JK妻(シーズン1)   作:山田甲八

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十一 テレビ出演事件(前編)

 慌しくも楽しい年末年始が終わった一月下旬の午後七時頃、僕は碑文谷の街で家路を急いでいた。辺りは暗い。通常国会がスタートしたばかりで僕はとても忙しくなっていた。それでも今日はチャコに「早く帰ってきて」と言われていたのだ。なぜかは教えてくれなかったが何かたくらんでいるのだろう。チャコやチャコと同じ天使の顔をした悪魔に振り回される生活にも随分慣れてしまった。

 家に到着し玄関を開けると僕の予感がほぼ的中していることを感じた。玄関には見慣れない靴がきれいに並べられていたのである。男性用の靴もあるし、女性用の靴もあった。

「ただいま~。」

 僕が玄関を開けると大きな声で「お帰りなさ~い!」とチャコがすっ飛んできた。よそ行きのいい外ヅラだったのでお客さんが来ていることはすぐに分かった。これからしばらくこの少女は貞淑な妻を演じるのだ。僕にとっては好都合だか少し肩が凝る。

「お客さん?」

「そう。啓一さんには黙ってて申し訳なかったんだけど会って欲しい人がいるの。リビングにいらっしゃるのでどうぞ。」

 チャコがいつになく低姿勢だ。僕に気を使っているのが分かる。きっと僕の会いたくない人物なのだ。誰だろうとリビングに入ると

「やあ啓ちゃん。お久しぶり。オーディションのとき以来だね。」

 そこには音楽プロデューサーの野島氏の姿があった。見慣れないアイドルと思われる女の子が二人、マコちゃんと一緒に座っていた。テーブルの上にはチャコが腕をふるったのだろう、餃子やチャーハン、焼きそばなどがところ狭しと並べられていた。美味しい中華料理を囲みながら歓談していたようだ。

「まあ人様の家で僕が言うのもおこがましいけど座ってよ。座って話をしようよ。」

 野島氏にそう言われ僕はなぜか長いソファの真ん中を勧められた。外套と上着を脱いで僕が着座すると僕の知らない二人の女の子が僕の両隣に移動し、僕を挟む格好になった。僕の前の椅子に野島氏とマコちゃんが並んで座り、チャコはダイニングチェアを持ってきて端っこに座っていた。

 なるほど僕の会いたくない相手だ。マコちゃんのオーディション以来、野島氏からは二十回くらい面会を求められているが僕はすべて断ってきた。本当に忙しかったし、会うと面倒なことになると思ったからだ。だからしびれを切らした野島氏は実力行使に出たのだろう。

「いきなり土足で踏み込むようなことをしてごめんね。でもこうでもしないと僕に会ってくれないと思ったから。マコちゃん経由でチャコちゃんに無理をお願いしたよ。」

 野島氏はすまなさそうに言った。もうチャコが僕の妻であることは理解しているようだ。

「お兄ちゃん、忙しいところごめんね。野島先生がどうしてもお兄ちゃんと話がしたいって言うんでチャコちゃんに無理をお願いしたの。」

 マコちゃんもすまなさそうに言った。

「これってチャコが仕組んだのか?」

「うん、啓一さんには悪いと思ったんだけど、今、あたしマコちゃんに逆らえないの。だからこういうことをやらせていただきました。ホントごめんねえ。」

 マコちゃんに逆らえないというのは「不倫事件」のときに自分の危機を脱するためマコちゃんをペテンにかけたことを言っているのだろう。

「まあ、ここまでセットされたらしょうがないから話は聞くけど……」

「啓ちゃん、ありがとう。恩にきるよ。」

 野島氏が右手の手刀を垂直に自分の鼻につけ、スマナイのポーズをしながら言った。

「でもこの二人の女性は?」

 僕は両端に座った二人の女の子の方が気になっていた。初対面のはずだが何か見覚えがある気もする。二人ともモデル体型だ。絶世の美女といってもあながち的外れではないだろう。

