林間合宿三日目。
雄英高校ヒーロー科の1年生は午前中の辛く厳しい『個性を伸ばす』訓練を終え、夕食作りに取り掛かっていた。
疲労により体の至るところが悲鳴をあげているはずなのに、そこには絶えることのない笑顔が浮かべられている。
それも当然だ。
彼らはヒーロー志望。
この程度の壁を笑顔で乗り越えずしてどうして人を救う立場になれようか。
一人一人の意識が違うのである。
とはいえ彼らも学生。
青春を謳歌することも忘れてはいけない。
ほんのひとときの安らぎとして『肝試し』なんてことに興じるのも悪くないだろう。
しかしそんな中───“闇”もまた動き出す。
「……雄英ね」
合宿の地を一望できる崖の上。
血影は小さく呟いた。
己の首元に刺さったナイフを引き抜きながら。
「刺すな、汚れるだろうが」
「楽しみだねぇ、血影サマ!」
陰鬱とした視線を妙な器具を身につけているヒミコに向けつつも、血影の対応にはどこか“慣れ”があった。
そのことを自覚してるがゆえに血影はなんとも言えない気分になる。
(……慣れてどうする)
やはりどこか血影はヒミコに甘いのである。
「どうでもいいから早くやらせろ。ワクワクが止まんねぇよ。なぁ、ブラッド!」
血影の後ろから、獰猛な笑みを浮かべたマスキュラーが現れた。
「うるさい。寄るな。暑苦しいんだよお前」
「なんだよつれねぇなぁ。俺と殺しまくりに行かねぇか?」
「行かねぇよ。お前と違って別に俺は人殺しが好きなわけじゃない」
「分からねぇな」
「俺もお前が分かんねぇよ」
なぜか不機嫌そうな視線をマスキュラーに向けるヒミコを横目で見ながら、血影は疲れたようにため息をつく。
マスキュラーはヴィラン連合での集まりがある度に血影に絡んできた。
だが、血影からすればその理由が全くわからない。
(なんなんマジでコイツ……)
別に話が合うわけでもないのになぜこうも絡んでくるのか。
むしろ一度ボコボコにしているのだから、殺意を向けてくる方が自然では無いのか。
マスキュラーの行動原理が全くもって血影は理解できなかった。
しかし、思考はすぐに切り替わる。
「俺は俺で、やりたいこともあるしなぁ」
血影は暗い瞳で鬱蒼と広がる森を見下ろしながら、薄く笑った。
「行くぞ、イカレ野郎共」
行動開始の合図を荼毘が静かに告げた。
「あぁ、ちょっと待ってくれ」
そこに血影は待ったをかける。
動き出そうとした全ての者が血影に目を向けた。
「なんだよブラッド! 急げよな! 待っててやるぜ!」
これだけはしておかなければならない。
なぜなら、トゥワイスだけは奪われる訳には行かないのだから。
黙ったまま血影は個性を発動させる。
───『眷属召喚』
血影の足元の影が蠢き、そこから1匹のオオカミが姿を見せた。
夜の闇を纏ったような漆黒の毛並み。
血に染ったような真紅の瞳には、確かな叡智が宿っている。
「ガゥ」
従順に血影の前で『お座り』をするオオカミ。
久しぶりだったが、感覚的な細い糸で繋がっているのを感じる。
成功だ。
そのあまりに突拍子もない光景に、それを目にした者は息を呑んだ。
「カァイイです」
「なんか出たぞオイ! 犬かッ!?」
「あら可愛い!」
「……肉」
マグネがオオカミの頭を撫でる。
何ら抵抗することなく、オオカミは気持ちよさそうにその手を受け入れていた。
「トゥワイスだけは奪われるわけにはいかねぇからな。コイツをつけさせてくれ。そうすりゃ本当にヤバいとき助けにいける。人語を理解するくらいには賢い。邪魔にはならんと思う。戦闘能力自体はただのオオカミと変わらんが」
「助けにきてくれんのか!? 良い奴だなブラッド!! クソ野郎だぜ!!」
「俺がついてるだけじゃ不服か?」
鋭い目付きで血影を睨みつける荼毘。
「念には念をさ。お前ならわかるだろ?」
「……そうだな」
コイツは誰も信用していない、と血影は思う。
暗い路地裏を歩きながら、同じような濁った目をした奴をいくらでも見てきた。
