【TS】主人公の両親を殺したラスボス吸血鬼ですが、彼の最後の家族をやってます。   作:サボテニウム

51 / 51
第49話 春の帝都

 

 

 

 

 市場へ着いた頃には、朝よりずっと人が増えていた。

 

「おお……」

 

 昨日見た市場とは少し違う。

 

 こっちは観光客向けというより、地元の人間が使う場所らしい。

 

 通りの両側に小さな店が並び、その間にも露店が出ている。

 

 パン。

 

 魚。

 

 肉。

 

 果物。

 

 香辛料。

 

 布。

 

 食器。

 

 何に使うのか分からない金属部品。

 

 人の声と匂いが入り混じって、やたら賑やかだった。

 

「リーシャ」

 

「何?」

 

「そっちから回ろう」

 

「何で?」

 

「混む前に見た方がいい店があるから」

 

「また勝手に決める」

 

「嫌?」

 

「別に」

 

 フルーリーさんについていく。

 

 昨日なら、知らない土地で知らない男の後ろを歩くなんて絶対にしなかった。

 

 今日だって、朝の時点ではそのつもりだった。

 

 でも。

 

(まあ、今のところ変なことしてないしな)

 

 ダインスレイヴはある。

 

 黒鷲もいる。

 

 本人には言っていないが、たぶんその辺の建物の陰とか屋根の上とかに。

 

 それに。

 

(私より強かったら、その時考えよう)

 

 そんな相手がそうそういるとは思えない。

 

 昨日の一件以来、少しばかり物騒な思考になっていた。

 

「これ」

 

 フルーリーさんが店先で立ち止まる。

 

「何?」

 

「食べたことある?」

 

 指さしたのは、小さく焼かれた丸いパンだった。

 

「ない」

 

「じゃあ食べよう」

 

「朝ご飯食べたばっかりなんだけど」

 

「一個くらい入るだろう?」

 

「私を何だと思ってるの」

 

「育ち盛り?」

 

「十六歳に何を期待してるの」

 

「食べない?」

 

「食べる」

 

「入るじゃないか」

 

 店主から二つ買う。

 

 フルーリーさんが当然のように片方を渡してきた。

 

「いくら?」

 

「いいよ」

 

「いや払う」

 

「一個くらい奢らせてよ」

 

「怪しい人から物を貰わないように教育されてるので」

 

「僕、まだ怪しい人なんだ」

 

「旅商人みたいなものを名乗ってる時点で」

 

「ちゃんと旅商人だよ」

 

「『みたいなもの』って言ったじゃん」

 

「細かいなあ」

 

 結局、代金の半分を渡した。

 

 焼きたてらしく、まだ温かい。

 

 一口かじる。

 

「……おいしい」

 

「でしょ」

 

「何入ってるの?」

 

「チーズと香草」

 

「へえ」

 

 もう一口。

 

 うまい。

 

 朝食を食べたばかりなのに普通に入る。

 

「もう一個買う?」

 

「いらない」

 

「本当に?」

 

「…………」

 

「欲しそうだけど」

 

「いらない」

 

「分かった」

 

 笑われた。

 

 何か負けた気がする。

 

     ◇

 

 フルーリーさんは、本当に色々な店を知っていた。

 

「これは買わない方がいい」

 

「何で?」

 

「向こうの店の方が安い」

 

「旅商人っぽい」

 

「だから旅商人なんだって」

 

 布屋では、生地を触っただけで産地を当てた。

 

 茶葉を売る店では、匂いだけで品質がどうこう言っていた。

 

 香水の店では妙に長居した。

 

「これ、いい匂い」

 

「ちょっと甘すぎない?」

 

「そう?」

 

「リーシャならこっちの方が合うと思う」

 

 別の小瓶を渡される。

 

 手首に少しだけ付けてみる。

 

「……こっちの方が好きかも」

 

「でしょ」

 

「何でちょっと得意げなの」

 

「僕が選んだから」

 

「店員でもないのに」

 

 香水は買わなかった。

 

 必要ない。

 

 フルーリーさんは少し残念そうだった。

 

「買えばいいのに」

 

「無駄遣いしないの」

 

「気に入ったんだろう?」

 

