最近、非婚化とか晩婚化とか言われてきて日本人はかつて熱心にそうしたほどには結婚しなくなってきた。日本人はなぜ結婚しなくなったのだろう。僕は結婚が面倒くさいからだと思っている。結婚は面倒くさい。結婚に限らず受験勉強でも会社の立ち上げでもなんでもそうだが、何か新しい生活を目指そうとするとこれまで必要のなかったエネルギーが必要になる。
僕の場合もまさにそれで、チャコが最初平和な僕の生活に押しかけてきたとき、僕はまだ中学を出たばかりの少女をめとることの倫理性よりもこの静かでそれなりに幸せな生活がかき乱されることを恐れたのだ。しかし、共同生活が始まって何日かすると、情が移るというのかそんな気持ちも段々と希薄になっていった。気持ちが整理されてきたのは僕の方だった。
チャコが押しかけてきて最初の一週間はチャコが持ってきた膨大な引越し荷物の整理に追われた。結局僕はチャコのために一部屋をあてがってやり、マコちゃんというチャコと瓜二つの双子の妹が一週間、毎日通ってきてチャコの荷物整理を手伝った。この二人はまだ僕がチャコとマコちゃんの見分けがつかないことをいいことにさんざん僕をからかった。
それから四月に入るとチャコが親にあいさつして欲しいと言うので実家の中華料理屋さんに行った。親御さんにあいさつすること自体に抵抗はなかった。まだ結婚するかただの下宿人で終わるか分からないが身を預かる以上、知らないよりは知っている間柄になっているべきだと思ったのだ。それに僕は裕ちゃんとは婚約していたものの、父親から勘当されているこの姉夫婦とは十七年前柏崎で目撃したのを最後に会っていないのだ。
実家の中華料理屋さんに行き、チャコは婚約者として僕を両親に紹介した。僕は(「おい」)と思ったがチャコのペースに押し切られた。父親である遼太郎氏は僕の姿を見るなり、さっさとどこかへ行ってしまった。母親の幸子さんは、「本当は自分が父の後を継がなければならなかったのに我がままを言ったばかりに二人に迷惑をかけて申し訳ない」というようなことを言って何度も頭を下げていた。妹のマコちゃんは終始ニコニコしていて極めて事務的に実家あいさつは終了した。家に帰ってから気付いたのだが、その日は四月一日だったのだ。つまり僕を含め登場人物の誰もがどこまでが本当でどこからがジョークか分からない状況で実家あいさつは終了してしまったのだ。
四月五日にはチャコが通うことになるお嬢様学校、自由が丘女子高等学校の入学式があった。自分の最後の晴れ姿を両親に見せてやりたいということで入学式には遼太郎氏と幸子さんが参加し、僕は行かなかった。チャコの高校生活も始まった。入試の際、入学後すぐに結婚することは話してあるそうで、結婚は学園側も了解済みとのことだった。
結局、因果関係がどんどん進行してしまい、僕にとっては結婚をしないことの方がはるかにエネルギーを必要とされる状況になってしまったのだ。もっとも、押しかけ女房それ自体は「鶴女房」や「雪女」でも語られているし、それほど珍しいエピソードでもないだろう。
とういうことで最終的に僕はチャコの差し出す権蔵先生の顧問弁護士が作成したという婚姻届にサインをした。思えば裕ちゃんに言われるがまま裕ちゃんの彼氏となったのも、裕ちゃんと婚約したのも同じような状況だったのだ。
そして約束されていた四月三十日、チャコの記念すべき十六歳の誕生日を迎えた。チャコはここに来てからいつも早起きで、この日も僕が起きたときにはもう朝ごはんを作っている最中だった。
「おはよう。今日も早いね。誕生日おめでとう。十六歳だね。」
「おはようございま~す。いえ~い。今日から人妻だあ!」
チャコはいつもこんな感じだ。底抜けに明るい。
今日は普通の日なのでチャコは普通に学校に行く。そして帰ってきてから二人で区役所に婚姻届を出しに行き、写真館で記念写真をとって、それからちょっと贅沢なディナーを食べる予定なのだ。二人だけの結婚式だ。
「なあチャコ。今日の予定って結局チャコ任せになっちゃったけど、二人だけの結婚式でいいのかなあ?」
