声真似が上手な幼馴染が欲しいだけの人生だった。

小説家になろう様とのマルチ投稿です。

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推し声優が結婚して落ち込んでいたら声真似が上手な幼馴染に慰めてもらった

 

 絶望。

 それは唐突に訪れる。

 

伊月八奈(いづき はな)、結婚発表!】

 

 代表作『魔法少女ふるるんアルカ』のイリス役や『気孔学園ファイトメイデン』のスズナ役などで知られる人気声優、伊月八奈が結婚を発表した!

 声優でありながら紅白出場を果たすなど異例の経歴を持つ彼女のお相手は一般男性!

 人気声優である彼女の結婚報告には多くのファンが祝福を……。

 

「鬱だ……死のう……」

 

 好きな声優が結婚した。

 ファンならば、彼女の幸せを願って素直に祝福すべきだろう。

 理屈では、そうわかっている。

 それでも……やはり感情は悲鳴を上げる。

 

 ああ、なんてことだ……。

 八奈(はな)様が……。

 小さい頃からずっと好きだった八奈様が、どこぞと知れぬ一般男性の妻に……。

 

「祝福したいけど……幸せになってほしいけど……うわああ! やっぱり複雑だああああ!!」

 

 この電撃発表があってからというもの、いったい何度ベッドの枕を涙で濡らしていることか。

 

 声優、伊月八奈。

 アニメ好きのオタクでなくとも、その名は世間に知れ渡っている。

 クールビューティーを始め、萌え系美少女、ギャグ調のマスコットキャラ等、幅広いキャラクターの演技を見事こなす上に、歌唱力まで高い真の実力派声優。

 彼女のデビュー作である『魔法少女ふるるんアルカ』から、ずっとファンだった。

 出演している作品やバラエティ番組のブルーレイはすべて集めているし、滅多に見てこなかった紅白番組は数枚ディスクにダビングして丁重に保存している。

 もちろん、彼女の握手会には仮病を使ってでも必ず参加した。

 あの美貌と笑顔、そして柔らかな手の感触は一生忘れられないだろう。

 いま思い出すだけでも、感激から卒倒しそうになる。

 

 ……そんな俺にとって、今回のニュースはまさに死刑宣告に等しかった。

 

「うぅ……もう、この世に希望なんて無いんだ……」

 

「いい加減に立ち直ったらどうですか景太? いくら好きな声優さんが結婚してショックだからって、もう一週間ですよ?」

 

 滝のように涙を流す俺を、幼馴染の琴葉(ことは)が呆れ気味に見下ろす。

 今日も今日とて、律儀に学校のプリントを届けに来てくれたようだ。

 

「せめて学校には足を運ぶべきでは? 有名人の結婚が受け入れられなくて不登校とか笑えませんよ」

 

「放っておいてくれ。俺にとって八奈様は人生の支えと言っても過言ではない人だったんだ……」

 

「人の趣味にどうこう言うつもりはありませんが……景太のはさすがに重症だと思いますよ? 日常生活にまで支障をきたすなんて。この機会にファンを卒業されてみては?」

 

「冗談じゃない! たとえ人妻になろうと俺は八奈様を応援し続けるぞ!」

 

「まあ結婚した以上いずれは妊娠するでしょうから、どこかのタイミングで産休するとは思いますが」

 

「ちくしょうめええええええ!!!」

 

 容赦なく惨い現実を押しつける幼馴染。

 相変わらず抑揚のない、愛想のカケラも皆無な声で言うもんだから余計に破壊力がある。

 まったく。八奈様の聖母のように慈愛に満ちた笑顔と声とはまさに正反対だ。

 

 聖母……。

 はあ~。八奈様はいずれ本当に『聖母』になってしまうんだよな……。

 

「八奈様の子宮から生まれてくる赤ん坊が羨ましい……」

 

「うわあ……。さすがに引きます。そのまま失意のままショック死してください。世のために」

 

「口にしてから俺もさすがにどうかと思ったけど……お前って本当に容赦ないのな」

 

 見た目だけならそこらのアイドルも顔負けの美貌と抜群のスタイルを誇る容姿の持ち主だが……このダウナーで無愛想な態度がそれらの魅力を帳消しにしてしまっている。

 もっとも学園の男子たちは「そこがいい」と言ってファンクラブを結成しているそうだが。

 美少女というのは得だな。

 

 ……まあ実際、幼馴染贔屓を差し引いても琴葉は綺麗だと思う。

 母親譲りのブロンドの長髪と色白の肌、童顔に見合わぬ日本人離れしたグラマラスボディは道行く男たちの目線を釘付けにする。

 よく同級生たちに『なんでこんなに可愛くてエロい幼馴染がいるくせに一般人と馴染みのない声優ばっか追いかけてるんだお前は』と羨ましがられる。

 

 ……確かに、わずかな動きだけでも波打ち、制服を押し上げる大きな膨らみは健全な青少年にとっては目の毒である。

 そういえば年々、ブラのサイズが合わなくなってるとか愚痴を零していたっけ……。

 どんどん増える胸の脂肪。だというのにウエストは女性が羨むほどにスリムだ。足もスラリと長く美しい曲線を描いている。

 普段からストレッチや運動をして体型維持をしているからでもあるが、細身の身体に実った豊かなバストとヒップや太ももは、まさに男にとって理想的な体型と言えよう。

 

 豊満なスタイルを誇る美少女と部屋で二人きりという状況。

 本来なら男として、もっと心が浮き足立つ場面だとは思うが……。

 

「なに人の身体をジロジロ見ているのですか穢らわしいですね。目ん玉くり抜きますよ?」

 

 これである。

 思いやりなど一切ない鉄面皮と感情の起伏のない声から繰り出される過激な毒舌の前では、胸の高鳴りも劣情なんてものも簡単に吹っ飛んでしまう。

 

 幼稚園から続く腐れ縁なんて淡泊なものである。

 そもそも家族ぐるみの付き合いである琴葉は、もはや兄妹同然の関係だ。今更お互いに異性として意識するはずもない。

 琴葉がこうして気負いすることなく我が物顔で俺の自室に上がり込んでいるように、男として警戒されている様子もない。

 

 だが、べつにそれで構わない。

 そもそも、俺は昔から心に誓っているのだ。

 恋愛対象や結婚相手は……絶対に声優相手だと!

