禪院甚爾に魔力はない――とゆーか、この地球に生まれた人間は誰も魔力なんて持ってない。妖精の国とか呼ばれてるヨーロッパの島国でだって「妖精ぱわー」と思われてたのは呪力だし、魔女狩りでバンバン殺された不思議な力を持つ方々は呪術使いだったり無力な一般人だったりした。
魔力なんてものは非術師の想像で妄想なのだ。こと、彼女と彼女の使徒を除いては。
京都市の外れに、非術師の目から隠された山がある。そこには自称異世界の魔王リタ・ギニョレスクなる赤毛に赤眼の女と、その従者で魔族の神官ゼロスとゆー糸目の男だけが暮らしている。
――甚爾が山に暮らす女の存在を知ったのは、屋敷の者達が「リタ様への来月の供物は」とかなんとか話しているのを床下から聞いたから。リタ様って何だそりゃ、供物ってどーゆーことだ? 一度疑問に思ったら一から十まで知りたくなるのが道理ってやつなのよね。呪力を全く持たない見捨てられっ子の立場をおおいに利用して「山」の女の噂を集めた。
いわく、女は負の感情を主食としている。
いわく、女の住む山には呪霊がおらず、この世で一番清浄な土地。
いわく、女は和牛が好き。
いわく、女は平安時代から日本にいる。
いわく、女は魔王である。
いわく、御三家が半月ごとに供物を捧げているから日本は守られている。
いわく、いわく、いわく……。
眉唾な話からどうでもいい話まで色々あった。
家を抜け出しても、甚爾は呪力がないから誰にもバレない。一ヶ月半ごとに回ってくるとゆー「魔王に供物を捧げる」儀式に向かう糞親父もとい当主たちの後をつけて辿り着いた先は、空白だった。
甚爾は呪力を持ってないから呪霊が見えない。見えないけど気配を感じられるし、呪霊の臭いなんだろう吐瀉物のよーな臭いも嗅ぎとれる。
なのに、この山には呪霊の気配も臭いもなかった。ただ山の匂いしかしなくて、逆に頭が混乱した。この世で一番清浄な土地とゆー、家で聞いた噂は本当のことだったのか?
山の中腹まで当主たちをつけて行ったけど、着古した作務衣を土で汚しながら、転がり落ちるよーに山を下った。変な場所だ、きしょくわりー。上まで行くなんてムリムリ。
――甚爾が八歳になった夏のことだった。
山土が作務衣についていたことで家を抜け出したのがバレ、折檻を受けたのはもう四ヶ月半も前。朝晩の冷え込みが厳しくなってきたけど甚爾の服は夏と変わらずTシャツに作務衣。
なにせ甚爾は一族から見捨てられてるよーな立場だ、夏の服と冬の服をそれぞれ用意してもらえることはない。七分丈の裾からにょっきりと手足を出して、甚爾はまたこっそり家を飛び出した。
甚爾はまたあの山に行こうと決めていた。なんでかって、今月禪院が「魔王様」に捧げた供物が松阪牛一頭分と聞いたからだ。魔王だとかなんだとか知らないけど、たった二人しかいないのに牛一頭をそう楽々食べきるはずもない――甚爾は「呪霊が全くいない」ことに対して感じていた気色の悪さより、噂に聞く松阪牛を味わいたいという気持ちを、食欲を優先した。
山を登るあいだ、そこかしこに小さな気配があることに気づいた。獣じゃない――なにしろ気配が空を飛び回ってる。でも呪霊じゃない――鼻の奥をつつくような不快な臭いがしないのだ。
あちこちで小さな声がくすくすと笑っているような気配がする。馬鹿にしたような笑いじゃないのはすぐ分かる。だって気配の奴らは甚爾を見てるわけじゃなくて、ただ単に楽しいから笑ってるだけだ。
不快じゃないけど、変な気分だ。
山を登っていく。砂利を敷いて整備された、緩やかな傾斜を持つ階段は比較的まっすぐ山頂を目指している。
