八月のお盆も過ぎたある日のお昼前、僕は僕の後援会長が経営する会社の応接室で後援会長と明日の打ち合わせをしていた。明日は夏休みの僕の最大のイベントである「政治セミナー」が開催されることになっている。このセミナーは選挙区の有力者百人を集め、僕が開く講演会だ。もっとも講演会は名目で皆さんのお目当てはセミナーの後に開催される昼食会だという話も聞いている。「貴翠館」という柏崎では有名な中華料理屋さんのお弁当を食べながら親交を深めるのだ。これが権蔵先生の前の前の代から恒例行事となっていて皆さんとても楽しみしているという。
後援会長は女性ながら柏崎の地元法人会会長を務める人で、内装工事や不動産賃貸など手広く商売をしている。一目で「この人はやり手だなあ」と思わせる人でスーパーオバタリアンといった感じの人だ。僕はなぜかこの人にとても気に入られていた。
打ち合わせとは名ばかりで実際は後援会長の説教を聞くという色合いの濃い時間だった。僕は後援会長の説教を一時間くらい聞いていたが後援会長が時計を気にし始めたので少しホッとした。説教タイムがようやく終わるのだ。
「ごめんなさい。私ばかり一方的にしゃべってしまって。若先生。明日はどうぞよろしくお願いしますね。」
後援会長が成功した企業経営者の笑顔で言った。否応なしにプレッシャーを感じさせられる。
「はい。僕は何分初めてなもので面白い話ができるかどうか不安ですがとにかく頑張ります。」
「講演はほどほどでいいですから第二部の方をよろしくお願いしますね。」
後援会長はあからさまにそう言った。
「第二部と言いますと大昼食会ですか?」
「ええ。みなさんお弁当をとても楽しみにしていますから。」
「はあ。」
「柏崎には色々な団体がありますけど、団体の幹部が一同に会するのは若先生の後援会くらいのものですからね。」
後援会長は強く念を押した。僕の講演会というのは本当に名ばかりで本当は地元のいい大人たちが昼間から美味しいものを食べてドンちゃん騒ぎをしたいだけなのかもしれない。僕はそう感じた。
それから僕は後援会長の会社を出て、徒歩で白石本宅に帰った。柏崎での滞在先は白石本宅、つまりチャコの祖父にあたる今の白石家の当主、白石権蔵大先生のご実家が与えられていた。白石本宅は使用人部屋もある大邸宅だ。そもそも白石家は柏崎の名家であり、権蔵先生も僕の婚約者だった裕ちゃんも、チャコのお母さんの幸子さんもこの家の生まれだ。ただ参議院の大物になってしまった権蔵先生は東京での生活がとても忙しくなってしまい、住民票は柏崎にあるものの生活の本拠は東京に移ってしまっている。お国入りはめったにしない。それで現在この家は権蔵先生の地元秘書の皆さんによって管理されている。
秘書の間の競争は厳しい。そもそも二世でもない限り、政治家になる道は厳しい。封建時代は過去のものでも政治はまだまだ世襲の世界なのだ。東京と柏崎に分かれている秘書の皆さんはおのおのが権蔵先生のおめがねにかなうよう頑張っている。おめがねにかなえば市議会議員とか県議会議員とか政治家への道が開けてくる。しかしおめがねにかなわなければ、気性の荒い権蔵先生のことだから即、クビということも決して珍しい話ではない。僕を権蔵先生の名代と勘違いしている秘書の皆さんはチャコと僕を一生懸命もてなしてくれた。それは気の利いたホテルのサービスをはるかに上回るものであり、チャコと僕は上げ膳据え膳の夏休みを楽しんだ。チャコには昔の幸子さんの部屋があてがわれ、僕には昔の裕ちゃんの部屋があてがわれた。もっともチャコはほとんど僕にあてがわれた部屋に入り浸り、なんだかんだ我がままを言っては僕をわずらわせた。
一日の予定は僕の意思とは関係なしに決められていて秘書の言うとおりに支援者を回り、気の利いた話をし、ご飯を食べれば良かった。人気アイドルのようだった。ただスケジュールはそれほどタイトではなかった。