婚約者と初対面から四十日後の結婚なのだから仕方のない部分もある。
「二人だけの結婚式の方がいいんだよ。自分達のペースでできるし。あっ自分達ってかあたしのペースか。啓一さんごめんねえ。」
「まあ自分の思い通りに行かないのはもう慣れてるよ。結婚なんてまだ半信半疑だけど、せっかくだから思い出に残るようなことはしようね。」
「うん!今日は学校だけど、帰ってきたら区役所行って婚姻届出して、写真を撮って、それから美味しいもの食べて帰ろうね。」
それで朝ごはんを食べて、チャコは弁当を持って学校に行った。
午後三時頃、チャコはこれを持って電車に乗ったのだろうかと思うほど大きな花束を持って帰ってきた。
「どうしたのその花?」
僕はびっくりして「おかえり」のあいさつの代わりに言った。
「うん、ほんとにびっくりしちゃったんだけど、クラスでサプライズパーティーやってくれたんだ。お花ももらっちゃった。」
「サプライズパーティーって結婚の?」
「うん、今日入籍することは自己紹介のときに言ってたからね。みんな祝福してくれたよ。感激しちゃった。ここまでされたからにはもう後には引けないよね。啓一さん絶対に逃げないでね。」
「分かってるよ。ともかく入籍はするよ。」
そう言って、チャコは大きな花瓶を持ってきてその花束をいけ、二人の人生を方向付ける重要な紙を取り出して僕の署名押印があることをもう一度確認してから二人は四月最後の街に出かけた。
区役所までは東急で一駅くらいあるのでクルマで行った方がいいのだが、気持ちのいい天気だったし、チャコも二人で歩きたいというので歩いて行った。途中、チャコが手をつなごうとしたり、腕を組もうとしたりしてきたが僕はやんわりと断った。チャコの通っている自由が丘女子高等学校は保守系の伝統校でこのような「政略結婚」にも理解があるのだが、校則が厳しいのが難で、外出するときはプライベートでも制服を着なければならないという決まりがあるのだ。だからチャコはセーラー服を着ている。それにそもそもチャコは決して大人っぽくもない。そんな少女と僕のようないい大人が腕を組んだりしていたら警察官の職務質問は必至だろう。そんな僕をもうすぐ配偶者となるこの少女はからかった。
区役所には四十分くらいで到着した。夕方の閑散とした時間帯だ。この建物に来るのは裕ちゃんの死亡届を出したとき以来だ。セーラー服の少女と僕の提出する婚姻届に区役所の女性職員はなんの疑問も感じることなく、淡々と事務的にその職務をこなした。あっぱれだった。どの世界であれプロというものはこうでなくてはいけないと思った。ということで大した感動もなく極めて事務的に一組の夫婦が誕生した。
それから祐天寺駅の方に少し移動し、予約している写真館に入った。チャコは入館手続きを済ませると「ちょっと待っててね」と言って、少しイライラするくらい長い時間僕を待たせた。「お待たせ~」と言って現れたチャコを見て僕はびっくりした。チャコは純白のウェディングドレスを着ていたのである。
「どっ、どうしたのそのドレス?」
「じゃじゃん。どお。似合ってる?」
「似合ってるか?」と言われればまるで似合わないという答えになる。チャコは決して大人っぽい顔立ちではないし、ウェディングドレスを着るにはまだ早すぎるのだ。だから僕はそれには答えず
「レンタル?」
「う~ん、実は裕ちゃんのウェディングドレスなんだ。」
裕ちゃんがウェディングドレスを準備していたなんて僕は聞いていない。
「それも裕ちゃんからもらったの?」
「ううん、これはおじいちゃんに借りたの。」
「権蔵先生。」
「うん。なんでも裕ちゃんが最後の最後でやっぱり花嫁衣裳着たいって言うかもしれないからそのときのために準備してたんだって。病院のベッドじゃさすがに文金高島田は無理だからウェディングドレスをね。」
「そんなことがあったのか。それは知らなかった。」
僕は親の愛情に少しジンときた。
「うん。裕ちゃんにも知らせてなかったと思う。それでこれがあるからって貸してくれたの。裕ちゃんサイズだからピッタリじゃないんだけど、まあちょうどいいのかなって。」
