裏切り者と呼ばれ、戦後の帝国を食わせられず、それでも死んでいく臣民の名前を最後まで聞き続けた皇帝。
その人が生きていた時代から、この魔剣はここにあった。
「……お父様の頃からなんだよね」
「はい」
ヴァルターは余計なことを言わなかった。
「第三帝国における皇室宝物の一つにございます」
「そっか」
それだけでよかった。
今日は父親の昔話をするための日ではない。
オレは小さく頷く。
「ありがとう。ヴァルター」
「勿体なき御言葉」
「本国から持ってくるの、大変だったでしょ」
「陛下の勅命でございますれば」
「そういうところなんだよなあ」
「は?」
「何でもない」
相変わらずである。
でも。
こういう男だから頼んだのだ。
ダインスレイヴほどのものを運ばせるなら、途中で何が起きても絶対に手放さない人間がいい。
その点、ヴァルターほど信用できる男はいない。
「これで準備は終わり?」
「黒鷲の選抜、携行物資、沿線各地への連絡、帝室専用列車の手配、すべて完了しております」
「早いね」
「陛下をお待たせするわけにはまいりません」
「昨日到着したばっかりだよね?」
「はい」
怖い。
ちゃんと寝たのだろうか。
オレがじっと見ていると、ヴァルターがわずかに眉を動かした。
「何か」
「寝た?」
「問題ございません」
「何時間?」
「問題ございません」
「質問に答えて」
「問題ございません」
こいつ。
「バフォメット」
「は」
「昔から?」
「昔からにございます」
「やっぱり」
「大将軍閣下」
「事実であろう」
「…………」
珍しくヴァルターが負けた。
少し面白い。
オレは笑いながら、もう一度ダインスレイヴへ目を向けた。
準備は整った。
これを持って、第一真祖のところへ行く。
「じゃあ、行こうか」
言葉にすると、急に現実味が増した。
七帝会談。
クレムリン。
ベリアル。
少しだけ胸の奥が重くなる。
けれど、昨日までとは違う。
何を守るのかは、もう見てきた。
ヨコハマの街も。
そこで暮らす人たちも。
飢えずに済んでいる子供たちも。
そのために運ばれてくる人間たちも。
全部ひっくるめて、今のゲルマニアだ。
「バフォメット」
「は」
「ヨコハマ、お願いね」
「我が命に代えましても」
「命には代えなくていいよ」
「…………」
「本当に」
「可能な限り善処いたします」
「何でそこだけ断言しないの」
「大将軍たる者、できぬ約束はいたしませぬ」
「そういうところは真面目なんだから」
バフォメットが深く頭を下げる。
「御帰還をお待ちしております。ベルゼブブ様」
「うん」
今度こそ、オレは頷いた。
「行ってきます」
◇
それから、いくつかの移動を挟んだ。
船でヨコハマを離れ、大陸側の鉄道拠点があるウラジオストクへ着いたところで、ようやく今回の旅の主役が姿を現した。
「…………長い」
列車を見た感想が、それだった。
「何両あるの?」
「陛下」
「うん」
「帝室専用列車を前にしての第一声としては、いささか情緒に欠けるかと」
「だって長いんだもん」
駅のホームに、ゲルマニア皇室専用列車が停車している。
帝室用の客車だけではない。護衛の黒鷲、随行員、物資、それにダインスレイヴまで運ぶのだから、考えてみれば短く済むはずがない。
それでも、端まで見ようとして途中で諦める程度には長かった。
「全部ついてくるの?」
「必要なもののみ厳選しております」
「これで?」
「はい」
「バフォメットと同じこと言うなあ」
「大将軍閣下の判断は概ね適切でございます」
この二人。
普段は全然違うのに、オレを過保護にするときだけ妙に気が合う。
やがて出発の時刻になり、列車がゆっくりと動き始めた。
金属同士が擦れる音がして、窓の外の駅舎が後ろへ流れていく。
そこから先は、長い旅だった。
最初のうちは建物も多かったが、しばらくすると窓の外から人の手で作られたものが減っていった。
