【TS】主人公の両親を殺したラスボス吸血鬼ですが、彼の最後の家族をやってます。   作:サボテニウム

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第48話 旅商人フルーリー

 

 

 

 

 翌朝。

 

 目を覚ますと、見慣れない天井があった。

 

 白を基調に、金色の装飾。

 

 四隅には、何のためにそこまで頑張ったのか分からない細かな彫刻まで入っている。

 

「…………」

 

 数秒眺めて。

 

 思い出した。

 

 クレムリンだ。

 

「夢じゃなかったか……」

 

 昨日見たものまで、まとめて夢だったらよかったのに。

 

 裸で剣と盾だけを持たされ、実の兄弟で殺し合わされていた討魔士。

 

 パリから満州まで、帝国各地から集められた人間たち。

 

 粉砕機。

 

 そして、それを見ながら菓子を食べていた子供たち。

 

「…………」

 

 朝から思い出すものではない。

 

 オレは布団を頭まで被った。

 

 今日は何もない。

 

 七帝会談は明日だ。

 

 だったら、もう少し寝ても――。

 

「陛下。お目覚めでございますか?」

 

「起きてない」

 

「左様でございますか」

 

「うん」

 

「では、お休みのところ失礼いたします。朝のお支度のお時間でございます」

 

「起きてない人に支度させるんだ」

 

 扉の向こうから、小さく笑う気配がした。

 

 ジーナだ。

 

 昨日一日で、この国に対する印象はかなり悪くなった。

 

 それでも彼女の声を聞くと、少しだけ気分が軽くなる。

 

「入っていいよ」

 

「失礼いたします」

 

 扉が開いた。

 

 昨日と同じ黒と白の服。

 

 茶色の髪も綺麗にまとめられている。

 

「おはようございます、陛下」

 

「おはよう、ジーナ」

 

 身体を起こす。

 

 そこで昨日のことを思い出した。

 

 帰ってきて。

 

 疲れて。

 

 ジーナの胸に。

 

 ぼふっ。

 

「…………」

 

「陛下?」

 

「ジーナ」

 

「はい」

 

「昨日のことなんだけど」

 

「昨日?」

 

「帰ってきてからの」

 

「はい」

 

「忘れて」

 

 ジーナは一拍だけ黙った。

 

「何のことでございましょう」

 

「できる女だね」

 

「恐れ入ります」

 

 完璧である。

 

 オレはベッドから降りた。

 

「今日、昨日教えてくれたところ行くよ」

 

「モスクワ川ですね」

 

「うん」

 

「でしたら、朝のうちがよろしいかと存じます。雪解けの季節は水が綺麗ですので」

 

「へえ」

 

「川沿いに、昨日お話しした朝食のお店もございます」

 

「じゃあそこで食べようかな」

 

「承知いたしました」

 

 ジーナが一礼する。

 

 それから、オレにはいまいち馴染みのない朝の時間が始まった。

 

「陛下、右腕を」

 

「はい」

 

「反対側もお願いいたします」

 

「はい」

 

「動かれますと留められません」

 

「自分で着た方が早くない?」

 

「私の仕事がなくなってしまいます」

 

「それは困るね」

 

「大変困ります」

 

 大人しくされるがままになる。

 

 今日は皇帝として公式の場へ出るわけではない。

 

 用意された服も礼装ではなく、街を歩ける程度のものだった。

 

 それでも学院で普段着ている服よりは、明らかに高そうだ。

 

「はい。これでよろしいかと」

 

 最後に髪を整えてもらう。

 

「どう?」

 

「大変よくお似合いでございます」

 

「本当に?」

 

「はい」

 

「仕事だから言ってない?」

 

「…………」

 

「今の間なに?」

 

「大変よくお似合いでございます」

 

「昨日もそれやったよね?」

 

 ジーナが笑う。

 

 オレも少し笑った。

 

 鏡を見る。

 