山頂に屋敷が建っているのが見えた。住み心地が良さそうな立派な屋敷に綺麗な庭――噂の魔王様とその使徒の住処で間違いない。
京都の冬は寒い。なんてったって盆地、夏暑くて冬寒いってゆー糞みたいな地形だから寒暖の差が激しいったらない。山登りでちょっとは体が温もったとはいえ鼻の頭と耳を寒さで真っ赤。
よっこら山を登りきった屋敷の縁側に、オカッパ糸目でいかにも不審そーな感じの男がいた。あいつがきっと使徒ってやつだ。
で、姿は見えないけど、気配とゆーか雰囲気とゆーか、一枚隔てた向こう側にもう一人いる。場所は男の隣だ。甚爾はまっすぐその気配を見つめた。
「なあ、あんたがこの神域のカミサマってやつ?」
甚爾は捕獲されて――そして、胸に赤い石を植え付けられた。
「チビはまだこれからが成長期。ってゆーことはつまり、いまのうちってことよ」
作務衣とシャツをすり抜けて胸の真ん中に植えられた赤い石は魔王いわく「魔法の種」らしい。
「分かりやすくゆーなら、あたしやゼロスはララァ・スン。あんたはフォウ・ムラサメとかそのあたり。魔力をもって生まれてなくったってホラ、ちょちょいと改造しちゃえば魔力持ちに出来るのよ」
「ララァ・スン……? 知らねーな。フォウ・ムラサメも誰のことだよ」
「嘘でしょあんた、アニメ見ないの?」
小学生として不健全よとまで言い出す魔王に甚爾も困惑する。小学生として不健全? つーかアニメって何なんだ。
「その胸の種が肌に溶けて消えたらまたここにいらっしゃい。魔法を教えてあげるわ――ゼロスが」
「えっ!? 僕!?」
肉食いたいと言ったからか分厚いステーキを食べさせてもらって山を降りた。
胸の石が消えるまで一年かかった。でもなかなか小さくならない胸の石に焦れたのは始めの二ヶ月だけで、三ヶ月目に入った頃からは新しい発見や出会いがたくさんあって焦れる暇がなかった。
正月を迎える前、家のやつが庭の落ち葉や枝を集めて焚き火をしていた。そいつは甚爾を見るや「汚いものを見てしまった」と言わんばかりに顔をしかめてきたけど、甚爾はそいつのことなんて全く気にならなかった。焚き火からキャラキャラと笑い声が響いていて――昼間の幼稚園みたいな大騒ぎだったからだ。
声の持ち主が――彼らが四大精霊なんだとか、山で甚爾が気付いた気配は彼らのものだったこととか、彼らは魔王や魔王の使徒にくっついて異世界からやって来たんだとか、この世界の人間で彼らを認識できてるのは甚爾一人だけだとか、そーゆー話を色々と聞いた。
――つまり、甚爾のことを無能だなんだとぐちゃぐちゃ煩い禪院家の奴らは誰も、どこにでも宿っている精霊たちに気づけてないのだ。甚爾の心はゴムボールよりも元気良く跳ね回った。
精霊の姿は逆立ちしたって見えやしない。けど、声は聞こえる。雨が降れば水の精霊が喜び、沸いた湯には火と風の精霊の気配が残っていて、土の精霊はピカピカの泥団子の作り方を教えてくれた。
放置されてきた甚爾には彼らが先生だった。枯れ枝の中にも水があること、火を燃やせば上向きの風が起こること、土を高温で熱したら溶けて、それをマグマと呼ぶこと。屋敷の外では小学校なんて名前の施設があって、そこでは甚爾と同じ年の子達が毎日集まって勉強してること。
そんな風に過ごしているうちに胸にはまっていた石が完全に溶けて消え、甚爾はまた魔王の山を登った。
「おい魔王! 俺を弟子にしろ!」
