悟が魔力に目覚めてから約一年、二年生になってから二ヶ月、後輩にルナとアルテミスとゆーあだ名を強いてからだいたい一月半。
皆の弟分――天上天下唯我独尊三歳児様が海老のよーに反り上がって床を転がってた。
「めぐくんもガーくんほしいぃぃぃぃぃ!」
「今度ママとわんわん見に行こうか。動物園には動物さんがたくさんいるんだよ。わんわんもにゃーにゃーもいるよー」
「やだぁぁぁぁガーくんがいいぃぃぃぃガーくんじゃなきゃやなのぉぉぉぉ!!」
ママの代替案は却下された。恵くんは自分もしゃべる犬の石像が欲しくてたまらないんだと全身でアピールしてる。
ああ罪深きはアニメ――キラキラとした非現実的な夢を振り撒く諸悪の根元。わんわん泣きながら床を転がり回るちびっ子はもう三歳と半年になるのに幼稚園にも保育園にも通えてないのだ……麓の保育園が遠すぎるのと、なんとママが妊娠しちゃって送り迎えが難しいのとで恵くんは自宅待機。
同年代の友達がほしいだろうに、めぐくんの回りには年上のお兄さんやらお姉さんやらしかいない。可哀想に思った兄貴分は――とある人に電話した。
「なあ師匠、めぐくんに友達用意してやりたいんだけど……」
そして届いた……届いたとゆーか、突如甚爾の部屋に飛ばされてきたのは双子の幼女。一人は呪力が小指の先レベル、もう一人は多少あるけどそれでも少ない――ぜんいんマキちゃんとマイちゃんとゆー名前らしい。お年は四歳。
顔の雰囲気が禪院だし、名字もぜんいん。誰の娘かは知らないけど恵の従姉か又従姉あたりだろう。マキちゃんが持ってたお手紙には「活きが良いのを見つけたので送ります。恵のお友だちにいいんじゃないかな? リタより」と書かれてて、甚爾はそれを握り潰した。
児童誘拐は犯罪です。
甚爾が禪院に電話するのは二十年ぶりかそこら。血
「俺の姪かそこらだろ、マキちゃんとマイちゃんって子。その子たちが『山』の人の気まぐれでウチに飛ばされてきてな。俺はそっちに行く気ねえから、迎え寄越してくれや」
そして次に犯人へ電話をかける。
「おいババアふざけんな児童誘拐は犯罪だってテレビで勉強しなかったのか? あの二人は禪院に帰らせることになったからな」
『え、帰らせちゃうの? いい友達になると思ったのに』
「俺は合法的に友達を作らせたいの、分かる!? イリーガルなオトモダチとかはお呼びじゃないの!」
禪院からの迎えが着くまで、マイとマキを伏黒家の部屋で世話することになった。原因の一端を担った悟は幼児の監督員とゆー無給の任務に就き、夏油と家入も自薦で監督員に就いた。見てるだけを監督員と言っていいなら、だけども。
「こうして小さい子を見てると幼稚園の先生も良いなと思えてくるね」
「あはは、高専に通ってる意味ないじゃん。でもちっちゃい子って可愛いよね」
真剣な表情の夏油にケラケラ笑う家入。
「お前らさ、俺がおもちゃにされてんの見ながらよくそんな事言えるよね」
「そりゃ他人事だし」
「頑張れ悟。君も小さい頃はお馬さんごっこしただろ? 大人は子供の馬になるものなんだ」
「え……こんなんしたっけ……?」
悟くんの寂しい幼少期について追及するのは控えた。二人は、一般家庭出身の夏油くんと一般家庭ではないけどそれに近いおうちで育った家入には想像もつかない子供時代を送ったのだろう悟の心の傷をあえて掘り返すことはしなかった。御三家の跡継ぎだもん、そりゃ普通じゃない育てられ方してるだろう。