 

 最も憧れている八奈様が結婚してしまったことは確かにショックだ……。

 だが相手が一般男性というのは朗報でもある。

 

 即ち……俺でも声優さんとお近づきになれる可能性は、ゼロではないということだ!

 

「というか、景太が声優を追いかける動機も穢らわしいですよね。好きなキャラの声で『好き』と言ってもらって、あわよくば夜伽でいろんなキャラの演技で喘いでほしいからだなんて……」

 

「ちょっ!? 待て! それだけだと俺が下心全開で声優と結婚したがってるみたいじゃないか!」

 

「なら伊月八奈の喘ぎ声は聞きたくないと?」

 

「めっちゃ聞きたいです」

 

「男なんて所詮は下半身でモノを考えるケダモノですね。死んでください」

 

「うわああ! 違う! 俺はただ純粋に声優さんが好きなだけであって決してそんな特殊なプレイを強要しようなどと……」

 

「まあ伊月八奈のエッチな演技を聞ける特権は、見知らぬ一般男性が手にしたわけですが」

 

「ちくしょうがあああああああ!!!!!」

 

 辛い。

 やはりこの現実を受け入れられない!

 ちきしょう……そうだよ! あわよくば好きなキャラの演技で、日替わりにご奉仕してほしいという(よこしま)な理由があるとも!

 でも声優好きの人間なら一度は夢見ることじゃないのか!?

 

「うぅ……イリスちゃんの清楚なお声で『お帰りなさいアナタ♪』って言ってもらいたかった……。スズナちゃんのロリボイスで『先輩、今日もお疲れ様ッス♪』と労ってもらいたかった……。他にもヒカリちゃんのツンデレ演技で叱られたり、梨乃ちゃんの猫撫で声で甘えてもらったり、志穂お母様の母性満載の美声で癒やしてもらいたかった……」

 

「欲望ダダ漏れじゃないですか」

 

「もう、生きる希望がない……」

 

「そこまでヘコみますか。本当に重症ですね……」

 

 このまま餓死してしまおうかな……。

 そういえば、飯食わなくなって何日目だっけ?

 親が出張中で不在だからロクに食べてない気がする。

 ……はは、きっと俺はこのまま栄養失調で死ぬんだ。

 生まれ変われるのなら、今度は八奈様の子どもとして生まれたいな……。

 

「はぁ……。景太の面倒を任された身としては、さすがにこのままでは、おばさまたちに申し訳が立たないですね……。仕方ありません。今日だけは特別ですよ?」

 

 そう言うなり、琴葉は何度か咳払いをして「あー、あー」と唐突に発声練習を始める。

 なんだ? 琴葉のやつ、なにをする気だ?

 

 数秒、声のトーンを整えると、琴葉はくるりとこちらを向いて……。

 

「……景太さん! 元気を出してください!」

 

「っ!?」

 

 こ、この声は!

 まぎれもなく『魔法少女ふるるんアルカ』のライバルキャラであるイリスちゃん!?

 とうぜん、こんな一般家庭に八奈様本人が降臨されるはずがない。

 その声は……琴葉の口から発せられていた!

 

「え、ええ!? 琴葉、どうなってんだソレ!? どうやってイリスちゃんの声を……」

 

「声帯模写です♪」

 

「声帯模写!? そんなことできんの!?」

 

「はい♪ 景太さんが好きなアニメをしょっちゅ見せられていましたから、こうして声や演技を再現できるようになりました♪」

 

「いや、簡単そうに言ってるけど凄いなオイ!?」

 

 昔から勉強もスポーツも習い事も人並み以上にこなす才女である琴葉なら声帯模写すらできても不思議ではないが……これほど完璧に八奈様ボイスを再現するとは!

 目を瞑って聞けば、イリスちゃんの声としか思えない!

 しかも主人公のアルカと和解し、心を閉ざした魔法少女から穏やかで清楚な年相応の少女となったイリスちゃんボイスときた!

 

「伊月八奈さんが結婚されて、さぞ辛いと思います……。ですから今日だけ、私が景太さんの好きなキャラクターの演技をして励ましてあげます! それで、元気になってくださいますか?」

 

 声だけじゃない。

 切なげな瞳で見つめてくる、その表情までイリスちゃんを連想させる。

 些細な仕草や雰囲気まで、イリスちゃんというキャラクターを再現している。

 普段の鉄面皮少女からはとても想像できない、まさに『変身』としか言い様がないほど、いまの琴葉はイリスちゃんになりきっている。

 

「景太さん? やっぱり、本物の伊月八奈さんのお声じゃないと、いやですか?」

 

「うぐっ……」

 

 声真似が上手な一般人なら『歌ってみた動画』などで探せばいくらでも見つけることができる。

 見事な再現度を誇る者は何名かいるが……それでも、やはりどこか素人臭さは滲み出るものだ。

 いま琴葉がやっている声真似だって、本来ならファンとして『本家舐めんな!』と激怒する場面だっただろう。

 

