高倉女史への説得は成功したがまだ学校の許可が得られたわけではない。でも僕はもう十分満足だった。堅物としか言いようのない高倉女史が教師生命をかけてでもチャコをテレビ出演させると言ったのだ。裕ちゃんの実力を改めて感じた。
次の日の朝、チャコは珍しく自分から起きてきた。
「おはよう。今日は早いね。」
僕はまだ朝ごはんの支度をしているところだった。
「うん。今日、職員会議開くって言ってたでしょ?なんか興奮しちゃって早く目が覚めちゃった。二度寝しようと思ったんだけどそれもできなくて。」
「まあ昨日高倉先生があれだけ言ってくれたんで僕はもう満足かな。」
「そうだね。高倉先生に対しては切り札があったけど職員会議の突破はいくらなんでも無理だよね。今日はあたしも呼ばれているけどまあ高倉先生のお手並みを見物してくるよ。」
そう言ってチャコと僕は一緒に朝ごはんを作った。朝ごはんを一緒に作るのは結婚してから結構初めてかもしれない。チャコは自分のお弁当を作り、僕のお弁当も作ってくれた。結婚して初めての「愛妻弁当」だ。
それから和風の朝ごはんを一緒に食べて一緒に出かけた。学芸大学の駅でお互いに反対方向への電車を見送り、チャコは学校へ、僕は永田町へと向かった。永田町での時間は相変わらずあわただしかったがチャコのことが気になっていたので明日にできることは明日に回し、夜の七時頃に帰宅した。チャコはもう帰宅していて晩ごはんを作って僕の帰りを待っていた。「ただいま」、「おかえり」と言い合った瞬間、何かとてもいいニュースが聞けるような気がした。チャコはとてもニコニコしていた。二人はダイニングで向き合った。
「今日はお疲れ様。職員会議どうだった?」
僕はチャコをねぎらった。
「すごかったよ~。啓一さんにも見せてあげたかったな。ビデオに撮っとけば良かったよ。」
「で、結論はどうなったの。」
「それがね、OKが出たの。びっくりしちゃった。」
僕もびっくりした。絶対に超えられないハードルだったはずだ。
「何があったの?ほかの先生は反対しなかったの?」
「もちろんみんな反対したよ。まず校長先生が『そんな破廉恥な番組に出るなんて教育上好ましくない』というようなことを言ったの。そしたら高倉先生『この前、校長先生は給湯室で私のお尻を触りましたけどあれは破廉恥行為じゃないんですか?』ってやったの。教頭先生、女のね、教頭先生が校長先生を弁護すると今度は『そう言えばこの前、校長先生と教頭先生がホテルで食事をしているの見たけど、それって不倫じゃないんですか?なんなら教育委員会の先生に話してもいいんですけど』って言ってこれで校長先生と教頭先生は撃沈。それから三人の先生が次々と反対意見を述べたけどことごとく高倉先生のパワーにつぶされて最後は満場一致でOKになったよ。」
「高倉先生、人間が変わっちゃったみたいだね。本当に教師生命を賭けたんだ。」
「うん。人間てあんなに変われるものなんだろうか。あたしもびっくり。ただね、一つ条件があって、絶対に制服を着ること。これはしつこく念を押されたよ。」
「ああそうか。そういう問題があったんだ。」
「それはまずかったかな?」
「いや、制服は着るのが当然と思ってた。だからチャコを指名したようなもんだもん。制服を着てはいけないことが条件だったらどうしようかと今思ったところだ。制服を着たチャコが『卒業』を歌う、これが僕のイメージだったから。」
「そっか。じゃあ万事うまくいったってことだね。良かった。」
チャコと僕は本当に喜んでジュースでささやかに祝杯をあげた。奇跡が起きたのだ。