 その中に、ジーナも映っている。

 

「そうだ」

 

「はい?」

 

「写真撮ろう」

 

「写真でございますか?」

 

「うん」

 

「陛下の?」

 

「私とジーナの」

 

 櫛を持っていた手が止まった。

 

「……私も、でございますか?」

 

「そう言ったじゃん」

 

「私などが陛下と同じ写真に収まるのは……」

 

「何で?」

 

「何で、と申されましても」

 

「いいじゃん。クレムリンに来た記念」

 

「私はクレムリンに住んでおりますが」

 

「私の記念なの」

 

「左様でございますか」

 

「左様でございます」

 

 ちょっと真似してやる。

 

 ジーナは困った顔をしたが、断る様子はなかった。

 

「じゃあヴァルター呼ぼう」

 

「……アイゼンラート卿を、写真のために?」

 

「昨日も撮ってもらったし」

 

「左様でございますか……」

 

 今度は本当に困惑していた。

 

     ◇

 

「写真を、でございますか」

 

「うん」

 

 呼ばれてきたヴァルターは、朝から相変わらず隙のない軍服姿だった。

 

 本当にいつ寝ているのだろう。

 

 オレから写真機を渡されても、顔色一つ変えない。

 

「昨日もお撮りしたように記憶しておりますが」

 

「写真なんて何枚あっても困らないでしょ」

 

「左様でございますか」

 

「ヴァルターまでそれ言うようになったね」

 

「以前より使用しております」

 

「そうだっけ」

 

「はい」

 

 どうでもいい。

 

「ほら、ジーナ」

 

「本当に私も……?」

 

「ここまで来て逃げるの禁止」

 

 腕を取って隣へ連れてくる。

 

 ジーナは明らかに緊張していた。

 

「もっとこっち」

 

「陛下」

 

「何?」

 

「近うございます」

 

「写真なんだから近い方がいいじゃん」

 

「私は使用人にございますので」

 

「知ってるよ」

 

「でしたら――」

 

「ヴァルター、撮って」

 

「はっ」

 

 写真機が構えられる。

 

 オレは笑った。

 

 隣を見る。

 

「ジーナ」

 

「はい」

 

「顔固い」

 

「緊張しております」

 

「何で」

 

「皇帝陛下と同じ写真に収まる機会など、普通はございません」

 

「昨日胸貸してくれたのに?」

 

「陛下」

 

「はい」

 

「その件は忘れるのでは?」

 

「…………」

 

 目が合った。

 

 ジーナ自身も気づいたらしい。

 

「忘れてないじゃん」

 

「…………申し訳ございません」

 

「ヴァルター、今の撮れた?」

 

「はっ」

 

「消してください!」

 

 ジーナが初めて声を大きくした。

 

「残す」

 

「陛下!」

 

「だって今の方が笑ってたもん」

 

「笑ってなど――」

 

「もう一枚」

 

「お待ちください」

 

「ヴァルター」

 

「ヤヴォール、マジェステート!」

 

「そこで使うんだ……」

 

 写真機がもう一度こちらを向く。

 

 今度はジーナも諦めたらしい。

 

 少し困った顔のまま、それでも笑っていた。

 

 たぶん、いい写真になる。

 

「できたら二枚ちょうだい」

 

「二枚にございますか?」

 

「ジーナにもあげるから」

 

「私にも?」

 

 ジーナが目を瞬く。

 

「いらない?」

 

「……いただけるのでしたら」

 

「じゃあ決まり」

 

 何となく嬉しくなった。

 

     ◇

 

 宮殿を出る前に、ヴァルターから案の定かなりの量の注意を受けた。

 

「黒鷲の者を複数名、周囲へ配置しております」

 

「見えないけど」

 

「見える位置に護衛を置けば、御身分を隠す意味が薄れます」

 

「それはそう」

 

「御身に危険を感じられた場合、ただちに合図を」

 

