僕の柏崎での滞在は予定より少し長引いた。途中から来たマコちゃんはそのまま柏崎にしばらく滞在し、海で泳ぎまくった。そして夏休みの終わる五日前、チャコと一緒に北陸を回って東京に帰ると言って二人で旅立っていった。
僕はというと二人が柏崎に残していった置き土産、夏休みの宿題を二人分仕上げ、書留の速達で東京に送ってから一週間くらい残務整理をして、改めて有力者にあいさつをしてから帰京した。
僕は九月初めのある平日の午後、碑文谷の自宅に帰ってきた。チャコは学校に行っている時間帯で留守だった。荷物の整理とかをしばらくしているとチャコが帰ってきた。
「お帰りなさい。帰ってたんだ。長期出張お疲れさまでした。柏崎楽しかったね。」
ニコニコのチャコは制服のままダイニングチェアに腰掛け僕と十二日ぶりに向き合った。少し日焼けした感じがした。
「お帰り。久しぶりだね。元気そうでなによりです。柏崎では色々ありがとう。本当にチャコには助けられたね。」
「大したことしてないよ。でも今までの夏休みでは一番楽しかったかな。マコちゃんもよろこんでた。宿題のこともね。あの後、うまくいった?」
「お蔭様ですべてうまくいったよ。チャコの方はその後どうだった?二学期始まったけど何か変わったことはなかった?」
「あったよ。」
チャコはいつもの笑顔で答えた。僕はチャコのその返事を聞いて少し安心した。大体チャコと僕が別々に暮らすのはインフルエンザ事件以来であり、それも約二週間に及ぶ長期間の別居は始めてである。その間、決しておとなしくないチャコの周辺に何もない方が異常なのだ。
「何?」
「何があったと思う?」
「また学校で何かやった?」
「ううん、原宿でスカウトされたの。」
「野球じゃないよね?」
「うん。芸能プロダクション。チャコちゃんかわいいからまいっちゃうよね。名刺渡されて、興味あったらここに電話してくださいって。」
「で、どうしたの。」
「その後ね、これは最初からその予定だったんだけど実家に行ったの。その後、どうなったかは分かるよね?」
「うん。君はその話をマコちゃんにしたんだ。」
「そう。」
「で、マコちゃんが君からその名刺を奪った。何時頃だったの?」
「う~ん、夕方の四時か五時頃かな。」
「じゃあマコちゃんはすぐにその名刺の電話番号に電話したんだね。『さっき原宿でスカウトされたものですけど』とか言って。それから一番いい服着てすっ飛んでったんじゃないかな。」
「最後はブブーだね。着の身着のままですっ飛んで行ったよ。」
なるほどマコちゃんらしい。
「で、とりあえずガーネットっていう音楽事務所、まあ芸能プロダクションだね、そこに所属することになったんだけど、それだけじゃただ在籍してるだけだからオーディション受けることになったんだって。」
「オーディションってドラマかなんかの?」
「う~ん、なんていうのか、今はやりの、今はやりというか二十年くらい前からはやりのアイドルチームだよ。女の子何人かでグループ作るの。色々できてるでしょ?」
「ああ、なんとかクラブとか、なんとかチームとかそういうのね。」
「そう。それで再来週の日曜かな、公開オーディションがあるからあたし達にも見に来てほしいんだって。」
「見るだけ?またどっかで入れ替わるんじゃないの?」
「う~ん、今回は筆記試験ないからなあ。入れ替わるとしたら歌のところだけだね。」
「やっぱり入れ替わるんだ。」
「うん。マコちゃんとあたしって外見は同じだけど得意分野が違うのよ。芸術系だとマコちゃん音痴だけど歌はあたしの方がうまいの。踊りもかな。その代わり絵を描くのはマコちゃんの方が断然うまい。だから夏休みの宿題なんていつもマコちゃんに丸投げだったもん。書道もマコちゃんだね。すごい達筆。書初めも丸投げだったなあ。で、一曲振り付けしながら歌うのがあるそうでそこのところだけは入れ替わろうかなと思ってる。できるかどうか分からないけどね。まあマコちゃんは歌手になるよりも時代劇とかに出るのが夢見たいだからそれでいいのかなって思ってる。」
「親御さんは反対してないの?」