「啓一さん知ってるでしょ?鈴木春菜ちゃんと越後屋友美ちゃん。マコちゃんの同期生だよ。」

 チャコが僕の右側、左側の順で紹介した。二人は無言で会釈した。なるほどそう言われれば見覚えはある。マコちゃんのオーディションのときにぶっちぎりで合格した二人だ。

「ああ、思い出した。はじめまして。でもなんで僕の隣に座るの?」

「それはまあ、お色気作戦よ。野島さんに啓一さんをどうしても説得したいって言われて、啓一さんの好きなこと何かなあと思ってとりあえずやってみました。」

 自分の夫に他の女性のお色気作戦を仕掛ける妻も珍しいし、それを当事者の前でばらす妻はもっと珍しいだろう。僕は二人の女の子を交互に見た。二人とも髪は長く、茶髪と言うより金色に近い。右側の女の子はサラサラのストレートで左側はふわっとしたウェーブがかかっていた。メイクもバッチリだ。いつもチャコやマコちゃんを見慣れているせいか、二人がとても大人っぽく見えた。

「まあ状況は理解しました。で、野島さんのお話はなんですか?」

 野島氏は姿勢を正した。高飛車な野島氏にしては珍しく低姿勢だ。みんな僕に気を使っていた。こういう状況は不慣れだ。

「僕が『スタジオL』っていう音楽情報番組をやってるのは知ってるよね?」

「ええ。裕ちゃんの頃からですからね。そういえばマコちゃんのいるチームって『スタジオL』から出て来たチームだから、だからオーディションのとき野島さんが審査委員長だったんですね。今つながりましたよ。」

「それでだ、そろそろ裕ちゃんの命日なんで今年こそ追悼企画をやりたいんだ。」

「追悼企画?」

「うん。本当は去年やりたかったんだけど啓ちゃんが行方不明だったんでできなかった。今年は神のご加護がありマコちゃんのつてで啓ちゃんと再会できた。だから今年はぜひやらせてもらいたいんだ。啓ちゃんには分かってもらえると思うけど今でも裕ちゃんのリクエストがごっそり届くんだ。」

「どういう内容になるんです?」

「まずチームが歌うんだけどそれはマコちゃんをフロントに出す。最新アルバムの七番目の曲でマコちゃんをフロントに起用してある。それはこのときのために準備したんだ。啓ちゃんを説得する材料にするためにね。この番組のこの企画のためだ。その後に『卒業』を歌ってもらう。」

「マコちゃんにですか?それは無理でしょう。」

 マコちゃんの歌唱力には限界がある。はっきり言って音痴なのだ。

「そう。マコちゃんには無理だ。オーディションのときはもっとうまかったはずだったんだけどな。だから『卒業』は今、啓ちゃんの右隣に座ってる鈴木春菜に歌ってもらおうと思ってる。」

 僕は右隣のサラサラストレートを見た。サラサラストレートは無言で会釈した。

「なぜ彼女なんです?」

 僕は春菜ちゃんの方をチラッと見て言った。

「実はねえ、春菜ちゃん柏崎の出身なの。」

 マコちゃんが解説してくれた。

「ああ、そうなんだ。どこの中学?」

「一中です。」

 サラサラストレートは優しい笑顔で答えた。

「で、柏崎小学校ってわけか。」

「はい。」

 なるほど、正真正銘、裕ちゃんと僕の後輩だ。

「どうだろう。春菜の歌唱力は君もオーディションのときに見て知ってるだろう。問題ない、というよりはっきり言って裕ちゃんより上だ。それで裕ちゃんの小学校、中学校の後輩が歌いますと言えば番組としては成立するってわけだ。後は啓ちゃんがこの企画をのんでくれるかどうかなんだけど。」

