人助けをしたら幻想郷にさらわれたので呑気に暮らそうと思います 作:黒犬51
あなたは、自分がなぜ生きているのか。考えたことはありますか。
誰もを迷わす竹林の奥、隠されるように建った寝殿造の枯山水の庭の中央で、いつも通りのセーラー服の鈴仙に白いシャツにチノパンという格好のこよみが瞳を閉じ、腹部を赤く濡らした少女を引き渡していた。
どこからともなく突然現れたこよみに有無を言わさずさとりを預けられた鈴仙はその傷を見た後にその深刻さに気付いてか顔色を変えている。しかし、こよみはそれについて気にしている様子はない。
「後は任せた。俺は行かなきゃいけない」
静かに言い残したこよみは最後に鈴仙に預けたさとりの頭を撫でて身を翻し、体を浮かせる。
「ちょっと、待ってください。一体何があったんです?」
呼び止められたこよみは後ろを振り返る。
こよみからすれば未だに抱えられたままのさとりを早く診て欲しいが、まだ聞いていない情報があった。しかし、それ以前にあの状況をどう説明しようかと宙に浮きながら考える。そして、そういえばこんな状況にぴったりな言葉があったことを思い出した。
「俺もよくわかっていない。ただ、異変だろう。そこで頼みがある。博麗霊夢にこの事を伝えてくれないか?会ったばかりの俺がいうよりも動いてくれるだろ」
異変という言葉を聞いた鈴仙の顔色が少し悪くなる。だが、すぐに何かを決めたようで、そのぼんやりと輝く紅い瞳になにかが宿る。
「異変......ですか。博麗霊夢が協力してくれるかはわかりませんが。説得してみます。もし協力してくれなくても出来るだけ協力してくれそうな者を集めます」
「ありがとう。俺は急いで地底に戻らなきゃいけない」
再度身を翻して空に飛ぼうとするこよみを鈴仙が止める。今度は一体なんだと少しいらだった様子でこよみが鈴仙を見つめる。
「急いでいるのはわかります。ただ、もう少し教えてください。でもこの傷のさとりさんをまずを師匠に預けてくるので、少し待っていてください」
「確かに情報が少なすぎるか、悪かった。俺も焦っていたらしい」
パタパタとかけて行く鈴仙を見送り、残されたこよみは地面に降り立つと1人腕を組み目を瞑り思考に耽る。考えるのはこれからの事だ。
俺がこのまま出張るのは良くない。だからといってこよみはもう限界だ。これ以上は取り返しがつかなくなる。想像以上に負荷の掛かり方が酷い。作った人格を慣らす時間がない。それに何度も作り直してはいつまで経っても俺の目的は果たせない。なら、一体どうすれば。
考え込んでいるこよみの下に綺麗に整えられた枯山水の上を跳ねながら1人の少女が駆け寄ってくる。
「やぁ」
こよみは突然の声掛けに愛想を返す。
「やぁ。うさぎさん」
ゆっくりと目を開くとまだ会ったことのない顔だ。背はまだ小学生くらい。黒いショートの髪、白いワンピースに長靴のような茶色のブーツ。そしてその耳には鈴仙と同じくウサギの耳が生えている。ただ、鈴仙より耳は大きいだろうか。
「私は因幡てゐ。てゐって呼んで、あなたは?」
「俺は、古明地こよみだ。最近ここに来た」
まるで何かおかしなものを見るかのようにそのてゐと名乗った少女はこよみを観察する。それに対してこよみは何も思っていないようで、ただそのさまを眺めていた。
「一体何用だい、てゐ」
まるで子供に話しかけるようにこよみは言葉を優しく紡ぐ。
「いいや、別に。ただ、不思議だなと思ってね」
「不思議?」
かけられた不思議という言葉にこよみは反応して聞き返した。
「だって古明地を名乗るなら彼女の家族でしょ。あれだけの傷を負ったさとりをここに連れてきてるのに、全く心配そうにしてない。まるで、無事だと確信しているかのように」
ここでこよみは反省する。この世界の住人は見た目で判断できないと。確実に見た目は小学生のような彼女だが、その精神年齢はかなり高いのだろう。子ども扱いは失礼だ。
「心配はしてる。ただ、さとりは人間じゃない。あの傷なら命は助かるはずと思ってる」
「なんで、ここに来たばかりのあなたがそこまでわかるんだい?」
