こそこそと玄関の取っ手に手をかけて扉を開けようとする洸。力を入れて最後の、そして致命的な崩壊を意味する一歩を踏み出そうと―
「お父さん……」
「ッ!」
焦って後ろを振り返るとそこには洸の娘響がいた。
「ひ、響…どうしたんだ?いつもより起きるのが早いな。あ、父さんはなちょっと早めの用事があってだな…」
「嘘。お父さん…帰ってこない気だよね?」
冷汗が流れる。全てを見抜かれている。
「私のせいでお父さん会社で嫌がらせ受けてるって本当?」
「な…ち、違う!響のせいじゃない!」
「嫌がらせを受けているのは本当なんだね…」
響は悲しそうに目を伏せる。知っていたことではあるが改めて口にすると想像以上の重さがある。
語るに落ちるはこの事だろう。こっそり逃げようとした事がバレた動揺に、畳みかけるように会社での肩身の狭さを指摘されてすでに限界だった。
「私お父さんに出て行って欲しくない……ねぇ…お父さんの本音を聞かせてよ……」
未来から戻ってきた偽りだらけの響でもこれだけは絶対の本心だ。
その言葉に顔をクシャクシャにした洸は初めて本音を出す。
「お、俺は……俺はな響、結婚する時にお義父さんとお義母さんに言われたんだよ…娘を託すならどんな時も男として力いっぱい引っ張る太くて揺るがない、大黒柱でないと任せられないって……」
ひびが入ってしまえばあとは流れるように漏れ出す。
「俺…頑張ったんだよ……誰に見られても恥ずかしくない男じゃないといけないって…家族に弱い所なんて見せられないって…かっこいい背中を見せなきゃってさ。仕事も頑張ったんだ…大変だったけどやりがいもあって認めてもらえて…楽しいって思えたんだ…」
語るときの表情からは嘘はみられなかった。特に仕事について語るときはまさに生き甲斐を語っていた。
「で、さ……響が事故にあって不安で苦しかったけど…それで命からがら帰ってきてくれた時は嬉しかった…すごく嬉しかった!でも!会社の取引先のお嬢さんが同じ事故で亡くなってッ!その妬みで取引取り消されてッ!」
ここに来て初めて怒りや憎しみが声色に乗ってくる。
「なんで俺がこんな目に合わないといけないんだよ!響が悪いわけじゃない!誰が悪いわけじゃない…なら!この怒りはどこに持ってけばいいんだ!怖いんだよ昨日手を上げてしまった事が!また同じことを繰り返してしまうかもしれない自分が!」
もう彼の涙腺はせき止める力を失っていた。
「もう十分頑張っただろ…………もう逃げていいだろう……?」
膝を着いて俯き独白を締めくくった。
響はその間ずっと黙って聞いていた。そして―
「……お父さんが辛いなら、私が学校辞めて働いて家族みんなを養うよ。だからさ…出ていかないで欲しい……家族をやめないで欲しい……」
響が装者になれば一家全員を養う事など余裕なのだが、仮にそうでなくても同じことを絶対に言う。今の響にはその自信がある。
そして響は知っている。父が出て行った後の家を襲ったあの喪失感を。もう二度と味わうのは嫌だ。
「響……お前はこんな情けない男でもお父さんって呼んでくれるのか……?」
「当たり前だよ。何があっても親子なんだから……」
すると響の背後から気配が現れる。響の母と祖母だ。
昨日響はもしかしたら父親が出ていくかもしれないと言って朝早く起きてもらい自分と父親の会話を聞いてもらっていたのだ。
「……ごめんなさい……ここまで苦しんでいるとに気が付かなくて……」
この日立花家は学校や仕事をすべてキャンセルして緊急家族会議が開かれ、全員が腹を割って話すことになった。
◎
話し合いは太陽が南中するまで続いている。
「そうか…やっぱり学校でイジメが酷いのか……」
「うん…反撃しないからさ、どんどんエスカレートしてる」
響は初めて家族に教師もグルで排斥されている事やリディアンに進学したい事を話した。いじめを受けている事は家族も何となく予想はしていたが、教師も黙認している事は信じられないといった様子だった。
「………よし!」
洸は何かを覚悟したかのように気合を入れる。そこには投げやり感じも空元気も無かった。
「誰も俺達を知らない場所に引っ越すか!そんで1から頑張ろうか!」
他三人は唖然とした表情をする。響は本当に予想外だったのだ。この土地で頑張るという選択肢ばかり頭にあったからだ。
洸の言葉に全員が乗り気になっている。立ち向かうのは確かに素晴らしい事なのかもしれない。だけれど時には逃げるのも心を守るうえで間違ってはいない。
祖母には家に対する思い入れがあるはずだが否定や反対意見は出なかった。大切なのはきっと家そのものではなく家に住む人たちなのだから。
「あ、響は働かなくていいぞ。子ども一人養えないとかあり得ないからな。お金はお父さんに任せろ。勉強して立派になってくれるのが親孝行だ」
◎
次の日、響は学校に通う。そして洸は職場に行く。しかし二人にもう不安は無い。
引っ越す決意を決めたとしても、はいじゃあ今すぐに家を出ますとはいかない。表面上は黙って耐えているが、裏では引っ越す場所を調べて着々準備を進めていた。