「大丈夫だって」

 

「陛下」

 

「はい」

 

「ここは明けの明星にございます」

 

「昨日嫌ってほど分かったよ」

 

 むしろ今のオレは、昨日より警戒している。

 

 何かあれば逃げる。

 

 それでも駄目なら戦う。

 

 そのためにダインスレイヴまで持っている。

 

 もっとも。

 

(この辺でオレより強いやつなんて、そうそういないでしょ)

 

 七帝会談の参加者にでも出くわさない限り。

 

 そんなことを考えながら、皇室の紋章が目立たないよう鞘の大半を覆ったダインスレイヴを手に取る。

 

 ヴァルターが最後まで心配そうな顔をしていた。

 

「夕刻までにはお戻りください」

 

「はいはい」

 

「返事は一度で」

 

「はい」

 

「軽い」

 

「どうしろっていうの」

 

     ◇

 

 朝のモスクワ川は、昨日見た帝都とはまるで違う顔をしていた。

 

「……綺麗」

 

 思わず足を止める。

 

 春とはいえ、朝の空気にはまだ冷たさが残っている。

 

 冬の名残を溶かした水が流れ込み、川は普段より水量を増していた。

 

 それなのに濁っているようには見えない。

 

 朝の光を映した水面は澄んでいて、ゆっくり揺れるたびに白い光が砕けていく。

 

 川沿いの木々には小さな新芽が出始めていた。

 

 赤い城壁。

 

 黄金の尖塔。

 

 その手前を流れる透明な水。

 

「ジーナが好きなの分かるな」

 

 昨日とは違う。

 

 巨大な官庁も。

 

 軍事広場も。

 

 闘技場も。

 

 ここからは見えない。

 

 犬を連れて歩く老人。

 

 荷物を積み込む商人。

 

 川沿いを並んで歩く若い男女。

 

 どこにでもありそうな朝だ。

 

 少しだけ安心する。

 

 とはいえ、黒鷲は絶対にどこかにいる。

 

 振り返る。

 

「…………」

 

 分からない。

 

 建物を見る。

 

 分からない。

 

(優秀だなあ)

 

 今日だけは、いないものとして扱おう。

 

 ジーナに教えてもらった店は、川沿いの少し奥まった場所にあった。

 

 大きな店ではない。

 

 昨日の観光地みたいな派手さもない。

 

 窓が広く、そこからモスクワ川を眺められる。

 

 扉を開けると、焼きたてのパンとコーヒーの匂いがした。

 

「おお」

 

 当たりだ。

 

 ジーナ。

 

 信用できる。

 

 川の見える席に座り、メニューを開く。

 

「…………」

 

 分からん。

 

 文字は読める。

 

 でも料理名が分からない。

 

 何となく安全そうなものを選んで頼むと、黒パンと卵料理、それから白い乳製品のようなものが出てきた。

 

 一口。

 

「おいしい」

 

 よかった。

 

 昨日から、この国の食べ物には罪がない。

 

 窓の外を見る。

 

 昨日と同じクレムリンだ。

 

 それなのに今朝は、不思議なくらい静かだった。

 

「隣、いいかな?」

 

「…………」

 

 声のした方を見る。

 

 男が一人立っていた。

 

 最初に目へ入ったのは、金髪だった。

 

 柔らかい色の髪。

 

 背が高い。

 

 顔も整っている。

 

 かなり。

 

(顔がいいな)

 

 とは思った。

 

 同時に。

 

(誰だこいつ)

 

 とも思った。

 

 店内を見る。

 

 空席。

 

 普通にある。

 

 わざわざオレの隣を選ぶ理由はない。

 

「他、空いてますけど」

 

「うん」

 

「じゃあ何でここ?」

 

 男が窓を見る。

 

「ここが一番川を見やすいから」

 

「私がいる方だけ?」

 

「……かなり疑うね」

 

