8月6日 夜 ルブラン屋根裏
『ビリヤードに行ってみたいの』
『まだ双葉ちゃんの件、片付いていないんだけど』
『みんなの息抜きも必要かなって』
『どうかな?』
店の手伝いで皿を洗っていると、横に置いていたスマホが振動した。洗い物についた泡を手早く濯ぎ落とし、水気を拭ききって棚へと戻す。
濡れた手を拭いて画面を見ると、真からの遊びの誘いのようだった。しかし、今は店の手伝いを頼まれている。丁度一区切りついたところではあるが、抜けても問題ないだろうか。
「なんだ?皿洗い終わったか?」
「うん。ねえ、惣治郎……」
「あん?遊びの誘い?……しかたねえな。今夜はもう混まねえだろうし、行ってきてもいいぞ。あんまり遅くなんなよ」
「ありがとう」
『ビリヤードに行こう』
『ありがとう それじゃ、皆を集めるわね』
8月6日 夜 吉祥寺
待ち合わせ場所のダーツ&ビリヤードの前に着いた。まだ皆は来ていないようだ。
入口の階段の横で、壁に背を預ける。日中たっぷりと熱を吸い込んだ建物と地面は、太陽の代わりだと言わんばかりに熱を吐き出している。何度汗を拭おうとまたすぐに次の汗が吹き出す。
まだしばらく続くであろう熱帯夜にうんざりして、『店の中で待っていようか』などと考えていると、道行く人々の中、見知った顔と目が合った。
「あれ……。珍しいね、こんなところで会うなんて。君もこういう遊び、好きなのかい?」
「ん……?」
聞き覚えのある声に視線を上げると、そこには明智 吾郎の姿があった。
以前着ていたブレザー姿ではないが、薄手とはいえ長袖のシャツにベストまで……。この暑い中、よくそれで平然としてられる。
「なんだ、明智か……。こんなところで何を?」
「『なんだ』、って……。僕は気晴らしにビリヤードをしに来ただけさ。それよりも、君こそ疑問だね。こういう趣味があるとは知らなかったけど?」
「こっちもビリヤードだ。友達に誘われて」
「へえ……」
「おーい、蓮!待たせたな!」
通りの少し離れた所から、大声で呼びかける竜司の声が聞こえた。目を向けると他の皆は既に合流済みで、ぞろぞろと歩いてきているのが見える。今日はシンとライドウさん達も来たようだ。
正直、みんなと会わせる事は避けたかった。明智がどこまで本気で疑っているのか分からないが、怪盗団について露骨に探りを入れてくるし、下手に近づかれるとボロが出かねない。
「友達ってやっぱり君たちか。前も思ったけど妙な取り合わせだね」
「な……テメェ、明智……。こんなとこで何してやがる?」
「君も、以前テレビ局で会ったね。確か熱烈な怪盗団ファンだった。怪盗団絡みで僕が気に入らないのかもしれないけど、そんなに邪険にしないでくれよ。怪盗団に対するスタンスが違う相手でも、仲良くしたいと思ってるんだ」
竜司は明智に気づくや否や喧嘩腰だ。明智の事が気に入らないのは知ってるが、本人の前でぐらい穏便に構えて欲しい。
「コラ、喧嘩しないの」
「チッ……」
竜司は真に諌められしぶしぶといった様子で矛を収めた。
代わりにシンがスっと前に出てくる。確か、以前真を含めた三人で話しているところを見た。
「明智。久しぶりだな。以前駅で会って以来か」
「やあ、久しぶり。普通に話してくれる相手がいて良かったよ。知名度だけはあるから仕方ないけど、こうも手酷く扱われると堪えるね」
「彼が、噂の?」
「そういえば祐介は初対面だっけ。そ、高校生探偵の明智 吾郎」
「ふむ……喜多川 祐介だ。よろしく」
「洸星高校二年、美術部の喜多川祐介くんだよね。明智 吾郎です。よろしく」
「……?なぜ俺のことを?」
「知ってるよ。例の事件では君の名も出たし、美術筋では名も売れてる。自分の知名度は自覚するべきだと思うよ?些細な事でも大炎上する世の中だからね」
「肝に銘じておこう」
「そういえば……今日土曜日だけど、ライドウさんのバイトは?」
「この暑さのせいかララ嬢が体調を崩してな。臨時休業だ」
「そっちの帽子の彼は……はじめましてだね」
