イアイアの実・モデルニャルは地雷案件すぎませんか? 作:露木曽人
あきらかに、一目で敵だとわかる美少女の登場に、麦わらの一味だけでなく、ニャルラト正教会側も困惑を隠しきれないようであった。
「お嬢、なんすか?」
「そうだよ?見ればわかるでしょロスっち!!あなたの可愛い可愛いニアちゃんでェーっす!!」
右目にピースを当てながらウインクする偽聖女に、戸惑ったようなロス。信じられないとばかりに肩を竦めるダゴン。思わずモノクルを布で拭いてしまうシャンターク。あんぐりと口を開けるゴーント中将。ただひとりだけ冷静だったのは、聖女の伯父であるサルタンだけだ。
「お嬢様!!お待ち頂きたく!!この非常時に外出なさるなど、自分がサルタン中将殿に叱られてしまうでェあります!!」
「うっさい!!今サイコーにかっこいー登場シーンなんだから邪魔すんなし!!」
ドタドタと彼女を追ってきた護衛であろう海軍大佐を裏拳一発でのし、気を取り直したようにファサっと金髪をかき上げる謎の美少女。
「お前は、まさか!!」
「はーい伯父上、無粋なネタバレはボッシュートになりまーす!!真相に気づいちゃった奴から消されてくってホラー映画のお約束、知らないのカナー?」
闇に呑まれよ!!とばかりに、サルタンの姿が突如として足元から這い上がってきた闇に呑まれていく。サルタンだけではない。ダゴンも、ロスも、シャンタークも、ゴーントも。皆が、全員、生きもののようにうごめく闇に呑まれて消えてしまった。
「ちょっと!!何よあれ!?」
「な、何だァ!?」
最初に気づいて悲鳴を上げたのは、ナミだった。夜空に浮かぶ、血のように真っ赤に染まった三日月から、まるで夜空にできた切り傷のように、ドボドボと赤黒い液体が一挙に氾濫したのだ。
ドシャア!!とドリームタワーを呑み込んだそれは、一気に塔の麓へを流れ落ち、突然の出来事に硬直してしまった一同を直撃...しなかった。虹色に輝く半透明な、バリアのようなものが、ルフィたちと偽聖女を守ったからだ。
だがまるで血液のような濁流は容赦なく夜の街へと流れ込み、ルフィたちの目の前で島ひとつが呑み込まれていく。
「何やってんだお前ェー!!」
「やーん!!アタシこわぁーい!!」
飛び出したのは、ルフィだった。だが、覇王色の覇気を纏った彼の攻撃をも、ダンスでも踊っているかのような警戒なステップでひょいっと避けた聖女もどきが、ケラケラと楽しそうに笑う。
既に周囲は暗闇に閉ざされ、夜空に浮かぶ真っ赤な三日月が放つ不気味な赤い光だけが輪郭を浮かび上がらせているような状態だ。
「ニアちゃんさー、言ったよね?戦いをやめろって。何でだと思う?はい、回答者そこの長鼻くーん!!」
「えっ!?俺!?えーと、もうこれ以上誰かが争ってるところを見たくなかったから、とか?」
「半分せいかーい!!もう半分はねェ、自分の力が抑えきれなくなりそうだったからでーっす!!」
「自分の力?」
「そう!!イアイアの実・モデルニャルラトホテプの力はねェ、ほんとは幽霊呼び出すなんて生ぬるいもんじゃないの!!こうやって使うのが正解なのよォー!!」
ボコボコと、地面から塩の柱が生えてくる。それは、死体だった。首を切り落とされた死体、腹に大穴が空いた死体、全身が炭化した死体、見るも悍ましい、今回の戦争で死んだ海賊たちの亡骸であった。
「いあ、いあ」
「いあ、いあ!!」
「いあー!!いあー!!」
「ヒョエエエ!?ゾンビィ!?」
