始発の電車は僕の目覚まし時計。キィーッとけたたましいブレーキ音がこだまし、即座に僕の意識を覚醒させる。お世辞にも心地よい目覚めとは言えない。
寝ぼけ眼を擦りつつカーテンを開ける。そこには清々しい朝の景色が……映されているわけではなく、日の出後のまだ少し薄暗いどんよりとした空が映っていた。
遠目に既に出発した電車が見える。
線路も車輪も古くなっているのか、走行音もブレーキ音もなんとも騒がしい。そのためか、線路のフェンス越しに位置しているこの物件の家賃はかなり安い。事故物件も兼ねているのかと心配になるほどで、低収入の僕でも一年分の家賃を前払いできたほどだ。
不便ではあるが、低血圧の僕でも朝をしっかり迎えることができる優れもの。怪我の功名というべきか適材適所というべきか、僕のライフスタイルにあった目覚まし時計と化している。
朝だというのに、自分が低血圧ということを忘れるほど気分が良い。一頻り外を眺めた後に風呂場に向かう。今日はやけに調子が良いので、朝シャワーを試してみることにした。風呂場への足取りが軽い、柄でもなく鼻歌を詠じたい気持ちだ。
着ていた小豆色のジャンパースカートを脱ぎ、そのまま洗濯かごへと放る。
その時、背中の妙な引っ掛かりと共に違和感を感じた。
「あれ? なんで僕はスカートを履いているの?」
そう疑問を口にだし聞こえた声は、とても自分の、男の声とは思えない軽やかな声だった。
「なに……この声」
自分の声が女の子のような、まるで小鳥の囀ずりのような可愛らしいものになっていた。僕の耳か頭がオシャカになってなければの話だが。
新種の風邪だろうか? とバカっぽい考えが頭に浮かぶ。
洗濯かごに放り込んだスカートを見る。サーッと顔の血の気が引いていくのを感じる。僕は慌てて自分の全身を探った。
服装をチェックする。すると、覚えのないスカートと同系色のタイツと帽子を身につけ、室内だというのに黒のシューズを履いていた。体をチェックする。そこには、昨日よりも二回り縮んだ身長と、申し訳程度に膨らんだ胸部が……。
異常だ。鼻歌を詠じたいだの、呑気してたご機嫌な気分も瞬時にぶっ飛ぶこの衝撃。思考がフリーズしていてもしょうがない状況であった。
「か、鏡!」
焦燥に駆られて洗面台の鏡を覗く。
少女がいた。
小豆色の短髪、鳥の羽のような耳。そして背中からはとても作り物とは思えないような羽が飛び出ていた。意識すればパタパタと羽ばたかせることもできる。
一風を成した見た目だがたしかに美しい女性の姿がそこにあった。
そして、その見た目は既視感のあるものでもあった。
「ミスティア……?」
ミスティア・ローレライ。鏡に映ったその姿形は、弾幕シューティングゲーム、東方永夜抄に登場した彼女の姿そのものだった。
妖怪。夜雀。鳥頭。人ならざるものという実感が、背中からの羽音とともに頭を巡り、無理矢理に反芻させられる。
「マジで……?」
寝ている間に特殊メイクでも施されたのかと、すっかり変わってしまった自分の顔を撫でる。すべすべしっとりモチモチな頬。いや、頬よりも頬っぺたというべきか。意味としては変わらないが、気持ち的には頬っぺただ。
続いて耳を触り、感触があることを確認する。引っ張ってみるとちゃんと痛みも感じる。羽のような見た目だがちゃんと耳としても機能しているようだ。
それらのあまりにも正常に働く感覚に、僕は本物だと認めざるをえない。
「うん……そうだよね、体が縮んでるんだもん。メイクはありえないか」
頭痛がする。肉体的にはむしろ人生最高レベルで絶好調と言えるのだが、今までの積み重ねてきた自身の常識と観念が崩されたためか、僕は足元がふらつく感覚をおぼえた。
「……とりあえず、シャワーを浴びよう。いろいろ考えるのは後回しだ」
♪♪♪
シャワータイム約5分。カラスの行水ならぬ、すずめの行水。
いや、下らない考えは後回し、今は調べものだ。
パソコンの電源を入れ、立ち上がるのを待つ。
こんなご時世だというのに、僕はいまだスマートフォンを持ち合わせていない。特に連絡する親族も友人もいないため、困るほどではないが。