「気に入ったもの全部買ってたら、お金なくなるでしょ」

 

「また稼げばいいじゃないか」

 

「金持ちの理論だ」

 

「商人の理論だよ」

 

「同じでは?」

 

「全然違う」

 

 本当だろうか。

 

 その後、帽子の店でオレにやたら大きな帽子を被せようとしてきたので、仕返しに一番派手な羽飾りのついた帽子をフルーリーさんへ押しつけた。

 

「似合うじゃん」

 

「……これはちょっと」

 

「綺麗なもの好きなんでしょ?」

 

「綺麗と派手は違うんだよ」

 

「細かいなあ」

 

「大事なところだよ」

 

 真顔だった。

 

 妙なところに拘る。

 

 でも。

 

「ぷっ」

 

「何?」

 

「いや」

 

 笑ってしまった。

 

「フルーリーさん、そこだけめちゃくちゃ真剣だから」

 

「そこだけって何」

 

「他は適当なのに」

 

「僕はいつだって真面目だよ」

 

「それは嘘」

 

「ひどいな」

 

 店を出る。

 

 気づけば、朝よりずっと普通に話していた。

 

 警戒を解いたわけではない。

 

 正体不明なのは変わらない。

 

 ただ。

 

 朝みたいに、話すたびに「怪しい」と考えることはなくなっていた。

 

     ◇

 

 市場を抜けようとしたところで、人の流れが止まった。

 

「何だろ」

 

 前を見る。

 

 通りの先に、灰色の軍服を着た男たちが立っている。

 

 憲兵。

 

 道の両側には簡易の柵。

 

 通行人が一人ずつ呼び止められ、何かを見せていた。

 

「検問か」

 

 フルーリーさんが言う。

 

「こんなところで?」

 

「七帝会談の前だからね。昨日より警備が増えてるんじゃないかな」

 

「あー……」

 

 納得はした。

 

 納得はしたが。

 

「面倒くさ」

 

「同感」

 

 列は長い。

 

 しかも身分証だけではないらしい。

 

 荷物まで確認されている。

 

 前方で、旅人らしい男の鞄が開けられていた。

 

 オレは手元を見る。

 

 ダインスレイヴ。

 

 厳重に包んではいる。

 

 でも、開けろと言われたら。

 

(絶対面倒なやつだ)

 

 ゲルマニア皇室の紋章。

 

 魔剣。

 

 七帝会談の前日。

 

 そこから先は想像したくもない。

 

 身分を明かせば一瞬で通れるだろう。

 

 たぶん憲兵全員が道を開けてくれる。

 

 その代わり。

 

 今日の観光は終わる。

 

 明けの明星側へ連絡が行く。

 

 ヴァルターが飛んでくる。

 

 黒鷲が前へ出る。

 

 皇帝陛下はこちらへ。

 

 皇帝陛下そちらは危険です。

 

 皇帝陛下予定にございません。

 

「…………」

 

 嫌だ。

 

 ふと横を見る。

 

 フルーリーさんも、露骨に嫌そうな顔をしていた。

 

「フルーリーさん」

 

「何?」

 

「何でそっちも嫌そうなの?」

 

「検問が好きな人っている?」

 

「そういう問題?」

 

「そういう問題じゃない?」

 

 列が少し進む。

 

 オレたちの番までは、あと十人ほど。

 

 フルーリーさんが周囲を見る。

 

「戻ろうか」

 

「市場?」

 

「別の道がある」

 

「それ先に言ってよ」

 

「今思い出した」

 

「本当?」

 

「たぶん」

 

「たぶんって――」

 

「そこの二人!」

 

「…………」

 

 声が飛んできた。

 

 憲兵の一人がこちらを見ている。

 

「列を離れるな!」

 

「あ」

 

 遅かった。

 

 フルーリーさんを見る。

 

 フルーリーさんもオレを見る。

 

「どうする?」

 

「私に聞く?」

 

「一応」

 

「普通に見せればいいんじゃない?」

 

「リーシャは?」

 

「…………」

 

「その顔は嫌なんだね」

 

「そっちは?」

 

「僕も嫌かな」

 

「何で?」

 

 答える代わりに。

 

 フルーリーさんがオレの手を取った。

 

「行こう」

 