その目には誰も映っちゃいない。
だからこそ、同じように誰も信用していないと受け取れる血影の言葉を理解するのだ。
そして、今度こそ本当に皆が散っていった。
───『開闢行動隊』がヒーローの卵たちに牙を剥く。
++++++++++
俺は森の中を歩く。
やっぱり夜はいい。
月が綺麗だし。
ずっと夜ならいいのに。
それにしても雄英か。
名門中の名門じゃねぇの。
関わることなんて絶対ないと思っていたのに、ほんと、生きてると何があるかわらんわ。
心臓は止まってるけど。
さて、
───『眷属召喚』
再び俺の影からオオカミが姿を現す。
だが先程と違い、1匹ではなく複数だ。
呼び出せる眷属はオオカミだけではないが、森での追跡や捜索ではコイツらが最適。
“とある目的”のために呼び出したのだ。
今回の作戦、軽い指示を与えられている者もいるが、ヒミコ、マスキュラー、ムーンフィッシュ、そして俺に関しては完全に自由だ。
好きに暴れていい、そんな指示。
なら好きに動かせてもらおう。
雄英ヒーロー科1年の情報には一通り目を通した。
体育祭の映像も見た。
確かに『爆豪勝己』は粗暴さが目立つ。
ヒーロー志望、と言われても疑問を持たざるを得ない。
だが、己の信念だけはガチガチに固まっているようにも見えるのだ。
一度決めたら何があっても曲げない。
そんな印象を受ける。
直接見た訳では無いから、これはこれまでの情報と映像からの推測でしかない。
あくまで俺の直感だ。
ただ、俺の直感はれっきとした感覚。
ようはよく当たるのさ。
だから───
「『八百万百』ってガキを探せ。他の奴は無視して戦闘は避けろ。極力見つかるな。行け」
俺の言葉を聞き、十匹のオオカミは一斉に森の中へ駆け込んでいく。
───八百万百の誘拐。
そう、俺が目をつけたのはこのガキだ。
大財閥のお嬢様。
俺も一応、大金持ちの家に生まれた。
自分がそうだったから分かる。
こういうガキは大抵が世間知らずで、脆い精神してやがんだ。
そして───他からの影響を極めて受けやすい。
だからこそ、思想、価値観、倫理感を塗り替えられる可能性が高い。
だが、コイツは俺とは明確に違う。
捨てられた俺とは違い、たぶん綺麗な世界しか知らない。
俺も、捨てられて初めて知ったんだからなぁ。
───世界がこんなにも汚いことを。
俺が教えてやろう。
お前が見てる世界は、綺麗事に塗れた一面でしかないってことを。
嘘と事実を交え懐柔しこちら側に引き入れる。
なんて、期待しすぎるのはよくねぇか。
持ってるもん捨てるって、そんな簡単なことじゃないし。
てかコイツ個性もめちゃくちゃいいんだよなぁ。
『物を創り出す』個性なんて、ほんと恵まれてるよ。
あーあ、俺もそんな素晴らしい個性だったら明るい世界を生きられたんかね?
まあ今さらどうでもいいけど。
んじゃ、散歩がてら森を歩きながらアイツらからの連絡を待ってようかね。
…………。
…………。
あー、クソ。
なんでこうも気になっちまうんだよ。
病気だわほんと。
ずっと頭の片隅で引っかかって消えやしねぇの。
───『眷属召喚』
そこまで血を飲んでないのに能力を使いすぎたせいで、現れた一匹のオオカミを見ながら俺は若干の気だるさを感じた。
「トガヒミコを見張ってろ。ヤバそうになったら合図を送れ。いいな、行け」
「ガゥ!」
元気よく走りさって行くオオカミ。
その後ろ姿を見ながら、俺はもう何度目か分からないため息をついた。
なぜこうも気にかけてしまうのか。
どうでもいいだろあんなガキ。
はぁ……。
やっぱ、誰かと関わって生きるのはろくな事がねぇな。
そんなこと、ずっと前から分かってたはずなんだが。
嫌な記憶がほんの一瞬蘇り、だが煙のようにすぐに消え、俺はゆっくりと散歩を再開した。
───眷属から『見つけた』と感覚的に伝わってきたのは、それからしばらくしての事だった。
お読みいただきありがとうございました。