「そっか。お古のウェディングドレスでチャコはいいの?」
「しょうがないよ。なんてったって旦那さんがお古なんだもん。」
僕は返す言葉がなかった。僕は話題を変えた。
「チャコはウェディングドレスでいいけど僕がこの格好じゃアンバランスじゃない?」
僕はネクタイすらしていない。チャコがセーラー服だったから軽く考えていたのだ。こういうところのセンスは僕にはまるでない。
「ああ、それなら啓一さんの式服は借りてるから着替えてきてくださいな。」
チャコは僕を驚かせようと思って服を手配していたのだ。僕はチャコが借りてくれた貸衣装を着て、二人で何ポーズか撮った。一応、チャコには「きれいだよ」と言っておいた。
写真屋さんを出るともう日は暮れようとしていた。東横線で代官山に移動した。チャコが「気になるフレンチレストランがある」というのでそこで記念の食事をすることにしていたのだ。駅から少し離れた、静かな、感じのいいお店だった。
お店に入ると窓際の予約席に案内された。セーラー服の少女とカジュアルないい年の青年、周囲からはどのように見えるのだろう。今、区役所に婚姻届を出してきたカップルとは到底見えないだろう。あるいは援助交際と思われるかもしれない。
ギャルソンがメニューを持ってやってきた。
「いらっしゃいませ。お飲み物は何になさいますか?」
「じゃあシャンパン。」
チャコがおどける。
「おい、チャコは未成年だからもちろんソフトドリンクだろ。」
「ああ、そうだった。じゃあ、あたしはジンジャーエールね。一番シャンパンに似てるから。」
「じゃあ僕もジンジャーエールにしよう。」
「啓一さんはお酒飲みなよ。ってかあたしの前では全然お酒飲まないよね。お酒嫌いなの?」
「う~ん、どうだろう。最近、飲んでないからなあ。でも今日はチャコと一緒がいいや。じゃあジンジャーエールを二つ」
「スミマセン。シャンパングラスに入れてもらえます?」
チャコがリクエストした。
「かしこまりました。」
ギャルソンは丁寧に下がった。
「あ~あ、やっと入籍できた。」
チャコは本当にうれしそうだった。
「ねえチャコ、悦に入っているところ申し訳ないんだけど、……実はチャコは入籍してないんだよ。」
僕がポツリとそう言うと、チャコの表情は一瞬、かたくなった。
「ねえ、なんでそんなこと言うの?さっき一緒に婚姻届出してきたでしょ?あれは嘘だったって言うの?信じられない。」
本気で怒っている。それがまたかわいくもあるのだが。
「いや、結婚しなかったって言ってるんじゃないよ。チャコが僕の籍に入ったんじゃないって言ってるんだ。僕がチャコの籍に入ったんだから入籍したのはチャコじゃなくて僕だよ。」
「言ってることがよく分からない。」
「つまりだな、チャコは結婚しても引き続き白石朝子であるわけだ。」
「そんなの当たり前じゃない。あたしはあたしよ。」
「でも僕は今日から白石を名乗ることになる。」
「ええっ!」
チャコは僕がびっくりするくらいの大きな声を出して驚いた。本当に僕が今日からチャコの苗字を名乗ることを知らなかったようだ。しばらく「えーえー」言っていた。
「知らなかったの?」
「うん、名前のことなんて考えてもなかったよ。」
「だってチャコが僕にサインさせた婚姻届の『夫婦が称する氏』は妻のところにしっかりチェックされてたよ。」
「そうなの?そんなところ見てなかった。啓一さんのハンコもらうことしか考えてなかったから。……だからか。先生が婚姻届のコピーくれって言うから渡したんだけど、『朝子さんは結婚しても白石朝子さんなのね』って言われたの。あたしはそんなの決まってるでしょ、結婚しようが離婚しようがあたしはあたしよ!何変なこと言ってるのこのおばさんって思ってたんだけどそういうことだったのね。今分かった。でもそれって名前だけの問題でしょ?あたしは啓一さんと結婚できればなんでもいいや。……でも柏崎のお義母さんはいいのかな?啓一さん一人っ子でしょ?」
