イアイアの実・モデルニャルは地雷案件すぎませんか? 作:露木曽人
かつて執事、シャンタークの仕事のひとつに、毒味というものがあった。
旦那様の口に入るものを、事前に少しだけ食し、毒などが入っていないかを確認するための作業だ。
あの頃は、全てを信用できなかったから、全ての食材を毒味し、調理も全てシャンタークが賄っていた。
旦那様がノイローゼになられて、シャンターク以外の全ての使用人を屋敷から追い出してしまってからは、外出先での会食などでの毒味役を、彼が一手に引き受けていた。
そのせいで危うく死にかけたこともあるが、旦那様にあの苦しみが行くよりはよほどマシだった。
「お嬢様、失礼致します」
「ありがとうございます」
主のために椅子を引き、その背後に控える。
ニアお嬢様は、よく外食をする方だ。
ドリームタワーで公務に勤しんでいる時は、シャンタークや教徒の造る手料理を美味しい美味しいと笑顔で食べてくれるが、仕事柄要人との会食をする機会も多いし、滞在先で現地の名物料理を食べに出かけることも珍しくない。
「大聖女ニア様、本日はよーうこそ当店へお越しくだーさいました。あなた様をおもーてなしできること当店一同、ココーロより光栄に思います」
「ありがとうございます。
美味しいお料理、楽しみにしていますね」
ニッコリ微笑む人知を超越した美貌に、店内にいた人間が客から店員から、その心を撃ち抜かれている。
最高級のレストランだ。
大物女優や海軍将校の愛人など、絶世の美女を数多くもてなしてきた歴戦の店員たちであったが、その誰も彼もが一瞬で心を奪われてしまった。
店員だけではない。
違うテーブルで食事をしている家族連れ、カップル、夫婦。
通常、デート中の男が違う女に目移りするなど、言語道断である。
だが、そんな怒りなど吹っ飛んでしまうほど、女たちですらも、どうしようもなく目を惹かれる。
まるで、全身が光り輝いているようだった。
世界でも最高峰の五つ星レストランが、薄暗い豚小屋としか思えないほどに。
彼女という光のなかった世界に生きてきた自分たちのこれまでの人生など、何の価値もないただのゴミだったのだとそう心から感じられるほどに、別格だった。
いいや、神格だ。
あの唇が開くところを永遠に見つめていたい。
あの声以外の一体の音を一生涯聞きたくない。
彼女の口に運ばれるスプーンやフォークが羨ましい。
今ここで、悪魔の実の能力者の手によって食器に変えられてしまっても悔いはない。
むしろそうしてほしい。
あの椅子になりたい。今ここで死ねば来世であの椅子に生まれ変わるだろうか。彼女の履いている靴が羨ましい。
そんな狂気を孕んだ欲望が、魅了されてしまった者たちの理性を溶かしていく。
「お嬢様、少々刺激がお強うございますようで」
「おっと、すみません」
パチンとシャボン玉が弾けるように、店内にいた誰もが我に返った。
あれ?俺たち何してたんだっけ?と、しばらく呆けていたが、やがて食事を再開する。
だが、横目にチラチラと最奥のVIP席に座る美少女を盗み見ることはやめられない。
あれが今世界で最も注目を集める宗教の教祖か、本当に後光が差しているようだ、と納得せざるを得ないほどの、名状しがたい美貌だったから。
「オードブルでございます。ジェノサイドキングサーモンのマリネとアンディーヴのグラタン。ウズウズウズラのスモークとエシャロットでございます」
「スープでございます。当店自慢のコンソメスープは一口飲むだけで病床の老人が瞬く間に死の淵から快復した逸話を持つことからドーピングコンソメスープと呼ばれ、これを目当てにわざわざ遠方からやってくるお客様もいらっしゃるほどで...」
食事は和やかに進められた。
次は俺に運ばせろよ!!いやよアタシだって!!頼む譲ってくれ、今日ここで彼女に配膳できなかったら一生後悔する!!と店の奥で骨肉のジャンケン争いを繰り広げている給仕たちが代わる代わるやってきては撃沈していく。