「え?」

 

「そこの二人! 止まれ!」

 

「ちょっ――」

 

 引かれる。

 

 走る。

 

 いや。

 

 走るというより、早足に近い。

 

「フルーリーさん!」

 

「何?」

 

「これ逃げてるよね!?」

 

「そうだね」

 

「そうだねじゃない!」

 

 市場の人混みに入る。

 

 後ろから憲兵の声。

 

「待て!」

 

「待てって言ってるけど!」

 

「待ちたい?」

 

「待ちたくはないけど!」

 

「じゃあ大丈夫」

 

「何が!?」

 

 フルーリーさんは全然慌てていなかった。

 

 人の間をすり抜ける。

 

 露店の角を曲がる。

 

 オレの手を引いたまま、歩調だけを少し速める。

 

「こっち」

 

「どこ!?」

 

「抜け道」

 

「なんで知ってるの!」

 

「前に通ったから」

 

「何回来てるんだよこの国!」

 

 店と店の間にある細い路地へ入る。

 

 洗濯物が頭上に揺れている。

 

 その下を抜け。

 

 裏庭みたいな場所へ出た。

 

 老婆が椅子に座ってこちらを見た。

 

「こんにちは」

 

 フルーリーさんが普通に挨拶する。

 

「こんにちはじゃないよ!」

 

 老婆が笑った。

 

 何なんだ。

 

「いたぞ!」

 

「まだ来る!」

 

「もう少し」

 

「どこまで行くの!?」

 

「こっち」

 

 低い石壁。

 

 フルーリーさんが先に越える。

 

 大した高さではない。

 

 オレも普通に越えようとしたところで。

 

「ほら」

 

 手を差し出された。

 

「いらない」

 

「そう?」

 

「このくらい一人で行ける」

 

「知ってる」

 

「じゃあ出さないでよ」

 

 自分で飛び越える。

 

 着地。

 

「強いね」

 

「だから言ったでしょ」

 

「本当だったんだ」

 

「疑ってた?」

 

「ちょっと」

 

「失礼な」

 

 後ろからまた声がする。

 

「いたぞ!」

 

「うわ」

 

 今度はオレからフルーリーさんの袖を掴んだ。

 

「行くよ!」

 

「あれ、今度はリーシャが引っ張るんだ」

 

「いいから!」

 

 角を曲がる。

 

 大通り。

 

 ちょうど路面電車が通り過ぎる。

 

 その向こう側へ渡る。

 

 人の流れに紛れて、さらに一本横へ。

 

 劇場らしき建物の横を抜けたところで、ようやく声が聞こえなくなった。

 

「…………」

 

「…………」

 

 少し歩く。

 

 立ち止まる。

 

 振り返る。

 

 誰も来ない。

 

「……逃げ切った?」

 

「たぶん」

 

「またたぶん」

 

「今度はかなり自信あるよ」

 

「かなりって何」

 

 息を整える。

 

 真祖の身体なので、別にこの程度で息は上がらない。

 

 でも。

 

「…………」

 

 何だったんだ、今の。

 

 帝都の市場で。

 

 検問を見つけて。

 

 憲兵に止まれと言われて。

 

 知らない旅商人と一緒に逃げた。

 

「ふ」

 

「何?」

 

「いや」

 

「何笑ってるの」

 

「リーシャも楽しそうだったから」

 

「は?」

 

「途中から笑ってたよ」

 

「笑ってない」

 

「笑ってた」

 

「笑ってない」

 

「本当に?」

 

「…………」

 

 思い返す。

 

 市場を抜けて。

 

 壁を越えて。

 

 今度はオレが袖を掴んで。

 

 確かに。

 

 ちょっと楽しかった。

 

「……少しだけ」

 

「でしょ」

 

「でも!」

 

 フルーリーさんを指さす。

 

「なんで逃げたの?」

 

「リーシャも逃げたじゃないか」

 

「私はいいの」

 

「ずるいなあ」

 

「私は身分見せたら面倒だから」

 

「僕もそんな感じ」

 

「…………」

 

「…………」

 

「どういう旅商人?」

 

「普通の」

 

「普通の旅商人は検問から逃げないでしょ」

 

「旅商人全員に聞いた?」

 