それから収録までの約一ヶ月間、チャコは自宅のスタジオで何度も練習した。時々マコちゃんが来た。マコちゃんは五月からユニットを組む鈴木春菜を連れてくることもあった。マコちゃんと春菜ちゃんは僕がそれと分かるくらい僕に一生懸命ゴマをすった。
収録は三月に入って最初の日曜日に行われた。番組自体は台本があって、台本の順番で進行していくのだが、何分生放送ではなく収録番組なので収録は出演者の都合に合わせて別々に行われていた。最後に編集で合体させて一つの番組として完成させるのだ。
この日のこの時間はチャコの歌う場面だけの収録が予定されていた。チャコはマコちゃんと僕を伴ってテレビ局に入った。テレビ局では春菜ちゃんが待っていた。春菜ちゃんは何かと理由をつけては僕に近づこうとしているようだった。野島氏にそうするよう言われているのだろう。野島氏には「春菜のこと全部お願いできるとありがたい」と言われているのだ。
僕とマコちゃん春菜ちゃんのユニットは楽屋でチャコのメーキャップを見ていた。
「ねえお兄ちゃん。お願いがあるんだけど。」
マコちゃんが僕に話しかけた。
「何?」
「この前、野島先生が言ってたけど、春菜ちゃんのことお兄ちゃんにお願いできないかなあ?」
「マコちゃんも野島さんに頼まれてるの?」
「ううん。別に頼まれてるわけじゃないけど、……裕子叔母さんの残した歌ってたくさんあるんでしょ?」
「うん、それは莫大にあるよ。ついでに言うとまだ世に出ていない裕ちゃんと僕の合作もあるんだ。」
「そう。それを聴いてみたいなあと思って。それも春菜ちゃんのボーカルでね。」
僕は春菜ちゃんを見た。春菜ちゃんは僕と視線を合わせてニッコリ微笑んだ。
「う~ん、チャコにも聞いてみないとな。」
「チャコちゃんに?」
「うん。春菜ちゃんの面倒をみるって言ったら嫉妬するかもしれないでしょ。チャコって結構嫉妬深いから。」
「あたしならいいよ。あたしもマコちゃんの意見に賛成だな。」
遠くからメークをしているはずのチャコの声がした。鏡の中のチャコと目が合った。
「あたし啓一さんのことが大好きだから嫉妬はいずれにしろするんだよ。相手が政治だろうと病気だろうと音楽だろうと裕ちゃんだろうと。もちろん春菜ちゃんでも。春菜ちゃんでも春菜ちゃんでなくても、あたし以外に興味が向くとあたしは絶対に嫉妬するの。だから気にしないで。あたしも裕ちゃんの残した歌を聴いてみたいし、ボーカルが春菜ちゃんなら最高だと思う。」
チャコはさらりと言った。
「それにあたし春菜ちゃんのこと大好きだし。全部お願いされるってことはお弟子さんにするってことでしょ?春菜ちゃんがお弟子さん第一号ならとっても素敵だと思う。」
「分かった。じゃあ考えてみるよ。裕ちゃんとも相談してね。」
そう言うとユニットの二人は息を合わせて立ち上がり声をそろえて「よろしくお願いします」と深々と僕に頭を下げた。
しばらくしてチャコの準備が完了し、スタジオ入りした。ADさんと何か打ち合わせをしてスタンバイが完了したようだ。僕は十メートルくらい離れたところでチャコを見守った。すぐ近くにマコちゃんと春菜ちゃんのユニットもいる。そしてディレクターの「はい、スタートしまーす」の声で前奏が始まった。チャコが歌い始める。
西日が傾く駅のホーム
少し長くなった夕暮れ
列車を待つ二人の影
今、あなたは何を思うのだろう
二人で過ごしたこの街での日々
思い出を胸に私は旅に出る
今日、私はこの街から卒業する
不思議な気持ちがした。チャコは僕と碑文谷の自宅のスタジオで何度もこの曲を練習した。でも何かが違う。とってもとっても懐かしい気持ちが僕を襲ってきたのだ。
(「制服だ!」)
制服を着て「卒業」を歌うチャコを見るのは初めてだった。僕はすべてを思い出した。
