5月7日 渋谷 ハチ公前
「これは……」
人。人。人。街中に溢れた無数の人々。マネカタじゃない。滅んだはずの東京は在りし日の姿を完全に取り戻している。いや、それどころか記憶の中の東京より発展しているような……?
ありえない情報を処理し切れなかった俺の脳は、とにかく自身の状態を確かめる事に働いた。しかし、そこでさらなる衝撃を受けることになる。
足元に目を向けると見慣れたタトゥーはない。思わず項に手を当てると、角もなく皮膚と髪の感触だけがあった。服も、東京受胎が起きたあの日のままに戻っている。
どうなっている……?平静を装ってはいるが、かなり混乱しているのが自分でもわかる。今自分の置かれている状況に説明がつけられない。落ち着け。落ち着け……。
「クソッ!何だったんだよあの野郎!いねぇし!」
「落ち着けリュージ。あいつが何者かは分からないが、現実じゃ何も出来ねえんだ」
聞き覚えのある声がする。高校生程の男女が三人話をしている様だ。仮面越しだった為顔ははっきり見えなかったが、確かにさっきの三人だ。
悪魔の力に近い気配を感じたが、人間だったのか……。
「おい」
「え……。その顔は、さっきの……?」
「テメェ、出やがったな!こっちじゃテメェみてえなヒョロいのにはやられねえぞ!」
「待て。手荒な真似をした事は謝る。人間だと気づかなかったんだ」
「あぁ……?」
「勘違いだったと?」
「そうだ。すまなかった」
「ふむ……敵対の意思がないのは本当みたいだが……」
「なんだよ……。ならもういいよ、クソ……」
どうにか誤解は解けたようだ。……もう行こう。俺にはやる事がある。帰る方法を探さなければ……。
「俺はもう行く。世話になったから一つ忠告しておいてやる。……お前達はもうあそこには行かない方がいい。弱い奴は無駄死にするだけだ」
「な……おい!」
金髪の男が俺を呼ぶ声が聞こえたが、無視して歩みを進めた。忠告はしてやったし、この後あの人間たちがどうしようが俺には関係のない事だ。俺には俺でやらなければならないことがある。
渋谷 路地裏
「……いるんだろう。出てこい」
ハチ公前を離れてから、視線を感じる。この気配にはボルテクス界で何度も覚えがあった。
人気のないところで声をかけると、喪服の老婆が姿を現す。その気配はどこか刺々しい。
「どういうつもりだ。最終決戦へ向かうんじゃなかったのか?」
「貴方の力量次第で、そうするおつもりでございました。……坊っちゃまは、貴方に酷く落胆しておいでです」
「なんだと……?」
「今の貴方に成せることは何もないと、坊っちゃまは仰いました。貴方はこの地にて更なる力を手にしなければなりません」
「……その為に、俺は何をすればいい」
「ご自由に。その方法すらわからないのであれば、最早貴方に用はありません。貴方が力を身につけ坊っちゃまの元へ戻った時……。その時こそ、必ずやご決断為さるでしょう」
「話を理解出来たなら、貴方が人であった頃の住所へお行きなさい。貴方がボルテクス界で手にした物と、この世界で差し当たって必要なものは用意しておきました。……精々坊っちゃまの期待を裏切らぬよう……」
それだけ言い残し老婆は去っていった。俺の力が足りないだと……?釈然としないが、ルシファーとの最後の決戦を覚えていないのも事実。とにかく、手掛かりもない事だし、一度以前の家へ行ってみよう。
「これは……」
歩いて以前住んでいた家の住所へと向かう。記憶と違う景色も多かったので無事に辿り着けるか不安だったが、住宅地の中は大した変化もなかったようだ。
目の前にあるのは昔に住んでいた頃そのままの家。あの日、家を出た時と何も変わりがない。門を抜け玄関の前に立ってみる。あの世界でどれだけ時間が経ったのか分からないが……よく似た偽物でも懐かしく思う。
中に入ってみる。自分の家はこんな匂いだったか。内装も昔のまま、の筈。人気はない。……当然か。
リビングへ進むとテーブルの上に大きな袋が置かれていた。中を覗いてみると、どこかの学校の制服らしい。転入手続きの為のプリントが一緒に入っている。日取りは……明日。
今更、学生に戻れと?馬鹿馬鹿しいと思ったが、現状なんの目処もない。焦る気持ちを抑え、従ってみるのもありかもしれない。