実際は小学校に上がる頃から『山』で饅頭やらなんやらを食べながらゲームをしてアニメを見て漫画やラノベを読んでたエリートオタクなんだけど、二人はそんなこと知らない。
ちなみに悟がお馬さんごっこを知ったコンテンツは漫画だ。
「サトル号よそ見しない! ほら右! 右行って!」
「へへ~」
「へへーとちゃう、お馬さんはひひーんって鳴くもんや! サトル号しっかりしぃ」
「ひひーん」
未来の自分が青ざめるだろう傍若無人を五条家の跡取りに命じ、生意気そうな顔のマキちゃんとマイちゃんは無知を、もとい鞭を振るった。でも幼女だから許される――だって幼女だもん。
そして恵はとゆーと。
「マキちゃんとマイちゃんがぁ、ぼくのざどー兄ぢゃーどっだぁ」
「取られてないよ、お兄ちゃんはちゃんとめぐくんのお兄ちゃんだからね」
「そうだよ、さとるお兄ちゃんはめぐくんが大好きだよ」
「どっっだのっっ!!」
「大丈夫なんだけどなぁ~?」
誰より自分が優先されてきた恵はいま、悟が取られたことに不満爆発で顔をどろどろにして泣いている。ママと夏油たちが宥めても全く泣き止まないし、泣きすぎて上手く呼吸できてない。
残念ながらリタの作戦は失敗だ、友達じゃなくて敵ができてしまった。
翌日の昼、二人を連れ帰るため迎えが来たけど、我の強い幼女たちはヤダヤダと暴れるわ悟の長い脚にしがみつくわ「サトル号と一緒にいるー!」と馬名を叫ぶわで校舎正面出入り口の前は混沌と化した。
二人は屈強な男もとい戸愚呂仮面が抱えて車に乗せるまで暴れ倒し、車の後部ガラスに貼り付いた二人に悟たちは大きく手を振る。
「嵐のようだったね」
恵の相手しかしてないくせに夏油がしみじみと呟いた。恵の相手しかしてないくせに。
「子供のテンションヤバいわー。小さいのに音量だけは大人以上じゃん」
家入は夏油の言葉に頷いて、女の子二人の音量の凄さを思い返す。あのちびっ子たちはそこらへんの小型スピーカーに負けず劣らず声がデカかった。二人いたから余計に凄かった。
「俺は耳の近くでその大音量だったからね? 疲れて寝転がったら耳元で『起きろサトル!』って大声出された俺の気持ち分かる?……この二日であの二人に比べりゃめぐくんは大人しい方なんだって学んだよ」
――そこに残念なお知らせ。甚爾に怒られて大人しくなるならそれはリタではない別の誰かだ。
二人が京都に連れ戻された数日後、『山』から東京呪術高専・伏黒甚爾あての宅急便で送られてきたのは……犬の形をした別のなにかだった。
昼休み甚爾の城もとい体術教官室に呼び出された悟は、段ボール箱の中をちらりと確認してすぐ蓋を閉めた。真顔だ。
「見たな?……先に質問したい。恵の友達云々について師匠には何て言ったんだ?」
「友達を用意してやりたいって言った。あとは……吉永さんちのアニメを見て、恵が『ガーくんほしい』って泣いたことも言った覚えがある」
甚爾は呪力や呪術には明るくないけど、魔力や魔術に関しては一人前の魔道師だ。高い才能、芳醇な魔力、真剣に積み重ねた努力のお陰で、魔術の精度に関してはリタから絶賛されるほどだ。
呪術師の階級分けを当てはめるなら特級魔道師と言える甚爾は――送られてきた「犬の姿をしているなにか」が何なのか、一目で分かってしまった。そして「それ」の声を聞いて確信した。
あの
送られてきたデカい段ボール箱の中には、ふわふわの黒く輝く毛並みは頭部がおかっぱ、糸目、とぼけた表情の――ぬいぐるみがぎゅうぎゅうに押し込まれていた。サイズは超大型犬サイズ、犬種は分からない。