僕のおふくろとチャコを会わせるという僕にとってのビックイベントもお茶漬けさらさらで終わった。白石本宅と目と鼻の先にある僕の実家は柏崎の比較的中心街でちょっとした小料理屋をやっていた。僕が大学二年生のときにおやじが天に召されてしまってからは小料理屋はやめてしまったがお店はそのままの形で残っている。現在、一人で暮らしているおふくろは清掃会社に勤めていて柏崎市内のあちこちに派遣されては街をきれいにしているそうである。僕はおふくろに仕送りをしてやりたいと思っているのだが受け取ってはもらえていない。足腰立つ間は自分の生活は自分で面倒を見たいというのがおふくろのポリシーであり、僕もその気持ちは尊重している。もっとも一人息子を奪い取った権蔵先生が色々と面倒を見ているようで、一人暮らしでも決して寂しい思いはしていないようである。
チャコを僕の実家に初めて連れて行ったとき、チャコはお店の粋な外観を気に入ったようだった。しかし、お店の中はほこりだらけだった。お店を閉めてから何年もたつし、清掃会社の従業員であるおふくろは自分の家の掃除までとても手が回らないのであろう。おふくろはチャコのことを「かわいいお嫁さん」と言いチャコはおふくろのことを「優しそうなお義母さん」と言った。二人とも外ヅラだけはとてつもなくいいので僕として楽ではある。
そんな夢のような生活も一週間もすると飽きてくる。東京が恋しくなるのだがポニーテールの少女は飽きもせずすべての日程に自由が丘女子高等学校の夏服を着て付き合ってくれた。権蔵先生の孫ということでどこに行っても人気者だった。白石の血の濃さというものを感じた。
白石本宅に戻る頃には安心したのか、お腹がとにかく空いていた。僕はチャコが餃子でも作って僕の帰りを待っていてくれるだろうと思っていた。普段、昼食は外食か秘書の皆さんが準備してくれる。しかし今日は秘書の皆さんは明日の準備のため出払ってしまっているのだ。
「ただいま~!」
僕がそう言って玄関を開けると室内着姿のチャコが「おかえりなさ~い」と元気に現れた。
「お腹ペコペコなんだけど何かある?」
そう僕が言うとチャコが「それより秘書の伊藤さんがいらっしゃってるよ。リビングにいる」と言ったので僕は急いでリビングに行った。リビングでは伊藤秘書がソファに腰掛け、神妙な面持ちで僕の帰りを待っていた。伊藤秘書は白石権蔵参議院議員の地元の秘書連中を総括するベテランだ。
「ああ、伊藤さん。お待たせしました。」
僕が声をかけると伊藤秘書は立ち上がり「若先生、大変なことになりました」と言った。いつも冷静な伊藤秘書がとても重苦しい雰囲気なのでかなり重大な問題が発生していることを僕は感じた。
「どうしました。何かあったんですか?」
「実は明日のセミナーのお弁当を発注していた貴翠館で食中毒が発生しまして営業停止になってしまいました。明日のお弁当の受注は先方からキャンセルされてしまいました。どうしましょう?」
「どうしましょう?」と言われても僕はセミナー自体が初めての体験なので何もアドバイスできない。
「スミマセン。伊藤さん。僕は今回が初めてなので状況がよく分かりません。僕はどうしたらいいのでしょうか?」
「大先生の夏のセミナーでは毎年、貴翠館さんにお弁当を頼んでいます。毎年、好評でお弁当を楽しみに来る人も少なくありません。いや、皆さんお弁当を楽しみに来ると言ってもいいくらいなのです。他のお店に発注するとしても開催は明日です。用意するお弁当は百人前。とても間に合いません。」
「そうですか。……例えばお弁当なしというわけにはいかないんでしょうか?あくまでも僕の講演がメインなんですから。後は解散していただいて三々五々皆さんでご飯を食べてもらうとか?」
「それは不可能です。お弁当のないセミナーなど考えられません。はっきり申し上げまして若先生の講演を聴いている人はほとんどいません。九十分の講演で半分以上の人は寝ています。目を開けている人もほとんどの人は他のことを考えていると言っていいでしょう。そういうものなのです。そして昼食会に皆さん全精力をつぎ込むのです。お盆も過ぎて街はお祭り気分です。そこに柏崎の有力者が結集するのです。皆さんそれが楽しみなのです。」
