-1-
サファイアブルーの毛並みが揺れてる。それは姿形の全てに品位のある生き物だった。ナナ・テスカトリと呼ばれる、テスカトの雌個体だ。
地底火山の火口近く、骨をも溶かす灼熱が吹き上がっていた。そのせいで景観の全てが赤く、爆ぜる溶岩の光のせいで地底でありながら昼夜無関係に明るさがある。
ナナ・テスカトリは横たわっていた。
爪先は力無く岩に垂れ、瞼は閉じたまま微動だにしない。体温はなかったが、周囲の気温が身体を冷たくはしなかった。
下腹部がやや膨れてる。生き絶えたりしなければ、いずれ産まれた筈の命の膨らみがそこにはあった。つがいの遺体を見下ろして、傍らに立つテオ・テスカトルが何を思ったかはわからない。ただゆっくりと瞬きを繰り返し、いつまでもいつまでも妻の遺体を眺めていた。
-2-
その村は地底火山の近隣にあり、村人達は鉱石を掘っては貿易商に買い取って貰い生計を立てていた。
似たような生活をするナグリ村は陽気であるが、対極的なほどその村の空気は暗く静かだ。村人の大半が同じ血脈の一族で、そのせいか排他的で厳格な性格の者が多い。また独自の信仰を持っていて、価値観は外からみれば特異なものとなっていた。
モンスターの生息圏の近場に住んでいる以上、共存する術が常識のように刷り込まれている。
あまり穏やかな土地ではなかった。夜中にグラビモスの咆哮で飛び起きるなどざらであったし、リオレウスが繁殖期に入ると村全体が警戒心からピリピリとする。
危険生物が観測されても、討伐に積極的な姿勢はなかった。ひたすら息を潜め、身を守り、嵐が過ぎるのを祈るように供物を捧げるのが常だった。イーオスを数頭狩って屍を火口に吊るし上げ、どうぞお納め下さいというふうに。この方法こそが独自の信仰によるものなのだ。多神教の神々に対する価値観に近いのかもしれない。
少女が生まれたのは、そういう村だった。
…………
きっかけは大規模な爆発に地形の変化が報告されたことである。この地底火山で、爆発と聞いてまず連想されるのがブラキディオスだ。
だが調査に向かった族長達が目にしたものは、想像を絶するクレーターの跡だった。ブラキディオスは確かに恐ろしく強力なモンスターであるけれど、このような爆発など果たして可能であっただろうか。これがブラキディオスなら、どれだけの個体なのだろうと頭を捻る。通常の二倍近いサイズかもしれないだとか、様々な憶測が飛び交った。だが知識の深い族長は、全く別の見解を示す。
「ブラキディオスならまだ良い。こいつは、テオ・テスカトルかもしれないぞ。スーパーノヴァなら、この大規模なクレーターを作れるだろう」
その言葉に、皆々固唾を飲み固まった。まさか。誰かが言う。古龍だなんてと、泣きそうな顔をする者も居た。
協会に討伐依頼を出そうと若者が言った。その意見には全員が賛成と頷いた。村にはモンスターから身を守るための防空壕があるけれど、きっとテオ・テスカトルには通用しない。手練れのハンターが必要だった。
だけど……。別の男が言う。
「協会に依頼して、それを受理して貰えたとして……、引き受けてくれるハンターがここに到着してくれるまで、どれだけ時間がかかるんだ……?」
状況を説明し、報酬を提示する文書をしたため、それが協会に到着まで三日程度かかるだろうか。それから観測隊が来るだろう。古龍ともなれば討伐依頼にも制限がかかるはずだ。危険度を明確にし、クエスト受注可能なハンターの条件を決めるための審議がかかる。
村から依頼を協会に出し、観測隊が調査し、協会本部で審議を行う。ここまでしてようやくクエストカウンターに依頼の一つとして並ぶのだ。この村はドンドルマの管轄圏であるために、ハンターは大老殿から来るだろう。族長は暫し思案する。文書の到着、観測隊の調査、本部の審議、ハンターの募集、そのハンターが大老殿からこの村に到着するまで……。
「……一ヶ月、くらいは覚悟したほうがいい」
一ヶ月。無情な期間に思われた。その一ヶ月間、村が無事でいる保証などどこにもないのだ。空気が更に重々しくなる。
「こればかりは仕方ない。個人的な知り合いのハンターがいるから、そっちも当たってみよう。かなり遠方住まいだから、どのみち時間はかかるだろうが……」
「でも、それまでにテオが来たら……おしまいだ、村は、」
「落ち着け。いつも通りだ、矛先を向けられないように、いつも通り供物を捧げる。それで……時間稼ぎになるはずだ」