「聞かなくても分かる」

 

「そうかな」

 

 怪しい。

 

 やっぱり怪しい。

 

「密輸?」

 

「してないよ」

 

「本当に?」

 

「少なくとも今日は」

 

「今日!?」

 

「冗談」

 

「信用落ちたからね」

 

「残念だな」

 

 まったく残念そうではない。

 

「捕まったらどうするつもりだったの?」

 

「その時考える」

 

「適当すぎる」

 

「どうにかなったと思うよ」

 

「その自信どこから来るんだよ……」

 

 思わず素が出た。

 

「あ」

 

「ん?」

 

「何でもない」

 

 危ない。

 

 オレ。

 

 今普通に「だよ」とか言ったぞ。

 

 まあいいか。

 

 フルーリーさんは気にしていない。

 

 それどころか、少し笑っていた。

 

「何?」

 

「いや。そっちの方が話しやすいなと思って」

 

「忘れて」

 

「分かった」

 

 絶対忘れない顔をしている。

 

 その時。

 

 ふと気づいた。

 

「…………」

 

 まだ手を繋いでいる。

 

 いつからだ。

 

 最初にフルーリーさんが取って。

 

 途中で一度離れた気もする。

 

 壁を越えたあと。

 

 大通りを渡る時に、また繋いだのか。

 

「フルーリーさん」

 

「何?」

 

 視線を下げる。

 

 フルーリーさんも見る。

 

「あ」

 

「いつまで握ってるんですか」

 

「ごめん」

 

 普通に離された。

 

「…………」

 

「何?」

 

「いや」

 

 別に。

 

 離せと言ったのはオレだ。

 

 何でもない。

 

「行こうか」

 

「どこへ?」

 

「もう劇場街まで来ちゃったから、このまま見よう」

 

「検問から逃げた結果?」

 

「近道だったね」

 

「絶対違う」

 

 また歩き始める。

 

 オレもその隣へ並んだ。

 

 少しだけ。

 

 本当に少しだけ。

 

 さっきより距離が近くなった気がした。

 

     ◇

 

 劇場街は、昨日遠くから見た時よりずっと華やかだった。

 

 石造りの劇場。

 

 音楽堂。

 

 小さな演芸場。

 

 壁には公演予定の大きなポスターが並んでいる。

 

「ジーナが冬はここ綺麗だって言ってた」

 

「冬?」

 

「雪が降ると、夜の明かりが綺麗なんだって」

 

「それは綺麗だろうね」

 

「春も悪くないけど」

 

「僕は春の方が好きかな」

 

「何で?」

 

「寒くないから」

 

「普通の理由だった」

 

「大事だよ」

 

 広場の端で楽器の音がした。

 

 数人の演奏家が小さな輪を作っている。

 

 ヴァイオリン。

 

 小さな弦楽器。

 

 アコーディオン。

 

 周囲には人が集まっていた。

 

「見ていく?」

 

「うん」

 

 人垣の後ろに立つ。

 

 知らない曲だった。

 

 明るい。

 

 速い。

 

 春の昼間によく合う。

 

 隣を見る。

 

「…………」

 

 フルーリーさんは、結構真剣に聴いていた。

 

 市場でガラス細工を見ていた時と同じ顔。

 

「好きなんだね」

 

「音楽?」

 

「うん」

 

「好きだよ」

 

「何でも綺麗なの好きじゃん」

 

「悪い?」

 

「いや」

 

 むしろ分かりやすい。

 

「歌える?」

 

「少し」

 

「楽器は?」

 

「いくつか」

 

「何でもできるな」

 

「長くやってれば覚えるよ」

 

「…………長く?」

 

「商売始めてから」

 

「ああ」

 

 何となく引っかかったが。

 

 まあ、いい。

 

 演奏が終わる。

 

 拍手。

 

 オレも手を叩いた。

 

 フルーリーさんが演奏家の前の箱へ硬貨を入れる。

 

 結構な額。

 

「多くない?」

 

「良かったから」

 

「気前いいね」

 

「こういうところでケチるの嫌なんだ」

 

「強欲なのか気前いいのか分からないな」

 

「両方じゃ駄目?」

 

「欲張り」

 

「そうかもね」

 

 また笑った。

 