分かりやすい説明だ。講演の準備を一生懸命してきたのがバカらしくなった。落語でも覚えれば良かった。確かさっき後援会長にも同じようなことを言われていた。
「もしお弁当がなかったらどうなるのでしょうか?」
「一揆が起きるかもしれません。後援会長は引責辞任でしょう。それでなくても去年は裕子お嬢様の喪中で中止されていて皆さんの欲求不満がたまっているのですから。」
後援会長の顔が脳裏に浮かんだ。あの会長を怒らせたらとてもただではすまないだろう。
「権蔵先生に相談してみたらどうでしょう?」
「もう連絡しました。お前がなんとかしろと言われました。失敗したらお前はクビだと。」
僕はこのベテラン秘書に心から同情した。このベテラン秘書は次の県議会議員選挙の新人候補になる資格を持っている。その資格を得るために何十年もあの権蔵議員の下で泥水をすすってきたのだ。
「なんでこんなことになっちゃったんでしょう?」
僕はポツリと言った。
「恐らく相手陣営のわなだと思います。」
「ええっ?」
「相手陣営は明日セミナーが開催されること、そしてそのセミナーの重要性をよく知っているわけですから。ここを叩いておけば白石陣営に大打撃を加えることができると読んだんでしょう。」
「それって、ひどい話じゃないですか。断固、抗議すべきです。」
「しかし証拠がありません。それにうちの陣営ももっとひどいことやってますからあまり文句を言える立場にはないんです。」
僕は言葉を失った。もっともな話だ。確かに血も涙もない権蔵氏なら目的を果たすためには手段を選ばないだろう。それこそ暗殺だってやりかねない。僕は頭を抱えた。だが頭を抱えたところで問題が解決するわけではない。
「ねえ今の話なんだけど。」
僕はびっくりした。チャコの声がした。僕のすぐ後ろにチャコがいた。さっきからずっとそこにいたのだ。
「さっき伊藤さんにそのお話聞いたんだけどそのお弁当ってあたしが作ってもいいかな?」
伊藤秘書と僕は顔を見合わせた。
「若奥さん。それはいくらなんでも無理ですよ。お弁当は百人前ですよ。子どもの遠足の弁当を作るのとはわけが違いますよ。」
伊藤秘書の言うことはもっともだ。
「ねえ伊藤さん、権蔵の長女の幸子が東京で何をやっているかご存知ですよね?」
「はい。確か中華料理屋さんをやっていらっしゃると聞いておりますが。」
「そう。あたしはその幸子の娘だから中華弁当だったら百人前くらい結構普通に作れるんだあ。」
(「そうか!」)と僕は思った、がセミナーは明日だ。
「チャコ、でもあしただぞ。ここは東京じゃないし、いくらなんでも今日の明日じゃチャコでも無理じゃないのか?」
「う~ん、食材は貴翠館さんから流してもらえばいいでしょ?厨房はお義母さんのところを使わせてもらえばいいし。後は人手だけどそれもマコちゃんが来ればなんとかなると思う。」
「マコちゃん呼ぶの?」
「もう呼んだ。あたしの調理道具セット持ってもうこっちに向かってると思う。鍵預けてて正解だったね。今夜中にはこっちに着くと思うよ。」
「そうか。ありがとう。でも、おふくろのところの厨房は最近使ってないからガスとか電気とか使えないと思うけどどうしよう?この前も見たと思うけど、ほこりだらけだよ。」
「それなら心配ありません。」
伊藤秘書が間に入った。
「若先生の後援会の会員さんに電気屋さんもガス屋さんも水道屋さんも何人もいらっしゃいますからあたってみます。お母様のところですね?すぐに手配します。今夜中にはなんとかなると思います。」
さすがはベテラン秘書だ。ベテラン秘書はもうこの作戦にすがるしかないと思っている。伊藤秘書の顔色がよみがえった。
「ねえ、啓一さん。あたしは貴翠館さんみたいに美味しいのは作れないかもしれないけどないよりはましだと思うの。お弁当の件はあたしに任せてもらえないかな?」
僕は伊藤秘書を見た。伊藤秘書は強くうなずいた。
「よし。お弁当の件はチャコに任せよう。ありがとう。たとえうまく行かなかったとしても感謝するよ。」
「うまく行くよ。こういうことはまず信じることが大事だよ。じゃああたしは伊藤さんとお義母さんのところで準備に入るから啓一さんは啓一さんであしたの準備に専念してね。」