「あたしの結婚のときもそうだったけど、お父さんもお母さんも反対も賛成もしてないよ。ただいい顔しないだけ。まあ、自分達も親の言うこと聞いてこなかったわけだから子どもが何しても文句言えないということかな。ということでもう時間あまりないけど少し練習したいんでスタジオ使ってもいいかな?」
「ああいいよ。」
裕ちゃんが使っていたスタジオは今では僕の書斎も兼ねているが防音工事が施されており、マイクも使えるし、録音もできるのだ。
「で、マコちゃんって事務所の人に裕ちゃんのこと言ったのかな?『白石裕子の姪です』とか。」
「さあどうだろう。まああの目的を達成するためには手段を選ばないマコちゃんが言わないはずはないけどね。」
(「それはお前だろう!」)と言いたかったがその言葉は飲み込んだ。柏崎では世話になっているのだ。命の恩人なのだ。
「本人には聞いてないのね。」
「うん。でも言ったところで事務所の人に信じてもらえるかどうか。裕ちゃんは謎の歌姫だったからね。裕ちゃんのプライベートって全然出てこなかったから。死んだことも謎に包まれててまだ生きてるっていう都市伝説もあるくらいだからね。」
「ああ、その都市伝説なら僕も聞いたことがある。だからファンクラブもまだ解散してないんだ。」
「ねえ、なんで裕ちゃんってあんなに謎めいたシンガーになっちゃったの?マスコミの露出少ないし、普通ないよね。」
「僕もよくは分からないんだけどたぶん権蔵先生の圧力だったんだと思う。」
「おじいちゃんの?」
「うん。権蔵先生は裕ちゃんが歌手になるの大反対だったからね。それで事務所に圧力をかけたんだよ。それこそ本当の政治的圧力をね。そしたら事務所の方でもプライベートが隠された謎めいた歌手ってことで売り出すのも面白いってことになって、そうやって売り出したら本当に当たっちゃってそのまま後に引けなくなったってわけだ。」
「ふうん。そうだったんだ。」
「あくまでもこれは僕の推測だけどね。でも当たらずしも遠からじだと思う。お陰で僕もマスコミに追い掛け回されずに済んだんでよかったけどね。特に最後の一年は裕ちゃんをそっとしておくことができた。」
「ねえ、裕ちゃんてホントに死んじゃったんだよね?」
「うん。それは間違いないよ。裕ちゃんが息を引き取るとき僕は裕ちゃんの手をずっと握ってたんだから。」
裕ちゃんは僕の手を握りながら、静かに安らかに、眠るように息を引き取った。でも僕はもうその光景を思い出すことができないし、思い出すこともないだろう。もう遠い記憶だ。
「そう、……ごめんなさい。……変なこと思い出させちゃったね。別になんでもないの。もちろん裕ちゃんが生きていてくれればあたしはうれしいんだけど、ただ、……啓一さんのことやっぱり返してって言われたらどうしようかなって思っちゃったの。……ごめんねえ、変なこと言って。久しぶりに啓一さんにあえてうれしいんだよ。……だから。……ああ、そうだあたし宿題やらなきゃ。宿題、宿題……」
そう言うとチャコはダイニングから出て行った。変なことを言う奴だ。
それからマコちゃんはたびたび碑文谷の僕の家にやってきてチャコと二人で歌の練習をしていた。僕はというと臨時国会が始まってしまい政治家見習いとしての仕事が忙しくなり、二人の練習にはなかなか付き合ってあげられなかった。たまに早く帰ると、まだマコちゃんがいて、チャコと二人でくつろいだりしていた。
「マコちゃんどう?うまくいってる?」
僕はチャコとお茶を楽しんでいるマコちゃんに話しかけてみた。
「うん。ようやく運がつかめたって感じ。これでスーパーアイドルになっちゃったらどうしよう。」
「随分、自信あるんだね。」
「自信って程じゃないけど、これでも学校じゃ結構人気あるからね。」
「マコちゃんは天狗になってるだけだよ。」
チャコが横槍を入れた。
「まあ、チャコちゃんには感謝するよ。チャコちゃんが原宿でスカウトされなかったらこんなチャンスまわってこなかったんだから。」
「で、オーディションって何やるの?」
僕はマコちゃんに聞いた。
「三つのステージがあるんだあ。第一ステージでは自己紹介と水着審査、第二ステージでは振り付けしながらの歌一曲、第三ステージではお得意パフォーマンス。これはなんでもいいの。オーディションは一応、公募ってことになってるけどそれは表向きで、ほとんどの候補者が書類選考で落とされてるの。で、あたしみたいに既に事務所に所属してて、事務所から強い推薦を受けてる二十人が最終選考に臨めるってわけ。合格者は三人だから結構狭い門だね。」