こちらを訝しみながらてゐがこよみを覗き込む。その瞳はしっかりと彼女を捉えていた。恐らくその瞳が捉えようとしているのは、こよみではない。もっと深くにあるものだ。
「俺自身が大怪我したからな。死んだと思ったけど、今こうして生きてるから外の常識は通じないって学んだんだ」
その発言を聞いててゐが深刻そうな顔をする。まるで大きな過ちを犯した者を見るかのような目で。
「あなたの回復力は聞いたけど。それを他の妖怪も持ってると思うのはやめた方がいい。妖怪はたしかに人間よりは回復力が高いけど、種族による。その点さとり妖怪は高く無い。あれは間違いなく......致命傷だよ」
こよみは知っている。あれが致命傷だということくらい。では、何故ここまで反応が薄かったのか。訪れるかもしれなかった別れに対してどうしてこうも冷静だったのか。それに対する回答は既にこよみの中で出ている。
「そうだな。それを聞いて急に不安になってきた」
こよみの中で、さとりの死、それは間違いなく大きなものだろう。だが、人は慣れる。どれだけ大きな衝撃でもそれを何度も体験すれば徐々に感想が薄れる。そしてその果てに。
「余計なお世話かもしれないけど、一人で背負いすぎない方がいい。私だったらいつでも相談に乗るからさ」
「ああ、助かるよ」
少女の顔を見て何かを察したのであろうてゐがこよみの肩を叩き、くるりと周り、屋敷の方へと戻っていく。器用にも自分が踏み荒らして枯山水の上だけを跳ねていく。そのさまはまるで本当の兎の様だ。それをみて、忘れていた笑顔を取り戻したかのように、そんなぎこちない笑みで彼女はその背を見送る。
「お待たせしました。てゐが余計なことを言いませんでしたか?」
「大丈夫だ。それよりも、異変の内容を伝えたい。いいか?」
なにか雑談が始まる雰囲気を感じとったこよみはそれを遮り、確認を取った上でそれに対して頷いたのを確認する。
「と言っても俺もまだわからないことばかりだが。突然地底で音楽が流れたんだ。それを聞いた途端に一部の妖怪が攻撃的になって周囲を攻撃し始めた。でも、音楽を聴いていてもなんの変化もない妖怪もいた。しかし、時間が経つと急に攻撃的になったりする。ここまでが異変の内容だ」
鈴仙は少し考える素振りを見せる。数秒もせずに、何か引っかかるものがあると言いたげな表情をしながら答えを出す。
「大方音楽を聴いた者を操作する能力でしょうか」
「俺も最初はそう考えた。ただ、もしその能力を持っているなら、音楽を聴いた全員が操られないとおかしい。だから恐らく何かの発動条件があると考えている」
「その条件は......」
「残念ながらまだわからない。だから、協力に来てくれるのはありがたいが、そんな大人数では来ない方が良い。きっとまだ、音楽は流れている。君も強いんだろ。操られたらたまったものじゃない」
忌々しそうに地面を睨み、こよみは体を浮かせる。こよみ自身もその条件がわからなかった。未だに解答にたどり着けていない。どうしても操られない人々への説明がつかない。
「俺は行く。さとりを頼んだ」
こよみはそのまま真っ直ぐ上空へ、事前に聞いた迷いの竹林だという情報から空からでなければ移動できないと考えてのことだった。
眼下の竹林を抜けて真っ直ぐにあの穴のある位置まで飛ぶ。しかし、その穴の手前に広がる森の中へこよみは降り立つ。地底の住人から妖怪の山と呼ばれていたそこは天狗の縄張りだと勝手に聞いた。周囲に目線がない事を確認するとこよみは右手を虚空に掲げる。そして、突如として開いたいくつもの眼球がこちらを覗く薄気味悪い裂け目を開き、その中へ。周囲の世界はがらりと変わり、見覚えのある寝室に出る。そこは、さとりの部屋だった。寝台には赤い血が付いている。そして、相変わらず、外からは賑やかな悲鳴を歌詞に祭囃子が聞こえている。
「さて、どうするか」
まずの第一目標として、この音を止めなければいけない。ただ、ここは洞窟だ。音は響いていてどこが発生源かを探すのは容易ではない。
「取り敢えずは、合流しよう」
しかしそこで一つの問題を思い出す。一体どうやってさとりを永遠亭に連れて行ったと言うべきか。俺ができることに関して色々な奴に教えるのは良くない。