「ありがとう。よろしくお願いします。」
そう言って僕は二人に頭を下げ、二人は白石本宅から出て行った。
僕はしばらく白石本宅で資料の整理などをし、明日の会場の下見もして、夜の八時頃、僕の実家に顔を出した。もう使われていないお店の方の電気がついていた。引き戸を開けるとチャコと伊藤秘書と僕のおふくろもいて、カウンターに座ってお茶をすすっていた。一段落ついたようだ。ほこりだらけだったはずの店内がきれいに片付いている。今からでも営業再開できそうだ。
「こんばんは。うまくいってるみたいだね?」
「はい。若奥さんが色々と仕切ってくださいまして、今のところすべてうまく行ってます。冷蔵庫は近所の飲食店のものを何件かお借りしています。」
伊藤秘書も落ち着きを取り戻している。チャコに任せても大丈夫だともうこのベテランは感じているのだろう。
「どう、このお店よみがえったでしょ。こういうところでお店開くのもいいなあ。」
チャコがそういうのを聞いてチャコとおふくろと僕と三人で、ここで静かにお店をするのもいいかなあと僕も思った。
外でクルマの止まる音がした。それから人の声と車のドアの閉まる音、クルマが発車する音がしてから引き戸がガラガラと開く音がしてチャコと同じ顔のポニーテールが大きなスーツケースを引きながら入ってきた。
「こんばんは~。お久しぶりで~す。」
「あっマコちゃん。早かったね。ありがとね。来てくれて。」
久しぶりに会えてチャコもうれしそうだ。
「マコちゃん紹介します。僕のおふくろと柏崎の総括秘書の伊藤さん。」
僕は二人をマコちゃんに紹介した。
「はじめまして。朝子の双子の妹の真子です。いつも姉がお世話になってます。」
マコちゃんはしおらしくお辞儀をした。マコちゃんはTシャツに短パンで夏の少女といった雰囲気だ。
「マコちゃん急に来てくれてありがとう。大変だったでしょ?」
僕はマコちゃんをねぎらった。
「ううん。暇だったし。それにお兄ちゃんがピンチだって聞いたんで。インフルエンザのときには随分お世話になっちゃったからご恩返しさせていただきます。」
「よし、これで準備OK!あしたは早くから仕込むからもう寝るね。啓一さんあしたのお弁当楽しみにしててね。」
チャコはそう言うと右手の親指を突き出して見せ、僕にウインクした。明日が早いというのでチャコとマコちゃんはおふくろのところに泊まることにし、僕は伊藤秘書と白石本宅に戻った。
次の日、僕は朝早くから実家に行った。僕がお店の引き戸をガラガラと開けたときには既に仕込みが始まっていて、チャコとマコちゃんと僕のおふくろも同じ割烹着を着てあわただしく動き回っていた。みんな生き生きとしていた。
「あっ、啓一さんおはよう。お義母さんも手伝ってくれてるの。うまくいってるよ。なんだかすごく楽しいよ。」
チャコがにっこり笑ってそう言ってくれた。本当に楽しそうだったので僕もうれしくなった。チャコは「何か食べていく?」と言ってくれたが邪魔になると悪いので早々に引き上げた。僕は早めに海岸沿いにある会場に入り、秘書の皆さんと最後の打ち合わせをして会場の設営にとりかかった。
九時半に開場し、僕の講演は十時から。僕の講演を楽しみにしている人はいなかったのだろうが出席予定の人は一人の例外もなく皆さん出席だった。それだけ皆さんこの日を楽しみにしていたのだろう。皆さん食中毒のことはご存知で一様に「大丈夫ですか?」と聞いていたが、伊藤秘書があまりにも自信たっぷりに「すぐに別のところに手配したので大丈夫です」と答えていたので僕の方がかえって不安になった。後援会長はあまり問題にしていないようだった。
十時きっかりに僕の講演が始まった。伊藤秘書の言うとおり、僕の講演を聴いている人は少ないようだった。少なくない人が眠っていた。退屈なうちに九十分が過ぎた。
