イアイアの実・モデルニャルは地雷案件すぎませんか? 作:露木曽人
「お嬢様ァ!」
目の前で、護衛対象が狙撃され、射殺された。
護衛として、絶対にあってはならない失態だった。
悲鳴が上がり、教徒たちが半狂乱になりながら駆け寄ってくるのを制し、凶弾に斃れた彼女の亡骸を抱き起こす。
心臓を潰され、死んでいた。
助かる、助からない以前の問題だ。
完全なる手遅れ、だった。
「いやあ、びっくりしましたねえほんと」
「お嬢様ァ!?」
「わ-、本当に死んじゃったんですね私。なんか、ショック。死ぬのはこれが初めてじゃなかったですけど、やっぱり何回死んでも死ぬってのは嫌なものですねえ、ほんと」
殺されたはずの本人が、ひょっこり背後から顔を突き出してきたので、ダゴンは肩越しに振り返り驚愕に目を見開いてしまう。
そこには、彼女がいた。
救済の聖女。
救いの女神。
奇跡を体現する女。
そんな数多の異名を持ちながら、その存在の一切をニャルラト秘密教団外部には完全秘匿されている少女。
イアイアの実・モデルニャルの能力者。
ニア。
ダゴンの雇い主であり、名伏し難い冒涜的な存在だ。
「あ、ちなみに狙撃した犯人さんは今頃私とロスさんが捕まえに行ってますので、帰ってきたら尋問をお願いします」
「あっ、はい」
「聖女様!ご無事なのですか!?」
「聖女様、死んじゃやだよう!」
「皆さん、落ちついてください。撃たれたのはあくまで私が能力で作り出した影武者ですからご安心です。ほら、私はこうして生きているでしょう?ね?」
大勢の信者たちに囲まれるも、臆することなくにっこりと微笑みながら、笑顔で彼らの相手をする彼女を、心底怖ろしいバケモノだと思う。
そんなダゴンの腕の中で、抱きかかえていたはずの彼女の亡骸が、どさりと塩の塊となって崩れ落ちる。
黒いスーツに付着した白い塩を払い、ダゴンは立ち上がった。
『これからよろしくお願いしますね、ダゴンさん。いやあ、しかしまさか、いるとは思っていましたが、ほんとにいたんですね、私以外のイアイアの実の能力者。お互い邪神の玩具同士、気苦労も多いでしょうが、頑張って生き延びましょうね!え?何の話でしょうかって?え?え?...マジ?』
イアイアの実・モデルダゴンの能力者、ダゴン。
ダゴンというのは本名ではない。
本当の名前は、妻と我が子の亡骸とともに海へ流してしまった。それ以来、彼はダゴンと名乗って生きている。本当の彼は、とっくに死んでしまったのだ。今ここにいるのは、ただの亡霊、あるいは抜け殻のような存在だけだ。
彼はかつては勤勉な海軍であり、愛する妻ハイドラと、もうすぐ産まれてくる筈だった子供を愛する、心優しい勤勉な父親だった。
だが、彼の幸せは長続きしなかった。
幸福の絶頂にいたはずのあの日、あまり体が丈夫ではなかった妻は出産に耐えきれず命を落とし、赤ん坊は死産となった。
誰が悪いわけでもなく、不幸な出来事だった。
いっそ海賊にでも殺されてしまったならば、恨みの矛先があっただけマシだったかもしれない。誰も悪くはなかった。出産に立ち会ってくれた医者だって、最善を尽くしたのだ。逆恨みをするつもりはなかった。ただ、救いだけがなかった。どこにも。
失意のうちに彼は海軍を辞め、酒浸りの生活になり、破れかぶれでやった賭けの代償として、悪魔の実を食わされた。
罰ゲーム!とかなんとか言われて、本物かどうかも怪しい悪魔の実を食わされた。
彼は能力者となった。
ダゴン、という偽名は、そんな悪魔の実から拝借したものだ。
だが、悪魔の実の能力者となったことなど、彼にとってはどうでもよかった。
どの道長生きするつもりなどなかったし、何なら早く妻と子供の待つ死後の世界へ行きたかったぐらいだ。
