8月1日 昼間 アマラ深界第二カルパ
柱のフロアを通り過ぎた俺たちは奥の穴に飛び込み、またもや燭台の飾られたフロアへ流れついていた。アマラ深界は柱、燭台、迷宮の三つを一つのカルパとして繰り返す構造なのかもしれない。
燭台の裏、迷宮区へ続く扉の横に、さっき通ってきたものと同じ暗い穴が開いている。この穴もはるか下まで続いているようだが、一体どこまで続いているんだろうか。まさか迷宮区を素通りさせる訳もないだろうし。
「ああそれ……多分、最初に見た五つの扉のうちの一つが開いてるんだと思う」
「え?でもこれ、下に向かってるけど」
「常識もこんな場所じゃどこまで通用するかわからないでしょ。カルパは全五層、扉の数も五個。各カルパの入口に設置されてるって考えた方がしっくりくるわ」
「なるほど。どうする、一度帰るか?まだ余裕はあるが、危険な気配もちらほらあるぞ」
祐介の言う通り、ここからはより濃く、そして強い気配をいくつか感じる。だが、その数は少なく、そして非常に目立つ。俺たち全員が感知し逃すとは考えにくい。
何より、大半の悪魔は第一カルパと大差ない強さのようだ。様子を見つつ、入口付近を探索するなら問題ないだろう。
「地理を把握する為に近場だけ探索しよう。強い気配との遭遇は避けるように、警戒は怠らないこと」
「了解だ。気を引き締めて臨もう」
迷宮区への扉を開けた先は、第一カルパでも見たトンネル状の通路。しかし、その雰囲気はまるで違い、全体的に古びていて見るからにカビ臭そうだ。
通路の床から天井まで、茶色と灰色のタイルが交互に列を成し、層になっている。細かいタイルを敷き詰めた天井は、こんなに古びていてはタイルが抜けて落ちてくるんじゃないかと心配になった。
先へ進むと十字路……いや、十字状の小部屋だ。左右にはすぐ壁があるだけで何もなし。正面の床には四角い穴が空いている。
覗いて見ると10m程下に床が見えた。下階に続いているようだ。降りた先に何かいる様子もない。
「ああ?これ、戻れなくね?」
「どうしよう……。引き返せないとなると、かなり危険だわ」
「うーん……。最悪、モナカーの上に乗って肩車でもすれば届きそうだけど」
「ワガハイはどーすんだよ?」
「モナならワイヤーに掴まって登れない?」
「まったく……多少無茶だが、やれんこともない。仕方ねえ、行くぞオマエら」
覚悟を決めて穴を飛び降りる。やはり、直ぐに何かいる様子はなく問題なさそうだ。続く通路を少し進むと、今度こそ十字路が見えた。左右にはドア。正面の奥には上へ向かうハシゴが一本設置されている。
とりあえず上がると、高さ的には飛び降りる前と同じ階のようだ。さっきの部屋には飛び降りる穴以外道はなかったが、もしかしたらここから帰れるかもしれない。
曲がりくねった一本道をすすむ。突き当たりの扉を一つ抜けると、何故か飛び降りた穴がある部屋に出た。さっき飛び降りたときは他に道なんてなかったはずだが。
「あれ?戻ってきちゃった」
「おい、今通った扉壁になっちまってんぞ?」
「大した距離では無いが、一方通行ということか。とにかく、帰り道の確保はできたな」
再度飛び降り、先程の十字路へ向かう。右側にある妙な形の扉は押しても引いても、なんの反応も示さなかった。この扉も鍵が必要らしい。諦めて反対の道を進もう。
引き返し反対の扉を開いた途端、部屋の奥から力強い男の声が耳に飛び込んできた。驚いたが、俺たちに向けられたものではないようだ。
部屋の中では、思念体たちが一人の思念体を中心に、その訴えに耳を傾けている。
「うわ、びっくりした!……ねえ、あれなんだろ?」
「ずいぶん人が群がっているな。演説か?」
「俺は興味ねーけど……気になるなら、休憩がてら聞いてくか?」
『聞けよ、民衆たち!世界は支配する神に虐げられ、従い、そして甘えるうちに自らの力を失った。それゆえ今、滅びの道をたどろうとしているのだ』
『しかし案ずることはない。我らガイアの教えは人に強さをもたらし、真に生きる術を指し示そう!世界を古の強さへと再生させるのは、我らガイア教団なのだ!!』