身分証、通帳等の貴重品もまとめて置かれていた。そういえばマッカと円のレートを以前聞いたことがある。確か1マッカで約10円。ここへ来る直前の所持金、1000万マッカだと……。
通帳にはレート通りの金額が表記されていた。普通に暮らす分には困る事は無さそうだ。
椅子に座って、ふと気づいた。安全に気を緩める場所なんて、一体何時ぶりだろう。そう思うと何だか眠気が出てきた。睡眠の必要なんてないはずなのに。
思えば悪魔になってから、一度も休まる暇はなかった。戦って戦って、戦い続けて、あらゆる者を葬ってきた。目につく限りの、何もかも……。
5月7日 深夜 ベルベットルーム 雨宮 蓮
「イゴール……聞きたい事がある」
「察しはつく。お前の様子は覗かせてもらっていた。……あの男とは、深く関わってはならないと言っておこう。もし関われば、お前の身は大きく破滅へと傾く事になる」
「…………」
「あの男……人修羅は、世界に空いた空洞……。迂闊に近づけば引きずり込まれ、辿るべき道は破滅のみ」
「人修羅……?」
「そう。奴はただの人では無い。シャドウともまた違った存在。……悪魔だ」
「悪魔……」
「奴は人として生まれながら、その身も心も混沌の魔王ルシファーに明け渡した。一つの世界の滅びと引き換えに力を得、その身を人ならざる悪魔へと堕とした。そして、新たな力を求めてこの世界に足を踏み入れている」
スケールが大きすぎてよく理解できない……。
「奴は全ての破滅の化身だ。お前の更生に、やつの存在は必ず邪魔になる。やつには、関わるな」
「…………」
ベルの音が鳴り響く……。
「……時間だ。お前の選択を見守ろう……」
5月8日 朝 ルブラン
人修羅…悪魔…破滅……。
「おはよう、蓮。随分遅くまで寝てたじゃねえか」
「モルガナ、おはよう。……昨日色々あったから、少し疲れたのかも」
「そうだな……。何とか無事に済んだから良かったが……」
「ねえ、モルガナはどう思う?昨日最後に言われた事」
「無駄死にするってやつか?確かに、シャドウとの戦闘には危険は付き物だ。だが、そんなもんにビビってちゃ怪盗はやれねーぜ。改心、続けるんだろ?」
「それはそう、だけど……」
「なんだよ……もう怖気付いたのか?確かに昨日は危なかったが、気をつけてれば問題ねーって。……それより、今日はリュージとトレーニングする約束してただろ?そろそろ出ないと間に合わないぞ」
そうだった。急いで着替えて学校へ行こう。
5月8日 昼 学校中庭
「ふぃ〜いい汗かいたぜ。……腹減ったなぁ。飯行こうぜ、飯!」
「ちょっと待って……太腿が……」
「ちょっと走った程度で情けねーなー。ワガハイの昨日の猛ダッシュを見習えよ」
トレーニングを終え中庭で休憩していると、川上と渡り廊下を歩く男子生徒が見えた。休日に来ている生徒はほとんどがユニフォームかジャージだから、制服の生徒はあまり見かけない。
「おい蓮、どこ見てんだ?」
何だか後ろ姿に見覚えがある……。息を整えながら眺めていると、視線に気づいた男子生徒が軽くこちらに目を向けた。
「ん……」
「え……」
「おい……あいつは!」
人修羅……。どうしてここに?それよりも、制服?
「お前たちの学校もここだったのか……。そういえば、確かに昨日この制服を着ていたな」
「お前……秀尽の生徒だったのかよ。その割には見たことねぇ面だな?」
「正確には明日からだ。2年D組に編入する。今は学校の案内を受けていた」
「蓮と同じクラスかよ。お前が向こうでどんだけ強くても、こいつに手ぇ出したら許さねえからな」
「……覚えておこう」
話していると、取り残されていた川上がうんざりした様子で話に入ってきた。
「君たち……。間薙くんと知り合い?なんだか物騒な会話してるけど、お願いだから喧嘩なんてしないでよね。……はぁ…また面倒な生徒かな……」
「心配するな。喧嘩にならない」
「本当にやめてよね。案内途中だから、早く行かないと」
川上の言った名前が耳に残った。
「間薙……」
「……そうだ、伝えてなかったな。間薙 シンだ。シンでいい。よろしく」
シンはそう言って手を差し出す。イゴールの言葉を思い出し一瞬躊躇したが……俺はその手を取った。
「雨宮 蓮。……よろしく」