 僕は少し考えた。みんなが僕に注目した。

「お断りします。」

 僕はきっぱりと言った。

「どうして~?いい話じゃない。野島さんの企画に乗ってあげてよ。あたしも『卒業』聴きたいんだから」

 意外にもチャコが真っ先に異議を申し立てた。

「僕だって聴きたいよ。でも駄目だ。僕のイメージに合わない。『卒業』は裕ちゃんと僕の大切な思い出なんだ。ただ後輩だというだけでは歌わせることはできない。」

「なんとか考えてもらえないだろうか。僕も『卒業』をやりたいんだ。」

 野島氏が懇願する。僕は少し考えた。そして「もし『卒業』を歌うなら……チャコが歌えばいい。」

そう言って僕はチャコを見た。

「ええ、あたし?あたしは無理よ。」

「いや、歌うならチャコしかない。チャコこそ裕ちゃんの正統な後継者で『卒業』の作詞者である僕の妻だ。チャコが一番ふさわしいよ。そうだ、チャコで行こう。それなら僕のイメージにピッタリだ。現役の歌手でなくても白石裕子の姪が歌いますということにすれば番組としても問題ないはずだ。」

「まあ僕としては『卒業』が出せればいいけど……」

「ねえ、あたし今すごいこと思いついちゃった。」

 野島氏の話の骨を折ってマコちゃんが割り込んできた。

「チャコちゃんが『白石真子です』って言って歌えばいいんじゃないのかな?」

 マコちゃんらしい発想だ。でも僕は一蹴した。

「駄目だ。そんな替え玉は永遠には続けられない。チャコにはチャコとして歌ってもらいたい。野島さん、どうでしょう?」

 僕が企画を持ちかける立場になった。

「チャコちゃんは裕ちゃんの姪だし、テレビに出すことは問題ないと思う。でもチャコちゃん人前で歌うの大丈夫かな?マコちゃんがマコちゃんだから心配なんだけど。」

 野島氏の心配はもっともだ。

「例えばですよ、例えばオーディションのときに歌っていたのが実はマコちゃんじゃなくてチャコだったとしたらどう思いますか?」

 十秒くらい間があった。

「そういうことか?」

 野島氏はニヤリと言った。

「例えばの話です。」

「それなら問題ないよ。めちゃめちゃうまいというわけではなかったが僕はマコちゃんに合格点をつけてるからね。そうか。それはいい話だ。自分の代わりに双子の姉を替え玉に使うなんてマコちゃんらしいエピソードだ。こういうの好きだなあ。」

「例えばの話ですからね。」

「いいよ。早速、匿名でチームの掲示板にアップしよう。白石真子替え玉疑惑。どれくらい食いつきがあるか楽しみだ。じゃあ決まりだね。企画は変更だ。チームの方は原案通り。その後でチャコちゃんが出てきて一人で『卒業』を歌う。これでいいね。」

「はい。」

 僕はしっかりと答えた。

「啓ちゃんありがとう。もうこんな企画はできないと思ってたからうれしいよ。お礼と言ってはなんだけど僕にできることがあるならなんでもするよ。」

「じゃあ遠慮なく言いますよ。」

 僕は強気に言った。

「どうぞ。」

「マコちゃんのシングルをお願いします。」

 マコちゃんがハッとしたのが分かった。

「マコちゃん一人で?それはいくらなんでも……」

「分かってます、だから」

 そう言って僕は右手の手のひらで隣の少女を示し、「こちらの女性、鈴木春菜さんとユニットで出してもらいたいんです。」

 一瞬間があった。

「……いいだろう。……ってかそれなかなかいいね。春菜は歌も踊りも抜群でプロポーションもばっちりなんだけどおとなしすぎるんだよね。マコちゃんと組めばお互いのいいところが出せるね。さすがはヒットメーカーだ。」