広い平原が、空の下をどこまでも伸びている。
遠くに低い森が見え、その向こうには薄く霞んだ山の輪郭が浮かんでいた。ときおり小さな集落や川を横切るものの、それもすぐに後ろへ消えていく。
空が広い。
トウキョウでは、こんなふうに地平線を見ることはほとんどない。
学院の窓から見えるのは校舎と壁と、訓練場。
ヨコハマなら建物と海。
けれどここでは、窓の外に何もない時間の方がずっと長かった。
ただ線路だけが、まっすぐ西へ続いている。
「…………」
最初の一時間くらいは楽しかった。
二時間目も、まあ見ていられた。
三時間を過ぎると、さすがに飽きた。
「ヴァルター」
「は」
「まだ?」
「まだにございます」
「どれくらい?」
「先ほど御説明した通りにございます」
「聞いたけど、もしかしたら急に近くなってるかなって」
「なっておりません」
「列車、頑張ってるのに」
「頑張りで距離は縮まりません」
「夢がないなあ」
向かい側に座るヴァルターは、先ほどからほとんど姿勢を崩していない。
一方のオレは、すでに何度座り直したか分からなかった。
皇室専用列車というだけあって居心地は悪くない。
むしろ良すぎるくらいである。
それでも、移動時間そのものだけはどうにもならない。
「失礼いたします」
随行員が入ってきて、テーブルへ飲み物を置いた。
白い磁器のカップから湯気が立ち上る。
いい匂いだ。
「コーヒー?」
「左様にございます」
「ありがとう」
カップを手に取る。
一口飲むと、ほどよい苦みと香りが口に広がった。
「おいしい」
「ワラキア産にございます」
「へえ」
ワラキア。
アフリカに広がる、第三真祖アスモデウスの国。
もう一口飲む。
少なくとも、長い列車旅のお供としては文句なしだった。
ところが。
「…………」
向かい側のヴァルターが、やけに険しい顔で自分のカップを見ている。
「どうしたの?」
「何がでございましょう」
「コーヒー嫌い?」
「好んでおります」
「じゃあ何でそんな顔してるの」
ヴァルターはしばらく黙っていたが、やがて静かにカップを持ち上げた。
「これも、かつてはゲルマニア産でございました」
「…………」
重い。
コーヒー一杯に背負わせる歴史が重い。
「ワラキア領となっている地域にも、かつては我が帝国の領地がございました」
「うん」
「その頃であれば、他国へ対価を払い、かつて我らの土地で生産されていた品を買い戻す必要などなかったのです」
「ヴァルター」
「は」
「コーヒー飲むたびにそれ言ってる?」
「事実を申し上げているだけにございます」
「絶対言ってるじゃん」
もう一口飲む。
味は美味しい。
ただし、向かいから漂ってくる帝国の哀愁のせいで、さっきより少し苦く感じる。
「まだ根に持ってるんだ」
「当然にございます」
「八年以上前だよ」
「領土とは年月を経れば惜しくなくなるものではございません」
「強い」
即答だった。
愛国心の塊か、この男。
ただ、笑って終わらせるには、少しだけ知りすぎてしまった。
アフリカ。
お父様が手放した土地。
戦後、反乱が続き、道が焼かれ、輸送が止まり、ゲルマニアへ食料が届かなくなった。
昨日までなら、地図の色が変わったという程度の認識だったかもしれない。
今は違う。
領土を失うということが、そこにあった畑や牧場や道路まで失うことなのだと分かる。
その先で、誰が飢えたのかも。
「……お父様は、取り返さなかったんだよね」
ヴァルターの目がこちらへ向いた。
「はい」
「取り返せなかった、じゃなくて」
「…………」
「取り返さなかった」
「左様にございます」
バフォメットから聞いた言葉が蘇る。
勝つたびに何かを失うのは、もうたくさんだ。
あの人は、そこで止まった。
民が飢えていることを知りながら、それでももう一度外へ向かって剣を振るうことを選ばなかった。
「ヴァルターは、それでよかったと思ってた?」
