神戦のオリュンポス β   作:田芥子慧悟

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第五節 そののち

 血にまみれたエキドナは気付けば廃都の広がる異空間の中にいた。暗がり、天井は半球状で金剛を切ったような面を数多に見せる。

 辺りには他に、わずかな残党の怪物たちが佇んでいる。

 

 鏡域。領域内に鏡界を展開し、そこに自らの心象を映し出す至高の魔術によるものである。

 

 (飛んでもなく高度の鏡域……。流石といったところね)

エキドナは蛇を引きずり、中央への道を傷の浅い右手進む。そこには神殿が見え、冥府の女帝の膝元へ続くようだ。

「あぁ……。オルトロス……。どこにいるの……。」

と悲痛な声で我が子の名を呼び、揃った生還も欲するのである。

 「母上、ここだ」

オルトロス、オルトロス……。そう繰り返しながら進んでいると脇の邸宅上から彼の声がし、エキドナはやっとの再会を果たす。

 「そっちの頭はどうしたの……オルトロス」

だが、オルトロスは片首を失い、エキドナは悲しい声で訳を問う。

「あの岩の雨にやられた。何とか片首は守って主の鏡域に入ることができたのだ。それより、母上だ。俺より傷が酷いではないか」

と返されて、

「私のことはいいわよ。とにかく、あなたが生きていてよかったわ」

と左腕で彼を軽く抱えた。

 「母上、我が君からメドゥーサの血を賜ろう。ハデスも死者でなければ異論もなかろう」

抱かれながらオルトロスは言う。

「そうね。帰りましょう、オルトロス」

エキドナはそう言って彼を離し、ともに進み神殿へ入っていった。

 

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 「ヘラ様、ただいま戻りました」

「我が君、ただいま戻りました」

転移の門を抜け、エキドナらは帰還を告げる。

 その目先には美しき女帝派の頭がいる。ゼウスの実姉にして正妻、女帝ヘラである。

 女帝の髪は褐色で長く、顔を手に置き、横になっている。

 

 「ご苦労だったな、エキドナ、オルトス。ところで、ラドンがいないようだが、何かあったのか?」

「ラドンはヘラクレスとの戦いで自爆攻撃を行い、殉職いたしました。肉体ごと弾けたため、復活は不可かと」

とオルトロスは言う。

「そうか、辛いことを聞いてすまなかったな。では、ラドンに『名誉』の報奨を与えよう」

「「ありがたき幸せ」」

そう答えるヘラの人徳にエキドナらは謝礼の声を重ねた。

 ヘラは嫉妬深い女神だが、そもそもは「愛」を重んじ、忠義誠実を好み、不忠不実を忌む気高い性格である。

 故に夫ゼウスの裏切りが許せず、掟で主神を加虐できない代わりに、彼の愛人やその子に怒りをぶつけるのだ。ヘラクレスには特に強い嫌悪を抱いていた。

 

 「して、開闢体は手に入ったか?エキドナ」

そのヘラは求めた"例のアレ"に題を転換する。

 「申し訳ございません。件のクレトラは学園にいたようなのです。どうやら、情報は学長と教頭にしか知らされておらず、それを知ったのは森を襲った後だったのです。せめてと占領を試みましたが、途中、主神派の砲撃に合い辛くも徹底を致した次第です」

とエギドナ。オルトロスはそれでは足りぬと思って、

「しかし、我が君。葬った森の精霊(ニュンペ)どもは数知れません。どう育つか分からぬ若輩は非常に厄介な存在です。その数が多ければ多いほど……」

と補足する。

 

 「そうだな、子どもというものは恐ろしい。放っておけば、私たちに牙を剥く者も多かろう。主神には常にそのような予言が付きまとった。だがな……」

ヘラは小さく頷いたが、諌めるべきこともあった。

 「皆殺しにできなかったのはそなたらの過失であるぞ。故郷を奪われた『憎悪』は時に自らを滅ぼし、時に自らを強くする。数の力も厄介だが、鍛え抜かれた個の強さはその上をいく。深く反省しなさい」

睨みつけるヘラに、エキドナらは頭を下げて、

「「はっ!申し訳ございません」」

と声を揃える。

 