「スミマセン。」

 マコちゃんが口を出した。

「分かったようで分かんないんですけど、それってどういうことです?あたしと春菜ちゃんが一緒に歌うってことですか?」

「そうだよ。二人でね。ユニットの名前を考えないといけないな。さすがは君のお兄さん冴えてるね。」

「でもそんなんじゃあたしが春菜ちゃんの足引っ張っちゃって迷惑でしょ?」

 マコちゃんは信じられないといった感じだ。

「そんなことないよ。チームじゃマコちゃんにいっつも助けられてるし、マコちゃんと一緒なら私もうれしいな。」

 右隣のサラサラストレートが言った。

「そうだ。いきなり春菜がソロでやるよりずっといい。で、啓ちゃん。曲は出してくれるんだろうね。裕ちゃんの作ったやつを。」

 野島氏が念を押した。

「もちろんです。アップテンポの飛び切りのやつを準備しますよ。」

「アップテンポじゃ夏の曲だね?」

「そうですね。」

「じゃあ五月下旬にリリースしよう。」

「楽譜持ってきますね。」

 そう言って僕は席を立ち、スタジオ兼書斎に向かった。チャコが追いかけてきてスタジオ兼書斎に入るとドアを閉めた。

「ねえ、啓一さんどういうことなの?何考えてるの?」

「何って今言ったとおりだよ。チャコは『スタジオL』で『卒業』を歌うんだ。同じ番組でマコちゃんはフロントで歌って五月にはユニットでデビューするってわけだ。やっとマコちゃんに渡した手形を落とせるよ。」

「そんなの無理だよ。」

「だってチャコが『あたしも聴きたい』って言ったんだろ?だったらチャコが歌ってよ。」

「あたしはいいけど学校が無理だよ。」

「でも許可を得ればいい話でしょ?学校が反対するなら僕が直接説得する。」

「ねえいつもと立場逆じゃない?あたしが啓一さんを抑えようとしてるよね?」

「そうだね。役割が違うから少し勝手も違うかな?あしたか明後日、できればあした、学校に行って高倉先生を説得するからアポイントとっといてね。」

「絶対に無理だって。」

「駄目ならそれでいいよ。卒業まで待つだけの話だ。その方がチャコの卒業と重なってかえって良かったりして。」

「そんなことしたらマコちゃんのデビューも延びちゃうんじゃない?」

「それは大丈夫。僕は門外不出の裕ちゃんの歌を出すことを約束したんだ。野島さんにとっては予想をはるかに上回る収穫だと思うよ。マコちゃんのデビューは必ず実現する。予定通りにね。」

「なんかいつもの啓一さんじゃない。あたしの好きな啓一さんはそんなに前向きじゃない。」

「前向きな僕は嫌いかな?」

「そうじゃない。そうじゃないけど、いつもとペースが違うんでびっくりしてるの。……啓一さんごめんね。あたし気が付かなかったけどいっつもあたしやマコちゃんのペースだったよね?いっつもいっつもあたしやマコちゃんが我がまま言ってるのに啓一さんはいつだってやさしく受け止めてくれるんだよね?」

「そうかなあ?」

「そうだよ。だから……いいよ。啓一さんのやりたいようにやってね。あたしは付いていくから。マコちゃんが我がまま言うようならあたしがガツンと言うから。」

 チャコがそんなことを言っていたが僕は聞き流して探していた楽譜をつかむとチャコを残したままリビングに戻った。そしてさっき座っていた席に戻り、一呼吸おいて静かに野島氏に楽譜を手渡した。

 音楽プロデューサーの野島氏は当然のことながら初見ができる。楽譜をしばらく眺め、曲の感触を確かめていた。

「なんならピアノお貸ししましょうか?」

 僕は自信に満ちた声で言った。

「いや、これで十分だ。素晴らしい。本物だ。本当に裕ちゃんだ。楽譜まで持って帰れるなんて夢みたいだ。涙が出るくらいうれしいよ。ありがとう。……ねえ、啓ちゃん。ついでに春菜のことを全部お願いできるとありがたいんだけどな。どうだろう?」

 僕は右側のサラサラストレートにチラッと目をやった。サラサラストレートは無言のまま会釈した。

「それはマコちゃんとの結果次第ですね。僕がなぜ今まで裕ちゃんの曲を出してこなかったか分かりますか?」

「整理中だからって聞いてるよ。」

「それは建前です。本当は裕ちゃんに匹敵する適当な歌い手が見つからないからです。マコちゃんとの結果を見てこの子、春菜ちゃんで行けると思ったらそのとき考えましょう。」