「昨日、この国で人間がミンチになる競走を見たので」

 

「それは」

 

 男は少しだけ目を丸くした。

 

「疑っても仕方ないかな」

 

 それ以上、距離を詰めてこない。

 

 勝手に座ることもしない。

 

「嫌なら別の席に行くよ」

 

「…………」

 

 オレは男を見る。

 

 服は上等。

 

 武器らしいものは見当たらない。

 

 魔力も――少なくとも露骨には感じない。

 

 怪しい。

 

 かなり怪しい。

 

 ただ。

 

(まあ、いざとなったらオレの方が強いか)

 

 手を伸ばせばダインスレイヴもある。

 

 仮に悪いやつだったとしても。

 

(ちょうど試し斬りできるし)

 

 昨日のせいで、いつもより少し物騒になっている自覚はあった。

 

「どうぞ」

 

「ありがとう」

 

 男が隣の席へ座った。

 

 その一瞬。

 

 視線が下へ落ちた。

 

 オレの傍らに置いた剣。

 

 ダインスレイヴ。

 

 ほんの僅かに露出している柄元の装飾。

 

「…………」

 

 すぐに視線は戻った。

 

(今、見たな)

 

 剣に詳しいのか。

 

 それとも単純に珍しいのか。

 

 警戒を一段だけ上げる。

 

 男は何事もなかったように店員を呼び、紅茶と軽い朝食を頼んだ。

 

 手慣れている。

 

「よく来るんですか?」

 

「たまにね」

 

「この国の人?」

 

「違う」

 

 答えは早かった。

 

「じゃあ旅行?」

 

「仕事で来ることが多いかな」

 

「何の仕事?」

 

「商売」

 

「商人?」

 

「まあ、旅商人みたいなものだよ」

 

「みたいなもの」

 

「国を行ったり来たりするから」

 

「何売ってるんです?」

 

「色々」

 

「怪しいな」

 

「そこでも疑われるの?」

 

「商品も言えない旅商人、普通に怪しいでしょ」

 

「確かに」

 

 男はあっさり認めた。

 

 何なんだ。

 

「商売によって違うんだよ。食べ物だったり、工芸品だったり」

 

「へえ」

 

「たまにもっと大きいものも扱うけど」

 

「もっと大きい?」

 

「船とか」

 

「急に規模でかくない?」

 

 男が笑った。

 

「君は?」

 

「私?」

 

「名前」

 

「ああ」

 

 一瞬だけ迷った。

 

 この国で本名を名乗る必要はない。

 

「リーシャ。リーシャ・クーゲルシュタイン」

 

「リーシャ」

 

 男が一度だけ繰り返した。

 

「僕はリュシアン・フルーリー」

 

「フルーリーさん」

 

「うん」

 

 リュシアン・フルーリー。

 

 旅商人。

 

 金髪。

 

 顔がいい。

 

 怪しい。

 

 今のところ、それだけである。

 

「初めて来たの?」

 

 フルーリーさんが聞く。

 

「クレムリン?」

 

「うん」

 

「昨日着いたばっかり」

 

「じゃあ昨日は観光?」

 

「一応」

 

「どこへ?」

 

 昨日を思い出す。

 

「広場」

 

「うん」

 

「地下鉄」

 

「いいね」

 

「市場」

 

「そこもいい」

 

「人間闘技場」

 

「…………」

 

 反応が止まった。

 

「人間競走」

 

「…………」

 

「何その顔」

 

「ずいぶん偏った観光をしたなって」

 

「私のせいじゃないからね?」

 

「誰に案内されたの?」

 

「観光案内」

 

「……なるほど」

 

 少し同情された気がした。

 

「兄弟で殺し合わせてるし」

 

「うん」

 

「競走なんて最下位が粉砕機だし」

 

「それは見たくないね」

 

「でしょ?」

 

「僕は好きじゃない」

 

 あっさりした答えだった。

 