「狭い門の割には自信あるの?」
「自信てほどじゃないけど失敗してもいいかなと。初めてだし、社長からも度胸試しって言われてる。やっぱり苦手は歌かな。」
マコちゃんとチャコの間では歌のところはチャコと入れ替わる作戦のようだ。しかし、二人にとってはじめての経験であり、作戦は失敗するかもしれないので念のためマコちゃんも同じ曲の練習をしているようだった。マコちゃんは歌は苦手のようだ。その代わり時代劇ネタをやるという第三ステージは結構、自信を持っているようだった。
「ところでマコちゃん。裕ちゃんのことは事務所に話してるの?」
僕はかねてからの疑問を聞いてみた。
「話してないよ。」
「話してないの?マコちゃんらしくないなあ。」
チャコもびっくりだ。
「うん。なんとなく言いそびれたというか、そんなこと忘れてたというか、裕子叔母さんがあまりにも雲の上の人だから。言っても信じてもらえないだろうし。信じてもらえたとしても今度は裕子叔母さんと比較されたらとても比べ物にならないかなあとか思って。」
「そう。まあそれはむしろ良かったかもしれないね。マコちゃんはマコちゃんの個性で勝負すべきだよ。」
僕が言うとマコちゃんは笑顔で応えた。余程自信があるようだ。
そして彼岸が過ぎた日曜日の午後、オーディションが開催された。場所は渋谷の少し大きめのホールで、ファンクラブの会員が抽選で招待されているほか家族や芸能関係者で会場はにぎわっていた。チャコと僕は「関係者以外立ち入り禁止」の立て札の前でマコちゃんとバイバイし、客席に並んで座った。
ブザーが鳴って第一ステージが始まった。軽快なミュージックがスタートし、司会者がエントリー番号一番から一人ずつ女の子を紹介する。紹介された女の子はステージに現れ、ステージの回りを少し歩いて中央に置かれたマイクの前で自己紹介をする。そして後ろに下がり横一列に整列するのだ。
ステージに現れた少女はほとんどがすらっとしたモデル体型で足取りも軽やかだった。歩き方のレッスンも受けているのだろう。ただマイクに向かうと少しぎこちない。天は二物を与えないのだ。
少女達の紹介は進み、マコちゃんが十二番目に登場した。マコちゃんのプロポーションは決して悪くはない。恐らく通学する都立高校ではトップレベルに入ることだろう。しかし、ここでは後ろから数えた方が早そうだ。それは仕方がない。レベルが高すぎるのだ。ステージをふらふら歩きマイクに向かった。
「エントリーナンバー十二番白石真子で~す。モットーは天真爛漫で~す。将来の夢は時代劇に出ることで~す。お姫様から忍者までなんでもやってみたいで~す。よろしくお願いしま~す。」
語りはなめらかだ。この十二人の中では最高点がついたことだろう。やはり天は二物を与えないのだ。そして後ろに下がり横一列に並んだのだがマコちゃんだけが極端に背が低く見える。それはそれでかわいく見えるし、僕は好きだが審査委員に好印象を与えられるかどうかはまた別問題だろう。
そして二十人目が登場し、横並びに揃ったところで前進し、ミュージックが止まって全員で各別のポーズを決めた。他の十九人はお色気ポーズだったがマコちゃんだけはなぜかガッツポーズだった。僕にはかわいく見えた。ステージの女の子はいったんステージの袖から下がった。
続いて第二ステージが始まった。今度は後ろのエントリーナンバー二十番から振り付きで一曲歌うのだ。やはり選ばれただけのことはあり、歌もそれなりにうまい。僕はステージに夢中になっていたが途中でふとチャコがいなくなっていることに気がついた。忍者のようだった。まあ僕に気付かれるようでは審査委員にも気付かれてしまうだろうが。
