しわくちゃの婆さんが座ってるタバコ屋で初めて買ったのは、店の前の自販機に貼られた広告のやつ。マイルドセ◯ンちょーだい、え、どれって? えーっと一番強いやつ。あ、そうそう10ミリ。
マッチで火を付けて、吸う。煙いのは分かるけどどこらへんが強いのかとか全然わかんねーなぁと思いながらパチンコ屋に行って、甚爾の目の前で店内に入ったオッサンの真似をして適当な台に座り、千円。十分と経たずに全ての玉が無為に消えた。苦いばかりのタバコを噛みながらもう千円入れるか考え――席を立って店を出た。
パチンコが面白いと思えなかったし、甚爾の耳には店内はうるさくて堪らなかった。
店の出入り口にある灰皿の前で立ち止まる。タバコを吸った。パチンコ屋に来た。次は酒かな、競馬とかもいーんじゃね? 競艇もあったなーなんて考えながら残るタバコをパカパカ吸ってた甚爾に、パチンコ屋からぬらりと出てきた派手な女が声をかけてきた。
「ねえあんた、タバコの吸い方知らないの?」
「吸い方?」
「一本ちょうだいよ。タバコの吸い方教えてあげるから」
そして
「二十歳になるまで吸わないぞ~とかいう真面目ちゃんとかマジでうける! あとさあ、タバコは二十歳から合法だけどパチ屋は十八から行けるのよ。知らなかったの?」
女は甚爾を「二十歳を迎えたから試しにタバコを吸ったりパチンコしたりしに来た真面目な大学生」と誤解したよーだ。
「成人迎えたばっかの真面目くんにお姉さんがこの世で一番不真面目で楽しいこと教えてあげる、昼間に呑む酒ってやつ。きもちいいぞぉ~」
あたしの奢りだから好きなだけ呑みなさいなと言われ、昼からやってる居酒屋でとりあえずビール。苦さに顔をしかめれば女はテーブルを叩いてケラケラ笑った。
女はマリリンと名乗った。本名か聞いたら「源氏名に決まってんじゃん」と無情にもバッサリ。甚爾には源氏名どころかペンネームもラジオネームもないから下の名前だけ名乗った。
マリリンは話上手で聞き上手だけど、タバコのペースも酒のペースも速かった。甚爾の持ってたタバコが尽きると千円札を一枚出し、マイセン3ミリ二箱買ってきてよと言って甚爾を走らせた。おつりはお駄賃。
「いやぁトージくん可愛いわホント。またおねーさんと呑もぉ? 連絡先交換しよ。実家? 下宿?」
「下宿っすけど、PHS持ってるんでコッチで」
「え、ピッチ持ってんの? まじか金持ちかよぉ、いいな~。ちょっと前にドラ◯フォンとかって可愛いの出たじゃん? あれ欲しいんだけどさぁ、電話なんてそんなしないんだよね。タバコしばらく半分に減らせば買えるっちゃ買える額ってったらそーなんだけどホラ、電話したいなら公衆電話使えばいいしぃ」
「はぁ」
それから甚爾のPHSには、週に一、二度ほどの頻度でマリリンから電話がかかってくる。待ち合わせはだいたい呑み屋で、別れるのも呑み屋の前。
次第に打ち解けて軽くお互いの身の上話をしたし、愚痴も聞くよーにもなった。マリリンには莫大な借金だけ残してドロンした父親と、真面目だけが取り柄の母親に八歳下の弟がいるらしい。母親は学がないからろくな仕事に就けず、彼女の収入だけでは生活が成り立たない。マリリンは高校を二年で中退し東京へ出て、逆サバ読んで水商売――働いてもう十年になるとか。
結婚したくないけど子供はほしいんだ。男と同じ屋根の下で生活するなんてごめんなのよねと笑ったマリリンに、甚爾はなんだか苦しいよーな悲しいよーな、何とも言えない気持ちになった。
マリリンが今も抱えている父親の借金と、甚爾の身に振り掛かる身内からの呪い。どちらも性質がよく似てるのだ――マリリンや甚爾を汚泥に引きずり込もうと足首を掴んで離さない。
泥まみれの足で歩いているマリリンは、とても格好いい。
独立祝いの名目で師匠がくれたお金、最初の会社で貰った支度金や給与、移籍先で貰った給与。まとまったお金はある程度あったけど、生きてればどーしたって金が掛かる。競馬に行ってみたり、マリリンに会ったり、都内を適当にうろついたり……そんな生活を数ヶ月も送ってたらだんだん資金の底が見えてきた。