問いかけると、彼はすぐには答えなかった。
列車の規則正しい振動だけが、しばらく車内に響く。
「私は先帝陛下の臣下にございました」
「うん」
「陛下がお決めになったことへ従う。それが私の役目でございました」
「そうじゃなくて」
カップを置く。
「ヴァルターは、どう思ってたの?」
「…………」
また黙る。
こういう質問は苦手らしい。
臣下がどう考えるべきか。
軍人がどうするべきか。
そういう話なら、いくらでも答えられるのだろう。
でも、自分がどう感じていたのかを聞かれると、この男は途端に言葉が遅くなる。
少し待つ。
やがてヴァルターは、窓の外へ目を向けた。
「惜しゅうございました」
「うん」
「今でも」
「……そっか」
「ゆえに、このコーヒーを飲むたび思います」
「やっぱり毎回言ってるんじゃん」
「思っているだけにございます」
「口にも出してるよね?」
「本日は」
「本日はね」
思わず笑ってしまった。
ヴァルターは納得していないようだったが、それ以上は何も言わずにコーヒーを飲んだ。
たぶん。
この人なりに、ずっと覚えているのだ。
失った土地も。
そこで何があったのかも。
バフォメットが死者の名前を帳簿に残したように、ヴァルターは失われた帝国の姿を覚えている。
同じ昔を知っていても、覚えているものは違うらしい。
窓の外では、平原が途切れ、背の高い木々が増えていた。
列車は森の脇を抜けていく。
幹と幹の隙間から光が差し込み、それが車内の壁を一定の間隔で横切っていた。しばらくすると森が開け、今度は大きな川が見える。
水面が空の色を映し、遠くまで続いている。
綺麗だ。
綺麗なのだが。
「…………遠い」
「先ほども申し上げました」
「分かってるよ」
これが前世なら。
もっと簡単だった。
飛行場へ行って、飛行機に乗る。
数時間もすれば、かなりの距離を移動できる。
少なくとも大陸を横断するために、延々と窓の外の木を数える必要はなかった。
「ヴァルター」
「は」
「飛行機が欲しい」
「なりません」
「早くない!?」
まだ説明すらしていない。
「私が何を言ってるか分かるの?」
「人造の翼にございましょう」
「あ、あるんだ。その呼び方」
「ございます」
「じゃあ話が早い。人が乗れて、空を飛んで――」
「なりません」
「だから最後まで聞いてよ」
「最後まで伺っても結論は変わりません」
「頑固」
「条約にございます」
ヴァルターは平然と言った。
「人造の翼は、アラスカ条約によって禁じられております」
「…………」
アラスカ条約。
またお前か。
第三次吸血鬼大戦の終結後に結ばれた条約。
世界地図を今の形にした戦後秩序。
その中に、そんなものまで入っていたらしい。
……そういえば、バフォメットから渡された先帝の資料。
空飛ぶ戦艦の建造計画があった。
大戦後に凍結されたとあったが、条約が原因だったのか。
なら、仕方ない。
「便利なのに」
「禁制にございます」
「私、飛行機好きなんだけど」
「初耳にございます」
「今言ったからね」
前世で特別な航空マニアだったわけではない。
でも今は好きだ。
猛烈に好きになった。
この列車に乗ってから好きになった。
「作るだけでも駄目?」
「なりません」
「飛ばさなければ?」
「何のために作られるのですか」
「見る」
「なりません」
「模型」
「それは飛行機ではございません」
ああ言えばこう言う。
正論。
だが、だんだんムカついてきた。
「ああもう! わかった。じゃあそれ作ってベリアルと戦う! それでどう? これなら立派な理由でしょ」
投げやりに返す。
ヴァルターが冷たい目をしている。
「陛下」
「はい」
「その冗談は笑えません」
「ごめん」
怒られた。
オレは大人しくコーヒーを飲んだ。
窓の外では、さっきまで見えていた川がもう後ろへ消えていた。
「でも、不便じゃない?」