そして九番目にマコちゃんならぬチャコが登場した。今までは色々と騙されてきたがさすがに、今ステージに立っているのがチャコであることは分かるようになった。曲は裕ちゃんのコンクール優勝曲にしてデビュー曲の『グッバイサマーデー』だった。行く夏を惜しむ内容だが明るいアップテンポの軽快な曲だ。素人でも歌いやすい曲で裕ちゃんの中では僕が一番好きな楽曲の一つだ。アップテンポだが振り付けがそんなにないことも選曲理由の一つだったのだろう。季節感も考慮したのかもしれない。歌唱力はまあまあだった。素人のど自慢大会では鐘三つかもしれないがこのレベルの高いオーディションでは中の下といったところだろう。まあマコちゃんではお話にならなかったということだ。次のエントリーナンバー十一番が歌ってから少しインターミッションがあり、最後のエントリーナンバー一番が歌い終わるまで第二ステージは一時間くらいかかった。小休止に入り、気がつくとチャコが隣にいた。僕は特にそのことには触れなかった。
そして十分くらいの小休止が終了し、第三ステージが始まった。今度はまた一番からスタートだ。パフォーマンスは各人様々、バイオリンを弾く者、一発芸をする者、時間も十秒から三分くらいまでと幅があった。審査委員にアピールできればなんでもいいようだった。十二番目に登場したマコちゃんは時代劇ネタを二分くらいやった。「近松門左衛門やりま~す」とか到底元ネタが分からないようなものもやったのだがそれはそれでおもしろく、会場は笑いに包まれた。エントリーした二十人の中では一番笑いが取れていたのではないだろうか。むしろお笑い芸人の方が合っているのではないかと思ったくらいだ。最後の二十番目のパフォーマンスのオカリナ演奏が終わって第三ステージは終了した。第三ステージはマコちゃんも自信があっただけに互角に渡り合えたと思う。
第三ステージが終了し、審査のため約三十分間の長時間の休憩に入った。チャコと僕は会場内の喫茶室で一服した。
「ねえ、マコちゃんどう思う?」
僕はチャコに聞いた。
「うん、厳しいかなあ。」
「悪くはないけど、ライバルが強すぎるよね。」
「すごいのが二人いるね。あの二人は合格かな。後一人に入るのも厳しいだろうなあ。でもマコちゃんにとってはどっちでもいいんじゃないかな。」
「どっちでも?」
「うん。合格できればいいに決まってるけど、合格できなくても経験にはなるでしょ?今、マコちゃん結構天狗になってるから少し冷静になるのもいいと思うの。まあ、マコちゃんなら一度蹴っ飛ばされたくらいじゃあきらめないだろうしね。」
「でも、マコちゃん落ち込んじゃうんじゃないかなあ。自信あるみたいだったし。」
僕はそれを心配していた。自信があっただけに落ち込みも激しいだろう。
「まあ大丈夫だよ。マコちゃん回復早いから。美味しいものでも食べに行けばすぐに元気になると思うよ。ということで今日は啓一さん、お財布の方、よろしくね。」
そう言ってチャコはにっこり笑った。チャコはどんなときも前向きだ。お陰で僕は下手に落ち込まずに済んでいるのだろう。そのうちマコちゃんもやってきたがいつもの元気がない。「はあ」と席に着くなりマコちゃんは大きなため息をついた。
「どうしたの元気ないよ。」
チャコも心配そうだ。
「チャコちゃん、せっかく出てもらったのに申し訳ないけどあたしは無理だ。こんなオーディション通るわけないよ。」
「そうかな?マコちゃんいい線行ってると思うけど。」
マコちゃんを元気づけようと僕はそう言ったけど僕もマコちゃんには少し厳しいかなとは感じていた。
「駄目駄目。他の子たち小学校入る前から事務所に入ってレッスン受けたりしてるんだよ。あたしがかなう相手じゃない。それにあたしはコネとかもないし。やっぱり芸能界なんて夢のまた夢だったんだね。なんか情けなくて涙が出ちゃう。」
天真爛漫なマコちゃんが本当に泣きそうだった。
「そうかなあ。」
「そうだよ。裕子叔母さんの才能を少しでも分けてもらえれば良かったんだけどお母さんが幸子じゃねえ。」
マコちゃんがまた大きくため息をついた。
「ねえマコちゃん。裕ちゃんのこと引き合いに出すなら、裕ちゃんよりマコちゃんの方がずっと恵まれてると思うよ。」
「どうして?さっき見てたでしょ?あたしなんかズタボロだよ。」
「僕は高校時代の裕ちゃんは知らないけど、十六歳の頃の裕ちゃんはもっとひどかったと思うよ。オーディションとかコンクールとかは百回くらい落ち続けたって言ってたから。」
「……」
