「おいどうした風鳴弦十郎?まだためらいを見せる気か?」
「ッ」
キャロルのその言葉に弦十郎は思考の海から浮上する。
彼の視線の先には息も絶え絶えといった感じの自分の父に当たる風鳴訃堂がいた。
今は戦いの真っ最中。既に風鳴邸での戦いはS.O.N.G.の優勢ムードだった。
先ほどは強い光が遠くで発生して不安になったが。その後部下の通信から響が突如として圧倒的な力を見せつけて、例のオートスコアラーを倒したという報告を受けていた。
彼に残された仕事は首謀者の捕縛。だが彼は捕縛するためにここに来たのではない。
殺すためにこの場所に立っているのだ。
「いまだに躊躇いを見せるのであればオレが代わりに残酷な現実を披露するだけだがな」
キャロルは弦十郎の退路を断っていく。
それは弦十郎が少女たちの逃げ道を絶って戦わせたそれと同じ。
彼女は悲劇の元凶である風鳴の血をここで確実に潰しそして手折る気だった。
響の記憶には洪水のように溢れ出る悲しみとマグマのように煮えたぎる理不尽な世界への怒りが溢れていた。
表面上は隠していても、彼女の記憶を読み取った事のあるキャロルには筒抜けだった。
この世界で誰よりもキャロルは立花響を理解していた。
だからこそ分かる、響には相手を手にかける覚悟は無い。だからこそ彼女が代わりに、これから生まれるであろう災禍の元凶を取り除こうとしている。
響はそんな事を望んでいないと分かっていながらも。
訃堂はその隙を狙って持っていた折られた剣を苦し紛れに無理矢理突き出した。
弦十郎は相手が自分の手で与えたダメージから動きが緩慢なため簡単にかわして拳を振り上げる、そして持っていた剣を相手の手から無理矢理フッ飛ばして得物を奪う。
「くっ…!」
訃堂は短めの苦悶の声をあげる。
弦十郎はその隙を見て右手を伸ばして手刀の形を作って心臓に向かって突き出す。
それを相手は紙一重のタイミングで避けるのだが、躱したのを見て弦十郎は右足を軸にして回し蹴りを叩きつけて容赦なく瓦屋根の上から庭に向かって叩き落とす。
訃堂は何とか空中で体勢を立て直して背中を地面につけるのだけは回避したが、もはやその命は風前の灯火だった。
「っ…!グッ…貴様ァ…!」
「…………」
相手の怒りの視線にも弦十郎は一切動じない。ただひたすら冷めた視線をぶつけ続ける。
そしてじわじわと足を進める、トドメを刺すために。
「司令……」
「…………」
それを見ていた緒川の悲しそうな声色。
弦十郎はしっかりとその声は聞こえていた、そしてそれが意味する事も当然理解は出来ていたのだがそれでも無視をした。
訃堂は何かを察したのか体から力が抜けていた。それは突如として年齢相応に老け込んだかのように見えた。
「く…ふっ…ふはは……」
「何がおかしい?」
命が奪われる直前だというのに笑い始める相手を見て、それまで手を出さなかったキャロルは不快そうな表情で問いかける。
「…この国に必要なもの……それは非常になり……不要なもの…足かせ全てを切り捨てる……護国の鬼…今まで…見つける事が出来なかった…翼は面汚しの失敗作……くははっ…ついに見つけた…」
問いに対して訃堂は楽しくて仕方のないというかのような醜悪な笑みを見せる。
ここにいた全員が何を言っているのかおぼろげながらにそれを理解していた。
要は肉親という本来であれば尊び守るべき存在を、これからの世界には必要ないというだけで切り捨てる事が弦十郎に出来るのであれば、訃堂自身が死んだとしても彼が風鳴訃堂の思想を受け継いだ後継者になるというわけだ。
「…………そうか」
弦十郎はもう憐れみしかないといった表情を作って悲しげに言った。
「ならばアンタを殺して俺も後を追おうか。俺は護国の鬼にはならん。翼や響君…そして皆がこれから生きる世界に風鳴は不要だ」
弦十郎はそう言い切った。
それは口からの出まかせでは決してなく本心から言っているのだとその表情から押して察することが出来た。恐らく実の父を殺害した直後に命を絶つ覚悟だったのだ。
それを聞いて訃堂は相手がハッタリをかましているのではないと察して苦々しい表情を作る。
そしてこれまで頑なに長年にわたって受け継いできて、これからも残そうとした風鳴の血筋と思想が途切れようとしているのを理解した。
だからこそ何としてでも逃げて生き延びなくてはと思ったのだが…