中学一年が終わった春休み。僕は長岡駅の新幹線ホームで裕ちゃんを見送った。新幹線の中で僕に見送られる裕ちゃんは今テレビカメラの前で「卒業」を歌っている少女と同じ制服を着ていたのだ。忘れていたはずの記憶が蘇る。そのときの光景が目に浮かぶ。僕は裕ちゃんが離れていってしまうのが悲しくて悲しくて、ホームの上で男泣きに泣いたんだ。
ホームに入る長い列車
スーツケースを手にする私
シートに座り窓の外を見ると
唇を動かすあなたが見えた
列車はホームを離れていった
あなたは闇に消えていった
今日、私はあなたから卒業する
時間が巻き戻る。ピアノ教室でピアノを連弾する裕ちゃんと僕。お手てつないで学校に通う裕ちゃんと僕。そして僕が教室でおしっこをもらしたとき、僕をからかう悪友たちを裕ちゃんは一喝し、自分のはいているパンツをその場で脱いで僕に貸してくれたんだ。僕は体操着に着替え、裕ちゃんは僕の手を引いて家まで送ってくれた。裕ちゃんはめそめそしている僕のために歌を歌ってくれた。そのときから裕ちゃんは歌が大好きだった。駄目だ。涙がじゃんじゃんあふれてくる。涙腺が壊れてしまったようだ。
トンネルに入る車両の窓に
写る自分が涙で曇る
ホームの上のあなたもきっと
涙を流しているのでしょう
時間がまた進行する。碑文谷で裕ちゃんと一緒に暮らした日々。裕ちゃんを乗せた車椅子を押す僕。碑文谷での一年、僕はいつだって裕ちゃんの傍にいた。裕ちゃんは重い病気にかかっていたけど僕の前ではいつも笑顔だった。そして病院のベッドの上。裕ちゃんは静かに安らかに、眠るように僕の手を握ったまま天国への階段を昇っていった。チャコと裕ちゃんが重なり合う。僕は最後まで流れる涙をどうしても止めることができなかった。
二人で過ごしたこの街での日々
思い出を胸に私は旅に出る
今日、私はこの街から卒業する
歌が終わった。
「ハイ、オッケーです!」
ディレクターの声が聞けて僕はホッとした。こんな歌を何度も聴かされたら涙がいくらあっても足りない。チャコはADさんと二言三言話していたが、泣いている僕に気付くとすぐに僕のところに駆け寄ってきた。
「ねえ、どうしたの?」
そう言うチャコを僕は抱きしめた。力いっぱい。
「ねえ、啓一さん、……どうしたの?……恥ずかしいよ。」
「ごめん、チャコの歌があまりにも素晴らしかったからさ。」
僕は言い訳にならない言い訳をした。傍でマコちゃんと春菜ちゃんが見ている。
「そっか。懐かしかったんだね。色々思い出したんだね。いいよ。いっぱい泣きな。」
僕に抱きしめられたままチャコは優しくそう言った。
それからまたしばらく日が過ぎ、裕ちゃんの二度目の命日も過ぎた最初の日曜日、僕はチャコを連れて柏崎を日帰りした。白石家の菩提寺にお墓参りに行くためだ。菩提寺は彼岸を迎え多くの人でにぎわっていた。チャコと僕は静かにお墓参りをすませ、後援会の幹部とお昼ごはんを食べてからおふくろのところにも少し顔を出した。柏崎入りは夏休み以来だった。街には僕と白石権蔵参議院議員の写真が並んでいるポスターがあちこちに貼られていて選挙が近付いていることを感じさせた。
碑文谷に帰ってきたのは夜になった。夕食は外で済ませ、帰宅すると風呂にも入らずにベッドに入った。オンエアは明日だ。妙に気持ちが高ぶる。ベッドに入ったのだが寝付かれない。気にかかることが一つあるのだ。
「ねえ、寝られないの?」
隣のベッドで寝ているはずのチャコが聞いてきたので僕はびっくりした。
「よく分かったね。寝たふりしてるのに。チャコって超能力者?」
僕は寝返りをして布団の中からチャコの方を見た。チャコと目が合った。
