イアイアの実・モデルニャルは地雷案件すぎませんか? 作:露木曽人
三日月が、ドリームタワーの天辺にかかっていた。その最上階、空中庭園にて。月明かりを浴びて、祈るように胸の前で手を組んでいた聖女が、ゆっくりと瞼を開く。それはさながら、宗教画のように幻想的な光景だった。
そんな彼女を、ガーデンチェアに座ったサルタン中将が見守っている。その背後には、老執事シャンタークも控えていた。静寂を破り、テーブルの片隅に置かれていた電々虫が鳴り始める。
「私だ」
「こちらダゴン。予想通り、海賊どもが動き出した」
「そうか。では、予定通り処分するとしよう」
「了解。このまま監視を続ける」
「ああ」
海賊どもめ、と、サルタンは忌ま忌ましそうに吐き捨てる。聖女は悲しげな眼差しで、ドームガラスに手を触れ、遥か眼下に広がる、光の洪水溢れるカーニバルを見下ろした。
『ワーッショイ!!ワーッショイ!!』
聖女ニアの黄金像が飾られた神輿が、大通りを練り歩いていく。それを追いかける者、死者との再会にそれどころではない者、祭りを楽しむ者、屋台で売り子を頑張る者。死者も生者も入り乱れて、祭りのボルテージが上がっていく。
誰もが笑顔で溢れていた。泣き笑いで、酷いことになっていた。あちらこちらから美味しそうな匂いが漂い、アルコールの酒器が混じった温い夜風が優しく吹き抜けていく。まるで街全体が酩酊してしまったかのような、不思議な夜。
「ドグダーッ!!ごべん!!ごべんよォ!!俺が、俺が何にも知らねェで、毒キノコなんか食わせちまったがら!!」
「エッエッエ!!なーに言ってやがんだチョッパー。おれはな、あのスープのお陰で、最期にありったけの力を振り絞ることができたんだぜ?」
「でもォ!!」
「でもも、だってもねェ!!」
自分にしがみついて、泣きじゃくるチョッパーの背中を、ヒルルクの手が優しく撫でる。冷たい亡骸の手ではない、温かな手だ。死者である筈なのに、不思議と温もりが感じられるのは、気のせいなどではきっとない。
本物なのか、という疑問は、ロビンの本物の幽霊という言葉と、ルフィが聖女から直接聞いたという、本当だという言葉でかなり払拭されたせいか、一同はひとまず、本物と判断したようだ。
「なァチョッパー。オメェも医者になったんだから、わかるはずだ。医者のできることにゃ、限界がある。今の医術じゃ、どうしようもねェ、手の施しようのねェ患者もいる」
「...うん」
「医者にゃどうしようもできねェ、もうただ死を待つしかねェ。そんな患者を救うことができるもんがあるとしたら、そいつはきっと、人の心だ」
「...心?」
「ああそうだ。おれは、オメェの心に救われた」
だから、もう泣くなチョッパー。そう優しく抱き締められて、無理だよドクター、とチョッパーの目から、更に多くの涙が溢れ出す。だが、それは先程までの、懺悔と後悔の涙とはどこか違う、温かな涙だった。
「そうか、あの設計図は燃やしたか」
「ああ。おれァ賭けた。麦わらの一味に。そんで、賭けに勝った。今でもそう信じてるぜ」
「たっはっはっは!!そうかそうか!!オメェがそう胸を張って言えるってんなら、間違いねェだろうよ!!」
美味そうにジョッキを傾けながら、上機嫌で酔っ払うトムに、ようやく涙が止まったフランキーも、笑顔を返す。話したいことは山ほどあった。あれからのこと、これまでのこと、みんなのこと、自分のこと。
「なァトムさん、もしよければなんだがよォ、その...おれの造った船を、見てくれねェか?」
「おお!!いいなそりゃ!!どこにあるんだ?」
「港だ!!港に停めてあるんだ今!!きっと驚くぜ!!何てったって、あの宝樹アダムから造り出したこのおれの一大傑作だからよォ!!」
「おいおい、そんな引っ張るんじゃねェって!!」
酔ったトムさんが転ばねェように、とフランキーは大恩人をおんぶしながら、サウザンドサニー号をお披露目するため、港に向かって走り出す。その背に触れる重みが、温もりが、確かに今、この人はここにいるのだと、そう教えてくれる。