「まぁ、なんとかなるか」
目を瞑り、腕の中のさとりに俺が俺が思うように生きるべきだと言われた事を思い出す。それで色々と思いは固まった。もう俺は、俺の思うように自由に生きる。そしてそれを何度も頭で反芻する。
「ああ、ああ。分かってる。もう畏れる必要はない」
目を開き、窓から外へと飛び立ち、燐とルーミアのいる場所へ。まだ凶暴化した妖怪が向かってはきているようで戦闘が続いていた。燐は相変わらず弾幕を使っているが、ルーミアは自分の背丈程はありそうな漆黒の大剣を振り回していた。それは剣というのかもよく分からない。鞘も剣も全てが漆黒。いうならば、闇を振り回していると表現した方が良いのかもしれない。それをあの小さな少女が振り回して、妖怪を切り伏せている。だが、その奮闘も虚しく少しずつ向かってきている妖怪が増えてきているようで、門の上には既に妖怪の死体が山のように積まれている。そしてその上を抜けることで庭には先ほどよりも多くの妖怪が侵入していた。
「燐!さとりは永遠亭に連れて行った。だからもう安心して......」
ここまで言ってこよみはあることを思い出す。忘れていたもう一人の存在。もう一人の家族。
「こいしはどこにいるんだ?」
もしまだ館の中にいるなら緊急事態だ。すぐにでも救出する必要がある。あまり付き合いは長く無いが、家族であることに変わりはない。だから、助けなくてはいけない。
「こいし様は無意識の中にいるからどこにいるかはわからない。でもきっと大丈夫。さとり様の件は助かったよ。ありがとう、私も永遠亭に行こうと思う」
一体何を持って大丈夫と言っているのか、ただ確かにこいしなら何の問題もなく動いているような気もしている。だからこれは信頼からくるものなんだろう。
「そうか。わかった。ルーミアは燐と一緒に永遠亭に向かってくれるか?流石にその傷の燐を一人で行かせるのは怖い」
ルーミアがそれに対して頷いたのを確認していつも通り剣を出す。ルーミアのように大きいわけではない。取り回しの良い武器を周囲に浮かせる。
それを見たルーミアが純粋無垢な瞳でこよみを見つめる。
「今更なんだけど、それってなんで周囲に浮かべてるの?」
一瞬の静寂。少しするとこよみは照れたように頬を掻く。
「え?あー......」
「やめてやりなルーミア。こよみは元々男の子。憧れるかっこよさってのがあるのさ」
「そうなのかー」
「お前それ、全くカバー出来てないからな......」
純粋な瞳でよくわからないと言いたげにこちらを見るルーミア、苦笑する燐。その中に囲まれながらこよみは顔を覆っていた。
「あーもう。はよ永遠亭に行きな。鈴仙に救援は頼んだからここは任せてくれ。こいしもこっちで探す」
しっしっと手を振り、燐とルーミアにさっさと行けと促し、こよみは右手を掲げる。すると周囲で等間隔に機械的に回っていた剣が意志を持ったかのように腕の周囲に集まり回転を始める。
「ゴメンな」
少し悲しそうに、まるで道を歩く虫を潰してしまった子供のようにぽつりと言い放った言葉。その瞬間に剣が射出。狙いは門の前に集る妖怪たち。放たれたそれは一切の躊躇なく妖怪たちの体を裁断して行く。何往復かすれば、そこには光を艶やかに反射する綺麗な肉塊が出来上がる。
「ありがとう。あとは任せた」
それを見た燐がルーミアとともにこよみに背をむけ、洞窟の出口へと向かっていった。
「とりあえず、暴れる奴を全員シバいてその後に音源探すか」
一人不敵に笑ったこよみは地霊殿に降り立つ。まるで水にぬれた土を踏みしめたときのような不快な音が響く。突然地面に降りた格好の的に庭に侵入していた妖怪が何を言っているのか判断できないような怒号をあげながら襲い掛かる。だが、次の瞬間に庭には頭部のみを切断され、血を噴水のように上げる妖怪のオブジェが出来上がった。
「でもあんまり殺しすぎるのも良くないか。最低限、困ってる奴を救える量にしよう」
肩を回し、また身体を浮かす。こよみの周囲の剣が少し遅れてそれを追っていく。