「そう。啓一さんのことはなんでも分かるんだあ。大好きだから。……嘘。いつも聞こえてくるはずのいびきが聞こえてこないからだよ。」
「そうか。僕はいつもいびきかいて寝てるんだ。それって迷惑だよね。」
「どうだろう。最近はいびきが聞こえてこないとあたしも寝られなくなっちゃった……どうしたの?いつも寝つきがいいのに。」
「うん。気になることがあるんだ。権蔵先生のこと。」
「おじいちゃんのこと?」
「うん。チャコがテレビに出るの、権蔵先生はどう思うかなって思って。裕ちゃんのときも反対してたから。」
今回のことを権蔵議員には話していない。裕ちゃんのときのように政治的圧力をかけられると嫌だからだ。絶対に超えられないと思った学校というハードルさえ二人で乗り越えたのだ。邪魔はされたくないと思っていた。秘書達にもかん口令をしいていた。
「怒るかもしれない?」
「うん。そうなったらチャコと僕も幸子さんと同じようになるかもしれない。」
「いいじゃない。それならそれで。」
「そうしたらもうここにはいられないかもしれないよ。」
「そしたら柏崎のお義母さんのところで餃子屋さんでもやろうよ。その方が結構楽しいかもしれないよ。あたしは啓一さんと一緒ならなんでもいいや。」
「ありがとう。チャコがそう言ってくれると安心する。」
「それに勘当ばっかりしてたら跡継ぎがいなくなっちゃうよ。おじいちゃんにも少し我慢してもらわないと。」
「まあ跡継ぎは後一人いるけどね。」
「誰?」
「後一人いるでしょ?」
「誰だろう?……ああ、マコちゃんか。」
「そうマコちゃん。」
「マコちゃんが政治家になったら楽しいだろうなあ。」
「そうだね。」
「ねえ、啓一さん、一つだけ約束して。」
そう言ってチャコはベッドから上半身を起こした。
「何があっても絶対に一緒にいてね。ずっとだよ。」
「……うん。分かった。約束するよ。」
僕は本当にそう思った。チャコは裕ちゃんが僕のためにこの世に残してくれた本当の宝物だ。
次の日の夜八時からチャコの出演する「スタジオL」のオンエアは始まった。この日の「スタジオL」がどういう番組になっているのか細かいところを僕は知らされていなかった。収録の日、涙が止まらなくなった僕はチャコを残して一人でさっさと帰ってきてしまったのだ。新聞には「今解き明かされる白石真子替え玉疑惑/復活白石裕子」と記載されていた。
チャコと僕は最初から見た。歳のそこそこいった男性お笑いタレントと局女子アナの司会進行で番組は進んだが中々チャコは出てこない。おそらく最後なのだろう。
何組かの歌手が登場し、コマーシャルも進んだ後、男性司会者の「本日はここで『チーム』の皆さんに出てきてもらいます」という一声でマコちゃんの所属するアイドルグループのメンバーがぞろぞろと出て来た。このチームは番組から自然発生的に生じたグループで「なんとかクラブ」とか「なんとか組」とか「なんとか娘」といったような正式な名前がない。強いてあげれば「チームスタジオL」だがあまりにもそのまんまなので正式名称で呼ぶ人はいない。単に「チーム」といえばこのグループであることがそれと分かるのだ。
いつもなら後ろの方でうろちょろしているマコちゃんが今日はフロントにいる。
「番組の予告でもありましたが今日は『白石真子替え玉疑惑』の徹底検証ということでマコちゃんには前に出てきてもらいました。こんばんは~。」
男性司会者に声をかけられるとマコちゃんは「こんばんは~。マコで~す」と明るくあいさつした。」
「マコちゃんは去年の十月からメンバーに加わったばかりなのにもうフロントですね?」
今度は女性局アナが尋ねる。