 「だが、クレトラは学園にいたのか。ゼウスは学園に開闢体を保管しているようだな……。エキドナ、オルトス。報奨は何が良い?あまり上等なものをやるつもりはないが、ある程度は請け負ってやるぞ」

そして、ヘラは問う。たとえ諌めるも、やはり忠義を好む性である。

 「両者、メドゥーサの聖血を所望いたします。ご覧の通り、主神派に不覚を取り深傷を負ってしまいましたので。」

エキドナが答えると、ヘラは少し考え、うむ、と頷く。

「良いだろう。そなたらは余の肝要たる寵臣。傷付いたままなのは癪に障る」

と言って、指を鳴らす。

 

 すると、蛇の髪を生やした有翼の少女が降りてくる。石化の両眼は布に隠して、その力を封じていた。 

 「ヘラ様、ご用件を」

「メドゥーサ、エキドナとオルトスにそなたの聖血を分けてやれ」

「御意」

ヘラに言われ、メドゥーサは一礼しオルトロスの前に出る。

 彼女もオルトロスやラドンと共に喚ばれた死者、女帝派の傀儡である。主神派の女神アテナに深い因縁を持つ。

 

 「頼む」

とオルトロスが屈むと、メドゥーサは懐から針を取り出して、

「くっ…!」

と歯を食いしばり首の右を切り付ける。聖血は針に絡まり、その雫を一滴ニ滴とオルトロスの片首へ滴らす。

 そこ首はみるみるうちに再生し、元の双頭の姿となる。

 続くエキドナにも同じようにして、傷の一つ一つへ聖血を垂らす。その傷は次々癒え、メドゥーサは度々の痛みに苦悶の表情を浮かべた。

  しかし、メドゥーサの傷はまだ浅い。それだけでエキドナらの深傷も完治するのだ。

 「ふむ……。やはり、そなたの血は素晴らしいな」

ヘラはその力を賛美する。

「光栄です、ヘラ様」

その讃美にメドゥーサは一礼をすると、上層へ消える。

 

 「主神派の開闢体は学園か……。学園に内通者がいる可能性を考えもせぬとは……。全く、甚だ愚かな男」

エキドナらも帰り、侍女イーリスと2人のみになった間でヘラは不敵に笑んだ。

 

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 そして、明くる日。

 メディアの傷は完治に医術神アスクレピオスの手を以てもおよそ1日を要し、今は果実から身体へ魂を還して寝台に座っている。

 辺りには彼女がヘラクレスと助けた数十の精霊(ニュンペ)たちが寝ている。

 

 「やはり、あの十腕の巨人にやられたのか?メディアさん」

と脇に立つヘラクレスが問うと、

「えぇ……。そうよ」

とメディアは答える。

 「あの巨人、降ってきた岩を掴んで投げてきたのよ。まさか、あんなひょろひょろしい巨人に相討ちにされて、しかも、最終手段まで使わされなんてね……。それにあの巨人、風の元素まで使っていたわ。天炎水風地の五元素はそれぞれ一部の神にしか扱えないはずなのに」

メディアは巨人の暴力的な戦闘力を詳しく語る。怪物として規格外の異能にヘラクレスも少々恐怖を覚えた。

 「痩身ながら荒れ狂う巨象のような強さだ」

「全くね」

メディアはヘラクレスの言に同ずる。

 ヘラクレスはしばらくメディアと話すと、ひらひらと手を振り、

「アスクレピオスさん、メディアさんを助けてくれたこ礼を言う」

と杖つくアスクレピオスに頭を下げる。

 「いや、僕は当然のことをしただけだ。第一、僕たちは同じアルゴーノートの仲間だろ?頭を上げてくれ」

「フッ……そうだな」

そう言われて、ヘラクレスは微笑みを浮かべた。

 イアソン率いるアルゴー船。ヘラクレス、アスクレピオスは同舟したその頃からの面識で、途中からはメディアとも同舟し彼女とも知人である。

 

 「これから二年の授業がある。また、後でな」

ヘラクレスはひらひら手を振り、医務室を去っていった。

 「後で」

「怪我人がいたら遠慮なく」

メディアとアスクレピオスの声を後ろに聞きつつ、階段に続く長い廊下を歩いていった。

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