7月31日 早朝
時刻は朝の5時前。電車内には乗客がまばらに。俺はドアの横、端の席に座り、特にすることもなく吊り広告を眺めていた。立っている乗客が居ない閑散とした車内は、通学程度にしか電車を使わない俺にとって、この世界に来てから初めて見るものだった。
この列車が向かっているのは蒼山一丁目。夏休みに入ったというのに、何故こんな朝早くから学校へ向かっているのかというと、『暑くなる前に終わらせたいな』……とのことだからだ。
屋上へ足を運ぶそもそもの目的は、落ち着いた静かな読書の為だった筈だが、どうも最近は土に触れている時間の方が長い気がする。今日だって休みなのだから、断って家に居れば読みかけの本の一冊や二冊は読み終わっただろうに、これでは本末転倒だ。
だが、家にいる方が楽しいかと言われればそうでもないし、真夏のかんかん照りの下一人で作業させるのも気が引けるし……と、誰に言うでもなく理由を考えている。今日は土を替える場所もあるらしいし、一人で重労働をして、具合を悪くされても嫌だ。
あれこれと考えを巡らせているうちに、気づけば電車は蒼山一丁目駅へと着くところだった。ブレーキ音と共に身体にかかるGを、そのまま壁に押し付ける。
降りたホームは、車内と同じくスカスカだ。これだけ早い時間だと、部活動の生徒たちもいない。だから、隣の車両から見知った顔が降りてくるのにはすぐに気がついた。
「あ……おはよう。なんだ、同じ電車に乗ってたんだ。なんだか少し損した気分」
「おはよう。今日は電車か?」
「うん。運転手さんを朝早くから付き合わせるのも悪いでしょう?」
「偉いな」
改札を出て町並みを歩いていく。大通りではもう車通りが、特にトラックが多い。歩道にも、帰宅中か出勤中かわからないが、疲れた顔をした人々がばらばらと往来していた。……夜も明けたばかりだというのに。
とはいえ、一本道を外れた先は、まだ時間相応の表情を見せていた。
目覚める前の街はひっそりとしていて、人とすれ違うことも少ない。雑多に建つビルの路地は、コンクリートに遮られた狭い空では射す光も細く、夜の暗がりを残した薄青い様相だ。
それでも、そこは真夏だ。早朝であろうが知った事かと、太陽はぐんぐん高さをのばし、静寂な路地裏にも熱を吹き込む。歩いているうちに家々からは微かに朝食を用意する匂いが漂い始め、済ませた筈の朝食は、どうやら食い足らないと思い起こさせられてしまった。……ま、この体は特に食事が必要な訳では無いが。
当たり前だが、この時間校舎には誰もいない。薄暗さも相まって、普段と乖離した校舎が醸し出す面妖な雰囲気に、何となく、あの日の病院の風景を重ね合わせてドキリとする。
目敏く俺の変化を感じ取った春が、そんな俺を見て悪戯っぽく笑みを浮かべた。
「怖いの?」
「そんな訳ないだろう。こういう雰囲気に嫌な思い出があるだけで、それで少し……気が張っただけだ」
「それを怖いって言うんじゃない?シンくんでも暗い場所が苦手だなんて、少し意外ね。珍しいものを見たかな?」
否定しようとしたが、確かに、それ以外にこの感覚を形容するのに相応しい言葉は思いつかなかった。ぐっと開きかけた口を閉じ、春に同意する。
「ああ、確かに怖がっているのかもしれない」
「じゃ、何か出ても私が守ってあげる。怖かったらしがみついててもいいよ?」
「……はあ、弱点を突かれたか……」
鍵については予め担当の教師に伝えてある。誰もいない職員室から鍵を持ち出してきた春は、もう大して暗くもない廊下をスマホのライトで照らして、物陰を大袈裟に確かめながら俺に安全を報告する。何かから隠れるように慎重に階段を上りきって、春は少し重い屋上への扉をゆっくりと開いた。
屋上への扉を開いた俺たちを迎えたのは、纏わりつく、校舎内の冷えた空気を消し飛ばす様な真夏の陽光だった。春は太陽にむけて大きく伸びをしながら、「到着!」と楽しそうだ。
その姿があんまりに無邪気で、見ているだけで面白い。さっきの恐れなんて、今更、実際はちっぽけなものだったと無理やりにでも思わされる。