     ◇

 

 昼食は、小さな店で取った。

 

「リーシャ、何食べる?」

 

「何でもいい」

 

「本当に?」

 

「フルーリーさん決めて」

 

「じゃあこれ」

 

「早」

 

「何でもいいって言ったじゃないか」

 

「そうだけど」

 

 出てきたのは肉と野菜を煮込んだ料理だった。

 

 普通においしい。

 

 食べながら、ふと思う。

 

(あれ)

 

 今日。

 

 ほとんど何も決めていない。

 

 朝の店はジーナが選んだ。

 

 その後はフルーリーさん。

 

 市場へ行って。

 

 店を回って。

 

 検問から逃げて。

 

 劇場街へ来て。

 

 昼食も。

 

 全部。

 

「…………」

 

「何?」

 

「いや」

 

「味、嫌だった?」

 

「おいしい」

 

「じゃあ?」

 

「今日、私何も決めてないなって」

 

「そう?」

 

「うん」

 

 フルーリーさんは少し考える。

 

「嫌だった?」

 

「……別に」

 

「ならいいんじゃない?」

 

「適当」

 

「でも、嫌じゃないんだろう?」

 

「まあ」

 

「なら今日はそれで」

 

 それ以上、何も言わない。

 

 オレも食事へ戻る。

 

(……そういう日もあるか)

 

 いつもなら。

 

 何かを決めるのは自分だ。

 

 学校のこと。

 

 アギトたちのこと。

 

 ゲルマニアのこと。

 

 誰を守るのか。

 

 何を残すのか。

 

 何を諦めるのか。

 

 最後は自分で決める。

 

 そうしなきゃいけない。

 

 でも今日は。

 

「これおいしい」

 

「でしょ」

 

「フルーリーさん、店選ぶのだけは信用できる」

 

「だけ?」

 

「だけ」

 

「厳しいな」

 

 これくらいでいい。

 

     ◇

 

 午後は、川沿いへ戻った。

 

 朝より日差しが暖かい。

 

 雪解け水を集めた川が、春の光を反射している。

 

 橋の上から見下ろすと、水は思った以上に澄んでいた。

 

「ジーナが好きなのも分かるなあ」

 

「本当に好きなんだね、その人のこと」

 

「ジーナ?」

 

「うん」

 

「昨日会ったばっかりだけど」

 

「それにしてはよく名前が出るから」

 

「いい人なんだよ」

 

 言ってから。

 

 昨日の夜を思い出した。

 

 胸。

 

「…………」

 

「何?」

 

「何でもない」

 

 絶対言わない。

 

「このあと、どこ行く?」

 

「地図見せて」

 

「はい」

 

 折り畳んだ地図を渡す。

 

 フルーリーさんが開く。

 

 オレも隣から覗き込む。

 

「あ」

 

「何?」

 

「ここ」

 

 指さす。

 

 ジーナが小さな印をつけてくれた場所。

 

「お菓子屋」

 

「行きたい?」

 

「うん。ジーナが好きなんだって」

 

「何がおいしいの?」

 

「胡桃と蜂蜜の焼き菓子」

 

「甘そう」

 

「すごく甘いって言ってた」

 

「行ってみようか」

 

「うん」

 

 地図を返される。

 

 今度はオレが先に歩き始めた。

 

     ◇

 

 菓子屋は、古い通りの角にあった。

 

 小さな店。

 

 看板もずいぶん年季が入っている。

 

「ここ?」

 

「たぶん」

 

 扉を開ける。

 

 甘い匂いがした。

 

「うわ」

 

 蜂蜜。

 

 焼いた小麦。

 

 木の実。

 

 店の奥には、茶色く焼かれた菓子がいくつも並んでいる。

 

「これかな」

 

 ジーナが言っていたものらしい菓子を指す。

 

 胡桃がたっぷり入った生地に、蜂蜜が染み込んでいる。

 

 二つ買って。

 

 その場で一つ食べてみる。

 

「…………甘っ」

 

「甘いね」

 

「思った三倍甘い」

 

「でも食べてる」

 

「おいしいから」

 

「どっち?」

 

「おいしい甘い」

 

「何それ」

 

 笑われた。

 

「紅茶欲しい」

 