海賊狩りを始めたのはたぶん、誰かが自分を殺してくれるのを待っていたからだろう。
いつ死んでしまってもよかった。
なんなら、早く殺されてしまいたかった。
殺して、殺して、殺し続けて、誰も彼を殺せなかった。
心臓を潰されたが、死ねなかった。
首を刎ねられたが、まさかの新しい首が生えてきた。
床に落ちた頭からは、冒涜的な触手が生えてきて、勝手に海賊たちを襲っていた。
なんだこれは、何が起きているのだ。
最初は戸惑った。
自棄になって、自殺を試みた。
死ねない。
死ねない、死ぬことができない。
海に飛び込んだ。
見知らぬ魚人たちが、自分を救っていた。
あきらかに普通の魚人ではない、ぎょろりとした不気味な大きな目玉を持つ、醜い魚人たちだった。
イアイアの実の能力者は、死ねないのだろうか。
誰にも相談などできなかった。
世界政府に捕まって、人体解剖や人体実験される日々などごめんだったからだ。
噂だけがひとり歩きしていき、いつしか死なずのダゴンは海賊の世界ではちょっとした怪談話として噂されるまでになっていた。
「さて、君には選択肢がある。素直に喋るか、無理矢理喋らされるかだ」
ニャルラト教団本部の地下室。
幹部たちが拷問尋問用にと用意してくれた、どれだけ汚れても大丈夫な地下室で、ダゴンはロスとともに、ニア狙撃の実行犯を尋問していた。
狙撃手の男は、だんまりを決め込んでいる。
その境遇は、どの道処刑だというのに、律義なことだ。
教団の幹部たちは、今回の一件に対し怒り狂っている。
当然だ。
ニアが死んだら、ニアが蘇らせた死者たちも、まとめて再び死ぬのだから。
このドリームアイランドは、彼女によって復活させられた死者たちと余生を送りたいがために、大金持ちの老人たちが作り上げた虚構の楽園。
そんな場所で、彼女を殺そうとしたらどうなるか。
いや、実際に殺してしまったらどうなるか。
そんなもの、政治に疎いダゴンでもわかる。
だというのに、目の前の男は、こいつにそれを命じた実行犯は、聖女暗殺に踏みきった。
なんとしても、その裏を割り出さなければならない。
「私としても、あまり容赦はできそうにないのだよ。だから、謝罪はしない」
「ぐ、がァ!?」
目の前の、人間だったはずの青年の顔が、ゴキャリ!と歪む。
ボコボコと皮膚が内側から隆起し、皮膚の色が変色し、眼球が今にも破裂せんばかりに膨張していく。
眼球の位置がずれていき、首に切れ込みが生まれ、喉から迸る悲鳴が、不快なものへ変貌していく。
これが、イアイアの実・モデルダゴンが持つ能力、のうちのひとつ。
死ねない体になり、得体の知れない触手を操れるようになり...人間を、醜悪な魚人へと作り変えてしまう。
使うのも悍ましい、冒涜的な能力。
脳味噌まで狂気に汚染され発狂してしまった彼は、ダゴンの忠実なる下僕だ。
「さて、正直に話してくれるね?」
「は、い。我らが父、父なるダゴン。イア、イア、ダゴン」
尋問は、あっという間に終わった。
「お疲れ様でした、ダゴンさん。嫌な役目を押しつけてしまってごめんなさい」
「いえ、お嬢様のためですから。これぐらいは、なんとも」
ダゴンがまとめた書類を捲りながら、どこかへと電電虫をかける彼女を、怖ろしいバケモノだと思う。
誰もが見惚れるその美貌、死者蘇生という奇跡を成すその偉業。
そんなものは、対外的に隠蔽された、表面的な事実に過ぎない。
彼女は、イアイアの実を完全に使いこなしている。
一瞬で遠く離れた地へ瞬間移動し、こともなげに分裂し、殺されても生き返る。
いいや違う。
ひとり殺されたぐらいで、彼女の存在は揺るがない。