でも、甚爾がどこかに就職したら、そこの社長とかが死ぬ。
どーすっかなぁと競馬場でぼんやりしてたところに、声をかけてくる男がいた。お前、そんなに呪われていてよく生きてるもんだな。面白え。
男は見たところ四十半ば。どんぐり目に濃い口ヒゲのダルマみたいな見た目で、そして何人分もの血の臭いが体に染み付いている。と言ってもこの男が血を浴びたばかりだとかじゃなく、甚爾の鼻でなければ嗅ぎとれない僅かな臭いがあったくらいだ。それが少なくとも十人分。この男は間違いなく「やべーやつ」だ。
「なんだアンタ」
「通りすがりのオッサンさ」
男は呪詛師だった。自由を好み、社会の常識やルールを嫌う。人の苦痛に喜びを覚える。そんな人種らしかった。
そんだけ呪われてるってこたぁお前もわしと同じ穴の狢だろと言われて、甚爾は自分という人間を振り返る。
――甚爾は被虐待児童だった。養育をほぼ放棄されてて戸籍もなかったから学校に行けず、腐っていくことしか出来ない立場の子供だった。あのまま育ってたら世間を恨んで、何事に対しても斜に構えた人間になってただろーなと思う。
だけど八歳のときに師匠の存在を知り、一年後に弟子入りして小学校に通えるよーになり、そのまま学区内の中学に上がり、高校は私立に通った。九歳から、甚爾の毎日はキラキラ輝きだした。
小学生になってから初めて迎えた参観日、女装したゼロスが来た。男の格好をして付け髭を鼻の下に貼り付けた師匠も一緒で、何したいんだろと首を傾げてたら……休み時間にクラスメイトが「あの二人お前のとーちゃんとかーちゃんだろ!? 面白いな!」と甚爾の机に殺到した。――まだ甚爾は色々とズレてたからクラスでちょっと浮いてたのに、その日、友達が増えた。
小学校の卒業式にビデオカメラを持ってきたのはゼロスとあと数人だけだった。写真屋から借りたらしい。
中学で部活動が始まったとき、修行があるからと文化部に入ろうとした甚爾の頭を師匠は軽くチョップした。入りたいところ入んなさいよ、中学生って時間は一生に一度しかないのよって言われたから合気道部に入った。師匠を投げ飛ばせたら最高だよななんて考えがなかったとは言わないけど、甚爾は体を動かすのが好きなのだ。
高校ではいつの間にかウチにビデオが増えてた。高校の体育祭にも文化祭にも二人を呼んでないのに、翌日には甚爾が写ったビデオが必ず増える。来てたのかと聞けば「人に見られずに行動するなんて朝飯前ですよ。なんせ魔族ですから」と納得するしかない説明を受けた。
大学に行かないのって聞かれたけど、行かないと答えた。
甚爾は九年、貧しさや、血を吐くような苦痛や、心が折れるよな酷い挫折や、世の中が全部モノクロに見えるよな空虚といった様々な負の経験から逃れていた。
中学の同級生の中には、お下がりのくたびれた制服を着て、チビた鉛筆を使ってるやつもいた。朝刊の配達で疲れて授業中に寝てたそいつにノートを貸した回数は数えきれない。そいつは『師匠と出会わなければ甚爾がそうなっていたかもしれない』姿だったから、放っとけなかった。席が離れても、クラスが離れても、そいつとは交流が続いている。今も。
甚爾は九年、恵まれて過ごした。この九年、恨むことなく、妬むことなく、悔いることも恥をかくこともなかった。他人を傷付けて笑う気持ちなど甚爾には分からない。
ダルマのような顔をしたこの男と甚爾は、同類じゃあない。
「俺ぁ褒められることが好きなんだわ」
甚爾は必死に頭を回転させ、言葉を選びながらしゃべる。
あの二人は甚爾を外道に育てようとしていたわけじゃあない。泥にまみれても元気に笑って歩いていけるようにと育ててくれたはずだ。
「ツンツン尖ってたらオンナが寄ってこねーだろ。流石ね、強いって素敵よって言われる方が何倍も良いからよ……アンタみたいに殺しってのはしねぇな」
甚爾は婉曲に否定したのに、男の笑みはなんでかな、深くなった。