それが耳慣れた声で「こんにちは」とか言ったのだ。そんなの誰だってびびる。
「あの女に常識というものが欠けてるってことはお前も知ってるだろ。こんなことが起きないように、これからはあいつに相談する前に俺に相談しろ」
「そうする……」
もうガムテープは剥がしちゃったし、目的地に到着してるわけだからゼロスが外に出るのを阻むものはない。はぁどっこいしょと段ボール箱から出て来ると後ろ足で首の辺りを掻いた。犬らしい仕草だけど、ぬいぐるみだから違和感が大きい。
「リタ様の命令で恵さんのお友だちになりに来ました」
「帰れ」
「帰ってくれる?」
いやぁここらへんは負の感情が溢れ返っていて良いですねぇだの、来た甲斐がありましただの、空気が美味しいですだの、ゼロスは帰宅を促す二人を無視してピスピスと鼻を動かす。器用だ。
「おや、僕を帰らせてしまって良いんですか? 君たち二人では対処できないことも、僕がいればどうにかなる……と自負しているつもりですが」
どちらかとゆーと怖い顔した犬がニンマリと笑う。ぬいぐるみなのにどーやってんだろーか。
「何が起きるってんだよ」
甚爾が唸る。
「貴方たちもご存じの――かの小説を引用すれば『L様』と呼ばれているお方。あの方は恵さんを目にかけていらっしゃるご様子ですから……うんちが不快だ、お腹が空いたと言って泣くのならまだしも、人に傷つけられただの誰それが嫌いだだのという強い感情を持たれると」
犬は飄々とした顔で、一拍おいてから言葉を継いだ。
「お気に入りの子供が傷つけられたから、なんて理由で周囲一体に――そうですねぇ、分かりやすく言えば無差別型重破斬が吹き荒れます。僕はそれを防ぎに来たんですよ」
「ようこそゼロスありがとうババア愛してる!」
「今日の放課後にでも高級ジャーキー買ってくるわ」
「残念なことにこの体には食べる口がないんですよね」
ゼロスのガワ――ワンちゃんのぬいぐるみはキーホルダーサイズに縮むこともできるそーな。ゼロスが恵や恵の周囲の負の感情を食べ……もとい減らし、満たされた人生を過ごさせることでL様降臨を防ぐ。そのために取った手段が
どうせならノーマッドが欲しかったのに。皮肉屋で一言多いけどゼロス犬よりマシだ。
――負の感情を吸収するなら甚爾のグローブやトンファーもあるとはいえ、恵が一人で外出する時などにトンファーを持たせるわけにもいかないし、幼い子供に持ち歩かせるようなものじゃない。ワンちゃんキーホルダーならどこでもいっしょ、めぐくんのトロはゼロス犬。ゼロス犬を後ろから見るとなんかデカいゴキブリっぽく見えるけどまあ、前から見ればちゃんと犬に見えるから問題ないことにした。
午後の仕事も終わり、デカいぬいぐるみを抱えて部屋に帰った甚爾を見た恵は、ボールみたく跳ね回って喜んだ。
伏黒家のお母様は三時半から学生の夕飯の用意を始め、その時には恵を学生寮に連れてってたんだ……が、大きくなりだしたお腹を抱えながらどんどん姑息になっていく恵の相手をしつつ料理するのは大変だとゆーことで甚爾が時短勤務を上に押し込んだ。甚爾の上がりは三時二十分、伏黒家のママと交代でパパ業ができる。非常勤ですんでほら、どうとでもなるっしょ? 時短勤務してる間は給料下げていいからさぁ。
甚爾の貯金の額を考えれば多少の減給なんて屁でもない。もし駄目だと言われたらフリーランスに戻ってもいいし。
良かったことに時短勤務許可は円滑に通り、月収は減ったとはいえ我が子と昼間から