「でも裕ちゃんは諦めなかった。というより本当に歌が好きだったんだね。歌に対する情熱がすごかったから最後は人を感動させることができたんだと思う。マコちゃんなんて始まったばっかりじゃない。しかも十六でスカウトされて事務所に入れて、一応、芸能人を名乗れるんでしょ?裕ちゃんにしてみれば恵まれてるよ。スタート早いし。それに夢も大きいんでしょ。裕ちゃんに負けないくらい。」
「うん、歌は下手かもしれないけどドラマとかやってみたいなあ。」
「じゃあ、頑張ってよ。僕も活躍するマコちゃん見たいから。」
「は~い。そうだね。まだ始まったばっかりだよね。ごめんね弱音吐いちゃって。お兄ちゃんありがとね。」
マコちゃんは少し元気を取り戻したようだった。そのとき「啓ちゃん!」と近くで僕の昔の呼び名を呼ぶ声がした。声の方に目をやると懐かしい顔があった。裕ちゃんと一緒に仕事をしていた音楽プロデューサーの野島慎一氏だった。
「やっぱり啓ちゃんだ。懐かしい!どうしたのこんなところで。ナンパでもしてんの?」
昔からこんな感じだ。
「ああ、野島さん。すごいお久しぶりです。お元気でしたか?なんか前より若返ったんじゃないですか?」
「そうかな。最近は若い子ばっかり相手にしてるからね。またこの世界に戻ったの?」
「またって元々僕はこの世界の住人じゃないですよ。」
「作詞大賞受賞者がよく言うよ。じゃあやっぱりナンパ?」
「いいえ、今日は妹の付き添いですよ。このオーディション受けてるんです。野島さんはお仕事ですか?」
「そう。審査委員やらされてるの。一番前に座ってるよ。そっか啓ちゃん一人っ子だと思ってたけどこんなにかわいい双子の妹がいたんだ。」
妹はそのうち一人だけなのだが、話がややこしくなるので黙っていた。
「で、こっちの制服着てない方が今日のオーディション受けてるんです。」
「なんだ。せっかくだからツインズユニットで売り出せばいいのに。こんなにかわいいんだから。」
「そうもいかないんですよ。こっちの制服の方は芸能界に興味なし。で、オーディション受ける方は芸能界に興味ありすぎ。双子ってそういうものみたいですよ。」
「そう。たしかマコちゃんだったよね?」
マコちゃんに聞いた。
「はい。エントリーナンバー十二番の白石真子です。ガーネットに所属してます。よろしくお願いします。」
マコちゃんは起立して野島氏に深々と頭を下げた。とても緊張した面持ちだ。
「こちらこそよろしくお願いします。……お兄さんにはとてもお世話になったんだ。そしてできればこれからもお世話になりたい。……啓ちゃんこれからもよろしくね。僕はてっきり啓ちゃんは柏崎に帰っちゃったと思ってたんだ。今日はつまらないオーディションで退屈してたけど最後にいいことがあった。もう天才裕ちゃんとのつながりは完全に絶たれてしまったと思ってたけど運命の糸ってあるんだね。ガーネットは知らない事務所じゃないし、妹さんのことは少し使わせてもらうかもしれないよ。いや、きっと使わせてもらうよ。また啓ちゃんにも会いたいしね。じゃあ僕はこれから発……。」
そこで野島氏は絶句した。十秒間くらい固まっていた。何か重要なことに気付いたようだった。
「今なんて言った?」
少し怖い口調でマコちゃんに言った。マコちゃんも驚いている。
「よろしくお願いしますって言いました。」
マコちゃんは起立したままだ。とても緊張している。
「その前だ。」
「ガーネットに所属してます。」
マコちゃんはびくびくしながら答える。
「いや、その前。」
「エントリーナンバー十二番の白石真子です。」
「……シライシ……」そうつぶやき野島氏は僕達が座っていた喫茶コーナーのテーブルに左手をつき、おでこに右手をあててしばらく考えるしぐさを見せた。僕は既に野島氏がある重要な誤解をしたことに気付いていた。でもその誤解を解かない方がマコちゃんのためになると思った。但し、嘘だけはつかないようにしようと思った。
「啓ちゃん。」
野島氏は僕の方に顔を向けた。
「君、結婚したね?」
「ええ、しました。」
確かに僕は結婚した。嘘はついていない。
「さっき、君はマコちゃんを妹だと紹介したけど実の妹さんではないね?義理の妹さんだね?」