「しかしまァ、あのチビが、随分とでかくなりやがったもんだぜ。見違えるようじゃねェか、なァ?」
「そりゃそうだぜトムさん!!あれから、何年経ったと思ってんだ!!あんたの...あんたのお陰で、俺ァこうして、元気に生きてんだからよォ!!成長ぐらいするぜコンチクショー!!」
ドバシャっと、フランキーのサングラスの四方八方から涙の飛沫が迸る。
「かくして俺はゴッド・ウソップとなり、ドレスローザ王国にまでその名を轟かせたのであったッ!!」
「そうかい、頑張ったんだねェ」
母バンキーナは、ウソップが身振り手振りで語る冒険譚を、ニコニコしながら、嬉しそうに聞いていた。作り話や嘘ではない、正真正銘、本当の冒険譚を。時間など、いくらあっても足りなかった。この祭りは、一夜の夢。
ならば朝には、夢から覚めてしまう。それまでに、もっともっと、母に伝えたいことが、聞いてもらいたいことが、沢山あったから。
「ねェウソップ...」
「何だい?何でも訊いてくれよ!!父ちゃんにはまだ会えてねェけど、きっといつか父ちゃんにも伝えるよ!!俺、グランドラインで母ちゃんに会ったんだ!!って」
「そうかい?それじゃあ、私もいつか、父さんにもう一度会えるかもしれないね」
「俺が!!俺が連れてくるよ!!父ちゃんを連れて、いつか必ず、ふたりで会いに来るからさ!!だから...!!」
ウソップの両頬に触れたバンキーナの手。その親指が、息子の両目から、ボロボロこぼれる涙を拭う。病床に没した時の、痩せた指ではない。幽霊とは思えないぐらいに、血色のいい指だ。
「寂しい思いをさせちまって、ごめんね。あんたに素敵なお友達が沢山できて、母さん、嬉しいよ」
「ッ!!...寂じぐなんが!!寂じぐなんがながったよ!!俺は勇敢な海の男、ヤソップの息子、キャプテーン・ウソップだがら!!子分だって大勢いだじ、ぜーんぜん大丈夫ッ!!」
幼い息子を遺して逝ってしまうことに、悔いが残らないはずがない。最後の最後まで、心配だった。だが、息子はこんなにも立派に成長した。優しい優しい嘘を、強がりを言う息子を抱き締め、バンキーナの目から涙が溢れ出す。
強く抱擁しあう親子の慟哭は、祭りの喧騒と波音に掻き消されていった。
「ベルメールさん、私、私あなたに謝らなきゃいけないことが沢山あって、それでッ!!」
「落ちつきなって。そんな怖い顔してないで、ほら」
ベルメールが差し出したのは、オレンジジュースの瓶だ。屋台で安く売られているそれは、結露して表面が濡れてしまっている。青褪めていたナミは促されるがままに、ベンチに座った。祭りの喧騒からは少し離れ、暗がりの街灯に照らされた海辺の公園からは、夜の海が一望できる。
「ごめんなさい!!ごめんなさい!!私、私、あの時あなたに酷いことをッ!!」
「あー、やっぱ気にしてたか」
「するに決まってるじゃない!!だって私は取り返しのつかないことをしたわ!!私は」
「私の娘、でしょ?」
ベルメールの手が、ナミの頭にポン、と置かれる。
「喧嘩したって、血なんか繋がってなくたって、家族だもの。アンタも、ノジコも、私の大好きな娘よ。だから、赦す」
ずっと自分を責め続けてきたのね、と、ベルメールは俯いて号泣するナミの肩をそっと抱き寄せる。コツン、と軽く頭を寄せあって、震える娘の手を握りしめる。
「私が赦したんだから、もういいの。あんたももうそろそろ、自分を赦してあげなさい」
「ッ!!お母、さん。お母さん!!お母さァんッ!!」
椅子に座ったまま、抱き合う母娘。ナミが泣きやむまで、ベルメールはずっとその背中をあやすように、優しく撫で続けていた。
「...ねえナミ、ノジコは元気?ゲンさんたちは?」
「みんな、元気にやってるわ。海に出てからは、しばらく会えてないけど。でも、きっと今でもみんな、変わらず元気にやってると思う」
やがて落ち着いたナミに、ベルメールが気になっていたことを尋ねていく。ぽつり、ぽつりと、言葉を交わしていく。ずっと強張り続けていたナミの顔に、ようやく笑顔が戻ったのだ。