人助けをしたら幻想郷にさらわれたので呑気に暮らそうと思います 作:黒犬51
歳を取り、現実を知ると描いた夢は崩れ去る。
なら、夢なんて描かない方が身のためさ。
「今日は休み...か」
ベッドの上で一人の少年が目を覚ました。勉強机にはデスクトップのパソコンが置かれ、その横には本棚が置かれている。本棚には本が入り切らなかったのか並べられた本の上にはまた本が載せられ、本棚の足元にも本がかさねられていた。部屋には旅先で買ったラベンダーの芳香剤が僅かに香っている。
少年が体を起こし、寝台の足元に転がる目覚まし時計を見ると短針は3時を指していた。立ち上がり、カーテンを開けることもなく、螺旋階段を降って一階へと降りる。時間のせいか薄暗いリビングには誰もいない。
本来ならば大学のある日ではあるが、今日は大学も休校だった。理由は確か、創立記念日だっただろうか。
冷蔵庫を開けて何か食べるものがないかを探す。食べ物もないが、それ以上に日常的に飲んでいる炭酸飲料が無くなっていた。大きくため息をつき、自室へと帰る。ゲームするにも飲み物がなければ気が乗らない。クローゼットを開き、サイズを見ないで買ったせいで大きすぎたジーパンと茶色のパーカーを着る。財布を鞄から取り出して、寝台の上に置かれたスマートフォンとワイヤレスイヤホンを取る。電源ボタンを押してロックを解除、Bluetoothを起動して接続。耳に入れたイヤホンから接続完了を伝える音声が流れ、音楽を流し始める。
忘れていた黒い靴下を履いて階段を降りて家から出て、カードキーでドアにロックをかけ道路へ、冬ではあるが、もうすでに春の方が近い。肌には過ごしやすい空気が触れている。世間への嘆きを唄う歌を聴きながら近くのスーパーへと向かう。昼も何か食べようかと思ったが、特にそれと言って食べたいものもなければ、あまりお腹も空いていない。家の横の小道を少し歩いてスーパーへと続く一本道へと出た。左右には住宅、散髪屋や飲食店が並んでいる。
「あの教師うざくなかった?」
「わかるわー」
学校が終わったのであろう女子学生が後ろで歩いており、学校への愚痴をこぼしている。
正面からは小さな焦げ茶色の髪をした子供が走ってきていた。後ろからは外国人だろうか。腰まで伸びた金髪の女性、恐らく親だと思うが笑いながら辞めなさいと追っている。平和な光景だ、だが。嫌な予感がした。ただ、なんとなくその少女を目で追う、少女は彼を避けるために大きく道路側へ避けて後ろを向いて母親へ笑いかけている。
そしてその目の前にその道に出るために現れたトラックが一台。左右確認を怠ったようでそれなりの速度を持って道路へと現れた。ここは狭い道だ、避けるには止まるしかない。だがあの速度では少女に衝突する前に止まることはないだろう。歩道には別の人間がいる。ハンドルを切ったとしても絶望的だ。運転手の焦ったような顔を見た時、体が動いていた。響く急ブレーキの音を背景に地面を踏みしめて道路へでる。突き飛ばせば少女は無事だろうが道路に残された自分は確実に死ぬか重症だ。助けた少女も運転手もそれでは悲惨だろう。できるだけ他人の心に負い目を残したくない。左足を一歩踏み出して重心を後ろに、少女の手を握り、歩道へと引っ張る。体重は少年の方が重い。少女は少年へ引き寄せられ彼の胸の中へ。そのまま少女を抱くような形で大きく一歩後ろに下がる。眼前をトラックの運転席部分が通り抜け停車。
遅れて後ろにいた女子学生の悲鳴。停車したトラックから出てきた運転手が飛び出してくる。
「すいません!大丈夫ですか?」
「俺は大丈夫です。気をつけてください」
子供を離して衝撃で落ちたイヤホンを拾ってスーパーへと歩く。そんな彼を親であろう金髪の女性が止めた。
「ありがとうございます。お礼と言ってはなんですが、うちに来ませんか?」
「・・・・・・」
少年は回答に迷っていた。見ず知らずの人間を唐突に自分の家に誘うだろうか。親からすれば子供を守ってくれた良い人かもしれないが。
「お兄さん来てよ!お礼が言いたいの!」
「娘もこう言っているので、お暇であれば来ていただけませんか?」
嘘は感じ取れない。危害は加えられないだろう。少年は笑顔で了承して彼女たちの後を追うことにした。
どうせ、今日は何もなかった。そして...暇つぶしには丁度良いだろう。
「お兄さんさっきはありがとう、死んじゃうかと思った」
「道路には飛び出さないようにね。危ないから」
「はーい」