「逃がす気は無い。もうこの屋敷は完全に包囲している、未来君から受け取ったデータから辺り一帯の逃げ道をすべて把握し先んじて潰している」
弦十郎は冷徹に言い放った。
かつての未来は響から風鳴機関本部のデータを盗めないかと言われて、言われるままに盗んだことがある。その際にバルベルデドキュメントの解読途中のデータは流石に無理だったが、風鳴関連の施設のデータの一部を盗むことに成功したのだ。
この作戦を前に秘密裏に渡されていた。
それを聞いてこれまでの訃堂からは考えられない絶望一色といった面持ちになる。
(終わりだな…)
それを見てキャロルは少しだけ重い体が軽くなった気分だった。
神の力は響が抹消を完了した。後は目の前の老人を抹殺するだけだった。それももうすぐ終わる。
やっと終わる。長かった響の旅が終わる。
そんな会話をしている間に弦十郎は実の父親の前に立つ。
構える。指を伸ばして手刀の形にして振り下ろさんとする。
そして振り下ろす、実の父親の頭が割れて血しぶきと脳みそがそこから噴き出す。
―はずだった
何者かが飛び出してきて弦十郎の腕を無理矢理つかんで振り下ろすのを強引に止めてみせたのだ。
「な……」
「……何をしているんですか」
弦十郎の驚いた声に応えたのは響だった。
彼女は本部のオペレーターから、司令が元凶を殺害しようとしていると聞いて、他の装者達を置き去りにするほどのスピードと力を振り絞ってここまで飛び込んできたのだ。
いざ平家の一軒家の敷地内に辿り着くと、今まさに弦十郎が実の父親にトドメの一撃を振り下ろそうとしている場面を目撃して、その間に飛び込んでその腕を握り締めて殺しを止めたというわけだ。
本来の力の差であればただのガングニールでは弦十郎の一撃をこうも完璧には止められないはずなのだが、神の力であるアヌンナキの力が流れる特殊なギアを一時的に纏っている今の響であれば受け止める事は十分に可能だった。
弦十郎は決して慢心しているわけでも自分の強さに対して愉悦に浸っていたわけでも無いのだが、過去の手合わせや稽古からシンフォギアの力は十分理解しており止められるとは思っていなかった。だからこそ目の前で響が明らかに自分よりも強くなっている光景に驚いていた、だからこそ相手の質問にとっさに答えられなかった。
「師匠は何をしようとしていたんですか?」
響が驚いて答えることが出来てない相手に再度質問を投げかける。
そこでやっと彼の意識がここに戻ってくる。
「ッ…!…くっ……」
弦十郎は彼女に射すくめられている事に耐えられないのか腕を強く振って相手から振り切ろうとするのだが、万力によって固定されたそれは逃げる事を許さないと言わんばかりに微塵も力が緩まない。
そのリアクションに響の目は一層厳しいものになっていく。
明確な言葉による回答は無かったがその反応が明らかな回答だった。
「…………」
キャロルはそのやり取りを見て超越者となっている響に対して驚いた表情こそしたが、すぐさま立ち直って腕をスッとあげる。
弦十郎がトドメを刺さないのであれば自分がという事だ。
素早くファウストローブをまとい彼女の背負っているダウルダブラから弦が射出されて訃堂を切り裂き殺そうと地面を切り裂きながら迫っていく。
直撃する寸前、殺す対象だった相手の姿が掻き消えたのだ。
「なにっ…」
その現象が信じられないのか喉から掠れるような感じの声が出る。
瀕死の老人に避けれるような速度の攻撃ではなかったのだ。
「師匠だけじゃない…キャロルちゃんもだよ」
「何だと……」
彼女の背後から響の声が聞こえる。
慌てて後ろを振り返ると弦十郎の腕を掴んだままでもう片方の手で標的だった老人の服を掴んでいた。
考えられるのは響が二人を掴んで、キャロルでも知覚する事が出来ない速度で避けたという事だ。
「キャロルちゃんは何でこんな…」
「お前がこれを望んでいるからだ」
響の問いかけに対して相手は迷うことなく答えた。
「身に覚えがないとは言わせん。お前の記憶は見ている、だから知っている。お前が風鳴機関も風鳴の血筋を最大級に嫌悪している事。何一つとしてツヴァイウイングの事件で説明も謝罪もせずに逃げた事を今の今まで許しておらず怒りの炎が己の身を焦がしかねないほどに憎んでいる事をな」
「…………」
キャロルのその言葉に響は黙り込んでしまう。