響は学校をやめるにあたって最後の仕上げにかかろうとしていた。それは未来との絶縁だ。未来と縁を切れば彼女がシンフォギアを纏う事も破魔の光を浴びる事も無くなるからだ。
教室に入ると相変わらず自分に突き刺さる白い目、そして自分を出迎える切り傷と落書きの数が増した机。もう何度目か分からない溜息を吐く。
家に対する嫌がらせもエスカレートしているのだが、何が楽しくて彼ら彼女らを駆り立てているのだろうかと響は内心嘆息をする。
そんな彼らとも付き合うのもすぐ終わる、そんな事を考えながら響は着席する。
◎
とうとう引っ越し先を見つける。前の世界でS.O.N.Gの面々と海水浴に行った町に安く借りれる平屋があったのだ。響はそのことを知っていたのでそれとなく家族を誘導していた。
そこは田舎で穏やかな自然のある場所、響自身がトレーニングするには持って来いの土地だった。
洸がその街で転職活動をした結果、倉庫の出荷する積み荷の管理の仕事を任されることになった。一ヶ月の転職活動で再就職を見つけられるあたり、彼の仕事をこなす能力はそれなりにあるらしい。それと仕事を辞めたいと言って即辞められるあたり、前の職場でいかに疎まれ飼殺されていたのかよく分かる。
引っ越し計画が決まるという事は未来に別れを告げるという事だ。
いなくなることを周りに告げるのはあまり賢い選択ではないのだが、未来との関係にはキッチリとケジメを付けなくてはいけない。未来はわざわざ吹聴する人間ではないというあまりにも身勝手かつ一方的な信頼もあるのだが。
そして引っ越しという名の夜逃げ当日。響は未来を公園に呼び出した。
◎
小日向未来は心を痛めていた。誰よりも優しい親友がいわれのない罪で一方的に排斥されている事に。一見、響は何ともないように振舞っているが心を痛めていないわけでは無いのだ。長い付き合いでそれくらいは分かっている。
ある日の夕方、響から突如話したいと連絡が来る。未来は思った、やっと自分に相談してくれるのだと。心に隠したものを出してくれる、自分は辛いんだと苦しいんだと。
僅かに赤い夕陽に染まった公園、空は黒い成分が多く薄闇、風が冷たくなり始めた今日。
未来が公園の入り口に着くともう既に響はそこにいた。約束の時間の30分以上前なのだが響は公園のブランコに乗っている。未来は慌てて携帯を開き時間を確かめるが予定していた時刻に遅刻しているわけではないとホッとする。
(響早すぎだよ……)
未来も早すぎなのだが…
「おーい!響ぃ~っ!」
「ッ!」
出鼻を挫かれ気味だが響に声をかける未来。
ビクッと肩を震わせる。響はその姿を認め、ブランコから降りて軽く手を振って答える。ただ、その顔には緊張の色が微かに含まれている。
未来と対面した響は暫く俯いていたが、意を決したように話を切り出す。
「…………未来に言っとかなきゃいけない事があるんだ」
「言っとかなきゃいけない事……私に…?」
「うん…」
未来はどんな悩みや苦しみも受け止める覚悟でここに来ている。それがあの日ライブに巻き込んでしまった自分の、そして立花響一番の親友であるの自分の精一杯の償いであり、そして愛なのだから。
ただ、「相談」ではなく「言っとかなきゃいけない事」という言葉のチョイスに何か表現する事の出来ない不安を感じる。
「私、今日引っ越す事になったんだ」
「……ぇ…………?」
―何ソレ?私はソンナの聞いてナイょ…
「ぁ、ぇ…ひ、引っ越し……?そ、れって…こ、この町からいなくなっちゃう……?」
「そうだよ、その引っ越し」
未来の混乱など想定内なのか、あっさりと返事をする響。
「そ、れって…イジメが酷いから出ていくって……?」
「それもあるね、あとお父さんが職場で不当な扱いを受けてるんだ。だから私たちの事を誰も知らない土地で再スタートを切ろうって事になったんだ。もう住む場所もお父さんの再就職先も決まってる」
未来がショックを受けたのは引っ越すという事実だけではない。
住む場所と父親の再就職先がもう既に決まっている。つまりかなり前から計画されていたという点で、何一つとして相談されなかったという事。知った時にはもう全てが終わっていたのだ。
未来の体が小さく震える。
「な…んで、何でっ相談してくれなかったの!?辛いって苦しいって!私も苦しかったんだよ!私のせいで響はライブに巻き込まれてっ!でも私は安全な場所にいて!何一つとして償う事が出来なくてっ!私はぁっ…私達はっ…親友じゃないっ!何でぇ……」
未来の独白、最後の方は涙声だった。そして彼女の苦しみを響は理解できていた。
最後の仕上げ、響は破滅の未来を回避するため残酷な言葉を放つ。
「そうだよ、未来のせいだよ。未来がライブに誘いさえしなければ私はこんな目に遭わなかったのに。未来なんか大嫌いだよ」
「ぅ…ぁ……」
響の自身が想定していた以上に冷たい声音が出る。
未来の瞳が絶望に染まっていく。彼女自身、響にその叱責を受ける事を望んではいたが、彼女が想定していた以上の痛みが今襲っている。