「この国の人じゃないもんね」

 

「そう」

 

「じゃあ一緒に文句言っていい?」

 

「僕でよければ」

 

「観光地にミンチ機置くな」

 

「それはそうだね」

 

「しかも西はパリから東は満州まで集めてるんだよ?」

 

「大掛かりだ」

 

「そこまでして人間走らせたい?」

 

「僕に聞かれても困るな」

 

「旅商人ならこの国にも詳しいんでしょ」

 

「詳しいけど、理解できるとは限らないよ」

 

「それもそうか」

 

 昨日から胸の中に溜まっていたものを、少し吐き出す。

 

 初対面の男に何を話しているんだとも思ったが、外国人らしいのでちょうどいい。

 

「でも、私のところだって人間食べるんだよね」

 

 言ってから、黒パンをちぎる。

 

「だから、あんまり偉そうなことも言えないんだけど」

 

 フルーリーさんは特に驚かなかった。

 

 旅商人なら、吸血鬼国家をいくつも見ているのかもしれない。

 

「それでも嫌だった?」

 

「嫌だった」

 

「なら、それでいいんじゃない?」

 

「…………」

 

「好きになる必要もないだろうし」

 

 それだけ言って、紅茶を飲む。

 

 ずいぶん適当な答えだった。

 

 でも。

 

 妙に楽だった。

 

 正しいとか。

 

 間違っているとか。

 

 そういう話にされなかったからかもしれない。

 

「今日はどこへ?」

 

「今日は普通のところ見る」

 

「普通のところ」

 

「昨日、宮殿の人に教えてもらったの」

 

 ジーナが描き込んでくれた地図を出す。

 

「モスクワ川から、こっち行って、それから市場」

 

「見てもいい?」

 

「どうぞ」

 

 地図を渡す。

 

 フルーリーさんが広げる。

 

「へえ」

 

「何?」

 

「いいところ知ってる人だね」

 

「ジーナって人」

 

「ジーナ?」

 

「私の世話してくれてる人間。ここに住んで長いんだって」

 

「そうなんだ」

 

 地図を見る目が少し真面目になった。

 

「ただ、この順番だと市場に着く頃には混むかも」

 

「そうなの?」

 

「先にこっちから回った方がいいと思う」

 

 地図の一点を指す。

 

「この橋を渡って、古い街区を抜ける。そのまま劇場街へ行けば、昼前には市場に着くよ」

 

「詳しいね」

 

「何度か来てるから」

 

「本当に旅商人なんだ」

 

「まだ疑ってた?」

 

「現在進行形」

 

「厳しいな」

 

「昨日の今日なので」

 

「それは仕方ない」

 

 地図を返される。

 

「案内しようか?」

 

「…………」

 

 やっぱり怪しい。

 

「なんで?」

 

「暇だから」

 

「初対面の女の子を一日案内するくらい?」

 

「今日は仕事がないからね」

 

「もっと怪しくなった」

 

「じゃあやめようか?」

 

 あっさりしていた。

 

「嫌なら一人で回ればいいよ。この地図があれば困らないだろうし」

 

「…………」

 

 引き止めもしない。

 

 それはそれで拍子抜けする。

 

「フルーリーさん」

 

「うん?」

 

「ナンパ?」

 

「違うよ」

 

「即答」

 

「君、警戒心強いね」

 

「だから昨日の今日だって」

 

「分かった分かった」

 

 笑われた。

 

 もう一度、地図を見る。

 

 確かにこの男は街に詳しい。

 

 ジーナが勧めた場所を知っていたし、少なくとも今まで変なことはしていない。

 

 それに。

 

 オレは隣のダインスレイヴを見る。

 

(まあ、別にいいか)

 

 正体不明の旅商人。

 

 怪しい。

 

 でも。

 

(本当に何かしてきたら斬ればいいし)

 

 それで解決する。

 

「じゃあ、案内してください」

 