 ……だがとても怒りなど湧かなかった。

 その完璧な再現度には、ただ呆然とする他なかった。

 

 なにより、演技とはいえ久しく見てこなかった幼馴染の満面の笑顔が新鮮でならない。

 普段、無表情に、無感情に毒舌をかます琴葉だからこそ破壊力が段違いだ。

 そもそも、だだでさえ常人離れした美貌を持つ少女がアニメの登場人物の真似をしようものなら、その可愛らしさは度を越したものとなる。

 他の女子が同じことをしようものなら、ただ痛々しいだけの行為も琴葉がすると不自然なく馴染んでいると感じられる。

 本当に八奈様がこの場にいると錯覚してしまうほどに、琴葉の声真似や演技は真に迫っていた。

 

 だから、普通なら戸惑うだけの突飛な提案にも……。

 

「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えます」

 

「はい♪ 任せてください景太さん♪」

 

 ついつい首を縦に振って、受け入れてしまった。

 

 

   ◆

 

 

「さあ、お膝にどうぞ景太さん」

 

 ベッドに腰掛けた琴葉が穏やかな笑顔で、自分の膝をポンポンと叩く。

 黒のニーソックスに包まれ、ムッチリと肉が詰まった眩しい絶対領域。

 そこへ恐る恐る頭を寄せる。

 

「じゃ、じゃあ、失礼します」

 

 まさか、あの琴葉に膝枕をしてもらえる日が来ようとは……。

 いくら気心知れた幼馴染相手でも、普段の琴葉なら絶対にさせてはくれまい。

 

 だが、いまの琴葉は『魔法少女ふるるんアルカ』の登場人物であるイリスちゃんなのだ。

 敵から味方になって本来の優しさを取り戻したイリスちゃんなら、落ち込んだ親しき相手を膝枕で慰めることぐらい不思議でもなんでもない。

 

 これは琴葉の膝ではなく、イリスちゃんの膝……そう自己暗示しながら頭を太ももに乗せる。

 

 ふにょん。

 

 う、うわぁ! 超柔らかい!

 

 なんというフワフワな腿肉。

 なんというスベスベな肌。

 細く長い美脚でありながら、太ももだけはやたらとムチっとしている。

 まさにイリスちゃんの太もものようだ!

 

 幼女でありながら、やたらと身体の発育が良いイリスちゃんは多くのお兄さんたちの心を射止め、アニメが終わって数年経った現在でも薄い本の業界で根強い人気を博している。

 魔法少女ものでありながら戦闘に迫力のある『魔法少女ふるるんアルカ』は、別名『太ももアニメ』とも言われ、やたらと太ももを強調したシーンが多い、足フェチにはたまらない作品だ。

 俺も『ふるるんアルカ』ですっかり足フェチに目覚めてしまい、脳内で幾度もムチムチの太ももの柔らかな感触を妄想してきた。

 

 ……その感触がいま! 妄想ではなく、現実のものとしてソコにある!

 

「うふふ。気持ちいいですか景太さん? 少しは、元気が出ましたか?」

 

 頭上からイリスちゃんの清楚なお声。

 恥じらいを浮かべながらも懸命にご奉仕する、気立ての良さを感じさせる愛らしい声色。

 ……すごい。本当にイリスちゃんに膝枕されているようだ。

 

「よしよし。私で良ければ、いくらでも甘えてくれていいんですからね?」

 

 たおやかな手つきで頭を撫でてもらう。

 極上の膝枕だけでなく、イリスちゃんの声と一緒に頭ナデナデとか……至福に包まれてどうにかなってしまいそうだ。

 なんか滅茶苦茶いい匂いするし。

 

 ご厚意に甘えて、ついつい顔を動かし、剥き出しになった生白い絶対領域に頬をこすりつけてしまう。

 それでも彼女は嫌がることなく、ますます優しい手つきで頭を撫でてくれる。

 

「辛かったですね。好きな人が結婚してしまって……でも景太さんならきっと素敵な女性と出会えるはずです。どうか気を落とさないでください」

 

 うぅ……傷ついた人を全肯定して励ましてくれるこの優しさ……。

 まさしく二期で何人もの敵の心を救ってきた慈悲深きイリスちゃんそのものだ!

 なるほど、これが俗に言う『バブみ』というやつか。

 

 ……いや、イリスちゃんを演じる琴葉は同い年なんですけどね。

 このムッチムチの身体も、とても幼女のものとは言えないし。

 チラリと頭上に目配せをしてみる。

 

 ……すごい。おっぱいで琴葉の顔が見えない。

 女性って確かDカップ以上だと足下が見えなくなると聞いたが……膝枕している相手の顔まで見えないってどんだけのサイズなんだ?

 

 イリスちゃんがこんなダイナマイツボディに育つのは三期の『大人編』になってからだ。

 ふむ……。いくらイリスちゃんが発育良好とはいえ、やはりこの身体で幼女になりきるのはさすがに無理があったか?

 

 一度冷静になったことで、意識が夢の世界から現実に立ち返ろうとした瞬間……。

 

「……うふふ。どうしたの景太くん? 私のこと、お姉ちゃんだと思って甘えてもいいんだよ?」

 

「っ!?」

 

 こ、これは!

 三期で孤児の少年を助けたときの、大人イリスちゃんの演技!

 琴葉のやつ、俺が正気に戻りそうになったのを察したのか、巧妙に演技を切り替えてきやがった!