歩み寄った明智が手を差し出し、ライドウさんはそれに応じる。
明智は軽く手を掴むと、感心したような、驚いたような顔をして手を離した。
「……すごい手だ。歩き方を見てもしやと思っていたけど、武道の経験が?」
ライドウさんはその問いに頷きを返す。その後、補足するようにゴウトも俺に口を開いた。
「基礎修行の一環でいくつかの格闘技や武道は修めておるよ。どれもそこらの経験者では相手にならん腕前だ」
「格闘技なら色々経験してるってさ」
「へえ。僕も多少腕に覚えがあるんだ。いつか手を合わせてみたいな」
そうだ、探偵と言えば……。
「そういえば、ライドウさんも……」
「待て蓮。我等はこの世界では寄る辺無き身、素性を訊ねられれば面倒な事になる」
なるほど、確かにそうだ。余計なことを言うのはやめておこう。
「ねえ、そろそろ時間よ。入らない?」
挨拶もそこそこに済んだ頃、真が腕時計を気にして店に入らないかと促した。
時間を確認すると、合流してから既に15分近く経過していた。惣治郎にもあまり遅くならないよう釘を刺されているし、あまり時間を無駄にしたくない。何より、いい加減暑さが辛い。
「楽しみだなぁ。そうだ、ジュースでも賭けて勝負しない?何かないと張り合いがなくて」
「……おい待て。テメェ、何ちゃっかり混ざろうとしてやがる」
「え……駄目?」
「嫌にきまってんだろ!だよな?」
「俺は別に……。むしろ、ビリヤードのルールを知らないから、経験者がいてくれた方がいい」
「私は……どっちでもいいわ」
「同じく」
竜司の問いに、シン、真、祐介と続き、杏とライドウさんも同調するように頷く。
一人の賛同も得られなかった竜司に縋るような視線を向けられたが、諦めろ、と首を振って返しておいた。竜司は観念したようにガックリと肩を落とす。
「……しゃーねぇ。けど、仲良くする気なんざ微塵もねぇ。馴れ馴れしくすんなよ」
「嫌われたものだね。まあ、いいさ」
8月6日 夜 ダーツ&ビリヤード店内
受付を済ませ、卓につく。人数が多いので二卓に別れることにしたが、どう分かれようか……。
「この中でビリヤードのルールを知ってる人は?」
明智の問いに手を挙げたのは真だけだ。
「ほとんど初心者か。じゃあ僕と新島さんは分かれるとして、他は……」
「俺、真の卓!」
「じゃ、あたしもそっちで」
「俺もこっちにする」
明智を嫌がった竜司が真っ先に逃げ出すと、続いて杏、シンが続いた。
必然的にこっちは俺、明智、ライドウさん、祐介だ。
比較的探られにくそうなメンバーになれた。もしかしたら、杏が自分から離れたのもそういう意図があったかもしれない。
「……よし。じゃあ、初心者ばかりだし簡単なゲームにしよう」
「やるのは『ベーシックゲーム』だ。順番にショットして、的玉を入れた数だけポイントを獲得する。ポイントを獲得できれば、ミスするまで続けて撞く。これを各テーブルで何試合か行って上位二名、合わせた四人で決勝だ」
「もちろんハンデはつけるよ。僕は毎順一点失う。それとその場で一番小さな数字からしか狙えない。これぐらいでいい勝負になるんじゃないかな」
「そんなにつけていいのか?酷い負け方をしても知らないぞ」
「出来るならどうぞ。別に舐めてるわけじゃないよ。ビリヤードは繊細なスポーツだ。どんなに運動神経が良くても、ルールも知らない状態からすぐに出来る人はいない」
「まともなゲームにする為にどれだけのハンデをつければいいのか、僕も図りかねててね」
「つけすぎたと後悔するなよ」
意外とシンと明智が火花を散らしている。二人とも落ち着いてるように見えて、根っこは負けず嫌いだからな……。
まあ、俺も当然勝つつもりでやるが。
「よし……じゃあ始めようか」
「……なあ、そういえばシンって体育の時はどうしてんだ?俺はお前らとクラス違うから見たことなくてよ」
試合が始まってから数順。待ち時間を持て余した竜司が、俺と杏にそう囁く。
「出来る方だけど目立った動きはしてないな。明らかに手は抜いてるけど」