あるのは親が使っていた古いパソコンだけだ。起動するにも時間がかかる。
そんなことを考えているうちにパソコンが起動する。
「ええと、『東方』と……」
いつもお世話になっている先生頼りに情報収集をする。もしかしたらゲームとしての東方が存在しない世界に転生してしまったのではないか。そんな可能性がないかどうか調べるため『東方』を検索する。
結果として、そんなことはなかった。エンターキーを押す必要もない。サジェスト欄にはしっかりと東方projectの文字が表示されていた。
いつも通り、平常運転で世界は回っていた。
「東方は存在するんだ……」
となるといよいよ面倒になってきた。幻想郷に、もとい
「この羽、どうしようかな?」
ピコピコと跳ねるように動く羽に目を向ける。
ミスティアのチャームポイントはかなり目立つ。東方は嗜む程度の僕でも、この姿はミスティアだと分かるほどなのだ。
もし僕がミスティアだとバレてしまえば、面倒なことになるのは想像に難くない。
コスプレで通すことも出来なくはないが、いつかボロがでるに決まってる。元々注意深い性格ではなかったし、なにより今の僕は鳥頭だ。ヘタな芝居は危なっかしい。
ミスティアの目立つ身体的特徴として挙げられるのは、髪、爪、耳、羽の四つだろう。
髪は、まぁ、今日日髪を染めている人は珍しくもないし、いざとなったら黒染めをすればいい。
爪はデフォルトでは短いようで、意識することで伸ばすことができるようだ。なので気にする必要はない。
耳は、どこぞのミミズク太子よろしく、ヘッドホンや耳当てなどでカバーすることができるだろう。多少マナーが悪いのは目を瞑ろう。
そして羽だ。爪と違って引っ込めることは出来ないし、服を被せると二重の意味で違和感がある。
「切り落とすのもありだけど……」
ちらっと台所の包丁を見る。羽が無意識に縮こまる。それを感じすぐにその考えを撤回する。怖じ気づいたのもあるのだが、なにより手が届かない。切りようがないのだ。切れないのだからしょうがないじゃないか。
「うん、後回しにしよう。まだまだ問題はあるんだ。一旦別の問題でリフレッシュしよう」
この体になってから従来の悲観的な性格に楽観的姿勢が加わったようだ。鳥頭になってしまったと悲観すべきか、切り替えの速さを身につけられたと楽観すべきか。
まぁそんなことは置いておこう。時間は有限。今日は休日だが、明日になれば大学が、さらにはバイトの心配もしなければならない。
一人暮らしの貧乏学生には無視できない死活問題だ。
「……なにがリフレッシュだ。逆に沈む」
羽はさらに縮こまる。僕の頭は
……ダジャレでリフレッシュだ。
「だから逆に沈むって……」
くだらない。なんだかそう思えた。ダジャレも僕の身の上も。今まで積み重ねてきた、努力してきたことがこんな三流ネット小説みたいな展開で崩れ去ろうとしているのだから。
「……もう、どうでもいい。僕、いや私はミスティア・ローレライ。昨日までの僕は死んだんだ」
僕の心の中で何かがハジけた。これまでの人生にもミスティアとなってしまった展開にも、どうしようもなくくだらないと思えてしまって。諦めに近い感情かもしれない。
こうなってはどうしようもないのだろう。こうなってもどうにかなるだろう。
受け入れが早いと自分でも思う。これが元来の
「……好きなように生きるのも悪くないな」
大学には行っているものの、何かになりたくて行っている訳ではない。ただ就活のために学歴が欲しかっただけ。自分がどんな仕事に就きたいかも分からず、ただ時間を浪費するだけの毎日だった。
肉親はすでにいない。深くのめりこめるような趣味もなく、バイトから帰れば体力回復のために寝るだけの生活だった。
丁度よかったんだ。今まで現実に打ちのめされてきてうんざりしていた。三流ネット小説並の展開だっていうのなら全力で乗ってみよう。全力でミスティアを謳歌しよう。
羽はもう大きく広がっている。
もう隠せない。隠す必要なんてない。
バレて面倒なことになってもいいじゃないか。私は、ミスティア・ローレライなのだから。
続きも書いてないのに連載します。
……しかも遅筆がひどい。