 

「独りぼっちで寂しかったね……。でも、もう大丈夫。私がずっと傍にいてあげる。今日から私が、あなたのお姉さんだよ?」

 

 そうして琴葉は、大人イリスちゃんが本編でもそうしたように……俺の顔を豊満なバストで包み込んできた。

 

「むぐっ」

 

 迫る巨大なバスト。

 膝枕をしたまま琴葉は身体を屈め、胸で俺の顔をサンドイッチしてしまった。

 

 お、おっぱいだ。

 本物のおっぱいの感触だ。

 おっぱい、柔らかい。

 すっごく柔らかい。

 ミルクみたいな、甘い香りまでするし。

 

「怖がらなくていいよ? あなたはずっと独りで頑張ってきたんだから、たくさん人に甘えていいの。……よしよし、偉かったね。泣いてもいいんだよ? 私がぎゅっと抱きしめてあげるから。ほら、もう怖くないよね? いいこ、いいこ……」

 

「ば、ばぶぅ……」

 

 アカン。

 これは幼児退行してしまう。

 八奈様の色っぽい大人の女性の演技で、多くの男たちが画面の前で赤ん坊に立ち返ったというが……肉声で聞くとトンデモナイ威力だ。

 琴葉もなんだかノリ気になっているのか、明らかに過剰なサービスで俺を甘やかしてくる。

 

「うふふ、かわいい……。いいんだよ? もっと子どもらしく甘えん坊さんになっても……」

 

 ムチムチの太ももとふわふわのおっぱいに挟まれて、とろふわなセクシーボイスでヨシヨシなんてされたら……ああ、ダメだ。蕩けてしまう。

 このまま死んでも悔いはないかもしれない……。

 いや、やっぱりもっと味わいたいから生き抜きたい。

 

 そんな欲望が生存本能を刺激したのか。

 

 ぐぅ~~っ。

 

 すっかり食欲も失せていたはずの腹から大きな音が鳴った。

 

「……くすっ。お腹空いたの? それじゃあ、ご飯作ってあげるね?」

 

「……うん」

 

 できればもっと膝枕を続けて欲しかったが、一度空腹を自覚すると、何か食べたくてしょうがなくなった。

 

 ……そういえば、琴葉の手料理を食べるのなんて、久しぶりかもしれない。

 

 

   ◆

 

 

「はい! ご飯よ! しっかり食べなさい! まったく! そんなに弱りきるまで何も食べないだなんて、本当にバカなんだから!」

 

 ツンケンな態度で琴葉は料理をテーブルに並べる。

 毒舌家な琴葉だが、こんな風に声を荒げて怒ったことはない。

 つまり、これも声真似の演技である。

 

 なるほど。

 今度は世界的に大ヒットした少年マンガ『TURUGI』の幼馴染ヒロイン、ヒカリちゃんか。

 口調はキツいが面倒見の良い性格で、一途に主人公のツルギを思い続ける、通称『オカンヒロイン』と呼ばれる人気キャラだ。

 それまで穏やかな女の子の役が多かった八奈様が珍しく担当した貴重なツンデレキャラであり、『幼馴染は負けフラグ』というジンクスを最終回で見事に吹っ飛ばした勝ちヒロインでもある。

 

「って、こらっ! ゆっくり食べなさいよ! お腹がびっくりするでしょ!? ああ~もう、ご飯粒ついてるし! 子どもじゃないんだから落ち着いて食べなさいな!」

 

「お、おう。すまん……」

 

「まったく。アンタって本当に私がいないとダメダメなんだから。アンタみたいなやつの面倒見る物好きなんて私ぐらいなんだから、もっと感謝なさい!」

 

 赤くなった頬を誤魔化すように「フンッ」と顔を逸らす琴葉。

 

 ……すごいな。

 イリスちゃんの演技も見事だったが、ヒカリちゃんのようなツンデレキャラまで再現できるとは……。

 

「……なによ、黙っちゃって。ま、まあ? 本当にどうしようもないときは、ちゃんと私を頼りなさいよね。アンタ、ギリギリまで我慢して無茶するところあるんだから……心配、かけ過ぎないでよね、もう……」

 

 さり気ないところで、根っこの優しさを見せるところとかも完璧だ。

 にわかのコスプレイヤーとかだと、ただの説教くさい女の子として振る舞ってよく顰蹙を買うが……ヒカリちゃんの真の魅力はこうして不意打ちのようにさらけ出す、思いやりの心なのだ。

 さすが琴葉だ。ヒカリちゃんをよく理解している。

 

 ……そういえば、アニメに興味のない琴葉が珍しく気に入ったキャラはヒカリちゃんだったっけ?

 お気に入りのぶん、思い入れが深いのか、やたらと演技に熱が入っている気がする。

 

「こほん……おかわりいる? 足りないなら、もう一品作ってあげるけど?」

 

「ああ、じゃあお願いするわ」

 

「まったく、調子いいんだから……待ってなさい。すぐ作ってあげるから」

 

 う~ん。実にオカン。

 俺はそんなにツンデレ好きではないのだが、いざこうして現実で立ち会うと「悪くないな」と思えてしまう。

 制服の上にエプロンをつけた美少女が、台所に立つという絵面も素晴らしい。

 

 ……昔はよくここで一緒にホットケーキを焼いたりしたもんだが、すっかりご無沙汰になっていたな。

 琴葉が台所に立っていると、なんだか懐かしい気持ちになる。

 琴葉も琴葉で懐かしさに浸っているのか、ご機嫌に鼻歌などを奏でている。

 

 ……いや、たぶん好きなキャラの役にのめり込んでいるだけだろう。うん。

 

 

   ◆

 

 

 食後、ソファの上でテレビを眺めていると、洗い物を済ませた琴葉がやってくる。

 

「さあ先輩! 日頃の疲れを取るため、アタシがマッサージしてあげるッス!」

 