「いいの?」

 

「私、そこそこ強いので」

 

「…………」

 

「変なことしたら後悔しますよ」

 

 フルーリーさんが一瞬だけ黙った。

 

 それから、なぜか少し笑った。

 

「覚えておくよ」

 

「本当に」

 

「はいはい」

 

「軽いなあ」

 

 自分の食事を終える。

 

 フルーリーさんも紅茶を飲み終えた。

 

 店を出る。

 

 春の空気が頬に触れる。

 

 川の水面は、さっきより明るくなっていた。

 

     ◇

 

 最初に連れていかれたのは、昨日歩いた大通りから一本外れた古い街区だった。

 

「……全然違う」

 

「昨日はどんなところを歩いたの?」

 

「建物が全部でかいところ」

 

「それだと帝都の半分くらい当てはまるな」

 

「じゃあ、すごくでかいところ」

 

「なるほど」

 

 細い石畳の道。

 

 二階建てや三階建ての古い家。

 

 窓辺には花が置かれ、春になったばかりの街路樹には小さな葉が出始めている。

 

 昨日の巨大広場と違って、人の声が近い。

 

 店先でパンを並べる女。

 

 椅子を外へ出す老人。

 

 荷物を運ぶ若者。

 

 吸血鬼も。

 

 人間もいる。

 

 立場が同じではないことは、見ていれば分かった。

 

 人間は道を譲る。

 

 吸血鬼へ頭を下げる。

 

 それでも昨日の闘技場で見た「個体」ではなく、ここでは一人一人が普通に生活しているように見えた。

 

 街角の窓辺に猫がいた。

 

「猫」

 

 足が勝手にそちらへ向く。

 

「リーシャ」

 

「何?」

 

「前」

 

「え?」

 

 荷車が通る。

 

 危うくぶつかるところだった。

 

「危ない」

 

「……今のは猫が悪い」

 

「猫は座ってただけだよ」

 

「かわいいから責任取れないんだよ」

 

「ひどい理屈だ」

 

 フルーリーさんが笑う。

 

 ムカつく。

 

 でもちょっと面白い。

 

「こっち」

 

「また勝手に行く」

 

「案内してって言ったのはリーシャだろう?」

 

「そうだけど」

 

 入ったのは小さな店だった。

 

 ガラス細工が並んでいる。

 

 青。

 

 赤。

 

 緑。

 

 紫。

 

 窓から入った朝の光が透けて、店内の壁へ色を落としていた。

 

「綺麗」

 

「ここ、朝の方がいいんだ」

 

「光?」

 

「うん」

 

 フルーリーさんは商品の一つを手に取り、窓へ透かした。

 

「これはあんまり良くないな」

 

「何で?」

 

「ここの厚さが揃ってない」

 

「分かる?」

 

「分かるよ」

 

「商人っぽい」

 

「商人だからね」

 

 別の商品を見る。

 

「こっちは?」

 

「それはいい」

 

「何が違うの?」

 

「光が綺麗」

 

「それだけ?」

 

「大事だよ」

 

 この人、思ったよりこういうものが好きらしい。

 

 さっきまでより目が真剣になっている。

 

「フルーリーさん、綺麗なもの好き?」

 

「好きだよ」

 

 即答だった。

 

「服とかも?」

 

「もちろん」

 

「顔も?」

 

「当然」

 

「自分の?」

 

「それも」

 

「うわ」

 

「何?」

 

「いや。そこ迷わないんだって」

 

「自分の顔が嫌いよりいいだろう?」

 

「まあ、それはそうだけど」

 

 変な人だ。

 

 棚の端に、小さな紫色のガラス飾りがあった。

 

「これ、目の色に近いね」

 

 フルーリーさんが言う。

 

「私の?」

 

「うん」

 

 手に取って見る。

 

「確かに」

 

「似合うと思う」

 

「そう?」

 