「それは裕ちゃんのときに権蔵先生が直接おふくろを説得して解決済みだよ。僕の家は大した家じゃないし、権蔵先生は地元じゃ殿様みたいなものだからおふくろにとってもいい話だったんじゃないかな。……名前って言えばチャコのお父さんも白石を名乗ってるよね?」
「それは理由があるの。お母さん、あたしとマコちゃんを産んでしばらくシングルマザーだったの。お父さんとお母さん、同棲はしてたけど籍は入れてなかったのね。だからあたしは生まれてからずっと白石なの。で、籍入れたのはあたしが小学校に入学するときで今更、親と子の名前が違うのも面倒だろうっていうのでお父さんが白石になったの。お父さんも昔は悪いことばっかりしてたから名前を変えて心機一転、やりなおしたいっていう気持ちがあったんじゃないかなあ。」
そこでシャンパングラスにそそがれたジンジャーエールがきて乾杯になった。
「二人の未来にかんぱ~い!」
「乾杯!」
チャコと僕は静かに乾杯した。
「おいしい!やっぱりうれしいや。」
「なあチャコ、本当にこんなのでよかったのかな?」
「なに今さら言ってるの?もう夫婦だよ。」
「うん、でもチャコ本当にうれしいのかなって。普通ありえないから。」
「ありえないからうれしいんじゃない。なんか武士とか貴族みたい。それとかヨーロッパの小公女みたいな。あたしただのラーメン屋の娘なんだよ。それがなんかお姫様みたい。」
「僕にとっては少し重いかな。これで正式に白石家の跡取りになったからね。」
「跡取りって言ったってうちはただのラーメン屋だよ。それに啓一さんラーメン作れないでしょ?」
この子は肝心なことが何も分かっていないようだ。
「白石権蔵大先生の跡取りだよ。白石家の今の当主は権蔵先生。その後を幸子さんの代をすっ飛ばしていきなり僕が当主になるんだ。まあ、権蔵先生はまだ元気だし、実際に後を継ぐのはしばらく先になるだろうけどね。」
「へー、だんだん理解できてきた。じゃああたしは当主の奥さんになるの?それってかっこよくない?」
「まあ身分社会じゃないからなあ。選挙に当選できればいいけど、できなければ僕はただの人間だ。まともな職についてるわけじゃないし、チャコに迷惑かけるかもしれないよ。」
「それならいいよ。貧乏慣れてるしあたしもパートで働くから。」
やはりこの子はよく分かっていないようだ。
それからおいしい料理がどんどん運ばれてきて二人だけの披露宴になった。
食事が終わって最後に僕はジャケットのポケットから小さな箱を取り出した。
「はい、誕生日というか結婚のプレゼントだよ。」
チャコはすぐにそれが何か分かったようだ。
「あっ指輪だ。ありがとう。ねえ開けてもいい?」
「もちろんだよ。」
チャコはふたを開けて中を見た。ダイヤモンドの指輪が入っているのだが思ったよりも喜ばない。
「ねえはめてみて。」
「はい。」
僕はチャコが差し出した左手の薬指に指輪をはめた。
「よく指のサイズ分かったね。」
「マコちゃんに聞いたんだ。チャコには絶対に内緒にしてねって言って。……ねえ、指輪はあんまり好きじゃなかった?」
いつも感情丸出しのチャコがとても冷静なのが意外だった。
「実はね今日、啓一さんがダイヤモンドの指輪くれるの知ってたんだ。マコちゃんに聞いたの。」
「マコちゃん……。絶対に内緒だって言ってたのに。」
「ハハハ、マコちゃんに内緒は無理だよ。すごいおしゃべりだもん。」
「ねえマコちゃんって外見はもちろんチャコにそっくりだけど中身は違うよね?」
「全然違うよ。第一、マコちゃんは面食いだし。」
「それって褒め言葉になってないんですけど。」
「ああそうか。難しいな。まあそう気にしないで。この結婚も『人の決めた結婚をそのまま受け入れるなんて信じられない、あたしだったらできない』って言われてる。」
「マコちゃんロマンチストなんだ。」
「あたしの方がロマンチストだよ。お姫様になりたいと思って本当になったんだもん。」
「お姫様って言ったって僕の家にはメイドも執事もいないぞ。」
「そっか~。でもいいの。すごく幸せだから。指輪は啓一さんに預かってもらってていいかな?あたしこういうの管理するの苦手なんだ。すぐになくしちゃうの。それに校則で指輪は禁止されてるから。」