「テオ・テスカトルがイーオスやズワロポスなんかで納得なさるか!」
恐怖が伝染して万延してゆく。誰も皆命は惜しいし家族が愛しい。迫る脅威に怯えるのもまた仕方がなかった。冷静に努める族長でさえ、実のところどこまで冷静だったか定かでないのだ。どうしたら良い。口々に言う。一人が高価な宝石を捧げようと言い出して、別の者が龍が宝石に価値を感じる筈ないという。いつもより大量の生肉にしてはとの案もあった。量さえあれば、見逃して下さるかもとの意見であるが、そもそも十人がかりでようやっと一、二頭仕留めるのが精々なのだ。大量とは非現実的な提案だった。
一人、また一人と頭を抱える。会議だった筈なのに、阿鼻叫喚となりそうだった。結論が血迷ったものになったのも、こんな様では然るべきことかもしれない。
「とにかく、崇めるんだ。我々に害意はないと示すしかない」
「言葉が通じないのにどうやって!」
「とにかく、まだ、テオと決まった訳でもないのだ。まずは、観測隊を待って、」
「ブラキディオスだったとしてもだ!こんなクレーターを作る個体なら同じことだ!みんな死ぬぞ!」
どうやったら、この村が攻撃されないのか。村人達の思考には独自の信仰心が根付いてる。故に、発想もまた信仰に影響されてくる。
崇めるんだ。そして理解してもらうんだ。供物だ。供物を。盲目的に誰もが言った。
「我々に出せる、一番の供物を、この上ない供物を……」
-3-
その少女に白羽の矢が立った理由は一つではない。先ず両親が不在であるため、反対する大人が居なかった。次にまだ幼いため、騙すのも言い包めるのも楽だったし、反抗されたとしても力づくでどうにかなった。
要するに都合が良かった。それは共通の認識だろうが、表向きは違う理由を述べられた。
「生贄は処女でなくてはならない」「若いほど魂は穢れが少ない」
信憑性があるのかないのか微妙な理由だ。どこかで聞いたことのあるような理屈だが、根拠は誰もないだろう。ただ、「数々の条件から仕方なくその少女を選んだ」という体裁が欲しいだけだった。
必然的に村でもっとも若い処女として少女が選ばれたわけだけど、族長の孫が女児でまだ一歳だということは誰も突っ込みを入れなかった。結局は都合なのだ。
「お祭りをするよ。君が巫女さんをするんだ」
猫撫で声で大人が言えば、少女は素直に頷いた。世話をしていた女は涙を堪えていたけれど、庇いだてはしなかった。女にも小さな娘が居たからだ。
「さあ、篭に乗って。うん、巫女さんの衣装が似合うね。可愛いよ」
褒めれば少女は嬉しそうに笑ってみせた。
「祭壇に行くよ。着いたら篭の中で火山の神様にお祈りをするんだ。篭から出てはいけないよ。お祈りが終わったら迎えにくるからね」
そう言って、これを飲みなさいとクーラードリンクが渡される。捧げる前に死んでしまっては生け贄にはならないからだ。クーラードリンクには、遅効性の睡眠薬が混ぜられていた。
-4-
腐るより先に溶ける。それが火山で死んだ身体の宿命だったが、厚く丈夫なナナ・テスカトリの鱗は、溶ける速度をゆっくりにした。本来なら熱に負けない鱗であるが、代謝がないため溶けるのだ。
テオ・テスカトルは死肉に群がろうとするイーオスをあっさり薙ぎはらう。それから、ナナ・テスカトリの膨れた腹に鼻先を当てた。胎動はない。母体が死んで、我が子もまた腹の中で静かに死を迎えていたのだ。
テオ・テスカトルはゆっくりとしたまばたきをする。その瞳は涙を流しはしなかったけど、そもそも涙腺が存在しないためだろう。
死臭が周囲に漂っている。鼻をつくその臭いを、テオ・テスカトルは嫌がらない。静かに亡骸のそばに膝を折り、じっとイーオス達に食われないよう守ってる。
時折亡骸の腹を前足がゆっくりさするけど、何度触れても胎動はない。
テオは賢い。きっと死を理解してる。我が子は、もう生まれてくることはないのだ。理解しながら、やはりそばを離れなかった。
…………
テオがいよいよ「ここは駄目だ」と行動したのは、ナナの身体が原型を留めるのが難しくなってきてからだった。死から約三日目である。火口付近の熱気に鱗は溶かされて、立派な毛もチリチリと焦げ付き始めてた。このままではやがて完全に溶けるだろう。液体となり、骨を残して岩肌に染みる妻など見たくなかったのかもしれない。テオはナナの首筋に牙を刺し、ゆっくりと身体が崩れぬように持ち上げる。