「まぁ、もう顔を合わせる事は無いよ。さよなら、もう会いたくないな……」
響は歩き出す、未来の横を通り抜け公園の外に出る。その間未来は呆然とそして身じろぎ一つしなかった。
最初は歩いていたが自然と足が速くなる。気が付くと走り出している。
「…う……ぁ…………」
喉から声が漏れ出す。堪えろ堪えろと念じるが止める事が出来ない。
響は心が強くなったのではない、強くなったと思いこむ事で心の壁を補強しているだけなのだ。
「うわあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
その叫びは涙交じり。住宅街のど真ん中で他人の迷惑など考えず響は泣き叫んだ。
次の日、立花家はもぬけの殻になっていた。
そして立花響という少女がいた事は日を追うごとに忘れ去られていった。
◎
「響大丈夫か?緊張してないか?あ!受験票は―」
「いや大丈夫だから!準備万端だからさ!」
父の言葉に対しキャリーバッグ片手に答える響。
時は流れ響のリディアンの受験前日になっていた。新居から受験会場は遠いので大事を取って前日からホテルを取る事になったのだ。
「響、受験に遅刻だけはしないようにね」
「すべて出し切ってきなさい」
「しないよ遅刻なんて!おばあちゃんありがとう!」
母と祖母も激励をする。
一年以上までは考えられなかった。つつましくも暖かい家庭がここにはある。響は嬉しくて幸せで頬が緩む。
父、洸はその後仕事の腕を認められ現場のチーフマネージャを任されるまでになった。簡単に言うと荷物管理の現場の正社員とパート社員のシフト調整と、人材の育成に努めている。前と違い家に帰ると時々愚痴るようになったが、言葉の中にやりがいを感じさせるようになっていた。
母と祖母もパートと近所付き合いの両立をこなしていた。
そして響自身も学生2度目とあって効率のいい勉強法や前の世界の記憶と照らし合わせて優秀な成績を残していた。だからリディアンに受かる分には、試験当日に40度の熱でも出さない限り問題ない学力レベルになっている。そもそも前の世界でも受かっているので大体の出題範囲も把握しているのだが。
あの日、本音をぶつけて出した決断は間違っていなかったのだ。
◎
目的地に到着すると懐かしい景色が視界に飛び込んでくる。前の世界でフィーネが起こした事件で半壊した街並み。短い間しか住んでいなかったが響は確かに覚えている。
(私はここに帰ってきた……)
ここに来たらまず最初に響がやる事は決まっている。それはッ!
「お好み焼き食べるぞおおおおお!」
かつて未来やリディアンで出来た友人たちと何度か食べに行った駅前にあるお好み焼き屋フラワーに突撃する。
「失礼しまーす…」
「はい、いらっしゃいませー」
見覚えのある女性が挨拶をくれる。それだけでもう涙が出そうになるのだが、泣くと不審者なので堪える。
「お好み焼き…えっと関西風で」
「はいわかりました」
少し待つとお好み焼きが前に出される。箸とヘラを使って食べていく。懐かしい味、ソースにマッチした生地が響の舌を楽しませる。
「んん~っ!やっぱりおいしぃーっ!」
「あら?お客さん…前にもこの店に来た事が?もしかしたら私忘れて…」
「あっ!いや、と、友達がっ!友達がこのお店のお好み焼きは凄く、すごーく美味しいから一度足を運ぶ価値ありって!」
「あらほんと?それは嬉しいわね」
友達、響は自分が発したその言葉に胸がぎゅっと締め付けられたが堪える。
「見慣れない制服だけどここにはもしかして受験に?」
「はい、そうなんです。私、明日リディアンの入試を受けるんです。受かる予定なんで次来たときはお得意様割引お願いしまーす!」
響は軽口を叩く、そして食べおえて満足した後、今日泊まるホテルに向かう。
◎
受験当日、響は睡眠時間管理も勉強の詰め込みも含めてベストコンディションで会場に向かう。正直に言って落ちる気はしなかった。
試験開始10分前に校門前に着く。既に受験生達の姿は疎らになっている。当たり前だが試験開始直前のこのタイミングで会場のしかも校門前に来る奴などいない。普通であれば今頃試験用の教室の机で問題集と睨めっこしている。高校受験という一発勝負で殆ど訪れた事の無い土地と場所でギリギリの行動を取る人間はまずいない、当然大事を取ったスケジュール管理をする。
響は何度も壊される前のリディアンに通ったことがあるので試験教室の位置とその最短ルートを把握しているのでその手のプレッシャーを感じない。
「いや~懐かしのリディアン」
「うわあああっ!遅刻遅刻だし―っ!」
「うおっ!」
ドン!っと響の背に誰かがぶつかり倒れこむ。
「ご、ごめんなさい!」
「い、いや気にしてないんで…………」
「ってうわあああっ!鞄の中身がっ!」
響は一瞬停止してしまう。自分にぶつかった相手が板場弓美だからだ。鞄の中身をぶちまける、つまり口をちゃんと閉じてなかったという事だ、相手が相当焦っているのが伝わる。
(いや、そんな偶然ってあるの?)