 おう、今度は美少女同士が戦う格闘アニメ『気孔学園ファイトメイデン』の後輩キャラであるスズナちゃんか。

 先輩である主人公のお世話をすることが好きで、口足らずなボイスが魅力のロリキャラだ。

 ゴッドハンドじみたマッサージテクで数々の登場人物の快楽孔を突いてきた、通称『本編をR-18に変えるロリ』とも言われている。

 

 ……まあ、それはアニメに限っての話。

 さすがの琴葉も、マッサージテクまで再現はできないだろう。

 

「はい、横になってくださいッスね~。先輩の固くなったところ、アタシがしっかりほぐしてあげるッス! せ~のっ!」

 

「あひいいい!?」

 

 琴葉が背中を指で押した途端、つい変な声を上げてしまう。

 な、なにコレ!? き、気持ちいい!

 

「う~ん、先輩、すっかり背中張っちゃってるッスね~。任せてくださいッス! 明日の試合に備えて、アタシがしっかり全身を柔らかくしてあげるッス~!」

 

「いや、俺試合とか出ないし程ほどで頼みま……んほおおおお!!」

 

「あはっ♪ 先輩、情けない声上げちゃって……かわいいッス。いつものかっこいい先輩はどこに行っちゃったッスか~? えいえい♪」

 

 んああああ! 琴葉のやつ、スズナちゃんの隠れSの一面まで再現しなくてもいいだろうが……おおおおおん!

 

「先輩♪ 先輩♪ アタシの手で蕩けちゃってくださいッス♪ もっともっとかわいいお声聞かせて欲しいッス♪ ほら、せんぱ~い♪」

 

 ああああ!

 舌足らずなロリボイスでサディスティックに責められて新しい扉が開いてしまう~~!!

 

 

   ◆

 

 

 あのままマッサージを受けていたら開いてはいけない扉が開きそうだったので、逃げるように風呂へと入った。

 

「ああ……いい湯だ……」

 

 度重なる琴葉のご奉仕で心身ともに回復したおかげか、普段よりも風呂が一層気持ちよく感じる。

 琴葉の卓越した声真似と演技には驚愕するばかりだが、好きな声優さんの声でお世話されることで、精神的なダメージは確実に癒やされているようだ。

 

 ……しかし今日の琴葉は随分と優しいな。

 いくら親から俺の面倒を頼まれたとはいえ、ここまで熱心に慰めてくれるなんて。

 

 ……ひょっとして、このままお風呂で背中とか流してくれたりして?

 いや、さすがにそれはないか……。

 

「お兄ちゃん。湯加減どう?」

 

「お兄ちゃん!?」

 

 湯船でリラックスしていると扉越しに声をかけられる。

 磨りガラスに映るシルエットは明らかに琴葉。

 どうやら、また別のキャラクターを演じているようだ。

 

 えーと、八奈様ボイスで『お兄ちゃん』と言うキャラといえば……。

 まさかライトノベル原作『俺の妹の発育が凄すぎて理性がヤバい』、略して『いもはつ』のメインヒロインである梨乃ちゃんになりきっているのか?

 諸事情で離ればなれに暮らしていた妹が発育良好な爆乳美少女として帰ってきて、会えなかった寂しさを埋めるように無邪気に兄に甘えまくるちょっとエッチな……いや、かなり過激なラブコメ作品。

 

 え? あの作品の内容を考えるに、もしかして琴葉のやつ……。

 

「お兄ちゃん、一緒に入ってもいい?」

 

「なっ!?」

 

 返事も待たず、扉が開かれる。

 

 バスタオルに包まれた生白い肢体が視界に映る。

 大きすぎる乳房はタオルから零れんばかりにたわみ、くびれたウエストは巻き付いたタオルでその細さが強調され、丸い腰元から広がる豊かなヒップと美脚は、なんとも艶めかしいラインを描いている。

 とても学生とは思えない、発育の暴力ともいえる肢体は、まさに『いもはつ』のメインヒロイン、梨乃ちゃんにふさわしいドスケベボディで……。

 

「って、いやいや! 琴葉! さすがにこれは過剰サービスだろ!?」

 

「私、琴葉じゃないよ? お兄ちゃんの妹の梨乃だよ?」

 

 あざとく首を傾げ、キョトンと邪気のない顔を浮かべるところまで梨乃ちゃんソックリ!

 まさか琴葉のやつ……立て続けにいろいろなキャラクターを演じるうちに、我を失ってしまったのでは?

 

「そんなことよりお兄ちゃん、背中流してあげるから湯船から上がって♪ 昔みたいに洗いっこしよ♪」

 

「洗いっこ!? ちょ、待て待て! せめて腰に巻くタオルくれ!」

 

 いったいどこまで本気なのか、完全に梨乃役になりきっている琴葉の為すがまま、背中を洗われることとなった。

 

「わあ、お兄ちゃんの背中大きいね。昔とぜんぜん違~う」

 

「そりゃそうでしょうよ……」

 

「ふふ、なに恥ずかしがってるのお兄ちゃん? 昔はよく一緒にお風呂に入ったじゃない」

 

 確かにガキの頃は実際一緒に入ってたけどさー……。

 でもマセてた琴葉は早い段階で、こういう裸の付き合いは顔を真っ赤にして嫌がるようになった。

 そんな琴葉が、お互いもう子どもとは言えない体つきになったいま、こんな風に混浴をしてくるだなんて……。

 やはり役になりきるあまり、冷静さが失われているんじゃないだろうか?