悪い子ではないようだ。いい意味でも悪い意味でも子供らしい。少女は身を翻し、親の元へと走っていく。揺れる白いワンピースは、冬には少し似合わない。
頬を撫でる風の寒さに眉を顰める。数分ほど歩くと森の中へと入った。鬱蒼と茂る木々は都会の喧騒を忘れさせる。葉に覆われて空は少ししか見えない。日は沈みかけている。
ここでやっと少年は身に起きている異常に気づいた。
こんな森が家の近くにあっただろうか。彼の家はそこまで都会というわけでは無いが決して田舎でもなかった。木が生えている公園のようなものはあったがここまで森と言えるような場所は記憶の中には無い。それに足元はいつの間にか枯葉で埋め尽くされている。
「あの、本当にこの先に家があるんですか?」
「ええ」
振り返る少女とその親。そこで本当の異常に気づく。明らかに人間の物ではない耳が、尻尾が生えている。先ほどの子供には2本の焦げ茶の猫の尻尾に猫の耳、親だったと思っていた者には金色の9本の狐の尻尾と狐のような耳。
「コスプレ...ですか?それ」
「そう思います?」
わかっていた。それはコスプレでは無いだろう。もしそうであったとしていつ付けたのかが全くわからない。後ろからついて行っていたのにも関わらずそれを見逃すとは思えない。
「違ったら、すごく嫌なんですけど」
もしそれが本物ならば目の前にいる少女は人間以外の何かであることが確定してしまう。そんなものについて行ってしまったただの人間の末路など考えることもできない。ただ一つわかるのは、元の場所には帰れないだろうと言うことだけだ。
「貴方を歓迎しますよ。私の家、幻想郷へようこそ」
背後から声をかけられた。少年は慌てて振り向き、大きく後ろへと退く。足元には枯葉がある。どう歩いたとしても足音があるはずだ。
「家っていうか森だと思うけど」
振り返って先には金髪の女性。腰まで伸びた金髪に紫のドレスだろうかあまり見ないような服装だ。見た目はそこまで年老いてはいないはずだがその存在感は異常なまでに大きい。
先の二人は明らかに見た目から人では無いがこの女性は見た目は人間でも恐らく人間では無い。確信に似たそれを感じ後ろの下がろうかと思うが後ろにはあの親子がいる。
逃げ場がない。
「いいえ。ここが家なのよ」
瞬間周囲の景色が変わる。今度は部屋だ。どこかの高級ホテルの客室のような一室。大きなベッドは整えられておりシワひとつない。一つの窓にはカーテンが掛けられており周囲は見えない。真上にはシャンデリアが掛けられており部屋を照らしている。驚くことにどうやら電気ではなく火が灯されている。火が揺れれば部屋の明るさもゆらりと変化する。
「いや...え...?」
「ここが貴方の家よ」
夢を見ているのかと思うほどに現実離れしたことが起き続けている。頭の処理がまるで追いつかない。そんな少年の視界の端でドアのノブが下がる。
「歓迎します。ようこそ地霊殿へ」
開けられたドアから一人の少女が現れた。桃色の髪に桃色の服。これまた外では見ないような服だ。桃色のスカートに空色の服。袖からは白のフリルが見えている。首元には襟のように白いシャツが見えていた。おそらくはフリル付きのシャツの上に空色の服を羽織っているのだろう。そして最も特徴的なのが、その体から赤いコードのようなもので繋がれている一つの眼だ。
「いや...待って。全然わかんない。なんで俺を拐った?俺を返してくれる気は?」
しばらくの静寂。
外からは賑やかな酔っ払いの騒ぐような声が聞こえる。
「貴方を返すわけにはいかないわ。貴方にはここで生きてもらう。何故なら貴方はこちらにいるべき者なのだから」
「そんなこと...突然言われて信じられるかよ...。俺には家族が居るんだぞ。弟だって妹だって。両親もいる。どこがここにいるべき人間なんだよ」
少年の嘆きを聞いた桃色の髪の少女だけが顔を少しつらそうに歪ませている。だが彼を誘拐した張本人は顔色すら変っていなかった。
「迎えが遅くなったことは謝るわ。ただ、これは真実。諦めて認めなさい。それに一つ。ここに入った者は外の者から忘れられるの。貴方が戻った所で家族は貴方を受け入れないわ」
淡々と、あまりにも残酷な真実が告げられる。始まりはたった一つの人助け。恩返しを少し期待しながらついて行ったらこの結末。心を襲う悲しみ、怒り。そして、少年の思考が急激に冷えていく。感情がはらりと散り枯れ木が残る。
俺は、なんで他人を信じて、挙げ句の果てには期待したんだ?