すぐに次の彼女が現れる。
殺された瞬間までの記憶を保持したまま、何事もなかったように、けろっとした顔で。
狂っている、と確信した。
彼女は狂っている。
"自分と同じように"。
悪魔の実のせいでそうなってしまったのか、元よりそういった気質なのかはわからない。
何故、そんなにも屈託なく笑えるのか。
何故、そんなにも人間的でいられるのか。
だが、だが、とダゴンは思う。
「お嬢様、お茶が入りました、です」
「ありがとうロスさん。お先に召し上がっていてください。あ、もしもし?私です私。私ですよ」
どうしようもなく、彼女は人間的だ。
そして、押しつけがましくない。
やろうと思えば、ダゴンの妻ハイドラと、死んでしまった赤ん坊を、この部屋の扉の向こうから登場させることだって可能なのだろう。
だが、彼女はそれをやらない。
ダゴンが望まない限り、押しつけがましい救済を強要しない。
妻と我が子は死んだのだ。
たとえ彼女の能力で疑似的に復活したとしても、それは自分が彷徨い歩いてきたこの十数年の埋め合わせにはならない。
たとえ蘇った家族と静かに暮らしていたとしても、赤ん坊はいつまでも赤ん坊のままだ。
決して成長しない。
妻も、老いることはない。
まあ、彼女の性格的に、いつまでも若いままでいられるなんてありがたいわね~と笑い飛ばしてしまうかもしれないが、やはり彼女も、いつまでも赤ん坊のままの我が子を見ていたいとは思わないだろう。
そういう女性だったのだ。
そういうところが、好きだったのだ。
だから。
いい子だ、と、中年男としての自分が素直にそう思う。
優しく、親切で、控えめだ。
望まれない限りでしゃばることもせず、過度に誰かに干渉することもなく、ただ平然と、道端で転んで泣いてしまった子供を助け起こすように、救いを求める人間たちに、望んだ分だけの救いを差し出す。
金を求めるわけでもなく、名誉を求めるわけでもなく、ただ、自分にできる範疇で、誰かを助け、時に助けられているその姿は、ダゴンにとって眩しいものだった。
産まれる前に死んでしまった我が子がもしすくすくと成長していたら、今頃彼女ぐらいの年頃になっていただろうか、という気持ちもある。
彼女は恐ろしいバケモノだ。
自分と同じバケモノだ。
だが、人であろうとしている。
人でいようとしている。
人の心を忘れず、思いやりや優しさを当たり前に持ち、かといって慈悲深い聖女というわけでもなく、敵対する者に対しては、時に冷酷な殺意を見せることもある。
だが、それもまた人間らしい。
「お待たせしました。おふたりとも、クッキーのお味はいかがですか?」
「とても美味しいです」
「美味いっす」
「そうですか!それはよかった!ふふ、実はそれ、私が焼いたんですよ。今日は教団の子たちと一緒に、クッキーを作ったんです」
「道理で」
「美味いっす。お世辞じゃないっす」
善性だけが人間ではない。
悪性だけが人間ではない。
清濁併せ呑み、人間らしさを損なわず、ただ自然体でそこにいる彼女、ニアの存在が。
バケモノとなった自分には、とても眩しいものに思えた。
「ところで暗殺事件の黒幕なのですが、ちょっと面倒なことになってしまいまして。私が直接処理しなければならなくなってしまったので、食べ終わったら同行をお願いしますね」
眩しすぎて、目が潰れてしまいそうなのも、考えものではあるのだが。
同行、ということはつまり、彼女はまだ自分とロスを解雇するつもりはないということだ。みすみす目の前で護衛対象を狙撃され死なせてしまった間抜けどもを、まだ雇う気でいる。ならば、自分は今度こそ、彼女を守り通さなければならない。今度こそ、今度こそ、絶対に。