そーして甚爾は魔王の弟子になった。禪院の屋敷に戻らず、山から毎日小学校に通って、山に戻ったら魔王と一緒に黄金の鎧を身に付けた星座の守護者っぽい奴らが戦うアニメとか、龍の玉を集めるアニメとか、魔王が録画していたロボットアニメを見た。
技名を叫んで戦うキャラクターが格好いいのを知った。自分も必殺技で叫んでみたい。
「あのね甚爾。より強力な技を繰り出すには呪文が必須なのよ」
「ああ。かめはめ波の威力をでかくするにはタメが要る、みたいなやつだろ」
「そうそう、そんな感じよ。でもつまり、逆に考えれば『呪文ありの魔法は威力がヤバい』ってことでもあるの」
長い呪文を要する魔法はまだ早いと言われ、甚爾はしかたねーなと頷いた。従兄やら叔父やらなんやら……力に溺れて自滅したなんて馬鹿な身内の例は多い。身内とゆーとある程度関わり合いがあったよーに聞こえるが、甚爾は放置されっ子だから交流なんてもんは全然なかった――あちらさんが絡んでくることは何度もあったけど。
呪力がある、術式があるってんで甚爾を罵倒したり蹴ってきたりなんだりした奴らが未完成な術を使って自滅したとかなんとかとゆー話を聞く度に甚爾はゲラゲラ笑った。あんだけ大口叩いてたくせにかっこわりー、みっともねー。
魔王が「まだ早い」「まだ甚爾には出来ない」とゆーなら、そーゆーだけの理由がある。だって魔王はあの馬鹿な身内と違って力に溺れてないし、自分より弱いと見たやつ相手に力を振りかざしたりもしない――魔王の言葉なら、従っておいて間違いないと甚爾は確信していた。
甚爾は身をわきまえている……自滅した馬鹿を何人も見て嘲笑ってきた甚爾だもの、同じ穴の狢にはならない。なりたくない。
だから甚爾は良い生徒だった。
ある日、魔王が何かの装置をテレビに繋げていた。魔王の行動はだいたい面白いから甚爾はわくわくとしながらそれを手伝った。九歳児の手には大きい有線マイクが二つ。
「なあ魔王、これなんなんだ?」
「カラオケの機械よ。せっかく技の名前を叫ぶのにカスッカスの声じゃみっともないでしょ? 喉を鍛えなさい喉を」
「へー」
アニメの次はカラオケ。空っぽオーケストラの略で、歌を歌うための機械らしい。クリキンの大都会を魔王と一緒に歌った。
――アニメを見た。カラオケをした。体力をつけろと言われて山を走り回り、そして小学校最後の冬には出たばかりのスーファミをどうやってかゼロスが入手してきて、甚爾は徹夜するくらい夢中でゲームして熱暴走させ壊した。そのとき甚爾は初めて、悲しくてやりきれなくて泣いた。
小学校の誰もスーファミを持ってなかった。オモチャ屋に数台並んでもすぐ在庫が消えてしまうのだ。もう二度とゲームが出来ないんだーなんて後から考えりゃ馬鹿馬鹿しい考えにとりつかれて泣いて泣いて、寝不足だし泣きつかれたしで夕方にもそもそと起き出したら――お膳の上にスーファミの箱があった。
「これ……」
「もーあんた任◯堂に足向けて寝られないからね。修理できないかって持ってったら『初期不良でしょうから』って新品くれたわよ」
箱を抱えて跳び跳ねる甚爾は、お礼の手紙書きなさいよとゆー魔王の言葉にうんうん頷いた。
勉強したり、ゲームしたり、冬休みには滋賀のスキー場に行って、年が明けたらお年玉を貰って、放課後も卒業式で歌う曲の練習したりして……九十一年の二月が終わるころ、学校から帰ったら魔王とゼロスが文庫本を持って困り顔していた。三冊あるそれらはシリーズものらしく、同じタイトルで同じ作者名が書かれている。