講演が終わると参加者と僕は近くの宴会場に移動した。僕は祈るような気持ちで控え室に待機した。秘書が会場の準備ができたことを告げに来て、その秘書にエスコートされて僕は宴会場に入場した。出席者の皆さんが拍手で僕を迎えてくれた。宴会場に入り僕は席に並べられているお弁当を見て安堵した。本当に美味しそうだった。まるでプロに頼んだようだった。僕は奥の上座に着座し、司会進行役の後援会長がマイクを握った。
「皆さん長らくお待たせしました。それでは夏の政治セミナー第二部、大昼食会を始めさせていただきます。司会進行は会長の私が務めさせていただきます。ではまず若先生からごあいさつをいただきます。」
僕が冒頭あいさつに指名され僕は立ってワイヤレスマイクを握った。
僕は可もなく不可もないあいさつを始めた。そもそも僕は元来、人前で話すのは得意ではない。おもしろい話もできない。さっきの講演も練りに練った割にはどっと沸くような話はできなかった。出席者の皆さんから「早く乾杯しろ」モードが伝わってくる。すると後援会長が「お話中ちょっとすみません」と言って僕の発言を止めた。
「お話中すみません。今、若先生の奥様、権蔵大先生のお孫さんでいらっしゃる朝子さんが到着しました。ごあいさついただきましょう。こちらへどうぞ。」
チャコが到着したのだ。自由が丘女子高等学校の夏服を着たポニーテールは入口から上座まで、出席者全員に見えるように笑顔を振りまきながら真ん中を通って堂々と入場した。割れんばかりの拍手と歓声が起こった。そして上座に着くと僕からマイクを奪い取った。
「皆さんこんにちは~。遅くなってすみません。裏方をやっていましたもので到着が遅れてしまいました。皆さんには既にごあいさつさせていただいていると思いますが、あたしがあの鬼の権蔵の魔の手によって政略結婚させられました権蔵の孫の朝子で~す。」
強烈なブラックユーモアだがチャコが満面の笑みなので嫌味には聞こえない。気の利いたエスプリに聞こえる。会場の拍手歓声は一段と強くなった。
「今日はこんな格好ですみません。あたしの通ってる高校は政略結婚も認めるお嬢様学校なんで外に出るときは必ず制服を着ていなきゃいけないんです。もっとおしゃれして皆さんの前に出たかったんですけど許してくださいね。」
そこでまた歓声が起こり、「かわいいぞ~」と野次が飛んだ。
「ありがとうございます。でも、これでもあたしにはあのごっつい権蔵の血が混じってるんですよ。」
そこでまた会場が沸き、特に後援会長が笑いのつぼを突かれたのだろう、大爆笑した。僕には何がおもしろいのかよく分からなかったが、後援会の皆さんの笑いのつぼは押さえたようだ。それまで静かだった会場が一気に明るくなった。マイクが後援会長に戻った。
「では若奥様も見えたのでもう乾杯にしましょう。では乾杯の音頭は」、そこで「若奥さ~ん!」という声が飛び「では若奥様お願いします」となった。まだ僕のあいさつの途中だったが一気に盛り上がったので展開としてはこれで正しい。チャコと僕のところにコップが運ばれてきた。チャコの持っているグラスはさすがにジュースのようだ。
「いや、こんなの初めてなんでなんて言ったらいいのか分かりませんが、とにかく主人のことよろしくお願いします。では皆様の幸せな未来をお祈りしてカンパ~イ!」
全員が「乾杯!」を唱和し、拍手が起こって大宴会が始まった。
それからチャコはものすごい社交力を発揮した。後援者の周りを駆け巡り、ビールを注ぎ、冗談を言って笑わせた。僕はチャコの後をついていくようなかっこうになった。
支持者の皆さんは若い二人に温かい言葉を投げかけてくれた。事実上、これが二人の結婚披露宴だった。大昼食会はチャコの登場で大盛り上がりに盛り上がった。そして商工会議所会頭の音頭で締めが行われ、大宴会はお開きになった。後援会長とチャコと僕は三人並んで出口で出席者を一人ひとり見送った。後ろに秘書連中を従えている。出席者の皆さんは一人ひとり後援会長とチャコと僕と握手した。みんな満足そうだった。
「若先生。」
最後の出席者を見送ると後援会長が僕に話しかけた。
「私、実は貴翠館さんで食中毒が出たって聞いて今年のセミナーはもうおしまいかなって思ってたんですよ。」
「はあ。」
「よくお弁当手配できましたね。私にだけタネ明かししていただいてもいいかしら。」