「きっと啓ちゃんの期待には応えられると思うよ。」

「それなら僕にも好都合です。僕も裕ちゃんの歌を歌えるシンガーを探していたんですから。もっともここ一年は二人の少女に翻弄されてそれどころじゃなかったですけど。」

 そう言って僕はマコちゃんをチラッと見た。マコちゃんは意味がよく理解できていないようでキョトンとしていた。

「ありがとう。じゃあ僕は啓ちゃんの気が変わらないうちに失礼するよ。君たちはゆっくりして啓ちゃんにたっぷりサービスしてあげてね。じゃあ。」

 野島氏は連れてきた二人のアイドルの卵にそう言うと裕ちゃんの楽譜を大事そうに抱え、席を立った。するとキッチンにいたチャコがマッハの速度で登場しお土産の餃子を野島氏に渡した。この辺はさすがに政治家の妻だ。

 野島氏が帰った後、ゲストの二人と双子の姉妹は僕のことを一生懸命もてなそうとしてくれたが僕は国会の仕事があると言ってやんわりことわりスタジオ兼書斎にこもり、久しぶりに裕ちゃんの残してきたものと向き合った。あの鈴木春菜という名のアイドルの卵の実力はまだよく分からないけれど、柏崎出身ということで何か運命的なものは感じた。彼女は少なくとも強運は持っているのだろう。裕ちゃんの残してきたものを整理できるかもしれない。僕は微かに道が開けたような気がしていた。リビングの方では楽しそうな女の子達の笑い声が夜遅くまで続いていた。

 

 次の日のお昼頃、永田町にいる僕の携帯のバイブレーションが震えた。ディスプレイには「公衆電話」と表示されている。

「もしもし。」

「あっ、啓一さん?チャコです。高倉先生に話したよ。」

「テレビに出たいって?」

「まだそこまで言ってない。夫婦で相談したいことがあるんで時間とってくださいって。で、今日の三時半にいつもの応接室ってことになった。ということで今日の三時半に学校に来てね。」

「分かった。」

「あたしは無理な方に賭けるけどな。」

「僕も無理な方に賭けるよ。結果はどうでもいいよ。とにかく僕の気持ちを伝えたい。」

「うん。じゃあまたね。」

 そう言って電話は切れた。

 

 僕は急用ができたと秘書に言い、地下鉄と東急で自由が丘女子高等学校に向かった。そして時間を調整して三時半きっかりに応接室に入った。高倉女史とチャコは既に僕のことを待っていた。

「こんにちは。今日はお忙しいところお時間を取ってくださいましてありがとうございました。」

 僕はそう言って高倉女史に最敬礼した。高倉女史も立ち上がり「いつもお世話になります」というようなことを言ってお辞儀をした。そして席を勧められ、着席した。高倉女史と夫婦が向き合った。

「今日はどういうお話なんでしょう?」

 いつもはもっと高飛車なはずの高倉女史の腰が今日はとても低い。

「実は朝子をテレビに出演させたいと思いまして。学校のご理解を頂きたいと思いましてまいりました。」

「テレビに?それは教育番組か何かですか?」

 すでにノーを前提にした質問だ。

「いいえ。……先生。『スタジオL』という音楽情報番組はご存知ですか?」

「先生は歌番組なんて見ないかもしれないけど。」

 チャコが僕の後に続いて言った。

「いいえ。先生も歌番組くらい見ることもありますよ。『スタジオL』は知ってます。妹さんが活躍されてる番組ですよね。なんとなくおっしゃりたいことは分かりました。妹さんと一緒に番組に出演したいということですね?」

「はい。」

「それは難しいですね。」

「そうですか。」

 僕はがっかりした表情を見せた。チャコの言うとおりしょせんは無理な話だったのかもしれないが面と向かって言われるとやはりつらい。

「白石さん、悪く思わないでください。実は昨日、朝子さんに『相談したいことがある』と言われて、私にできることであれば多少校則に違反するようなことでも特別に目をつぶってもいいかなと思っていたんです。」