「はい。そんなに実力はないんですけどコネでここまできました。」
さすがはマコちゃん。出演者がどっと沸いた。
「今日はこの後、この番組でもご活躍いただいた歌姫白石裕子さんの追悼企画を予定しているんですけど、実はマコちゃんは白石裕子さんの姪御さんにあたるそうですね?」
女性司会者がマコちゃんに聞いた。
「はい。裕子叔母さんの姉の娘です。でも残念ながら血は引き継いでないんですよ。もう少し顔の造作が悪ければ歌もうまかったのかもしれないですけどね。」
「天は二物を与えないということですか?」
男性司会者が突っ込んだ。
「さあ、マコちゃん難しい言葉知らないから。」
マコちゃんが軽くかわして女性司会者が「マコちゃんにはまた後ほど出ていただきます。それでは歌っていただきましょう。準備よろしくお願い致します」と言い、曲を紹介してチームの歌が始まった。
マコちゃんはフロント四人の右から二番目、センターレフトの位置でマイクを握り、踊って歌った。やはりうまくはなく、一糸乱れぬマスゲームのはずがマコちゃんの部分だけ微妙にずれていた。それはそれでかわいかった。野島氏が家に来たときに僕の隣に座っていた二人の美少女ははるか後方に位置していてマコちゃんがいかに大抜擢だったかを物語っていた。歌が終わると画面の隅に番組のクレジットが出てコマーシャルに入った。
「『替え玉疑惑徹底検証』とか言って何もやらなかったね。」
僕がそう言うと、「これからよ。あたしが登場してから」とチャコが答えた。
コマーシャルが終了し、「では本日の特別企画に行きたいと思います」と男性司会者が言うと「歌姫と言われた白石裕子さんがお亡くなりになってからもう早いもので二年が経ちます。番組には今なお白石裕子さんの歌を聞きたいというリクエストが多く寄せられてます」と女性司会者が言い、「その多くのリクエストにお応えして本日は特別ゲストをお招きしました。それではど~ぞ~」と男性司会者が言ってセーラー服のチャコがスタジオに登場した。
「こんばんは~」とチャコは明るく登場したが、「あれ、マコちゃんじゃないですか?」と男性司会者は軽くチャコに振った。番組の演出だ。
「いいえ。マコちゃんの双子の姉の方の白石朝子と言います。はじめまして。」
チャコがそう言うと画面の下に「白石朝子」とテロップが出た。
「本当にマコちゃんじゃないんですか?」
男性司会者がわざとらしく聞く。
「マコちゃんはあそこにいますよ。」
チャコがそう言いながらマコちゃんの方を指さし、カメラがターンしてマコちゃんを写した。マコちゃんは引き続きチームのユニフォームを着ていた。
「じゃあマコちゃんこっちに来て並んでみて。」
男性司会者がそう言ってマコちゃんを呼び、マコちゃんがチャコの横に並んだ。
「本当にそっくりですね。さて、今チームの掲示板では『白石真子替え玉疑惑』というのが話題になっていますがご存知ですか?」
男性司会者との掛け合いが始まった。
「はい、聞いてます。マコちゃんが音痴なんでオーディションのときにあたしと入れ替わってたんじゃないかってことですよね。」
チャコが答えた。
「はい、今日はその当事者双方が来ています。ではここで問題の映像を見て見ましょう。」
女性司会者がそういうと映像が切り替わりオーディションの場面が流れた。第二ステージの場面でチャコが登場し「グッバイサマーデー」を歌っている。
「これがマコちゃんではなくお姉さんの朝子さんだったという疑惑がファンの間でささやかれているのですが真相はどうなんですか?」
「はい。ではお答えしますね。その映像の子は確かにマコちゃんです。あたしの通っている高校はいつでもどこでも休みの日でも外出するときは必ず制服を着ていないといけないという厳格な校則があるんです。」