「不便であることと、翼が許されることは別問題にございます」
「それはそうだけど」
「ゲルマニアはアラスカ条約の締約国でございます」
「知ってる」
「ならば、陛下自らこれを破ることはお認めできません」
「まだ破るって言ってないよ」
「御顔を拝見すれば分かります」
「私そんなに信用ない?」
「この件に関しては」
「限定された」
ひどい。
ただ、ヴァルターの言っていることは正しい。
皇帝が、
『便利だから条約破りました』
では済まない。
しかも数日後には、その条約によって成立した現在の秩序を支える真祖たちと顔を合わせるのだ。
その直前に飛行機を作り始める皇帝。
嫌すぎる。
「分かったよ。作らない」
「御意」
「今は」
「陛下」
「冗談。言ってみただけ」
ヴァルターが頭痛でも堪えるような顔をした。
珍しい。
少し楽しくなってきた。
「でもさ」
「はい」
「人造の翼って名前、格好いいね」
「左様でございますか」
「うん」
オレは窓の外へ目を向ける。
どこまでも続く大地の上に、大きな空が広がっている。
雲は高く、その下を一羽の鳥が横切っていった。
地上を走る列車なんて関係ない。
線路も。
山も。
川も。
鳥には必要ない。
「いいなあ」
「何がでございますか」
「翼」
ヴァルターも窓の外を見た。
「陛下には、すでに人には及ばぬ御力がございます」
「そういう話じゃないよ」
「では?」
「みんなで飛べたら便利でしょ」
「…………」
「何」
「やはり諦めておられないのでは?」
「諦めたよ」
「本当に?」
「疑うなあ」
「先ほどの御発言を踏まえれば当然かと」
「もう作らないって」
「『今は』と付け加えられました」
「細かい」
「臣下の務めにございます」
コーヒーを飲み終える。
ワラキア産。
かつてはゲルマニア産だったと、ヴァルターが嘆いたコーヒー。
窓の外には、今のゲルマニアではない土地が続いている。
国境というものは、地図の上なら一本の線だ。
けれど、その線の向こうにも畑があり、街があり、人がいて、誰かが作ったものがこちらへ運ばれてくる。
そして線路は、そんな国々を繋ぎながら西へ伸びている。
飛べれば速い。
けれど、飛べないから見えるものもあるのかもしれない。
「ベルゼブブ様」
「何?」
「本日はこのあと、七帝会談に向けた最終確認を」
「列車の中でも仕事するの?」
「無論にございます」
「…………」
前言撤回。
やっぱり飛行機が欲しい。
◇
日が傾く頃には、窓の外の景色も色を変えていた。
低い光が大地を横から照らし、森の影を長く伸ばしている。昼間は青白く見えていた川も、今は赤みを帯びた空を映していた。
列車は変わらない速度で走り続けている。
黒鷲の騎士たちは交代で警護につき、ヴァルターは先ほどから会談用の資料に目を通していた。
オレの手元にも同じ資料がある。
第一真祖。
第二真祖。
第三真祖。
そして、欠席する第四真祖。
第五。
第六。
第七。
六人の真祖がクレムリンへ集まる。
その中にはベリアルがいる。
「…………」
窓の外を見る。
さっき飛んでいた鳥は、もうどこにもいない。
代わりに、空が少しずつ暗くなっていた。
「ヴァルター」
「は」
「ダインスレイヴ、ちゃんとある?」
「無論にございます」
「確認しただけ」
「御安心ください」
「うん」
護身用。
あくまで。
護身用だ。
会談して。
話して。
帰ってくる。
それでいい。
それが一番いい。
それでも胸の奥に残る小さな不安まで、列車に置いていくことはできなかった。
オレは背もたれへ身体を預け、もう一度窓の外を見る。
線路はどこまでも続いている。
その先にあるのは、第一真祖ベリアルの帝都。
クレムリン。
人には許されず、吸血鬼にも許されない人造の翼を持たないまま。
オレたちは大地を走り、西へ向かっていた。
世界で最も会いたくない吸血鬼たちが待つ場所へ。