短編・4600文字・完結済
単行本23・24巻
公式ファンブック『探究者たちの記録』
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その日の宇佐美上等兵は、いつにも増して落ち着きがなかった。
――鶴見中尉殿の不興を買った、しかもかなりガッカリされた。
――自分のせいではない。
――多分、自分のせいではない……と、思う…………
「思いっきりお前の自業自得だろうが」
同行の菊田特務曹長が嫌そうに突っ込みを入れる。本当はあまり絡みたくないのだが、共同任務で札幌に向かう列車のボックス席で、延々独り言を呟き続けられたらマジうざい。
「僕のっ? 僕がっ! 何をしたっ、て、いう、ん、ですっ!」
「ああ面倒くせえっ。じゃあ逆にお前の何処に非が無かったと言える? 夕べのお前の行状を箇条書きにして読み上げてみろっ」
「・・・・・・」
宇佐美上等兵は生真面目に、膝上に手帳を広げて書き出し始めた。
本当にやるか。
「えーと、まず夕べは・・鶴見中尉殿の指令で、湧別の街で、逃げたアイヌの娘を捜索・・と」
「うるせぃ、読み上げるのは後でいいから、とりあえず黙って書け」
***
一つ後ろの車両。
「ちっ、あっちの軍隊専用車両は広々使っていやがるぜ。こっちは寿司詰めだっていうのに」
「あんた、そんな事を言うもんじゃないっしょ。お国の為に闘ってくれた兵隊さんやないの」
四人がけのボックス席。
行商人風壮年夫婦の会話に、向かいに座る顔色のすぐれない母娘の、娘の方が身を強ばらせた。
「あ、あっちに兵隊さんが居るの? おっ母さん、怖い」
「大丈夫だから。あの怖い兵隊さんとは限らないでしょう」
「何かあったんかい?」
夫婦の女将の方が、蜜柑を差し出しながら好奇心一杯に訪ねる。隣の旦那はやや渋い顔だ。
「いえね、大した事じゃないんですよ」
母親は向かいの男性に気遣いながらも、こちらも口が減らないタイプのようだ。
「夕べこの娘が人違いで兵隊さんに追い掛けられて、それが大層怖かったようで」
「あらまあ」
女将は少々ガッカリ顔。
もう少し歳の行った娘なら色恋絡みの面白い妄想に繋げられそうだが、この娘はせいぜい十ニ、三といった所だ。
「だってだって、ただ追い掛けて来るなんてもんじゃないのよ。角で出逢った瞬間、いきなりバネ仕掛けみたいにビョンって飛び上がって」
「へぇ?」
「手足を凄い早さで動かして走って来るのに、顔の位置はニワトリみたいに変わらないの。しかも鬼気迫る形相の中で口だけニタアと笑っているのよ」
「そ、そりゃおっかないわ」
女将の興味が戻って来た。古狐妖怪(こりようかい)の話なんかも女性は大好物だ。
「後ろめたい事なんか無くても思わず逃げちゃうでしょ」
「逃げられたの?」
「この娘、女学校で徒競走の選手に選ばれた事もありましてね」
母親のプチ自慢が入る。
「あたい、子供の頃にあの街で過ごしたから、路地裏とかよく知ってたの」
「えっ、兵隊さん相手に逃げ切ったのかい? まさか」
「逃げ切ったっていうか、兵隊さん、途中で消えちゃったのよ。広い場所に出た瞬間、フッと」
女将は目を見開いて唾を呑み込んだ。
「そ、それ……本当にこの世の者だったのかい……?」
女将の言い草に、娘は「ヒッ」と小さく叫んで母親にしがみついた。
「はんかくせ」
旦那が女将の頭をこずいた。
「現実の兵隊に決まっとるだろが。あの街に大勢駐屯して、何やらワラワラと捜索しとったろ。きっと途中で人違いだと気付いて追い掛けるのをやめただけだ。よそ様の娘さんを無闇に怖がらせるんじゃねぇよ」
女将がバツ悪そうに、「ごめんねぇ」と娘に謝った。
「いえいえ」
母親が取りなしながら、話を締めくくる。
「念のために駐在さんには報告しておいたんですよ。年端も行かぬ娘を追い掛け回された訳だし。万が一兵隊さんに化けた変質者だったら大変でしょう」
「そりゃそうだわね」