お嬢様はマイペースで食事を楽しんでいたし、シャンタークはそれを笑顔で見守っていた。
そして、異変は起きた。
「シャンタークさん」
「畏まりました」
目配せをされたシャンタークが、席を外す。
「おや、如何なさいましたか?執事殿」
「店長様。少々大事なお話が」
ほんの一瞬だけ解放された、そのただならぬ威圧感に圧倒された店長が、ただ事ではないと即座に判断し、店の奥へとシャンタークを案内する。
「何と!?料理に毒が!?」
「ええ。
貴店の名誉のため伏せておきましょう、とお嬢様はお考えのようですが」
「おい!!本当かよ!!」
店の奥の小部屋で顔を突き合わせる店長と、料理長と、シャンターク。
店長の貌は青褪め、料理長の貌は赤く染まる。
いくらイアイアの実・モデルニャルの能力により毒が効かない体質とはいえ、毒殺されそうになるのは不愉快だ。
「爺さん、あんたいい加減なこと言ってっと...クソ!マジかよ!!」
料理長とて、五つ星レストランの厨房の最高責任者まで昇りつめた男だ。
要人の暗殺、営業妨害、その他諸々の理由で、年に数回こういった事件が発生しているため、この手のトラブルには慣れている。
慣れてはいるが、だからといって平然としてはいられない。
「俺の料理は芸術品なんだ!!一体誰がそれを冒涜しやがった!!」
「それどころではあーりませんよ!!大聖女様がうちの店の料理を食べて死にかーけたなんてことが世間に知らーれたら、店の看板に瑕がつくところではあーりません!!」
「ええ、ええ。ですので、是非とも此度の一件は内密に処理致しましょうと、お嬢様は仰せです」
「おお!!なんとありーがたき!!」
飲食店とは信用商売だ。
常に暗殺の危険が付きまとう地位や権力や財産を持つ人間が御用達の高級店ともなればなおさら。
万が一にも大聖女ニア毒殺未遂事件が公表されてしまったならば、この店には客が寄り付かなくなり、潰れるだろう。
それだけではない。
店長は責任を問われ、料理長は五つ星レストランの料理長にまで昇りつめたその何十年のキャリアを失い、他の料理人や給仕たちは暗殺に手を貸したかもしれないと疑われることで一生この世界では生きていけなくなるだろう。
「てェことは、だ」
「必要なのーは、そう」
「犯人捜し、でございますね」
「ニャハハハハ!!ざまあみろだニャあのクソ女!!あの世でご主人たまに詫び続けるといいニャ!!」
ネコネコの実・モデルチェシャの能力者、猫耳猫尻尾美幼女のアリスことアリシアは、哄笑しながら裏路地を駆けていた。
透明化能力によりレストランの厨房に侵入し、塩コショウの風味が利いた肉料理に無味無臭で即効性の猛毒を振りかける。
ほんの一滴でも死に至るほどの猛毒を、四滴も五滴も振りかけたのはひとえに、あの大聖女を騙る人殺しへの復讐のためだった。
かつてアリスは、憎き天竜人の奴隷だった。
そこから救い出してくれたのは、フォーマル・D・ハウトと名乗る黒髪オッドアイの少年だ。
嬉しかった、幸せだった。
あの地獄の底ような、思い出すのも悍ましい悪夢から、自分を救い出してくれた王子様。
同じ境遇であった元奴隷仲間のウィンディと、アンジェと、大好きなご主人たまと、自由の海を往く旅路。
それは本当に、本当に夢のような時間だった、のに。
あのクソ女が、それを奪いやがった!!台なしにしやがった!!
あの女と、その狂信者どもが、全てをぶっ壊した。
大好きなご主人たまは目の前で白い砂にされて殺され、お姉ちゃんみたいだったウィンディも同じように白い砂にされてしまって。
目の前が真っ赤になって、あの女を殺してやる!!と飛び出そうとして。
『ちょろちょろ、ちょろちょろ、ハエみてェに、鬱陶しいッ!!』
何が起きたのかわからなかった。
あの図体がデカイだけの、アリスに手も足も出ずにボロボロにされてたクソザコデクノボーが、いきなりアリスの尻尾を踏み潰して、そして、そして...