「そうだね。じゃあ指輪は貸金庫にでも入れとくよ。」
「その方が安全だね。高校卒業したらまたはめてね。」
「はい。」
「……じゃあ、そろそろ行きましょうか?」
チャコに促されて僕は席を立った。そして僕は勘定を済ませ、二人は外に出た。気持ちのいい夜の空気だ。
「ごめんね。二人だけの結婚式になっちゃって。チャコはもっと盛大にやりたかったんじゃないかな。」
「そんなことないよ。二人だけの結婚式も結構、楽しかったよ。それに結婚式なんて別に今じゃなくてもいつでもできるしね。さあ、あしたも学校だからもう帰ろう。」
そういうとチャコは僕の元に寄ってきて腕をつかみ、僕の耳もとに口を寄せて「フフフフフ、初夜だね」と不気味なヒソヒソ声で言った。僕はドキッとしたが少し冷静になった。何か忘れていることを思い出したのだ。
「なあチャコ。これから君の実家に行ってもいいかな?」
「あたしの実家?」
「うん、やはりご両親にはちゃんとあいさつしないといけないと思うんだ。マコちゃんにもね。」
「う~ん、お父さんお母さんこの結婚には反対というか、いい顔してないからなあ。別にあたしや啓一さんが嫌いっていうんじゃなくておじいちゃんが仕組んだことと思ってるから。特にお母さんは啓一さんに会わせる顔がないと思ってるんじゃないかな。この前もそうだったけど、自分が果たすべきおじいちゃんの跡継ぎとしての役割を裕ちゃんに押し付け、娘夫婦に押し付けちゃったと思ってるからね。」
「でもやっぱりあいさつに行かないのは非常識だと思う。ちょっとだけでもいいから顔を出そうよ。それに今日はマコちゃんの誕生日だろ?ケーキか何か持って行った方がいいんじゃないかな?」
「そうだ!今日、マコちゃんの誕生日だ。啓一さん良く知ってるね。」
「てか双子の君の誕生日が今日なんだろうが。」
「ああそうか。そうだね。じゃあケーキ買って行こうか。」
チャコも気になっていたのだろう。躊躇はしていたが最後は笑顔で同意してくれた。
そして近所のケーキ屋さんでデコレーションケーキをワンホール買って、ケーキにはバースデープレートもつけてそこからタクシーでチャコの実家の中華料理屋さんに行った。お店はちょうど閉まるときで、マコちゃんがのれんをお店の中に入れようとしているところだった。
「マコちゃん!」
チャコがマコちゃんに軽く手を振った。マコちゃんはチャコと本当に瓜二つでチャコと結婚したばかりの僕には到底二人の見分けがつかない。
「チャコちゃん!どうしたの?もう出戻り?」
マコちゃんがいたずらっぽく笑う。
「なに言ってるの。ちゃんと旦那さんもいるでしょ。今日入籍してきたの。今日から本当の夫婦だよ。」
「そっか~。おめでとう。」
「こんばんは、マコちゃん。こないだはチャコの引越し手伝ってくれてありがとう。」
「こんばんは。今日から本当にお兄ちゃんですね。ふつつかな妹ですけどよろしくお願いします。」
そういってマコちゃんは丁寧にお辞儀をした。「本当にふつつかだ」とチャコから野次が飛んだ。
「マコちゃん誕生日おめでとう。プレゼントのケーキだよ。」
僕はそう言ってマコちゃんにバースデーケーキを渡した。
「ええ、私に?こんなに大きいの。うれしい~!」
マコちゃんもチャコ同様屈託のない少女だ。
「お父さんとお母さんに結婚のあいさつに来たんだけど。」
「は~い。中にいますよ。お母さ~ん。チャコちゃんが来たよ。」
そう言いながらマコちゃんはお店の中に入り、チャコが入り、続いて僕が入った。厨房の中に父親の遼太郎氏がいて、チャコを見て一瞬ニコッとしたが、僕に気付くとさっとどこかへ行ってしまった。母親の幸子さんはテーブルを拭いているところだった。
「こんばんは、お母さん。今日、婚姻届出してきました。今まで育ててくれてありがとうございました。」
チャコが幸子さんに深々と頭を下げた。幸子さんは手を止めてチャコの前でかしこまった。が何も言わない。
「今日から正式に夫婦になりました。長い付き合いになると思います。朝子さんのことを幸せにしてあげられるかどうか分かりませんが、頑張ります。どうぞよろしくお願いします。」