女将が受けて、話題は札幌駅周辺お勧め観光スポットの話に移って行った。
***
「で、アイヌの娘とおぼしき娘を追い掛けていて……」
メモを読み上げる宇佐美上等兵のこめかみがヒクヒクした。
「……落ちました……」
「何処に落ちたか正確に答えような、宇佐美上等兵」
「肥溜めですよ、言わなくても分かってるでしょ、ネチネチネチネチ僕を辱しめて何が楽しいんです。そういう嫌らしい性格が前髪の後退速度に拍車を掛けているんですよ」
「うるせぇ、まだめっちゃ臭ぇんだよ」
あの地方の露天の肥料坪は、魚貝類の廃棄物を利用した物が多く、その香りは本州のそれとはまた違った趣きがある。軍隊専用車両は余裕がある筈なのだが、他の利用者達は向こう端にぎゅっと詰まって、恨めしそうにこちらを見ている。
「お風呂で擦りむける程こすったのにぃ~~!」
「で、それだけか? まだ反省すべき点があるだろ」
「洗濯もちゃんと出来てるでしょ、そんなに臭いますか」
「自分でも臭いって分かるから、こっそり他の兵士の軍服とすり替えようとして殴り合いになったんだろうが」
「あの人の心が狭いんですよ、そんな事くらいで中尉殿に言い付けるなんて!」
会話の成立の困難さに菊田は目まいがして来たが、彼はもう一つ聞いておきたい事があった。
「で、まだあるよな。鶴見中尉殿にも報告していない事が」
「ある訳ないでしょ、そんなの」
「駐在から苦情が来たから分かったんだが、お前が追い掛けた娘、あのアイヌの娘と明らかに背格好が違ったろ」
「…………」
「夕闇だったとはいえ、お前が米俵を浴びせられた憎い相手を違えるとは思えないんだがな」
「……そんなくだらない事……」
「すまんな、くだらない事が気になっちまう性分で」
「…………・・・ったんです……」
「んんん?」
「たぎったんですよ、血が!」
「血・・? はぁ?」
「知りませんよ、自分でも説明付かないんです。あの娘を一目見た瞬間、心臓がギュッとなって、息がハァハァして、身体中の血がグアァーッと沸騰して……気が付いたら足が勝手に追い掛けていたんです。病気ですか? ねぇ、菊田特務曹長、僕、病気なんでしょうか?」
「…………」
それって俗に言う一目惚……・・
いやいや、他の若い兵隊なら冷やかしの一つでも言ってからかってやる所だが、こいつの場合、多分間違いなく、あまり宜しくないビョーキ方面だ。
「とりあえず今度そうなったら、鶴見中尉の憂い顔を思い浮かべて全力で自制しなさい。お巡りさんに捕まるからね」
それにしてもと、菊田特務曹長は座席に深く座り直して、夜闇に飛ぶ外の景色に目をやった。
こいつの事がすんごい嫌いなのに変わりはないが、人類の雄(オス)らしいこんなメカニズムも普通に持ち合わせていたんだなと、何気にちょっとホッとした。
***
札幌の中心地、時計台の足許。
「おっ母さん、待って」
顔色のすぐれない母娘が駅に向かう道を走る。
「急ぎなさい、汽車の時間に遅れてしまうよ」
「だって時計台を見てから行こうって言ったのはおっ母さんじゃない……あぅっ」
いきなり娘の草履の鼻緒が切れた。
転んだ娘に母親が駆け寄ったが、それより先に、通行人の大柄な紳士が手を差し伸べた。
「ダイジョーブデスカー、オジョーサン」
「はい、どうもありがとうございます、異人さん・・うっ」
顔をしかめて足先に手をやると、足袋の爪先に血が滲んでいる。
「オー、大変デスー。何処カデ手当テヲ……」
「いえ、私ども、これから汽車に乗らねばならないので」
「デハ、駅マデ背負ッテサシアゲマショー」
「いえいえそんな」
「ヘーキヘーキ」
紳士は小柄な娘をヒョイと背負い上げた。
母親は恐縮しながら草履を持って後に着いて行く。
***
母娘が角を曲がってすぐ。
反対方向から歩いて来る二人の人影。
「いいか、宇佐美、俺達はあくまで斥候だ」
「もたもたしてたら入れ墨囚人を逃しちゃうじゃないですか、……んんん???」
「どうした?」