「珍しいんじゃないか?春がそんなにはしゃぐのは」
「だって、夏休みだもの。夏休みにした事はなんでも思い出になるのよ?それに、子供の頃の探検みたいで、私は楽しかったな」
「確かに楽しかったが、一番面白かったのはこの歳で本気で遊んでる春だ」
「改めて言われると恥ずかしいからダメ!……でも、面白かったならいいかな。シンくん、あんまり笑ってるところ見ないから」
「大笑いするような事確かにないが……それでも、楽しいと思った時ぐらいは、好きに笑うさ」
「あ……もしかして、今笑ったよね?」
「……さあ?」
「そうやって誤魔化す……。でも、まだ朝なのに、今日だけで二回もいいものを見ちゃった。今日はいい一日になりそう!じゃあ、早速はじめましょ?」
7月31日 午後 アジト
パレスを攻略する為、全員に集合をかけた。シンは午前中は屋上で日課を済ませていたようで、午後もそのまま適当に過ごすと言っていた。
ライドウさんとゴウトは、今日は問題なく合流できるらしい。仕事は平気なのか訊ねると、週末の夜は忙しいが昼間のうちは問題ないそうだ。
その後、無事に全員が合流し、いつものようにテーブルを取り囲んだ。
「しかし、今回のパレスには驚いたぜ……。見渡す限り、ぜんぶ砂漠とはな」
「確かに、今までのパレスって、歪んでる中心地の外に出ちゃえば、わりとフツーに街だったよね」
「おかげで鴨志田ん時なんか、いつパレスに入ったか最初マジで分かんなかったしな」
「中心地の外だってパレスだからな。認知から生まれた景色には違いない。今までに倒した奴らは、悪党だが社交性もあった。街がどんな景色かくらい普通に知ってたわけだ」
「けど、フタバは多分、外の町がどんな風か知らない……と言うか、一切興味もないんだろう」
「それで一面、不毛な砂漠なわけか。……まあ、あの暮らしぶりではな」
「まあでも、今後は有名人の悪党を狙ってく訳だし、引きこもってるような人は少なそうじゃん?てことは、『ぜんぶ砂漠!』みたいな苦労は少なくて済みそう?」
「そうとも限らないわよ。リムジンや飛行機ばっかりで、街の景色には疎い、興味も無い……なんて人……上流階級には多いわ」
「ヒコーキ……!?うお、それちょっと悪くねーな……!つーか、雲の上みてーなスケールのパレス、もしあったら、ぶっちゃけ行ってみたくね!?」
「確かにな」
「空の上など、建物の中でなければとても居れたものではないぞ。気温が変化する空間なら身体は凍てつき、酸素の薄い風が激しく吹き荒ぶ。そんな環境の中、素早い怪鳥共がその大きな爪で飛びかかって来るのだ。いやぁ、あれは今思い返しても酷いものだったな、ライドウよ」
「あ、やっぱイイっす……」
「そんな場所絶対勘弁ね。空飛んでるのは銀行だけで十分よ……」
「だが、さっきの『中心地の外がどうなっているか』という話は、興味深いな。つまり、悪人のタイプによっては、パレスの中に『現実と瓜二つの街がある』わけか」
「一度ゆっくり歩いてみたい」
「オメーはホントに、いつでも絵の話だな」
「確かに、観察力があって頭のキレる悪党なら、パレスに現実と寸分違わない街があるかもな。……まあ、あったところで、別に使い道はねえけどな」
「よし……とりあえずパレスを探ってみない事にはどうにもならない。そろそろ行こうか」
「おっしゃ、『シゴト』の時間だぜ!」
同日 午後 フタバパレス
「……ようやくピラミッドまで着いたな……。もしかして、毎回あのあっちぃ車に乗って移動すんのかよ……」
「こればっかりは仕方ないわね……。大変だけど我慢するしかないわ」
「へーい……」
「む。蓮、ライドウ、ここへ来てくれ」
砂漠へ来てからやたらと辺りを眺め回していたゴウトが俺とライドウを呼びつける。
「どうした?」
「待て、もう少しそっちだ。……そう、そこだ」
細かく俺とライドウさんの位置を指定したゴウトは、どこかから取り出したスマホを俺にぽんと手渡すと、軽く一飛びでライドウさんの頭の上に居住まいを正した。
これで何を……?