「ゾンビだけじゃなーいわよーう!!ほら!!」
「ちょっとあんた!!人の口調パクってんじゃないわよッ!!」
『なッ!?』
驚愕する一同の前に塩の柱の中から現れた、大海賊白ひげ、エドワードニューゲート。だが、あまりに虚ろなその眼差しに、誰もが絶句し驚愕する。
「親父!?」
最も衝撃を受けたのは、エースだろう。だが息子であるエースの呼びかけにも、白ひげは反応しない。
「どーお?正真正銘本物の白ひげちゃんよん!!アタシ本来の力は、こうやっていくらでも死者を奴隷にできちゃう便利な能力!!」
白ひげ人形にベッタリとその豊満な身をすり寄せ娼婦のようにいやらしく腕や脚を絡ませながら、ニアの偽物は心底理解できないとばかりにため息をひとつ。
「だのにあの偽善者気取りの小娘ったら、救済なんてくっだらねェことに能力使いやがってさァ!!笑っちゃうわよねー!!世界を支配できる力をせっかく得たのに、カルト宗教でせこく金儲けって感じィ?」
「親父から離れろ!!」
ごう!!と拳に炎を纏わせたエースが、敬愛する親父を玩具にする女への憤怒とともに突撃する。だが、女の体は影の中にすっと溶けてしまい、再び真っ赤な闇の中からドロリと人の形になって現れるばかりだ。
「そもそも死者を蘇らせるだなんて激ヤバ能力、普通の人間の精神じゃまともに扱えるワケないのよね。それなのにあの女はしぶとくしぶとくしぶとく精神汚染に耐えてくれちゃってさー。お陰であの女の体を乗っ取ってこの世界に降臨するってアタシの計画がパーってワケ」
「この世界?乗っ取る?」
「一体何を言ってやがんだテメェ!?」
「ここまで教えてやってもまーだわっかんないかなー?アタシはニャルラトホテプ。ニャルラト正教会の人間たちがなーんにも知らずにバカ丸出しで崇めてた神様?的な感じ?」
「あれは!?みんな、上よ!!」
「あ、あ!?」
「ヒイイイィ!?」
ロビンの言葉に、一同が顔を上げる。そこにあったのは、巨大な目だった。真っ赤な三日月が、まるで瞼を開けるように、真っ赤な満月へと変貌していく。それは目だった。ギョロリ、と血染めの満月が、自分たちを見下ろしている。直感的に、誰もがそう悟った。
「人間同士傷つけあって、バタバタ人が死んでさー!!そんで、この島で死んだ死者の怨念がどんどんあの女を蝕んでいく!!」
だから顔が青褪めていたのだ。だから、モニターに映るその姿は辛そうだったのだ。
「そんでとうとう、たかだか人間一匹の器に収まりきらないぐらいの怨念や恨み、つらみ、悪意なんかがパーン!!と内側からポップコーンみたいに弾けて、忌ま忌ましいあの女に邪魔されて表に出て来られなかったアタシちゃんが満を持して降臨ってワケなのよ!!わかった?」
「みんな!!」
「みんなって、誰?」
ドロリ、と麦わらの一味の仲間たちの体が、炎天下に放置されたチョコレートのように溶けてしまう。激昂するルフィの目の前、ほんの数ミリで唇が触れあってしまいそうな至近距離に、邪神が現れ、ルフィの瞳を覗き込んだ。
「テメェ!!ルフィから離れろ!!」
「あのさーエースくん、君のこと復活させてやったの誰だか忘れてなーい?」
「がッ!?」
「エース―!!」
ボロっとエースの首が転がり落ちて、だが、その胴体は拳に炎を纏ったまま、立ち尽くしていた。
「アタシ炎ってだァい嫌いなのよねー!!だから、消火しちゃお!!」
「ぐッ!?」
「サボ!?やめろォーッ!!」