 だとしたら、ちょっと不安だぞ……。『いもはつ』の梨乃ちゃんは男にとって本当に危険な存在なのだ。

 

 ラブコメラノベでも異例の売り上げを叩き出した『いもはつ』は、ハートフルな兄妹愛をえがく一方、禁断の愛を真剣にテーマにした作品でもある。

 離れていた時間が長かった兄妹は、お互いを理想的な異性として意識してしまう。

 何度も思いを断ち切ろうと葛藤するも、膨れ上がる恋心を止めることができず、終盤でついに肉体関係を結んでしまう。

 まさかのラノベで実兄妹の本番シーンをガッツリ書いたことでいろいろ世論を起こしたが……あの作品では必要なシーンだったと思うし、結果的に『いもはつ』はラノベ史に残る傑作となった。

 ……だが、やはりそれは、あくまでフィクションだから許されること。

 物語の序盤でも、梨乃はその実りに実った身体で無自覚に兄を誘惑するシーンが多いのだが……まさかさすがにそこまで再現しようとは琴葉も考えていないよな?

 

「んしょ、んしょ……はい、じゃあ背中流すね? えっと、シャワー、シャワーと……きゃっ!」

 

「うお!?」

 

 背中越しに琴葉がシャワーを取ろうとすると、足を滑らしたのか、そのまま俺にしなだれかかってくる。

 

 必然的に、背中に広がる特大の柔肉の感触。

 

 ぎゃあああああ!

 フワフワでムチムチでぽよんぽよんな感触が薄い布越しからダイレクトに伝わってくるううう!

 

「お、お兄ちゃん、ごめんね? 泡で滑っちゃって……」

 

 それはわかってるから早くどいてくれー!

 おっぱい押しつけながら八奈様の妹ボイスで話しかけられたら一気に理性ががが!

 

 お、落ち着け俺。相手は梨乃ちゃんではなく、梨乃ちゃんの演技をした琴葉だぞ!

 ただの幼馴染なんだぞ!

 そんな相手に、こ、こんな感情を向けては……。

 

「……ん、お兄ちゃん……」

 

 ちょっと待て琴葉。

 なんで離れないで逆に腕を回して抱きついてくるんだ?

 おっぱいがね?

 バカでかいおっぱいが、さらに押し潰れているんですが?

 

「お兄ちゃん……梨乃ね、ずっとお兄ちゃんに会えなくて寂しかった……」

 

「お、おい、琴葉? いくらなんでもコレはやりすぎだ。気持ちは嬉しいけど、俺そこまでは求めてないから……」

 

「……琴葉じゃないもん。いまの私は梨乃だもん」

 

「え?」

 

 なんだ?

 琴葉のやつ、なんでそんな自分に言い聞かせるように、キャラクターになりきろうとしているんだ?

 

「お兄ちゃんにとっては、私はただの妹かもしれないけど……私にとっては、お兄ちゃんはそうじゃないんだよ?」

 

 ぎゅっと琴葉が強くしがみついてくる。

 

「わかる? 梨乃、もう子どもじゃないんだよ? 男の人を受け入れられる身体なんだよ?」

 

 まるで成長した肉体の感触を植え付けるように、琴葉が身体を動かす。

 

「梨乃……お兄ちゃんだけの、特別になりたい……」

 

 原作終盤で梨乃が最愛の兄へ打ち明けたセリフ。

 ……だが、これは本当に演技なのか?

 意気消沈した幼馴染を励ますためとはいえ、ここまでするものか?

 

「……くすっ。固まったお兄ちゃん、なんだか、かわいい……」

 

 動揺する俺を愛しむように、琴葉は妖しく微笑んで、そっと頬を撫でてくる。

 ……エッチな内容とはいえ、梨乃がこんな露骨に妖艶な仕草をする場面なんて、確か原作ではなかったはずだが。

 

 わからない。

 琴葉のことがわからない。

 どこまでが演技で……どこまでが本気なんだ?

 

「ね、お兄ちゃん……」

 

 耳元に唇を近づけて、甘い声色で琴葉が囁く。

 

「今夜、昔みたいに、一緒に寝てもいい?」

 

 

   ◆

 

 

 琴葉と同じベッドで寝るなんて何年ぶりだろうか。

 昔はよく、琴葉が近所の子どもに苛められたときなどに、布団の上で慰めているうちに一緒に寝落ちしたものだが……。

 琴葉が他人に対して臆せず自己主張できるようになってからは、お互いの家に寝泊まりする機会もなくなった。

 ……まあ、普通に考えれば当たり前だ。

 いくら兄妹同然に育ったとはいえ、いつまでも無邪気な子どもなわけじゃない。

 性差を意識して、ちょっとずつ身も心も離れていく。

 そういうものだと思っていた。

 

 ……だからこそ、戸惑ってしまう。

 まさか、こんなに成長してから琴葉と同じベッドで寝ることになるとは。

 

「うふふ。どうしたの景太ちゃん? もっとママに甘えてもいいのよ?」

 

 母性に満ちた声色で琴葉が俺の頭を撫でる。

 豊かな胸元に抱き寄せながら。

 

 いま琴葉が演じているのは、女児に大人気の長期シリーズ『ハートプリンセス』、通称『ハトプリ』の主人公の母親、志穂である。

 子ども向け番組にも関わらず、やたらと色っぽい未亡人という設定から、本来ターゲット外であるはずの層をも引き込み、ネット上で爆発的な人気を博した。

 気づけば主人公の果穂よりも二次イラストや薄い本が増加し、界隈では『同人クイーン』と不名誉な称号が付くほどになった。

 

 琴葉のやつ……よりにもよって、また理性を総動員しなくちゃいけないようなキャラを演じおって……。

 ただでさえ、立派に発育した幼馴染と同衾しているという、この状況に心臓がバクバクしているというのに。

 

 ……あれ? というか、いつのまに俺、琴葉をそんな目で見るようになってしまったんだ?