「この気配、この残り香……どうしよう菊田特務曹長、僕、また変になって来ちゃったんですけど」
「はあっ? こんな所で発情されてたまるか。水でも被っとけ」
「ひぃん」
***
札幌発、函館行き汽車のボックス席。
少女の足の怪我を、向かいに座る行商人の旦那が手当てをしてやっている。
「また同じ汽車に乗り合わせるなんて、奇遇だねぇ」
女将が嬉しそうに蜜柑を差し出す。
「ええ、駅に向かう道でお会いした時は驚きました。札幌で何日か滞在される予定だったのでは?」
「それがさぁ、女性ばかり狙う殺人犯がまだ捕まってないっていうっしょ。物騒だから早い目に次の街へ行く事にしたのさぁ」
「ええっ、何それ、おっ母さん、怖い」
「もう札幌を離れるんだから大丈夫ですよ。それより薬まで塗って頂いて。旦那さんにお礼は?」
母親にたしなめられて、娘は慌てて「有難うございます」と言った。
「まったくこの娘は。さっきだって背負ってくれた異人さんにお礼を言い損ねたでしょ」
「だって、ご夫妻に声を掛けられた後、あっという間に居なくなってしまったんだもの。駅への道を間違えかけたりしたから、バツが悪かったのかもしれないわ」
「またこの娘は、恩人の方に失礼を」
「まあまあ奥さん、私どもは薬なんざ売るほどありますから。何せ薬売りだけに、あははは」
女将は軽口のつもりだったが、母親は慌てた。
「ええっ、商売物だったんですか、すみません、すぐに支払いを」
「いいっていいって、開封済みの見本品だし」
「でも…………」
では何か気の利いた返礼品はないかと、母親は網棚の鞄を下ろして掛け金を開けた。
「いやいやいいって……」
言いかけて、女将はぎょっとした。
鞄の中に、白い布に包まれた四角い箱が見えたからだ。
言葉の止まった女将に、母親はハッとして鞄を閉じた。
「すみません、トンだ物をお見せして」
「い、いいえ……いえ、何か、こちらこそ……」
旦那が真面目な顔で、女将の頭を押さえた。
「お悔やみの旅の最中に、煩いのが話し掛けて申し訳ござんせん」
「あっ、いえいえいえいえ」
女性二人は遠慮し合って気まずくなってしまった。
「大丈夫だよ、ずっと会っていなかった、ほとんど他人みたいなお父っつぁんだもん、ね、おっ母さん」
娘は場を繕うつもりで言ったのだが、余計に空気が重くなる。
えい、この際だから吐き出してしまおうと、母親は口を開いた。
***
その頃の札幌・・宇佐美上等兵が見事な探偵技を披露し、菊田特務曹長はトンでもない物を見せられてエライ目に遭っていたが、そちらは割愛。
***
「じゃあ、娘さんが生まれてから、ほぼ別居状態?」
「まあ色々ありましてね。一言で言えば夢ばっかり見ている亭主でして」
女二人で不謹慎なお喋りが始まってしまい、旦那は渋い顔で眠掛け漕ぐ振りをしている。
娘は、何かが気になるらしく自分の袖口などをまさぐっている。
「でも、いいのかねぇ、ご亭主のお骨の横で」
「なに、こんな箱、空っぽですよ、骨なんぞ入ってやしません」
「ああ……」
女将は素直に納得した。
遠く離れたあちこちで人が木っ端のように散る時代、箱の中は戒名の紙一枚なんて事もザラだ。
母親が口にした地名は、確かに去年、大勢の人死にが出た大惨事のあった場所。遺体の判別すら出来ぬ凄惨な現場だったと伝え聞く。
「それでもこういう形式ばかりのモノが遺されて、受け取りに行ってやらないと、ケジメも付けられませんからね」
そこで娘が袖を振りながら不機嫌な顔で、話の腰を折った。
「懐に入れていたお小遣いがどうしても一銭足りないの。さっき転んだ時に落っことしたんだわ。ああ、嫌になっちゃう、怖い兵隊さんに追い掛けられるし鼻緒は切れるし。あたいはやっぱり運がない。そういう所ばっかりお父っつぁんに似ちゃってさ」
~おしまい~
お読み頂きありがとうございました
何じゃこりゃ、って方には、公式FB189P、単行本24巻16P
ひとことで言うと凶運の遺伝子