「分かる」

 

 店内で出していた紅茶を一緒に頼む。

 

 飲む。

 

「生き返る」

 

「大げさだな」

 

「フルーリーさんも甘い顔してるくせに」

 

「顔は関係ないだろう?」

 

「何となく」

 

 もう一口。

 

 確かに。

 

 ジーナが好きなのも分かる。

 

「すみません」

 

 店員を呼ぶ。

 

「これ、包んでもらえます?」

 

「お土産?」

 

「うん」

 

「自分用?」

 

「二つ」

 

 指を二本立てる。

 

「一個は私」

 

「やっぱり」

 

「何」

 

「いや」

 

「もう一個はジーナに」

 

「…………」

 

 ほんの少しだけ。

 

 フルーリーさんの動きが止まった。

 

「何?」

 

「いや」

 

「またそれ?」

 

「何でもないよ」

 

 商品を見る。

 

「こっちの方がいいんじゃないかな」

 

「何で?」

 

「胡桃が多い」

 

 見比べる。

 

 確かに。

 

「ジーナ、胡桃好きって言ってた」

 

「なら、そっちでいいと思う」

 

「じゃあこれ」

 

 二つ包んでもらう。

 

 一つは自分。

 

 一つはジーナ。

 

「教えてもらったお礼」

 

「喜ぶといいね」

 

「うん」

 

 包みを受け取る。

 

 フルーリーさんは、それ以上何も言わなかった。

 

     ◇

 

 気づけば、もう夕方だった。

 

「早いなあ」

 

 川沿いを歩きながら呟く。

 

「楽しかった?」

 

「まあまあ」

 

「まあまあ?」

 

「かなり」

 

「素直だね」

 

「今日くらいは」

 

 朝。

 

 知らない男に声をかけられた。

 

 怪しいと思った。

 

 今もまあ、怪しい。

 

 検問から逃げる旅商人なんて、絶対普通じゃない。

 

 でも。

 

「フルーリーさん」

 

「何?」

 

「今日はありがとう」

 

「どういたしまして」

 

「最初めちゃくちゃ怪しかったけど」

 

「過去形?」

 

「今もちょっと怪しい」

 

「ほとんど変わってないな」

 

「でも、楽しかった」

 

「それならよかった」

 

 それだけ。

 

 妙に格好つけることもない。

 

 オレもそれ以上言わない。

 

 宮殿へ戻る道の分かれ道で、立ち止まる。

 

「じゃあ、ここで」

 

「うん」

 

「フルーリーさん、明日から仕事なんでしょ?」

 

「そうだね」

 

「旅商人も大変だ」

 

「リーシャも?」

 

「私?」

 

「明日は予定あるんだろう?」

 

「ああ。まあね」

 

「じゃあ、お互い頑張ろう」

 

「うん」

 

 一歩離れる。

 

「またね、リーシャ」

 

「……また会うの?」

 

「旅をしてれば、案外ね」

 

「じゃあその時は検問から逃げないでくださいよ」

 

「努力する」

 

「努力じゃなくて」

 

 笑う。

 

 フルーリーさんも笑った。

 

「じゃあね」

 

「うん。また」

 

 背を向ける。

 

 少し歩いて。

 

 一度だけ振り返った。

 

 金髪の旅商人は、まだそこにいた。

 

 目が合う。

 

 軽く手を振られた。

 

 オレも振り返す。

 

 それから今度こそ、宮殿へ戻った。

 

     ◇

 

「ただいまー」

 

 客殿へ入る。

 

 返事がない。

 

「…………」

 

 いつもなら。

 

 いや、いつもと言っても昨日からだけど。

 

 ジーナが出てくると思っていた。

 

「ジーナ?」

 

 廊下を見る。

 

 いない。

 

 代わりに、見覚えのない女性がこちらへやってきた。

 

 黒と白の服。

 

 ジーナと同じ、宮廷使用人の格好。

 

「お帰りなさいませ、陛下」

 

「ただいま。ジーナは?」

 

 女性が一礼する。

 

「本日午後より、別の御役目へ移っております」

 

「別の?」

 

「はい」

 

「今日急に?」

 

「そのように承っております」

 

「戻ってくる?」

 