思念体は延々と演説を続けている。周囲の思念体も同様に、演説に合わせて雄叫びをあげている。話の内容はよくわからなかったが、ガイア教団という組織の集団のようだ。
ガイア教団……聞いた事がない名前だ。他の世界で流行っている宗教だろうか。
集まっている思念体たちをスルーして探索を続ける。探索の途中で出会った思念体たちは、演説をしていた思念体と同じ服装をしている者も多かった。
得られた情報は、このフロアには多数のガイア教徒がいること。そして、ガイア教と相反する思想を持つ、メシア教という団体もいるということ。
『我らはただ、自然や古代の神々と共に生きる道を探していただけだ。それを、妬む神に洗脳されたメシア教徒たちは目の仇にし、弾圧してくるんだ』
『……困ったものだ。排除すべきはヤツらメシアだぜ』
迷宮区の奥へ進むと、メシア教徒の思念体も存在していた。さすがにガイア教徒たちとは距離を置いているようだが。
出会ったメシア教徒たちは、力強く訴えかけていたガイア教徒と違い、優しい声音で諭すように教えを説いていた。
『私たちは、神の教えを絶対と信じています。全ては神の考えるとおりに……。世界は移り変わっていくのです』
『あなたもこんな忌まわしい場所などさっさと離れ、自らに与えられた世界で、役割をまっとうしなさい』
『いかなる時でも、神への祈りを忘れてはなりません。そうすれば、たとえ何が起こったとしても、神は我々を見守ってくれます』
『死した後に神の元へ導かれるためにも……。さぁ、祈りなさい』
何人かの思念体から話を聞き、ようやく中身がわかってきた。聞くところによると、メシア教は唯一絶対の神を尊び、それによる統治と、その世界での限りない安寧を望んでいる。盲目的なまでの信仰心と語り口は、神に己の全てを委ねているようで……。俺には、生きるという事に対して酷く歪んでいるように思えた。
ガイア教はメシア教とは対照的に、個の自由と生きる力を尊ぶが、しかし力を信奉し、強いものが定めた法に従うという教義。
力あるものが支配するという考えは、まさにこれまで改心してきた悪党共と同じ思想だ。これもまた、俺には受け入れ難いものだった。
教徒たちは互いの信仰を罵りあい、都合のいい解釈と甘言を垂れ流して俺たちを引き込もうとする。
どの道そんな話に興味は無かったが、シンやライドウさんたちへ問いかけた時、どのような答えが返ってくるかには少し興味があった。……少なくとも、シンがメシア教に与するのは想像がつかないが。
進んでいると、入口の十字路でも見た鍵のかかった扉に辿り着いた。頭の地図で位置関係を照らし合わせたが、ここはあの扉の裏側のはずだ。
「うーん、この階はこれで全部見たかな」
「とりあえずここまでか?どうする、ジョーカー」
「ああ。消耗も増してきたし、余力があるうちに帰ろう」
8月1日 昼間 アジト
アマラ深界から脱出すると、そこは入る直前にいた屋根裏のアジトだった。結構な時間行動していたので、陽は傾き始めているだろうと思っていたが、空を見ると太陽はまだ空のてっぺん。窓の外からはやかましく蝉の声がする。
思っていたほど時間が経っていなかったのか、とも思ったが、それは明らかにおかしいと考え直した。
アマラ深界で行動していたのは、大体……感覚だが、最低でも3時間は下らないはずだ。集合したのが14時過ぎだったので今はおよそ17〜18時。いくら真夏で日が長いとはいえ、未だに太陽が真上にあるのは不自然だ。
「そんな……。みんな、時計を見て」
「え……14時半!?時間経ってないじゃん!」
「どういう……。いや、奇妙ではあるが、あんな場所だからな。そうと言われれば納得せざるを得まい」
「なんにせよ好都合ね。時間もできるし、私たちがまとめて居ないことに気づかれる心配もないわ」
「確かにな。誤魔化さないでいいもんな」
「竜司なんてすぐボロ出しそうだもんね」
「るせ!お前もだろ!……っと、そういえばよ、蓮。結局さっき何があったんだ?」
柱の部屋で何が起こったかを説明した……。
「悪魔どもの集会……ね。俺も覗いてみりゃ良かったな」
「多分、蓮以外は行けなかったんじゃないかな。私たちは誰もそんな感覚なかったし。……いいわ、いつかこっちから出向いてやりましょう」