一方その頃永遠亭に向かうため、ルーミアは傷を負った燐と共に地上へと繋がる大穴を登る。ここまでの道中で、彼女たちが妖怪に困らせられることはなかった。というのも、彼等は空を飛べないらしい。だから、攻撃手段は跳躍。それに限られる。そうなれば逃げるだけが目的なら問題なく行える。そして、基本的に町の凶暴化した妖怪は、他の得物を追っていて、こちらに興味がなさそうだった。
「ところで疑問なんだけど。こよみって私たちの横通ったっけ?」
ルーミアが、ふと思い出したかのように燐に話を振る。
「いや、どうだろう。通ってなかったような。でもそれだと」
「そうなんだよね。一体どうやって永遠亭に行ったんだろうって思って。それに永遠亭にさとりを抱えたまま行ってそのまま帰ってきたとしても速すぎない?」
確かにと燐は頷く。あまりに早い。この穴を抜け、永遠亭までは少なくとも10分はどんなに急いでもかかる。行き来で20分。それにこよみがさとり様を抱えていたならそれよりももっとかかるはずだった。けが人を抱えながら全速力を出せはけが人が無事で済まない。にもかかわらず、10分もかからずにこよみは帰ってきた。異常というほかない。
「確かに、でも八雲紫に協力してもらえれば」
「なら貴方も連れて行ってもらうでしょ」
すぐさまあった可能性をルーミアによって否定される。八雲紫に協力してもらったなら説明がつく。ただ、それならあの時燐もつれて行くのが妥当だろう。もしさとりだけ送ったとしてもまた頼めば良い。ルーミアの言う通り、こうして態々飛ばせて行く意味がわからない。では、一体どうやってこよみはさとり様を永遠亭に送ったのか。
「何が言いたいのさ」
「あの外来人、なんか変じゃない?」
少しの間静寂が二人を包む。そのまま尖った石の目立つ仄暗い大穴を抜け、空に出る。傾いた日は、炎のように眼下の森を輝かせている。二人はその炎を避けるように遠くに見える竹林へと急ぐ。
その静寂を破ったのは身体から流れ出る血を抑える燐だった。
「外来人、いやここの住人なんてみんな変さ。それに、誰でも隠し事の1つや2つあるものだろ。だから、あたしは気にしない。こよみはまだわからない部分が多いけど、悪いやつじゃない。あたしもそう思うし、なによりもさとり様が家族に招いた人。だからきっと何かどうしてもいえない理由があるんだと思ってる」
その回答を聞いたルーミアがころころ笑う。
「それもそうだね。私もさっき会ったばっかりだけど、悪い奴ではないって思ってる。でも、気を付けた方が良いと思うよ。私が聞いた限り、外ではあんな惨殺できるはずがないんだから」
それもまた、こよみの謎な部分だった。さとり様の話でも、外の世界はそんなに惨殺など基本的に起きないと聞いていた。なのになぜ、あんなにも普通だったのか。あれだけの命を摘み取っているのにも関わらず、あの時のこよみは何も感じていないようすら見えた。ただ、それに関しては一つ思い当たる節があった。
「きっとそれは、能力のせいだろうね」
「能力?同調するだっけ」
新聞に書いてあったとルーミアが言葉をつづけた。それを聞いた燐は、なら説明の必要はないと本題に入る。
「そう。こよみは外の世界でもその能力を持っていたらしい。そして、外の世界には能力はない。だから、それが普通だと思って常時その能力を使っていたらしい」
「......なるほどね」
ルーミアは何か思う事があったようだがそれを口に出すことはない。ただ、それは恐らく、彼女への同情だ。そして、自らの発言への後悔。心は壊れる。という事は人間よりもはるかに長い時間を生きる妖怪であれば周知の事実だった。そしてその時に必要なのはその理解者。ただ、恐らく、能力の存在しない外の世界に彼女を理解してくれる者は存在しなかった。
「よく生きてたね」
「それに関しては同意見」
再度無言の時間が訪れる。時折、ルーミアが心配そうに燐を見たり、傷は大丈夫かと聞くことはあったが、それ以上の会話はなく、二人は無事に竹林にたどり着き、永遠亭へとたどり着いた。
響く祭囃子と怒号と慟哭。道では狂ったように妖怪たちが血を流し、白い骨が表皮に現れるまで殴り合い、逃げる者を追いかける。いつもはただせせらいでいる川は歪に曲がって動かなくなった妖怪が流れ水は薄い桜色に染まっていた。