それから翼を羽ばたかせ、慎重に二頭は上昇してゆく。ここより、少しでも涼しい場所を目指して。
羽ばたきに周囲の小石が舞った。ゆっくり、ゆっくり、地面が遠のく。イーオスたちがそれを見上げる。
崖に沿って上昇したその先で、テオは妙なものを見つけた。……篭だった。
素朴ながらに装飾をあしらわれた籠が一つ、崖際にぽつんと置かれてる。周囲には人間の匂いが残ってた。それに、籠からもべったりと人間の気配と匂いがしてくる。
テオはナナを大切に地面へ横たえた後、唸り威嚇を示してみせた。だけど籠は微動だにしない。試しに軽く火を吹いてみる。焼けない程度だ。だが熱気は伝わるだろう。それでも籠は動かない。
ゆっくり近付き、前足で籠をひっくり返す。驚いたことに、中にいたのは少女であった。すやすやと寝息を立てていたけど、籠の倒れた衝撃に瞼がぴくりと動く。
テオはまばたきをした。幾分早く、ぱちぱちと。奇妙なものでも見つけたように。
テオにとっての〝人間〟とはすなわちハンターだった。丈夫な鎧に身を包み、大仰な武器を構えた生き物。小さいが力強く、闘志を露わにする生き物だ。
だが目の前の生き物はどうだろう。人間とは小さいものと認識してはいたけれど、群を抜いて更に小さい。驚く程弱々しく、撫でるだけで死んでしまいそうではないか。武器も防具もどこにもなかった。それに闘志や敵意もない。
なんだろう、この生き物は。前足でそっと突いてみると、信じられないほど柔らかい。まばたきが早まる。
やがて少女が眼を開けた。ぼんやりした面持ちだった。
「神様?」
高い声がそう問いかけた。寝ぼけていたのかもしれない。小さな手が瞼を擦る。そのあと、ふあ、と欠伸が聞こえた。
イーオスすらも見たことのなかった少女は、テオ・テスカトルがどんなものか、まるで理解していなかった。
自分が生け贄などと思いもしない小さな彼女は、神様に祈るためにここに居ると信じてる。終わったら、迎えが来てくれるとも。
美しく洗練されたテオ・テスカトルの姿を前に、少女が抱いたのは恐怖でなく信仰心だ。大人達の言った〝火山の神様〟だと信じてる。
「かみさま」と発音されたそれが、自らにかけられたものと理解しながら、しかしテオは言葉を知らない。人間が言語という独特の声帯の使い方をし、種族間でコミュニケーションをとるというのは知っていた。だが意味はまるでわからない。それは当然のことだろう。人間がモンスターの言葉を理解出来ないのと同様に、モンスターもまた人間の言葉を理解したりはしないのだ。
少女は次に、奥に横たわるナナの亡骸を目に移す。死臭が漂ってるものだから、死んでるのは理解できたことだろう。ああ、と少女は頷いた。
「お祈りってこのこと……。わたし知ってるよ。父さまと母さまにのときも、お別れのお祈りきちんと出来たもの」
小さな身体が立ち上がる。そこに敵意がまるでないから、テオは威嚇も忘れてる。
「神様にお祈りしなさいっておじちゃんが言ったけどね、なんのお祈りかわからなかったんだ。神様のお友達が死んじゃったんだね」
それを人は追悼という。だが幼い少女には些か難しい単語であるから、大人たちは「死んだ人にはお祈りするの」と教えてやってた。だから少女は「このことだったんだね」と納得するのだ。
「やり方も知ってるよ。穴を掘ってね、埋めるんだよ。そうしたら土に還って、次の命になるんだよ。生まれ変わったらまた会えるからね。また会おうねってお祈りしようね」
そう言って、少女は地面を引っ掻いた。火山の大地は固く、簡単には掘り返せない。シャベルならまだしも、小さな素手で何が出来るというのだろうか。数センチ削るのにも苦労するのに。
かりかり。かりかり。健気な音が耳をつく。言葉のわからないテオはそれを見て、不思議そうに少女を真似た。
ぞりっ、と大袈裟な音がした。強靭な爪は、あっさり地面を抉るのだ。硬さなどないかのように大地が削れる。
「すごいね!」
これならすぐに穴は掘り終わるだろう。少女は瞳をキラキラとさせ、嬉しそうに拍手する。
やはりテオは「すごいね」の意味がわからないけど、少女が喜んでいるのは理解した。
…………
掘り返されたりしない深さの穴ができ、その中にナナ・テスカトリは眠ってた。一度掘られて柔らかくなった土達は、周囲の熱で湯気の出るほど熱かったけど、少女は堪えて手で掴む。「埋めようね」と少女は言って、優しく亡骸に被せてく。