『返せ!!ご主人たまを、アリスの仲間を、アリスの幸せを返せエェー!!』
ご主人たまとウィンディは死んで、アリスとアンジェは海軍に引き渡され、器物破損、殺人未遂、ヒューマンショップ襲撃などの罪で、インベルダウンに収監された。
『納得いかないニャ!!どうしてあの女が野放しにされてるニャ!?あの女だって人殺しなのニ!!』
『バカかテメエは!!海賊の分際で何寝言ほざいてやがんだオラァ!!』
不幸のどん底から、幸福の絶頂へと救い出されたはずのアリスは、一瞬のうちに更なる不幸の底の底へと突き落とされてしまったのだ。
アンジェも、アリスも、ヒューマンショップを襲撃するなど、天竜人に逆らうも同然のバカな男の仲間だったと罵られた。
本来ならば天竜人に引き渡すところを、インベルダウンに収監してやるのはむしろ慈悲だと言われた。嗤われながら嬲り者にされた。
インベルダウンの囚人どもは、飢えたケダモノだった。看守どもは、それを嗤いながらからかっていた。
重罪者に、人権などないのだと。
結局、看守や囚人たちがふたりにしていたことが上層部にバレて、奴らは処罰され、ふたりは別の層へ移された。だが、どこへ行こうがインベルダウンに救いなどない。地獄から地獄へと変わっただけだ。
ふたりは待った。薄暗い監獄の隅で蹲りながら、いつかきっと、再びハウトが助けに来てくれると信じた。
そうだ、ハウトが死ぬわけがない。
彼は自分たちにとっての救世主なのだ。
きっとハウトもウィンディもやられたフリをしているだけで、きっと無事だ。
生きてる。
生きてる生きてる生きてる生きてる生きてる生きてる生きてる。
そしてもう一度、この地獄から、救い出してくれると。
信じて待って、待って、待ち続けた。
きっと助けてくれる。
救い出してくれる。
だから、早く来て。
早く助けて。
早く、早く早く早く早く早く早く早く早く早く早く早...
『よっしゃ逃げろォー!!』
『ボサっとしてんな!!この機会を逃したら脱獄のチャンスなんざ二度とねェぞォ!!』
奇跡は起きた。
だが、それを起こしたのはハウトではなかった。
麦わらのルフィによる、前代未聞のインベルダウンへの侵入事件。
その大混乱に乗じて脱走した、大勢の囚人たち。
『アンジェ!!逃げるニャ!!』
『ええ、逃げましょう!!私たちは絶対に...』
『『あの女を赦さない!!』』
あれから2年。
アンジェはアンジェリーナと、アリスはアリシアと名前を変え、反ニャルラト正教派と名乗るテロ組織に加入した。
全ては復讐のために。
あの女を惨たらしく殺し、世界中にその悪行を、あの醜い本性を暴露してやるために。
「ニャハハハ!!ご主人たま!!ウィンディ!!アンジェ!!アリスは遂にやったんだニャン!!あの女は死ぬ!!これでみんなの仇を討ったッ!!だから、だから、褒めてほしいニャ、ご主人たまァ!!」
インベルダウン所長、マゼランがあの大事件の折、大量にばら撒いた猛毒の中から、特に強力なものを選んで、持ち出してきた甲斐があったというものだ。
あの猛毒はマゼランにしか解毒できない。
よってあの女は死ぬ。
悶え苦しみながらのたうち回って死ぬ。
それを間近で鑑賞できないのは残念だったが、アリスにはまだ、あの女の死後、その全てを暴露してやるという仕事が残っているのだ。
ここで捕まるわけにはいかない。
「ニャハハハ!!ニャハハハハ、は?」
目の前に、あの女の老執事が立っていた。
アンジェの片翼を切り落としたアイツだ。
その腰に差した二振りの刀を抜刀することもなく、ただ立っていた。
どうする?決まっている、殺す!!コイツもご主人たまの仇だ!!だったら殺す!!殺す以外ない!!
「へーんだ!!バーカバーカ!!あのクソ女のところにお前も送ってやるニャ!!お前の死体はバラバラに切り裂いて、アンジェへのお土産に...」
猫耳娘の体から、X字に血が噴き出す。
音もなく、あまりの速さに何が起きたのかを理解もできず、その小さな体が血だまりに沈んだ。
ニャルラト正教会十箇条、その7.やると決めたなら全力でやりましょう。
「貴方にも、色々と思うところはございましたのでしょうが...謝罪は致しません」
どこからともなく、ニャルラト正教会の諜報部員たちが現れ、シャンタークの指示の下、後片付けが行われていく。
そして誰もいなくなった頃、裏路地には血の一滴の残滓もなく、まるで何事もなかったかのように、静寂だけが残されていた。