 

「よしよし……景太ちゃんはいいこね……。元気が出ないときは、こうしてママが毎日あやしてあげますからね?」

 

 あの八奈様もとうとう女児アニメの母親役をやるようになってから早数年……実年齢に適した熟女の演技は、まさに大人の色香たっぷりで、戦隊もののついでに『ハトプリ』を視聴した男児たちをイケナイ方向に目覚めさせたという逸話があるほどだ。

 

 ……いつか生まれてくる八奈様の子どもも、こんな風に八奈様本人に抱きしめてもらえるんだろうな~。

 羨ましくはあるが……でも不思議と、今朝ほど悔しさを感じない。

 なぜだろうか?

 

「……ようやく元気が出てきたみたいですね?」

 

 俺に心の余裕が戻ったのを感知してか、ようやく琴葉は演技を止めて素の自分で話し出す。

 それでも琴葉は、俺を胸に抱いたまま頭を撫でてくれた。

 

「まったく。本当に困った幼馴染です。こんな風にサービスをするのは、今夜が最後ですからね?」

 

「……なんというか、本当にスマン……でもおかげで、元気出たよ」

 

「それは良かったです」

 

 まさか八奈様の声をした女性に、それも憧れのキャラクターたちの声でこんなにご奉仕してもらえる日が実現するだなんて……。

 それをしてくれたのが、気づけば疎遠気味になっていた幼馴染の琴葉だというのだから、驚きだ。

 

「それでは最後に大サービスです。私の渾身の演技でお開きとしましょうか」

 

「それは楽しみだな」

 

 この時点で、もう十分すぎるくらい八奈様ボイスを堪能したというのに、慈悲深き幼馴染はまだ何かしらのキャラを演じてくれるようだ。

 

 ……きっと、次の声真似を聞けば、未練は完全に無くなる気がする。

 明日からは気持ちを切り替えて、いつも通りの生活を送れるだろう。

 

 さようなら八奈様。

 ファンとしてあなたの幸せを心から願います。

 どうか最後に、あなたのお声を真似る幼馴染に甘えることをお許しください。

 

「……景太。私、本当は幼馴染の関係じゃ、もう満足できないんです」

 

「え?」

 

 琴葉?

 八奈様の声真似をしているのはわかるが……それは、いったい何のキャラだ?

 

「気づいてましたか? 今日のこと全部、あなたに対するアピールなんですよ? あなたの好きな伊月八奈のキャラになりきれば素直になれると思って……。勇気を出して、ずっとあなたにしてあげたかったこと、全部やってみました」

 

 俺がド忘れしているだけだろうか。

 八奈様が演じた幼馴染キャラで、こんな口調で喋る子がいただろうか?

 

「この一週間、本当に心配したし、悔しかったんですよ? あなたの心をそこまで乱す伊月八奈にすごく嫉妬して……。だから、伊月八奈の声を真似すれば、もしかしたら気を引けるかもしれないって。ずっと、こっそり練習してきたんですよ? あなたに喜んでほしかったから」

 

 ……演技?

 演技、だよな?

 だって、まさか、あの琴葉が、俺に対してそんな感情を持つはずが……。

 

「……覚えてますか? 小学校に入りたての頃、私、クラスメイトに苛められましたよね? 『声が変だ』って。ずっとこの声がコンプレックスだったから、本当に悲しくて、気づけば何も話せない子になって……」

 

 それは……本当にあったことだ。

 別のクラスになってしまったから知るのに時間がかかってしまったが、琴葉は声をネタに男子たちから苛められていたんだ。

 一緒の帰り道で、日に日に何も話さなくなっていく琴葉のことが気になって、休み時間に教室を訪ねてみたら……その現場に出くわしたわけである。

 

「でも……あなたが助けてくれました。『この子の声はおかしくない。声優さんみたいに綺麗で、素敵な声だ!』って……。嬉しかったです。『君なら、きっと声優になれるよ!』って、そう言ってくれましたよね? コンプレックスでしかなかった自分の声が、そのとき初めて好きになれたんです」

 

 そう。

 琴葉の声はとても特徴的だ。

 それは決して悪い意味でじゃない。

 ……あまりにも声が綺麗すぎるから、周りから浮いてしまったんだ。

 自信を取り戻してからは、本当に声優として活躍できるんじゃないかと思うくらいに、その美声や歌声で人々を魅了してきた。

 

「あなたのおかげです。あなたのおかげで、私は夢を持てたんです。いつか声優になって、好きな人のお嫁さんになって、毎日、私が演じるキャラクターの声で旦那さんを喜ばせてあげるんだって……」

 

「琴、葉……」

 

 それはつまり……そういうことなのか?

 

「……ねえ、景太」

 

 琴葉は、もう伊月八奈の声真似をしていない。

 

「私なら、あなたの夢を叶えてあげられますよ?」

 

 自分の声で、琴葉は言葉を並べる。

 

「私きっと、人気声優になってみせます。伊月八奈にも負けないくらいの。……そうしたら、私の気持ちを、受け入れてくれますか?」

 

「琴葉……俺は……」

 

 声優と結婚したいなんて、現実味のない夢を持った理由。

 それは、もしかしたら自分の気持ちから目を背けるためだったのかもしれない。

 

 こんなにも、素敵な女の子と、自分が釣り合うはずがない。

 

 そんな自信の無さを誤魔化すために、実現しないとわかりきっている絵空事に逃げたんだ。

 

 ……でも、それが徒労だったとしたら?