「お前術師からオンナ盗んだな。あと女術師も怒らせたんだろ? ならそんだけ呪われるのも当然か。少なくとも十六、七人から恨まれるとは凄いもんだ。呪いもお前に直接ってやつだけじゃなくお前の知り合いを狙うのもあるってな……お前、まだ二十二かそこらだろ。どんだけタチの悪いことしたんだ」
事実無根の誤解だけど、否定したら
背中に脂汗をかきながら男と会話を続ける。何が得意だと聞かれて体術だと答えたら、なら護衛専門で自営業の呪術師か呪詛師になったらどうだと男が言った。
予想外も予想外の言葉に甚爾は目を瞬かせた。
「呪力の呪の字も見えんのはそういう呪具か何かしら持ってるんだろう。呪力を持ってないように見えるってのは、これがなかなか利点がでかい。術師ってもんは自分より呪力がないやつを下に見るからな……油断を誘えるのさ」
男の言うとおり、甚爾は実家から無能と思われてる――呪力も術式も持たないから、だから弱い。だから無能。
「その状態では定職など就けんだろ? 呪詛師はいいぞ、気楽だし、好きなことだけして生きていける」
「はあ」
男は親切だった。甚爾が二十歳くらいの若者だってことが男の何かの琴線に触れたらしく、最初のオンナとの間にガキがいればお前くらいだわなんて言いながら甚爾の背中を叩いた。
仲介人を紹介され、男のサポートを受けながら護衛の仕事を完遂した。男は報酬の三分の二を自分の懐に突っ込み、甚爾の肩をポンポン叩いて去っていった。
「お前に向いてるよ、この仕事」
報酬の三分の一でも六百万。普通ならたった一週間ほどで手に入れられる金額じゃあない。
でも馬に捧げたら一瞬で消えた。競馬場を出たら駅前にサラ金があって、そこに入っていく背中はいつまでも途切れない。どー考えたって利息で首が回らなくなることは明らかなのに……折り畳んだ新聞を持った連中が店に入っては出てくる。
むじんくんと繰り返し歌う声が数十メートル先からでも聞こえてきて、虚しくなって改札を通った。
タバコを吸ってみた。楽しくない。大金をスッてみた。楽しくない。酒の味はだんだん覚えてきたけど、ワクらしくてあんまり酔えない。
金を稼いでは浪費して、時々電話かけてくる悟に「俺みたいになるなよー」なんて説教じみたこと言ったりしながら過ごすことだいたい一年半。半月前にマリリンは電話で、誰との子か分からないけど妊娠したとかで「しばらくお酒は呑まない! タバコもやめる!」と言ってたけど、一緒に呑み屋に行こうよと電話がかかってきた。大丈夫かこれ。
そんなこんなで昼から呑んだ夕方、スーパーで惣菜を物色してた甚爾を見た他の客が「あら」と声をあげた。
「前に公園で倒れてたお兄さん」
「あんたは……」
何もかも放り出したくなったあの時、甚爾に声をかけてきた女だ。あれから会うこともなくそのままだったのに、まさかこんなところで会うとは思いもしなかった。
「近所だったんですね」
「みてーですね」
それぞれの住む下宿とアパートはなんと歩いて数分の距離だった。アパートの前で別れたら、カンカンとゆー階段を上る足音がして、角部屋の隣の一室の電気がついた。
築数十年の狭いアパートで、近畿じゃあ文化住宅って呼ばれてるよーな古い集合住宅。隣に建ってる長屋はダメだこりゃ、縁起が悪いことに
最近ここらは抱きつき魔が増えてるって噂がある。被害者は女子中学生から三十路までいて、つまり彼女も被害に遭いかねない。……公園で青い顔をしてた甚爾に親切にしてくれた彼女が被害に遭うとゆーのは気分が悪い。
後ろ頭を掻いてそこを離れた。
前の後書きに不足があったので追記。
原作っぽさを出したいというのは、つまり「私がそうしたいから」しているわけです。こーやって書いたほーがたのしそーだ、とゆーことであります。それを読み手の皆様にも楽しんで貰えればラッキークッキーもんじゃ焼き。
むかしは京橋(わたし大阪府民ゆえに大阪)のJRと京阪の間なんて通ったら三つかそこらはサラ金のポケットティッシュを貰えたもんでした。