「よし、この角度がいいだろう。写真を撮ってくれ。頼んだぞ。ライドウ、うぬはポーズだ。ジョーカーに向け人差し指と中指だけ立ててだな……。これが『ぴぃす』だ、『ぴぃす』」
「観光旅行かよ!ライドウさんも律儀にやらなくていいって!」
「ゴウトもボケるんだ……?」
横で眺めていた竜司と杏が、ツッコミながら気が抜けたように肩を落とす。……正直同感だ。
「残念だが、パレスの中でカメラは使えねえぞ。フォックス、代わりにスケッチしてやれ」
「なんだと?それは残念……」
「ああ、そういえばカモシダん時もバレー部のヤツら撮れなかったな」
「任せろ。……といいたいところだが、今日は道具をもってきていない。砂で描くから少し待っててくれ」
「もう、全員ボケ始めたら収集がつかないじゃない。……ちょっとフォックス、本気で描き始めなくていいから」
「ハハハ、済まぬな。どうせしばらく帰れないのなら、少しは羽根を伸ばそうと考えたのだ。今後は自重しよう」
「それで、どこから行く?」
「まずは、前回の所まで行こう。扉が開いてるかもしれない」
「やはり開かないか。この扉、今は諦めるしかなさそうだな」
モルガナが大扉をぺたぺたと確かめながら言う。見た目通り頑丈そうでビクともしそうにないし、メメントスのホームの壁と同じならやるだけ無駄だろう。
「ここで考えてもしょうがねーだろ。どうするよ、ジョーカー?」
「他の入口を探そう」
「確かに、これだけデカい建物だ、他にも入口はあるかもな」
「建物の外も含めて、怪しげな所を全て調べるしかないだろうな」
「げっ、外……!?あの暑い中も探索すんのかよ」
「文句言わないの。サッサと探索を始めましょう」
「うぇへーい……」
『帰るのか?』
真に引き摺られる竜司を追いかけピラミッドの外に出ようとした時、背後から声をかけられる。
振り返ると、いつの間にか姿を現したフタバのシャドウが、階段の下で佇んでいた。
『ちょっと話そう、戻ってこい』
『ご苦労。もう来ないかと思ったが』
「ホント苦労したぜ!あんなデケー玉落としやがって。オタカラ盗まれてーのか、嫌なのか、どっちだっつんだよ」
『奥へ進みたいんだろ?取引しないか』
「取引だと?」
『近くに街がある。そこにある盗賊に盗まれたものを取り返して欲しい』
「そういえば、街あったよね?ここに来るまでの間に見たよ」
『戻ってきたらいい物をやろう。奥に進む道も教えてやる』
「もう少し情報はないの?盗賊の特徴や盗まれたものの説明は?」
『街には盗賊しかいない。盗まれた物もすぐに分かる』
「……行くなら外からね。判断は任せるわ、ジョーカー」
他にピラミッドの出入口が見つかる可能性もあるが、どうするか……。オタカラを盗まれたいと言っている本人のシャドウだし、頼みは聞いておくべきか?
「やってみよう」
『頼んだぞ。私はここで待ってる』