「それはまた厳しいですね。」
「はい。だから今日もこうやって制服を着ているんです。まあ曲のイメージもあるんですけどね。だから制服を着ていない子はこの顔でもあたしじゃなくて絶対にマコちゃんなんです。」
「そんな厳格な校則のある高校があるんですね。」
録画映像が終わり、カメラがチャコに戻った。
「そうなんです。だから街でこの顔を見かけたときはこの制服を着ているかどうかで判断してくださいね。でもさっきの映像、声の方は案外あたしかもしれません。その辺の判断はファンの皆さんにお任せします。」
「なるほど口パクだったと。ではマコちゃんにも聞いてみましょう。どうだったんですか?」
「ハハハ。皆さんのご想像にお任せします。まあ謎が一つくらいあってもいいでしょ?」
マコちゃんが答えた。
「今日は何をしに来てくれたんですか?」
男性司会者が今度はチャコに尋ねる。
「はい。今日は裕子叔母さんの追悼企画ということで大ヒットした『卒業』を歌いに来ました。」
「そうですね。『卒業』を歌ってくださるんですよね。とっても楽しみです。でもどうしてマコちゃんじゃなく朝子さんが歌うんですか?」
「それはマコちゃん歌があまり上手じゃないからですよ。」
チャコが答えるとマコちゃんが横から「それだけじゃないんですよ。実はチャコちゃんは今日歌う『卒業』の作詞者とただならぬ関係なんですよ」といたずらっぽく突っ込んだ。
「チャコちゃんって呼ばれてるんですね?」
「はい。先生にもそう呼ばれてます。」
「ただならぬ関係っていうのが気になるんですけど。恋人だとか?」
「それはまた今度お話しましょう。」
「また遊びに来ていただけるんですね?」
「はい機会があればぜひ。」
チャコはニッコリ答えた。一番重要な個人情報は出さずじまいだった。
「朝子さんは今日、誰かのためにこの歌を歌うそうですね?」
今度は女性司会者が尋ねた。
「はい。」
「ではカメラに向かって言っていただきましょう」と男性司会者が言うとチャコの顔がアップになり、チャコはカメラ目線となった。
「白石裕子を愛した人、白石裕子が愛した人のために歌います。『卒業』。聴いてください。」
「ではお願いします。」
男性司会者が言い、チャコは別のスタジオへ向かった。
画面が切り替わり、僕も立ち会ったチャコの歌が始まった。途端に横からバスタオルが飛んできて僕の顔に命中した。振り向くとチャコが笑っている。大泣きするならどうぞといった表情だ。チャコと僕は画面に集中した。やはり涙は出た。素晴らしい歌声だった。第三コーラスに入ったところで画面の下にクレジットが流れてきて番組の終了をそれとなく伝えた。チャコが歌い終わったところで製作著作者であるテレビ局と広告代理店の名前が出てきて番組は完全に終了した。コマーシャルに入っても僕はしばらく画面を見つめていた。
「どうだった?」
チャコが聞いてきた。
「素晴らしかった。やっぱりチャコで正解だったよ。チャコにしかできなかったな。ありがとう。」
そう言うと部屋の中でもう一つの「卒業」が鳴り響いた。絶妙のタイミングで電話の着信音が鳴ったのだ。
「あっ、電話だ。きっとマコちゃんだ。」
チャコはソファをほふく前進して電話機まで行き、受話器を取った。
「もしもし。……あっおじいちゃん。こんばんは……」
チャコのトーンが下がる。僕は緊張した。
「はい。ちょっと待ってね。啓一さん。……おじいちゃん。」
電話は白石権蔵参議院議員からだった。僕は緊張したまま受話器を握った。
「もしもし。」
「ああ、啓一君か。私だ。今、テレビを見たよ。びっくりした。」