「申し訳ございません。私には分かりかねます」

 

「そっか」

 

 まあ。

 

 宮廷で働いているなら、そういうこともあるのだろう。

 

 オレのためだけにいるわけじゃない。

 

 手元を見る。

 

 紙に包まれた焼き菓子。

 

 胡桃と蜂蜜。

 

「…………」

 

 せっかく買ったのに。

 

「お土産を渡そうと思ったのに……」

 

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

居場所をなくしたTS聖女は魔法少女と出会う(作者:綺羅星瑠奈)(オリジナル:現代/冒険・バトル)

世界統治の為、象徴として利用されたTS転生聖女のルナ。▼かつての仲間だった魔法使いによって前世の現代日本に転移する。▼しかしそこは魔法少女がいる世界だった。▼前世の妹にも信じてもらえず、死んだ方が楽なのではないか思っていたところで、死にかけの魔法少女に出会う。▼異世界でも現代でも居場所をなくしたサポート特化のTS聖女と困っている人を見捨てられない近接特化魔法…


総合評価:1570/評価:8.44/連載:31話/更新日時:2026年09月28日(月) 07:30 小説情報

人権ヒーラー(︎︎♀)に転生おじさん(作者:春に木漏れ日)(オリジナル:ファンタジー/冒険・バトル)

超絶美麗グラフィックオープンRPG『冥魂』────。▼ ▼ リリース当初はそのゲームシステムや初期ストーリーのモッサリとした展開具合にユーザー離れも酷かったが、しかしVer6.4まで経てかなり評価を覆したこの作品。▼ ……の、周年限定的なガチャでしか手に入らない人権ヒーラー(♀)に転生したおっさんプレイヤー(♂)が原作を破壊したりしなかったり、厄ネタ(主人公…


総合評価:1928/評価:7.77/連載:33話/更新日時:2026年09月24日(木) 16:40 小説情報

TSした俺と交友関係NTRアンハッピーセットを食らって女性不信拗らせた親友(作者:北京院)(オリジナル:現代/恋愛)

幼馴染の親友に彼女ができたので最近はあまり遊んでいなかった。▼久々に顔を見た親友は死にそうな顔をしていたものだから、詳しく聞くと彼女と先輩と後輩を寝取られたんだという。▼もう女なんてこりごりだぜ、と強がるけれど死にそうな顔をしているので少々優しくしてやることにした。久々に泊まり込みでゲームをするのは楽しかったし少しは元気が出たようで安心した。▼――で、翌朝起…


総合評価:3314/評価:8.57/連載:23話/更新日時:2026年09月28日(月) 20:10 小説情報

ニチアサ系で禁断の『主人公勢洗脳闇堕ち全滅エンド』を目指したい(作者:匿名希望)(オリジナル:ファンタジー/冒険・バトル)

ニチアサ系変身ヒロインアニメの世界に、主人公の双子の姉としてTS転生した朝霧夕陽(あさぎりゆうひ)。原作主人公勢の活躍を特等席で見ることができる! と喜んでいたのだが――悪の組織に勧誘(洗脳)されて、理性のブレーキがぶっ壊されてしまう(なお、洗脳自体はすぐに自力で解除した模様)。▼「見守りたい」という純粋な想いは歪んでいった。▼これは禁忌とされるバッドエンド…


総合評価:2599/評価:8.3/連載:18話/更新日時:2026年09月24日(木) 07:05 小説情報

TS転生者、魔法少女世界に転生するも洗脳悪堕ち魔法少女にされて妹と戦わされる(作者:辻契約マスコット)(オリジナル:現代/冒険・バトル)

 悪の組織『シン・アーク』と魔法少女達が日夜戦う世界にTS転生した光の魔法少女オタク(自称)は、ある日悪の組織に連れ去られ、洗脳悪堕ち魔法少女にされてしまった!▼ 一方その頃、彼/彼女の今世の義妹はマスコットと契約し、魔法少女として戦う覚悟を決める。▼ これは、愉快な悪の組織の洗脳悪堕ち魔法少女と、愉快なニチアサ風光の魔法少女の、姉妹の戦いのお話し。


総合評価:2008/評価:8.19/連載:6話/更新日時:2026年07月11日(土) 21:51 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>