しかし――「ガーくんだぁ!」と歓声を上げてゼロス犬に抱きつき頬擦りする息子を甚爾はどんな顔で見守ればいいのか……。中身がゼロスってだけでもう全く可愛く見えない。
「ガーくん」
「はーい」
「ガーくん」
「なんでしょう」
「ガーくんっ」
「はいはい」
「ガーくん」
「はぁどっこい」
「ガーくん!」
「チョコラ◯タンにへんてこUF◯」
「返事するの疲れたのは分かるけど絵描き歌はやめろ」
繊細なめぐくんはあれを見たとき泣いたのだ。歌うときは覚悟を決めろ、このお父さんが容赦せん。
さんざん名前を呼ぶだけ呼び続けて満足した――と思われる恵が甘食に興味を移したあと、ゼロス犬がとことこと甚爾の足元に来た。
「ところで甚爾さん。吉ガーは深夜アニメですけど、夜はきちんと寝ているんですか?」
「ああ心配すんな、夜はちゃんと寝てる。録画したのを夕飯前に見てんだよ」
それは良かった、と艶光りするゴキブ、ゼロス犬が大きく頷く。
「こっちこそ聞きたいんだがよ、これからあんたが恵とずっと一緒ならリタの飯はどうなる? あんたが作ってたろ」
そーなのだ。甚爾はリタが料理してるところなんて一度として見たことがない。もしや料理ができないのでは……?
「いや~やだなぁ、リタ様は料理できますよ。面倒だからやらないだけで」
「それはそれでどうかと思うが」
「それに最近はどんどん家電が便利になりまして。電気圧力釜は素晴らしい発明ですよ! 近頃はボタンでメニュー番号を選べば自動で料理をしてくれますからね」
「あー、広告で見た覚えがあるわ。確かにあれ便利そうだよな」
伏黒家に電気圧力釜はない。でも学生寮の調理室にデカい圧力鍋があり、それで作るおでんは本当に美味しい。圧力鍋を発明した人は凄い! 偉い! これこそ時短!
「お忘れですか? リタ様は趣味で食事を取っておられるだけで、我々の主食は人間の負の感情です。食事の心配は必要ありませんし、しばらく独り暮らしする程度で人恋しくなるような殊勝な性格の方ではありません」
「確かに……!」
本人が食い道楽で御三家に食料を献上させてるから忘れがちだけど、リタは元人間の魔族(?)。モノを食べなくても生きていけるとゆーか――人間の負の感情を食べてればそれでオールオッケーな存在だ。食事の用意なんて気が向いたときだけでいい。
ドラマやアニメを見たり漫画やラノベを読んだりと時間を潰す方法をいくつも持ってるリタが「あーんゼロスがいなくて寂しい~!」なんてゆーワケがない。日がな一日ゲームして過ごしてるかも。
「まあそれなら良いけどよ……」
そして盆休み。帰省した甚爾を待っていたのは――『山』の一角に作られた簡素なバーベキュー場で肉を焼くリタだった。誰が見ても独り暮らしを楽しんでるとゆーだろー満喫具合。
キャンプ用品は日進月歩ね、なんて真面目な顔で語るリタはもはやいっぱしのキャンパー。薫製にもハマったらしい。
「出来立てのスモークチーズの美味しさをあんたたちに教えてあげるわ!」
「いやっやめて! 既製品食べたら物足りなく感じる体にされちゃう!」
甚爾の周囲は平和だった。甚爾は笑って過ごせていた。けど高専で悟たちに持ち込まれる依頼はどんどん酷くなって、どんどん強い相手や質の悪いものが増えていく。翌2007年、悟たちが三年になる冬。悟たちは夜蛾から任務を命じられた。
次の天元様になる少女の護衛と――
恵に弟か妹ができそう。
追記
ちょっとまて。2018年が原作でその10年前に離反でその前の年に天元なら2007ね……
あっ()
というわけで最後の部分修正しました。