表紙が女の子だろーが小説は小説。国語の教科書に載ってるよーな文面なんだろと思って甚爾は読まなかったのに、魔王は「これ教科書ね」なんて変なことを言って甚爾にそれを渡してきた。
「きょーかしょぉ?」
なんの教科書だよ、と内心顔をしかめながらページを開いたら口絵が三枚あった。動きのある絵で分かりづらいけど、アニメみたいな――ワタルとか大地みたいな格好をしてるよーだ。
読んでみればなんか聞き覚えがあるよーなあるよーな呪文や名前が出てくるわ、呪文の説明についても同じことを教わった覚えがある。もしかして甚爾に魔術のあれこれを説明するために書いたのか? なんか本屋で並んでる本っぽく見えるけど。
「これ、魔王が書いたのか?」
「そんな技術ないわよ。市場に出回ってる本よ」
「出回っちゃってるんですよねぇ……」
魔王とゼロスが困り顔でブリッジしたりなんだりしてるのを横目に、なんと甚爾は二時間もかからず一冊を読みきった。明るい主人公の視点からの語り口は読みやすくてさくさく読めたのだ。残り二冊あるがこっちはまたあとで良い。
「ま、ここで気を揉んでたってどうにもならないわ。悩むのはあとあと!……あのね甚爾、あたしはその本に出てきたシャブラニグドゥ……を取り込んだ魔道師なの。だから泣く子も黙る『魔王』様なわけ」
魔王はなんでか、可哀想なものを見る目で甚爾を見た。
「あんたは将来苦労するわ。ピーターパンとかちゅーにびょーとか言われて後ろ指刺されることになる」
それでも、と魔王は言葉を継いだ。
「あたしの下で魔道師になる?」
――四年後、高校でクラスメイトが「黄昏より昏き……」とか真剣にぶつぶつと唱えてる横で、甚爾は頭を抱えていた。
魔力がなくちゃ呪文を唱えたところで魔術は作動しない。そんなこたあ甚爾にだってじゅーぶん分かってる。でも友人連中が黒魔術同好会なんてゆー恐ろしい同好会を作って「俺はオーフェン派だ。シンプルイズベストを体現している」「馬鹿め呪文は長ければ長いほど効果が大きいのだ。ギガスレイブの完成度の高さを理解できんとはな」とか言い合って効果のない呪文を唱え合ってるのを見かけて虚しさが胸を突いたり、学校帰りの小学生がドラグスレイブの呪文を唱えて大騒ぎしているのについ反応してしまったりするのだ。
はっきりゆーと困る、ものすごく困る。
山で修行する時も、小学生が呪文を叫びながら傘を振り回してる姿とかが思い出されてしまうのだ。悲しいとゆーか恥ずかしいとゆーか、時々なんでか涙が出てきたりする。
学校からの帰り道に見かけた五条家の麒麟児も白髪に碧眼。――日本人なのに。悩みとゆーべきか……苦しみに近い感情が胸のなかでもやもやとする。
ラノベみてーな見た目してんな、と思った瞬間、気がついた。
甚爾はラノベ魔道師で、五条のガキはラノベ主人公……またはいけすかないライバルキャラ。ラノベ設定同士だ。
切なくて涙が出そうだ。だからつい声をかけてしまった。
「お前さ……強く生きろよ」
世話係を連れていた五条悟は立ち止まり、目を丸くして甚爾の背中を見送った。
強いこと、強く生まれたことを褒められて育った五条悟に「強く生きろ」なんて声をかけるやつなんていなかった。それも声をかけてきたのは見知らぬ他人で、呪力も術式も持ってない。よわよわの雑魚のはずなのに、なんでか五条悟を可哀想がるような目をしていた――。
「あいつ誰?」
「調べさせます」
あの学生が「山」に受け入れられている唯一の人間なのだと五条悟が知ったのは、それから三日後のことだった。
任天◯の話は身内の実話が九割。
追記
スーファミの発売年をミスっていたため修正しました。