「そんなだから、前は運動部に声かけられたりしてたよ。でも、あたしらとつるんでるのが広まってからは触れられなくなったみたい」
「どう思われようが入るわけにいかないだろ。俺の体は人間の枠から逸脱し過ぎてる」
手番を終えたシンが杏にキューを渡し交代する。
「まあ、そりゃそうだよな。俺だって向こうと同じように動けたらつまんねーわ」
「だろう」
「シンは今のとこ何点取ったの?」
「……次の手番で全部取る」
「……力はともかく、シンってちょくちょく不器用だよね」
つまり一個も取れていないらしい。シンはバツが悪そうに視線を逸らした。今のところ向こうの卓のトップは真、こっちは……なんと、ライドウさんだ。
「てっきり明智のぶっちぎりだと思ってたけど?」
「ゲームはまだまだこれからさ。にしても彼、随分上手いようだけど、未経験じゃなかったのかい?」
明智が訊ねると、ライドウさんは懐からパンフレットを取り出した。受付に置いてあった各ゲームのルールブックだ。
さっと調べたところ、大正時代にはもうビリヤードは日本に来ていたようだ。向こうでやったことはあるが現代でも同じルールかわからなかった、という事だろうか。
「ルールだけ知らなかったってこと?確かに経験の有無は聞かなかったけど、人が悪いね」
ライドウさんは帽子のつばを下げニヤリと笑った。想像以上にノリノリだ。
なんだか、白熱してきたぞ……?隣は全員外したりしてキャーキャーやってるのに。
「むっ、出来た!蓮、見ろ!この球の並びを!」
「……これが?」
「分からないのか?オリオン座だ!この前プラネタリウムに行ったばかりだろう!」
「……祐介は一生そのままでいてくれ。あと今は夏だから冬の星座は上映してなかったし、腕の部分の星が足りてない……」
とはいえ、星座になぞらえて球を動かす技術は凄い。それを勝負に向ければ一位も狙えるだろうに。もしかしてこの卓で一番下手なのは俺?
「……まったく。警戒すべきなのは蓮だけだと思ってたけど、とんだ伏兵だらけだ。この調子じゃ遊んでられないな」
明智はそう言って二点を獲得した。三手目でわざと外し、俺にキューを差し出す。
「俺だって『ルールも知らなかった初心者』なんだけど?」
「君なら何かしてきそうだろう?」
「買いかぶりすぎだ」
その手番で何とか一点。その後も頑張ったが、思うように点は取れず……。
「勝ち残ったのはアケチ、ライドウ、マコト、シンか……。オマエは残念だったな」
「うん、残念」
「凡そ順当に残ったね。最初はあまり期待してなかったけど、ハイレベルな試合に出来そうだ」
「期待に添えるかはわからないけど、全力でやるわ」
「勝つつもりだ。全員首を洗っておけ」
「さっきまでダメダメだったけど、コツでも掴んだ?」
「それなりだ」
「違うでしょ。竜司が明智くんとやるの嫌がって……」
「なるほど、譲ってもらったの」
「うん。それでも竜司に追いつくのに何周も……」
「余計な事を言うんじゃない」
多少の不正があったようだが、ともかく決勝戦が始まる。俺たちは、負けたメンバーで下位決定戦でもするか……。
結局、優勝は明智だった。残りはライドウさん、真、シンの順だ。シンもコツを掴んだのは本当だったようで頑張ってはいたものの、経験の差は覆せなかった。
最終的にトップ二人の一騎討ちになり、途中から左手を解放した明智が激闘を制したのだった。
「ま、こんなものかな。いい試合だった。楽しかったよ」
「優勝おめでとう」
「ありがとう。君は何かしてくると思ってたんだけどな?」
「次は最初から本気を出させるよ」
「もうひと試合やるぞ。リベンジだ」
そういうシンの後ろで、ライドウさんも腕を組んで頷いている。いつもと変わらない表情で、そんなに悔しかったのか。
「嬉しい申し出だけど、もう遅いしプレイ時間も終わりだ。またのお誘いを楽しみにしているよ。次回はもう少し腕を磨いておいてくれよ?」
「ああ。楽しみにしていろ」
「もうすぐ22時よ。……帰りましょ」