そういって僕も幸子さんに深々と頭を下げた。すると幸子さんは僕に頭を下げて
「啓一さん、本当に申し訳ありません。本当は私が父の言うことを聞かなければならなかったんですが。私が我がままだったばかりにあなたやチャコにこんな思いをさせて……。」
幸子さんは泣きそうになった。
「やだなあ。お母さん何言ってるの。あたしは啓一さんと結婚できてとっても幸せなんだよ。これから二人の楽しい生活が始まるんだからもっと祝福してよ。で、お父さんは?」
「どっか行っちゃったみたい。」
マコちゃんが答えた。
「そう、じゃあお父さんにもよろしくね。チャコはとっても幸せになりましたとね。じゃあマコちゃん、お母さんをよろしくね。」
そう言うとチャコはさっさとお店を出てしまった。僕はお義母さんとマコちゃんにお辞儀をしてチャコを追いかけた。チャコは少し足早にお店から離れていき、僕は五十メートルくらいのところでチャコに追いついた。
「ごめんねえ。変な親で。啓一さんに嫌な思いさせちゃったね。もっと祝福してくれればいいのに。」
いつもニコニコのチャコが少し悲しそうに言った。
「そんなことないよ。あいさつできて良かったよ。今日じゃなきゃ意味ないもんね。」
「ありがとう。……やっぱり啓一さん優しいや。……あたしね、いつかはお母さんとおじいちゃん仲直りさせたいと思ってるんだあ。だから啓一さんも協力してね。」
「うん。チャコだったら二人を仲直りさせられるんじゃないかな?」
「そう思う?」
「うん。チャコはいつも前向きだから。」
僕がそう言うとチャコはいつものチャコに戻ってニコニコしながら僕の元によってきて腕をつかみ、僕の耳もとに口を寄せて「フフフフフ、初夜だね」と不気味なヒソヒソ声で言った。
「おい、それさっきもやったぞ。」
「そうだっけ。だって楽しみなんだもん。どうなっちゃうのかなあって。」
この少女はいつだってどんなときだって底抜けに明るい。
チャコの実家から碑文谷の僕の家まではなんとか歩いて移動できる距離だ。あんまり気持ちのいい夜だったので二人で歩いた。
帰宅して着替えるとあんなに初夜を楽しみにしていたはずのチャコは疲れたのだろう、制服のままベッドに横になり既にスヤスヤと眠ってしまっていた。制服ではかわいそうなのでパジャマに着替えさせたがそれでも起きないので余程疲れているのだろうと思い、そのまま寝かせておいた。こうしてあれだけチャコが楽しみにしていた初夜は延期され、僕も別のベッドで眠りについた。二人の長い一日だった。
次の日、僕はいつも通り早起きをして新聞を読み始めたがいつもは起きてきて朝ごはんを作るはずのチャコがいつまでたっても起きてこない。昨日は長かったし、疲れているのだろうとしばらく寝かせておいたがあまりにも遅いのでいい加減に起こしに行った。
「チャコ、いつまで寝てるんだよ。もう七時になるよ。学校遅刻しちゃうよ。」
僕はチャコを揺さぶるが反応は鈍い。
「だめ起きられない。燃え尽き症候群。」
「はあ?」
「啓一さんごめんなさい。あたし一つだけ黙ってたことがあるの。」
「何?」
「あたし朝が全然駄目なの。起きられないの。それでもお嫁さんにしてもらえないと困ると思って今まで頑張って起きて、朝ごはん作ってたんだけど婚姻届出したら安心しちゃった。お願いもう少し寝かせて。」
「だって学校遅刻しちゃうぞ。」
「それは分かるんだけどなあ。でももう少し寝かせて。」
「じゃあ七時半までね。それ過ぎたら本当に遅刻しちゃうからね。」
「うん、やっぱり裕ちゃんの言ったとおりだ。」
「裕ちゃん?」
「うん。啓一さん朝強いからいいよって。ギリギリまで寝かせてくれるし、起こして欲しい時間に確実に起こしてくれるって。」
「だから僕と結婚したのか?」
「もちろんそれだけじゃないよ。それも一つの理由っていうだけ。朝の弱い人だったら絶対に無理だな~って思ってたの。じゃあお休みない。」
決して目を開けることなくそこまで言うとチャコはまた眠りについた。