「それはですね……」
「それはですね会長さん、どうしたと思います?」
チャコが横から会話に割り込んできた。
「啓一さん、皆さんがこの日のお弁当をとっても楽しみにしているのを良く知っていて、なんとしてでもお弁当を調達するって言って、すぐに東京に連絡を取って東京から腕利きのシェフにこっそり来てもらったんですよ。」
「まあそうだったの。」
僕はびっくりしてチャコを見た。チャコはなおも話し続ける。
「まあこっそりなんでシェフの名前は秘密なんですけどね。手際の良さにあたしもびっくりしました。惚れ直しちゃいました。」
「まあこれはごちそうさま。大先生のお耳にも入れておかないといけませんわね。若先生とっても立派に問題を解決なさいましたって。」
「いいえ、私はなんにも。……それより伊藤さんがこの問題を解決したことにしておいてくれませんか?」
せっかく僕を立ててくれたチャコには申し訳ないと思ったが僕はきっぱりと言った。
「総括秘書の伊藤さん?」
「ええ。伊藤さん権蔵先生に随分と叱責されたようなんです。このままだと次回の県議会議員選挙の候補として推薦してもらえないんじゃないかと思いまして。」
「まあ、若先生ご立派だわ。自分の手柄を譲るなんて。今までこんな人いたかしら。」
「伊藤さんは本当に良くやってくれました。それなのに正当に評価されないのは可哀想ですから。」
「分かりました。大先生にはそう伝えておきます。……若先生。朝子さんの学校もあるでしょうからもう地元にはそうそう帰ってきていただかなくてもいいですよ。」
「はあ?」
「私、あなたのことがとても気に入りました。地元のことは私達に任せてください。私、次の選挙ではあなたのこと絶対に当選させてみせますわ。」
そう言うと後援会長は僕に握手を求めてきて僕は握手した。チャコが「主人のことどうぞよろしくお願いします」と言い、僕も「よろしくお願いします」と頭を下げた。後援会長はチャコとも握手をした。そして三人で握手をして写真を撮った。後援会報に載せるそうだ。出口付近ではまだ多くの人が名残惜しそうに、にこやかに談笑していた。「政治セミナー」は大成功で終わった。すべてチャコのお陰だった。僕はうれしくて涙が出そうになった。
後援会長とも別れ、チャコと僕は会場から白石本宅まで歩いて帰った。夏の日差しが強く、しかし気持ちがいい午後だ。
「啓一さんさすがだね。」
「ん?」
「伊藤さんのこと後援会長さんにしっかりフォローしてたよね。」
「ああ。ごめんね。せっかくチャコが僕のことフォローしてくれたのに。」
「とんでもないよ。立派だったよ。あたしこの人で良かった、間違ってなかったって思っちゃった。」
「僕の方こそ……チャコにはなんとお礼を言ったらいいのか…すべてチャコのお陰だよ。」
「お礼なんていいよ。あたし一人の力じゃないよ。食材はあったし、お義母さんは厨房貸してくれたし、マコちゃんはすぐに来てくれたし、色々な幸運が重なった結果だよ。……それにあたしもうれしいんだあ。いっつも啓一さんには甘えてばっかりでしょ。やっと啓一さんのために何かできたんじゃないかなあって思ってるの。少しは役に立てたよね?」
「役に立ったなんてもんじゃないよ。そんなんじゃ僕の気がすまない。僕にできることがあればなんでも言ってほしい。」
「それじゃあねえ……」
そう言うとポニーテールは大股で三歩前に飛び跳ね、クルリと僕の方を向いた。僕は立ち止まった。
「あたしをファーストレディーにして。」
「ファーストレディーに?」
「うん。政府専用機って乗ってみたいんだあ。それで啓一さんと色んな国に行って色んな人に会うの。楽しいだろうなあ。」
チャコは満面の笑みだ。僕もうれしくなる。
「分かった。約束するよ。何年先になるか分からないけどね。」
「うん。何年でも待ってるね。」
そう言うとチャコはまたクルリと身体を回転させ、スキップしていった。
僕は選挙なんてまるで他人事のように考えていたけれど、このときだけはこの子のために選挙に出てみるのも悪くはないのかなとちょっぴり思った。