「たぶん」

 

「たぶんなんだ」

 

「付けてみないと分からないから」

 

 妙に現実的だった。

 

 オレは鏡の前で髪に合わせてみる。

 

「どう?」

 

「似合う」

 

「やっぱり?」

 

「気に入った?」

 

「うん。でもいらない」

 

「買わないんだ」

 

「見るだけで満足した」

 

「そういうものか」

 

「旅商人なのに分からないの?」

 

「僕は欲しくなったら買う方だから」

 

「浪費家?」

 

「否定はしない」

 

「儲かってるんだ」

 

「それなりに」

 

 店を出る。

 

 何となく、この人のことが少し分かった気がした。

 

 怪しい。

 

 商売の中身はよく分からない。

 

 でも綺麗なものが好き。

 

 街にも詳しい。

 

 それくらい。

 

     ◇

 

 そこから先は、思っていたより普通だった。

 

 古い橋を渡る。

 

 川沿いの小さな露店を見る。

 

 途中で飲み物を買う。

 

 フルーリーさんは店を選ぶのが妙に上手かった。

 

「こっちの方がおいしい」

 

「何で分かるの?」

 

「前に飲んだから」

 

「何回来てるの」

 

「数えてないな」

 

「本当に仕事?」

 

「本当に仕事」

 

「怪しい」

 

「まだ言う?」

 

「商売の中身が曖昧だから」

 

「しつこいなあ」

 

 少しずつ、警戒が薄れていた。

 

 完全に信用したわけではない。

 

 ダインスレイヴはずっと手の届くところにある。

 

 黒鷲だってどこかにいる。

 

 でも、今のところ斬る理由はない。

 

 むしろ。

 

「次どこ?」

 

 気づけば自分から聞いていた。

 

「市場」

 

「さっき言ってたところ?」

 

「そう」

 

「じゃあ行こう」

 

「疲れてない?」

 

「まだ平気」

 

「なら行こう」

 

 それだけ。

 

 変に気を遣われないのも楽だった。

 

 昨日は何を見るにもヴァルターが一緒で。

 

 皇帝として。

 

 ゲルマニアの君主として。

 

 どうしても頭のどこかで考えていた。

 

 この国はどういう国なのか。

 

 ゲルマニアと何が違うのか。

 

 私はどうするべきなのか。

 

 今日は違う。

 

「あれ何?」

 

「パン屋」

 

「見れば分かるよ。あの丸いやつ」

 

「食べる?」

 

「お腹いっぱい」

 

「じゃあ後で」

 

「買う前提なんだ」

 

「気になってるんだろう?」

 

「まあ」

 

 決めなくていい。

 

 考えなくていい。

 

 気になったものを見る。

 

 食べたければ食べる。

 

 疲れたら座る。

 

 それだけだった。

 

「フルーリーさん」

 

「何?」

 

「旅商人って結構暇なんだね」

 

「僕が特別暇なだけかもしれない」

 

「仕事しなよ」

 

「明日からするよ」

 

「明日?」

 

「たぶん」

 

「信用できない」

 

 笑う。

 

 自分でも気づく。

 

 昨日は、あれほど早く宮殿へ帰りたかった。

 

 今日も朝までは、この国を好きになれる気がしなかった。

 

 人間闘技場がなくなったわけじゃない。

 

 競走場だって今日も営業しているのだろう。

 

 それでも。

 

 ジーナの言っていたことは、本当だった。

 

 あれだけが、この街じゃない。

 

「リーシャ」

 

「何?」

 

「こっち」

 

「また?」

 

「市場はこっち」

 

「先に言ってよ」

 

「今言ったよ」

 

「そういう意味じゃない」

 

 少し前を歩く金髪を追う。

 

 怪しい旅商人。

 

 まだ信用はしていない。

 

 でも。

 

 今のところ。

 

 ついてきて正解だったかもしれない。

 