心の中でボヤキながらも物を拾うのを手伝う。すると手に取ったのは彼女の受験票。そこに記載された内容は自分と同じ教室だという事。
(知らなかった……)
前の世界では受験の事で頭がいっぱいいっぱいで周りの人達など頭に入ってなかった。当時考えていた事は未来と違う教室かーとかだ。
「良かったらその、一緒に教室まで行きませんか?一緒の教室みたいだし……」
「えっ?ありがたいけど……試験場所分かるの?」
「えっとまぁ何とか……あっ遅刻しちゃうよ!」
響はそう言うと弓美の手を取り最短距離で試験教室まで走り抜ける。
◎
「んんーっ…はぁ……」
筆記試験と実技試験(歌唱力検査)を終えて伸びをする響。自分でも気が付かないうちに緊張していたらしい。
もうすっかり辺りはうす暗くなっていた。
ちなみに実技試験の会場の音楽室では端っこに何かしらの機械がおかれていた。響の予想では聖遺物との適合値や生み出すフォニックゲインを測定するものだと考えている。
テストの合間時間や休憩時間中ずっと未来の影を探している自分がいて反吐が出る気持ちを味わいながらも試験をやりきる。
「おーい!立花さーん!」
自分を呼ぶ声が聞こえる。試験官を除けばこの場で響の名前を呼ぶのは一人だけだ。彼女は声の方向へ振り向く。
「板場さん」
「今日はありがとうね。おかげで緊張ほぐれちゃった」
「いえいえ私も昼食の時に話し相手がいてすごく心強かったよ」
まだやり取りが若干だが固い。当たり前だが今日が初対面なので仕方ない。そのことに若干の寂しさと孤独を感じながらも響は会話を続ける。
帰り道がお互い駅方面なので一緒に向かう。キャリーケースを置いたままにしている借りたホテルは駅の近くなので問題無い。
お互いに取り留めのない、それこそ一時間も経てば内容の殆どを忘れてしまうようなそんな気軽な会話。
「やっぱり立花さんはツヴァイウィングに憧れた口?」
「え…あ、まぁそんな感じだよ~板場さんは?」
「私はさー大好きなアニソンってのを理解するためにあの学校に通いたいんだよね」
「そっか」
響はそれを知っているが知らないふりをして相槌を打つ。文化祭での出し物を見たら彼女の覚悟や強い思いは分かる。
するとじーっと響を見つめる弓美。響は居心地が悪くなり問いかける。
「な、何かな?」
「いやさ…私がこの目標を口にするとさーみんな鼻で笑ったりしてまともに取り合ってくれないんだよね。でも立花さんはそんな事ないというか……」
「あはは、バカにするわけないよ。あ、私荷物この近くのホテルに置いてるからここで」
「あ、そうなの。今日はありがとね。一緒に受かってるといいよね」
「じゃあお互いに受かってる事を願って『またね』でね?」
「うんまたね!」
二人はここで別れる。響は久しぶりに気兼ねの無い会話でリラックスする事が出来た。
その後、ホテルに預けていた荷物を回収して帰路の途につく。
後日ホームページで掲載されている合格者番号では響と弓美の番号が確認する事が出来、二人とも受かっていた。
◎
2043年3月末、立花響旅立ちの日。リディアンでの高校生活が始まるのである。
家族と向き合った。毎日体も鍛えた。勉強も欠かさず毎日した。そして未来に対して許されない言葉を吐いた。約1年半の準備期間は決して無駄にしなかった。
ここから響の命がけの戦いが始まるのだ。