テオ・テスカトルは暫し考えたようだった。埋めるのは人間の風習であり、龍にはない価値観だろう。だがやがて同意するように前足が土を蹴り、少女同様土をかぶせる。その結論に至った理由は定かではない。これならイーオスに啄ばまれたりしないと納得したのかもしれないし、真剣な善意を放つ少女の瞳に思うところがあったのかもしれない。どちらにせよ、それはテオにしかわからないことだ。
最後に、テオはナナの膨れた腹をじっと見た。産まれなかった我が子を鼻先で優しくつつき、やがてそこにも土をかぶせる。同じく小さな命である少女を前に、攻撃的でなかった理由はこれにあるのだろうか。意志の確認が不可能な以上、仮説の域を出ない可能性の一つでしかないけれど。
元どおり平になった地面に、少女は墓標代わりのものを探した。「ここだよってわからなくならないように」と少女は説明したけれど、やはりテオには伝わらない。墓標に選んだのはテオに折られた籠の柱の一つであった。丁度装飾のあしらわれた部分であり、縦に突き立てればそれなりの見栄えに見える。
少女の言葉も墓標の意味も知らないテオも、これを「目印的な何か」程度に認識できた。
「お祈りしようね。わたしね、そのためにここに来たの」
そう言って、少女は手を合わせて目を閉じた。テオはその様をじっと見て、真似るように自身もまた目を閉じた。暫くの間、一人と一頭はそうしてた。
-5-
目の前の少女が目に見えて弱りだしたと気がついたのは、突然湧き出した大量の汗と、それに伴う荒々しい呼吸のせいだ。
平常に見えた肌は見る見る紅潮し、少女はぐったりとして手をついた。クーラードリンクが切れたのだ。無論クーラードリンクなど知らないテオは、突然の衰弱に頭を捻る。
「だいじょうぶ」
か細い声で少女は言った。
「お祈り終わったらね、おじちゃんがお迎えに来てくれるんだよ」
それが嘘だと少女は知らない。
自らが生け贄にされたなど少女は知らない。削り取られる体力に、意識が朦朧と霞み出す。だけど弱音の一つも吐かず、必死に気丈を繕うのもまた健気さだろうか。このままでは死ぬと理解したのは、テオの方が先だった。
やがて少女は目を閉じた。もう言葉を発さなくなる。その姿は、息絶える直前のナナ・テスカトリと重なった。
賢い古龍は考える。何が少女の命を奪う原因だろうか。掌の薄っすらとした火傷を見た。かつて蹴散らした人間たちは、決まって定期的に「冷たい飲み物」を飲んでいた。あれが何かは知らないけれど、人間にはなくてはならない何かだったのだろう。それが、今、ないからだろうか。
テオは少女を傷付けないよう優しく咥え、地底火山の麓に向かい飛び立った。よく、人間がうろちょろしてる場所を知っていたのだ。
…………
族長の娘の旦那にあたる若者がいた。いつものように鉱石をピッケルで削り取りに来てたのだ。
テオ・テスカトルが近場にいるかもと危惧されてたけど、だからと言って生計である鉱石掘りは止められない。産まれたばかりの娘がいるから、父親としての使命感が彼を突き動かしたのかもしれないし、元々楽天的なところもあった。テオがいるのかいないのか知らないが、心のどこかで自分だけは大丈夫だと思ってしまってたのかもしれない。
男にとっての不幸は、散り散りに鉱石掘りに務める男たちの中で、最初にテオに見つけられたことだろう。
男にとっての幸いは、一瞬過ぎて苦しむことなく逝けたことだろう。テオにとってそれは「ほんの撫でた程度」のことだった。殺意すらない。ただ、いつも人間達が定期的に飲む、あの冷たい飲み物が欲しかっただけだ。
強靭な鎧を持たないその男は、鋭い爪に一瞬で命を奪われた。亡骸は唖然としたような、ポカンとした表情だった。
身体が倒れ手荷物が散らばる。採取された鉱石に混じり、クーラードリンクが見つかった。テオはそれを咥え込む。他の男達が血溜まりに伏す男の身体と、テオの姿を目撃したのはその時だった。
「テオ・テスカトルだ……!」
「本当にいた!」
「ワギが死んだ!族長のとこの婿が殺されたぞ!」
恐怖に引き攣る人間達に、テオは興味を示さなかった。ただ、近場の水辺に寝かせた少女に、クーラードリンクを届けるだけだ。
翼が開く。
血濡れの遺体をそのままに、龍は少女の元へと飛び立った。
後には混乱だけが残されていた。