相手の言った事は全てその通りだった。響はあの日のライブ会場で受けた仕打ち、そしてそれに伴って起きた迫害を心の底から許せた日は無かった。
それを聞いて弦十郎は二人から視線をそらしてしまう。
決して想像出来なかったわけでは無かった。それでもハッキリと明言される事がここまで心を抉るとは思っていなかったのだ。
「だがお前は復讐をすることが出来ない。オレがしているのはお前が心の片隅に置いている強い理性で押し殺した欲求だ。『加害者を自分と同じ目に遭わせたい』…身に覚えがないとは言わせない」
立花響は優しい人間なのかもしれない。
どんなに理不尽な仕打ちを受けても、どんな無理解に晒されたとしても笑顔で大丈夫だと相手を許し諭そうとし、そして最後には同じ場所で同じ景色を見るために諦めずに突き進んでいく。
だがそれだけが彼女の心の全てではない。光ある所に影がある様に、彼女の心の中に闇が一つもないわけでは無かった。
「…………」
キャロルの言い分に対して響は黙って何かを考え込んでいた。
否定は無かった。仮にそんな事はないと否定したとしても嘘はすぐにバレるため口から安い言葉を発しようとしない。
「……私の記憶を見てその決断をしたなら」
長い沈黙を破って響は口を開く。
その次に何を言うのかその場にいた誰もが耳を傾ける。
「何で復讐に走らないのかも当然知ってるよね」
「…………」
黙らされたのはキャロルだった。
確かに復讐心を持っているのが事実ならば、それを抑える彼女の思いや考えもまたあるのだ。
黙っていた相手はその沈黙を破って口を開く。
「…………生きて何としてでも償う事が一番の罰。死んだり捨て鉢になるのはそいつにとって救いだからか?」
響は過去に戻ってから何度も命を絶とうと、絶ちたいと考えた事はあった。辛い現実を前にして考える事を放棄したくなる機会も山ほどあった。
しかしキャロルが繋いでくれたこの機会を捨てたく無かったのだ。投げ出したく無かったのだ。
何よりも響と戦った人達はどんなに歪んだとしても逃げることだけはしなかった。
そう思うと投げ出す事を恥ずべき事として思ってしまった。
キャロルは響の言葉を聞いて戦意が失せたのか少しだけ肩を落とした。どうやら風鳴訃堂を討ち取るのは諦めた様だった。
「伯父さまっ!」
「オッサン!」
翼とクリスが声をあげる。ここで他の装者達も響に追いついてここに来た。
彼女たちの視界にはキャロルから訃堂を庇うように立ちふさがる響、そして彼女の右手は弦十郎の腕をガッチリとホールドしている。
皆はそれを見ておおよその起きた事を察していた。
前に出たのは翼だった。
「叔父様…素直に償いましょう…私達は…風鳴は…護国などを理由にして逃げていいわけなど無かったんです……私も立花に教えられました…どんなに辛くても…現実を真正面から受け止めてそれでも前に進まなければ……」
翼の脳裏には奏の死んだ悲しい記憶と、励まし合って切磋琢磨した楽しい記憶を想起していた。
それはあの夕日の中で響に教えてもらわなければ、悲しみで全てを覆い隠しかねなかった。嫌な事全てを忘れて振り切ろうとしていたら、きっと天羽奏は翼にとっての悲しみの象徴になってしまっていた。
「オッサン…アタシがこんな風に戦う事になったのは自分のせいだと思ってるんだろうが……アンタいつからそんなに偉そうな奴になったんだ?」
クリスは弦十郎の思っていた事を察して、そして否定した。
それは偶然か、かつて未来が響にスカイタワーで言った事と酷似した内容だった。
「全部アタシが選んだんだ、フィーネに付いたのも、イチイバルまとって戦ったのも自己責任だ。逃げる事も投げ出す事も出来た、でもやらなかった」
後悔した事は山ほどあった。
選択を間違えて伏せってしまった事があった。
何度も自責の念に駆られて心を擦り減らした事もある。
それでもその遠回りな人生があったからこそノーブルレッド達に思いや言葉を通じさせる事が出来たのだ。
これまで体験した挫折は決して無駄ではなかったのだ。
それらは間違いなく雪音クリスを構成する血肉としてしっかりと根付いている。
「俺は……」
弦十郎の覇気を失った声。
響は既に相手の中にある何かが完全に折れたのをその声から察知、そして腕を離した。彼の体から力が抜けて膝をつく。
本当の意味で戦いは終わった。