全ては......自分が悪いじゃないか。
「あなた...」
桃色の髪の少女がとても悲しそうな、憐れむような顔をする。そんな少女を横目に少年は口を開く。
「もう仕方ないか。ならせめて何か教えてくれ。ここは幻想郷です。以上。じゃあまりに何もわからない」
「あら、それは諦観?」
「嘘だとは思えないしな、帰ったところで無駄。帰り方がわかるならまだしも帰り方がわからない。そうなればもう信じる他ないだろ」
淡々と事実だけが並べられる。合理的過ぎた、一切の感情が含まれていないそれはどこか他人事のようだった。
「恐ろしく冷静ね。いいわ。説明してあげる。ここは幻想郷、貴方のいた世界とは結界で分かたれた場所よ。そしてここに外から入った人間は能力を手に入れるの。でも貴方には教えないわ」
それを聞いた少年は少し鼻で笑う。そんなことが信じられるかと嘲笑するようにも自嘲するようにも見える。
「ところで、ここって電気通ってたりする?外の世界のゲーム機を持ってきたいんだけど」
おかしな事を言っている自覚はあるが帰れないならゲームが二度と出来ないということになる。それはあまりに辛い。
「ないわ。ただ、妖怪の山というところにいる河童ならなんとかしてくれるかも。能力に関しては一切触れないのかしら?」
「河童ね。ザ・妖怪って感じ。ありがとう。能力はねぇ......それが本当ならまぁ気が向いたら聞こうかな」
優しそうに笑う少年。それを暫く見つめた後女は踵を返す。
「さとり妖怪。あとは任せたわよ」
「わかりました」
そうとだけ言い残し、拐った犯人は裂けた空間の中に入っていく。リボンで裂け目の範囲は固定され、その内部からは数多の目がのぞいている。不気味という他ないそれは彼女が入ると同時に閉じた。
あれで拐われたらしいな。ただ、それがわかったところであの話が真実であるならなにをしても無駄だろう。俺が居なくなって悲しむ人がいないならまだマシだ。
「災難でしたね」
「まぁ。ただもう戻っても無駄らしいし、諦めてここで生きてくことにするよ」
カーテンを開き外を見る。そこにはなかなか衝撃的な光景が広がっていた。まず、空がない。歴史の教科書で見た江戸時代の風景画が広がっている。
「驚きましたか?」
「予想はしてても実際こうだとね。あれ上どうなってるの?」
空はない。だがその代わりに光るものがある。それは太陽ほど明るくはなく月明かりよりは煌々と輝いている。その絶妙な光が眼下に広がる町を照らしていた。
「光る石ですよ。ここは地底なので陽光は入りません」
「アホほどでかい洞窟なわけね。ところで君名前なに?あと、能力は?あるんでしょ。あの話の感じ」
「名前は古明地さとりです。能力は、この目で......他人の心が読めます」
慌てて振り返る少年。そしてこちらを眺める彼女を悲しそうに見つめる。
「それ.....めっちゃ便利だろうけど。辛かったでしょ」
「もう慣れました」
「苦しみには慣れない方がいいよ。自分がわかんなくなる」
少年から発された静かな言葉は決して形だけのものではない。きっと共感できるだけの何かが彼にはあった。ただ、彼女はそれを覗くことはしない。その理由はおそらく彼女だけが知っている。
「俺は心が読めたりはしないんだけどね」
「嘘つきましたね」
「事実だよ。俺には君みたいに心が読めない。今も頑張ってるけど無理っぽいね」
古明地さとりはここで途中から気になっていた事を聞くことにした。
「あの、話は変わるんですが。男っぽいですね。貴方、そんなに顔は可愛いのに」
「ん...?」
少年?は一瞬理解が出来なかったが、視線を下に下ろして状況を理解した。膨らみが2つ視界を遮っている。痩せ型では無かったがこんなに胸が出るほど太っても筋肉質でもない。
「え...?」
意識して聞いてみれば、声も高い。
「あー......うん。え......ちょっと失礼」
後ろを向き手を使い、息子が居ない事を確認する。立派なものではなかったと思うがその別れは少し辛い。
「女になってるなぁ......」
現実を受け止めきれない。別に男で困ったことも女になりたい願望もなかった。身体をペタペタと触りベッドに腰をかける。
「外の世界だと男性なんですか?」
「身体も男だったんだけどなぁ。もしかして能力は女になるとかだったりする?」
「いや、違いますよ」
「そっかぁ......」
確かにこれだと戻っても誰だお前ってなるな。どうせ戻っても忘れられてるって言ってたけど少し試したい気持ちはあった。いくらなんでもあれを盲信的に信じるほどアホでは無い。いやでもそれは置いておいてこんな機会ないだろうしちょっと漫画みたいな驚き方しとこうかな。
「う....うっわぁ!お...俺....女の子になってる!?」
「え....なんで今更そんな反応を?」
「せっかくだしおっきく反応しようかなって思った」
「そう....ですか」
さぁ幕をあげよう。ライトを付けろ、俳優の支度は出来ているかな。お客さんは来るだろうか。そんなことはどうでもいいな。これより彼の、いや、彼女の幻想郷と呼ばれる場所での新しい生活が幕を開ける。