「スミマセン。連絡もしませんで。」
僕は怒られることを覚悟した。
「いやいいんだ。啓一君。君にはいつも感心させられているが君は本当に大した奴だなあ。」
「はあ?」
「歌っている朝子が裕子に見えたよ。涙が出た。君には心からお礼を言うよ。」
「お礼なんてとんでもありません。勝手なことをしまして。」
「それと、君と裕子に謝らなきゃいけないと思ってな。」
「謝る?先生がですか?」
「もっと裕子の好きなようにさせてやれば良かった。君もつらかったんじゃないかな。私は世間では偉そうなことばかり言っているが自分の体裁ばかり考えている駄目な親だった。」
「いやそんなことはありません。」
「いや、そうだよ。今は年度末でバタバタしているから無理だが、少し落ち着いたら私は自分が裕子の父親だったことを名乗り出ようと思っている。何を今さらと思われるかもしれないが少しでも罪滅ぼしにでもなればとね。裕子は私の誇るべき娘だったよ。」
僕も涙があふれてきた。ここにも白石裕子を愛し、白石裕子が愛した人がいると思った。
「とにかく啓一君。君は大した奴だ。もう二度と会えないと思っていた裕子に会わせてくれたんだからな。お礼の言葉もない。私にできることならなんでもするよ。なんでも言ってくれ。」
「いいえお礼なんて私は……」
そう言うと隣で会話を聞いていたチャコが人差し指で自分の鼻をさし、代われと合図した。
「スミマセン、チャコが話があるようですので代わります。」
チャコに代わった。
「チャコで~す。……うん……うん……、そう…良かった。……チャコももう十七歳になるよ。……結婚一周年にもなるしね。……あたし旅行がしたいなあ。もちろん啓一さんと一緒ね。……パリがいいなあ。うん、じゃあ楽しみにしてます。……はい、お仕事頑張ってね。おやすみなさい。」
そう言ってチャコは受話器を置いた。
「おじいちゃん泣いてたね。誰かさんと一緒だね。」
「うん。色々思い出したんだね。」
「実はね、あたしがおじいちゃんに教えたの。今日、テレビで裕ちゃんの追悼企画があるから絶対に見てねって。おじいちゃん、きっと悪くは言わないと思ったの。」
「そうだったのか……。ありがとう。やっぱりチャコはすごいね。……ところでパリとか言ってたけど何?」
「うん、もうすぐ誕生日だし、結婚記念日でもあるからプレゼントは何がいいかって言うんで啓一さんとパリに行きたいって言ったの。ゴールデンウィークには行けるかなあ。学校があるから夏休みまで無理かな?」
チャコのうれしそうな姿を見て僕もうれしくなった。
「なあチャコ。僕も君には何かプレゼントさせてもらいたいな。何か欲しいものある?もちろん僕がプレゼントできるものでだけど。」
「それがあるの。それも啓一さんじゃないとプレゼントできないもの。」
「何?」
「聞きたい?」
「うん。」
「赤ちゃん。」
「……」
「もういいでしょ?一年たつんだし。……あたし啓一さんのことが大好きだから啓一さんのコピーをいっぱいいっぱい作りたいんだあ。十七で産み始めて四十五まで産み続けるとしたら何人産めるんだろう?……二十八人?……どーする?二十八人の父親って。」
「それですめばいいけどね。」
「何それ。外にも作るっていうの?信じられない。」
チャコがプリッとする。
「違うよ。チャコとマコちゃんのようなケースもあるだろうって。」
「そっか。あたし双子を産む遺伝子を持ってるんだ。じゃあ子どもの数は……五十六人?野球チームいくつできるんだろう。」
チャコはとっても幸せそうだ。
チャコが碑文谷に来て一年がたつ。そしてまた新しい季節がやってくる。
(シーズン2へ続く)