「蓮の聞いた話によると、悪魔とシャドウは本質的には変わらないものなのか?」
「どーなの?モルガナ」
「さあ、わからん。少なくとも、ワガハイはマガツヒなんてものは知らなかったし、シャドウ共がそれを食うとこも見たことねえ」
「そもそも、悪魔と違ってシャドウはこっちに出てこれねえからな。元がどうあれ、今は全く別モンだろ」
「ええ。どの道やることは変わらない」
「ふむ、確かにそうだ。……この後はどうする。解散か?」
「ああ。時間が空いたから今日はゆっくり休もう。また連絡する」
8月3日 夜 間薙 シン宅
夜。雨粒が激しく窓を叩く中、自室で本を読んでいる。雑踏を掻き消す心地よい程度の雨音なら読書も捗るが、今日のようなゲリラ豪雨だとむしろ外の様子に気を取られ、ついついカーテンを開けてしまった。
窓の向こうでは、夜の闇を街灯に照らされた雨粒が白く切り裂いている。鈍く光る道路は、よく見ると小川程に水が流れていて、まさか冠水しないだろうな、と少し心配になった。
降水量はともかく、幸い風は程々で済んでいる。昼間プランターにかけてきたビニールが飛ばされる心配は薄そうだ。
カーテンを閉めて椅子に座り直したところで、不意にポケットのスマホから振動を感じた。誰かからのチャットのようだが……画面を見ると、送り主は真だった。
『お願いがあるんだけど……』
『生徒会に投書があったの 池袋に変人が出るって』
『学外ではあるけど 生徒の生活圏でしょ?』
『明日調査しようと思うんだけど 協力してくれない?』
『午前は無理だ 昼頃からなら 池袋のどこに行くんだ?』
『プラネタリウムよ シンは午前は屋上?なら私も少し顔出すわ 久しぶりに春にも会いたいし』
『そう伝えておく』
8月4日 昼間 屋上
「へえ、マコちゃんとプラネタリウムに……。それじゃあ、この後マコちゃんも来るんだ」
「そうらしい。昼は生徒会室で食べて、その後出かけてくる」
「ふーん……プラネタリウムかぁ……」
「春はどうする?もし暇なら、一緒に来るか?」
「えっ、私?いいの?」
「何も構うことないだろう。真だって春に会いたいと言っていたし、それに、夏休みに入ってからどこも遊びに行ってないしな」
「そうだね。……それじゃあ、お言葉に甘えて。御一緒させてもらうね」
「ああ」
植物への水やりを終えたところで、真が階段を上がってくる足音。屋上へ出てきた真は既にジャージに着替えていて、真夏の強い日差しに目を顰め、片手を翳した。
「おはよう」
「おはようマコちゃん。二週間ぶりくらいかな?」
「夏休み入る前以来だから、そうね。たった二週間でも、ずいぶん久しぶり……」
「なんだか疲れてる?できることがあれば手伝うよ?」
「あ、ええ……ちょっと暑さでバテちゃって」
「そうなんだ。それなら、今が旬の子たちが疲労回復にいいよ。ちょうど、今日収穫するから……」
確かに疲れてるようだが、夏バテじゃないな。ここ数日でまた力をつけたと、少し見ただけでも丸わかりだ。双葉のパレスにも大分苦戦しているとライドウに聞いたし、ずいぶん熱心に戦っているようだ。
春との挨拶もそこそこに済ませた真は、今度は俺に声を潜めて話しかけてきた。
「おはよう、シン」
「おはよう。ずいぶん頑張ってるみたいだな」
「……ええ、おかげさまで」
なんだか妙な反応だ。攻略を手伝えと言うことだろうか。してやる気は無いが。
「この後のプラネタリウム、春も誘ったら来ると言っていた。いいよな?」
「えっ、春も?ちょっと、誘うなら先に言ってよ」
「なに?まずかったか?」
「変人の調査だって言ったでしょ?蓮にも声をかけたし、怪盗団としての調査なのよ?春が近くにいるとやりにくいわ」
「……迂闊だったな」
「しかたないわね……今から断るわけにもいかないし。こっちは蓮と調べるから、貴方は春と二人で、私たちから離れて座って」
「わかった。悪いな」
話してるうちに春は収穫を終えたようだ。気づいていなかった真に、野菜を詰めた袋を手にした春が背後から声をかける。
「マコちゃん、二人で何話してるの?はい、これ。今採った子たち。早めに食べてあげてね」
「な、なんでもないのよ、春。ありがとう。帰ったら食べるわね」