「はあ?」

「朝子さん本当に素晴らしいんです。入学した頃はいきなりイエローカードが二枚出てびっくりしましたけど、それ以降は素晴らしいリーダーシップを発揮してクラスをまとめてくれて、今では一年B組の副担任とまで言われているんです。どうしてもうちの学校はおとなしい子が多いので朝子さんの存在は助かってます。だから例えばこの前みたいに着物を着て外出したいとか、そういうことならほかの先生を説得して特例を認めてもいいかなと思っていたんです。着物を着るくらいでしたら決して当校の校風と相容れないものではありませんから。」

「はい。」

「でもテレビ出演、それも芸能番組となるとやはり私の力では無理です。お役に立てず申し訳ありません。」

 高倉女史は深々と頭を下げた。いつも強気な高倉女史の腰が低い。僕はなんと言われても押しまくろうと思っていたが逆に強気に出られなくなってしまった。

「いいえ、僕の方こそ無理を承知で押しかけたんですから。お時間をとらせて申し訳ありませんでした。」

 僕は静かに言った。テレビ出演が認められなかったことよりも強気に出られない自分にむしろ落胆した。

 それから少し沈黙があって、「ねえ先生、先生の髪型っていつもおんなじですけど誰かモデルになってる人とかいるんですか?」とチャコが唐突に聞いた。

「どうしたのよ急に。なんでそんなこと聞くの?」

「それとメイクや服装も。前から気になってたんですよ。誰かの真似してるのかなって。」

「たとえそうでもあなたには関係ないでしょ。これは先生のプライベートなことなんだから。」

 高倉女史はやんわりとかわした。少し間があって、「先生、白石裕子って歌手知ってます?」

 チャコが聞いた。また少し間があった。

「そう。……分かってしまったんだったら隠してもしょうがないわね。そうよ。白石裕子を意識してます。白石裕子はね、先生の少し遅い青春。今から四年くらい前かな。私、とてもつらいことがあったの。そんなときに彼女がデビューして彼女と出会って、色々と慰められたし、力づけられたの。CDは全部買ったし、夏休みには彼女の追っかけもした。東京、名古屋、大阪、福岡とコンサートツアーをまわったの。二年前に彼女が死んでしまったと聞いて、私は信じられなくて……」

 そこまで話すと高倉女史は固まった。口を開き、目をおっぴらげているいつものびっくりのポーズだ。何か重要なことに気付いたのだ。

「白石さん。」

 高倉女史は僕に声をかけた。

「はい?」

「下の名前、確か啓一さんでしたよね?」

「はい。」

「結婚されてから白石さんになったんですよね?」

「はい。」

「結婚する前の苗字はなんとおっしゃったんですか?」

「石水です。」

 と、次の瞬間、女教師の絶叫が全校中に響き渡った。

 高倉女史はしばらく狼狽していた。驚愕という言葉もおそらくこういう状況を表現するためにあるのだろう。「うそ……、信じられない……、どうして?……こんなことってあるの?……」そんな状態が三分くらい続いた。