激昂するルフィの目の前で、触手のようなものに心臓と喉と額を貫かれたサボの体が、宙ぶらりんに吊り上げられる。気づけば、たったひとりだった。仲間もいない、兄弟もいない。真っ赤な真っ赤な闇の中で、悍ましいほどに美しい美少女とふたりっきり。
殴りかかろうとして、ルフィの腕がボロリと砕け散った。次に脚が。地面に落下したルフィを見下ろしながら、聖女とはまるで異なる悪魔、いや、邪神がニヤニヤと楽しそうにしゃがみ込み、ルフィの麦わら帽子を奪う。手の中でクルクルと弄ぶ。
「お前、神様なんだろ!!なんでこんなヒデェことができるんだ!!」
「神様だからじゃない?ほら、君だって言ってたじゃん?この海で一番自由な奴が海賊王だ!!って。キャーカッコイー!!アタシもそうなの。この宇宙で一番自由な奴、ニャルラトホテプなの。あ、今日から邪神王でも名乗ろっかなー?」
「お前!!クソ!!絶対に許さねぇ!!」
「許してもらう必要なんかあるのかなー?ほらほら、ルフィくん、どうしたのもっと頑張って?みィーんな全滅しちゃって、もう君しか残ってないんだよ?仲間、助けたいでしょ?だったらもっと頑張らなくっちゃ!!頑張って足掻いて足掻いて、そうやっていっつも絶体絶命のピンチから逆転してきたでしょ?ほーら、頑張れ頑張れ!!」
パチンと邪神が指を鳴らすと、ドームの天井から何かがドサドサと大量に降ってくる。それは絞首刑にされた仲間たちの亡骸だった。ゾロが、ナミが、ウソップが、サンジが、ロビンが、チョッパーが、フランキーが、ブルックが。風もないのに、腐って地面に落ちる寸前の果実のように、ブランブランとルフィの頭上で揺れている。
「キャールフィ!!助けて!!俺たち全員死んじまった!!お前のせいだ、お前が弱いせいだ!!でも安心しろよルフィ!!ニャルラトホテプ様の玩具になって、未来永劫死んでも黄泉の国へもどこへも逃げられないまま、一緒ここにいよう!!だって俺たちはァ、仲間だから!!アハハハハハハハ!!海賊の末路は縛り首ってね、昔から決まってんのよねェ!!」
「うおォおおォーッ!!ゴムゴムのォ、鐘ッ!?」
手も脚ももうないなら、最後に残っているのは頭だ。この胸を焼き焦がさんばかりの憤怒のままに反動をつけ、イカれた哄笑を響かせる邪神の顔面に頭突きを叩き込んでやろうとしたルフィの顔面を、邪神のヒールが踏みにじる。
「くっだらない海賊ごっこはもうおしまい。残念だったわね、弱っちいクソザコ海賊くん?恨むのなら、自分の弱さを恨んでちょーだい」
ビリビリと、ルフィの目の前で大切な麦わら帽子が破り捨てられてしまった。まさに絶体絶命の窮地。その時だ。
「は?何これ、こんなん聞いてないんですけど?」
真っ赤な闇を引き裂くように、一筋の光が溢れ出す。それは、ルフィのポケットからだ。
「は?お前何隠してやがったワケ!?」
「これは...!」
それは、あの時少女がくれた、ニャルラト正教会のシンボルである、五芒星を模ったペンダントだった。
「ちょッ!?待ちなさいよ!!待てっつってんだろうが!!」
光が、溢れ出す。それはさながら、夜の海で船を導く星のように。あるいは、灯台のように。大きな光の塊が、暗闇の彼方から近づいてくる。ルフィは、その光の正体を知っていた。
「...メリー...」
ゴーイングメリー号。今は亡き、ルフィたちのかけがえのない仲間。悍ましい赤き闇の海の中を、やわらかく温かな光を放ちながら、まっすぐに進んでくるその姿を見上げ、ルフィの意識は途切れた。