「情報収集が先決か」
上空を飛びながら一人の子供を追いかけていた妖怪の足を一本の剣が切断する。そして追われることから解放された子供の前にこよみが降り立つ。背後では足を切断されながらもナメクジのように子供を襲わんと緑色の腕を使い、その妖怪は這ってくる。それをみたこよみは迷いなく、剣を一本手に取り、その頭部に突き刺す。その状態でも剣を抜こうと最初は妖怪はもがいたが、しばらくすると動かなくなる。その最後を見送り、こよみは何事もなかったかのように子供に視線を移す。
「大丈夫か。一つ聞かせてほしい。この音の発生源はわかるか?」
「そうか」
必死に首を振る幼い子供の目には恐怖が宿り、震えている。どこかで転んだのか膝からは血が流れ、着ていた麻の服はところどころ血で染められていた。そして、その見た目は追っていた妖怪とは異なり人間に似ていた。そしてこよみは思考する。助けたい。ただ、この現状を打開しなければこの状況は終わらない。それに避難させられるような安全な場所が無い。だが、守って戦うのではあまりに効率が悪すぎる。いち早く終わらせなければ、俺の目に見えない所で第2第3のこの子が産まれてしまう。しかし、それでも。自分の手の届く範囲は救いたい。それにこの子の風貌と綺麗な黒のストレートの髪は、もう会うことの出来ない妹に少し似ていた。やはり、この子は助けなくてはいけない。俺が、俺であるために。
「わかった。俺に掴まれ。今から地霊殿に連れて行く。安全だとは言い切れないが、此処よりはマシだ」
何度も頷く子供の身体を抱き抱え、きた道を最高速で戻る。眼下で一人の妖怪が狂った者にその体を殴られ、泣き叫んでいる。そして、その妖怪もまた、暴走を始める。地獄のような光景だった。それを見せない様に子供の瞳を手でかくして飛ぶ。そのまま開いたままの窓から地霊殿内部へ。しかし、入ったさとりの部屋は扉が破られている。ここには置いておけない。燐もルーミアもいない今、扉のないこの部屋はあまりに危険すぎる。子供の目を手で隠したままその部屋を抜けて横の部屋へ。廊下にはまださとりのために命を捨てた従者の姿があった。あとで彼らも埋葬しなくてはいけない。だが、今は何よりもこれを解決することが優先だ。扉を開き、子供を下ろし、部屋に誰もいないことを確認する。この部屋はだれにも使われていない様だった。寝台も整えられたままだ。部屋に置かれたタンスにを開いて確認するが、何も入っていなかった。
「いいか。ここにいろ。絶対に出るな」
赤べこのように何度も頷く子供を背に、タンスを動かし扉の前へ。
「よし、俺は窓からしか戻らない。もし誰か入って来たら逃げろ。あいつらはどうやら空を飛ばないらしいから、侵入は基本正面のこのドアからだ。もしもここに奴らが来たらあのタンスが少しは時間を稼いでくれる。此処は2階だ、最悪飛び降りろ」
窓の取手に手をかけて解錠、建て付けのよくできた窓は苦もなく簡単に開いた。開いて縁に脚をかけて外へ向かう。
「あの!」
そんなこよみに背後から子供が声を掛ける。ゆっくりとこよみは振り返り、窓の縁に腰を掛ける。そして、まだ震えている子供はその瞳にしっかりと目の前の少女を映す。
「どした」
「ありがとう。おねーちゃん」
こよみはその言葉に少し笑う。そして窓の縁から降りて子供に近づくとその手で頭を撫でる。
「怖かったよな。絶対解決するから、生き延びろ」
最後に安心させる為に笑い、こよみは今度こそ振り返らず、止められることもなく、窓から外へと飛び出す。至る所から悲鳴と慟哭、そして怒りに満ちた雄たけびが聞こえる。こんな状態でどこから行くかと迷っていると、目線の端で巨大な水柱が突如吹きあがる。
「あそこだな」
もうすでに狂っているかもしれない。だが、そうならそれを止めるしかない。そこいらの妖怪よりもヤバイことは間違いない。それに、もしまだ理性があるなら、協力してもらおう。正直人出が欲しい。あれだけ派手な攻撃が出来るなら戦力面も期待できるだろう。
そんな淡い希望を抱きながら、こよみはその水柱の方へと一気に加速する。