「ええ、義理の妹です。もっと正確に言うと妻の妹です。」
これもその通りだ。嘘はついていない。
「裕ちゃんのことはガーネットには言ってないんだね?」
「ええそのはずです。そうだよね、マコちゃん?」
僕はマコちゃんに念を押した。マコちゃんはうなづいた。
「えらい。」
野島氏は小さくつぶやいた。
「それはえらいよ。自分の足で立とうとするなんて。えらい。」
野島氏はマコちゃんの方を向いた。
「マコちゃん。」
「はい。」
「今日のオーディションはどうなるか分からないけど、もし君がこの世界で活躍したいと本当に思っているのならいつかは活躍できると思うよ。それは僕が保証しよう。さっきのパフォーマンスは素晴らしかった。僕もゲラゲラ笑っちゃったよ。今日はいい話を聞かせてもらいました。そうか、だから『グッバイサマーデー』だったんだね。久しぶりにいい歌を聞かせてもらったよ。では僕は発表があるので。啓ちゃん、今度は立ち話じゃなくてもっとゆっくり話をしようね。」
そう言って野島氏は会場へと姿を消した。マコちゃんがその後姿を目で追った。
「ねえ、お兄ちゃんなんであの人知ってるの?」
マコちゃんはとても興奮していた。
「まあ、裕ちゃんのつてだよ。僕は裕ちゃんのことはプライベートな面しかほとんど知らないんだけど芸能関係者も少しは知ってるんだ。」
「ねえ、あの人審査委員長だよ。……真ん中座ってる。」
「ああ、そうなんだ。良かったねマコちゃん。コネがあって。」
「良かったなんてもんじゃないよ。もしこれで合格できたらあたし……あたしお兄ちゃんにあたしのすべてをささげてもいい。」
マコちゃんは涙を流さんばかりに感激している。
「マコちゃん!」
そこはさすがにチャコが制したがマコちゃんは興奮冷めやらぬ様子だった。
それからマコちゃんは楽屋に戻り、チャコと僕も会場に戻って着席した。会場のベルが鳴って審査発表が始まった。司会者が「これから合格者を発表します」といい、最初の一人を発表し、審査委員長の野島氏がコメントし、次の一人を発表し、さらに審査委員長がコメントした。最初の二人は予想通り、ずば抜けた二人だった。モデル体型で歌も踊りも演技も完璧だった。僕が審査委員でもこの二人は合格させただろう。そして最後の一人の発表になった。
「では最後の一人を発表します。最後の一人は、……エントリーナンバー十二番、白石真子さんです。おめでとうございます。さあ前の方にどうぞ。」
マコちゃんはびっくりし、そして泣き出した。マイクを向けられ、口は一生懸命「ありがとうございました」と動いているが声にならない。マイクが音をひろえない。マコちゃんは何度もお辞儀をした。
「では審査委員長の野島先生、コメントをお願いします。」
司会者が野島氏にふった。
「まあほとんど私の一存で最後の一人は決めさせてもらいました。マコちゃん。今はまだ歌も踊りも上手ではないかもしれないけどこれから伸びる潜在力を評価しました。僕が昔一緒に仕事をしていたある天才的な歌手にとても似てると思ったんです。彼女が誰かは秘密ですが、これから磨けば彼女をしのぐ売れっ子になると思います。これからレッスンとか大変だと思いますが頑張ってください。」
審査委員長がそういうと会場は大きな拍手に包まれた。マコちゃんは泣きながらもう一度深々とお辞儀をした。とてもかわいかった。
「何はともあれよかったね。チャコも頑張ったかいがあったね。」
僕は隣のチャコにポツリと言った。
「どうだろう。あたしはなんにもできなかったんじゃないかな。今日、マコちゃんが合格できたのは裕ちゃんのお陰だよ。それと啓一さんのね。さっきの先生、絶対に誤解してたよね。裕ちゃんと啓一さんが結婚したと思ってるよね。啓一さんもそれに気付いてたでしょ?」
「うん。マコちゃんが裕ちゃんの実の妹と勘違いしてたね。でもいいや。マコちゃんとってもうれしそうだし。僕もうれしいよ。」
「あたしもうれしいや。結局、あたしが評価されたってことだもんね。それに審査委員長の先生、あたしが天才的な歌手にとても似てるって言ってた。それって裕ちゃんだよね。あたしが裕ちゃんに似てるってことだもんね。」
チャコは満足そうな笑みを見せた。こうしてアイドルの卵が一人誕生した。