 昨日とは違う帝都を見るのが、少しずつ楽しくなっていた。

 

 

 

 

 

 

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人権ヒーラー(︎︎♀)に転生おじさん(作者:春に木漏れ日)(オリジナルファンタジー/冒険・バトル)

超絶美麗グラフィックオープンRPG『冥魂』────。▼ ▼ リリース当初はそのゲームシステムや初期ストーリーのモッサリとした展開具合にユーザー離れも酷かったが、しかしVer6.4まで経てかなり評価を覆したこの作品。▼ ……の、周年限定的なガチャでしか手に入らない人権ヒーラー(♀)に転生したおっさんプレイヤー(♂)が原作を破壊したりしなかったり、厄ネタ(主人公…


総合評価:1894/評価:7.77/連載:32話/更新日時:2026年09月22日(火) 05:57 小説情報

TSした俺と交友関係NTRアンハッピーセットを食らって女性不信拗らせた親友(作者:北京院)(オリジナル現代/恋愛)

幼馴染の親友に彼女ができたので最近はあまり遊んでいなかった。▼久々に顔を見た親友は死にそうな顔をしていたものだから、詳しく聞くと彼女と先輩と後輩を寝取られたんだという。▼もう女なんてこりごりだぜ、と強がるけれど死にそうな顔をしているので少々優しくしてやることにした。久々に泊まり込みでゲームをするのは楽しかったし少しは元気が出たようで安心した。▼――で、翌朝起…


総合評価:3213/評価:8.55/連載:21話/更新日時:2026年09月21日(月) 20:09 小説情報

居場所をなくしたTS聖女は魔法少女と出会う(作者:綺羅星瑠奈)(オリジナル現代/冒険・バトル)

世界統治の為、象徴として利用されたTS転生聖女のルナ。▼かつての仲間だった魔法使いによって前世の現代日本に転移する。▼しかしそこは魔法少女がいる世界だった。▼前世の妹にも信じてもらえず、死んだ方が楽なのではないか思っていたところで、死にかけの魔法少女に出会う。▼異世界でも現代でも居場所をなくしたサポート特化のTS聖女と困っている人を見捨てられない近接特化魔法…


総合評価:1513/評価:8.42/連載:28話/更新日時:2026年09月21日(月) 12:30 小説情報

ニチアサ系で禁断の『主人公勢洗脳闇堕ち全滅エンド』を目指したい(作者:匿名希望)(オリジナルファンタジー/冒険・バトル)

ニチアサ系変身ヒロインアニメの世界に、主人公の双子の姉としてTS転生した朝霧夕陽(あさぎりゆうひ)。原作主人公勢の活躍を特等席で見ることができる! と喜んでいたのだが――悪の組織に勧誘(洗脳)されて、理性のブレーキがぶっ壊されてしまう(なお、洗脳自体はすぐに自力で解除した模様)。▼「見守りたい」という純粋な想いは歪んでいった。▼これは禁忌とされるバッドエンド…


総合評価:2520/評価:8.32/連載:17話/更新日時:2026年09月16日(水) 07:05 小説情報

TS転生者、魔法少女世界に転生するも洗脳悪堕ち魔法少女にされて妹と戦わされる(作者:辻契約マスコット)(オリジナル現代/冒険・バトル)

 悪の組織『シン・アーク』と魔法少女達が日夜戦う世界にTS転生した光の魔法少女オタク(自称)は、ある日悪の組織に連れ去られ、洗脳悪堕ち魔法少女にされてしまった!▼ 一方その頃、彼/彼女の今世の義妹はマスコットと契約し、魔法少女として戦う覚悟を決める。▼ これは、愉快な悪の組織の洗脳悪堕ち魔法少女と、愉快なニチアサ風光の魔法少女の、姉妹の戦いのお話し。


総合評価:1990/評価:8.19/連載:6話/更新日時:2026年07月11日(土) 21:51 小説情報


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