 葛藤なんて最初から必要なかった。

 素直にさえなれば、とっくに自分たちは、思い描いた未来を実現できていたのではないか?

 

 

 琴葉と視線が重なる。

 そこにいるのは、どのキャラも演じてはいない、記憶にある愛しい女の子そのものだった。

 

「景太」

 

 名前を呼ばれる。

 演技ではない、心から込み上がる感情に従った声色で。

 

「あなたは、どんな『私』なら、愛してくれますか?」

 

「……」

 

 自分でも驚くほどに冷静だった。

 答えなんて、とうの昔から決まっていたからだ。

 俺が本当に求めている相手。

 

 清楚な魔法少女でも無く。

 面倒見のいいツンデレでも無く。

 お世話好きの後輩でも無く。

 無邪気な妹でも無く。

 色っぽい未亡人でも無く。

 

 もちろん、ただの幼馴染でも無い。

 

 俺が真に望む未来。

 それは……。

 

 

   ◆

 

 

 仕事を終えて家に帰り、愛しい妻に迎えてもらう。

 この瞬間があるからこそ、日々頑張ることができると言っても過言ではない。

 しかも、その妻がいまや日本中で有名な人気声優というのだから、俺は本当に幸せ者だ。

 

「お借りなさいニャン旦那様♪ ご飯にするかニャン? お風呂にするかニャン? ……それとも~?」

 

「おう~今日は『スターキャッツ』のミルクちゃんか。 ……よし! 最近はその役もご無沙汰だったし、このままベッドに直行だ!」

 

「旦那様は本当に下半身に正直なケダモノだニャ~」

 

 ほっとけ。

 だいたいそんな男と結婚した人気声優さんはどこの誰でしたっけ?

 そう聞くと、妻は顔を真っ赤にして縮こまる。

 

「ニャニャ……琴音と景人が起きちゃうから、ほどほどにお願いするニャ~」

 

 モジモジと恥じらう妻のなんと愛らしいこと。

 二人目を出産してからようやく仕事に復帰した妻だが……これはひょっとしたらまた産休が必要になるかもしれんな~。

 妻をお姫様抱っこしながら寝室へと向かう。

 

「……ふふ♪」

 

「なんだよ、急に笑って」

 

「夢が叶って、毎日幸せだな~って思いまして。ときどきこの日常が本当に夢なんじゃないかって、怖くなっちゃいます」

 

「ちゃんと現実だよ。お互い、夢を叶えたんだ」

 

 妻は、かつて名声を轟かせた伊月八奈にも負けない人気声優となり、俺はそんな人気声優の夫となった。

 そして毎日、こうして日替わりで妻が出演したキャラクターを演じてもらって『盛り上がる』のが恒例となっている。

 

 ……いやあ、本当に毎日が充実しています。

 

「たまには趣向を変えて、昔やったみたいに八奈さんのキャラを演じてみますか?」

 

「バカ言え。そんな浮気できるか。俺が愛してる声優はこの世でただひとり、お前だけだよ」

 

「……もう、ズルイです景太は。そんなこと言われたら、いっぱいサービスしたくなってしまいます」

 

 ほう……妻の渾身のサービスか。

 心が躍るな。

 いじらしく指をモジモジさせている『素の妻』の姿を見ていると、愛おしい気持ちが怒濤のように溢れてくる。

 

「……予定変更だ。一回目は素のお前で頼むよ」

 

「ふふ♪ ()()()、みたいにですか?」

 

「よ、よせよ。そのときの話するのは……」

 

「赤ちゃんみたく夢中に甘えてくる景太……かわいかったですよ?」

 

「恥ずかしくなるからやめてくれ!」

 

「くすくす♪ 本当に、かわいらしい人♪」

 

 ぎゅっと首元に腕を回して、抱きついてくる妻。

 

「……愛していますよ、景太。どんなに有名になって、人気者になっても……私は、あなただけの声優ですから。だから……どうか、離さないでくださいね?」

 

 まっすぐに愛を告げる妻を、しっかりと抱え込む。

 

「当たり前だ。なんてたってお前は、俺の『推し声優』なんだからな」

 

「あら。じゃあ私が声優を辞めたら捨てちゃうのですか?」

 

「バカ言え。たとえ世間が認めなくても、あの夜からずっと、お前は俺にとって最高の声優だよ」

 

 たとえ夢が叶わなくても、俺は彼女と添い遂げると決めた。

 だからこの先、彼女が引退しても声を大にして言える。

 

 俺の妻は、世界で最高の『推し声優』だと。

 そんな彼女と結婚できた俺は、世界で一番の幸せ者だと。

 

「うふふ♪ もっともっと幸せにしてあげますから、覚悟してくださいね、旦那様♪ これから私の声でたっくさんトロトロにしてあげちゃうんですから♪」

 

 蠱惑的な笑みを浮かべて、寝室のベッドに横たわる声優の妻。

 人気声優のこんな淫らな笑顔と声を聞けるのは、この世で俺ただひとりだけ……。

 

 ありがとう、俺をこの世に誕生させてくれた神様。

 ありがとう、きっかけをくださった八奈様。

 俺は、本当に幸せ者です。

 

 

 

   ◆

 

 

 

「……ふふ♪ 二回目はどの『私』にしますか? 旦那様?」

 

 ……ふう。

 近々、三人目の名前を考えないといけないかもしれないな。





 一次ファンタジーでなかなか納得のいくものが思いつかなかったので息抜きに書いてみました。

 声優さんとの結婚。
 アニメファンならば一度は夢見るはず!
 成し遂げた御方が本当に羨ましいですね。

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