「恥ずかしい姿をお見せして申し訳ありません。人生の中で一番びっくりしたものですから。石水啓一さんってあの『卒業』を作詞した石水啓一さんなんですね?」

「はい。」

 僕は静かに答えた。高倉女史はようやく会話ができる程度に落ち着きを取り戻した。

「説明していただけませんか?お二人は白石裕子とどういう関係なんですか?ご親戚なんですか?」

「白石権蔵をご存知ですか?参議院議員の。」

 僕が説明した。

「ええ。文部科学大臣もやりましたからね。」

「白石裕子は白石権蔵の娘なんです。」

「そうだったんですか?知らなかった。」

「そして朝子は権蔵の孫……」

「ええっ!じゃあ朝子さんは白石裕子の子どもなんですか?」

 高倉女史はもう一度びっくりした。

「ほら、啓一さんが変なこと言うから先生混乱しちゃったじゃないの。あたしが説明するよ。」

 チャコが僕を引き継いだ。

「啓一さんは祖父の権蔵のお気に入りだったんです。祖父はなんとか啓一さんを跡継ぎにしようと思って娘の裕子と結婚させようとしたんです。でも裕子は重い病気にかかって死んでしまった。それで今度は裕子の姉の娘であるあたしと結婚させたんです。だからあたしと白石裕子は叔母と姪の関係。啓一さんは白石裕子の婚約者。結婚はできなかったけど婚約は解消されていないので今でも婚約者。啓一さんは白石裕子の永遠の婚約者なんです。」

「そうでしたか。」

 高倉女史は静かにそう言うとしばらく窓の外に目をやりもの思いにふけった。

「こんな近くにいたなんて。……白石裕子のことはもう忘れようとしていたところでした。私のつらい思い出と一緒に。……もっとはやく気付けば良かった。ヒントはいっぱいあったのに。」

 高倉女史は目をウルウルさせながら言った。

「『スタジオL』は毎週見ていました。白石裕子が出ていた頃は。ビデオだって全部残ってます。……それで、朝子さんは『スタジオL』で何をやるんですか?」

 今度は僕が説明する番だ。

「朝子には『卒業』を歌ってもらう予定です。」

「『卒業』を?」

「白石裕子の追悼企画をするそうなんです。それで誰に『卒業』を歌ってもらうのがふさわしかということをプロデューサーに聞かれまして僕が朝子を指名したんです。白石裕子の姪であり『卒業』の作詞者である僕の妻である朝子しかいないと。」

「そうですか。……白石さん、一つだけ教えていただいてよろしいでしょうか?」

 しばらく間をおいて高倉女史が僕に聞いた。

「なんでしょう?」

「白石裕子は本当に死んだんですか?」

「本当に死にました。」

「間違いありませんか?」

「間違いありません。彼女の心臓が停止するそのとき、僕は彼女の手を握っていたんですから。」

 少し間があった。

「それはとても残念です。まだどこかで生きていると思っていましたから。でもすっきりしました。……テレビ出演のことは分かりました。明日、緊急の職員会議を招集してほかの先生を説得してみます。」

「先生、あまり無理しなくていいですよ。」

 チャコが申し訳なさそうに言った。

「ううん。無理させて。私、教師生命をかけてもチャコちゃんをテレビに出演させてみせます。だって、私、チャコちゃんの歌う『卒業』聴いてみたいんですもの。」

 いつの間にか「チャコちゃん」になっている。高倉女史は別の人になってしまったようだった。

 

 十数分後、チャコと僕は自由が丘の街を駅まで歩いていた。

「またチャコに助けられたな。」

 僕はポツリと言った。

「そうかなあ。あたしは結構自分のためにやった気がするけど。」

「先生びっくりしてたね。チャコは知ってたんでしょ?高倉先生が裕ちゃんのファンだってこと。」

「うん。そんなこと一言も言ってなかったけど人間て不思議だよね。自分の知らないうちに自分のことをほかの人に教えてたりするよね。あたしは裕ちゃんのことが大好きだからすぐに分かったよ。だからあたしが裕ちゃんの姪だってことは結構切り札だったんだ。」

「その切り札を僕は使わせちゃったってわけか。」

「一番いいタイミングで使えたよ。もうそんなに日はないしね。四月になれば担任は交代だし。それに高倉先生、あたしのこと『チャコちゃん』って呼んでくれたし。」

「ありがとうチャコ。」

 そう言って僕は自分の右手を背中に回して僕の左側を歩いているチャコの右手を握った。

「あら珍しい。啓一さんから手をつないでくるなんて。しかも学校関係者がたくさんいる自由が丘でまだ昼間なのに。そんなことしたら児童買春防止法違反で捕まっちゃうよ。」

 そう言う割にはうれしそうだ。

「なんかそんな気分なんだよ。」

 僕はにっこり笑ってそう言った。

 

 


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